火の番

 田舎の風習だったのかもしれないが、一昔前は通夜の夜は一晩中誰かがろうそくの番をしていた。
 誰かが死ぬたびに、自分の父親だったり、親戚のおじさんだったりと、誰か彼か大人の男の人が、
酒を飲みながら棺の前にいた。ろうそくの炎を絶やしてはいけないと、そう言われていたし、自分も大人になったら、火の番をすることがいつかくるのだろうと、何故か待ち遠しくなったのを覚えている。

      火の番     

 親父はおじいちゃんの通夜の後、一晩中棺おけの前にいた。「ロウソクの火を絶やしちゃいけねえんだ」と、眠くなって母親と寝室に戻る、幼い俺に教えてくれた。
 その話を妻や親類に話したが、今時の通夜では、そういう事はしないとの答えが返ってきた。だからマチコばあさんの棺おけは、人気のない仏間で、たくさんの花と、白黒のボーダー模様のカーテンと、積み上げられた弔問客用の座布団と、線香の燃えカスに囲まれて夜を越す事になる。
 マチコばあさんとは、実は一度も面識がなかった。一度も面識のない人の通夜や葬儀に出るのは初めての事だ。
 マチコばあさんは妻の祖母に当たる。妻の母親の母親。歳は九十一歳。大往生だ。
 妻は金曜の夜に突然の祖母の訃報を受け、次の日の朝に面倒くさがる子供達を連れ、はるばる北海道は小樽市にやって来た。妻は東京生まれ東京育ちだが、妻の母親は北海道の人だった。
 ちょうど週末に重なった事もあり、仕事を休むことなく通夜も告別式も出れる。だから俺は一度も会ったことのない人の葬式へ、半分旅行気分で出かけた。俺は九州出身で、北海道には足を踏み入れた事がなかった。しかも小樽。寿司で有名だ。俺の頭の中はアワビやら、ウニやら、カニやらと、食い物の事しかなかったと言ってもいい。不謹慎なのは分かっているが、実際会った事もない人の葬式だ。悲しめというのが無理な話だ。しかも死因は老衰、苦しまずにぽっくりと大往生したのだ。むしろ「おめでたい」と言っても差し支えないくらいだと、思ってしまう。自分の父方の祖母と、母方の祖父は、俺が中学生の頃に立て続けに死んでしまった。二人とも似たようなような死に方だった。祖母は胃がんで、祖父は大腸がんだった。六十台で、痛みにのたうちまわり、血を吐いたりしながら、苦しんで苦しみ抜いて、最後はモルヒネで頭がおかしくなって死んだ。特に祖父の時は、介護を手伝う人が少なかったので、まだ中学生の俺が何度となく病院に足を運び、やりきれない気持ちで痰を取ったり、得体の知れぬ臭いを放ったシャツを着替えさせた。後から思うと、きっとその臭いは「死臭」とか、そういった類の臭いだったのではなかろうか。だから人間が苦しみながらゆっくりと痩せ細り、頭がおかしくなって死んでいく様を目の当たりにした。
 妻にとってはマチコばあさんはとても大事な人だったらしい。子供の頃から何度も小樽に遊びに行っては、可愛がってもらったと、話していた。もう十年以上前のことだが、妻はまだ幼い長男を連れて、小樽に一泊旅行をしに行った事もある。ひ孫に合わせたかったのだ。俺はどうしても仕事が休めなくて、家で渋々留守番…、なんてこともなく、家族と離れられる久々の開放感で、友人を集め、ぶっ倒れるまで酒を飲んだ事を、よく覚えている。当時はまだ子供も小さく、何かとストレスが溜まっていたのだ。
 そんな息子も今や中学一年生だ。最後まで俺と一緒に起きていると言い張ったが、午前一時を回る頃に、さすがに眠くなって、二階の寝室に行った。まだまだ子供なのだ。妻と今年で十歳になる娘は、とっくに眠っている。
 義理の父、義理の叔父など、親類達も長男が寝る頃にいい加減に酔っ払い、寝室へ引き上げた。マチコばあさんの実の娘である義理の母も、一晩中一緒にいたいが、これから何かと忙しくなるので、そろそろ休みますと言って、引き上げた。
「明日も色々と忙しいから、、弘光君も早く休みなさい」と言われたので、適当に返事をし、階段をゆっくり上がる義母を見送った。義母もその他親類達も皆六十台半ばに差し掛かる人達だ。さっさと寝た方がいいだろう。徹夜などして体調を崩されたら大変だ。また葬式をしないとならなくなる。
 さて、こうして俺一人になったわけだ。一応、「一人」だが、目の前にはマチコばあさんの抜け殻がある。
 俺は明かりをほとんど消し、昔俺のオヤジがしていたように、ろうそくの明かりだけで、「北の誉れ」という地酒を飲んだ。仕出し料理の残りがかなりあったので、つまみは事欠かなかった。通夜に来たのは老人ばかりだったので、用意した料理もずい分余ってしまった。田舎の悲哀だろう。俺の実家の方も、今や年寄りだらけだ。葬儀や法事なんかで帰るたびに、年寄り達が「順番待ち」のような会話をしているのを耳にする。
 乾いた刺身、生ぬるい寿司、冷めた鳥料理。観光地で、食い物が旨いと評判の北海道でも、仕出し料理というのはやはり味気ないなと思いながら、ろうそくの明かりを見やる。
 別に一晩中ろうそくの火を灯すために起きているわけではない。そういった殊勝な気持ちは持ち合わせいないし、そんな風習も今や無くなりつつあるらしい。そして俺とマチコばあさんの間には、残念ながら深い義理もない。ただ俺は眠くないだけだ。疲れすぎているのかもしれない。
 それにしても不思議だ。目の前に生の死体があり、こんな見知らぬ町の見知らぬ家の仏間で、ろうそくの明かりだけの部屋に一人でいるというのに、まったく怖さを感じない。別に怪奇、心霊を信じているわけでも、恐れているわけでもないが、やはりまともに考えるとこれは、不気味な寒気を感じてしまうシチュエーションではないだろうか。でも不思議と、怖くないどころか俺は今、とても安らかな気持ちだ。
 「死」というものを考える。俺はまだ四十台。いや、もう四十台か?まあどちらにしろ今の所健康で、「死」とはまだまだ縁遠いと思う。だが「死」を遠くに感じない自分がいる。「死」というのは本来身近で、生きるという事の常に背中合わせに存在しているという事を、よく知っているつもりだ。
 この歳になると告別式には何度も顔を出している。主に会社の関係者が多い。だがこうして通夜というものに来るのは実に十年ぶりだという事に、先ほど気付いた。よくまあ十年も、親しい知人や親類が誰も亡くならなかったものだ。
 十年前に通夜に行ったのは友人の通夜だった。「岡田大輔」は三十歳の若さで、妻と幼い子供を残し、つまらない事故で死んだ。ほんの不注意の自動車事故だ。大きな事故でもなかったが、打ち所が悪く、大輔はあっけなく死んでしまった。
 人間というのは突然死ぬ。人間というのは、簡単に死んでしまう可能性を孕んでいる。そういった単純な事実を、痛烈に知ってしまった。俺たちは何をどうがんばっても、死亡率百パーセントの生き物なのだ。
 俺はその時も、大輔の兄と、もう一人の親しい友人の三人で、ロウソクの火を絶やさぬように、一晩中棺の前にいた。三人とも酒は強い方だったが、その夜は幾ら飲んでも酔いを感じなかった。その夜も告別式にも、涙は流さなかった。ただ一週間くらい過ぎてから、遅い家路に着き、いつものように子供の寝顔を眺めていたら、堰を切ったかのように涙が溢れた。大輔にも、オレの息子より一つ年上の男の子がいて、とてもかわいがっていた。仕事が忙しい男だったが、休みの日は子供とべったりだった。だが大輔はもう二度と、幼い子供の寝顔を見れないのだ。そんな事をふと考えてしまい、ようやく俺は大輔の「死」を、現実の手触りのあるものとして感じた。以来、「死」ということについて、ふとすれば考えてしまうことが増えた。
 俺は肌寒さを感じた。それは悪寒とかでなく、単純に気温の問題だった。北海道はこんな真夏でも夜になると肌寒いようだ。俺は自然に暖を取ろうとでも思ったのか、祭壇のロウソクに近づいた。するとやはりこんな小さな炎でも、熱は確かに感じられた。
 ロウソクは近づくと、時々「じりじり」と音を立てているのが聞こえる。そしてロウソクはずいぶん小さくなっている。そろそろ取替え時だ。
 炎は一切揺らぐことなく、ただ無言に、柔らかい明かりを灯している。こうして炎を見ていると気持ちが落ち着く。俺が今こんなに安らかな気持ちでいられるのは、この小さな炎のせいなのかもしれない。
 ふと気が付くと線香が消えていたので、俺は適当に線香をつまみロウソクで火を付けた。線香の先から、青白い煙が立ち昇る。ロウソクの火がまったくぶれないし、煙も真っ直ぐと上に上がる。この部屋には一切風は流れていないようだ。
 煙を見ているとタバコが吸いたくなった。無性に吸いたくなった。ゆっくりと煙をくゆらせたかった。俺はテーブルに誰かタバコの忘れ物でもないだろうかと探した。弔問客の中には何人かタバコを吸う老人がいたのを覚えている。だがテーブルには灰皿すら残っていなかった。灰皿はとっくに妻や義母が片付けていたのだ。そして遅くまで残っていた親類達、誰一人タバコを吸わない。
 禁煙して三年以上経つが、これほどまでにタバコを吸いたいという衝動に駆られたのは初めてのことだろう。俺はポケットに財布があるのを確認してから、こうなったらタバコを買いに行こうと腹を決め、重い腰を持ち上げた。我慢するのも体に悪い。
 だが立ち上がって一歩踏出さない内に気付いた。こんな見知らぬ田舎町で、どこにいけばタバコが買えるのだろう。昼間、娘と近所を少しだけ歩いたが、コンビニ一軒見当たらなかった。自動販売機は見かけたと思うが、今の時代はタバコを買うのに専用のカードが必要だ。俺はもちろんそんなもの持ち合わせていない。駅前まで行けばコンビニくらいあるのかもしれないが、駅までは相当距離があったはずだ。
 俺は仕方なく座布団の上に座りなおし、むすっとした顔をして酒をぐい飲みのおちょこになみなみと注いだ。でも少しほっとしている自分がいた。
「ロウソクの火を絶やしちゃいけねえ」と、誰が身近な人が亡くなるたびに、一晩中炎の番をしていた父も、最近じゃすっかりボケてしまい、ほとんど母の世話になっているような状態だ。ひょっとしたらそう遠くない未来に、俺が父の棺の前で、こうして火の番をする夜がくるかもしれない。そして俺自身もいつか、息子や友人にそんな風に見送られるのだろうか。いや、そんな風習はもう残っていないだろうな。まあやりたければ勝手にやってくれと思うだろう。
 俺はマチコばあさんの遺影を見つめ、酒を煽り、「お疲れさん」と呟き、お猪口を掲げ、乾杯するような仕草をした。そしてほとんど形の残っていないロウソクの炎で、新しいロウソクに火を点けた。凛とした白いロウソクは、ひんやりとした感触を俺の指先に残した。
 今宵の火の番、ぬかりなしと言いたいところだが、横着者の俺は、眠くなったら適当に眠ってしまおうとも思っている。

火の番

火の番

妻の祖母が九十一歳の大往生。オレは北海道は小樽市へと、一度も会ったことのない「マチコばあちゃん」の通夜へ。 不謹慎ながらも、オレの頭の中はあわびやらウニやらと、食べ物のことばかりだった。 今時はろうそくの番をする習慣はないと、妻方の親戚に言われつつも、消えかかったろうそくを取り替える内に、そのままそこで夜を過ごすことになる。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-08

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