びゅーてぃふる ふぁいたー(5)
死Ⅰ―Ⅱ
「さあ、アパートに帰る」
安富は、誰に話し掛けるでもなく、呟いた。そうマンションじゃない、一か月家賃三万円の安アパートだ。
以前は、大学生のための下宿だったが、古くなったことから、入居所が減り、家賃も下がったわけだ。大学生のお古を、大学生のお古の自分が利用させてもらっているわけだ。月収は二十万円余り。税金や社会保険料を天引きすれば、約十五万円。アパート代を引いて、残は約十二万円。生活するのに、いっぱい、いっぱいだ。一日に飲むビールの本数を決めるのもわかるだろう。だから、アパートなんて、しょせん寝るためのだけのものだから、一円でも安い方がいい、ということからこのアパートに決めたのだった。
我が城に帰る前に、スーパーで、三割引きの弁当と明日の朝食用の菓子パン(同じく割引シール付き)を購入する。家に帰ると、風呂に入り、テレビを点け、ビールを飲み、夕飯を食う。眠くなればそのまま寝てしまう。早ければ、夜九時のNHKのニュース番組が始まるのと同時に安富の一日が終わる。
一体、自分の人生、少し大げさか、生活はなんだと思いながら、夢に浸る。朝は、当然、早い。五時過ぎには目が覚め、何となくテレビを点け、新聞を読む。そんな毎日であった。
しかし、今晩は、何故か眠れない。先ほどのゲームをしたせいか。久しぶりに、美少女を見たせいかもしれない。普段、インターネットでゲームをすることはない。ほんの偶然から、無料ゲームを検索していたら、このゲームがでてきたわけだ。
ほんの、ちょっとしたきっかけだった。「あなたが選ぶ美少女ヒロイン無料格闘ゲーム」をクリックすると、ゲームが始まった。本来なら、相手を倒すことに一生懸命になるべきだが、自分のこのマンネリした生活からか、自虐的な気分になり、あっさりと負ける、すなわち、主人公が死ぬ、もちろん、ゲーム上でのことで、操作する自分がどうにかなるわけではない、つもりであったが、意に反してと言うか、ゲームの主人公である美少女が、勝手に、自分が操作もしていないのに動いて、相手を、そう大男、どう考えても勝ち目がないのに、勝ってしまったのだ。
ゲーム上の主人公が、勝手に動くことなんてありえない。使い方もわからないまま、自分が適当にクリックしたら、偶然にも勝ってしまったのだろう。そう、納得した。それに、このゲームに勝とうが負けようがどうでもいい。俺の人生に何ら影響はしない。そりゃあ、負けるよりも勝つ方が気持ちいいけれど、それは一時的な高揚感に過ぎない。このゲームにはまるほど、熱中を通りすぎて依存症になるほどのことはない。まあ、勝ってしまったのだから、それもいいだろう。だが、何故か、頭の中にしこりが残っている。
このしこりを流してしまいたかった。今すぐに、だ。安富は冷蔵庫を開ける。ほとんどガラ空きの状態。奥までが見通せる。これが冷蔵庫の正しい、効率的な使い方なのかもしれない。缶ビールは一日三本までと決めているから、冷やしてはいない。飲み忘れた缶ビールが奥まで転がっていないか、もう一度確認する。やはり、ない。顔に冷気がかかる。
「くそっつ。仕事場だけでなく、家でも、冷凍庫づけか」
一人でジョークを言って笑う。冷蔵庫の隣には缶ビールの箱がある。ビールはあるものの、今から、冷やしても生ぬるくて飲めやしない。頭の中をシャキッとさせたかった。
「めんどうくさいけど、行くか」
再びの独り言。部屋からのこだまもない。ただ、消えていく言葉。安富はジャージ姿のまま、サンダルを履く。季節は秋。今年の夏は異常なくらい暑かった。そのせいで、春までは缶ビール二本だったのが一本増えて三本になったのだ。秋になると、暑さもやわらぎ、朝、夕は涼しいと言うよりも寒い、冷たいと感じるほどになった。それでも、缶ビールの本数は変わらない。
さっきの話じゃないけれど、ちょっとしたアルコール中毒、依存症か。安富は、健康主義者じゃない。体によいことをしてまで、健康になりたいとは思っていない。好きなようにして、体を壊さないようにして、ほどほどにしたいだけだ。そのためにも、一日ビール三本までと自分への約束事は守ってきた。だが、今晩は、その約束を破ることになってしまった。そう、今晩だけだ。
アパートの鉄の階段をぎしぎしと鳴らしながら降り、アパートから歩いて五分程度のコンビニに入る。外は真っ暗なのに、そこだけ妙に神々しい、明るい店舗だ。コンビニは、全て、こんなに明るかったのか。自分の体中全てが、レントゲン写真やエコー、胃カメラのように、調べられているようで中に入るのが嫌だった。
だが、暗闇の中で、異様に光るコンビニに、つい、招き寄せられる気持ちもわかる。どこにも行くあてのない人々が、コンビニだけを頼りに、夜光中として、生きているのだ。たまには夜光虫となるのも、いいものだ。安富はドアを開け、ビールやジュースが詰まっているガラスケースを目指す。一番奥だ。雑誌置き場では、夜光虫の仲間どもが、今は、紙魚として、ページを喰って、いや、繰っている。永遠に吐き出される時間が消費されている。
ガラスケースからいつも飲むビールを二本取り出し、レジに並ぶ。ビールなら、アルコールなら、何でもいいはずなのだが、舌が慣れるのか、麻痺するのか、中毒になるのか、同じ味でないと、飲んだ気がしなくなる。ビール会社の罠だ。わかっていても、やめられない。
「いらっしゃいませ」
夜の十一時にはふさわしくない甲高い声。もう一度目覚めて、二十四時間働けと言うことか。安富はお金を支払うとコンビニの外に出た。
買ったばかりの缶ビールのプルタブをひっこ抜くぐらいの勢いで開ける。シュポッ。この音がいい。中に閉じ込められた炭酸ガスが外に弾ける音だ。六畳一間とダイニングの自分の部屋。いわゆる1K。汚いのKじゃない。
その部屋と缶ビールの缶は同じだ。中にいればいるとそれはそれで安定、安心していれる。だが、いつまでも、いられない。こうして、缶ビールの中のガスのように、シュポッと外に出たいんだ。出る時の発射の快感。
だが、外に出たガスはどこに行くのか。行く先も定まらないまま、空気中に霧散する。俺と同じだ。一本目の缶ビールを飲み干す。缶は足元に置き、踏みつぶす。上からまっすぐだ。だが、缶はくしゃっと斜めにつぶれる。不安な形。どうもうまくいかない。少し酔っているせいなのか。缶を拾い上げ、コンビ二の前の分別ケースに投げ込む。少しくらいは社会の役に立っているのか。自嘲きみに納得する。
二本目のビールの缶を開ける。シュポッ。いい音だ。この音の先に、自分の未来が見えるのか。全てを飲み込むように、一気に飲み干す。再び、缶を足で踏みつぶす。グシャ。缶は真ん中から折れ曲がった。安富の足もバランスを崩し、折れ曲がる。なんてこった。空き缶にまで、馬鹿にされている。ゴミ箱にポイ捨て。まるで自分を放り込んだかのように。
ほろ酔い気分で、アパートに戻ろうとする。いい気分だ。お陰で、ゲームでの不安な気持ちのことは忘れていた。信号は赤。だが車の往来はない。そのまま渡る。このまま眠るのがもったいない。頭だけでなく、体全体がいい気分だ。体が軽い。手が肩からぐるぐると回る。とくに、足は、乱れステップを踏んでいる。俺は、何でもできるんだ。スーパーマンだ。映画の見過ぎか。
目の前に駐車場がある。ここを通ったほうが近道だ。そのまま突っ切ろうとする。体が崩れた。前につんのめる。何がおこったかわからないまま、地面に叩きつけられた。顔面からだ。体が軽かったんじゃないのか。手もつけないのか。意識が遠のく。足がチェーンにひっかかったため、こけたのだ。ぶざまだ。だが、体が動かない。起きあがれない。このまま眠りたい。
痛さを通りすぎると人間は無感覚になる。ああ、ひょっとしたら、俺は負けたのかな。さっきまでゲームの最後のシーンを思い出す。対戦相手の大男が、ビルの屋上から手すりを乗り越え地面に落ちていった。その後、バスか、トラックかが通り過ぎた。
そうだったのかなあ。つい、さっきのことなのに確信が持てない。やっぱり、酔っている。薄れゆく意識の中で、駐車場に車がバックで入って来る。俺はここにいる。気付いてくれ。だが、声はでない。ひょっとしたらこれもゲームなのか。体感ゲームというやつか。本当に、冗談はやめてくれ。必死で声を出そうとするが、出ない。タイヤが頭に圧し掛かったところで、意識が消えた。
びゅーてぃふる ふぁいたー(5)