僕の奥さん

月に何度も帰って来る結婚したはずの弟、千秋を心配する兄。
その原因は千秋の奥さんにあった。
二人の間の秘密。

奥さんを疑う兄春樹と、春樹が認める男、隆一の間に、千秋を守ろうという結託が生まれるが?

僕の奥さん


僕の奥さんは毎日違う。
ああ誤解を産むような言い方をしてしまったかもしれない。
奥さんが変わるのではなくて、……何と言うか人格が変わるのだ。

 昨日は初めて読んだ『ゴルゴ13』に感化されて、一日中眉間にしわを寄せて物凄い無口だった。さすがに近寄りがたかった僕は、子供を連れて実家に帰った。

「何だ千秋、お前また戻って来たの?」
リヴィングに入って来て僕を見つけるなり、兄の春樹が嫌味ったらしく文句を言った。
「……戻って来た訳じゃないよ。避難して来ただけ」
「避難ってなぁ。今月何度目だよ。夫婦仲は大丈夫なんだろうな」
春樹の言葉に、七十を過ぎた両親が心配げに頷いた。
「大丈夫に決まってるだろ。子供二人いるし、今だってもう一人妊娠中なんだぞ」
夫婦仲が安心な証拠、イコール子供の数。そう思っていた僕は、胸を張ってそう言った。
だが、春樹の疑いの目はそんなものでは晴れなかった。
「……じゃぁ何でお前が子供連れてんだよ」
うんざりするような視線を向けながら、そう言った春樹の足下には、二歳の双児が。
「あっ、太郎に次郎っ」
「……普通母親が預かるもんじゃねぇのか?それにそのセンスのないネーミング……愛が籠ってない様にしか思えないね」

 妻の桃子と結婚したのは一年前。
つまり結婚してすぐに妊娠、出産。僕はあっという間に二児の父になっていた。
『あっと言う間』と言うと物凄く無責任な男と感じるかも知れない。
だが実際、子づくりをした二回とも、僕は自覚無しに子種を奪われていた。

 「ねぇねぇちぃちゃん。今、縄師入門っていう本読んでるんだけど」
そういって僕の奥さんは、具合が悪くて寝ていた僕の寝室に入って来た。
「ん……そうなんだ」
「……何か具合悪そうね。大丈夫?」
心配げに覗き込んで来た奥さんは、小柄で、大きな目をしたかわいらしいタイプ。
切っ掛けは本屋でバイトをしていた僕が、常連だった彼女に声を掛けた事だった。
でもまさか彼女がそんな人だったなんて。僕は少しも気付かなかった。

「夕食を終えてからこうなんだ。……だるくて……とっても眠い」
「……そう」
あの時、今思えば…もしかしたら彼女の口元は少し笑っていたような気がする。

次に目を醒ました時、僕は彼女が前もってネットで購入していた荒縄で、不器用にベットに縛り付けられ、局部だけをその束縛から解放されているあられもない姿だった。
「な……っ何?」
「あ、おはよう」
彼女は僕の局部を舌で嘗め上げながら、にっこりとそう言った。
身体中に走る拘束による刺激に、行き場に迷ったもどかしい血流が下腹部をめがけ一気に集まって来る。僕の局部は状況に順応する前に、渦巻くような快感に捕われてしまった。
整理現象と同じような反応の局部を、彼女の肉体が見る見る呑み込んで行く。
激しく、まだ朦朧としていた意識を叩き起こす様に、彼女は僕の上で腰を振った。
そしてそこに愛など一度も思い付かないまま、僕は自慰しているような快感を感じながら彼女の中に精を放った。
(何でこんな……)
余韻を楽しむ事なく、彼女はずるりと抜けた僕の局部をそのままに、僕に優しくキスをした。
「ちいちゃんすっごく可愛かったよ。私今日排卵日なの。きっと私達の子供ができるわよ」
僕の身体から荒縄を外しながら、彼女はとても上機嫌だった。
身体に付いた縄の痕すべてにキスをして、言葉を失ったまま呆然としている僕ににっこりと微笑んだ。
「あなたの子供なら絶対美少年か美少女ね」

彼女にされた事はショックだったが、男なら裸の愛しい奥さんがにっこりと微笑めば、きっと抱き締めたい衝動にかられるのが普通だろう。
「桃子……」
どんな形でさえ、僕らの間に子供が生まれるかも知れないのだ。
本当はもう少し恋人同士の睦まじい時間を過ごしたかったのだが、彼女が欲しがったのなら仕方がない。未来の愛しいわが子の事を思い浮かべて微笑む彼女がとても愛しく思えた僕は、思わず彼女の小さな肩を抱き寄せた。
「…やっ触らないでよ」
(……えっ)
「もう終わったでしょ。……私これから出かけるから」
「え……っだってもう夜中の十時……」
「夜中でも行く所があるのっ」

まるで親に注意された事にむくれる少女の様に、彼女は唇を尖らせながらそう言うと、そのまま部屋を出て行ってしまった。
そして少しするとシャワーの音が真っ暗な僕の寝室に響き、その後暫くして玄関から出てゆく彼女の気配がした。
(……えっと……僕もシャワー浴びなくちゃ……)
僕は置き去りにされた事を何とか自覚しながら、のろのろとベットから起き上がった。

 僕ら夫婦の生活は、彼女が僕を抱きたい時に夫婦の営みが行われる。
彼女は感覚のままに自由に生き、感化された感情のまま、僕を巻き込む。
 『本人不在』とは良く言ったものだが、今になってはそれさえも、もうどうでもいい気がしている。可愛い双児が生まれ、確かにその名前のどこにも二人の字が入ってない事に疑問はあるが、
彼女は苦しい思いをして僕にこの愛しい子宝を与えてくれたのだ。

 「で?千秋はいつ帰るんだ?」
小さな双児を抱きながら、ソファーの上でのんびりとようかんを摘む千秋に、春樹は少し苛立ちながら声を掛けた。

 弟の千秋は二十三歳にして二人の子持ち。それに奥さんは十歳も年上の変わり者。
彼女が『変わり者』なのは、始めて結婚の報告に実家に訪れた時にすぐにわかった。
弟の千秋を見るその目が、妙にいやらしかったのを覚えている。
にこにこと微笑みながら、いかにも純粋そうな純白のワンピースを着て現れたあの女は、両親に見せるよそ行きの顔の隙間に、確かにそのいやらしい視線を横に座る千秋の首筋や指先に向けていた。
騙されているとしか思えなかったが、両親は女の外見と千秋の一目惚れだという情報に惑わされ、ここで春樹が反対したからと言って、話が無くなりそうな雰囲気ではなかった。
だから仕方なく、春樹は嫌な感じを胸に仕舞ったまま二人の結婚に賛同するしかなかったのだ。

だがこう何度も実家に戻って来るようでは、春樹の心配も募る一方だった。

「……桃ちゃんゴルゴ全巻読むって言ってたからなぁ……今帰ったら狙撃されるかも」
「はぁ?何言ってんだ?ゴルゴなんて関係ないだろ」
「あ、……まだ言ってなかったけ?桃ちゃん読んだ本に感化されちゃうと何にもしなくなっちゃうから」
「は?じゃぁ子育てはどうするんだ?」
「今はねぇ、ミルクって言う便利なものがあるからママがいなくても大丈夫なだよ」
(ああ?じゃぁ母親の存在意味ねぇじゃねぇかッ)
「お前なぁ……」
春樹は一人で苛立ち、興奮している自分が、ひどく間抜けに思えて思わず頭を抱えて溜め息を付いた。(だめだ。こいつに何を言っても。……話題を変えよう)
「ああ、そう言えばしばらくこっちにいるなら隆一に連絡してやれよ。何回か電話が来てさ、お前に会いたがってたぜ」
「……隆一って……牧山隆一?」
(ほら。顔色が一気に明るくなった)
千秋は子供を抱いたまま、思わず立ち上がった。
隆一は大学時代のサークルの先輩で、一番仲の良かった友人だった。
卒業以来一度も会っていなかったが、今彼はどうしているのだろう。
結婚したとも何も、噂は流れて来ていなかった。
「え……電話って、いつ?」
「ああ、昨日もあったかな。お前が帰って来る前の夜。……お前はいっつも何の連絡もなしにいきなり帰って来るから、今実家にいる事は伝えてないけど」
「ああ……うん」

興奮して立ち上がってしまった事を恥じる様に、千秋はそう言うと静かにまた、ソファーの上に腰を下ろした。
(俺の可愛い千秋をあんな変態女にやるくらいなら…)
『隆一』の名を出した時の千秋の反応に、春樹は確かな手ごたえを感じていた。

 隆一はカフェのバイト先で知り合った仲だったが、話しているうちに自分の弟と同じ大学で、サークルも同じだと聞いたときは、妙に運命の様なものを感じたものだった。
えらく体格のいい、背の高い男だ。
『いい身体してるねぇ。ラグビーとかやってたの?』
Tシャツを押し上げるような大胸筋に、思わずそう聞くと、隆一は大きな身体を縮めて恥ずかしそうに俯いた。
(あれ?俺何か変な質問した?)
『いや……何もやってないです』
『何だ……。でもこの筋肉は何もやってない訳ないでしょ』
筋トレを趣味にする春樹にとって、隆一の服の上からもわかる筋肉の隆起は魅力的だった。
『あ、これはサークルで……』
『え?サークルって体育会系?どんな筋トレしてるの』
『いや……』
(?訳がわからん。しかも何でこの男はこんなに恥ずかしそうにしているんだ?)
『俺の弟も同じサークルなんだろ。教えろよ』
春樹にひじでしつこく突つかれて、隆一は仕方なくぼそりと呟いた。
『……ウルトラ研究会……』
『は?何?ウル……』
『ウルトラ研究会ですよ。……千秋君も隊員の一人です』
(隊員?)
『ぷッ』
思わず吹き出しそうになるのを、慌てて口を押さえた春樹は、冗談でも言っているのかと隆一の顔を見たが、男の顔は至って真面目だった。
『じ……じゃぁ、もしかしてその身体は……』
『ウルトラマンのあのフォルムを再現したくて……』
(新しいジャンルのおたく??)
『そんなに笑わないで下さいよ、恥ずかしいじゃないですか。……馬鹿にしてるんですか?」
(面白い男だな)
恥ずかしそうに唇を噛むその様子に、春樹は笑いが止まらなかったが、この男が千秋と同じサークルなら大丈夫だろうと、春樹は密かに太鼓判を押した。
 
 千秋と隆一の仲がいいのは、千秋の事を語る時の隆一の様子ですぐにわかった。
兄貴と言う立場を最大限に利用して、弟の事が心配で仕方がないと言いながら、色々話を聞き出すと、隆一は物凄く嬉しそうに、幾らでも話した。
兄の立場としては、任せるなら大学の化粧臭い女よりも、このしっかりした友人の方がずっとマシだった。

(それなのに千秋はあいつを置いてあの変態女の所に転がっちまうなんて)
(弟の趣味を疑う所だが、……まぁそれはおいおいにしやろう)

「久し振りなんだろ。すぐに電話してやれよ。太郎と次郎は俺が見ててやるから」
「ホント?」

 千秋は春樹の優しい言葉に嬉しそうに立ち上がると、子供を春樹に預け、二階の自室へ駆け上がって行った。
「ああ〜んパパぁ」
「パパぁ」
千秋そっくりの小さな双児が、声を合わせて春樹の腕の中でむずがったが、それも千秋そっくりなだけに可愛さも倍増だった。
「たろちゃん、じろちゃん、ちょっとだけ待っててね〜」
(しかし自室の電話を使うとは。ちょい昔の女子中学生かっての。……聞かれちゃまずい話なのか?)
春樹の野次馬根性がぴくぴくと反応する中、その様子を不思議そうに見つめる幼いきらきらした眼差しに、ハッと我に還った春樹は、慌てて優しい叔父様スマイルを作った。
「アンパンマンでも見よっか〜」
遠巻きにその様子をにこやかに見ている両親も、同意して頷いていた。
(ん?アンパンマンなんかあったっけ?……まぁいいか)
千秋の電話の内容は気になったが、春樹は仕方なく可愛い双児の甥を抱えて、テレビのある奥の和室に移動した。

「あ、隆一?……久し振り……」
「千秋の兄さんから聞いたぞ。結婚したって本当なのか?」
懐かしい挨拶を交わす事もなく、開口一番に隆一の口を付いて出たのはその言葉だった。
「あ、……言ってなかったけ?」
「言ってなかったっけ……って」
まるで悪気のない、まるで興奮している自分が道化の様にも感じそうな千秋の声に、隆一は言葉を失った。ふわふわとして、自分の意志と言うものを感じない千秋が、隆一にとって『守ってやりたい』と思わせる対象だったのだが、こんな感情のない一言で簡単に人の思いを裏切れる奴だっただろうか。
「……それはひどいだろう千秋」
(静かに、なるべく落ち着いて話をしよう。男の焼きもちはみっともないからな)
感情に流されて、自分が言いたい事が伝えられなくなるのは絶対に避けたかった。
必ずこれだけは伝えなければ。
「ごめん……言うの忘れてた訳じゃないんだ」
しょんぼりとトーンを落とした声に、少し気持ちが回復する感じを受けながら、隆一は再び問いかけた。
「君の兄さんから聞いて初めて知ったんだぞ。結婚したのも……式にも呼んでくれないなんて」
(呼ばれても絶対に行かないけどな)
「……式はしてないんだ。なんか『埋葬式』とか言うのはやったけど」
「埋葬式?」
「死ぬまで一緒っていう証明みたいな……土に埋められるって言う……」

その事を聞いた瞬間、隆一の脳裏にぱっと千秋の兄、春樹が言っていた言葉が思い出された。
「それって、もしかしてお前の奥さんの発案なんじゃ……っ」
「あ、そうそう。僕の奥さんの事知ってるの?隆一」

『千秋が変な危ない女と結婚しちゃってさ。隆一、お前千秋の事好きなんだろ。何とかしてくれよ』

(ああ、確かにヤバい匂いがするかも……っ)
「それにしたって何でいきなり結婚なんて……好きな女がいたなんて知らなかったぞ」
「僕も直前までいなかったよ。ただ…」
「ただ?」
「出会った瞬間、彼女が黒部進に見えて……」
「はぁっ?」
隆一は思わず、握っていた携帯を地面に落としそうになった。
「黒部進って……初代ウルトラマンをやった俳優さんだよな?えっと……『彼女』だろ?」
「そうなんだけど……」
確かに千秋が歴代ウルトラマンの中でも、得に初代にこだわっていて、黒部進の大ファンだった事は知っていたが、女が黒部進に見えるなんて何処かおかしいとしか思えなかった。
だが、千秋がそう言うのだ。千秋がおかしい訳がない。
おかしいのはきっと女の方に違いない。
「……顔か?その彼女は顔が黒部進に似ていたのか?」
「なっそんなはずないじゃないか。桃ちゃんに失礼だよ」
(桃ちゃん??)
「あ…ああ、そうだな。千秋が一目惚れするくらいだからきっと可愛い子なんだろ」
(……でも黒部進に見えたんだろ)
心の中で毒づきながら、隆一は気を取り直して疑問に戻った。
(顔は似ていないのに黒部進に見えた?どういうことなんだ?)
「……どう言う事なんだ?」
思わず心の叫びが口を付いて出てしまったが、隆一としては結果オーライだった。
自分を捨てた事さえ自覚しない程、その女の何に心を奪われたのか。
それが一番知りたかった。
少しの沈黙の後、ようやく千秋の口から言葉が漏れた。
「何て言うか……雰囲気と言うか……オーラ?それがもうたまらなくって……」
「オーラ?」
(あ……何か昔そんな名前のバンドいたなぁ)
「そうなんだ。……でも桃ちゃんはもっとすごいんだ。タイタニック観た後はディカプリオなムードになるし、花田小年史観た時は、田舎の子供の様にもなれるんだよ」
(なんだそのチョイスは)
冗談のような話に、隆一は話の後半はほとんど聞き流した。
言葉が出ない程隆一は呆れ返ったが、それが本当なら何て恐ろしい女なのか。
しかも彼女の事を話す千秋の声は、多分自分と一緒に愛を囁きあっていた頃よりも生き生きとしていた。
「……そっか……」
(ああ……今レントゲンを撮ったら、きっと俺の身体の真ん中にはでっかい穴が開いているんだろうな)
「隆一の事は今でも好きだよ。でも何か……」
「もういいよ。もう俺に気を使わないでくれ千秋。子供がいるって事は愛し合った証拠じゃないか。俺の事を今も好きだなんて」
「あ……っそれは」

そこまで言って思わず、千秋は口をつぐんだ。
言ったら絶対に桃ちゃんに隆一の鉄拳が飛びそうな予感があった。
「……何だよ?」
「あっいいんだ。とにかく僕は当分実家にいるから、いつでも会いに来てよ」
「えっ……当分って、奥さん大丈夫なのか?」
「……うん。今ゴルゴだから……」
「は?」

千秋は一体どんな女にたぶらかされたのか。
千秋の兄から聞いた話より奥深い影を感じずにはいられない隆一だった。


恐るべし千秋の奥さん桃子!
千秋が本当に幸せになれる日は来るのか?……いや、本当に幸せなのか?
次回、御期待!

僕の奥さん

なんか書いててギャグ漫画みたいだなぁって思いました。
シリーズ化できたらいいと思います。

読んで頂いてありがとうございました。

僕の奥さん

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-12

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