おやジゴロ(親父心)

 遺族席に座り、弔問に訪れた人達に挨拶をしながらも、俺は親父の棺桶に花を手向ける人達をしきりに気にしていた。

俺は、およそ親戚関係の人とは思えない女性が親父の棺桶に近づく度に、その行動を注視した。それらの女性が親父の髪に触れるかを確かめていた

のだ。

 親父の髪に触れた女性は何処かぎこちなく見えた。周りを見渡してから触れる者、一度はためらって改めて触れる者、中には赤面しているように見えた

女性もいた。

 その後、彼女達は一様に棺桶の中の親父の顔を懐かしそうに見つめ、一言二言何かを語りかけて帰って行った。
 
 親父の最後は呆気ないものだった。肺癌で余命三か月と宣告され入院していたのだが、意識はまだはっきりとしていて話も普通に出来ていた。

 屋上にでも行こうとしていたのか、最上階の階段から転げ落ち、頭を打ってそのまま呆気なく逝ってしまった。

 生前、俺に対し、「自分のことが自分で出来なくなったら、俺は自分から消えるからお前に迷惑は掛けない。だから、お前は好きなことをしろ。」と笑いな

がら言ったことがあるのを俺は思い出した。親父は、自分がもう長くないことを悟っていた。

 俺には将来を約束している女性がいたが、それまで一度も親父には会わせたことがなかった。

 一度は親父に紹介しておこうと思い連れては来たが、いずれは結婚するかも知れないといった様なことは一切言わなかった。まるで、「親父はもう助か

らないよ。」とでも言っている様な気がしたからだ。

 彼女が来ていない別の日、親父が俺に言った。
 
 「彼女を大事にしてやれよ。彼女が本当に思っていることが何なのか、言いたいことが何なのか、心から分かってあげなきゃだめだぞ。」と語りかける様

に言った。

 続けて、「俺は、お前の母さんの本当の気持ちを分かってやれなかった。だから、お前には人の気持ちを心から考えられる人間になって欲しい。彼女を

幸せにしてやれよ。」と、少し淋しそうな目をして言った。

 母は三年前に家を出て行き、それ以来俺は親父と二人で暮らしてきた。

 親父が亡くなる数日前のことだった。親父から、亡くなった後連絡して欲しい七人の女性の連絡先を渡された。そして、彼女達が棺桶の中の親父に対し

てどういう態度をするかを見ていてくれと頼まれた。

 「元々俺は地獄行きと決まっている。だけど、その人達が一人でも多く来てくれると閻魔様が少しは情状酌してくれるかも知れないと思っているのさ。」と

言った。意味が分からなかったが取り敢えず言う通りにすることにした。


       トラウマ 清美(二十八歳、ホステス)
 
 慈詞さんとそうなるのにはたいして時間はかからなかった。何故ならそれは私が望んでいたことだったから。

 「誰か、年上で優しい男性を紹介して。」と男友達に頼んで紹介して貰った相手だったからだ。

 別にパトロン的な相手が欲しかった訳ではない、本当に自分のことを分かってくれる相手を探していたのだ。今度の相手次第ではもう男性を信用するこ

とを止めようと決めていた。

 私は、慈詞さんが初めてお店に来た時から熱いものを感じていた。

 私が話をしている時には、じっと瞳を見つめ静かに頷づき、席を外している時は優しい目で追い私に対する興味を示した。

 決して厭らしくはなく、それでいて熱い視線を感じていた。

 その視線は時にくすぐったかったりもしたが、見られているという緊張感は決して悪いものではなかった。

 何度か二人で会うようになり、私は、慈詞さんに最悪の過去をカミニグアウトした。詳しいことは言わなかったが、初めての体験がレイプだったことを。

そして、今まで数人の男性と付き合いを持ったが、男性に対する不信感と恐怖心は消えなかったことを話した。

 それまで付き合った男性達が考えていたのは、結局自分の肉欲だけで、私自身を見てくれていた人はいないと感じていた。

 慈詞さんとのキスはもう経験済み。アフターでの別れ際のキスが余りにも自然で一瞬だったものだから全く抵抗は感じなかった。                    
 別の日、どっちが誘ったという訳でもなく自然とホテルへ向かった。
 
 慈詞さんは、気まずい間が空かないようにエレベータの中でも軽くキスをし、優しくリードした。

 お店にいる時のように瞳を見つめながら私の体をそっとベッドに横たえた。

 優しく髪を撫でながら髪を分け開く。

 髪に唇を寄せ額に微かにキスをする。

 瞼に触れた唇が耳へと伝い、そっと呟く。「君江はとっても綺麗だよ。」と。

 その口が耳たぶを軽く噛み、尖った舌が耳の穴をくすぐる。

 唇が頬を伝って私の唇にも触れる。

 一度唇を離し、包み込むような目で私を見つめ不安を取り除くように「綺麗だよ。」と再び言う。

 離れた唇を元に戻し、舌で上唇の左右の口角から口角までをなぞる。

 唇は首筋に流れながら軽く肌を吸う。

 指を絡めた手を引き寄せ、指と指の間に肩から腕へと滑らした舌を絡める。

 いたずらな舌は腕から脇の下を弄る。くすぐったい感覚が性的な興奮と結び付く。

 こんな愛撫を今までの男性はしてくれただろうかと私はふと思った。

 指を巧みに操った手が乳房の脇から徐々に乳首に近づいてくる。

 「この人ならきっと私の男性に対する恐怖心を消してくれるに違いない。」という期待感が性的な期待感と共に揚まっていった。

 背中から足先までも丁寧で優しい愛撫が続き、ついに嫌な記憶を呼び起こすあたりに指が触れた。

 私の敏感な部分は優しく触れられる分には心地よいのだが、乱暴にされるとすぐに嫌悪感と共に痛みを覚える。

 慈詞さんは初めから違っていた。

 私の表情からすぐに状況を察し、その時点で得ることの出来る最大の喜びを口と指を使って探っていった。

 男性を迎える部分においては、それ以上に気を遣って優しく接した。

 その時、私は自分のことを心から分かってくれるのはこの人しかいないと確信した。

 一年近くが経って、私の体は何の抵抗感を持つこともなく喜びを感じられる体へと変わった。男性に対する不信感や恐怖心も自然と薄れていった。

 その頃になって、私は、レイプの全様を慈詞さんに話した。

 その日、初めて好きになった男性とハイキングに出掛けた。丹精込めて作ったお弁当を持って。春でもまだ寒い頃だったので、周りに人は殆どいなかっ

た。

 芝生の上にシートを敷き、弁当を開けた。弁当を食べ終わって、私は彼の肩に首を持たれ掛け彼の話を聞いていた。

 彼の顔が私の顔に向いた。私も彼の顔を見上げ、そして目を閉じた。

 その時だった。「いいことしているじゃねぇかよ。」という声と共に見知らぬ三人の男が突然現れた。

 彼は「何ですか。」と言い終えないうちに三人の男に叩き潰された。喉元にナイフを突き付けられ、全く動けなくなった。

 二人の男に力ずくで押えられ、私は犯された。彼はただ泣くことしか出来なかった。

 慈詞さんが言った。

 「よく話してくれたね。本当に辛い話は人には言えないものだからね。確かに、事実は消えない。でも、話せたってことは、もう過去のことに出来たってこ

とだと思うよ。」と。

 それから二度目に慈詞さんに会った時に、いつも優しく私を包み込み励ましてくれた慈詞さんが突然別れを告げた。

 これ以上私の将来を奪えないというのが理由で、きっぱりとした態度で言った。

 「清美はもう大丈夫、出会った時よりずっと綺麗になった。俺がいなくてももう平気。前へ進まないといいこともないからね。清美の人生はこれからだ

よ。」そう言葉を残して去って行った。


       自尊心 麗子(三十四歳、OL)

 どうやってそこまで辿り着いたのか、なぜそこに行ったのかもよく覚えていない。気が付いたら屋上にいたとしか言えない。

 私はずっとブスのレッテルを張られて今日まで生きてきた。当然、誰かと付き合ったこともないし、特定の人と手さえ繋いだこともなかった。

 今まで恋愛の「れ」の字も知ることが無かったが、たまたま会社の打ち上げで終電に乗り遅れた上司に「もう帰るのも面倒だから一緒に泊まっちゃおう

か。」とホテルに誘われ言われるままに付いて行ってしまった。

 その上司も最初からその気で誘ったとは思えないが、成り行きで抱かれてしまった。

 人気のある上司だったし、秘かに憧れていた男性でもあったから、後悔のようなものは全く無かった。

 私にとっては初めての男性経験だった。あまりにも遅い初体験だった。そのことで彼が同情を寄せたのか、或いは興味を持ったのかは知れないが、暫く

はその関係が続いた。

 勿論、妻子持ちなのは知っていたので、目立ないように関係を続けた。

 私は、こんな私でも抱いてくれる人がいると思うだけで幸せだった。

 垂れ目な上に鼻が低く、スタイルもお世辞にもいいとは言えない。おまけに髪で隠してはいるが、額の端に子供の頃の火傷の痕が消えずに残ってい

る。

 その上司との別れは、不意に来た。就業時間を過ぎてはいたが、私は一人で会議室の後片づけをしていた。そこへ静かに入って来て彼が言った。「もう

終わりにしよう。」と。

 その後、色々と彼は話をしていたが、私の耳には全く入って来なかった。

 目の前が真っ白になった。体の力が抜けて倒れそうになったが、その場にはいたくなかった。足が勝手に屋上へと向かった。

 死のうなどとは考えていなかったとは思うが、無意識に下を見下ろしていた。
 
 ビルの屋上から下を見下ろすと、地面が物凄い勢いで目の前に迫って来た。

 「もうこの先、楽しい事なんて何も無い。いっそこのまま楽になってしまおうか。」そんな思いが一瞬頭の中をよぎった。

 その時だった。

 「麗子さん。」と呼ぶ声が後ろからした。ふっと我に返り後ろを振り向いたのだが、声を掛けた人は全く知らない人だった。

 「驚かせてごめんなさい。具合でも悪いのかと思ったもので。」とその人は言った。

 どうして私の名前を知っているのかと不信には思ったが、私は「大丈夫です。」と言ってその場を立ち去ろうとした。

 次の瞬間、「説明させて下さい。お願いします。」とその人が言った。

 「私は、このビルの三階で働いている小山田と申します。実は、地下の食堂街のお店で何度かあなたをお見かけしたことがありまして、同僚の方が麗子

と呼んでいたのを思い出したものですから。あなた方がいつも決まった席にお座りになる後ろが私の定番の席でして。盗み聞きする気なんてありません

でしたが、自然と耳に入ってまして。いつも微笑ましく感じていました。」

 「先程のあなたのご様子が尋常でなく見えたので、思わず名前で呼んでしないました。失礼しました。」と軽く頭を下げ、続けて言った。

 「実は、ここは私の娘が命を絶った場所なんです。そして今日が月命日なんです」と。

 そんなことを言われてもと困惑している私に向かいその人は言った。

 「どうでしょう。私の身の上話を聞いて貰う代わりにあなたの悩みを私が聞くっていうのは。話して頂けませんか、軽く飲みながらでも。」と言い、お猪口を

傾ける仕草をした。

 その後そこで数分立ち話をしたが、悪い人には見えなかったし、一人でいるのが辛かったのでその誘いに乗ることにした。

 お店に入り一通り注文を終えると、その人は、おしぼりの袋を破り私に渡して言った。

 「無理に話さなくてもいいから、話したくなったら話して下さい。では、私から。」

 娘さんの自殺はいじめを苦にしてのものだった。いじめの苦しさは経験した者でないと本当には分かって貰えないと私も思っていたので、とても辛く感じ

た。

 お酒が回ってくると、私は抑えきれなかった思いが一気に噴き出してきた。上司との出会いから今の気持ちまで全てを吐き出した。そして、泣いた。

 それを機に慈詞さんとの付き合いが始まった。不思議なもので私にとっては初めて会った人なのに、全てを吐き出したことで、すっかり心を開いてしまっ

たのだ。

 自分に自信がないせいで、私はいつも自分からブスだからという言い方をしていた。人から言われる前に自分で言うことで傷つくのを防いでいたのだ。

 ある時、慈詞さんが言った。「確かにブスだね。自分のことをブスって言うその心がブスだ。でも心配ないよ。他の人が何と言っても麗子ちゃんはとっても

かわいいから。」

 私は、「心にも思ってないくせに。」と切り返した。すると慈詞さんは私の目をじっと見つめて言った。

 「俺はかわいい人が好きだ。麗子ちゃんを抱きたい。」と。

 その日を境に会う度に慈詞さんと関係を持つようになった。

 慈詞さんはずるい。私が自分で嫌だと思っている箇所をいつも集中的に愛してくる。火傷の痕には特に長くキスをする。

 そして言う。「麗子ちゃんは綺麗だからもっと自分のことを愛してあげようよ。」って。

 半年を過ぎた頃には何となくではあるが、自分が嫌いではなくなっていた。

 慈詞さんの言う「心のブス」を打ち消すことが出来たのかも知れない。私は、少しだけ自分に自信が持てるようになって嬉しくなった。

 別れは突然訪れた。

 「麗子ちゃんはもう大丈夫、出会った時よりずっと綺麗になったよ。自分を好きになれたからもう平気。麗子ちゃんの人生はこれからだよ。前へ進まない

といいこともないからね。」

 そう言い残して慈詞さんは、私の前から消えて行った。


       ファザーコンプレックス 郁恵(二十三歳、OL)

 時計の針はもうじき五時を指そうとしていた。荷物は既に持って帰っていたので、何も乗っていない事務机の前に私は座り、時間が経つのをただじっと

待っていた。

 私は、今日で会社を退職するのだ。一年足らずで辞める自分が情けなく、惨めにさえ思っていた。

 ちょうどそこへ取引先の会社の慈詞さんが入って来た。私は慈詞さんに駆け寄り声を掛けた。

 「わたし、今日でここを辞めるの。」

 慈詞さんは、「そっかぁ、残念だな。だったら、内々で送別会でもしようか。」と言ってくれた。会社としての送別会は無かったのでその言葉はとても嬉しか

った。

 待ち合わせをし、同期入社の子と三人で様々な日本酒が揃っている居酒屋に行った。

 慈詞さんには仕事で散々迷惑を掛けた。発注ミスや納期日の伝え間違いは、二度三度では済まなかったし、ひどい時は自分のミスを初めから慈詞さん

に被せたこともあった。でも慈詞さんは一度足りとも弁解することをしなかった。いつも私のミスを黙って被ってくれた。

 どれ程かは余り覚えてはいないが、結構飲んだ気がする。私は、気持ちとは裏腹にハイテンションで喋りまくった。

 勢い余って、慈詞さんに口を滑らした。

 「わたし、慈詞さんとだったら全然構わなかったんですよ。」と。本心だった。

 居酒屋を出てからもテンションは高いままだった。私から二人を次に誘ったが、同期の子は、「明日が早いから。」と言って帰ってしまった。

 慈詞さんにおねだりをして、慈詞さんが知っているというバーに連れて行って貰った。

 酒のせいばかりではない。慈詞さんには何故か安心して何でも話せる雰囲気があるからなのだ。普段、人には絶対言わないようなことを話してしまっ

た。

 私が、中学一年の時のことだった。

 私は、夜中に喉が渇いて目が覚めた。水を飲もうと一階に降りて行った。

 その時、真っ暗なリビングの中のソファーの上で、パパがママに覆い被さる瞬間を見てしまった。それから急に私の反抗期が始まったことを。

 パパが触った物は汚らわしくて絶対触りたくなかったし、パパが先にお風呂に入ってしまった時には綺麗に掃除をしてから入ったことなど、取り留めもな

く話した。

 終電が近くなってバーを出たが、出てすぐに私は洋服を汚すくらいにまで吐いてしまった。

 電車も無くなり、自宅の場所も聞き出せない私を慈詞さんは、仕方なくホテルに連れて行ったのだと思う。

 ホテルに着き、汚れた洋服を脱がされてベッドに寝かされ時、私は朦朧とした意識の中で叫んでしまったらしい。

 「パパのが欲しい。」

 次の朝、私は、「また迷惑かけちゃった。ゴメンなさい。今度、何かお返しします。」と言って謝り、慈詞さんのメールアドレスを聞いて別れた。

 数日して慈詞さんにメールを送った。

 「この間は、ゴメンなさい。お返しをしたいので、会って下さい。」と。

 ワインパブで食事をし、その後バーへ行ったが、結局、この日の支払いも全て慈詞さんが済ましてくれた。

 私は最初から決めていた。慈詞さんに対するお返しはわたしでいいかしら。当然の成り行きのようにホテルへ向かった。

 私は、部屋を真っ暗にしないとエッチが出来ない。恥ずかしい訳ではない。容姿にだって多少の自信はある。でも、暗くしないと感じることが出来ないの

だ。

 慈詞さんは、私が酔い潰れたあの日から見抜いていたのだと思う。私の潜在意識の中に父親に対する特別の感情があることを。

 そして、それが私の最大の心の葛藤になっているということを。

 それから幾度となく会うようになった。程無くして、慈詞さんは役者を演じるようになった。

 時には父親を演じ、それ以外の時は恋人を演じた。でも、恋人役の時にしかエッチはしなかった。

 初めは変な感じはしたが、同じ人間が父親であって恋人だってことから、次第にどっちの時でも違和感を持たなくなっていった。でも、エッチは恋人とだ

けするものという考えが自然と芽生えていった。

 夫婦だって元々、恋人同士。エッチするのは当たり前。パパとママがエッチするのも当たり前。もうパパに変な感情を持つこともない。やっとそう思えた。

 半年が過ぎた頃には、私は、部屋が明るくても気にしないでエッチが出来るようになっていた。そして、慈詞さんも次第に演じるのを止めた。

 これでやっと、慈詞さんに本当のお返しが出来ると私は思った。

 その頃だった。突然、慈詞さんから別れを告げられた。

 「郁恵ちゃんはもう大丈夫、出会った時よりもっと綺麗になったよ。素敵な恋が君を待っているはずさ。郁恵ちゃんの人生はまだまだこれからだよ。」と。

 私は、大学に入学して以来、ずっと帰っていなかった実家へ久々に帰った。


       依存 仁心(三十二歳、自己開発セミナーインストラクター)

 私は、自己開発セミアーのインストラクターをしている。とは言っても仕事としてやっている訳ではない。

 三段階あるセミナーの上流セミナーを終了した者があくまでボランティアとしてやっていることだ。

 私は、時間がある限りインストラクターとして参加した。この日は、初級コースの第一回目だった。

 初級セミナーでは、まずグループ分けをすることから始まる。

 九十人の受講生に十人のインストラクターを加え、十人単位で十のグループを作る。

 慈詞さんは私の担当するグループに入ってきた受講生の一人だった。このセミナーには、どこか引っ込み思案に見える人が多く来るのだが、慈詞さん

からは少しもそんな感じを受けなかった。

 セミナー中、受講生は指示されたこと以外、一切口を利いてはいけない。インストラクターの役目の一つに、それを監視することが含まれる。

 セミナー終了時には、人前ではおどおどしていた人が堂々と話せるようになり、自信無さ気な人が、目標を持って何かを成し遂げようとする姿勢を持つ

ようになる。

 一回目の全体講義では、「自己解体・再構築」という内容で、己の環境の中から自分を縛り付けているものを洗い出し、自分にとって必要なものだけで

再構築するという作業を、これから体験プログラムを通じて学んで行くのだと説明する。

 体験プログラムの一つ目は、お互いが立ったまま無言で一定時間向かい合い、アットランダムにその相手を変えていくというもの。

 人は一定距離以内に他者が入って来ると防衛反応が働いて心理的に不安定になることから、その状況下での仕草で内的性格や弱点が見えてくる。ま

ず、その感覚を体験する。

 次に、膝がぶつからない距離でお互いが向かい合って座り、片方が相手から受ける印象を一方的に述べるというもの。

 もう片方は、ただ黙ってそれを聞いていなければならない。体を動かしてもいけない。

 慈詞さんが私と向かい合った時だ。このセミナーでは、初めは自分を隠そう、守ろうとする人が多い中で慈詞さんの雰囲気はまるで違っていた。

 私が慈詞さんから受ける印象を話している時に、慈詞さんは、最初は私の目を瞬きもせずじっと見つめていた。

 その後、何か一つのことを言う度に、その通りだよとでも言っているかのようにゆっくりと瞬きをし始めた。私の注意は嫌が上でも慈詞さんの目にいっ

た。

 その時である。その視線を極めてゆっくりと口元に移し、微かに唇を突出し、「キスしようか。」と訴えた。少なくても私にはそう見えた。

 そして、もう一度視線を目に戻し「どうする。」とでも言っているようにゆっくりと瞬きをし、挑発をしてきたのだ。まるで、恋人同士のそれを誘っているかの

ように。

 私の口は止まってしまった。思考が途切れてしまったのだ。「えっ、まさか。目で犯される。」一瞬、そう思った。

 交代の合図で、はっと我に返った。「いったい私、何を考えていたのだろう。」

 慈詞さんは視線を私の目に残したまま次の人に移った。

 全体講義のフリートークでのこと。慈詞さんは、「自分を縛っている殻を破り、自分を再構築するという考え方自体、狭すぎませんか。逆に、一つの枠を

作ることには成りませんか。」と言って講義主任を怒らせた。

 主任は、「お前は何しに来たんだ。」と怒鳴ったのに対し、慈詞さんは、セミナーのモットーを逆手に取り、「体験しに来ました。」と答え、良くも悪くも皆の

注目するところとなった。

 休憩時間、慈詞さんは主任と仲良さそうに会話をしていた。そして、絶対受講生には渡さないという自宅の住所が入った名刺を受け取った。

 主任が自宅の住所を教えるなんてことは有り得ないことだ。どっと受講生が押し寄せてしまうからだ。

 私は、「いったい慈詞さんはどんな魔法を使ったのだろう。」と不思議に思った。

 初級セミナーは、毎週土日、計八回で終了となる。回が進んで行くとグループ内での一体感が強くなり、その日のセミナーが終わった後に皆で食事やお

酒を飲みに行くといったことが普通になる。

 私の受け持ったグループも例外ではなかった。慈詞さんも毎回グループの皆に付き合った。

 そうしている中で私は、慈詞さんに自分のことを話した。実はセミナーに係わることを両親は猛反対していて、快く思っていないことを。

 本当は、自分でも気が付いていた。目標を達成する為のセミナーではなく、セミナーそのものが目標に成ってしまっていて、心はセミナーに依存しきって

いると。

 でも、セミナーでしか味わえない一体感、受講生からの頼られているという充実感から抜け出せなかった。

 毎回、セミナーの最後には課題が提出される。「今日、自分の家に着く迄の間に、見知らぬ人三人に声を掛けること。」などといったものだ。

 課題はだんだん難易度が上がり、最後の課題は「セミナー終了時迄に五人のセミナー受講生を見つけて来ること。」で、終わる。

 課題の人数に足りない人は別室で、先輩インストラクターから助言を貰うことになる。

 慈詞さんは一人も連れて来なかったので、当然強い口調で叱責されることになる。

 ここでも慈詞さんは、「相手は、自分を映し出す鏡、相手の非は自分の非。」というセミナーの教えを逆手に取り、怒っている先輩に対して、「私は、あな

たの鏡です。」と言ってそのインストラクターの口を塞いだ。

 このセミナーは、心理学を基軸とした四本の柱から成り立っていて、ある意味、集団マインドコントロールをしているのに近い。

 体験プログラムの最後に、全員で内側と外側からなる二重の輪を作り、立って向かい合い、相手から受けた印象が悪ければ横を向き普通だと感じたら

握手をし、好印象ならハグをするというものがある。

 一人ずつずれて行き、これを延々繰り返すのだが、初めは握手をしている人が多くても時間と共に殆どの人がハグをする。

 遂に、慈詞さんが私の目の前に来た。私の目には、慈詞さんがセミナーに反発しているように映っていたから、間違いなく横を向かれると思っていた。

 慈詞さんが大きく両腕を広げた。私は引き寄せられるように、その胸に飛び込んだ。何故か涙が溢れ出た。

 セミナー終了後、毎回そうするようにグループの皆で飲みに出た。皆が高揚していた。

 慈詞さんだけを除いて。でも、話の中心にいたのはいつも慈詞さんだった。

 程々に皆が酔ってきた頃、慈詞さんが私を目で誘ってきた。「二人で次行きましょう。」と。慈詞さんの目は人の何倍も物を言う。

 慈詞さんにハグして貰った嬉しさと初日の体験プログラムでの慈詞さんの目の動きに意味があったのかを確かめたくて、躊躇なくついて行った。

 次のお店に着いてすぐ私は、慈詞さんに初日の目の動きのことを聞いた。

 慈詞さんは、「君の思っている通りさ。」とだけ言った。

 多少酔っていたし、話が恋愛系からいつの間にか性的なことに発展していたので、隠す程のことでもないと思い、慈詞さんに「私、今まで一度もいったこ

とがないの。」と打ち明けた。そこからまた飲んだ。

 良くは覚えていないが多分、私から誘ったのだと思う。気が付いたらホテルのベッドの上だった。

 それからは、毎週のように会った。そして、体を重ねた。自然、セミナーには参加出来ない状況が続いた。一旦離れてみると、思っていたほど不安では

ないことに気が付いた。

 私は、別にセックスが嫌いな訳ではない。それなりに感じることも出来る。でも、世間で言うところの「いく」という感覚が実感として感じたことが無かった

のだ。

 もう一生無いのだろう、とは思ってはいたが、一度は経験したいという気持ちは内心あった。セックスでのそれが原因で私から離れて行った男性も中に

はいた。

 慈詞さんと関係を持ち始めて一年近く経とうとしていた。セミナーからはすっかり足が遠のいてしまった。

 慈詞さんは知り合いの男性の勧誘でセミナーに参加したのだという。恐らく、その男性のセミナーへの依存度に危機感を感じて参加したのだろう。暫くし

て、その男性も姿を見せなくなった。

 ベッドの上では、慈詞さんは愛撫をしながら毎回私の体のあらゆる所を探ってきた。ある意味変態に近かったかも知れない。でも、その一生懸命さが嬉

しかった。

 そんな或る日のこと。慈詞さんの舌先が偶然私の眼球に触れた。突然、体の中を電流が走った。

 私は思わず後ろに仰け反った。

 それを慈詞さんは見逃さなかった。そのからは慈詞さんは私に、眼球への愛撫を適度に施しながら私の中心部分と結び付け、そこを開拓していった。

 「慈詞さんなら、もしかして私を本当にいかしてくれるかも知れない。」そんな期待が湧き揚がった。

 そんな風に私の体が徐々に開拓されていった或る日、遂に来た。その瞬間が。

 ぞくぞくとした快感が高まっていく。子宮が熱い。子宮がキュッキュッと窄まって、目の前が白くなった。体は仰け反り、足先がキュッと曲がった。体が浮

いているような気がした。

 私は少しだけ怖くなって、体を引こうとしたが、慈詞さんは私の肩を抑え、より強く入って来た。

 訳が分からなくなった。子宮が痙攣しているようで、慈詞さんが少しでも動くと、それに呼応して強い快感が突き上げた。

 私の体が自分の体ではないかのように感じた。

 「これが、いくってことなの。初めていけた。」と思うと同時に、喜びが湧いてきた。

 それを機に私の体は普通に「いける」体へと変化していった。

 それから暫くして慈詞さんが言った。

 「仁心はもう大丈夫、出会った時よりずっと綺麗になったよ。この先、何かに頼らなくても自分でやっていけるよ。もう、立ち止まらないで。仁心の人生は

これからだよ。」と。

 私の火照った体をそのまま残して慈詞さんは消えた。


       男性不信 奈津美(二十七歳、ホステス)

 高校を卒業して、私はすぐに都内の大手歯科医院に歯科助手として就職した。県内での働き口が見つからなかったからだ。

 同卒の子も一緒だったし、女子寮完備ということで、渋々両親も認めてくれた。

 それまで、秋田から一歩も外に出たことが無かったし、親から離れての生活も初めてだったので、全てが新鮮で楽しかった。

 二年が過ぎた頃に、寮で同室だった子と一緒に二人でアパートに移り住んだ。

 同室の子とは仲が良かったし、生活面でも何も問題は無かったが、その子の彼氏がよく来るようになって、その彼氏が泊まって行く日だけはやりきれな

い気持ちになった。

 三年目に入ろうとしていた頃、私にも彼氏が出来た。患者さんから声を掛けられたのだ。

 三年目とは言え、まだまだ知らない所は沢山あった。彼は、様々な人気のデートスポットに私を連れて行ってくれた

 その彼から、半年足らずでプロポーズを受けた。彼は老舗和菓子屋の長男で、早く結婚して家に入って欲しいと言われた。

 同居の子の彼氏が来た時の夜に、耳を塞ぐことも嫌になっていたので、すぐにそのプロポーズを受けた。

 結婚して一年は無我夢中だった。朝早くから夜遅くまでお店を手伝い、間に食事を作り、得意先を廻ったりもした。姑さんの目をいつも気にしながら。

 夫とは、七つ歳が離れていたが、結婚当初から、「子供はいくら早くてもいい、跡取りを残すのが君の最大の役目だから。」と言われてきた。

 たまの休みで、のんびりしたくても、夫のセックスにお義理でも付き合わない訳にはいかなかった。

 そうして、三年程過ぎたが子供は出来なかった。検査に行って初めて、自分が不妊症だと知った。確かに、昔から生理がひどく、生理の時は外出も出来

ないほどだった。

 二年程、不妊治療に通ったが結果はでなかった。予期していた通りに、夫から離婚を言い渡された。僅かばかりの慰謝料を貰い夫の家を出た。

 「いったい、これまでの私の人生はなんだったのだろう。」そんな思いが膨らみ、とても悔しかった。

 田舎の親は、「早く帰って来い。」とうるさく言ったが、出戻りとして田舎に帰って、その後ただ、畑を手伝っていくだけなのかと思うとすぐに帰る気にはな

れなかった。

 私は、安いアパートを一室借りた。

 多忙で連絡も遠のいてはいたが、病院にまだ残っていた同期入社の子に電話をしてみた。私の一番楽しかった時間が、まだそこに残っているような気

がしたからだ。

 友達だと思っていた子に言われた。「あの頃の付き合いはもう終わったのよ。」と。私は愕然として言葉を失った。暫くは立ち直れなかった。

 同郷の別な子に連絡を入れた。今現在、スナックで夜のお仕事をしているというその子が、「女の子が足らないから、うちのお店に来れば。」と誘った。

他に何も決まっていなかったし、多少興味もあったので、少しの間だけと思って、やってみることにした。

 お店にはすぐ馴染むことが出来た。お客さんから「秋田美人」とか言われ、ちやほやされた。そして、様々な男性から色々な誘いを受ける様になった。

その時私は、一度無くした青春を今から取り戻そうと決心した。

 好みの数人の男性と付き合いを持った。でも、体を求められた段階で決まって嫌気がさした。その段階で男が急に薄っぺらなものに見えてしまうのだ。
 
 本気で好きと思える人と関係を持ったが、子供が出来ない体だと知ると、結局私の元から去って行った。

 私の「女って、子供を産むだけの道具でしかないの。」という思いは次第に強くなっていった。

 セックスは勿論、男性そのものが嫌になりかけていた頃に、慈詞さんが現れた。仕事関係の人とお店にやって来たのだ。

 慈詞とは同じ東北出身ということで、話が盛り上がった。話の途中で慈詞さんが、「田舎へは帰らないのかい。」と聞いてきたが、私は首を横に振った。

そして、子供が出来ないことが原因で離婚を強要させられたことを打ち明けた。

 慈詞さんはその時、私の表情から何を感じ取ったのかは分からないが、突然「何度通ったら食事に付き合ってくれるかな。」と聞いてきた。

 私は、「毎週末金土、一か月、計八回。」と答えたが、正直絶対来る筈がないと思って言った。

 次の週、慈詞さんは来た。そして、その次の週も又来た。その日、私が「アフター、付き合ってもいいわよ。」と言ったのに対し、慈詞さんは、「いや、約束

は八回だから。」と言って帰ってしまった。

 八回目の日、私は少しだけオシャレをしてお店に出た。慈詞さんとはもう気兼ねなく話せるようになっていたし、絶対来ると思っていたからだ。

 でも、なかなか現れない。結局、慈詞さんが来たのは閉店三十分前だった。少しやきもきさせられた。

 「もう、今日は来ないかと思ったわよ。」と私が言うと慈詞さんは、「ゴメン、後で埋め合わせするから。」と言って、深々と頭を下げた。

 閉店と同時にお店を出て、アフターに行った。連れて行って貰ったのは、夫婦でやっている秋田郷土料理の小さなお店だった。

 この日、遅く迄お店を開けていてくれるように慈詞さんが頼んでいたことを、私は後から知った。

 何故かそこでは、私の今まであった色々なことや、今思っていることなどを素直に話せた。慈詞さんは、ただ優しく聞いていた。

 同伴やアフターを何度か繰り返し、ホテルに向かった。慈詞さんに好意を持ち始めていたし、温かいものを感じていたからだ。

 勿論、軽い気持ちではない。慈詞さんなら信じてもいいと思えたからだ。

 でも、その日の慈詞さんは、ただ愛おしそうに私を見つめ、髪を優しく撫ぜ抱き寄せるだけだった。

 私が眠るまでずっとそうしていてくれた。二度目もそんな感じだった。

 三度目の時、慈詞さんが、「マッサージは嫌いじゃない。」と聞いてきた。私が、「別に嫌いじゃないよ。」と言うと、何処からかアロマオイルを取り出した。

 バスタオルの上に私をうつ伏せに寝かせ、手に少量のアロマオイルを零し、冷たく感じないようにオイルを温め私の体に塗った。

 両手で、ふくらはぎを絞り込むように揉み上げ、背中を大きくゆっくりと擦った後、肩から腕へと移っていった。途中、つぼらしき処を何か所か軽く押しな

がら。

 「眠っていていいからね、リラックスしていて。」と言いながら慈詞さんは続けた。ラベンダーの微かな香りが癒しを誘った。

 仰向けになってお腹も揉み上げたが、慈詞さんの手には何の厭らしさも無かった。

 「このままでも平気だけど、少しベタベタするからシャワーで流そう。」と言われ、二人でバスルームに移動した。

 慈詞さんは、ボディシャンプーをスポンジで泡立てると、足の指の間から丁寧に私の体を洗い始めた。

 慈詞さんは、「はい、手を挙げて。次、上を向いて。」などと言いながら、まるで子供の体を洗うように私の体を隈なく洗った。

 全身の泡を洗い流した後、何気に私の両足を開き、私の急所にシャワーを当てた。

「 ここで来たか。」と一瞬思ったところでシャワーを止めた。

 手を引かれて一緒に湯船に入った。慈詞さんは、私を後ろから抱き抱えるように自分のももの上に乗せた。私が沈まないように。

 背中に慈詞さんの固いものを感じた。慈詞さんは屈託の無い表情で私に言った。

 「奈津美みたいな綺麗な子と一緒にお風呂に入っているのだから、こうならない方が失礼だろう。」と。

 ベッドで寄り添いながら、慈詞さんの優しい愛撫に身を任せた。巧みな指使いで乳房や乳首を操り続ける。でも、なかなか下の方には滑ってこない。私

は、我慢しきれなくなって、自分の腰を慈詞さんに押し当てた。

 そんな風に体を重ねていくうちに、私は気付いた。慈詞さんは私をその気にさせ焦らしても、絶対自分からはその先を仕掛けて来ないということを。

 慈詞さんは、私が男から「されている」という感覚を持たないように、後手に後手にと回って接していてくれたのだ。

 そんな慈詞さんとの関係が暫く続き、私は自分からセックスを楽しめるようになっていった。

 次第に、私の根深い男性不信も影を潜めていった。秋田にいた頃の自分を取り戻したような気がした。

 そんな頃だった。
 「奈津美はもう大丈夫。出会った時よりずっと綺麗になった。前向きな自分に戻れたからもう平気。前にさえ進んで行けば必ずいいことに出会えるよ。奈

津美の人生はこれからなのだから。」と、慈詞さんが言った。

 私は、突然のことで戸惑ったが、その時の慈詞さんの話は受け入れられた。

 私は、秋田に帰る決心をした。もう何処にいても自分らしくやっていける自信がついたから。


       価値観 摘美(二十二歳、コンパニオン)

 慈詞さんが来た時は、特にひどい状態だった。体に数個のあざが消えずに残っていて、とても人に見せられた体ではなかった。

 その頃、私はコンパニオンをしていたが、デリヘルと大差のないコンパニオンで、温泉旅館は勿論、呼ばれればビジネスホテルでも出向くことがあった。
 
 旅館での宴会に呼ばれた場合は、いかにお客さんにチップを出させるかが鍵となる。少しずつ露出度を上げてゆき、千円、二千円、五千円とチップをせ

しめるのだ。

 個人的なプレイであれば、一万円を超えるが基本的には、いわゆる「本番」はない。ホテルの場合は、最低二人を同時に呼ぶことが条件となる。

 呼ばれた時間に対応した既定の報酬は支払われるが、お客さんから頂いたチップからも若干割り引かれる。

 その日、慈詞さんは予め予約してあった接待で私たちを呼んだのだ。接待先の人と慈詞さんの部下一人、三人の宴会だった。小広間で一緒に食事をし

た後、慈詞さんと部下が一緒の部屋に移った。

 一時間程、三人で飲みながら騒いだところで、慈詞さんは接待先の人に好みの子を選んで貰い、先方の部屋へ案内した。

 自分の部屋に戻った慈詞さんは、部下にも女の子を指名させた。「後は、お好きにどうぞ。」と言って、残った私を連れて貸切り風呂に向かった。

 慈詞さんが言うには、接待で先方に高い食事をご馳走した後、クラブを何軒か梯子するよりは、女性が好きな相手には旅館にコンパニオンを呼んで、

食事も遊びも一篇に済ました方がむしろ安上がりだということだった。

 慈詞さんは私に、「これは接待だから自分には何もしなくていいよ。」と言った。

 逆に私は、慈詞さんに体を洗って頂いた。体を流し湯船に浸かった後、足だけ湯船に残して二人で腰かけ、暫く話をした。

 体の痣について聞いてきた慈詞さんに私は本当のことを話した。チンピラ上がりの彼の暴力が最近ひどくなってきたことを。

 その彼とは高校の時に知り合った。多少突っ張っていた私は、よく他のグループから呼び出しを食らったが、事務所にも顔を出していたその彼を連れて

行き、そういう奴らを押し黙らせた。

 私は、高校で裏番を張った。学校をサボり事務所の留守番をしていることもあった。事務所の冷蔵庫には、ホルマリン漬けの指が入った瓶が何本も並

んでいた。私は、自分が強くなったと錯覚した。

 高校を卒業してからもその彼との付き合いは続いた。彼が構成員になると言った時、父親は猛反対した。

 今は工事の現場監督をしている父だが、昔はその筋では名が通っていたらしい。その父に「娘と別れろ。」と言われ、彼は何も言い返せず、構成員にな

ることを諦め真面目に働くと言った。

 色々な職に就いたが、どこも長くは続かなかった。そのはけ口は、いつも私に向けられた。「あの時、構成員になっていれば。」といつも責められた。

 でも、私に手を掛けた後は、決まって自分を責め、平謝りに謝り、急に優しくなって私を抱いた。

 彼とセックスをする時は、当たり前のようにドラックを使った。葉っぱやチョコは普通にあった。只、薬は一度ひどく具合が悪くなることがあって、それから

はやっていない。

 葉っぱや粉を吸っていると嫌なことは忘れられたし、セックスの時は時間がゆっくりと流れる感じがして、快感が長く続いた。それもあって、なかなかその

彼から離れることが出来なかった。

 周りの友達からも、「早く、別れたら。」と散々言われてきたが、私に他の男の影が見えると、彼はすぐに出向いて行き相手に脅しをかけた。結局、他の

誰とも長くは続かなかった。

 どこかに「誰かに彼との関係を終わりにさせて欲しい。」そんな思いがあって、慈詞さんに話したのだと思う。

 すると、慈詞さんがポツリと言った。「ほっとけないな。」と。それから度々慈詞さんに会って話すようになった。

 何度か会って慈詞さんが私に話した。自分の娘が中学の時にいじめにあって自殺したということを。

 自殺したその日のお昼に慈詞さんの携帯に娘さんからの電話があったが、慈詞さんは、「今は忙しいから帰ってから聞くよ。」と言い、電話を切ったらし

いのだが、それが娘さんと話した最後になってしまったということだった。自分たちの間に生まれた子供以上に大事なものなんてないのにと慈詞さんは嘆

いた。

 手首には幾つものリストカットした痕があったが、全く気付いてやれなかったらしく、そのことが余計悔しかったと慈詞さんは話したが、そのことで母親を

責めてしまったことを今でも後悔していると目に涙を滲ませて言った。

 慈詞さんは、娘が飛び降りたビルの屋上に立ち、何度か娘に会いに行こうと思ったが、息子もいたし、結局出来なかったと話した。

 さらに、自殺は自分を殺すだけではなく、残された者の心まで殺すから、人殺しと変わらない。絶対してはいけないと続けた。

 私の何気に笑った時の表情が慈詞さんの娘さんに似ていて、このまま知らない顔をしている訳にはいかないと思ったのだと言った。

 慈詞さんを慰めてあげようと思った訳ではない。慈詞さんが私に対して真剣だと知ったから抱かれたいと思ったのだ。その日、初めて関係を持った。

 慈詞さんは、私を娘としてのそれではなく一人の女性として扱ってくれた。

 暫くして、彼の脅しが始まったが、慈詞さんは、少しもひるまなかった。

 慈詞さんの携帯番号を調べ、「今から殺しに行くから待っていろ。」と言ってきた時があったが、慈詞さんは、「分かりました。待っています。」と強く答え

た。

 会社の外で待ち伏せていて、車に乗せられナイフを突き付けられたり、路地に引き込まれ殴られたりしたことも度々あった。

 彼に何をされても慈詞さんは、いっさい返すことをしなかった。彼が慈詞さんの家族の住所も調べ上げ脅しをかけていたので、そっちに迷惑が掛かるの

を恐れていたからだ。

 ある時だった。彼に駅の改札口で待ち伏せをされ、二人一緒に車に乗せられ埠頭に連れていかれた。私は二人共「殺られる」と本気で思った。

 彼が背中に挟んであったドスを取り出して言った。「これが最後だ。別れるのか。別れないならお前を殺る。」と。

 慈詞さんは彼の顔を真っ直ぐに見据えて言った。「殺りたいなら殺れ。最初からそのつもりだ。ただし、彼女は自由にしてやってくれ。」と。

 結局、彼は「最初から俺に言っていれば、なんてことなかったのによ。」と言い残して去って行った。

 その時の本気さは彼にも伝わったのだろうが、私には「殺れるものなら殺ってみろ。」ではなく、むしろ「殺ってくれ。」と言っているように見えた。

 慈詞さんは、私を普通の女の子に戻そうと一生懸命に尽くしてくれた。

 慈詞さんは、私がドラッグ無しでもセックスが出来るように、体全体で相手を感じることを教え込んだ。


 初め慈詞さんは、私の神経を慈詞さんの指先一本に集中させ、触れるか触れない程度で体をなぞっていった。

次第に指の本数を増やし、手の平全体を感じることが出来た時点で足を絡ませ、最後にお互いの体全体を添い合わせ、触れ合うことの喜びを心も含め

て感じることが出来るように私を導いていった。

 私の興奮度が頂上に達しそうになると「愛してる?」と聞いてくる

 私が「愛してる。」と言おうとすると、慈詞さんはワザと強く突き上げるから、私は「あい、うっ、してる。」と声が途切れてしまう。

 「だめ、もう一度。」と言われ、又言おうとしても同じことをされる。

 そうやって慈詞さんは、私を気持ちごと強く引っ張っていった。そんなことしなくても十分愛していたのに。

 慈詞さんは、「セックスはお互いの愛を確かめ合う行為で、心も感覚もピュアにしていた方が感じるよ。ドラッグなんか必要ない。」と私が心から思えるよ

うに仕向けていった。

 そんな日々が続き、ドラッグからもすっかり抜け出し、体の痣も消えかかった頃に慈詞さんが言った。

 「今まで俺みたいなおやじに付き合ってくれて、ありがとう。でも、摘美はもう俺なんかに係わっている時じゃないよ。」

 「摘美を抱いた俺が言うのも変だけど、摘美はもっと自分を大切にして、そしてもっと自分の価値を分かった方がいい。」

 「いくらお金を持っていても、誰も若い時には戻れない。若いってことは、無限の可能性があるってことで、それだけで価値があることだからね。」

 「摘美は元々綺麗だし、その気になればいくらでも男は作れるかも知れないけど、今必要なのは自分の価値を知ることかもね。」

 「男だって自信がある奴はいい顔をしている。女だって自信を持っている子は綺麗に見える。綺麗になれば黙っていても男は寄ってくる。そうなったら本

当にいい男を選べばいい。」

 「絶対に自分を安売りしちゃいけない。自分の価値が分かっていれば安売りなんか出来ないからね。」

 「摘美のことをずっと見守っていてあげたいけれど、俺に摘美の将来を邪魔する権利は無い。でも、俺が死んだ時には摘美が幸せになっていたられた

かどうかを知らせに来て欲しい。そしたら俺は安心して三途の川を渡れるからさ。」

 その方法は、その時、もし自分が幸せになっていたら、自分の陰毛を一本慈詞さんの髪の間に挟んで、お守り替りに持たせてくれというものだった。

 そして、最後にこう私に言った。

 「摘美はもう大丈夫、出会った時よりずっと綺麗になった。自信を持って進んで行きなよ。摘美の人生はまだ始まったばかりだからね。」と。


       絆  妙子(二十六歳、美容師)

 私は復讐の子。復讐が目的で生かされてきた。血の繋がりのない父親に復讐目的で育てられてきたのだ。

 私には生まれた時から母親がいなかった。祖父母と父親の三人に育てられた。母親は私がまだ小さいうちに病気で亡くなったと聞かされていた。

 本当のことを知ったのは高校一年の時だった。家にも度々遊びに来る父の古くからの友人と父との会話から全てを知ってしまった。

 私は父の本当の子供ではなく、母親と別の男性との間に出来た子供で、出産時にそれが父に知れ、実の母親は家を出され私は今の父親に引き取られ

たのだと。

 ただ、私を狂わせた最大の理由は、その父親が私を強引に引き取ったのは、母親に対する復讐目的だったということだ。私が大人の体になった時に私

を犯すという目的の為に。

 私の思考も生き方も全てが崩壊した。友達の家を転々としプチ家出を繰り返した。世間から不良と呼ばれるグループの仲間にも入り心を紛らわした。

 その仲間の一人に処女をあげた。あのおぞましい父親に犯されるくらいならまだましだと思ったからだ。後悔はなかった。

 辛うじて高校は卒業した。早く家を出たい私は寮付きの美容店に就職した。働きながら美容学校に入れてくれるということだった。就職担当の先生が一

生懸命に見つけてくれたところだった。

 多少のバカはやってきたが、不良と呼ばれた私だって先のことを全く考えていなかった訳ではない。もう一人で生きて行くしかないと決めていたから頑

張るしかなかった。

 美容学校を出て資格を取り、五年経って寮を出た。五店舗あるお店の一つで副チーフに抜擢された。

 寮にいて一番辛かったのは、普通の仕事の人とは少し時期がずれるが、お盆や正月休みの時に皆が実家に帰るのに、私には帰る場所がなかったこと

だ。実家に帰ったふりをしてお昼は外にいて時間を潰し、夜はこっそり寮に戻り、明かりも付けずに過ごしたことだ。

 そんなことが原因だろうかいつも私の心には満たされないものがあった。家族という繋がりが本当はどういうものなのか。

 アパートに移り半年して夜のアルバイトを始めた。美容店では絶対禁止だったが、少し外の世界も見たくなったのだ。違う世界の人達にも触れ合ってみ

たいと思ったのだ。

 一年近くでそれはばれた。遅刻が重なったりお酒の臭いが抜けていなかったりしたからだ。ばれて当たり前だった。

 当然、店長から呼ばれて叱られた。店長からは残るように説得されたが、私はそこを辞め夜の世界でいこうと決めた。

 そんな時に出会ったのが慈詞さんだった。ママとは古くからの知り合いらしくお店にも時々顔を出していた。

 何度か慈詞さんの席に付くうちに私は自分のことを色々と話すようになった。慈詞さんの何気ない聞き方がとっても上手だったからだ。いつしか慈詞さ

んに話を聞いて貰いたいと思うようになった。アフターにはむしろ私から誘った。

 そんな或る日、私は父親の復讐の話を慈詞さんにした。すると慈詞さんはその話にはすぐに触れずに自殺した自分の娘の話をしてから言った。

 「血の繋がった親子でも分かり合うのは難しい。心から信じて向かい合わないと伝わらない。相手が誰でも、心の声を聞かなかったら分かり合えない。」
 
 「誰も自分のことを分かってくれないと思いがちだけだけど、それじゃ、自分は相手のことをどれだけ分かっているのかって話でしょ。」と言い、父親の話

に触れ言った。

 「妙子ちゃんの父親がそう言ったのは事実かも知れない。でも、本心じゃないかも知れない。冗談でも言うべきことじゃないけど、本心ならそんなことは

人には言わない。」

 「仮に、冗談だったとしたら、妙子ちゃんのお父さんはとても悔やんでいるだろうし、ずっと苦しんでいると思うよ、弁解も出来ないほどにね。」

 「難しいことじゃないと思うよ、妙子ちゃんが少しだけお父さんに心を開いて話をすれば、本心が見えると思うよ。妙子ちゃんだって本心を知りたいでし

ょ。無駄にお父さんを苦しめてきただけかも知れないし。」

 「誤解が解けて分かり合えるようになるまでには時間がかかると思うけど、信じ合えるようになれば本当の親子になれる筈さ。お父さんは妙子ちゃんに

会いたがっていると思うよ。」そして、慈詞さんは、遠くを見つめて言った。

「 娘の綺麗になった姿を見たかったな。」

 その日、私は慈詞さんに抱かれた。私が、「じゃ、私たちは分かり合える。」って言ったから。慈詞さんは私が父親に会うことを条件にした。

 慈詞さんが会う度に「父親に会ったか。」としつこく言うものだから遂に根負けして会いに行った。

 事実を知った。あの日、父親は友人と母親と別れた時の話をしていて、母親との口論の中で、男に走り私を引き取ろうとしなかった母親に向かって父親

が憤って投げかけた一言だったということだ。

 勿論、本心ではないと言った。たまたま私はそこだけを聞いてしまったのだ。その後の私の態度の変化から、若しかしてそれを聞かれて変に誤解された

かも知れないと思ったらしいが、私には取り付く島もなかったということだった。

 その後の話から私は父親がずっと苦しんできたことが分かった。血の繋がらない私を本当の子供として育てていこうと決心した時の気持ちも知った。

 本当の両親のことを知り、やりきれない気持ちで心が破裂しそうになったが、「お前の親は俺だ。」と繰り返し必死に訴える父親の気持ちは伝わった。

 用事があってアパートには帰ったが、色々な思いが交錯し一人で死ぬほど泣いた。泣いて、泣いて、涙も枯れ果てた時に父親の顔が浮かんだ。私の父

親はこの人だ。

 そのことを慈詞さんに報告してからの数日後、慈詞さんから別れの言葉を貰った。

 「妙子ちゃんはもう大丈夫、出会った時よりずっと綺麗になった。本当に分かり合える人に気付いたのだから。妙子ちゃんの人生はこれからだよ。」

 私は、実家に戻って美容室を開くことを決めた。高校の先生に頼んで美容学校に入れてくれたのは全て父親だったと知ったから。


 親父の通夜が終わり、俺は慰安室でお線香の火が途絶えてしまわないように祭壇を見守っていた。

 たまたま俺が一人になった時に、母親が慰安室に入って来た。母親と会うのは親同士が別れて以来だった。只、連絡だけは取り合っていた。

 俺は、親父が亡くなる前に交わした約束のことを母親に話した。そして、親父が連絡してほしいと言った女性、七人全員がお通夜に来たことを伝え、そ

の女性たちがとった奇妙な行動のことを話した。
 
 母親は、それが何を意味するのかすぐに悟ったらしく、口元に少し笑みを浮かべ、そして俺に言った。

 「それは、お守りよ。男の子が女の子に頼む験担ぎよ。昔の受験生の男の子の間で流行った変な風習よ。」

 まだ分からないというような顔をしていた俺に母親は少し困った顔をしながらも、どういうことをするのかを説明した。

 その後も母親と暫く話をした。姉の自殺が後に残したもの、母親が親父と別れた本当の理由、親父が若かった時のことなど、色々と話をした。

 帰り際、母親は棺桶の中の親父に向かって「慈詞郎さん。」と呼びかけ、七人の女性がしたのと同じように親父の髪を撫でて出て行った。

 俺は、親父との約束を果たすべく棺桶の中で静かに眠る親父に近づき、言った。

 「七人全員、来たよ。皆、お守りを入れていったよ。それと母さんもね。」

 葬式も終わり、親父の骨は、姉の骨の真横に並んで納められた。

 墓石の横に佇み俺は、親父が亡くなる数日前に言った言葉を思い起こしていた。


「一至、幸せになれよ。生きてれば苦しい事、悲しいこと、いっぱいあるさ。でも、それも生きていればのこと。生きていくこと、そのものが幸せだと気付け

ば幸せになれる。俺は、大事な人をしっかり守っていけることが一番の幸せだと思うよ。」




 
 


   

おやジゴロ(親父心)

おやジゴロ(親父心)

心に何らかの問題をを持つ七人の女性達と関係を結ぶ中年の親父は、果たして善人か悪人か?そして、その親父が持つ心の傷とは?幸せとは何かを考えるちょっとしたヒューマンストーリー。文中、幾つかの隠れ親父ギャグを忍ばせてあります。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2013-03-09

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