無の笑み

以前書いて、「作家にごはん」へ投稿したものを少々手直し、修正して再度あげてみました。

戦争。

今私達日本国民の頭には、その言葉が思考の大半を奪い取っていた。
いくつも来る敵の飛行機に逃げ惑い、毎日のように落とされる爆弾に怯えた。

少しでも、この危険から逃れたいと思っても女である私はお国のために戦う事は出来ない。
出来る事といったら、家を守り子を守り、非国民と罵られぬよう国の勝利を祈るのみだ。
大日本帝国万歳。
国に勝利を。
口から出るのは、そんな言葉ばかり。
周りの者も皆、同じような言葉しか言わなかった。
でも、それも当然なのかもしれない。だって、私達はそう教えられたのだから。

 何時から教えられたのか。もう思い出せないほど、思考は麻痺していた。


物心着いた時には既に戦争が始まっていた。
学校に行くようになり最初は算数や国語など普通の授業だったが、それも次第に戦争に関してのものに代わっていった。
不思議とも、おかしいとも思わなかった。
幼い私には、『戦争』がどのようなものかなど解らなかったから。
だから、私はその変化を算数が無くなって嬉しい、くらいにしか思っていなかったのだ。

 今だったら、違う。
 算数でも、国語でも、なんだってやる。だから、戦争なんて教えないで。
 知らない事を学ぶ事は嫌いじゃ無かった。
 ああ。でも。
 無邪気な頃の私へ、言ってやりたい。
 
――戦争なんて学ばなくていいのよ。

 周りに、そう言ってくれる大人は居なかった。
 まあ、それも当然だろうけど。


この国がおかしいと思ったのは、いつからだろうか。
十かそこらを越える頃には、もう私は学校や周りへの疑問を持っていた気がする。

厳しく私に道徳を説いてくれた父は、戦地で敵の前で散った。
女の私に野球を教えてくれた上の兄は、消息が不明。
一緒に砂遊びをした弟は田舎の方へ疎開した。

一度だけ母に聞いたことがある。
『戦争は、悪いことじゃないの?』と。
父は私に、争いはいけないと教えてくれた。
それに私には、大好きな父や兄、弟が離れて行ってしまう戦争が良い事だとは思えなかった。

けれど、母は怖い顔をして私に言った。

「そんな事を言ってはいけないのよ」

 強く肩を揺さぶられ、今の事は絶対に外で言わないように、と。
 怖い、けれど何かに怯えるような不安な瞳で、私を見据えながら。

あの時は自分がとても悪い事を言ってしまったのだと、泣きながら母に謝った。
けれど、母はきっと私が外で話すことを恐れたのだろう。
戦争への熱が高ぶるこの国で、そんな事を言えば非国民と罵られる。下手したら、母も一緒に周りから村八分のような扱いを受けるだろう。
 
 いくら幼子と言っても、母の言いつけを無理やり破ってまで自分を主張するきにはなれなかった。
 だから私は口と心を別のものにしたのだ。

口から出るのは教科書どおりの『立派な国民』を模した言葉。

――大日本帝国バンザイ!
――兵隊サン、頑張ッテ!

  心の中には、家族への思いと、戦争をおかしいと思う疑問を唱えた。

 虚ろな目で、ただ母国への賛美を謳う子供。
 なんと不気味なことだろう。

 今に思えば、私は。いや、私達は――母国の傀儡とされていたのかもしれない。

 しかし、当時の自分でも、自分の行いに疑問をもっていたのだ。
 口と心を別にする行為は酷く窮屈で、なんとも言えない不快感があった。

でも、そうしなければいけなかったのだ。
思ったことを口に出してはいけない。
 かといって、家族を奪った戦争を応援する言葉を心から言いたくなど無かった。

私は、私から家族を離して、思ったことすら口に出せぬ『戦争』が嫌いだった。
時間が経つごとに生活は苦しくなり、命の危険が毎日私と母を襲った。
父はいない。
兄は知らない。
弟は会えない。

悲しかった。ひたすらに悲しかった。
早く終わってしまえ。負けても構わない。
 この地獄が終わるのなら、なんだって!

食べ物は雑草。寝る場所は土。
こうなると、私に失うものは命と母。無くなっていくのは、人間としての尊厳。それくらいしか無かった。

けれど、戦争が激化した今。
失うものの内、一つはもう失った。
母は空襲から逃れる最中に、爆撃に巻き込まれた。
立ち止まり、生死を確認することすら出来ない。

そのまま私は人並みに流されるままに逃げて逃げて。
逃げる場所も無い場所へ追い詰められるまで走った。

「――――!!」
言葉の解らない兵士服を着た数人の人が、私に何かを話し掛ける。
いつの間にか、周りで一緒に走っていた人はいなくなっていた。

「――!」
怒鳴られたのだろうか。
大きな声は強く叩きつけられるように鼓膜へ入っていった。
でも、そんな言葉私はもうなんとも思わなかった。
内容がわからない以前に、すでに怖がる心なんて無かったのだ。
唯一、一緒にいた母はもういない。
逃げる場所も無い。
そして生きようとする意欲も、私にはもうなかった。

「――!!」
相変わらず怒鳴り続ける兵士。
けれど、私はそんな彼らを無視して座り込み、懐に手を入れた。

泥や汗で汚れ、くたびれた服が一層私を惨めにさせる。手が硬い物に当たったと同時に、私は自嘲の笑みを兵士へ向けた。

手に硬い物を握ったまま、懐から出す。
もう片方の手を、硬い物の上にあるピンに添えた。

「!?――!」

慌てたように、兵士が駆け寄ろうとする。
でも、私は動じなかった。

目だけを動かし、彼らを見渡す。
そうして、渇いてひび割れた唇を開いた。

 せめて、最後は美しく。
 女として。大和撫子の美を、見せ付けてやろう。

 私は、今生生きた中で、最高の笑みを作るよう。

 頬を柔らかく歪ませた。

 同時に、唇からは爆風を吸い込んだせいでかすれた声が零れ落ちる。

「!!!?」

 慌てる姿は、非常に滑稽だった。
 さっきまでは偉そうに銃を持ち、ふんぞり返っていた者達が。

 クスクスクス――。
 笑い声を上げて、言った。

「大日本帝国、万歳」

直後に私はピンを引き抜く。
目が閃光で潰され、体中が燃えるような感覚の中。
残っていた命が失われていく事。
最後まで心からの言葉を口にすることが出来ずに、人間としての尊厳が空になった事を漠然とした思考の中で感じていた。

 無の笑み

無の笑み

何も意味はありません。
作者の意図、思惑などは一切含まれて居ません。勿論、国家に関する意見などありませんので。

単に、平和っていいよね、と言いたかっただけです。

無の笑み

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2010-08-01

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