ズット待ッテテ

 おばあちゃんの家は、山のずっとずっと上にある。木々が風でさらさらと擦れ、狐や狸が顔を出すような、そんな場所。木製の小さな家は、一階は店になっていて、沢山のガラスの壷に埋め尽くされている。甘いお菓子や、パンなどが所狭しと並び、色とりどりの不思議な液体の入った瓶が並んでいた。
 鈴はそんな、おばあちゃんの家が大好きだった。見たことも無い色の鳥がさえずり、木々の陰は地面に不思議な姿で映し出される。
「鈴、いつまで遊んでるの?もう帰るわよ。」
庭でシロツメ草の花輪を作っていると、お母さんの呼ぶ声。休日を利用して、高速道路をいっぱい時間をかけて走り、やっと着いたおばあちゃんの家。おばあちゃんはいつも、真っ黒な服を着ている。足の見えないほどに真っ黒なワンピースは裾が長く、沢山の草花を手に持っていた。
「おばあちゃん。鈴まだここに居たいよ。居ていいでしょぉ。」
鈴は甘えた口調で、おばあちゃんに言ってみるが、すでに日が暮れそうな空にお父さんはなんだか急いでいるようだ。
「鈴!お父さんは明日仕事なんだから、急いで帰る用意をしなさい。」
なんだか、すごい剣幕だった。

 お父さんはいつもそう。おばあちゃんの家に来ることを凄く嫌がっている。

 鈴はちょっと寂しそうに、頷いた。
「でも、一泊していけないのかね。今から帰るんじゃ心配だよ。」
おばあちゃんはお父さんに小声で話しかけていた。
 空は次第に夕闇が迫っていた。さっきまで暖かかった風は、急に冷たく体をくすぐる。
「本当に心配なんだよ。」
おばあちゃんは、珍しく真剣に語りかける。普段なら、『また、おいで。』と言うだけなのに。
「お母さん。鈴もここに居たい。」
お母さんの手を掴み、揺らしてみるけれど、お母さんは鈴の頭を軽く撫でて、
「もう、行かないと・・。夜までに山を降りたいわ。」
なんだか、二人とも凄く急いでいた。
鈴は仕方なく、おばあちゃんの足の側の黒猫の頭を撫でて、
「またね。」
と、挨拶をした。
おばあちゃんは凄く心配そうに車を見ている。そして、鈴に
「これ持っておいき。」
そう言うと、真っ赤な飴玉をくれた。
お店でいっぱい売っているやつだ。まん丸で真っ赤でストロベリーの味。
「ありがとう。また来ていい?」
鈴は凄く嬉しくなって、車の後部座席に乗り込んだ。グレーの車のシートはなんだか冷たくて、おばあちゃんの家のぬくもりが一瞬にして懐かしくなって、なんだか涙が溢れた。

 やっぱりここに居たい・・・。

 風が強くなって来たのか、何かを伝えたいのか、木々がざわざわと揺れていた。なんだか変な胸騒ぎがしたが、鈴はおばちゃんに車の窓から手を振った。
おばあちゃんはやっぱり、深刻な顔でお父さんの手を掴み、
「ゆっくり帰るんだよ。本当にゆっくり。」
そう言っているのが聞こえた。でも、お父さんの声は聞こえない。お父さんの隣にいるお母さんの声も聞こえなかった。

 何を話しているんだろう・・・。

 お父さんは運転席に勢いよく乗り込み、お母さんは助手席。車は勢いよく山を下りだした。そろそろ辺りは群青色の空に覆われ、暗くそして深くなっていた。
「鈴、もっと居たかったのに・・・。」
後部座席でぽつりと呟いたが、二人には全く聞こえない様子。外はどんどん闇が迫り、おまけにぽつぽつ雨が降り出してきた。
「雨かよぉ。」
お父さんは凄く機嫌が悪い。こんなに近いのに、鈴には、二人の会話がよく聞こえない。降り出した雨のせいなのか。それとも・・・。でも、機嫌の悪い空気が車内に立ち込めていた。どうして、お父さんはおばあちゃんの家が嫌いなんだろう。
「急がないと、大雨になりそうだ。だから、早く支度をしろと言ったのに。」
「そんな事、言っても仕方ないでしょ。」
車は凄い勢いで山を下り、道路脇の自由に伸びだしている木々の枝が、車の側面にちらちらと当たっていた。

 高速道路まで到達した頃には、雨は土砂降りになり、空は真っ暗になっていた。雨の粒がガラスに音を立てて当たり、その水滴が鈴を覗いているように窓に張り付く。
「だから、行きたくなかったんだよ。」
お父さんは、煙草をくわえながら、ハンドルを握っている。
「そんなに、お母さんの事嫌わなくたって、いいじゃない。」
「お前は、分かってないんだよ。あの、ばぁさんの事を。」
鈴は、なんだか不機嫌で重い空気の中、窓の外の真っ暗な闇の色のそらを眺めながら、
じっとしていた。
「あなたの母親でしょ。」
車は、もの凄いスピードで濡れた道路を疾走する。
「あなた、スピード出しすぎよ。お母さんも言っていたでしょ。ゆっくり帰るようにって。」
「急いでいるんだから、しょうがないだろ。それに、あのばぁさんの言う事なんて聞くなよ。」
お父さんの顔が、後部座席からでも、鬼のように眉間にしわを寄せているのが、鈴には分かった。
「危ないからスピード落として!」
そう言ったかと思うと、鈴の体は宙に浮いた気がした。

 高速道路には、沢山の材木を積んだトラックがその材木に赤いランプを点等して走っていた。降りしきる雨の中。
 天からの光りの矢だったのか、雷だったのか、ただ、うまく材木を止めてなかったのか・・・。そんな事は分からない。ただ、トラックからは材木が一瞬にして、水浸しの道路に転がり落ち、全ての後方から来た車は、恐ろしい程の急ブレーキで回転しながら、材木とトラックに突っ込み、もの凄い衝撃音と共に炎上し、そして、鈴の乗った車も、その地獄絵図の中へと思いっきりに滑り込んでいった。

 ほんの一瞬の出来事。

 気がついたのか、よく分からないが、鈴の心は体を離れ、車の屋根が見えるぐらいに浮き上がり、空を飛んだ。真っ暗な闇からは雨が涙のように降りしきり、地面は炎上し、その煙とともに、沢山の光りの玉が空の果てしない所へ向かって飛び立っていった。光りの筋はゆっくりと昇り、鈴もその流れに合わせて、光りを追いかけた。
『マッテ・・・鈴チャン・・・。』
不意に耳に言葉が聞こえる。
「お母さん!?何?これ、どういう事?」
光りの玉の一つが鈴に語りかける。
『ゴメンナ・・・鈴。』
「!?」
もう一つの光りの玉からはお父さんの声。さっきまで、あまりよく聞こえなかった声が、今でははっきりと聞こえる。
『鈴ハ、ココニ居ナサイ・・・。』
『一緒ニハ、行ケナイ・・・。ズットズット待ッテルカラ・・・。』
その声が聞こえた瞬間、光りの玉は一瞬にして、手の届かない程に上昇した。
「きゃっ・・・。」
鈴の体は、他の光りの玉とは違って、ビルの屋上から投げ出されたみたいに、急降下した。真っ暗な闇のなか、空から蹴落とされたみたに落下しそのまま何も感じない程に闇に飲み込まれていった。広いのか、狭いのか分からない程の闇の中、鈴自身の体は手があるのか足があるのかも分からず、ただ闇に溶け込んでいった。

 真っ白な世界。天井も地上も真っ白な世界。気がついたら、鈴は真っ白なベットに寝かされていた。小さい手はおばあちゃんのごつごつした手がしっかりと握ってくれている。
「鈴ちゃん・・・。よかった。気がついた。」
おばあちゃんは目が腫れ、やつれていた。枕元には、おばあちゃんの家と同じ香りのポプリが置いてあり、懐かしい香りが漂っていた。

 一瞬のうちに全てを失ったというわけだ。鈴は真っ黒な服を着ていた。おばあちゃんも真っ黒な服を着ていた。鈴は真っ黒な服を脱ぐ気はなかった。柔らかな風が窓から入ってきても、黒猫が足元に擦り寄ってきても、どうでもよかった。おばあちゃんの家にずっと居たかったが、こんな風にずっと居たかった訳ではなかった。

 どうして鈴をおいて行ったの?

 何度問いかけても、答えは帰ってこなかった。空は青くて、あの時みたいではない。

 でも。

 おばあちゃんはいつもやさしく鈴の肩を抱いてくれた。おばあちゃんは、真っ黒な服を着て、庭のハーブを摘んでいた。
「鈴ちゃん。元気だして。」
そう言って、ローズマリーやタイムやマリーゴールドの葉をくれた。
「どうしておいて行ったの?」
涙が真珠のように溢れ出し、頬をつたう。どうして、鈴はみんなと行けなかったのか。
「おいていったんじゃないのよ。鈴ちゃんにはまだ、やることがあるの。」
「やること?」
「そう。その役目を果たさないと、あそこへは行けない。」
おばあちゃんは、かがんで鈴の目をしっかり見て言っていた。

 おばあちゃんが魔女だって事は、以前にお父さんが言っていた。そんな事、全く信じてた訳ではない。魔女の血は女だけに受け継がれる。一人っ子のお父さんから、鈴が生まれた時、おばあちゃんはどんなに喜んだことか。魔女の血は鈴に受け継がれている。

 鈴も魔女になるのか・・・。

 おばあちゃんのことは大好きだった。でも、魔女のことはよく分からない。おばあちゃんは、春になると庭に沢山のハーブの種を蒔いた。そして、その葉の形、花の色、香り、すべてに意味があって、種類があることを何度も教えてくれた。でも、大切なことは血によって受け継がれるらしい。山奥のハーブのお菓子屋。素敵な色の飲み物や、赤や黄色や緑の飴玉はガラスの壷にいっぱいに入っていて、チーズとハーブのパンが朝には焼きあがる。おばあちゃんは、おおきな杓文字で鍋をかき回し、いろいろな薬草や生き物を入れて薬をつくる。

 不思議な光景、不思議な香りが心を満たしていった。

「鈴ちゃん。遊ぼう。」
 おばあちゃんの家に来てから数ヶ月、近所の同じような歳の子とも遊ぶようになった。
「鈴ちゃん。トカゲのしっぽあったらとってきて。」
おばあちゃんは、いつも無理難題を言う。
「嫌よ。気持ち悪い。」

 不思議な場所だった。高層マンションに住んでいた頃とまるで違う。でも、こんな事をしていていいのかと、いつも不安になる。不安を抑える薬草ぐらい鈴には直ぐに作れるようになっても、それでもよく分からない。

 何の為に生かされたのか。

 鈴は、真っ黒な服をずっと着ていた。鈴が大人になり結婚し、女の子が生まれた時・・・。もしかしたらおばあちゃんは、白い百合の花になるのだろう。今はそれしか分からない・・・。

ズット待ッテテ

虫のしらせに気付けばよかったのに・・・。って思うときがよくある。何かが起きるときは、きまって五感のどれかが封じ込まれる。

ズット待ッテテ

おばあちゃんが魔女だって事は、信じてた訳ではない。でも、魔女の血は女だけに受け継がれる・・・。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted