二年

東日本大震災から丸二年が経ちます。

強くやさしくたくましく、
東北に住む彼らと関わったことがない人は、
行ってみると良い。


震災後2ヶ月目に入ろうとする時期に、ボランティアで
宮城県へ行った私。

「傲慢か」
「欺瞞か」
「エゴか」
「上から目線なのか」
「自分に出来ることは在るのか」
「迷惑なのではないか」
「求められてはいないのではないか」

そんな、気持ちで一杯だった私。

それでも行ったのは、


「そうだったとしても、私は行って何かをしたい。」


そういう気持ちがあったから。



テレビから流れる映像はひどかった。

瓦礫の山
大津波
立ち尽くす人
ぼろぼろの服
避難所の人の山
パン一つ手に入れるのに、並ぶ人々
ほこりの舞う町
そして雪が降っていた
涙をからした人がいた


そこには、絶望があるのだと思った。
そこには、絶望しかないのだと思った。


私は、ここで、
共に絶望しそうになった。
おびえ、苦しみ、悲しみの中に呑まれそうだった。

私が絶望していては、いけないと思った。
私は、そこに居たわけではないのだから、想像に呑まれてはいけない。
私の心は、今、想像上の苦しみに呑まれそうになっている。

それではいけない。

私より苦しい人が何万人と居る。
だから、私がここで絶望に呑まれてはいけない。


私が絶望しないために。

そんな考えだから、私が被災地へ向かったのは、
自分のためだ。


「エゴか」


エゴかもしれない。



だけど、そこは確かに人の力を必要としていたし、
理由は何であれ、人が一人そこへ入ることで、出来ることがあったのだ。



宮城では
人は
絶望していなかった


いや、

絶望している人も居た
怒っている人も居た
悲しみに呑まれている人も居た

ただ、優しさもあったから

私は、出会う人全てから力をもらったのだ。


私は、感謝された
私は、さまざまなことをした
私は、ここまで来なければ出来ないことをした

おとなに会った
子どもに会った
どの人も、最初か、最後に、感謝を述べた

そして、私がまた来るというと、嬉しそうにした



私は繰り返し東北へ行き、
求められることをしようと思った。


二年経ち、今、
前を向いている人と再会する。

まっすぐ顔を上げ、
前を向く、彼ら。

どれだけの悲しみがあっただろう
どれだけの苦しみがあっただろう
振り返らずに居られない夜があっただろう
涙の海におぼれることの意味を、誰より知っているだろう


そして今でも変わらず、
優しいのだ。

だから。



今からでも遅くない。

あなたがあなたにできることを今、することの意味を
私が知っている。

人一人生きている事実を
私が知っている。

一人ひとりが出来ることをやっていけば

全てはうまく行くのだから。




全ての人に感謝を。

ありがとうございます。

二年

最後に残るのは人の気持ちだと、思いました。

二年

2011年3月11日の東日本大震災から、丸二年。 復興は進み、進まず、人の心は回復したように見えてまだ癒えず、 けれども彼らは優しいのです。 私自身の思いを、私自身が忘れないために綴りました。 私はこれからも、東北へ行きます。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-11

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