夏、踏切と濃霧と金属バット

人に容赦なく金属バットを振るうキチガイフルバースト娘に出会ったのが俺の運の尽きだった

かんかん照りの金曜の夜。同僚たちがこぞって飲みにでかける中、俺は体調があまり良くないから、といって定時に上がらせてもらった。実際ここのところ忙しくて飲みに行くような雰囲気ではなかったことをうまく理由づけて家でゆっくり休みたかっただけだったが、疲れが顔に出ていたのか顔色が悪いと心配してくれた上司がわざわざ定時に上がらせてくれて何だか申し訳なく思った。同期たちも同期たちで俺の顔をみるなり心配そうな目をしながら「ちゃんと飯食えよ」などと言ったりするものだからびっくりした。そんなに顔色が悪かったのだろうか。駅から降りてトイレにいったときはそんな風にはみえなかったのだが。
そこそこ混んでいる電車をおりてしばらく歩いているとなんだか開放的な気分になって、そんな考えは少しのあいだ消え去った。今日は月が明るい。街灯がいらないのでは、とおもうくらいに。昼間あんなに暑くてからっとしていたからか、今日は夜になっても雲があまりでていないめずらしい夜だった。星もちらほら見える。ふらふらと歩いていて、踏切を前にしてやっと足を止めた。その瞬間かんかんかん、と遮断機が音を立てて降りてきた。
ふらふらしている俺が足を止めたのは訳があった。視界にちらりと白いセーラー服が見えたからであった。彼女の存在がなければ俺はふらふらと線路内に入ってしまってそのまま今頃轢かれてミンチになっていたかもしれない。心の中だけでそっと彼女に礼をいう。表向きは、電車をぼおっとながめている寂れたサラリーマンにしか映らないだろうが。
通りすがる電車は、俺とおなじようにスーツを来たひとたちがあふれかえっていて、みんなみんな疲れているように見えた。もしかしたら全員そうかもしれないし、ちがうのかもしれない。真意を知るすべはない。俺と同じような生活を送る、赤の他人のひとたち。
それにしてもやけに長い電車だ。この時間帯は混むのだろうか、車両が増えているのかもしれない。いつもこんな風に考え事なんてしないから気づきもしなかった。遮断機はまだ一定間隔でかんかんかんかん、鳴りつづけている。

「あなた」
視界のはしから声をかけられた。多分先ほどのセーラー服の女子高生だろう。こんな時間まで何をしているのだろう。予備校とか、夏季講習とかかもしれないけれど。
「おれですか」
「あなた以外いないでしょ」
そういってここではじめて女子高生をきちんとみる。肌の白い、人形みたいに整った顔立ちの少女がそこに立っていた。
「あなた、もうすぐ死ぬの」
その言葉は疑問のようにもきこえたし、すでに確定した事のようにも聞こえた。少女は半袖の白いセーラー服から、月光にてらされて青白くひかる細い腕と脚を惜しげもなく出していて、俺のほうは見ないでぼんやりと通りすがる電車をみつめながらそうこぼした。
「…なんで」
この少女、少し頭がおかしいのかもしれない。なんせ、夏だから。ここ連日の猛暑でやられているのかもしれない。実際少女はハイソックスではなく短いくるぶしまでの黒い靴下にローファーをつっかけただけであった。髪はショートカットでとてもさわやかそうな身なりである。暑いのが苦手なのかもしれなかった。でも、そんなことはどうだっていい。どうせ、この先も、これからも、この少女と関わりつづけることなんてないだろうから。そう思った。そう思ったし疑問があったから、素直に口に出してみた。
「影」
女の子は手首にさげたコンビニの袋からパックの紅茶をとりだし、おもむろにストローで吸いながらそういった。
「影、くらべてみ。わたしのと」
じゅーじゅー音をたて紅茶をすいながら少女はけだるげにそう言う。
「え」
そうして足元に視線を落として思わず間抜けな声が出る。自分でもびっくりするくらい間抜けだった。
「薄いっしょ。ほかのより」
そう、確かに。彼女の言うとおり、俺の影はほかのどの影よりうすかった。光の加減や目の錯覚ではなくて、あきらかにうすかった。少女のものより、遮断機より、電柱より、草より、フェンスより。
「影がうすい、っていうじゃん。存在感のうすいことの例え。あれの語源はこの状態なのではと私は考えている」
そうして彼女は自分の顎に握りこぶしをあて、うんうん、と納得している。学者をきどっているらしかった。
「それなー、ほおっておくとしんじゃうんだよなー」
そうして学者きどりのポーズがきまったらしい彼女はそうごちて、また紙パックの紅茶をわざとらしくじゅーじゅー吸っている。
「え、そんな、何かの間違いじゃ」
「まちがいじゃないよ、オニーサン」
そうして彼女はようやく顔をこちらに向け、びし、と指を俺にさす。そうしてつつつー、と指をすべらせ俺の顔の横の草わらの隅を指差した。
「ここでしんだ子も、影がうすくなってた」
そう彼女はいった。あいかわらずわざとらしくじゅー、じゅーと紅茶を吸いながら。
 その指のさす先には花があった。まだ古くはない。花束だった。あきらかにここで誰かなくなったのを示している。
「わたしのクラスメイトだった。その子。学校ですれ違うたびに影がすこしずつ薄くなってたんだよね。それに比例するようにすこしずつ元気がなさそうにみえたけど、みんな気づかなかった。わたしだけだったから、最初は見間違いかと思ってた。でも」


「ある日突然踏切の中にはいってしまった」


「みんな訳がわからなかった。自殺するような子じゃなかったし、そんな兆候もなかった」


「しいていえば少しずつ顔色が悪くなっていたのと、影が薄くなっていたことだけ」

まあ、そういうことだなーと変に間延びした声をだしてどうでもよさそうに少女は呟いた。
「そんな、おれ、どうすれば」
「いい事を教えてあげようオニーサン」
紙パックの紅茶はなくなりかけているのかじゅこー、じゅこー、と間抜けな音に変わっている。
「いまからその子の特徴を言うから、あてはまるところがあれば変えていけばいい」
まあそれで死ぬか死なないかはオニーサンしだいだけど、とこぼす。この少女、なかなか酷なことを言う。なんて責任感のない。まあ、俺は彼女にとってたまたま踏切で居合せただけの人間だし、そんな筋合いがないのはごもっともである。教えてもらえるだけいいとしよう。
「その子はねぇ、そりゃいい子だったよ。友達も多くて。決していじめられるような子でもなかった。だけどね。自分というものがなかったんだ」
「…それはどういう意味だ」
「そのまんま。周りの意見にしたがって、自分を犠牲にしてでも周りの人の為になにかをしているようないい子だった。みんなそれをわかっていたから人望もそれなりに厚かったよ。でもね。そんなのヒトらしくない。周りに協調してそのために自分がないだなんて、そんなのアンドロイドでも作って行動パターン組み込めばできるよ」
ぎくり、と何かがひっかかった気がする。
「ようは自分を決定する何か。自分という思念の概念、存在価値とかそういうものが希薄的だったんだよ。その子は」
ずるるるるる。紙パックの紅茶はもうほとんど無いらしく、空気を吸っているような音がする。
「オニーサン、何かひっかかる部分、ありそうだね」
紙パックを両手でひねり潰した彼女はにやり、と悪意もある笑みを浮かべる。
「たぶんだけど、影の薄さは自己の薄さをそのままあらわしているんだと思うよ。あと、それと」
電車が過ぎ去ったのになかなか踏切は開かずかんかんかんかん、と警報機だけがやかましく鳴っている。
「オニーサン、消えたい、って思ったこと、あるでしょう」
暗くて気が付かなかったが、この子の瞳は限りなく黒に近い、赤だった。地獄の底のような燃える目で見つめられて、俺は何も言えなかった。
「その子もね、直接的ではなかったけど、そんな事をこぼしていたとかいないとか」
少女は興味を失ったように俺から目線を外し、さきほど両手でひねり潰した紙パックをさらにひねって、コンビニの袋に入れ直した。目線の先はさきほどの電車から続けてきた、二本目の電車にそそがれている。
「たしかに、似ているかもな。その子と俺」
そういって先ほど少女が指を差した草むらの影に目線をやる。ピンクや白を基調とした可愛らしい花束が添えられている。
「でも、いまさら、どうやって、自分なんて」
わからなかった。少女が言っていることは至極あたりまえの事なのはわかっていた。でも、それを改善するのになにをすればいいのか、わからなかった。小さい頃から「いい子」でいようとしたあまりに、いつの間にか、自分を常に押し殺していた。自分とは何か、そう聞かれると黙ってしまうくらいに、なさけないくらいに俺には「自分」という物がなかった。
「かーんたんじゃーん。周りを恐れずに自分のしたい事すればいいんだよー」
あっけらかんとした声でそう彼女がいったので、俺は思わず目を見張る。
「あのさ、そういう人は今まで周りに尽くしてきたんだから、すこしくらい周りに甘えちゃってもいいんだよ。あまりに限度過ぎるのは人としてアレだけどさ」
この少女、本当に高校生だろうか。さっきから人としての価値観がまともすぎて年上の話を聞いているような錯覚に陥る。
「それで離れるような人はそれまでの人。それでもついてくる人を、大切にすればいいだけの話」
そういって彼女はにっこり笑った。夏によく似合う、からっとした、ひまわりのような笑顔だった。そしてそのままにしし、と声を漏らす。
「まあ、そゆこと。がんばってねオニーサン」
後ろ手をひらひらふりながら、遮断機のあがった踏切を彼女は歩きだす。実にかろやかな足取りだった。
「あの、ありがとう」
「いいーってことよー、あ、あとお礼のお礼にもいっこ教えてあげる」
踏切を渡り終わった彼女がくるりと反対側の道路で振り返り、こう、確かにいった。
「しばらくこの踏切は使わないほうがいい。なるべくなら帰り道を変えて、しばらく別の道を通ったほうがいい」
そういった少女の目と声のトーンはいままでのどの話よりも深刻さがあった。
「そんな、どうして」
「まあ、あれですよ、ここの道最近不審者とか多いから変えたほうがいいってはなしー。気分転換にもなるでしょうしー」
そういって彼女は先ほどのようなお気楽な調子でまた歩きだした。不審者ならこんな暑苦しいサラリーマンより彼女のような深夜徘徊女子高生のほうが危ないのではないかと思ったが。心にとどめておくことにした。なんとなく。
「一か月くらいでなんとかなると思うから、それまでは面倒かもしれないけど、よろしくねー」ばいばーいと続けて決して俺のほうを振り向かずに女子高生は闇の中に消えていった。
「…なんだったんだ」
それが、へんてこ女子高生と俺との出会いだった。
 あの出会いから一か月、妙に彼女の発言がひっかかった俺はおとなしく彼女のいう通りにしていた。彼女のいう通り、確かに離れていく人間もいたが、それは俺を都合よく利用しようとしていただけの人間だということにやっと気づいた。また、俺が自分の意見を言うようになってから、前のように表面的ではなく本音で語り合える人が増えたのも事実である。本当のところ、彼女には結構感謝していた。
 彼女にアドバイスをもらってから約一か月弱、再び影も濃くなり顔色の心配をされることもなくなってきた俺は、仲良くなった同期に誘われてどんちゃん騒ぎの飲み会をしていた。その帰り道、ひさびさにひどく酔っ払ってしまい、いつもの道から遠回りして帰るのが面倒臭くなり、ふいに、あの道を選んでしまった。途中で引き返すこともできたが、酔いの回った頭は「早く帰って寝たい」としか判断を出さず、結果あの踏切の道を選んでしまったのである。
「うううえ…吐きそう」
もう頭が痛くてガンガンする。遮断機が下りる。吐き気がするので道路を見つめていると、ある事に気付いた。
「…あれ?」
ここ数日濃かった影が、また一か月前のように薄くなっている。なぜだ。俺は彼女のアドバイスを聞いて実行して、影は濃くなっていたはずだ。なんで。
瞬間、頭がもやにつつまれたように思考が働かなくなる。自分の体と意識が切り離されたようにして、体の自由が利かなくなる。体は勝手に遮断機をくぐりぬけ、踏切の中に踏み込もうとしている。体の動きを止めようと反対の方向に体を動かすが、力がおそろしいほどに入らない。やめろ、やめろ、と焦るが声すらでない。自分の意志とは裏腹に、体はまるであやつり人形のようにどんどん、踏切の中に足をすすめていく。冷や汗がとまらない。視界のはしに電車がみえてきた。加速していて、到底この距離では止まれないだろう。なんで、俺、せっかく最近生きていて楽しいと思えてきたのに、なんで、こんな、嫌だ。こんなとこで終わりたくない。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


「どぅrrrrrrrrrrrっらああ!!」

その声を聞いた瞬間、俺は踏切の向こうの道路から何かにすさまじい勢いでぶつかられ、元いた道路にふっとんでしまった。あまりの勢いと腹部にかかる衝撃で、一瞬何かに轢かれたのかもしれないと思ったが、それにしては衝撃が少なすぎるし、当たった面積が少なすぎる気がした。それでも腹部に対するダメージは酔っ払った俺には十分すぎる品物であり、まあ、当然、吐いた。
「おぅうえええ…」
いい年すぎた成人男性が道端でゲロとはなさけない。何か人として大事な物を失った気がするが、まあ、踏切から出れただけで万々歳だった。
すっきりするまで吐き終わると、思考のもやは取れてはっきりしており、体の自由が効くようになっていた。またそれと同時にすさまじく腹部がずきずきしてたまらず腹を抱えうずくまる。あまりの痛さに顔をあげると、その原因がわかった。
…俺の目の前に転がっていたのは赤い金属バットだった。一応テーピングか包帯のようで巻かれてはいるものの、まごうことなき金属バットだった。もう一度言う。金属バットだ。子供がお遊びで使うようなプラスチックのバットではなく、あきらかに重厚感がある存在が、たぶん、フルスイングで向こう側の道路から投げつけられ、俺の腹部にクリーンヒットしたのだ。そりゃゲロも出るさ。そしてそのまま線路を挟んで向こう側の道路をみると、セーラー服の彼女がごっめーんと星でも出そうに握りこぶしをこつん、と自分の頭にあて舌を出している。やめろそれ腹立つ。
「ごっめーん!大丈夫―?」
本当に言いやがったこいつ。そして大丈夫じゃない事くらいこの状態をみればわかるだろう。へんてこキチガイフルバースト少女はごめんごめんと軽く俺の憎しみの籠った視線をいなしながらまたコンビニの袋をさげこちらに歩いてきた。
「ごめんごめん、あなた死にそうだったからさ。咄嗟に」
そういって冷えたポカリスエットを差し出してくれた。正直口をゆすぎたかったので水のほうがありがたかったのだがもらう手前そんなことは言えない。ポカリスエットをもらって口をゆすぎ、そしてごくごくと飲む。酔った頭にポカリは効く。
「ん」
そう言って少女は少し困った顔をしながらポケットティッシュをさしだしてくれた。少しはこの状況に責任を感じているのだろうか。なんにせよありがたい。この少女、悪魔なのか天使なのかどちらかにしてほしいところである。
「いやーまさか吐くとは思ってなかったわー…ごめんごめん」
そういって眉を下げてあやまる彼女は天使に違いなかった。
「でもその歳で路上ゲロとか…正直ひくわー」
前言撤回。このキチガイが。やっぱりこの子は悪魔だ。悪魔に違いない。
「酔ってたのもあるけど…金属バットって…人に向けてフルスイングするものじゃないだろう…」
酔いがかなり覚めた頭で少女を非難すると、少女は既に俺から興味をなくし、踏切ちかくの街灯をじ、っとみつめていた。
「だから一か月はここ通っちゃだめって言ったんだよー。さっき体動かなかったでしょ。影が薄かったのは完全にその人のせいだと思ってた。でもちがった」
「なんでそのこと…」
「さっき見てたんだけどさ、もうあなたの影、元に戻っているでしょ?この間は私がいたからこうはならなかった。でも今回は違った」
「それってどういう…」
「こーいうことっ!」
そう言うと彼女はとうっ!と威勢よくジャンプし、落ちていた金属バットを手に取り、そして

街灯に見事なまでのフルスイングを、決めた。

「あああああ?!」
思わず声が出る。街灯に金属バットなんて振り下ろしたら公共物の破壊で捕まるんじゃないか。前から頭がおかしいとは思っていたが本当にキチガイなんじゃないか、と思っていた矢先だった。

バンっ
帰ってくると思われた音は金属と金属のぶつかり合いとはほど遠い音だった。そう、まるで肉や厚さのあるマットをたたいたような音だった。音につづいて視覚情報が入ってくる。少女が叩いたはずの街灯はそこに濃霧でも発しているようにも見え、そして少女の力ではありえないほど曲がっていた。どれだけ怪力なんだ。
そう思った瞬間、何かの声が聞こえて俺は目を疑う。
「ギャアアアアアアアア!!!!!」
それは明らかに甲高い女性の声だった。しかし人間の発するようなクリアな物ではなく、ひどく歪んだ、まるで電波状況の悪い山中からかかってきた電話のように、聞くに堪えないノイズを含んだギザギザの声だった。
そうしてその声は、先ほど少女が殴った街灯からしていた。何かの聞き間違いかと思ったが、そうじゃなかった。
「ギャアアアアアアアア!!!!ギャアアアアアアアアアア!!!!!アアアアアアアアアアア!!!!」
非常に聞くに堪えない金切り声のような物をあげながら、「ソレ」はまるで苦痛から逃げるようにその巨体をよじらせていた。そう、街灯が苦しむかのようにぐねぐねと動いていた。俺はあまりの出来事に、信じられなくて地面に視線を落とした。
「あ…」
街灯の影はあんなに街灯が動いているのにもかかわらず、一寸たりとも動いてはいなかった。それどころか少女が金属バットで殴ったにも関わらず、曲がってさえいなかった。
「ぎゃあぎゃあやかましい。この野郎」
そう吐き捨てると、少女はポケットから何かを出し、思いっきり街灯もどきに投げつけた。
「ギャアアアアアアアアアアア!!!!」
少女が何かを投げつけると、ぎゃあぎゃあ騒いでいた「ソレ」は最初こそ悲鳴をあげていたもの、段々と力をなくし、最終的に低くうめくようにして何かを言ったあと、完全に沈黙した。そうしてその辺りに部分的にかかっていた濃霧が晴れ、そこには元通りのくっきりそびえ立つ街灯があった。
「…最後の最後までやかましい奴だった」
そう少女は苦々しげに吐き捨てると、こちらに振り向いた。
「何かご質問は?」
そうして悪魔のような顔でにっこりと俺に視線を合わせる。
「…あれ、なんだったの…。何したの君…どうして折れてないの街灯…」
なんだかどっと疲れてへろへろになりながらも何とか彼女に尋ねる。無理もない。あんな現実離れした物をみてしまった後なのだから。
「あり?オニーサンもみえてたの?」
「そりゃあ見えるでしょ!街灯、君が殴ってぐにゃぐにゃに…なんか叫んでたし!なんで元に戻ってるんだよ!」
「あ、そっちかー」
そっちってどっちだ。
「あれねー、前ここで死んだ子が居るっていってたでしょ。その原因」
彼女は実にあっけらかんとした顔でそういいのけた。
「オニーサンにはただのぐにゃぐにゃした街灯に見えていたかもしれないけど、あれ街灯じゃないんだよね。調べてみたら何年も前にここで自殺した女の人がいてさー。それが原因だったみたい。それからぽつぽつ何人かここの踏切で死んでる。最近はなかったからある程度放置しても大丈夫かなーって思ってたんだけど、ターゲット絞ってただけっぽい。要はアレは今までここで死んだ人の固まりが街灯に化けてた奴ですよ」
そういって少女は後ろ手でぽりぽり、と頭をかく。
「へ…つまり、それって」
「幽霊、でもあそこまで行っちゃうと化け物とかに近いかなー」
にへら、と彼女が気色悪い笑みを見せる。
「ああ、だからあの時…」
「そう、だから金縛りにあってオニーサンはあの時動けなかった」
「そうか…幽霊だから…。でも、俺の影はなんであの時だけ薄くなってたんだ?」
「ああ、あれ多分お化けの趣味。オニーサンの事お気に入りだったっぽい」
そうして彼女はニンマリと満足げに笑う。なんでも笑ってごまかせると思ったら大違いだぞ。
「実はさっきバットぶつけたときさあ、オニーサンの体の中にもちょっとアレの影響があったからついでに取り除いておいたんだー」
そうして彼女はひゅーひゅー、とまるで音になってない口笛を吹く。確かに。殴られた後腹はズキズキと痛むが不思議なほど体は軽かった。
「…オニーサンは助けれたけど、彼女は、助けられなかった」
気付くのが遅すぎた、とぼそりとこぼした彼女の視線は、草むらの影の花束にそそがれていた。
「君が言ってたクラスメイトの女の子も…」
「そう、アレにやられた。普段は影が薄くなっている人しか襲わなかったみたい。だから気づくのが遅くなってしまった」
そういった彼女は眉間にしわを寄せて、何かに怒っているようにみえた。たぶん、おそらく己自身に。
「…とっころでオニーサンさあ、やけに飲み込みが早いけどもしかして前もこういう事あったー!?」
急にテンションが変わった少女は前のシリアスな雰囲気をぶっとばす勢いで俺に尋ねた。
「…いや、俺はないよ。今回が初めてだ」
「ふうん、俺は、ねぇ。まるで周りにだれか霊感体質の人がいるみたいな言い方」
そういって猫のような表情をしてみせる。この少女、変なところで鋭い。
「まあ、いいや!そのペットボトルとティッシュはお詫びってことで!弟さんによろしくー!!んじゃねー!」
それだけ言うと少女はハイテンションのまま暗闇の中にダッシュで消えて行った。非常に足がはやかった。
「…待って!どうして弟のこと…」
そう聞く俺の声は猛スピードで暗闇の中に消えた少女には、届かなかった。


「…ただいま」
「おかえり兄ちゃん」
玄関先で弟が若干だるそうに、飯できてるけど、とぼそりと言う。
「さすが我が弟よ、いただこう」
「なにそれなんかうざい」
…さきほどの少女といい、最近の高校生はなぜこんなにも辛辣なのか。涙がでそうになる。
「兄ちゃん、もしかして踏切でセーラー服の女の人に会わなかった?」
おたまをもちながら弟がこれまたぼそり、と言う。
「…なんでその事」
思わず目を見開く。
「…やっぱり。俺もあの踏切に近づいちゃだめって言ったじゃん」
おたまで味噌汁をかきまぜながら我が弟はそうごちる。
「ちょ、お前どこまで知って」
「たぶん全部」
そう、事もなさげに平気で弟が言うので思わず飲んでいた水を噴き出す。
「ぶへあっ!」
「ちょ、兄ちゃん汚い」
何だこの弟、ちょっと兄に対して冷たすぎやしないか。
「あとあの女の人、俺の学校の先輩。同じ部活」
「ぶっふえ!!」
二度目の噴き出しである。そういえばあの制服、どこかで見たことがあると思ったら…
「ちなみに女の人、何か持ってた?」
「…コンビニの袋とティッシュとスポーツドリンクと…包帯みたいな何かを巻いた真っ赤な金属バット」
「…ああ、千歳先輩か」
そう言って弟は味噌汁を味見し、ん、んまい。と満足げに呟く。
「殴られたでしょ、バットで」
味噌汁やほかの食べ物を温めてよそってくれた弟が、湿布いる?と尋ねる。
「ああ…」
殴られたあとをみようとして自分の腹部をみて、あることに気付く。
「あれ?」
殴られたはずの腹部にほとんど跡が残っていない、しいて言えば、すこしぐらい赤みがある程度で、痛みもそれほど感じない。
「あ、兄ちゃんもしかしてもう治った?」
「…そうみたいだな」
「さすが先輩、うまいな」
俺ならここまでうまくやれない、とそう弟がごちる。
「ちょっと聞きたいんだけどさ」
「何」
相変わらず弟の反応は冷たい。なんだか悲しくなってきた。
「あの人がしてくれた除霊ってさ、金属バットで殴る以外方法ないの」
「ない」
きっぱりした肯定がかえってきた。
「あの人がそれ以外でやってるの、少なくとも俺は見たことない」
「ならさ…せめてお前がやってくれるとか」
「努力はしたよ。少しは減らした。でもあれ案外強かったから。先輩クラスじゃないと完全には、無理」
そう言って弟はテレビのリモコンを点ける。
「あの先輩、そんなに強いのか」
「強い」
弟はテレビをぼんやりみながら即答する。
「祓う力は多分一番だと思う。それで俺がみたり引き寄せたりするのが一番。んで総合的な一番は、もう一人の女の先輩」
「ちょっと聞きたいんだけどお前の部活どうなってんの。新聞部じゃなかったの」
「新聞部は別名オカルト探偵部と呼ばれている」
弟はニヤリ、と笑ってみる。
「ちなみに俺含め五人全員ソレ系統の力がすくなからずある」
「やめてその笑い方さっきの嫌な思い出よみがえる」
味噌汁をすすりながらそう返すと弟は不服そうにいつも通りの気だるげな顔に戻った。
「てかなんでそんな部活…」
「秘密」
「なんでソレ系のひとばっかり…」
「それも秘密」
「なんだお前秘密主義か!思春期か!」
「兄ちゃんうるさい」
「はい…」
そう面と言われて、少しへこむ。
「そういえばさあ、お前の先輩に『弟さんによろしく』って言われたんだけど」
「…兄ちゃんあの先輩に何かもらった?」
「ええっと、ポカリとティッシュ」
はあ、と弟がため息をつく。
「ポカリはなるべく早めに飲んじゃって。あとティッシュはなくなるまで持っておいて」
弟は心底だるそうにこちらを見つめる。
「兄ちゃんは見えないけどさ、引き寄せる力俺並みにあるんだよ。だからたぶんその二つは一時的なおまもりみたいな物だと思う」
「うん、それはわかるけど、なんでお前そんなに面倒くさそうな顔してんの?いいじゃん、むしろ」
「あの先輩、きっちり見返り求めるタイプだから…なるべく頼みたくなかった…」
「ああ、弟さんによろしく、ってそういう…」
二人でため息を吐く。
「なんかすまんな」
「いや、いいよ。どうせ俺じゃ負担を軽くすることしかできなかっただろうし」
弟は自分の手のひらをみつめ、開いたり、閉じたりしている。
「あとさ、弟よ、これは俺の憶測なんだが…」
「何」

「…俺この先もあの子となんか縁切れない気がする」
「ああ、たぶん。間違ってないよ」
そう話した後俺と弟は苦々しげに、また二人そろってため息を吐くのであった。

夏、踏切と濃霧と金属バット

夏、踏切と濃霧と金属バット

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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