火傷に桜を
一生懸命書いていきます。
コーヒーどうぞ
春、夜、公園。
私は声をあげて泣いていた。
悲しい、悔しい、切ない、好き。
そんな思いが内側からこみあげては、熱い熱い涙となって目から流れ出す。
そんな思いも、ぶつける相手はどこにもいない。
誰もいない、夜の公園。
街灯が、ベンチに座る私を照らしている。
まるで、舞台からスポットライトを浴びる、役者のようだ。
…悲劇のヒロインになった気分。
泣きじゃくる私とは裏腹に、心の中の私は冷静に呟いた。
「別れようか」
「お前のこと、好きじゃなくなった」
彼が言った言葉が、頭の中でこだまする。
自分の泣く声でかき消そうとしても、無駄だった。
どうして、こんなことに…。
どうして、私のこと…。
私の気持ちは…。
考えても無駄なことぐらい、わかっていた。
頭では、今日の事実を受け止めている…はずなのに。
涙は止まろうとしなかった。
「春なのに」
声がした。
誰かいる?
いつから?
私は顔を上げて、周りを確認した。
しかし、声がどの方向から聞こえたのかわからない。
私だけを照らす街灯が、周囲を見にくくしていた。
すると、前方からぼんやりと人の影が見えた。
それは、ゆっくりと近づいてくるように思える。
泣いてるところ、見られた?!
私は急いで涙を制服の袖で拭いた。
「桜、ないんだね」
低い、落ち着いた声だった。
夜の風に消えていきそうなくらい、優しい。
そんな声。
姿を現したその人は、にっこりとほほ笑む、男の人だった。
長い手足が黒いスーツをスマートに着こなしている。
「ここの公園には、桜がないんだね」
「えっ?」
いけない、つい、見とれてた。
私は男性の顔を見上げた。
ベンチには座っているものの、予想以上に男性の顔は、高い位置にあった。
背、高いんだな。
「啓太よりも、ずっと高い…」
「ん?」
はっとした。
無意識のうちに、思ったことを声に出してしまっていたのだ。
「あ、すいません!えっと…」
「啓太って人が、君を泣かせていた原因?」
「え?」
そういうと、男性はすっと私の隣に座って、私に顔を向けた。
「ああ…えっと…」
どうして啓太と比べてしまったんだろう。
啓太はもう、私の彼氏でもなんでもないのに。
私はそろりと男性の方を見た。
薄い唇に、鼻筋が通った綺麗な顔だった。
切れ長の目が、私の瞳を優しく見つめている。
「君は、警戒しないの?俺のこと」
男性は、また、にっこりとほほ笑んだ。
「こんな夜中に、誰もいない公園で、知らない男に声かけられてるんだよ?」
そう言った男性は、どこか楽しそうに見える。
焦る様子など、微塵も感じない。
「失恋しちゃったんです、私。だからもう、どうでもいいかなーって」
「へえ、その、啓太って人に?」
「はい…」
啓太。
名前を聞くだけで人懐っこい笑顔が頭に浮かぶ。
「制服ってことは、高校生?その彼も?」
男性は私が着ている制服をまじまじと見つめて言った。
「はい。啓太は…隣のクラスでした」
そうだ。啓太はよく、休み時間になると二年一組の、私の教室に来てくれた。
お昼は二人で食堂にもよく行った。
毎日、二人で一緒に帰った。
いっぱい寄り道した。
この公園にもたくさん来た。
ここには、啓太ともう来られない。
笑いながら、このベンチで話すこともできない。
もう、二度と戻らない。もう…。
私は真っ黒な夜空を見上げた。
視界がぼやけて星一つ見えない。
「コーヒーどうぞ」
はっ、と私は我に返り、男性を見た。
気づくと、頬にはまた涙がつたっている。
目の前にはコーヒーの缶が差し出されていた。
「急に桜が見たくなったんだ」
「…え?」
私が状況を飲み込めずに混乱しているのをよそに、男性は話すのをやめない。
「公園に行ったら桜が見れると思って、近くに車置いて、歩いて来たんだけど、無くてさ」
喋りながら男性は、手に持っていた缶を私の手に握らせた。
細くて長い指が、大きな掌が、私の手を包み込んだ。
あ…手、冷たい。
ぼんやりそう思った私の手の中では、温かいコーヒーがじわりと私の手を熱くさせた。
「歩いていくとさ、女の子がベンチで大泣きしてるもんだからさ、驚いたよ」
「あ…」
数分前の自分を思い出して、私は顔が熱くなるのを感じた。
「変に声かけて怪しまれるのが嫌だったから、どうしようか迷ったんだけどね。こんな時間に女の子一人、放っておくわけにはいかなかったから」
そう言って、男性は私の手元に視線を落とした。
そして、もう一度私を見て、言った。
「だから、はい。コーヒーどうぞ」
高校二年の春。
私は失恋した。
何もかもが、初めてだった。
告白されたのも、誰かを好きになったのも、付き合ったのも。
…ふられたのも。
私の隣に座る、スーツの男の人はきっと私より年上なんだろう。
私より少し大人で、いろんな経験をしたんだろう。
だから、私に向かってこんなに優しい笑顔を向けることができているんだ。
この笑顔には、大人の「余裕」が滲み出ている。
分かっている。
分かっていた。
分かっていたはずなのに、私の感覚は狂ってしまっていた。
失恋したからだろうか?
夜の暗闇に気持ちが高ぶっているからだろうか?
いつものように、冷静で静かな思考が始まったが、目からこぼれ落ちる涙に私は耐えきれなかった。
おかしい…おかしいよ。
どこの誰だかわからない人に、ちょっと優しくされただけなのに。
なんで気を許してんの私。
なんで見知らぬ人の前で大泣きしてんの私。
涙はしばらく枯れることはなかった。
男性は私の隣で、優しい瞳で、私をずっと見つめていた。
春の夢
――1
メールの着信音で、私は目を覚ました。
カーテンの隙間から、嫌というほど眩しい光が差し込んでいる。
…あれ、私、何してたんだっけ…。
意識がはっきりしないまま、枕もとの携帯を荒々しくつかんだ。
画面を見ると、メール受信の通知が来ていた。
送信者、優里奈。
…ゆりな…。
ああ、そうだ。優里奈は私の中学からの友達だ。
高校でも一緒のクラスになれたって、はしゃいでたっけ…。
まだ寝ぼけている自分を叩き起こすように、私は起き上がった。
『明日香、今日さぼりなの?大丈夫?啓太君も心配してるよ?』
火傷に桜を