俺☆ライター
ちょっと辛目のパスタソースを飲み干し、俺は店内を見回した。
薄暗い店内はアジアンテイストでまとめられ、巨大な木製の人面像がひときわ存在感を示している。
昼食には遅く夕食には早い時間帯だ、空席もちらほらある、いるのは買い物ついでに旦那に内緒でチョコパフェを食べる奥様方くらい。
しかし弱った、食べ終わってしまったじゃないか、四時には来るって言っていたのに。
俺は店員から必死に目をそらしながら、徐々に混みつつある店内で時間を潰すしかなかった。
「すみませーん、すみません、すみません、遅れてすみません」
険しい表情で人面像を凝視していると、嵐のようにちょっとぽっちゃり系の若い女性が店に飛び込んできた。
こちらを見つけると、小走りでやってきて正面の椅子に座った。
「すみません、ちょっと前の仕事が長引いてしまって」
「いえいえ、コーヒーでいいですか?」
「いや、昼食まだなので、すいませーん、注文いいですか?」
あいかわらず、いつでもフルパワーだな。
注文を出していると言うよりも、メニューを片っ端から読み上げてると言った方が近いくらいの勢いで、次々にウェイトレスに食べ物の名前をぶつけている。
「ええと、さっそく本題に入りますね」
もう本題だ、やばい、ちょっと油断していた。
「今回の連載なんですが、来週で打ち切りということでお願いします」
ん、あれ、おかしいな、まだ一ヶ月くらいしか経ってないはずだけど。と疑問の表情を浮かべる間もなく、
「いや、残念なんですよほんと、残念です、でもこれを見てください、この人気調査結果、開始からずっと最下位です、断トツの、ぶっちぎりです、0の週もありますよね『おもしろい』が」
まあ、確かに、出された紙ではそうなっていた。
「はあ、でもまだ始まったばか……」
「でも大丈夫!」
ひときわ大きな声が、店内に響き渡った。
「いえ、なんでもありませんから」
とりあえず、周囲に愛想を振りまいておく。彼女は、全く気にしていないが。
「大丈夫です! ちゃんと次の手があるんです! これです!」
と、出されたフルカラー印刷の紙には、こう書かれていた。
評論家の限界に挑戦! えっ! ここで書いたの!? すぺしゃる!
「なるほど、ね」
しかし、俺も評論家のはしくれ、そう簡単に色物に成り下がるわけにはいかない。プライドというものがあるのである。
「もう一度、もう一度だけでも、勘弁してくださいよ~」
「無理ですよ、不可能です、むしろこの東京タワー展望台の上の鉄骨部分で、巨乳アイドルの栄枯盛衰について書く企画も、ぎりぎりだったんですよ、なんとかねじ込んだんです」
そうか、実はまんざらでもなかったんだ、俺、書ければ何でもいいんだ。そう思うことにした。
気がついたら、東京タワーの展望台に来ていた。
普通に考えれば、せめてエレベーターに乗ったくらいでは気付くだろ、そう思うかもしれないが、ほんとにただ連れられるままにやってきてしまったのだ。無意識だ、瞑想状態だったのだ。
もちろん、ただ連れられていたわけじゃない、ちゃんと考えていたさ、巨乳アイドルと言っても、乳以外の売りの部分では、千差万別だなとか、そうは言っても、乳以外何も無い事も多いよな、とかな。まあ、それでなんとかなるだろ、内容的には。
「さ、はやく、こっちですよ、時間無いんですから」
今日は、風が強いな。
「さ、早く書いてください、締め切りは今日の六時ですからね!」
あと一時間しかない、どう考えてもありえないことだが、やる以外ない、俺はしがないアイドル評論家。
「あれ、俺の愛機の電源が入らないんだけど」
「まったく、なんなんですか? ほら、これ」
原稿用紙とボールペンだ、さすが敏腕編集者。
「でも、原稿を送信できないよ、どうする?」
「半に出れば間に合いますよ、早く書いてください!」
そんな、ばかな。ええ、と、巨乳、巨乳、みんな胸のことで頭が一杯、と、あああっ!
飛ばされた、原稿用紙が、俺の出だしの名文が。
「はい! いただきました、いまの決定的な瞬間、証拠写真はこれでいきます、あとは何でもいいから書いてください」
「あ、ああ」
うれしい、よ、お役に、立てて、ぐふっ、ごはっ、ごほっ。
むせた、なんか無性に涙が出る、俺……、何のために……、会津若松から……。
……ん、なんかいま向こうの空に不規則に動く物体が見えたような。
「あれは? あれはなんだ!」
「ええ? なんですか、ごまかされませ……、はうっ!」
奴はそこにいた、黒い翼をはためかせ、真っ赤な目で俺たちを見ていた。
遥か遠いけど、俺にははっきり見えた、視力は1.2だから。
「なんでしょうか? 不気味ですね……、でも今は早く書いてください、あと五分で」
いや、おかしいだろ、どう考えてもあっちの方がネタになるだろ、しかしこの視線には逆らえない俺である。
うおおおおっ! 書いた! 俺、書いたよ! おっぱいのことたくさん書いたよ!!!
なぜか書けた、俺はすごいのかもしれない、内容はこれといって無いと思うが、書けたことがすごいはずである。
「じゃあ、私はこれをコンビニでFAXしますんで、今日は解散です。おつかれさまでした」
彼女は、鬼の形相で階段を駆け下りていった。
まったくえらい一日だ、俺はしばらく呆然と鉄塔に吹きつける強風に吹かれていた。
「今日は涼しいよなぁ」
そう聞こえた、隣から野太い声がした、たった今。
なんだ、悪魔か。
と一目見て思っていたら、
「あ、今こうもりかって思ったでしょ、よく間違えられるんだけどさ、悪魔だからおいら、よろしくね」
と言ってきた。
あっていたのに間違っていたみたいに思われるのはちょっと心外ではあったが、あまり事を大きくしたくなかったので、
「ああ、そうなんだ」
と言っておいた。
悪魔はにっこりと微笑み、こっちを見ながら隣をふわふわと飛んでいる。
「あっ、でもなんで、ああ、うん」
思わず話しかけそうになった、危ない、何事もなかったように無視して帰ろうと思ってたのに、うっかりなんか聞こうとしてしまった、だって隣にいることに違和感が無くなっていたもので。
「あ、わかった、なんで服を着てないかって事でしょ、でもおいらは逆に聞きたいんだ、なんで服を着るのかってね、だって羽と尻尾が窮屈でしょ」
特に聞こうとは思ってなかったけど、なるほどと思った、でもこれ以上はやばい、早く帰りたい。
「じゃ、俺はこれで」
「あっ、もう帰るんだ、またね」
悪魔はそう言って手を振った。
なんだ、あっさりしている、待てぃ! 命を置いていけ! とは言わないまでも、もうちょっと夕日を見ていようよ、くらいは言うかと思った、デビルマン的な意味で。
まあとっくに日は沈んでるから、夕日を見れることはないけどな。
俺はすんなりと東京タワーを降り、家路についた。
ただ、タワーを離れるとき、
「連絡してねーっ」
と聞こえたような気がしたが、風のざわめきだったかもしれない、そう思いたかった。
都営三田線に揺られていると眠くなってくる、腹も減ったけど眠い方がやや強めだ。
おおう、やばいやばい。
乗り過ごすところだった、でも不思議と乗り過ごさないもんだ、いつも降りる駅にはそんなアピール力があると思うよ。
晩飯が面倒なので、コンビニでおにぎりを二個買った。具は中トロと野沢菜だ、たまたま目に付いたからでこだわりはない。
部屋に入りおにぎりを食べながらテレビを見ていると、アニメが突然報道センターに切り替わり、臨時ニュースが始まった。
「本日午後七時頃、東京タワーの特別展望台上で、手を振っている全裸の男が発見されました。男は年齢二十代くらい、痩せ型で自分は悪魔だと主張しているとの事です。東京タワーを運営する日本電波塔株式会社では、警視庁と連携し事態の解決を……」
どうなってんだ、見てわかりそうなもんだったけど、悪魔だって、他の人にはわからないんだろうか、不思議だ、まだ映像は来ていないみたいだな、お、映った。
かなり映像が乱れているようだが、電波塔の近くだからか。
ああっ、これは!
俺!
どういうことなんだ、俺が全裸で絶叫している、これはやばい、もし編集部に見られたら、って見てるだろこれは、それよりもし家族に見られたら、いや見てるよな、同級生も近所の人もみんな見てる、やばいやばい。
プーピープー、プーピポプー。
さっそく携帯が鳴った、もしもしっ! 俺違うから! 他人の空似だから! ほんと、これはほんと。
次から次へとかかってくる、ひっきりなしだ。
どうにかお袋にはわかってもらえたみたいで、まあ一安心だ、かなり狼狽していたが。
さすけねぇ、さすけねぇがら! を連呼し、なんとかなだめた。
しかしこれは大変な事だ、きっとあの後、奴が俺に変身した訳だ、理由はわからないが。
とにかく現場へ、いやそれはやばいか、じっとしているべきか、いやしかし、あああ悩む、どうしたら。
ピンプーン。
うお、誰かきやがった。
とりあえず、携帯の電源を切って、と
「はいはい、どなたですかな?」
「すいません、警察のもんですが」
なんと、もう警察にタレこんだやつがいるとは、俺はああいうことをしそうだと思われてるってことかーっ! まあ妥当かもな、おっぱい評論家だし、なによりあいつの見た目俺だし。
でも俺はここにいるわけだから、問題ないだろ。
「はーい、お勤めご苦労様です」
玄関先には、ごつい警官とダンディーな警官の二人がいた。
「ああどうも、すいませんね、お忙しいところ」
ダンディーな警官が、深々と頭を下げた。
「いえいえ暇ですよ、ははっ、大変ですねぇ」
「実は、あなたが東京タワーで暴れていると通報がありましてね」
ごつい警官が、神妙な面持ちで言った。
「ははっ、わたくしはここにいるじゃあないですか、変なことを言う人がいますねぇ」
安心しきって軽く受け答えをする俺。話せば簡単にわかることだよねっと。
「妙なことを聞きますが、最近東京タワーに行かれたことは?」
ダンディーな警官が、キラッと目を輝かせて聞いてきた。
ん、ちょっと雲行きが……。
「いや、実はさっきまでいたんですけどね、ははっ、ちょっと仕事で」
警官たちは、目で合図している。
いや大丈夫だろ、正直が一番だろ、何の問題も無いだろ、なあ、そうだろ、ああ、やばいのか? やばいの? ねえ、やばいの?
「実は、こんな写真もありましてね」
これはっ! 俺が原稿を風で飛ばしたときの写真! あの女! おかしいだろ、雑誌に使う前に通報するっておかしいだろ、いやむしろ国民として当然の事? 義務を果たしただけ? いやいや、おかしいだろ! 俺的に。
「あ、ああ、それはわたくしですが……」
別に悪いことはしていないが、なんとなく残念な気分になる。
「すみませんが、ちょっと、一緒に来て頂けますか?」
ダンディーな警官が、にこやかな顔でさらっと言った。
「え、ああ、なぜですか? 別に、おれ、わたくしは何も、わかりますよね、いや、確かに怪しいのかもしれませんが、今暴れているのはわたくしとは無関係なわけでして……」
「いえ、わかっておりますとも、ただこれは公表していない情報なのですが、実はあの男が携帯番号聞くの忘れてたよ、としきりに言っておりましてね。何か思い当たる節はありませんか?」
なんということだろう、仕方が無いのか、悪魔め、悪魔だけに悪魔か、悪魔に魅入られた男か、俺はしぶしぶパトカーに乗り込んだ。
再び東京タワーの展望台上に舞い戻った俺。
しかし、全裸の男一人移動させることもできないとは、日本の警察は一体どうなっているのか、この税金泥棒という気にもなる。
「では、よろしくお願いします」
促された、俺任せだ、こんなことがあるか、せめて相手に呼びかけるくらいはするだろ、仕事として。警察なわけだから。
「あ、ああ、ひっ、ひさしぶり」
勢いですぐ声を掛けてみた。時間をかけたらもっとつらくなると思って。
それにしても、緊張がひどい、人がたくさん見てるし、別にやつと親しいわけでもないし。
でも、やつは親しげにこちらにやってくるじゃないか、おかしいなぁ。
「来てくれたんだ、よかった、携帯の番号聞いてないのに気がついたときは、どうしようかと思ってさ。名前も聞いてなかったし、仕方がないから君の姿になって他の人に聞いてたんだ、この人知らないかって。でもさ、みんな逃げてばっかりでね、変態とか言って、それでしまいには捕まえようとしてくるからさ、カエルになってもらったよ、まったく困ったもんだよ」
困ったもんなのはどっちなのか、警察の皆さんバカにしてすみません、それなら仕方ないですよね、がんばったんですね、そう思った。
とりあえずカエルになった人を戻してあげてよ、みんな家族もいるし、ローンもあるんだよ、責任ある立場なんだよ、と説得しどうにか受け入れてもらった。
しかし、一体こいつは俺に何を期待しているというのだろう。
それにしても、さっきから悪魔はずっと喋りっぱなしだ、悪魔も楽じゃないって事か、日頃の鬱憤が溜まっているのかもしれない、魔王の八つ当たりとか、死神との軋轢とか、そういうのがあるのかもしれない。
「まあ、いろいろあるさ、そろそろ帰ろうか、ここも閉まるし」
もうかれこれ二時間ほど経過している、展望台は十時で閉まってしまうのだ。
「うん、そうだね、あ、でもちょっと待って、ミニチュアのタワー買いたいから」
すっかり観光気分か、でも金あるのかね。と思ったら、案の定俺が払う羽目になった。
いやわかっていたよ、でもちょっと期待していた、悪魔でもそれくらい心得ているかもしれないし、それにたくさん人いるし、誰かいるだろって、あ、ここはわたくしが、って人がさ。
「いやあ、かっこいいよね、この赤と白のバランスが最高だよね」
まあ、こんなに喜んでくれればいいか、まだ原稿料入ってないけど一応仕事したし。
「じゃあ、今日は君んちに泊まるね」
ああ、うん、多分そうだと思った、警察も逮捕とかはしないらしい、できないということか、関わりたくないとうことなのか、どういうことなのか、わからない、仕方がない、仕方がないことばかりだ。
何やら強い圧迫感を感じながら目が覚めた。
「おいおい」
そうだった、悪魔がいたんだ、俺の六畳一間のアパートに。
悪魔は、俺の昔の原稿を俺の腹の上に載せ、隣で寝ていた。
まあ、悪魔だもんな、これくらいで済んでよかったよ、そう思うことにした。
今日はこれといって何もすることはないけど、多分仕事がもう来ない気がするんだ、今までのことを考えると。
だから職探しでもするかな、悪魔はほっぽっておいて。ということで、早速求職情報誌を買い込み、アルバイトの面接へと出かけた。
「ああ、ええと、今までは雑誌のコラムみたいなものを書いてました。ええ、内容ですか? まあ、巨乳とか……、えっ、ああ、巨乳です恐竜じゃなくて、巨乳、おっぱいの方、ええ、そうです、ああ、いえ、すいません人気の方もさっぱりで。いや、何でも構いませんよ、ああでも体力には自信がないです、え、資格ですか? いや、特には、運転免許も無いです、はい、特技は、そうですね、グラビアアイドルの心得について三時間語ることでしょうか、なんなら四時間でもいけますよ、がんばります、そうですか、はい、また」
やはり、厳しい世の中だ。
「どこ行ってたんだよ、お腹が空いたから、天井板を食べちゃったじゃないか」
そっか、悪魔が材木を食べるって知らなかったけど、これは俺の不注意だな、仕方がない。
「ちょっと仕事を探しに、ね」
「なんだ、仕事ならおいらが紹介するよ、魔王が召使を探してたからさ、ちょうどよかったよ」
なるほど、確かにちょうどいい仕事なのかもしれない、誰でもできそうな簡単な仕事だし俺みたいなやつにはお似合いだ、しかしそれは無い、普通に考えて無事では済まないだろう、って言うか死ぬだろ。
「どう? おいらはいいと思うんだ、月給は四十四万四千四百円で、住み込み、三食付き、有給休暇もあるよ」
何? そうなのか、それは揺らぐな、いや、これは悪魔の誘いってやつじゃ、いやしかし、その条件なら、いや、ああでも、ううむ。
一時間後、俺は魔王の前にいた。
正直言って、条件に目が眩んだんだ、だから言ってやったよ、志望動機は条件のいい仕事がしたかったからです、ってね。
嘘ついても無駄かと思って。
魔王はにっこりと微笑んで、
「ククク、悪魔を信じるなんてね、ククク、ほんとうにおバカさん」
と言ってくれた、好感触だ。
ちなみに魔王は、新橋にある小料理屋『魔宮』の二階に住んでいた。
「不景気よね、助かるわ、悪魔にとってはね」
だそうだ。
こうして俺は、小料理屋に住み込みで働くことになった。
なぜか悪魔も同居している、まあ仕事を紹介してくれたし、仕方ない。
朝は六時起きで準備して、昼にランチメニューを出し、いったん閉店して夜六時から再び開店、深夜一時まで営業だ。
聞くところによると、来る客はほとんど悪魔なのだそうだ。見た目は、普通のサラリーマンに見えるけど、実は悪魔で、不景気な時ほど繁盛するらしい。たまに人間も来るけど、それはそれでOKとのこと。
「いらっしゃい、ご注文は?」
「おお、あんたテレビで見たよ、なんだっけな、道頓堀に飛び込んだ人だったっけか、おいおいあんまり無茶すんなよな」
「いえ、まあ、似たようなもんですがね、はは、ビールと卵豆腐ですね、はい」
そんな感じで、意外と滞りなくやれている。
魔王はたまに店に出てきて、
「いらっしゃーい、今日も悪魔達の宴、盛り上がってるかしらん、ウォッカ一杯500円よーっ!」
と叫んで、ウォッカを振舞っている、本人が好きらしい。
別に無料サービスではないところが、魔王らしいともいえる。
一ヶ月ほど過ぎたある日。
「おいら、そば屋をやろうと思うんだ」
突然、悪魔が言った。
いや、別に止める理由も無い、でも唐突じゃないか、なぜそばなのか、そう尋ねようとした刹那。
「たいへんだよ! あんたたち!」
魔王が、青い顔をさらに青くして飛び込んできた。
「あ、なんでそばなのか聞きたいんでしょ、でも教えてあげないよ、へへ、企業秘密だからね」
いや、今の時点ではそっちじゃないだろ、ちょっと気になるけど、悪魔は周りを気にしないタイプだからな。
「どうしたんですか? 魔王様」
「ああ、たいへんなんだよ、でもその前になんでそばなのかを聞かせておくれよ、お願いだよ」
そっちだったのか。
しかしここで悪魔は粘りに粘った。どうしよっかな~教えてもいいんだけどさ、秘密だからな~そんなに簡単には教えられないよ~え~そんなに聞きたい? 聞きたいの? ほんとに聞きたいのお~? そしてついにこう言った。
「悪魔は、いつもあなたのそばにいる」
静かな時が流れた。
「そうだ、それどころじゃないよ、大魔王様が来るんだよ、この店にっ!」
魔王がはっとした表情で言い放った。
なるほど、よくわからないけど大変だ、やばい、死ぬかも、本能的にそう思った。
「そっかぁ、久しぶりだな、また飴くれるかな」
悪魔は全く恐れていないようだ、むしろ喜んでいる。
「まあ、あんたは気楽でいいやね、ただ一つ言えることがあるよ、それは……」
魔王は俺の顔をじっと見ている、哀れむような目で、まさか。
「おまえさん、お気の毒だね」
やっぱり、まあいつかは逃げる必要があるとは思ってた、今までよく頑張ったよ、俺なりに。
「じゃ、じゃあ、俺、この辺でっ」
ガラガラガラ
「おう、来たぞい、ちと早かったがな」
うおお、来ちゃったー!
「あ、あああ、だだ、大魔王様、あ、明日じゃ、ああしあたじゃ」
「わりぃ、わりぃ、わしも年じゃからな、早めにでちまう癖が付いておってな。んん、なんじゃいおまいさんは?」
やばい見つかった、もう死んだ、俺、できるだけ苦しまずに、できるだけぇ~。
「あ、あの、俺っ、魔王様の、めし、めしつか、飯たき、いや、めしつか」
「そかそか、召使いなんか、頑張っとくれよな、期待しとるでな」
あれ、いい人じゃないか、なんだ。
「ところで、あれは用意してあるかねぇ?」
大魔王は、にこやかに魔王に問いかけた。
「い、いえ、こ、これか、これから、仕入れ、よう、か、と」
大魔王の表情が一瞬曇った。
「まあ、わしが早すぎたんじゃな、いや、わかっとるよ、わかっとるがすぐに仕入れに行っておれば、いや、わかっとるよ、忙しいってな、じゃがわしが来るってな……」
「あああ、申し訳ございません!今すぐ行ってまいります!」
魔王は血相を変えて、飛び去っていった。
俺も、背中が汗びっしょりだ。
「まあ中で待たせてもらおうかの、ほれ、土産じゃ」
大魔王は、俺と悪魔に飴玉をくれた。
ビー玉ほどの大きさで、深い紫色の中に光と闇の渦が入っているような不思議な色合いをしている。
悪魔は、
「わーい、ありがとう」
と言ってすぐに舐め始めた。
俺も、
「ああっ、ありがとうございまっす!」
と裏返った声で言った後、すぐ口に入れた。大魔王がちらちら見てる前じゃ、迷っている暇なんてないからね。
まあ……、普通の……、飴…………、ふぁっ、ふああーっ、やばいやばい、なんか、眠く、眠くなんか、ないんだから、うそ……、眠い……、ふぅ。
ん。
自分の部屋だ、自分のと言っても小料理屋の二階に間借りしているわけだが、一応俺の部屋だ、正確には俺と悪魔の部屋。
そんなことより寝ちまった、大魔王が来てるっていうのに、これで事態が大きく進展してたら大変だ、俺は全速力で一階に駆け降りた。
「あ、起きたんだ」
悪魔が普通に言ってきた。もずく酢をつまんで、オレンジジュースを飲んでいる。
「ああ、うん、何か変わったことあった?」
悪魔は、にっこり微笑んだ、そしてこう言った。
「まあ変わったことといえば、キミがおいらにそっくりになったってことかな、まあ驚くようなことじゃないけどね」
何? まさかっ、まさかっ! 俺は洗面所に行って鏡を見た、しかし誰も映っていない、まさかっ。
「ああ、悪魔は鏡に映らないから、そそっかしいなぁ、それは人間用に置いてあるんだ」
いや人間だろ、俺、今までそう思ってた、違ったっけ、いや、そうだろ、なあ。でも、顔を見ることはできないけど、体付きは確かに、確かにっ! あ・く・まっ!
俺は走った、大魔王なら、大魔王ならなんとか、なんとかっ!
「あのっ、おっ、俺っ!」
「おお、目が覚めたか。どうじゃ? 悪魔の仲間入りした気分は? わしのプレゼントは気に入ってもらえたかのう。ほほ、ほほほ」
「ととっ当然でございますわ、大魔王様、ずっと待ち望んでおりましたもの、この日が来ることを、ねえ、そうでしょ、あんた」
いつの間にか魔王が帰ってきていた。
そういえば、大魔王は何か食べてるみたいだが、あれを仕入れてきたわけか。
しかし……、グロい……、うまそうに食べてるが……。
とにかくそれどころじゃない、悪魔から戻して! はやく人間になりたい! って言わないと。
「いや、俺、悪魔……」
「わしもなぁ、大魔王になる前は苦労したもんじゃよ、魔界のドラゴンと争ったり、神界とひと悶着あったりしてなぁ……」
「ですよね~、ささ、もう一杯どうぞ」
微妙に言い出しづらい雰囲気だ、かなり重大な話とはいえ、もし万が一機嫌を損ねたりしたら、今度こそ……、という気もしてくる。
でもっ、でも俺はっ、こんな時はっきりと言える! そんな男だ! 原稿を落としたときもはっきりと編集者に、間に合いませんでした! と言ったし、打ち合わせに遅れたときも、電車が混んでいたので! と言った、それにパチンコ代を貸してほしいときも、一万円貸してください、返す当てはないけど、お願いします! と言ったんだ。
「俺はっ! 悪魔っ! 悪魔より人間に戻して欲しいです! よろしくお願いします!!!」
言った。
思えば学生時代に、活動写真同好会で上下関係を叩き込まれた俺は、とりあえず大声を出せばいいということを学んだ。その経験がこんなところで生かされるなんて、世の中とは因果なものである。
大魔王も魔王も悪魔もこっちを見ている。
やばいのか? 大丈夫なのか? やばいのか? 大丈夫だろ、希望的推測に傾きかけたその時。
「ほう、ほっほっほ、ほほう、そうじゃったか」
「ま、まあ、そこまで言うなら、な、わしもな、考えてやらんでもな、うん、ああ、もう一杯もらおうかな、うん、そうか、まあ、方法はあるがな、うん」
魔王は完全に固まっている、もう死んだ、俺。
「やっぱり優しいよね! 大魔王は!」
悪魔が言った、ナイスだ、俺も悪魔だけど、こっちの悪魔は俺の命の恩人となった、今まさに。
「ふおおおお!」
突然、大魔王が立ち上がった、ぬおお、ダメなの? ねえダメなのぉぉおおお!
「これでよかろ」
大魔王は再び椅子に座った。
ん、あれ、おお、戻ってる! おおお、俺は走って洗面所の鏡を見た。
にーんげーん!
いーいーなーいーいーなーにーんげんっていーいーなー。
思わず口ずさんだ。
そこへ魔王が現れ、鋭い眼光を放ちながらこう言った。
「あんた、クビね」
あら、でも死ななくてよかった、その安堵感からクビぐらいどうってことない、そう思えた。
「そっかぁ、しょうがないよ、悪魔にならないんじゃね」
悪魔はにっこり微笑んだ。
俺は走った。
今までの給料と、退職金代わりの金一封で当座は凌げる、そのことが俺を強くしてくれる。
「たまにはメールしてねーっ!」
悪魔が手を振っている、忘れないよ、俺、悪魔のこと、忘れないよ。
今、俺はラジオの構成作家をしている。
何とかなるもんだ、東京タワーの出来事も遠い過去の事として忘れ去られている。
たまに使うよ、悪魔ネタ。
「おいら、そば屋をやろうと思うんだ」
なんか、ほんとに始めたらしい。
俺☆ライター