睫毛にケチャップ

水は透明。屈折して透けてみえる。
そんな水を浴びる。
水が私の肌を伝い、張力しながら伝った部分も透けたような気がした。

私はお風呂が好きだ。
毎日お湯につかるし、清潔を保つ。
昔は嫌いだったけど、今は好き。
つかると、いろんなことを考える。
体が高揚してきて気持ちよい。

今日は通っていた養成所の最後の日だった。
私は演じるものになりたい。と思い、二年前にこの学校に入ったのだった。一つの科が終わり、また一つの科が終わる。そして本日を迎えた。
卒業課題なるものは、静かに波打ちながら経過する。
そして、感動的にテトラポッドに当たって打ち砕けるのだ。
でも、この緊張感は嫌いじゃない。
皆とカラオケに行って戯れた。帰国子女でリーダーシップをもつ男は、洋楽を歌うかのように、邦楽を歌う。たまに拳も入れてくる。そして男は得意気にwe are the worldを歌うのだった。
私はそこまで至れない、出来るんだけど、やろうとしない、という境地にいた。このカラオケでは、そばかすが歌えなかったのが悔やまれる。

飲み会は欠席し、見送ってくれる皆にくるりと背を向けた。
「花本」
5メートルくらい歩いたところで私の名字が聞こえた。
さっきまで同じクラスだった濱田さんに呼び止められたらしい。
帰国子女ではない。
かくかくしかじか。男は私を好きらしい。冷静だったけど、どうして良いか分からなくなって、とりあえず握手した。「ご飯しましょう」とか、罪の薄そうな事を言ってその場を後にした。
不器用な人。不器用な告白。でも、ちょっと可愛い。
そんなことを考えながら、通話履歴を開き、ずっと下の方にスクロールした。

私の頭の中には、ずっと居る人がいる。
ふうっと現れたり、ぺたっと張り付いたり、ちょっと抓ってきたり。
コウは私より、二つ歳を食べている。

18歳の私は、実に頑固だった。
思ったことには一直線で、即行動。理性はあるけれど、あまり機能していなかった。
そして、感情的でヒステリック。気まぐれで、自由だし。
まるで猫だ。

チズは18歳の春、珈琲店の面接を受けた。
地元に出来た珈琲店のオープニングメンバーを募集していたのだ。
2ヶ月後にはオープンするし、小遣い稼ぎには持って来いだ。
それに、チズのバイト経歴は全て飲食店。仕事熱心な千図には、受かる自信がたっぷりあった。

そしてやっぱりその面接も受かったし、晴れて珈琲店のスタッフになった。

チズは珈琲店の研修に向かった。
その日は雨で、雷が控えめに鳴っていた。お風呂のお湯を溜めすぎたみたいに降っていた。

珈琲店の建物は、木造で、全てが新しい。
檜のなんだか落ち着く、馴れ馴れしい香りがこの建物に親近感をもたらす。
研修では、自己紹介やら、商品の名前、今後の事業の予定など事細かに話されたりと、実にうとうとした。首を垂らし、半目になりながら、チズは最後まで研修に参加した。

チズは店の裏口でもぞもぞしていた。雨に濡れたコンバースが、靴下とすれあって履きづらい。苦戦した。
「お疲れさまです」
後ろからきりっとした声が聞こえた。色違いのコンバースを、後からきた男はさらっと履いてみせた。
そして傘をさして雨の中に姿をくらませた。
「お疲れさま。くらい返させてよ」
チズはぼそぼそとコンバースを履きながら呟いた。
チズのコンバースは0.5センチ小さい。そろそろかえよう。

花本チズと櫻井コウは、何度もお互いの地元の緑地に通った。
役者の卵であるコウは多忙の中、チズと会うことを欠かさなかった。舞台の稽古が終われば、すぐに飛んできてくれた。そのおかげもあって、チズはコウから溢れんばかりの愛情を感じていた。

「お疲れさま」
チズが前歯を出し、口角を上げた。
「チズちゃん、お疲れさま」
コウはチズを見下ろしている。
「この20センチくらいの身長差が、俺は好みなんだよ」
チズは手を丸めて、コウの筋肉質な胸をシャツの上から引っ掻く。胸毛は生えているのだろうか。
「チズちゃんは猫みたいだ」
そういって背中を丸めて、顔を近づけた。
彼の喋り口は柔らかい。落ち着いていて、声の高さも丁度良い。唇だって柔らかい。焼きたての卵焼きみたい。調味料はお砂糖。

唇を離すと、月明かりに照らされた糸がのびて、きらりと光った。コウはチズを抱き上げ、もう一度キスをした。チズが手足をじたばたさせたが、コウは更にきつく抱きしめる。
「チズ、付き合おうよ」
突然コウが真面目になって言葉を発した。眉はきりっとして、呼び捨てになっている。
「ごめんね。もう少し待って」

するとコウはチズを抱きかかえて、ベンチへ連れて行った。
老朽化した木が肌とすれて痛い。枕もないし、後頭部も痛い。しかも、真っ暗だ。
「チズ、少し頭あげて」
コウがジャンパーを下に引いてくれた。
優しい。思いやりを感じる。そしてキスをする。
彼の唾液はバファリンだ。チズは自分の下半身が熱くなってくるのを感じた。副作用だろうか。
コウは胸毛など生えていなかった。それに、すね毛も薄めだった。

「これで、これでチズは俺の彼女だから」
息切れしながら、コウが言った。筋肉質な彼の胸を月明かりが照らしている。汗がきらきらと光る。チズは首を浮かして汗を舐めてみた。しょっぱい。
「わかった」
「本当?チズ、本当?」
「ポカリスウェットと、アクウェリアス、どっちがいいかな」
「…ポカリスエットだし、アクエリアスだし!」
「じゃあ、ポカリスエット。コウ、汗しょっぱかったから」
「…チズ、話聞いてた?」

二人の会話は常に成り立ってなどいない。
キャッチボールが出来ないのだ。
コウは精一杯全力投球するのだが、チズはグローブもちゃんとはめられないし、キャッチすることが出来ない。
そしてチズは突拍子もなく、コウにグローブを投げ返すのだった。
その行為にコウはたびたび驚かされる。

チズには、

睫毛にケチャップ

睫毛にケチャップ

少しずつ、書き殴ります。殴ります。他愛もないです。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-19

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