人間不信

不信号

 「信用できない・・・」

 田中真紀子は小さく呟いた。
 先ほどまで自分の隣にいたサラリーマン風の中年男は、まだ信号が赤だというのに横断歩道を渡り始めていた。
それを見た大学生風の男や主婦は左右から車が走ってくる気配がないことを確認すると、何かそわそわと足踏みをし始めた。
田中はそんな彼らを背後から睨みつけた。そして、近くにいた小学校低学年の女の子と歩道橋へと続く階段へ順に視線を移した。
 何故彼らはこんなにも見っとも無いのだろうか。田中真紀子はふと思う。
確かに信号が赤色の時に渡るか、渡らないかは自己責任を持って決めればいいことだとは思う。轢かれたければどうぞ好きにすればいい。
しかし、仮にもまだそういった自己責任能力を持つことのままならない子供のいる前でそういった行動をすることはどうなのだろうか。これは話しが変わってくる。
まだ彼女らは年齢的に未熟で、友達が自分の欲しいオモチャを買ってもらっていたことを理由に親にオモチャをおねだりしてしまう程の思考しか出来ない理性的にも精神的にも脆弱な人間なのだ。
そんな彼らがもし同じような思考回路で、大人の人が赤信号の時に信号を渡っていたから私もいいのかな、とでも思い、目の前の迷える憐れな子羊のようにそわそわとし始めたらどうだろうか。そして、渡ってしまったら。
もしもその子が突如高速で走る車にでも轢かれて亡くなってしまったら、誰がその事故の責任を取ってくれるのだろうか。
もしもその子を不注意で車で轢いてしまった人は、自分の抱いた罪悪感をどう処理すればいいのだろうか。
もしもその子を失った親は、その悲しみをどこに解消すればいいのだろうか・・・。
 田中真紀子は脳内で様々な負の可能性を吟味すると、その原因を作り出す彼らに嫌悪感と苛立ちを覚えて更に睨みつけた。
しばらくすると、大学生風の男は横断歩道へと足を運ぶ始めた。まだ信号は赤だというのに。
前をみると、先ほど信号を無視したサラリーマン風の中年男は、何か向こう岸で信号を待っている人々を少し見下しつつ、自慢げな横顔をして颯爽と歩いていた。
 田中は息を漏らす。そして再び思考し始める。
 この中年男、大学生が信号を無視して手に入れたいものとは何だろうか。
時間?それは嘘だ。確かに1、2分という時間は信号を待つ者と比べて信号無視した者の方が多少手に入れることが出来るだろう。
しかし、所詮1、2分だ。仮に信号を待っていても目的地へと少し早歩きすれば手に入れることの出来る程度のものでしかない。
では、彼らが手に入れたいものは時間ではなく一体何なのだろうか。
 田中は大学生風の男を見る。やはり彼の表情も、どこか達成感に満ちた、テカテカとした表情をしていた。
・・・そうか、彼らが手に入れたいものは時間ではない。
優越感。他者と比べて自由気ままに行動できる自己への陶酔。そんな自分を見る好奇な視線と、嫉妬。
そういった見っとも無い空気を彼らは味わい、喜んでいるのだ・・・本当に見っとも無い。
 呆れる。
 田中は中年男と大学生に侮蔑な目線を送ると、隣にいた小学生風の女の子を見る。
もしも彼女が目の前の主婦のように信号無視をして渡ろうかとそわそわしている状態になっていたらどうしたものかと心配になったのだ。

 「はぁ」

 小さな溜め息が下の方から聞こえて来た。田中はその溜め息の主を突き止めるためにキョロキョロと首を振ると、先ほど隣にいた小学生は肩を撫で下ろし、横断歩道へと足を運び始めていた。
田中真紀子はハッと気が付いた。そういえばここら一帯の小学生は横断歩道ではなく歩道橋を経由して常に渡ることが義務付けられていたではないか。田中自身も地元の小学校に通っていた頃、毎日歩道橋を経由して通学していたことを思い出す。

 「信用できない・・・」

 またしても田中は一人、宙に呟くのであった。

人間不信

中学生の頃こんなこと考えてました。
シュールな空気とあるあるみたいなことを感じてもらえれば幸いです。

人間不信

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-08

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