マキナ

プロローグ:人ならざる人間

そこは、一面の荒野だった。
草木、動物、昆虫、命有る全てを否定する死のみの乾いた大地、その大地は悠然と、目の前に拡がる光景を見つめていた。
吹きすさぶ風が塵を巻き上げる度に、そこらかしこに転がるアル物が揺さぶられキィキィと金切りを上げる。
全身を覆うように装着された武装は至るところから粘液性の液体が漏れだし、苦悶の表情を浮かべるそれは、死体だ。
男もいれば女もいる。
子供もいれば老人もいる。
全員が分厚いアーマーを着込み、手には重火器、ナイフ、爆薬と多様な武器を手にしたままに生きたえている。
だがそれらは只の死体ではなかった、切り裂かれた皮膚、或いは抉られた体幹から覗くのは鋼鉄製のボディ、漏れだしている粘液もよくよく見れば体液ではなくオイルなのが分かる。
アンドロイド。
人工皮膚で覆われた外見は人間と遜色ない精度を持ち、高度な人工知能を有するそれは一体で軍の一個中隊に匹敵する性能を発揮する戦闘兵器だ。
不眠不休で稼働し、無痛覚で怯むことすらないそれが10体でも連携を組めば、1週間もしないうちに都市一つ落とす事も可能、到底生身の人間が太刀打ち出来る代物ではない、それが完全に破壊され横たわっている。
「数23体、アンドロイド部隊全滅までの累計時間41分56秒」
全く抑揚ない呟きが荒野に落ちる。
「第二部隊到着予想1分24秒、殲滅開始まで1分32秒」
アンドロイドの残骸、その中心に立ち尽くす男が一人。
顔には若干幼さが残り、烏を彷彿させる濡れ羽色の髪、黒のロングコートを着こんだ全身黒づくめ。唯一右手に下げている白銀のスナイパーライフルだけが光を放っている。
この男こそが荒野に拡がる惨状を作り出した張本人。全身に返り血の様にベットリとオイルを浴びたその姿が何よりの証拠である。
「予想殲滅終了時間38分19秒」
男が呟くのはこれから起こる出来事のシュミレーション結果だ。
それは戦闘予測ではなく、殲滅予測。
男は今まで『闘い』と言うものを経験した事がなかった、幾度となく繰り返されるそれは『殲滅』であり、完膚なきまでに標的を蹂躙する行為のみ、それほどまでに男の能力は他を逸脱しているのだ。
統一された足音が響いてくる。それは少しずつ音を増しながら男に迫り、やがて眼前に新たな標的が現れた。数にして31体、中には長距離砲撃用のミサイルランチャーや、防衛特化の巨大シールドを装備した固体が追加されている。アンドロイドには情報共有システムが搭載され、随時最適な情報を更新している、間違いなく先程の男との戦闘データが反映され最適な配人をセレクトしたのだろう。
それでも男が弾き出す予測時間は第一戦時より短縮されたままだ、相手だけでなく男自身も先程の戦闘でデータを入手し、標的が増援される事を想定しての結果だった、イレギュラーは何一つ存在しない。
一瞬の沈黙。
先に動いたのはアンドロイドだ、前衛のシールド部隊が素早くシールドを連結させ前方を固める、その後方からミサイルランチャーの砲撃が飛ばされ、左右からそれぞれ10体近接担当であるナイフ部隊が飛び出し男に襲いかかる。
ランチャーにより正面及び上空、ナイフ部隊により左右を閉ざされ、後方へ飛び退けようにもバックステップでは回避は間に合わない、完全に包囲された。
「対象接近、回避不可」
男が右腕を外旋しスナイパーライフルを地面と平行に構え。
「刀剣形成、硬度100設定、迎撃…」
スナイパーライフルのバレル周囲からのエネルギーが拡散、密集し青紫のエネルギー刃を構成。
迫り来るミサイル、それは。
「…開始」
男の眼前に迫った瞬間、無数の鉄塊へと姿を変えた。
『神速』、その様に呼称したとしても過言ではない体技、続く第二、第三の砲撃を苦もなく退けていくだけでなく、同時に襲いかかるナイフ部隊さえ次々に撃退していく。
相手の懐に飛び込み腹を貫く、降り下ろされるナイフを腕ごと切り落とす、足をもがれ身動きのとれない個体を盾に対象に接近し三体纏めて凪ぎ払う、男の戦術に容赦はなどない、どこまでも冷徹に対象を排除していく。
その間にも降り注ぐミサイルも怠らず処理を行いながらの殲滅作業は、25分38秒後に終結することになる。
 ナイフ部隊は完全に全滅、ミサイルランチャー部隊は弾丸切れによる攻撃不能状態、アンドロイド部隊の攻撃手段は完全に沈黙した。
 当然機械である彼らアンドロイドに怒りなどという感情はなく、仲間の仇討ちという思考自体がプログラミングされていない、目的はあくまで男の排除のみだ。しかしそれも攻撃手段を失った現状では達成不可能と判断したのか、シールド部隊を壁に撤退を開始していく。
「対象部隊撤退開始、追撃スタンバイ」
 スナイパーライフルから刀身が消滅し、男は右腕のみで銃身を対象にターゲットした。
「目標補足…」
 男の指がトリガーに掛かり。
「…ファイア」
 引き絞られると同時にマシンガン並みの速度でエネルギー弾が掃射される、それは正確無比にシールド部隊中心の一体に向かっていく。全ての弾丸がシールドの一点に集中砲火され、強固な装甲を突破、対象の頭部を吹き飛ばす。
 続けざまに残り5体のシールド部隊も、シールドを貫通し行動不能に追い込む。防壁が崩壊した事により無防備となったミサイルランチャー部隊も銃弾に撃ち抜かれ倒れていき、アンドロイド部隊は前衛だけでなく後衛も呆気なく全滅させられた。
 男はスナイパーライフルを下ろし、ゆっくりと後衛部隊に近づいていく。鋼鉄の屍の中に、一つだけ稼働している固体があった。四肢のみを撃ち抜かれ身動きのとれない固体だ。
 男はその固体の頭を掴み挙げると、顔面に拳を叩き込み鈍い音と共に陥没させた。剥き出しの機械部品に懐から取り出した小型デバイスを接続する。
「ハッキング開始」
 アンドロイドの情報共有を逆手にとり相手部隊中枢にハッキングにかける。次々と対象本拠地、残存戦力、今の戦闘で新たに対象が入手した男のデータから弾き出された新たな対応策等の情報がデバイスに転送されていく。転送が終了しデバイスを引き抜くと、男は再び拳を叩き込み人工知能を完全に破壊した。
 累計殲滅時間38分19秒。僅かな誤差も出さず、男は殲滅を完了した。
「対象拠点位置確認、殲滅完了予測4時間09分26秒」
 顔に浴びたオイルを拭う事なく男は歩き始める、自らに課せられた任務を終わらせる為に。
 そして4時間09分26秒後、アンドロイド部隊及び管制者の拠点は完全に破壊される事になる。
 一人の生存者も残されなかった蹂躙劇、その中で最後に息を引き取った者はこう呟いたという。
 マキナ。
 人の姿をした殺戮機械、化け物と。

第一章 戦場のマキナ1

任務を終え、本部に帰還すると最初にやることはいつも同じだ、熱いシャワーで身体に染み付いた死臭を洗い流す、自身では気にせずとも周囲の人間、特に上司との面会においてそれは最低限のマナーだと教育されたからだ。
シャワーの後は身体から抜けた水分と栄養を補給し適度な休息に入り、指令があるまで待機、全身から疲労を完全に拭い去ることに専念する。
最近になり男に宛がわれた個室は以前利用していた部屋に比べホテルのスイート程も面積があるにも関わらず、置かれている家具と言えば、壁際に置かれたシングルベッドにパイプ椅子と木製の机が一つ、壁際には連絡用のモニター付きの端末があるだけ。別にこの部屋がただっ広い牢獄と言うわけではない、男に支払われる報酬からすれば部屋全体を豪勢に彩る事も訳はないが、男は何も手をつけようとはしない。必要性を感じないからだ
着替え、食べ、休息する、その為だけの場所でしかない。
水滴を拭いながらパイプ椅子に腰掛け、果物を皮ごとかぶりつくと味わう事もなく嚥下する。
この後はとある式典が設けられており、男はその壇上に上がる予定にとなっている。まったくの気乗りはしないがこれも任務だと割り切り、今は備えるだけだ。
壁際から着信音が響き、男はそれを手に取ると、モニターに正装に身を包んだ初老の男性が映った。
「ミスターマキナ、お時間でございます、講堂までお越しください」
老人は恭しく一礼すると通話は切られた。
マキナと呼ばれた男はベットに放り込んであった黒のコートに身を包み部屋を出る。
男の個室とうって変わった白を基調とした豪奢な廻廊を渡り、エレベーターに乗り込むと最上階を指す121のボタンを押す。男のいた98階から5分程で到着する筈だ。
壁に寄りかかり、男は思案する、下らないと。
男は自分の様な存在は表に立つ事は似つかわしくない。いや、有ってはならない、そう教育されてきた。これから顔を合わせる自分を育てた者達によってだ。奴等は表に出るなと言い付けながら、今度は民衆に顔を晒せと宣う。
なんとも支離滅裂、歪であるのだろうか。
そして、なんとも下らない。
上り詰める野心も持たない男が口にする、決められた通りに並ぶ言葉の羅列に何を見いだせると言うだろうか。
―いや、違うな
自分は、人ではない。
―マキナ、か
121階に到着しエレベーターの扉が開くと、その先から壮大な光景が飛び込んできた。
見渡す限りのヒトヒトヒト、思わずここは本当に地上から遥かに離れた場所かと疑いたくなる程だ。そして、そこにいる全員が壇上に立つたった一人を見上げていた。
白地に散らされた金粉により荘厳な紋様が描かれた、一見すると甲冑にも見える礼服を纏った青年。山吹色の髪に透き通った瑠璃色の瞳、その瞳で民衆を見据える姿からは、年齢からは想像出来ない威厳に充ちている。
「クロノス閣下万歳!」
「我らが王よ!」
「勝利は我等が王と共に!」
「我等の命は覇王が為に!」
民衆から溢れんばかりの賞賛を浴びる彼の名は、クロノス・ワナ・エーリュシオン9世。若干24でこの地を治める覇者である。
この国、覇都エーリュシオンは代々一人の王によって治められてきた国家である。何者よりも強く、聡明であり、英雄と呼ぶに相応しい功績を挙げた者が血縁に関係無く、王の名であるクロノス・ワナ・エーリュシオンを襲名するのである。
この世界には空一面を埋め尽くす『異界の門』をくぐり抜け侵攻してくる『異獣』と証されるものが存在する。多様な姿を持ち、人間の子供程度の大きさから城をも越える個体も確認され、その全てが人間に対し激しい敵意を宿す異形の獣。
8年前に起きた大規模な天災、後に『覇都の落日』と呼ばれる異獣によるエーリュシオンへの大進行において、先代の王は敵に討ち取られ、エーリュシオンは異獣の手に落ち、文字通りの魔都と化したのだ。
人々はことごとく蹂躙され、男は切り裂かれ、女は喰われ、子供は異獣の発する毒素である『福音』に倒れていく。圧倒的な異獣との戦力差を前に、近隣の同盟国も匙を投げ、絶望のみが渦巻く魔都、しかしそれは僅か一月で人の手に奪還されることになる。
どこから現れたのか、一人の少年が奇跡の力によって異獣を消し去っていったのだ。福音をもろともせず手で触れる、それだけの行為で異形の獣は断末魔を轟かせた。神の御業とも言える光景を目の当たりにした人々は少年に希望を見い出し、再び武器を手にした。近隣の国々も神の御業に平伏の意思を示すと今一度力を振るう事を誓い、結果未曾有の大災害は驚異的な早さで終結を迎える事となる。
その後に、国を救った少年は新たなる覇者として祭り上げられる事となる。
血筋、伝統、格式。
その様な物は一切関係無く、感謝の念を込め、全ての民が奇跡の少年に王の座を譲り渡したのである。
当事僅か17歳、史上最年少にして、最も民に畏敬の念を懐かせる覇王が誕生したのだ。
「諸君、時は来た」
壇上のクロノスが凛とした声を発した瞬間、講堂に溢れていた賞賛が途切れ沈黙が訪れた。覇王の言葉が染み渡り、人々はそれに聞き入る。
「かつて幾度となくこの世界に侵攻を繰り返し、遂には我等がエーリュシオンをも喰らおうとする愚かな獣に正義の裁きを下す時が来た、浅ましく空に蔓延る獣共、奴らを牛耳る獣よりも悪しき存在、800年前、腐敗した大地を見捨て愚かな獣に与し、天域へと逃げおうせた悪魔、そう我ら全員の心に刻まれた名を思い出せ、報復の化身『アヴェスター』!、奴等を滅ぼし天域を我等の手中に収めるのだ!」
800年前、突如として空を被い尽くした異界の門より人界に姿を現した異獣の驚異は甚大であった。当時の技術では到底適わない魔声により瞬く間に大地は腐敗し、世界の半分近い人間が死んだ。只の人間には手も足もでない異獣。そんな人類が唯一持った対抗手段が神の奇跡のだった。
クロノスと同様の力を持つ人々、「神徒」と呼ばれる彼等は神に加護の力を与えられた人類の中でも突出した力を持ち、神に次いで高貴な存在だと謳われあらゆる奇跡を起こし、異獣に対抗出来る存在だった。
人類の希望であった彼ら。だがしかし、彼らは更なる絶望を降らせる悪魔に変わることになる。
異獣と手を組んだのだ、異獣から手を引けば異界の門の先に新たに産まれた楽園『天域』に迎えいれるとそそのかされ、神の御使いは腐敗した大地を見放した。
結果、完全に対抗手段を失った人類はその科学技術を進化させる道を見出だし、首皮一枚の所で生存することになる。
やがて神の使徒は、怒りと憎悪を込められこう呼ばれるようになった。
報復の化身『アヴェスター』。
「神から私と同じ力を与えられながら、人々を絶望の淵へ追いやった愚か者共全てに、憎悪の根源に裁きを、我等に祝福を!」
再びクロノスが張り上げた声に対し、ふつふつと、声が挙がり始めた。
「…ついに……ついに……」
「…お、おお」
「我等の時代が…」
やがてそれは、拡がっていく。
「クロノス閣下万歳!」
「我らが王よ!」
「勝利は我等が王と共に!」
「我等の命は覇王が為に!」
先程と一糸違わぬ声援が、より力強さを増して覇王に向けられる。
「そうだ!勝利は我等が手に!、勝利は私の愛する民の為にある!」
「「「「「「オオォォォォォォォォォォォォ!!」」」」」」
限りない賞賛を浴びる覇王を見上ながら、マキナは時を数える。
ーそろそろか。
「…そして今日は皆に紹介しようと思う者がいる、これを見よ」
クロノスが左腕を後ろに向かって振りかざすと、背後のスクリーンに映像が映し出される。そこに映るのは、アンドロイドの大軍を次々に返り討ちにしていく一人の戦士、先日行われたマキナによる殲滅戦である。
群衆から驚愕の混じったざわめきが起こる
「皆も目にした通り、これは先に行われた違法学者及び彼奴らの開発したアンドロイドを用いての模擬戦である。当然アンドロイドが使用する武器並びにAIに関してはセーフティーは設定されていない、しかし…」
クロノスが指し示した先、マキナにスポットライトが当たる。
「彼はその様なものは物ともせずに我等に力を見せ付けた、正にエーリュシオン、いや、覇王に次ぎ世界最強の戦士である!」
クロノスが腕を横に振るい、それを合図に民衆が左右に別れ道ができた。マキナがゆっくりと歩を進めるとライトも彼を追ってくる。少しずつ、少しずつ大きさを増していく畏怖の念を浴びながら、マキナは進む。
マキナは壇上に登り、クロノスの傍らに立つと、民衆の視線を真正面から受ける形になる。
ーやはり、変わらない
この様な視線には慣れている、自分を初めて目にしたヤツは大抵恐怖か疑いを抱く様だからだ。
「彼の名はマキナ、今回の異界の門への侵攻において部隊を率いる総隊長だ、この中にマキナの名に聞き覚えのある者はいるか?」
クロノスはマキナの横に並ぶと、今一度民衆を見渡す。
そこからは沈黙しか帰ってこず、それが答えだった。
「まあ当然だろう、私もこの地位に就くまで彼を、いや、マキナと呼ばれる存在を知りすらしなかった、覇王がクロノス・ワナ・エーリュシオンを襲名するのと同時に、マキナの名は当時、その役目に最も相応しい戦士に贈られる、その役目とは…」
覇王が深く溜めを作り、民衆も息を飲む。
「覇王の影、覇王に仇をなす愚か者からその身を呈して死守する、王に次いで強き者なり、一人の覇王につきマキナも一人存在するのだ。王家が数多くの幼子の中から選抜し振いにかけ、幼少の頃より身心共に調整を施すことで心を殺し続けた者達がいる、その子らは命を賭け競い合い勝ち残った者のみが生き残るのだ、故にその身、鋼の如し、決して表に現れず影として其処にある、王の盾であり王の剣、だからこそ機械(マキナ)、心を持たぬ兵器だ」
クロノスがマキナへと向かいあう、瞳に悲しい色を灯しながら。
「だが、私はそれを知り愕然とした、王を護るためとはいえ民をその様に扱う悪しき風習は私の代で終わりにしたい、彼も私が早々に王位に就いてさえいれば、先代から救い出しマキナなどと呼ばれる事もなかったのだ、本来ならば今からでも自由に生きてほしい、だが悲しい事に彼は闘い以外の生き方を知り得ない」
クロノスの右手が、ゆっくりと差し出される。
「ならばせめて、その力を持って英雄となってほしい、覇王の影であり続けるのは今この時までだ。私は明日、25回目の生誕日を迎える、年を重ねる度に私の力は弱り、今では異獣の相手も儘ならない、だからこそそなたに、絶対的強者であるマキナに、世界を救う天域侵攻作戦『双角の鉄槌(バイコーン)』の最前線に立ち、勝利を掴んでほしい、受けてくれるか…」
表情を変えずマキナはひざまづくと、クロノスの右手の甲に口付けを交わした。
「今一度、揺らぐ事のない覇王への忠誠を、ここに誓います」
事前に指示されていた台詞を口にする機械。王に対する忠誠を誓える喜びも、自ら戦いに挑まない主君に対しての怒りも、戦に命を掛けなくてはならない悲しみも、勝利を掴み英雄となる楽しみも、何も無い文字の羅列。
だが、そんなものは関係ない。これは絶対的強者を従える王の姿を民衆に焼き付ける事で更に指揮を高める為の茶番劇。
人はそんな茶番劇でさえも心を動かす。現に民衆からはクロノスへの尊敬は一層高まり、そして先程とうって変わりマキナへも期待の眼差しが向けられている。
「諸君!」
覇王の言葉に空気が絞まる。
「我等の勝利の為に、いざ立ち上がれ!」
「「「「「はっ!」」」」」
全ての民衆がその場に膝まづいた。絶対の勝利を信じて、主を信じて。
ただ一人、マキナのみが違った。
ー俺には…
マキナに有るのは、世界を救うことでも、自由を得ることでもない、機械が抱く物は。
ー関係ない
任務達成、それだけだった。

第一章 戦場のマキナ2

部屋に戻るなり、音をたてながらマキナはベットに倒れこんだ。
先程の茶番劇後に直ぐ後、羨望の眼差しを向けてくる兵士達に囲まれそうになったが、クロノスの計らいで何とか逃れ自室に戻ってきた所だ。
妙な疲労が体に残っいる。やはり慣れない任務はイレギュラーでしかないのだ、回復にも時間がかかりやっかいな事この上ない。
こういう時は直ぐに睡眠に入るのが最善と判断し、明日の任務にも備え瞼を閉じ意識を沈めていく。
少しずつまどろみ始め、眠りに落ちる寸の所で部屋のチャイムが鳴った。
ーなんだ
壁の端末画面が光っている。
身体を起こし応答ボタンを押すと、一人の使用人が映った。
「お休みの所失礼致します、マキナ様のお部屋で宜しいでしょうか?」
「そうだが」
やたらと丁寧口調な使用人に対し、マキナは淡々とした口振りで返す。
「ありがとうございます、軽食とお飲み物をお持ち致しました、お手数ですがドアロックを解除していただけませんでしょうか?」
ー軽食に飲み物
「そんなものを頼んだ覚えはない」
「はい、コチラはあるお方からマキナ様のお部屋にお届けする様にと承りまして」
ー誰だ
早速自分を狙う輩が出てきたのか、王の懐刀と言われようが重要な作戦に不振人物の介入を拒む者が出るのは想定内だ、だとしたら早々に排除しなければならない。
使用人が制服の胸ポケットからメモを取り出し、読み上げる。
「先方様の方からはG.Iと伝えれば分かる、との事ですが? 」
ーヤツか
「入れ」
今のやりとりで危険物ではない事が確認出来た、部屋に入れても問題ない。
ロックを外しドアを開けると、使用人がワゴン押しながら入ってくる。
「それではコチラの方にサインを頂けますか?」
差し出された伝票に潜入任務で使うサインを記入しそうになりマキナと書き直す。自分の名称を書類に書くのはこれが初めてだった。
「はい、確かに頂きました、それでは失礼致しました」
丁寧に腰を折った後、使用人は部屋を出ていく。
マキナがワゴンに掛かっていた布を払うと、そこにはとても上等には見えない壷が三つにグラスが二つ、これまた安物であろう皿が三つ、それぞれチーズに干し肉、ピーナツ等の豆類が盛られている。
壷の蓋を外し匂いを確かめる。全てに違いは有るがどうやら酒らしい。
ー下らん
相手の次の行動は予測出来る、恐らく数分と経たないうちに再びチャイムが鳴る筈だ。
そして予測通りにチャイムが響くと、今度はモニターを確認する事はなく扉を開いてやる。
そこには、先程マキナを講堂に呼び出した初老の男性が立っていた。新雪の様に艶の有る白髪と髭は綺麗に手入れされ、掛けている黒渕メガネがその柔和な表情を更に柔らかくしている。上質な生地を使ったと思われるスーツを着こなし、良く良く観察すれば年不相応に引き締まった体格をしているのが分かる。
まるで紳士(ジェントルメン)と言う言葉が服を着て歩いている様だ。
男性は軽く腰を折ると言葉を口にした。
「夜分遅くに失礼致します、どうしてもマキナ様にお話が御座いましたのでお伺いした所存でございます、せめてと思いまして先程の物を手配させて頂きました」
男性は身体を起こすと、マキナの瞳を見据えながら続ける。
「お邪魔しても、よろしいか?」
「どうぞ」
マキナは即答し、男性を部屋に招き入れる。
扉を閉め、改めて見る。すると男性の表情は一変していた。
「ふん、粗末な部屋よ。クロノス閣下のご厚意でこの様な場所を与えられたのだ少しは着飾る事を覚えたらどうだ、いつか任務で役に立つ事もある」
「ご忠告、痛み入ります」
もはや廊下の時とは立場が入れ替わっていた。
マキナに対し文字通り腰を低くしていた男性は、今では部屋の中心で仁王立ちになり額にシワを寄せマキナを睨み付けている。
マキナも男性には表面上とは言え敬意を払っており、二人の上下関係が垣間見えた。
「心にもない事をぬけぬけと、それでよい」
男性の口がつり上がり、獰猛な笑みが張り付く。
「それでこそマキナ、ワシの後釜に相応しい」
「お褒め頂き、光栄です」
この男性の名はゴドウィン・イングヴァルト。クロノスの側近を務める右腕であり、歴代最強と称される先代のマキナだ。
「座れ、無駄話があってわざわざ赴いた訳ではない」
遠慮なくゴドウィンはベットに腰掛けると、マキナにワゴンを運ばせその上から壷を一つ取る。壷から透明な液体がグラスに注ぎ一気に煽ると、ぶはぁと息を吐いた。
「お前も掛けて、一杯やれ」
マキナも指示通りにパイプ椅子に浅く腰掛け、自分のグラスに壷の残りを注ぐと一口舐める。
「味はどうだ?」
「少し癖がありますが、それが堪りませんね、そちらのチーズに良く合いそうです」
普段と違い、マキナの声には抑揚が、顔には表情が見られた、思わず別人に見えてしまう。
「くく、そうか癖が堪らずこのチーズに良く合うか」
ゴドウィンはチーズを千切らずかぶり付くと、グラスの残りで流し込んだ。
「それは誰の言葉だ?男か、女か、子供か、はたまた老人か?今の貴様は何者として言葉を口にしている?」
「現在この瞬間は愛酒家、それも比較的粗悪品を好む男性として思考しました。ゴドウィン様の趣向を考慮したところ、これが最善と判断しました」
再び抑揚消失させ、マキナは即答した。
対してゴドウィンは何かを堪えているのか、ワナワナと身体を震わせている
「成る程、ワシに合わせて酒好きの男となったか……」
そして遂に、それは口火を切った。
「ハァハッハッハッハッハ!素晴らしい、マキナよ貴様、もし相手がクロノス閣下ならどう対応した?」
「閣下に適応します」
「相手が平民でもか?」
「はい」
「男でも女でもか?」
「適応します」
「それは何故だ?」
「潜入、情報収集、暗殺、その他対人任務において良好な人間関係を築くことで任務をより確実に完遂する事を目的とした訓練によるものです」
「そこには貴様の感情はあるか?」
「私に感情は必要ありません」
「ハァハッハッハッハッハッハ!」
マキナが答える度に、一層ゴドウィンの笑い声は大きくなる。心底歓喜しているのだ。
「こんなに愉快なのは初めてかもしれん、先王時代から覇王に仕え、不完全ながらマキナの称号を得たワシだが、よもやこうも簡単にワシ以上にマキナに相応しい者が見つかるとは、これが愉快で無ければ何だと言うのだ!」
第八代マキナ、ゴドウィン・イングヴァルト。
今でこそ表向きは覇王の第一の側近であり温厚な人格者であるが、それは彼の本質ではない。
大戦斧を手にひと度戦場に降り立てば、覇王の敵を狩りつくすまで止まることのない絶対殲滅者。彼の戦闘後の戦場は原型を留める事はなく時には味方まで巻き込む凶悪さを持ち、覇王以外何者の命令を聞くことのない性質により、先代覇王の側近達は覇王に対し戦場へのゴドウィン投入の制止を幾度となく申し立てた程だ。
ついた通り名が暴走兵器(The overload)。側近達により厄介な狂犬に皮肉を込めて付けられたものだ。
 最強の名を欲しいままにしていたゴドウィンだが、しかしそれはあくまで戦闘に関してのみであった。その性質から潜入、情報収集、暗殺と言った工作活動能力は皆無であり、何よりマキナとしての第一条件である精神の抑制は欠片もなされていなかった。どの様な処置を施そうと、彼の飽くなき覇王への忠誠せいか心は揺らがず、その姿を覇王に認められた彼は特例のマキナに選ばれる事となり忠誠は更に深まっていったのである。
「マキナよ!」
二つ目の壷を直接煽りながらゴドウィンはマキナに詰め寄る。
「貴様に覇王への忠誠心はあるか!」
「先程、改めて誓ったばかりです」
「それは真の忠誠か!」
「はい」
「嘘だな」
喉を鳴らしながら酒を嚥下し、ゴドウィンは続ける。
「貴様が閣下に付き従うのは我々が施した調整の賜物だからだ、忠誠心など欠片もない、ただそう在るしかないからだ、だからこそ貴様は完全なる機械(マキナ)であるのだ…」
 ゴドウィンはゆっくりと一息つき、視線を自らの左手に移した。はめていたシルクの手袋を外すとそこには古い傷跡があり、刀傷らしき傷の上から火傷が重なり見るも無惨なそれをゴドウィンは右手で強く握り締めた。
「この傷はワシの罪の証だ、あの時、逃れ損じた民を異獣から守るためにあのお方は自ら身を投げ出した、傷ついた身体で異獣に立ちはだかり、最後の力を持って民を救ったのだ」
 より強く、傷跡が千切れるほどにゴドウィンの右手に力が入る。
「民が避難したのを確認してから駆けつけたのでは遅かった、ワシも戦闘不能に追い込まれ結果として異獣も取り逃してしまった、ワシがあのお方の、何があろうと民を救えという命に従いさえしなければ、ただの機械として覇王を御守りする事を優先していれば、あの様な事にはならなかった」
ゴドウィンが固く目を閉じるのと同時、声に嗚咽が混じり始めた。
「あのお方は死の間際、ワシにゴドウィン・イングヴァルトの名を与えて下さり、生き延びる事で新たなる覇王を導く者としての道を指し示して下さった、そしてワシは救われた、最後の最後まであのお方に救われていたのだ」
固く閉じていた瞼がゆっくり開き、視線がマキナを射抜く。
「幸いにして早々に新たなる覇王、そしてマキナの候補者は見つかった、現覇王はともかく、偶然道端で拾った小僧にここまで適正が有るとは思わなんだ、覚えているか、ワシとお前が出会った時の事を」
その時の光景は、うっすらとだがマキナの記憶残っている。突然の異獣による襲撃により瀕死の重症を負った自分を目の前の男が助け出したのだ。傷だらけの身体で、傷だらけの斧を振り回し、獣を凪ぎ払う姿を目にした、まだ感情を宿していた頃の自分は何を思ったのか、それだけが靄が掛かり思い出せないが、マキナはゴドウィンに頷いてみせた。
「今度こそ、今度こそは覇王を守り抜いてみせる」
ゴドウィンは懐から取り出した小箱をマキナに差し出した。
マキナは鉄製のそれを受け取るとそれを観察する。鍵もなく開きようがないように見える。
「持っていろワシからの餞別だ、いざというときがくればその中に封された物がお前の力になる筈だ」
「はい、有り難く頂戴致します」
「よし、マキナよ覚えておくことだ。この世には勝者など存在しない、皆敗北をその身に刻んだ敗者だ、そう覇王とその影であるマキナを除いてな…」
 三つ目の壺の中身を一息に飲み干し、覇王の側近はマキナに説き続ける。
「覇王だけは敗北に身を浸す事なく、常に民に勝利を見せ付けなくてはならぬ、影であるマキナの敗北は覇王の敗北と知れ、必ずや覇王に勝利を捧げるのだ」
「記憶しておきます」
「よし、ならば話は終いだ、長居したな」
 ゴドウィンは立ち上がり、最後は何も口にせず部屋を出ていった。
 静寂に包まれた部屋の中、マキナは渡された小箱をコートの内ポケットに仕舞うと、睡眠剤代わりにグラスの残りを飲み干す。美味いとも不味いとも感じないが安酒だけに回りも早いらしく、睡魔はすぐに湧いてきた、そのままベットに倒れ込み、睡眠に入る。
 延々と語られた先達の話には興味はない。アチラもそれは承知の事だろう。
 だが、最後に伝えられた「必ず覇王に勝利を捧げろ」と言う命令にだけは従うのみだ。今は戦いに備える事に専念する。
 決戦は明日に迫っていた。

第一章 戦場のマキナ3

異界の門に閉ざされ光の届かない薄暗い空が拡がり、吹き荒ぶ強風が身体を撫でる。
覇王の居住である塔の頂上、先日の式典が行われた講堂の更に上、この世界で最も天域に近い場所に戦士達は集まっていた。
 人間50人、アンドロイド100体、そして機械が一人。合わせてその数151。エーリュシオンだけでなく、世界各国から集められた猛者のみがこの場に集結している。
 先程からマキナの耳に届くのは、興奮を含んだ戦士達の会話だ。銃火器や刀剣といったオーソドックスな物から中にはトンファー、アーチェリー等、皆思い思いの武装を携えた戦士達は、緊張どころかこれからの戦いに、800年の時を得て果たされようとする人類の念願に心踊らさせているのだ。
 士気が高まるのは戦闘の効率を考慮した上で非常に好ましいと言える。適度な興奮は人間の力を通常以上に引き出す要素としては最も単純で効果的だ、作戦成功率の上昇が見込めるだろう。
 だが、自分がその中に加わる事はない。余計な会話は思考を鈍らせ作戦成功率低下を招く、必要性のない行動にはデメリットのみが存在する。
 しかし、この様な場ではイレギュラーと言うものは常に発生するものだ。
「マキナ隊長!」
 背後から声を掛けられ振り向くと、一人の兵士が自分に向かって敬礼していた。
 鳶色の髪が良く栄える、少年の幼さが抜けきっていない顔立ちからして、恐らく歳のほどは13、14と言ったところか。
「なんだ」
「ハッ!自分はラッツ・セシル中尉であります!」
 ラッツ・セシルは敬礼を崩さず、爛々と瞳を輝かせマキナを見つめている。
「コドウィン様よりマキナ隊長の補佐を命じられております、何なりとご命令下さい!」
ー補佐を付けると連絡は受けていたが、コイツが
 それなりのベテランを選出すると予測していたが、とんだ誤差が生じてしまった。ならば先ずはこの副官を解析する必要がある。
「スキルは何がある」
「自分はコレだけが特技であります!」
 ラッツは迷彩柄をしたサバイバルジャケットの胸部に逆さ釣りで固定していたナイフを引き抜き、マキナに差し出す。
 マキナはそれを手に取り観察する。刃渡りも狭く、とてもではないが人どころか異獣に対抗するには心許ない代物だ。
「これで、どの様に異獣を撃破する」
「それは…」
 初めてラッツの口調がどもっていく。
「申し訳ありません、それはお伝え致しかねます」
「何故だ」
「ゴドウィン様より、自分のスキルに関しては戦闘直前まで伏せておくよう言い付かっております、誰にも悟られぬようにと」
「ならば構わない」
「申し訳ありません!」
 勢い良く、ラッツが頭を下げた。
「いくらゴドウィン様の命とはいえ、自分の上官にこの様な真似を、誠に申し訳ありません!作戦終了後にどの様な罰も受ける所存であります!」
「必要ない」
「えっ…」
「ゴドウィン様の意向あっての事ならば、謝罪及び懲罰は必要ないと言っている」
「ですが…」
「全く、貴方もしつこいですね、そもそも自らが仕える王の側近の命に対して罰を与えるなど、それこそその男の地位が危ぶまれるとは考えないのですか?」
 甘ったるい声だ。一言耳にする度喉元を舐められている錯覚を覚える粘ついた声が近付いてくる。
「久方ぶりに帰郷してみればなんと言うことだ、まさかこの様な事にすら気付かぬ阿呆を指揮官補佐に指名するとは、かのゴドウィン様も流石に躍起が回りましたか、ねぇマキナ?」
「…クトウ」
 声の主は酷く痩せた青年だった。風に凪がれる琥珀色の長髪、細い輪郭の顔には皮肉な表情が張り付き、フレームレスグラスの奥には燃える焔を連想させる紅い瞳が佇みんでいる。身体に密着している血で染め抜いた様な深紅のタキシードが見る者には毒々しい印象だ。
「おや、私の名など忘れられたものと思っておりましたが、流石はマキナ、一度記憶された事項については消えませんか」
ククッとクトウは喉で笑い、口角を必要以上に吊り上げた。
「光栄な事に私も今回の作戦に声が掛かりまして、かつて競いあった仲とはいえ今は同じ部隊の仲間、友好的にいきましょう、ねぇマキナ?」
クトウが差し出す右手をマキナは握りかえさない。
「………」
「おやぁ、素っ気ないですねぇ、昔よりも更に、貴方もそうは思いませんか」
「それは……」
 言葉の矢先がラッツに向けられた。いきなり現れ、自分の上官と対等に会話するクトウに対しラッツは困惑した表情を浮かべる。クトウの言葉一つ一つが空気に絡まり場をよどませていく。
「おやぁ」
 思い出した様にクトウがおどけた。
「そういえば、自己紹介まだでしたねぇ、これは失礼、私の名はクトウ・バッハ、聖ガレリア帝国近衛騎士団副長を努めております、以後お見知りおきを」
 胸に手を当て、誇らしそうにクトウは述べる。
 海に隣接し山岳部の中頃、即ち大陸南側、大陸全体ならば半割を領地とするエーリュシオンに対し、聖ガレリア帝国は残りの大地、主に平地を中心とした積雪部を支配下に置く大国だ。
 かつてはエーリュシオンと一つであった国であるが、650年前に分裂し現在の形となっている。
 エーリュシオンに並ぶ二強国の一つ、その帝王近衛騎士団副長が部隊に加わる事は、一介の中尉であるラッツに今回の作戦がいかに世界の命運を背負っているのか再認識させる。
 そして、今作戦に加わるもう一つの強国、光都シトランテ。エーリュシオン、ガレリアの在る大陸から更に東へ、数十にも及ぶ小国が犇めくイリオス大陸。一つ一つの国が保有する権力はエーリュシオン、ガレリアには遠く及ばなくとも強力なカリスマ性により、イリオス全てを統括しているのが光都シトランテ、世界三強国の最後の一席だ。

「ガレリア騎士団の方でしたか、大変失礼致しました」
 ラッツはクトウに向かい腰を折り謝罪した。
「いえいえ構いません、元々そちらの会話に割って入ったのは私の方、あまりにも低能な会話だったのでつい、ねぇ」
「用件はなんだ」
 これ以上無駄な時間を使う必要はない、早々に切り上げるべきだとマキナは判断した。
「おや、先程も申したではないですか、この様な形とはいえ久方ぶりの故郷です、少しは旧知の方々と親睦をと考えるのはごく自然な事かと?」
「ならば用件はすんだ筈だ、行け」
「そっけないですねぇ実に、かつてはマキナの座を争った仲だと言うのに、負け犬に興味はありませんか?」
「………」
「くく、では退散するとしましょう、ここはおとなしくねぇ」
 最後まで甘く粘ついた声を残してクトウは自国の集団へと戻っていく。クトウの姿が集団に隠れ完全に見えなくなった時、ラッツが口を開いた。
「マキナ隊長、あの方はエーリュシオンの出身なんですか?それに、かつてマキナの座を争ったと」
「ヤツも候補者の一人だった、初期段階で除外され、人材を欲していたガレリアに買収という形で移籍した筈だ」
「そうでしたか、あの方もマキナの…」
「他に用件はあるか」
「えっ…用件でしょうか?」
「ないならば持ち場に付け」
「さ、最後に一つだけ!」
 ラッツはクトウの乱入により失念していた本来の目的を声にする、僅かに震えるそれは真摯な感情であった。
「自分は8年前に家族を異獣に殺されました、両親も妹も。それだけではありません、家族同然に親しくしていた自分の兄貴分、初恋の相手、大切な人は全てあの日、汚らわしい獣共に!」
 少しずつラッツの声が熱を帯びていく。
「初めてマキナ隊長の戦闘映像を目にした時、興奮を隠せませんでした。貴方なら異獣を完全に駆逐出来る、世界中に渦巻く憎悪を晴らす事がマキナ隊長なら!だからその背中を護らせて下さい、必ず隊長のお力になります!」
 一気に捲し立てあがった息のまま再び敬礼をきめるとラッツは自分の持ち場に駆けていった。
 ラッツだけではないだろう、この場に集う全ての人間が今作戦『双角の鉄槌(バイコーン)』に人生を掛けている。かつて奪われた多くのもの。大切な家族、思い出の土地、日の下で自由に生きる権利。皆失った事柄に違いはあれど、復讐の二文字を心に刻みつけている。
 自分には到底理解しえない項目である。
 そろそろ作戦開始時刻になる。自分も所定の位置にて待機するべきだ。
 作戦開始にあたっての激励を行う為に設置された演説台の前に全戦士が整列する。マキナの位置は最前列中央、後ろには副官であるラッツ、左隣にクトウ、右隣を同盟諸国連合筆頭を勤める光都シトランテ所属である雪銀の鎧を纏った壮年の騎士が並ぶ。
密やかとは無縁と思われたざわめきも徐久に鳴りを潜め始め、各国の代表者、そして覇王が姿を現し壇上に君臨した事で完全に場は張り詰めた。背後につき従うゴドウィンを始めとする側近達からも厳格な気が漂う。
「……今日この時を、私は忘れる事はないだろう」
 覇王クロノス・ワナ・エーリュシオンが王の威厳を声に載せ、紡ぐ。
「永き時を得て我々は最大にして最後の一歩を踏み出す、覇都エーリュシオン、聖ガレリア、光都シトランテ、この三国を中心とした連合軍は勝利に向かって歩み出す!皆今一度、双角の鉄槌(バイコーン)の信念を胸に刻み込むのだ!」
 不純を司るとされる二角を持つ幻獣バイコーン。純潔を司るとされる一角獣ユニコーンの対とされる幻獣であり、今作戦の象徴とも言える存在。報復の化身『アヴェスター』という絶対的不純に一撃では生温い、双角による二撃を持ってこれを葬りさる事を信念とする作戦名である。
「皆の勝利を信じている、さあ飛び立て!」
 激励は僅かそれだけだった。
 この時を忘れず、信念を胸に刻み、勝利を信じる。
 これが最上の洗礼であり、これ以上は必要ない。
 足元から光が登り、151の戦士を包み始める。
 予め用意されていた転移門を通じ戦士達の身体は異界の門へと送られていく。
 視界が完全に遮られる瞬間、マキナは目にするのは期待と不安がない交ぜとなった表各国代表の情(かお)。その中に唯一自分を見つめる主。昨日と同じく哀しみを帯びている瞳が語りかけてくる。
 勝てと。



身体が浮遊感覚に包まれ、視界も完全にホワイトアウト。
白い光が晴れた先は人の世界とは常軌を逸した空間だった。
「……ここはなんだ?」
到着してからたっぷり10秒かけて誰かが口を開いた。
「………本当に現実なのか」
「光が舞ってる……」
「綺麗だ…」
「綺麗だ…」
「なんて綺麗なんだ……」
赤、青、黄、緑、白、黒。全ての色を内包する光が満ちる空間。光に触れれば儚く雪の様に溶け、鳥の羽毛の如く柔らかく暖い、心安らぐ光景。この美しい世界が人を喰らう獣の住処だと誰が信じられようか。
「何ともまぁ、ここまで美しいとかえって煩わしいものですね」
 クトウの感想は単なる皮肉ではない。並みの人間ならばあまりの神々しさに空間その物に膝まづいてしまいそうになるのは事実だ。
 事前の調査によれば遥か彼方に開く出口までは直線のみの道程であり、異獣を除けば物理的な危険物は存在しない筈である。
 だが精神はどうだろうか。圧倒的空間に皆の精神そのものが屈伏してしまえば戦わずして敗北となる。それだけはなんとしても避けなくてはならない。
 その点マキナにはメンタル面の問題はない。もとより物事を慈しむ感情が欠落しているのだ。対象の出現を感知した瞬間に撃退可能だ。
「前進を開始する、続け」
 これ以上留まるのは非効率的と判断し、マキナは部隊を前進開始させる。
 マキナの号令により目が覚めたのだろう、再び闘志を目に宿し戦士達は一糸乱れぬ統率で進んでいく。
 だが、次の瞬間異変が起きた。
「敵の反応です!」
 ラッツが腕に装着しているレーダーが反応激しく点滅している。
「近い!これは…」
「ラッツ、対象の位置を報告しろ」
「マキナ隊長それが!」
 辺りの光がより一層輝きを増していく。
「対象とは既に接触しています!」
 光が姿を変え獣が産まれていく。
 戦いの幕が降ろされた。

第一章 戦場のマキナ4

「対象とは既に接触しています!」
 無数の光が姿を変えていく。一際輝きを増し、あたかももがいてるかの様に収縮、拡張を繰り返しながら。
 そして、獣達は産まれた。
 赤の光は強靭な肢を生やし牙を剥き出す炎の獅子となり、青の光は翼を有し、禍々しい口ばしから金切り声をあげる水の怪鳥として宙に舞う。
 黄は人を丸飲みするのも容易い岩の大蛇、緑は流麗な体の背に翼を備え蔦で構成された翼竜として怪鳥と共に宙に座す。
 だが、最も奇怪な対象は別に存在した。
 残りの黒と白。
「そんな!あんなのデータに有りません!」
 ラッツが叫ぶのも無理はない。マキナのデータベースにさえ登録されていない異形だからだ。
 マキナの正面、やや離れた距離に人が佇んでいる。数は二人。
 右に立つのは影よりも更に深い闇を宿した黒。顔も含む全身に身に付ける重厚な鎧、両手に下げた長剣、全てが深淵に染まった剣の騎士。
左に佇むのは光よりも更に気高い純白に輝く白。顔から足先まで身に纏う鋭利な鎧、両手に携える大盾、全てを白夜に包まれた盾の騎士。
 さしずめ、異獣の聖域たる異界の門、その守護者と言ったところだろう。
「異獣が人の姿をとるとはねぇ、事前の調査では報告も有りませんでしたが。さぁ隊長、どの様に動きますか?辺り一面を囲む異獣に詳細不明の敵まで現れた、いきなりですが絶望的ではありませんかねぇ?」
 台詞とは裏腹に余裕の笑みをクトウは浮かべてる。
「対象の総数を報告しろ」
「赤が240、青が106、黄色が153、緑が113、黒と白が一体ずつ、合計614体です」
 ラッツからの情報を基にマキナの頭脳は即座に陣形を構築する。ラッツを除く全員のスキルは事前に詳細を受け取っている。更に過去から現在までの異獣の行動パターンを照らし合わせ、絶対の方程式を弾き出す。
「前方二体が敵陣の統率体と予測、俺が処理する、残りの対処はクトウを中心とし防御基準の陣形を展開、生存を最優先、コンダクトを使用し各個体を強化、可能範囲で対象を撃退、統率体撃破後、敵陣営のバランスが崩れた瞬間に殲滅開始する」
 不確定要素を含む情報から導き出された最善策、マキナは僅かな時間でそれを導き出した。
「くく、まぁいいでしょう。では皆さん、どうか私の護衛をよろしくお願いします」
「それは出来ん話だな」
「おやぁヴァイス殿、それはどういう了見で?」
 クトウが目を細め放つ突き刺さす眼光を正面に受けて尚、その背に2m近い大剣を剥き出しで背負いながら尚余る長身から放つ厳圧は怯む事なく堂として立つ偉丈夫。彫りの深い相貌からは勇ましさも合わせて醸し出している。
 光都シトランテ代表、ヴァイス・ザフィア。
 平民上がりでありながら他を圧する剣技を持ってイリオス最強の座に上り詰めた武人である。
「クトウ殿、貴公も気付いていないわけではなかろう、彼方の黒と白、奴らが将であるのは間違いあるまい、周りの異獣共もあの者達には敬意を払っている節がある」
ヴァイスの慧眼は確かだ。
 炎の獅子と岩の大蛇は二人の騎士より前に出ず後ろに控え、怪鳥そして翼竜も二人の頭上を舞う事はない。恰も王に傅いてるかの如くだ。
「恐らく大将は大将同士で交えようと言うのだろう、獣の王とは言え自ら戦の礼を示すならば応えぬは武人の恥、マキナ殿、私は貴殿と共に挑ませてもらう」
背から抜き放たれた蒼氷色の大剣、鏡より更に磨き込まれ光を反射するどころか吸い込んでいく様に見える。
 偉丈夫は鏡の剣を両手で正眼に構え異獣の王、深淵色の剣の騎士に対峙した。
「案ずる事はないぞマキナ殿、この大剣セルシウスを持ってして打ち倒せぬものは未だかつてない、貴公は安心して自身の戦いに挑むが良い」
 例えここで退けと令を出そうとこの武人は聞かないだろう。いかなる戦場においても礼節を尽くした上で相手を打ち倒す、武人と呼ばれる者はそう言った人種であるとマキナは記録している。
「黒いのは任せて貰おうか、同じ剣士として手合わせしたい」
「了解」
 マキナは白夜色の盾の騎士に向き合う。
 機械の右手に粒子が集いスナイパーライフルを形成、機械も戦闘体勢に移行する。
「ラッツ、お前は下がっていろ」
「隊長何故ですか!?」
 マキナの後ろに控えていたラッツが叫ぶ。
「こちらの陣営において貴様のみスキル不明、イレギュラーは勝率を著しく低下させる、ゴドウィン様の命とはいえ戦闘許可は出来ない、自身の生存を最優先しろ」
「……分かりました」
 渋面を作りラッツは最前線から下がっていく。当然だろう、憎き仇が眼前に拡がるこの状況で手出し出来ないのだから。
「まぁまぁそう落ち込まずに」
 クトウがラッツの頭をポンポンと叩く。
「子供は子供らしく隠れていれば良いのです、ねぇ?」
「…くっ」
 クトウの挑発に対し、より渋面を強くしながらもラッツはマキナの命令に従い後方に待機する。
 その間にも他の戦士、アンドロイドは陣形を構築していく。遠距離部隊がクトウとラッツを中心に円上に展開、その周囲を近接部隊が、更に外周を防衛部隊及びアンドロイドが囲んでいく。
 完成された防御、マキナとヴァイスを除いた全てを護る鉄壁が現れた。
ー戦闘体勢クリア
「戦闘開始!」
 マキナが号令を発した。普段の機械からは想像出来ない声量により放たれた戦の狼煙。けしてマキナが高ぶっている訳ではない、自陣の士気の底上げが目的の虚栄である。だがそれは存分に効力を発揮していた。
「Angabe (私に従え)!イクストリーム!」
 クトウが腕を振るうと同時に足元に輝く紅玉色の陣円が出現、全身をたゆたせ指揮者(マエストロ)を彷彿させる動きに合わせ身体から陣と同色ねオーラが吹き出し宙に向かって拡散した。
全ての戦士、アンドロイドを包んだそれはクトウ固有スキル『coducto(コンダクト) 』。使用者が対象とした物体、有機物、無機物を問わずあらゆる強化を施す支援スペル、イクストリームは攻撃能力即ち、身体腕力、武器火力全てを強化する。
 かつて報復の化身『アヴァェスター』のみが持ち得た神術。何故この青年が神の御業を使いこなすのか、その答えは人類を護り続ける化学力にある。
本来、神力は全ての人々に与えられた能力である。しかしそれを発現、まして異獣に対抗しうる程のものは極めて稀であり、故に常人に比べより強く加護を受けた報復の化身『アヴェスター』のみが扱える力であった。
 だが人の化学力は神にすら反逆した。術者の身体に特殊処置を施す事により微弱な神力を活性化させ、オリジナルには及ばずとも神術を発現させたのだ。
 クトウの場合、人体に存在する刺激点の中で取り分け強力な効力を発揮する瞳孔に投薬を加える事により神術発現を実現させている。
 しかし、それは非常に強力が故に相応のリスクを伴う。僅かな能力を発現させようにも成人男性が卒倒する激痛に耐えなくてはならいだけでなく下手を打てば失明、最悪死に至る、クトウ程のものとなれば可能性は数段跳ね上がる。適正、技術、何より献体の精神力、それらが揃って初めて赦される神への冒涜である。
brusquement (荒々しく)、rapide (速く)、au-dessus(高くその上に)、スレイプニール!」
 陣円が空色に変化、同時にクトウを包むオーラもそれに応じた。空色が宙を駆け、触れた者の機動力を向上させていく。
 次々と色彩を変えるオーラ。防御力、回復力、思考速度、あらゆるスペックを百を超える個体それぞれに合わせ調律していく指揮者。聖域の輝きに劣らぬそれらを受け、勇猛果敢なる戦士達は獣と激突した。
「「「「「「「「オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ」」」」」」」」
 遅い来る獅子の爪を前衛の盾が受け止め後衛の矢と銃弾による射撃がそれを貫き、攻められる前に近接部隊の剣が槍が大蛇を仕留めていく。上空からは怪鳥と翼竜が襲い来る。
「図が高いですよ畜生めが!」
 指揮者が宙を仰ぎ両腕を展ばした。
「失せなさい!」
 全陣営上空を覆う無色(いろなき)の結界が展開され怪鳥と翼竜が衝突していくそばから消滅していく。
 対異獣結界オリハルコン、接触した異獣の特性を瞬時に解析し反属性の波動を精製する事で対象を消滅させるクトウの持ちえる究極の神術である。
 歴戦の戦士、究極の神術。これを突破するのは容易ではない。
 だからこそ、偉丈夫と機械は己の戦いのみを見据えられるのだ。



 蒼氷と深淵が交差した。
「ふん!」
 呼気一発。一瞬と呼ばれる僅かな間、宙に描かれる幾数の軌道から火花が散る。
 空気を薙ぐ度に振動が辺りに拡散する剛剣を軽々と扱うヴァイスに対し、深淵の騎士は両の長剣でそれを捌き、隙を見ては急所に鋭い一撃を入れてくる。
 威力ではヴァイスが、速度では深淵の騎士が互いを上回り実力は拮抗しているかに見える状況、だが偉丈夫は気づいていた。
「はぁぁぁぁ!」
 斜め上空に向かい払われた一撃により吹き飛ばされた深淵の騎士は空中で体制を立て直し着地した。
「まさかここまで相性が悪いとはな、いやはや参ったものだ」
焦りを欠片も出さずに偉丈夫はのたまう。
 何の事はない、人と異獣の身体差だ。僅かな傷さえも致命傷と成り得る人間に比べ、異獣の生命力は桁違いである。ならば二刀を用い手数が上回る異獣にアドバンテージがあるのは自明の理である。
「覚悟していたとはいえ我が剣をここまで捌くか、成る程心躍る、このままであれば私はいずれ力尽き勝機はない、ならば…」
 偉丈夫は再びセルシウスを正眼に置き、強敵に向き直った。その刀身の輝きは周囲の光を吸い込んでいるように見える。
「一撃で片を付けさせてもらおうか、悪く思うなよ」
 騎士が再び迫る。ヴァイスが勝負を短期に持ち込もうとするならば、更にそれを上回る速度で決着をつける腹積もりなのだろう。
「上等、推して参る!」



 白夜の騎士を中心に疾走しながら、マキナは弾丸を浴びせていく。
 対象の防力は鉄壁だ。左右に構えられた大盾はマキナの弾丸を苦も無く防ぎ、どのような角度から狙おうと反応し、可能な限りエネルギーを引き上げた射撃であろうと傷一つ付かない生きた要塞。
ーポイント確認
 しかしマキナも闇雲にエネルギーを消費していたわけではない、本来マキナの戦闘スペックはオフェンスに比べディフェンスに比重が置かれている。確実な洞察眼により殲滅対象の攻撃を見切り、探り出したウィークポイントに殺撃を叩きこむ、それがマキナの戦術である。
 戦闘開始から13分49秒が経過、機械はこれまでに得た情報から対応策を弾き出した。
 白夜の騎士は上空からの攻撃に対して僅かに反応が鈍り、その際盾の縁を即ち最も装甲の薄い部位を使用する頻度が究めて高い。6分27秒前から地上での疾走射撃のみに集中することで対象の意識の中から空中射撃への注意は希薄となっている筈だ。
ーファイア
 マキナが一気に弧を描きながら上空10メートル付近まで跳躍し白夜の騎士の真上へ到達、瞬時にエネルギーを銃身に圧縮、球体状の弾丸を精製し最大火力を叩きこむ。
 データに従うかのように白夜の騎士の反応が遅れ盾の縁で弾丸を防ぐ。上空からの圧力に耐えかねたのか白夜の騎士が初めて膝を着いた、弾丸の勢いも更に加速しより一層の重圧が騎士を襲う。だが、銃弾が盾を貫く事はなかった。
-回避
 マキナが着地した瞬間を狙い撃ち 盾を滑らせ弾丸を投げ返した、白夜の騎士はデータにない新たな戦法により自身の窮地を好転させたのである。
 右方向へのステップにより回避成功、体制を立て直す。
-ミドルシフト、刀剣形成
 銃身周囲にエネルギーが拡散、収束し刀身を形成する。
-対象の進化を確認、成長速度を考慮し行動パターンを再演算。
 進化と言う表現に誤りはない。外見的変化は現れなくとも、白夜の騎士はマキナに合わせ思考を成長させている。このままでは時間の経過と共に進化を続け、やがてマキナは完全に封殺されるのは一目瞭然である。
ー戦闘をミドル、クロスレンジに移行、短期決戦開始
白夜の騎士に盾によるカウンターが有る限りロングレンジによる射撃は通用しない。刀身を用いるミドル、徒手によるクロスを組み合わせ手数で防御を突破する。
 刀身を腰だめに構え突きの姿勢をとり、足元を踏み締めマキナは疾風と疾走。息つく間もなく白夜が眼前に迫った、正に今。
 歌が聖域を満たした。
ーこれは
 マキナの疾走が鈍り、やがて静止した。
 空間を包むのは聖歌だ。鈴の音を洗礼させた透明感、オーケストラにも勝る存在力、幾百の祝福が折り重なり紡がれる人の言葉(ことのは)ならぬ神秘の旋律、『福音』。
 だが、神秘が祝福を与えるのは人ではない。
 神に愛でられ、歌を与えられたのは人に仇なす獣達だった。
ー身体が、沈む
 眼前の白夜の騎士、ヴァイスと対峙する深淵の騎士を中心に全ての獣が神秘を奏でている。天を仰ぎその身を祝福に浸している。
 しかし、それは祝福から溢れた人にとっては猛毒でしかない。僅かでも耳にすれば常人であれば発狂し、幼い子供ならば即死は免れない呪詛。かつて人類を、エーリュシオンを絶望へと追いやった力だ。
「けは、けは、けは…」
「うぐぬぁぁぁぁぁ!」
 呪詛が人を死に向かって祝福する。
「いやだぁ、いやだぁ、死にたくないぃ!」
「誰かぁ!誰かぁ!」
「け、もの、ごときがぁ!」
 福音を浴び精神が錯乱、次々と倒れながら戦士達は死の恐怖を前に戦意が消失していく。アンドロイド部隊も統制者を失った影響によってセーフティが起動し行動を停止した。さしものマキナも福音により四肢から膂力が抜けていき地に伏すしかない。
ー状況確認
 マキナから見て右方向へ約10m、ヴァイスは大剣を支えに辛うじて立ち尽くしているものの長くは持ちそうにない。
 左へ約20m、クトウを中心とする部隊も次々と戦士が崩れ落ち陣形は崩壊していき、クトウも気を失わずとも膝を着き頭を垂れている。
 そんな中、ただ一人立ち尽くしている者が居た。
ーラッツ・セシル、不確定要素
 マキナを含む151の戦士の中、唯一スキル不明である少年。彼のみが阿鼻叫喚の最中平然と佇んでいる。
「みんな!どうすれば、どうすれば!!」
 現状に混乱したらしく、ラッツは狼狽えまともに仲間の救助を行えていない。
ー不確定要素より仮定演算、完了、現状挽回開始
「ラッツ、戦闘を許可する!福音消失までクトウを死守しろ!」
「は、はい!」
 ラッツはサバイバルジャケットからナイフを抜き構える。刃渡り狭く刀身も短い心許ない刃、それに映るのは怯える少年だ。
ーやはりか
 ラッツを初めて見た時から予測出来ていた事項。少年は異獣との戦闘経験が皆無なのだ。異獣とエンカウントした際から少年の呼吸数上昇を確認している、極度の緊張による身体症状の出現だ。
 福音は特徴として発動から約5分程で消失、使用後の異獣は一定時間弱体化するとデータに記載されている。
 現状ラッツには福音に対する抗体が備わっていると仮定される。ならば陣形の要であるクトウを死守し体勢を立て直し反撃を狙う以外打開策はない。
 僅かに300秒間、少年にとっては途方もない空隙である。
 少年に踏み出してきたのは炎の獅子だ。福音の密度を保ち、かつ少年を噛み殺すには獅子一体で十分だというのだろう。
「こ、ここ、来いよ赤猫野郎、クトウさんはや、やらせないぞ!」
 震える唇、伝わる焦り、虚勢を張っているのは傍目からでも認識出来る。
 獅子が襲いくる。その爪が、牙が、瞳が少年食い殺そうと駆け出してくる。
「うわぁぁぁぁぁ!」
 ナイフを両手で握り締め、ラッツは右の爪を受け止める。辛うじて弾き返すも続けての左爪を右肩に喰らい鮮血が飛び散る。更に畳み掛ける猛攻は止むまず少年を裂いていく。
「あがぁひぐっ!」
 右肩の肉の隙間から砕けた骨が飛び出し撒き散り、勢いによりバランスを崩しラッツは仰向けに倒れた。
 獅子がラッツに馬乗りに重なり、凶悪な牙が並ぶ喉奥に明かりがちらつき始める。口腔を充たした炎が吐き出されラッツを焼きつくしていく。だが、高熱が漂う最中聞こえる筈の断末魔は響かない。肉が焼け焦げる異臭もなく、代わりに届いたのは獅子の咆哮。
 普く轟く悲鳴と共に獅子が消滅し、そして福音の発動からきっかり5分が経過、呪詛が鎮まり静寂が辺りを包む。しかし妙な事に砕けた右肩以外ラッツに外傷は見当たらない。肌に火傷はなく、焼け爛れているのも衣服のみだ。
 ラッツの左手に握られているナイフに獅子の体毛が付着している、恐らく辛うじて一撃を入れたのだろうが、何故あの脆弱な刃が異獣を倒し得たのか如何せん不明である。
「た、いちょう、やりました、クトウ、さん、を護りまし、た…」
 マキナの身体に膂力が戻りだし、生き残った戦士も再び立ち上がっていく。皆相当に消耗したらしく戦闘続行は困難だとマキナは判断した。
ー現状の打開を最優先とし、戦闘終了後ラッツ(不確定要素)を言及
「よくもよくもまぁ、ここまで虚仮にしてくれましたねぇ」
跪いたまま、福音にも劣らない呪詛を込めクトウが怒りを口にする。
「それでも一つだけ良い誤算がありました、お陰さまでこの術式も完成しましたしねぇ…」
 オリハルコン同様の無色がクトウを中点としなが大地を染め上げていく、美しく浄化とも見て取れる光景だ。
「失せなさい畜生めが!」
無色が染め上げた大地から噴き出し触れた獣が天へ却っていく。叫ぶことなくその身を光に委ねてながら。
 守護結界オリハルコンと対をなす猛追結界エクセリオン。オリハルコンの波動を広範囲に散布することによって異獣も消し去る第二の究極結界である。オリハルコンに比べ広範囲を対象にする高威力を発揮する反面発動に時間を要する不勝手から使いどころを選ぶ術式であり、故にマキナはクトウに指示を出さなかったのだ。
 だがクトウは福音を逆に利用し詠唱時間を確保していた。福音の発動中異獣は行動が不可となるだけでなく、発動後は福音の反動により弱体化した異獣に対しエクセリオンは通常以上の威力を発揮している。どこまでもしたたかに、指揮者は敵の奥の手すらも利用し自らの演奏を完了させたのだ。
 瞬く間に獅子が、怪鳥が、大蛇が翼竜が消滅。
「人間を舐めた報いですよ、」
クトウによる裁きにより、残るは黒と白のみ。



「……これが福音、初めて喰らったが危うかったぞ。黒いの貴様、剣で語り合うのではなかったのか?ならば私もまだまだということだな、同じ剣士として敬意を表していいるのかと思いきや、所詮は獣に過ぎなかったか…」
 福音による激しい激痛に耐えながら、偉丈夫は今まで正眼に構えられていた大剣を後方へと振り被る。
 眼に怒りを、胸には相手の力量を測り損ねた己の未熟さを携え、決闘を終結させる為に。
 黒の騎士も切り札である福音使用により動くことすら儘ならないのか、手から長剣を落とし立ち尽くしている。もはやヴァイスの渾身をかわすのは望めないだろう。
「我が怒りに身を焼くが良い、剣の獣よ!」
 怒りの形相を露にヴァイスは大地を蹴った。すれすれの低空疾走、蒼氷の刃から迸る光流があふれ出し偉丈夫は更に加速する。
それに合わせ大剣の刀身に浮び上がる氷雪を連想させる術式、これこそがイリオス最強者にのみ与えられる氷精の加護。神に反逆せずとも神力解放を可能にする奇跡の一つ。
「極!」
 横薙ぎの一閃、動かず大木とある黒の獣の胴体を二つに斬り裂いた瞬間、光流は勢いを増大させ、その熱量をもって黒の獣を蒸発させていく。
 抗うことなく偉丈夫の怒りそのものに滅された獣は黒の光へと還っていく。後には偉丈夫の後悔のみ残り、漂う。
「大剣セルシウス、周囲の光を溜め込み解放することで全てを滅する氷の剣。かつてイリオスから光を奪った氷の精霊セルシウスが産み出したとされる霊剣である。悪戯好きの氷の精霊は人々を困らせるために自らの操る氷と雪にイリオスの光源全てを隠し、人々を暗闇へと沈めてしまった。氷の精霊は人間の苦しむ様を見ては腹を抱え、自らの行いに罪の意識を感じる事すらなったという」
もはや消えてしまった獣に向かい、偉丈夫は己が戦いの信念を語り始めた。あれほど激しく燃え上がっていた筈の怒りは何処かに置いてきたのか治まっているようだ。、
「しかし、その姿に怒りを覚え一騎討ちを挑んだ一人の剣士により打ち倒されることで、己の愚行に気付き、心を痛めたセルシウスは自らを砕き鍛え一つの剣となり、人々を護る事で罪を償う道を選んだ。セルシウスを打ち倒した剣士により建国されたのが光都シトランテ、我が祖国であり私の誇りの都だ」
 黒の獣の立っていた箇所、ヴァイスはそこにセルシウスを突き立てた。蒼の大剣を墓標に見立てヴァイスは続ける。
「…私は、私の誇りを護るためこの戦い参じた。その中私と同じ、仲間を護るため戦う貴様を眼にして、嬉しかったのだ、獣の中にも誇りを持つ者が居るのだとな。だからこそ悔しかろう、貴様もあの様な物は使いたくなかったのだろう…」
 剣を交えたからこそヴァイスには理解出来る。福音発動の瞬間、黒の騎士は自らを獣へと堕とした。ヴァイスとの決着という騎士としての誇りを、敬意を捨て仲間の勝利のために望まぬ旋律を奏でたのだ。
だからこそヴァイスは彼を獣として葬った、自らの醜態を恥じる者を騎士として斬るのは侮辱以外の何物でもない。
「貴様がもし人であったなら、どれ程の好敵手と成り得ただろうか。私は怒ろう、貴様の武人としての誇りを貶めた世界の理を…」
 誇り高い騎士であった光を蒼氷が吸い上げる。刃の中で他の光と混じりあい、やがて一つになった。
「いつかまた、剣を交わそうぞ、剣の騎士よ」
 セルシウスを誇りと共に背負い、偉丈夫の戦いは決着をみた。



ーミドルシフト、アクション
再起動した機械の針穴を通す精密動作が騎士の大盾、躯体をを削り、盾の騎士は声にならない悲鳴を上げた。騎士の完璧とも言えた防力は見る影失い、もはや頼れるのは己の躯体が有する硬度のみ、勝敗は明らかにマキナに微笑んでいる。
欠片の慈悲も宿さない鋭利な刃が走り対象を切り刻む。少しずつ、しかし確実に絶命へと近づく恐怖に駆られたのかあ白夜の騎士は更なる進化を見せつけてきた。
「ーーー!」
騎士の無音の叫びに混じり硝子の破砕に似た音が鳴り、マキナの刃が静止する。
白刃取り。盾を失いなす術無い騎士が新たに見出した防力、刹那を見極め初めて掴む護りの極意を会得したのだ。
続けて白夜の躯体が輝きを放ち初める。熱量として肌を炙るそれはマキナの警報を刺激した。
ー対象の自爆を予測、緊急離脱
しかし騎士は驚くべき膂力により刃を掴み離さない。全身全霊を掛け責めてものマキナを道ずれにする思惑だろう。
刻一刻と迫る最後の瞬間。だがそう安安と付き合うマキナではない、このような戦闘は過去にいく幾度も経験している。
ー刀剣キャンセル
騎士の両手が宙を掴んだ。なんの事はない、振り切れないのであればこちらから刀剣を消滅させればマキナはフリーとなり回避も容易である。
だが、機械がとった行動は回避ではなく攻撃であった。スナイパーライフルから流れ込む神力エネルギーにより自身の神力を高速刺激、爆発的に強大した神力を右腕に集約し手刀として白夜の胸中に叩き込んだ。自爆の効果範囲が不明である以上、阻止行動をとるのが最善であるからだ。
背部まで貫いかれ騎士は完全に意識を墜とし、その躯体は粛々と白光へと還っていく。
後には塵すら残らず静寂のみが鎮座した。
ー対象撃破、状況確認
 マキナは思考を切り替え戦況を観察する。 黒の異獣はヴァイスが撃退に成功したらしく姿はない。他の個体はクトウのエクセリオンに掃討され、少なくとも視認は出来ない。
ー戦闘終了、所要時間47分58秒、被害確認
マキナはうつ伏せに倒れこむクトウに歩み寄り、肩を貸し起き上がらせる。
「よくやった、お前がいなければ勝ちの見込みもなかっただろう」
 機械の称賛に憔悴した指揮者はいつもの皮肉で返す。
「…なんですか、このような惨事ですらマニュアルに従ったものいいですか、まったく」
「被害を報告しろ、陣形を立て直す」
「前衛13人、後衛が23人やられました。私とあなた、あちらの決闘狂いと小僧を合わせて残数僅か10人、それも応処置が必要かと。アンドロイドの被害は7体ですが残りの93体はシャットダウンしてしまっている、復旧に少し時間が掛かりますね」
「迅速に治療に当たれ、一端帰還する」
「よろしいので?作戦開始から一時間も経たずにそんな判断をしてしまって、そんなことをすればあなたの主君の顔が立たないのでは?」
「被害が当初の予定を大幅に超過してしいる、続行は不可能と判断した」
「まぁ、いいでしょう、実にあなたらしいとしか私には言えませんがねぇ」
 クトウは少し離れた位置に集まっている生き残った戦士達に一人で近寄り、既に底をついた気力を絞り詠唱を唱え始める。治癒系統、とりわけ強力なものになれば詠唱は不雑化し時間も要する。その間、マキナは仰向けに横たわる不確定要素へと近づく。
「意識はあるか」
 片腕を失い朦朧とする意識の中、ラッツ少年は返答をした。
「は、い、たい、ちょ…」
ー意識レベル困難、重症と判断、治療を最優先
「よくやった、お前がいなければ勝ちの見込みもなかっただろう、今は休め、ただし帰還後何故お前が福音を無効化出来たのか言及させてもらう、記憶しておけ」
「は……ぃ」
 クトウの時と同じくマニュアルに沿った対応を行い、マキナも休息に入るべくラッツの右隣に腰を下ろす。丁度のタイミングでクトウの回復神術が発動、暖かなそよ風が吹き抜け傷を癒やし、消耗した体力を回復していく、性格に問題は有るものの、やはりクトウが優秀な術者である事には変わりなく、瞬く間に全てに浸透していくそよ風。ラッツの顔にも血の気が戻り出血も止まったが、流石に失った右肩は再生されず無残なまま、ラッツは気を失った。生き残った戦士達も一命は取り留めたらしく帰還には問題はなさそうだ。
 つかの間の休息、皆の緊張が緩み始め、そして次の瞬間、豪鳴が轟き、眼前のクトウ達が、叩き潰された。



 脚だ。紫紺の体毛に覆われた巨木を優に超える巨大な脚が墜ち、下に居たものを踏み潰した。
「なんなのだ、あれは………」
 いつの間に合流したのか、マキナも背後に立つヴァイスが天を見上げている。その先に映る全身が紫紺の存在。腕の一振りで山一つ消し飛ばすのも容易である隆々とした筋繊維に頭部まで目視すら儘ならない巨漢。プルートオーガ、現在確認されている異獣の個体の中で最大の体躯を誇る破壊者。それが姿を現したのだ。
 そう、深淵と白夜の騎士は王ではなく、自身の縄張りを荒らす愚か者を駆逐するため鬼が放った傀儡に過ぎなかった。真の支配者たる紫紺の鬼は傀儡の後始末なのか、憤怒に身を任せ現われたのである。
 機能停止しているアンドロイドを踏み砕きながらオーガがマキナへと歩を進める度地が歪み、空気が振えあがる。歩みという移動手段ですら空間を支配する存在圧、正に支配者を名乗るに相応しい。
「マキナ殿少年を連れて逃げろ、この怪物は私が食い止める早く!」
「何故だヴァイス」
「あれは我らの戦いを見ていたのだろう狙いは恐らく貴公だ、獣ながら貴公がいる限り幾度も攻め込まれるのを理解している、だからこそこの場に出てきたのだろうよ、だからこそ早く逃げるのだ、貴公が死ねば各国の士気は折れ二度と立ち上がれん!!」
 返答を待たずにヴァイスは再びセルシウスを解き放ち、地を蹴り天高く跳躍した。
「セルシウス!今一度力を放て!」
 降り下ろされる渾身の一太刀、そこからだ、岩すら苦もなく砕き割る武人の猛攻は止まることなく続く。
「うぬぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 雨などと表するのは最早滑稽である。
 嵐だ。
 嵐が咆哮を上げている。鬼の腕に、胸に、脚に。偉丈夫は壁を跳躍しすれ違う刹那、必撃とも言える嵐を浴びせ鬼を抑え込む。
 しかし、傷はつかない。嵐は鬼の体毛を撒き散らすだけ、金剛石をも凌ぐ鬼の体表は偉丈夫をただただ嘲笑うかのよう、微動だにしない。
 遂に鬼が自ら動いた。跳躍中のヴァイスを右手に軽々捕らえ握り締める。周りをうろつく小蝿をはらう動作と何ら変わりない一挙動。最たる武人も所詮は人、鬼には抗えきれない。
「マキナぁ早く、貴公が終われば全てがぁ!」
 鬼は偉丈夫を弄ぶんでいる。一思いに殺らず手掌に強弱をつけて武人の苦しむ姿に幸悦している。マキナと同じ、他を逸脱した存在。違いがあるとすれば其処に感情が有るか無いかだ。
 鬼は怒りながら楽しんでいる。縄張りを荒らした害虫を間引き、潰し、庭を掃除する快楽で怒りを洗っている。
 そして、その感情こそが隙を生む。
ーヴァイス意識混濁、死亡後、逃走開始
 エーリュシオンに撤退するには、侵攻時に使用した転移門を利用する必要がある。門の位置は鬼の後方に約100mにある神力で描かれた水銀色の円陣。飛び込みさえすれば瞬く間もなくエーリュシオンに辿り着ける。
 そして、あの手の異獣は殺戮を恭とする傾向が強い事が多い。獲物を焦らしに焦らして嬲り殺すことで最高の絶頂に身心を浸すのだ。それこそがマキナにとって最大の好機。流石の機械と言えどラッツを抱えての疾走となればどうしても通常に比べ失速してしまう。ロスタイムを補うにはこれ以外方法はない。
ー撤退開始予想37秒
 意識を、神経を、身体の全ての五感を鬼の一挙一動に這わせ、その先に見えた予測された未来。それは機械と少年、二人の生への切り口であり、同時に偉丈夫の死の瞬間だ。
ーカウント10、9…
 時が迫る。
-6、5…
 鼓動が静から動へたぎり出す。
ー2、1…
ヴァイスが一際呻き声を上げ、それも消えた。
ー0
 同時に機械の脊髄がスパークし、体幹から絞り出した膂力を下肢に送り込み、全身をバネとして疾駆する。ラッツを落とさないように抱き抱え、最短ルートである鬼の股下を通過し、後はエーリュシオンまで一直線のみだ。
 虚を突かれた鬼はあからさまに、マキナを追いきれていない。 上半身を捻りマキナとラッツに襲い掛かるが明らかに機械の方が速い。
 見る見る脱出口に近づき、正しくあと一歩。だが、鬼の狙いは二人ではなかった。
 鬼は覆い被さるように倒れてくる。狙いは脱出口である転移門、体制などお構い無しに重力で加速した巨体が落下してくるのだ。このままでは二人も巻き込まれる、否、それも鬼の思う壺なのだろう。
 異獣の王たるプルートオーガ。流石に只の木偶の坊ではなかった。
ー緊急回避、左方向へ跳躍
 脳からのインパルスが伝える方向へ身を投げ出し、ギリギリの境でかわしきる。巨大故に鬼は立ち上がるのに時間が掛かると予測される。数分は安全圏だが、退路を断たれた。転移門は破壊され生き残るには鬼を倒し異界の門を突破する以外にあり得ない。
ー自分(マキナ)単体による正面突破成功率1.78、他の打開策無し
しかし、機械の頭脳は優秀であるが為に自ら可能性を潰してしまう。
 絶体絶命。
 人の中で最高の強者を集めた集団を、こうも容易く獣は引きちぎる。何故ここまで獣が人という種に憎悪を抱くか、それは誰も明らかにしてはいない。だが確かなのは獣の憎悪は底が知れないと言うことだ。
 機械と少年は逃げ切れない。
 いや、逃げられない。
 何処に隠れようが聖域に居る限り鬼は二人を見つけ出し、確実に仕留めるだろう。
 巨体が身を起こし始めた。地に掌を突き、山をも持ち上げるであろう腕力が地に亀裂を入いる。
 その時である。マキナの胸元から声が聞こえた。
「…………たいちょう……ご、ぶじ、ですか…」
 弱々しく掠れた、しかし意思の籠った声はラッツ少年だ。
「気が付いたか」
「はい……げんじょ、う、は…」
「深刻だ、場合によればお前を置いていく、覚悟しておけ」
 機械は冷徹に現実を突き付けた。別段マキナが生を欲しているのではない、ラッツに比べ自分一体の方が生存率を1.78から2.09に上げられる、それだけの事だ。
 仮にラッツに可能性があるならば、マキナは少年に全てを託し、逃がすのに全力を注いだだろう。
 だが、機械が未来予測の要因から度外視していたこの不確定要素(少年)に、最後の希望は宿っていた。
「………お、れが」
 気を失いながらも、片時も手離さなかったナイフ。少年は心許ない武器を手に、マキナの胸からよろよろと立ち上がる。
「おれ、が、や、ります……隊長は、護ります………」
「不可能だ、お前は俺に比べ弱い、大人しくしていろ」
「…隊長、この、作戦、バ、イ、コンの意味、それを、お見、せ、します」
ー作戦名の意義
 『双角の鉄槌(バイコーン)』、人類全ての憎しみを根源たる報復の化身(アウ゛ェスター)を、渾身の二撃により葬りさる事を信念とする作戦名。
 残された片腕に力を込めて、少年は残った精気を瞳にたぎらせる。手に握られるナイフ。赤の獅子を奪名した少年の持つ唯一の牙だ。
「二撃の内の、一撃…」
 とぼとぼとラッツは鬼に近づいていく。その足取りは今にも挫けてもおかしくはない。右右へ、左へ、不規則な道筋を歩みながら、一歩、また一歩と鬼に迫っていく。
 鬼の左足、唯一地に着いている鬼の体。少年は、そこに脆弱な牙を突き立てた。深々と根本まで肉に埋まったナイフ。しかし鬼からすればそんなものは痒みにすら感じないだろう。
 だが、双角の最初の一撃はそこから始まる。
 少年の全身の皮膚から鋭角な刻印が浮かび上がり、そこから気が立ち込めた。赤、青、黄、緑、白、黒。全ての色を内包する神の力。
 神力の解放。しかもその膨大さは他と比べようもない程に強大であり、瞬時に鬼を飲み込み喰らい始める。
 鬼がもがき苦しみ、のたうち回る度に大地が戦慄き悲鳴をあげる。オーラは確実に鬼の命を蝕んでいる。証拠に紫紺の体は崩壊を始め、このままならば鬼を打ち倒す事が出来る。
 しかし、マキナは気付いていた。
ーラッツの放出神力、及び身体耐久力を比較、プルートオーガ撃破率100、ラッツ生存率0と予測
 そう、少年の身体はあのままではもたない。傍目から見て明らかに、彼が放出している神力は全盛期のクロノスに匹敵している。
 ラッツの体表に現れた刻印は全身を隈無く走り、その小さな身体に秘められた微弱な神力を何十倍、何百倍に跳ね上げているのだろう。そのような過負荷に脆弱な人の体が耐えられる筈もない。
 これこそがゴドウィンがラッツの能力を秘匿した理由。
 ゴドウィンは、異界の門における戦闘により、マキナ以外の戦士は生き残れないと踏んでいたのだろう。いかなる化物に遭遇するとも不明な戦場、そこで生存するには感情を超えた合理性が必要となる。150の中に純粋な殺し合いでマキナを上回る者はいない。ならば雑兵を周りに駆逐させ、親玉を仕留める為の槍を一振り用意しさえすれば、マキナを門の先に送り出せる。
 マキナを真(まこと)の戦場に送り出す、それこそが双角の第一撃目であるのだ。
 マキナは、コートの内ポケットに忍ばせた先達からの贈り物。恐らく、マキナ単体であろうと天域を落とせる威力を秘めた兵器だとするならば、第二撃目は兵器を用いるマキナ自身なのだろう。
 何もかもが、先達の手の平で踊っている。149の戦士、一人の少年(一振りの槍)、全てが機械を生かす為の手段に過ぎなかったのだから。
ゴドウィンの思惑を理解した上で、マキナは今後の方針を変更した。
ーエーリュシオンへの撤退不可能、プルートオーガの撃破可能と予測、よって自分(マキナ)単体により作戦を続行するものとする
 機械は目的達成の為のパーツに過ぎない。あらかじめ定められたレールが有るのならば、そこから外れないように走るだけだ。
 やがて、鬼だけでなく少年の身体も崩れ始めた。皮膚からだんだんと内側へ向かって粒子となっていく幼い少年、激痛を感じるどころか、最早彼に意識はないだろう。自分の願い、獣へ復讐するために彼は命を差し出した。ゴドウィンに利用されているのも承知の上だろう。気概に足りない実力を命で補った一人の戦士に、機械は上辺だけの賞賛を送る。
「よくやった」
 繰り返される。
「よくやった、お前が居たから、俺は先に進める」
 対人コミュニケーションマニュアルに従い、限りの無い賛辞を、戦士に。
「ラッツ・セシル、俺は、お前を忘れない」
 塵も遺さず、鬼は消え去った。ラッツも共に逝った。戦闘開始から56分17秒、一人の機械を残して、第一撃は見事に終わりを迎えた。
 休む事なく、機械は歩みだした。
 疲労で重みを増した両足を無理やり動かし、前進する。今は異獣の巣窟から脱け出すのが先決であり、回復は後回しだ。
 機械はどこまでも冷徹だ。たった今の決戦をすでに過去の記録とし、次の行動に移っている。
 感情は要らない、有るのは任務の達成、覇王に捧げる勝利。歩と共に、向かっていく。
 光の聖域を抜けた先の戦場(いくさば)を目指し。
 聖域の終わりが見えてきた。地に渦巻く、朝焼け色のエネルギー。そこへ飛び込めば、もう引き戻せない。
 否、引き戻すなど許されない。
ー周囲に敵成体反応無し、侵攻開始
 右足を踏み出し、渦へ飛び込む、正にその時、後頭部を熱と衝撃が貫いた。脳が揺さぶられ、意識が遠退いてく。
「かっ…」
 謎の襲撃に襲われ意識を飛ばしたまま、機械の身体は朝焼けに呑まれ、聖域には光だけが漂い続けていた。

マキナ

マキナ

心を持たない、一人の機械がいました。 暖かい血が流れ年を重ねる毎に老いていく人間の体を持ちながら、彼は機械として扱われていたのです。 見たこともない獣がいました。 奴らは毒を撒き散らして世界を侵食していきました。 大勢の人が死にました。 人と獣との大きな戦いが始まりました。 機械は自分が仕えれる王様の為に戦います。 戦いは激しさを増していき、そんな中、機械は一人の少女と出会います。 その少女は戦いで傷いた機械に優しくしてくれました。 だけど、機械は優しくされる意味が分かりません。 やがて彼は変わっていきます。 その意味を知るために。 このお話は機械(マキナ)と呼ばれた少年の人生を綴ったものです。 あなたがページをめくれば始まります。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. プロローグ:人ならざる人間
  2. 第一章 戦場のマキナ1
  3. 第一章 戦場のマキナ2
  4. 第一章 戦場のマキナ3
  5. 第一章 戦場のマキナ4