暑い部屋

 暑い部屋で、読んでみて下さい。

     暑い部屋            

 窓の外から子供達の声が聞こえる。近所に公園や学校があるわけではないが、この辺の住宅街は、若い夫婦の世帯が多く、だから必然的に小さな子供が多い。世の中単純だ。
 俊樹の背中に、たくさんの汗の粒が浮かんでいるのが見えた。彼はさっきからずっと裸のまま、ベッドで突っ伏すようにうずくまっている。体を離した時はずいぶん荒い呼吸をしていたが、今はもう静かに肩と背中が上下しているだけだ。眠っているのかもしれない。
 告別式は途中で切り上げた。私はその場にいられなかった。周りの視線が痛かった。真一が死んだのは私のせいだと、酷く責められているような視線を感じていた。俊樹が言うように、それは一種の被害妄想で、実際は誰もそんなことを思っていなかったのかもしれない。でも私には昨日の通夜から、今日の告別式の間、ずっと悪意めいた意識のようなものを肌に感じていた。おそらく本当にそう思っていた人間はいたのではないかと思う。
 俊樹は真一と同郷の後輩で、真一が年下ながらに畏怖してしまうくらい、才能溢れる、そして多少風変わりな男の子だった。
 俊樹は通夜の後の食事会や、告別式に置いても、ひたすら明るく、場の空気を壊さない程度に周囲を和ませ、時に笑わせ、悲しみを少し緩和させていた。
 でも私はその気遣いがハッキリ言ってわずらわしく、迷惑そのものに思えたし、そんな行為は間違っていると、ハッキリ思った。今でも思う。悲しいなら悲しいで、思い切り悲しんで泣けばいいと思う。だから俊樹はそんな私の空気を察してか、私にはなかなか話しかけてこなかった。
 私は誰にも何も言わず、皆が黒いバスに乗って火葬場に行く前に姿を消した。喪服なのに、ただ黒けりゃいいと思ったのか、場違いで、ダサい、ヘタするとドレスにも使えそうな服を着た女と出口でぶつかった。真一の友人なのだろうか。私はその女が何故か憎らしくなり、ぶつかった後思い切り睨み付けた。でもその女は私に睨みつけられていることに気付いていない様子だった。そしてその後に私と同じように、黙って会場を後にする男の子がいた。それが俊樹だった。

 子供達がはしゃいでいる。なんの遊びをしているのか分からないし、会話の内容も聞き取れない。ただ数人の子供がキャッキャッとはしゃいでいる声が聞こえる。時々遠ざかったり、また走ってこちらにやって来たり、歓声を上げてすれ違ったりと、とても元気だ。 
 俊樹の頭を撫でた。柔らかい髪だ。真一は固くて太い直毛だった。
 髪の毛は人の性格を現していると、本気で思う。まだ美容師になって一年目。多くの仕事をやらせてもらってはいないが、シャンプーしたり、先輩や、友人をモデルにカットしたりしながら、それぞれの髪質と、性格に、何らかの一致があると思った。
 俊樹はとても繊細だ。だけどこのくせっ毛のある髪のように、多少ひねくれている。だから人に自分の本当の気持ちを見せる事は、まずない。
 俊樹は悲しみにくれている様子も特になく、真一とはそれほど親しい仲でもないような素振りで振舞っていた。実際葬儀に来ていた人間は東京の人間がほとんどだったので、真一と俊樹の関係を知る人間は少なかったはずだ。
 私は窓が全開になっているというのに、気にせずに体を起こした。三階建てのコーポの二階。真向かいのアパートの玄関や、車二台がやっとすれ違えるくらいの前の道から、充分に私の乳房を目にすることが出来るだろう。
 体を起こすと、奥の方に溜まっていた俊樹の精液がどろりと降りてくるのが分かった。その感覚は今まで感じた事のない、不思議な快感だった。
 膣内で射精されたのは、いや、させたのは初めてだった。どうでもよかった。自暴自棄という言葉がよく似合う。妊娠するならすればいいと思った。今はどうだろう?少し不安が残るが、後悔はないつもりだ。今のところ。
 自分の体が精液を搾り取るように、痙攣するペニスを吸い上げるのが分かった。女の体というのは上手く出来ている。人はこうして何万年も子孫を残してきたのだと思うと、感動すらした。そして同時に、こんな時だというのに、人間の男と女は生殖を行えるという事実に、自虐的なコメディのような、悲哀に似た感情を覚えた。
 窓から顔を出した。ベッドが窓際にあるので、簡単に顔を出せる。その動作だけで二年前に通販で買ったパイプベットはギシリと軋んだ。さっきまではベッドが壊れるかというくらい揺れ、ヒドイ不快な音を立て、私自身もこれまでにないくらい大きな声を出し続けた。窓も開いていたし、周りには確実にそれらの音が響き渡っていただろう。
 窓から上半身を乗り出すようにしていたので、乳房が二つ、窓の枠を超えてぶら下がった。大きさも形も自信はないが、こうしてぶら下げるとなかなかのものだと、自分でもうっとりする。
 通りには誰もいなかった。さっきまで駆け回って騒いでいた子供達も今はいなかった。ほっとしたような、少し残念な気持ちが、頭の片隅をよぎる。ずっと向こうに買い物袋をぶら下げたおばちゃんが見えるが、おばちゃんには見られたくない。どうせなら若い男、それも中学生とか、真面目そうな高校生くらいの男の子に覗かれたい。そして彼らが私の裸で、必死にオナニーをすると考えると、なんとも楽しい。
「見られちゃいますよ」
気が付くと俊樹は首だけ持ち上げ、おかしな行動をとる私をいさめるような言い方をした。
「誰もいないみたい。だからいいじゃん」私は体を部屋の中に戻し、俊樹に向き合った。私の乳房のすぐ前に俊樹の顔をあった。
 すると俊樹は何も言わず私の乳首を口に含み、音を立てて吸い付いた。私は再び目を閉じた。


 真一と別れたのは先週のことだった。それほど多くの恋愛を重ねてきたわけではないので、私と真一の交際がどれほど真剣で、別れた理由がどれだけありふれたものなのか分からないが、二十二歳で、専門学校を出たばかりの美容師の女と、ミュージシャンを夢見てドラムを叩いている男の交際は、恐らくは至って平凡なものだったのではないかと、膣内で俊樹の精液を吸い取りながら、そんな事をふと思った。
 今もまた、俊樹のペニスが私の体の中を出たり入ったりしていることに恍惚感を感じながら、そんな事を同時に考えている。セックスに集中していないわけではない。もちろん私の愛液は溢れっぱなしで、擦れたり、突き上げられるたびに、体は悦びを感じまくっている。でも私は同時にいろんな事を考えられる。女とはそんな生き物なのではないのだろうか?女の脳は、一度に色んな事ができる。そんな知識を教えてくれたのも真一だった。
 私はやっと子供の頃から憧れていた美容師になれた。そしてもっともっと自分を磨きたかった。だから恋愛にかまけたくはなかった。でも真一は違った。夢を追う自分の支えになってくれるような女性を探していた、と思う。私はアンタのお母さんじゃないよと、何度か思った事があるくらいだ。
 もっと一緒にいて欲しいと、言われた。やがて一緒に暮らしてみないかと、詰め寄られた。私は自分の事で精一杯なのに、誰かの面倒まで見れる余裕はなかった。仕事はハードだし、店が終わってかは勉強会や、練習があり、なかなか自分の時間をもてなかった。だからせめての休日や、空き時間は、せめて自分のために費やしたかった。疲れを癒し、リラックスを求めていた。でも私は真一と一緒にいても、安息は得られなかった。
 
 今度は私の腹の上に精液を撒き散らした。さっきは私が「中で出して」と、つい懇願するような言い方をしてしまったから、俊樹も仕方なく膣内に射精したのだろう。
 私の上に覆いかぶさったまま、俊樹は息を荒げている。息は強いアルコールの匂いがする。二人で昼間からビールを飲み、ワインを一本開け、さっきまで沖縄出身の同期の職場仲間から貰った泡盛を、水割りにして飲んでいた。でも私も俊樹もなかなか酔えなかった。
 柔らかくなったペニスが私の陰毛の上に、静かに乗っている。それはとても軽いと思った。真一のペニスもこんなに軽かったかと思い出してみる。多分硬くない時のペニスは、やはり軽くかったと思う。
 俊樹は体を起こし、ベットの腰掛けた。そしてティッシュ・ペーパーを乱暴に数枚取り出し、私の腹のぐしゃっと置いた。俊樹はさっきから私と目を合わせない。彼は私から視線を逸らしている。気持ちは、分からなくない。
「真一はさ…」私はそう言って俊樹の細い腕をつかんで体を起こした。「真一ってさ…」俊樹は少し顔をこちらに向けたが、やはり私の目を見なかった。起き上がった時に腹の上にあったティッシュ・ペーパーがベットの下に落ちそうになったので、私はとりあえず腹の上に飛び散った精液をそれで拭った。丁寧に拭き取った。臍の中にまでそれは入り込んでいたので、なかなか手間取った。そしてそんなことをしている内に、自分がさっき何を話そうとしていたのか忘れてしまった。だからティッシュ・ペーパーを丸めてゴミ箱に捨てると、そのまま膝を抱えて黙り込んだ。

 真一は、首を吊る数ヶ月前から、ずい分と行き詰っていた。私と別れる前後も、かなり落ち込んでいた。でも私にはどうすることもできなかった。私は私で自分の仕事があったし、そちらに精一杯だった。
 真一と私は同じ専門学校だった。私は美容、ファッション系。彼はアーティスト系と、あらゆる芸術ジャンルを扱う専門学校だった。
 彼は在学中から、ドラムを叩く事で、実際にギャラを貰っていた。ドラムのクラスの同期の中では、実力はずば抜けていたらしい。俊樹の話を聞いても、田舎にいたころから、かなり有名で、地元の元プロのオジサンたちとセッションをしていたという。
 順風満帆そのものに見えた。いつまでたってもうだつの上がらない私なんかと比べると、真一はずい分早い段階で夢を実現しつつあった。
 でも真一は結局、どこかで壁にぶち当たった。これまで重ねてきた努力など、なんの力にもならないと、いつだか泣きそうな顔をしながら話してたこともあった。
 ある日、真一は二人で入った居酒屋で、愚痴っぽい話を延々と繰り返した。生活費のためにしている、レストランのアルバイト先でもうまくいっていないとか、芸能関係者は腹黒いとか、その辺までの話はなんとなく聞いてられたが、音楽の専門的な話となると、さっぱり分かるはずもないので、私は途中からうなずくのが精一杯だった。すると「ちゃんと聞いてんのかよ!」と、彼は店の中で怒鳴り散らした。彼はそんな怒るような人ではなかったが、どうやらかなりのストレスを抱え込んでいたらしい。でも私にはどうすることもできなかったし、私だって私なりに行き詰ったり、思い詰めることがあり、とても疲れていた。
 そんなことが何度かあった後、私から「もう別れたい」と真一に打ち明けた。すると彼は力なくうなずき、やさしく微笑んだ。その時の顔を忘れられない。草原でライオンやチーターに捕まった草食動物のような、なんとも弱々しい顔だった。
「どうやら君の事をずいぶん傷つけていたようだ。ホントにごめん」というような事を真一は言った。私は真一がとりあえずは穏やかに微笑んでくれたので、幾分ほっとし、軽く談笑して、和やかな雰囲気でその場を後にした。私は別れを乗り越え、すっきりした足取りで、家に帰れた。でもその四日後に、彼はアパートの玄関の上にある、不自然に突き出た梁から首を吊った。発見されたのは、その二日後、急に連絡が付かなくなったので、バンドメンバーが心配して家まで行くと、ドアを開けてすぐに、だらりとぶら下がった真一を見つけたという。蒸暑い最中の出来事だった。鍵はかかってなく、近所の住人は異臭を感じていたという。
 真一の自殺を知った夜、私は友人をカットモデルに招き、練習台となってもらい、黙々とカットに励んでいた。カットが終わり、友人がタダでカットしてもらったお礼にご飯でも奢るというので、勤め先を出てから、近くにある中華料理屋に入って冷やし中華を食べた。友人はレバニラ定食だった。私は訃報を電話越しに耳にしたとき、視線をどこに向けていいのか分からず、とりあえず皿に盛られたレバニラ炒めに焦点を合わせていた。ちなみに私はレバーが苦手だ。あの生臭みや、独特の食感が嫌いだ。突然真一の死を聞かされても、まったくリアリティを得られなかったが、そのレバニラ炒めの、生々しい、グロテスクな印象が、やけにハッキリ、この目に焼き付いている。私はこの先一生、レバニラという名前を聞いただけで、想像とはいえ、ビニール紐からぶら下がった、痛々しい真一の姿を、思い出さずにはいられないような気がする。
 遺書の内容は公表されてないが、告別式で真一の父親が言った話によると、「皆、とてもいい人で、優しい人ばかりでした。ありがとう」という趣旨のことが書いてあったという。式では「自殺」という言葉は言うのははばかれたので、「遺書」という言葉もまた、なんとなく口には出せない雰囲気だった。だから彼の父親の話は、ひょっとしたら真一の遺書とは関係ない話なのかもしれない。
 でもどちらにしろ、彼は皆良い人で、優しかった、というような事を、遺書か、もしくは言葉で誰かに伝えたのだろう。
 皆は真一の父親の悲しみにくれる挨拶を聞きながら、うんうんとうなずいていたが、私には真一がそんな事を書いた、もしくは言ったということに、激しく胸が痛む。
 真一は正直言ってそんな出来た人間ではなかった。両親も公務員で、田舎でもかなりレベルの高い進学校通い、そしてドラムの腕前は同年代を遥かに凌いでいる。そんなエリート特有の鼻持ちならない部分をもっていて、わがままで、思ったようにいかないとすぐふてくされ、いつも誰か彼かの悪口をぶつぶつと言っていた。そんな真一が「優しい人達に感謝」をする。それは真一ではない。それを言った、もまたは書いた時の真一は、完全に心の病気だったのだと思う。

「誰のせいでもないって分かっているのに、なんだか自分が真一君を殺してしまったかのような気がするんだ」俊樹はうつむいたまま、突然告白するように口を開いた。それからグラスに残っていた泡盛の水割りを飲んだ。すっかり氷は溶けていた。
「前の日の夜、電話きたんですよ」
俊樹はそう言ってからまた口を閉ざし、床に転がっていたタバコを拾い、火を付けてゆっくりとタバコを吸った。私はその間ずっと黙っていた。私もタバコが吸いたくなったが、手を伸ばすのが面倒だったし、彼の次の言葉を早く聞きたかった。
「最近どうだ?って、普通に聞かれてたから、近況を話して…。あ、俺この前初めて作曲の仕事貰ったんですよ。小さな劇団の舞台で使うBGMと、オリジナルのテーマソング。ギャラは超安いけど…」
「うん」私はうなずき、言葉を待つ。
「それでそんな話をうれしそうにしたら、『へえ、オマエは頑張ってんだな…』って。でも俺その時真一くんが何か困ってるなんて微塵にも思わなかったよ。ずっと上手くやってるもんだと思ってたし。だから俺、無神経に自分の話ばかりして…」
「俊樹はなんも悪くないよ…」言ってから、なんだか安っぽい慰め文句だなと思った。でも他に言葉が見当たらなかった。
「そう、そう思うけど、なんか、なんつーか…」
 私はタバコに手を伸ばした。口にくわえると彼は黙ってライターの火を付けてくれた。
 窓から微かな風が流れた。外は曇り空。相変わらず蒸暑い梅雨空が続いている。でも私の部屋のエアコンは三日前から調子が悪くなって使えない。明日、大家さんが電気屋さんを手配してくれる予定だ。
「真一ってさ…」私はまた何か言おうとしてから、やはり口をつぐんだ。俊樹もそんな私に何も尋ねない。気遣っているのか、自分の事で手一杯で、聞こえていないのか、どちらなのか分からない。
「真一って…」と、今度は独り言として呟いたつもりだった。でもその時、また外を元気に駆け回る子供たちの声が聞こえ、私の言葉はやはり途切れたままだった。
 ふと俊樹を見ると、背中に浮いた汗が、いくつかの筋になって流れていた。部屋はとても暑かった。

暑い部屋

暑い部屋

真一が、ある日突然首を吊った。真一との交際は二ヶ月前に終わっている。自殺の原因は、ひょっとして自分にあるのかもしれない。同じ気持ちを抱えた俊樹と、私は思わぬ時間を過ごすことになる。

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  • 短編
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-06-08

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