パソコン事変

 いつもは人差し指で押しているパソコンの電源を、今日は思い切って小指で入れてみた。
 するとどうだろうか、見慣れたBIOSの画面が一瞬表示されたかと思ったら、見たことも無い精霊が画面一杯に表示されたではないか。丸っこい水色の体に短い手足を生やし、きりりとした眉の下につぶらな瞳が輝いている。
「ありがとう、小指で押してくれて」
 とその精霊はほっぺたを赤くして言った。
「誰?」
 我輩はちょっとそっけなく精霊に問いかけた。
「ワタクシはパソコンの精霊、またの名を大山と申します」
「大山さんですか、はじめまして、小山です」
 と、我輩はとっさに偽名を使ってしまった。
「小山さん、大変なんです。ワタクシの家が悪の秘密結社に襲われてるんです」
 なんと! 我輩は小山ではないのだが、こうなっては仕方が無い。助けに行かなければ、合気道三段の我輩がな。
「うむ、よかろう。案内しなさい」
 我輩は自信をみなぎらせ、熱い眼差しで要請を快諾した。
「こっちです」
 と精霊が言うと、我輩はパソコンのスピーカーの穴に吸い込まれていった。
 画面じゃないのか。

 パソコンの中は、標識も何もない舗装された道が、果てしなく続いていた。
 大山の後ろを全力疾走でついていく我輩。
「ちょっと待ってくれ、腰が、腰が」
 我輩は持病の腰痛であまり早くは走れない。だがこれは一刻を争うのだろう。
「もっと速く、ワタクシの大切なコレクションが盗まれてしまいます」
「コレクション? 何の?」
「ペットボトルのコレクションです。激レアものがたくさんあるんです」
 我輩はスピードを緩めたくなる気持ちをグッとこらえて、ひたすらに大山の背中を追った。三十分ほどでようやく、萌黄色のなんとなく家らしき物が遠くに見えてきた。
「これがそなたの家か、立派なものだな。二階建てというわけか」
「いえいえ、一介のサラリーマンですから、こんな掘っ立て小屋で恐縮です」
 ちなみに我輩の部屋は1Kである。だが、気にならない、我輩はそんなことを気にする男ではない。
「まだ、秘密結社とやらはいるのかな?」
 大山は玄関から中をそーっと覗き込んだ。
「まだいるみたいです、ああワタクシのペプシコーラ七十年物が」
 そうか。
「たのもー!」
 我輩は、ひょっとして大きい声を出せば逃げ出すかもしれないという期待を抱いて、威勢よく屋内に入って行った。
「誰だ? オマエは」
 悪の秘密結社の一員のトカゲ男は、めんどくさそうにこっちにやってきた。
 もうこうなったらやるしかないだろう、万が一の時は大山を投げつけて、その隙に逃げればいいじゃないか、そうだ、それしかない。
「何をしているんだ? 勝手に他人の家に上がりこんで」
 我輩は、大人の対応で迫ってみた。
「うるさいな、こっちも仕事なんだよ。係長、どうします? こいつ」
 トカゲ男は、奥のほうにいる上司らしき人物に声をかけた。
 奥から出てきたのは、紫の球体だった。大きな目玉が一つ、怪しい光を放っている。
「ん~、あ~。好きにしてポヨ」
 紫の球体はこっちをちら見して、またすぐ部屋の中を探し始めた。
「はい」
 トカゲ男はこちらに向き直るやいなや、いきなり殴りかかってきた。
「うおおおお」
 びびった心と裏腹に、体は的確にトカゲ男を宙に舞わせた。恐るべし合気道三段、体に染み付いているのである。
「どうだ」
 我輩は、トカゲ男の上でとっておきのポーズをとった。
「ん~、あ~。やられちゃったポヨ」
 紫の球体はさほど気にする様子も無く、黙々とタンスをまさぐっている。
 大山はまだ、家の外でこっそりこちらを伺っているようだ。
「あ~、これこれ、あったポヨ、それじゃ、よっこいせっと」
 そうこうしているうちに、紫の球体は何かを見つけて、早々に飛び去っていってしまった。他にも何人かいたようだが、一緒に去っていった。我輩は、とりあえずトカゲ男を拷問することにした。
「いったい、何を探していたのかな、キミィ」
 我輩は、顔を最大限に近づけてトカゲ男に詰問した。我輩の拷問はあくまで紳士的、だが精神をじわじわと追い詰める。それがわが合気道の極意だ。
「知らね」
 予想通りとぼけたので、大山に聞いてみた。
「何を取られたのか、言ってみなさい、さぁ、早く」
 大山は不思議そうな表情を浮かべ、
「どうやら、ペットボトルは何も取られていないようです。よかった、ほんとに。これで安心して眠れます。おやすみなさい」
 大山は、速攻で眠ってしまった。
「あああああぁ、ごめんなさい、取ったのはリモコンです、何に使うのかはわかりません、赤いリモコンとだけ言われたんです、本当です、ごめんなさぁぁい」
 トカゲ男は突然自白し始めた。やはり我輩の顔のアップが、じわじわとダメージを与えていたようだ。いつもながら自分の実力に感心せずにはいられない。
 リモコンを取られてしまっては、大山も困るだろう。ここはひとつ取り返してやろうじゃないか、この合気道三段の我輩が。
 ということで、我輩はトカゲ男に案内させアジトへと向かうことにした。

 ここがアジトか。
 アジトは徒歩三分の場所にあった。一分当たり八十mが相場と考えれば、お部屋選びの目安になるのではないだろうか?
 オレンジの壁に、緑色の縞の入ったオフィスビルの三階だ。表札の三階のところに【(有)悪の秘密結社】と書いてある。周囲もオフィスが立ち並び、ちょっとした繁華街となっていた。
 我輩は不意の攻撃に備え、トカゲ男を盾にする形で受付へと足を踏み入れた。大山もびくびくしながら我輩のすぐ後ろをついてきている。
「たのもー!」
「どういったご用件でしょうか?」
 美人受付嬢は、いかにもな営業スマイルで我輩に尋ねてきた。油断はならない、受付嬢と言えども悪の秘密結社の一員、派遣社員かもしれないが、一員には違いないだろう。
「と、とっただろ、リモコン、か、返して」
 不覚にも緊張してしまった我輩だが、趣旨は伝わったと自分の中で納得した。
「では、中にどうぞ。出迎えの者が来ますので」
 迎え撃つ格好か、望むところだ。
 中に入ると、ヤギ親父が出迎えてきた。ひょろりとした長身で、白く長いあごひげが年季を感じさせる。
「なななな、なにか用ですかな?」
「リモコン返さんか、このあごひげ野郎!」
 我輩は、見たままの事を言って、相手を挑発してみた。
「ざざざざ、残念ながらそれはできませんな。おおおお、お引取りを」
 そうだろう、しかしここで仕掛けても敵の本拠地。簡単には勝てない。少し頑張らなければならない。
「うおりゃー!」
 我輩は雄叫びとともにトカゲ男を投げつけ、社内奥へと突進していった。次々に怪人をなぎ倒し、社長室へと向かう我輩。ここまで強いとは、誰も思っていなかったのではないだろうか? 実働部隊は出はらっていて、デスクワーカーばかりだったことは内緒である。
「ここか、たのもー!」
 我輩は社長室のドアを威勢よく蹴り開けた。しかし中はもぬけの空。非常階段のドアが開いていた。
「甘い! そんなことで騙されるかぁぁ!」
 机の下を覗くと、
「やはりな」
 机の下には美人秘書が隠れていた。
 どうですか、お食事でも?
 と、心の中でつぶやいたが、残念ながら口から出たのは、
「どっ、どこだ社長は? おい、おーい!」
 だった。
「シャチョーは、リモートコントローラーもって、サイシンブにムカッターよ」
 いったいどういうことなんだ、リモコンにどんな秘密があるのだろうか。
「スシがたべたいねー」
 我輩は、非常階段を三段飛ばしで駆け下りた。
 最深部は、隣のビルの地下にあった。世の中とは狭いものだ。地下三十階まで、高速エレベーターで降りる仕組みだ。我輩は必死で唾を飲み込んだので、もう喉がからからだった。これも社長の陰謀なのかもしれない。
「大山!」
 エレベーターのドアが開くと、大山がロープでぐるぐる巻きにされているのが目に入った。
「来たか、フフ、ハハ、ウヒャヒャヒャヒャ」
 そこには、社長以下総勢三百人の秘密結社社員が勢ぞろいしていた。すし詰め状態なので、あちこちで足を踏まれて、小競り合いが起きているようだ。
「よくぞおいでくださいましたね。パソコンの心臓部へ」
 社長のテレビジョン女王は甲高い声で我輩に言った。テレビジョン女王の頭部は巨大なワイド画面テレビであり、その中に陰険そうな女王の顔が映し出されている。ご丁寧に『テレビジョン女王』と字幕が入っているので、すぐに名前がわかったというわけだ。
「なんなんだ、どうなんだ、だれなんだ?」
 我輩は、何を聞いたらいいのかもわからないまま、とりあえず言ってみた。
「私の世界征服の瞬間を、とくとご覧遊ばせ、ハハ、ホホホ、ウヒャハハハ」
 そして、我輩は囚われの身となった。
 勝てるわけないだろう、いくらなんでも。
 するとテレビジョン女王は、悪の秘密結社のPR用ビデオを延々と放映し始めた。
「悪いことなら、何でもお任せ。二十四時間年中無休(年末年始除く)。悪の秘密結社は、あなたの悪い心をサポートします――」
 ビデオは一時間ほどで終了した。
 はぁ~やっと終わった、と思っていると、テレビジョン女王はおもむろにリモコンを掲げ、挨拶を始めた。
「大変長らくお待たせいたしました。これより、世界征服を行います」
 沸き起こる歓声、拍手喝采、スタンディングオベーションであった。
 元々立っていたわけだが。
 そしてテレビジョン女王は、リモコンのボタンを押した。意外にあっけなく。すると。
 大山の体が、金色に輝きはじめ、眩い光を四方八方に放ち出したではないか。
「ぬおおおおお」
 部屋はあまりの明るさに、目を開いていられない程の状態になった。
「ウヒャヒャハ、ウヒャ、ウヒャヒャヒャハハハ」
 女王の高笑いのみが、光の中に響き渡る。しばらくすると、ようやく明るさが収まってきた。
 そして光の中心にあったもの、それは黄金のCPUであった。
 5.0THzと書かれている。
 1THzは1000GHzと考えると、パソコン購入の際の目安となるだろう。
「これさえあれば、我々は無敵。他の者の千倍の速度で動くことができるのさ。ウヒャハハハ、ヒー、ヒー」
 なんてこった、世界は悪の秘密結社のものになってしまうのか。
「大山、大山~」
 呼びかけても、黄金のCPUはただ高貴な輝きを放つだけであった。女王がおもむろにCPUを自分の頭に突き刺すと、女王の姿は忽然と消え失せた。
 スタスタスタスタ、という音だけが響いている。
 たまに「いたっ」「うおっ」といった、社員の声。
 高速移動して姿を消すというのは、ドラゴンボールでは読んだことがあるが、実際に見るのは初めてであった。
「ウヒャハハハ、オヒョッ、オヒョヒョヒョヒョ」
 笑い声はエレベーターに乗り、遥か地上のほうへ消えていった。

 女王が去った後、社員達は流れ解散的に自分達の持ち場へと帰り始めた。
 人影がまばらになったころ、我輩は近くで仕事をサボっていたナマケモノ男に、
「そろそろ、縄を解いてくれんかのう?」
 と言ってみた。ナマケモノ男は、
「え~、めんどくさいからやだ」
 と言うので、
「あとでチョコレートドリンクをおごるから」
 と言ってみたところ、
「まあいいけど、あと三十分待ってよ、眠いから」
 と言われた。
 仕方なく三十分待っていると、ちゃんと縄を解いてくれた。約束は守るタイプのようだ。我輩もそれに応え、地上一階のカフェテリアでチョコレートドリンクをおごった。
 チョコレートドリンクをちびちび飲んでいるナマケモノ男に、
「ところで、社長の弱点とか知らないかね?」
 と、だめもとで聞いてみると、
「う~ん、まあ知ってるっちゃあ知ってるけど、説明するのがめんどくさいなぁ」
 と言うではないか。こりゃあ、思わぬ極秘情報入手だ、ってことで、
「もっと頼んでいいよ、なんでも、バナナパフェなんてどうかな?」
 と言うと、
「そうだなぁ、選ぶのめんどくさいから全部持ってきてよ」
 ということで、かなりの損失をこうむった。
 ううむ、やむをえん。
「社長の弱点はね~」
 その二十分後。
「電池を抜くと止まることかな~、単三電池二本なんだけど~」
 うおおお! そうなのか、衝撃の新事実。そうとわかれば、もう用は無い。我輩は勘定をカード決済し、目抜き通りに飛び出した。
 すると、町中のディスプレイというディスプレイに、テレビジョン女王が映し出されていた。テレビ・パソコンはもちろん、携帯電話・カーナビ・携帯用ゲーム機・たまごっちに至るまで全てであった。
 これが世界征服か、恐ろしいことだ。
 女王がどこにいるのかわからないので、とりあえず悪の秘密結社に戻ってみると、社長室に女王が座っていた。非常階段から登ったので、まだ気づいていないようだ。頭の右下の部分に、電池が入っているらしい箇所が見えた。でこぼこになっていて、OPENと書いてある。
 女王は、すごい勢いで決済にはんこを押していた。恐らく、世界中を征服するのを了承しているのだろう。
 我輩の携帯を確認してみると、やはり極小のテレビジョン女王が愛想を振りまいているのが見て取れた。どうしよう、どうしよう。
 幸い、テレビジョン女王は頭がでかすぎて振り向くことができないので、見つかる心配はなさそうだ。ワイド画面の弊害だな。
 でも待てよ、さっきポケベルに映っていた女王は……。
 と思ったら、既に周りを囲まれていた。
 どうやら、何でもお見通しだったってわけだ。こうなったら強行突破だ、さっきは油断しただけだ、と自分に言い聞かせた。
 うおおおおお!
 二~三人倒したところで取り押さえられた。やはり、本職は違うね。
「ウヒァヒャヒャ、ウヒョムヒョー、どう? 私に征服された世界は?」
「いやぁ、もううんざりですなぁ、ははは、はは」
 もはや死を悟った我輩は、全ての気持ちを超越し、冷静な受け答えを無難にこなしていた。たとえ、笑顔は引きつっていたとしてもだ。
「勝手に私の顔を使っているわけだから、使用料も頂かなくっちゃね、オーホ、オーホホー」
 なんてこった、勝手に表示させてるのはそっちなのに、この世は悪の秘密結社のものってわけか。
 せめて、死ぬ前に一度ディズニーシーに行きたかった。
 しかし、もうそれも叶わぬ夢に思えていた。
「小山さん!」
 空耳だろうか、人は死ぬ前に今までの人生が走馬灯のように流れるというが、ずいぶん最近から始まったものだ。きっとその前までは、大して印象に残るものは無かったってことだろう。
 小学生の時に、リレーのアンカーになったくらいだろうか。トップからごぼう抜かれでびりになって、しばらくの間クラスで孤立していた。
「小山さん、こっちです」
 と思ったら違うようだ。大山がテレビジョン女王のディスプレイに映し出されているではないか。
 小山って誰のことだ? と思ったが、一分ほど記憶を遡ったら我輩の事なような気がしてきた。
「どういうことかね、これは」
 突然の出来事に社員たちも動揺し、我輩は囚われの身から少し開放されていた。
「いや~、乗っ取りに時間がかかってしまいました、征服された世界を元に戻します」
「ヌオー、ホホホホ、そうはいきませんわ」
 女王も再びディスプレイに現れ、ディスプレイの取り合い状態となった。
 大山も女王も一歩も引かず、互いに激しく顔を押しつけあっている。すごい形相だ。
 社長室はすさまじい熱気に包まれ、激しい応援合戦が始まった。
 盛り上がりをよそに、我輩はこっそりとテレビジョン女王の背後に回りこんだ。
 そして、おもむろに電池を抜いた。
 ――静寂――
 ――怒号――
 そんな中、黄金のCPUが再び眩い光を放った。

 気づくと、我輩は自分の部屋に舞い戻っていた。
 パソコンの画面にはこう表示されていた。

  ありがとう小山さん、パソコンの平和は守られました。

 そしてパソコンの横には一本のペットボトルが置かれていたのだった。
 ペプシコーラ七十年物……か。

パソコン事変

パソコン事変

パソコンの電源を小指で押したとき、冒険への扉が開いた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-17

CC BY-NC
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