雨の向こう

 国道から、細い路地に入り、しばらく山道を登っていくと、広場のような芝生の公園がある。そこに車を駐車し、外に出ようとした男。晴れていたはずの空はいつの間にかどんよりとした雲が漂い、薄暗く風も重く押し寄せていた。
 男は、ハッチバックの車の後部座席から、傘を取り出し外に出た。ここから、少し細い道を進んで行くと、診療所があるらしい。知人の紹介で来てみた山道。こんな所に診療所があるのかと、半信半疑で男は山道を登りだした。
 空は今にも降り出しそうな重い雲に覆われ、緑色の木の葉が嵐が来るのを囁いているかのように見えた。男は傘を片手に、山道をただひたすらに歩き始めた。

 大きな木々の間に、ちょこんと木造の建物。木こりの小屋のような簡素な建物が見えた時には、どしゃぶりの雨が開いた傘の上で跳ね上がっていた。革靴は濡れた土にまみれ、足がどんどん重くなっていた。
「ここか・・・。」
木造の診療所。中は古いログハウスのように木で満たされていて、白衣を着た看護婦が会釈していた。不思議と静寂の漂う診療所。あいにくの雨で、他に患者はいないのだろうか・・・と、傘を傘たてに差込ながら男は首を傾げた。男の知人によると、何でもどんな病気でもたちまちに治してしまう名医がいるとの噂だった。

 促されるままに診察室の中に入ると、丸い回転する椅子。その前に、少し小柄な褐色のドクター。
「はじめまして。よろしくお願いします。」
「こちらへどうぞ・・・。」
ドクターは優しそうな眼差しで肉厚の右手を出して、男に座るように促した。褐色の肌に真っ白い白衣。口元の奇妙な犬歯が気になる笑顔の中年のドクター。
「どうされました?」
ドクターはやわらかい声を出しながら、男の顔を覗いた。男は俯きながら小さい声で呟いた。
「何処の病院に行ってもあまり相手にされないんです。」
男は、常日頃抱えている頭痛という症状について訴えた。もうこの怪しげな山奥の病院しか頼るところはなかったのだ。頭の写真を撮っても、あらゆる心理テストに答えても頭痛は突然に前触れもなく男の心を揺さぶっていた。それもずっと。ずっと。
 ドクターはやさしい笑顔を浮かべながら聞いていた。ドクターの眼鏡の奥の細い目からは柔らかな光が差し込んでいるかのように男の心を溶かし始める。
「気分的なものなんでしょうか・・。」
男はゆっくりと言葉を締めくくった。
さっきまで降り注いでいた雨の音はいつのまにか消え、静寂と眠りのような静けさがいっぱいにたちこめていた。

 どれだけ話をしただろう。

 男は今までないぐらいに、言葉を投げかけ、そして、ドクターはただ頷くばかり。それでも男は話さずに居られなかった。何も反応を示さなくても、何故かすべて聞いて貰いたい、すべて知って欲しい欲求にかられ、男は時間も忘れ、話続けていた。
「今日はお薬を出しておきますね。また改めて、好きな時に来てください。」
ドクターは何故か一言だけ。
それでも男は満足げに言った。
「ありがとうございました。」

 太陽をこんなに気持ちがいいと思った事は無かったかもしれない。いつの間にかあがった雨は大きな虹をつくり、草木に滴った雨の雫は、水晶のように
太陽の光を閉じ込め光り輝いている。男は太陽の光りをいっぱいに浴びて、何故か軽やかな心をともに山を下りだした。
「いったい、何だったんだろう・・・。」
不思議な気持ちを抱え、飛びたちそうな体を抑え、頂いた薬の白い袋を大事に抱えながら笑みがこぼれていた。
「あ!」
なんだか不思議なドクターとの診察で、すっかり心の闇に光りが射した男は、診療所に傘を忘れた事に気がついた。一目散に来た道を戻り、そっと木造の診療所の柔らかな木の扉に手を掛けると、中からひそひそと声が漏れていた。
「人間というものは厄介な生き物だのぅ。」
「今日の人間も頭痛ですって・・・。」
「またぁ・・・?」
男は胸の高鳴りを抑えながら、そっと開けた扉の隙間から診療所の待合室の中を覗いた。
「生きているのが辛くなるらしいよ。」
「人間って長く生きてるって勘違いしてるからなあ・・・。」
「余計な感情ってのがあるんだな。」
「動物って、小さくても大きくても、一生に同じ数だけしか心臓って鳴らないのにな・・・。」
「そんな事も忘れちゃったんだね。人間って。だから時間の観念がおかしいんだね。」
診療所のログハウスのような待合室。オレンジ色の鼻の尖った顔。顔より大きい尻尾。尻尾の先にはふわふわの白い毛。鼻をヒクヒクさせながら、ひそひそと言葉を交わしていた。
「え!?」
男は声を押し殺した。
「キツネだ・・・・。」

雨の向こう

何処に行っても解決しない症状ってありますよね。でも、案外答えは近くにあったりするものです。

雨の向こう

空は今にも降り出しそうな重い雲に覆われ、緑色の木の葉が嵐が来るのを囁いているかのように見えた。男は傘を片手に、山道をただひたすらに歩き始めた。紹介された診療所へ・・・。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-10

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