鈴と猫と僕と。
...*/ぷろろーぐ。
彼は、一言で言えば甘党。
世界は、甘いものを中心に廻っていると考えている。
世界の人、全員が甘党だと信じている。
辛いもの苦いもの撲滅運動をいつかしたい、と言っていた。
そんな事したら、インドの人を敵に回すと思う。
だけど、きっと彼はどうでもいい、と笑うんだろう。
そして、彼は愛猫家だ。
この世に動物は、猫しかいらない、と言っていた。
でも、僕が鼠も居ないと猫が退屈するんじゃないかなあと言ったら
少し考えて、弱肉強食って難しいねって言って笑っていた。
これまた、そんな事言ったら愛犬家を敵に回すと思う。
だけど、これまたきっと彼はどうでもいい、と笑うだろう。
彼はあまり物事に興味を示さない。
他人にも無関心。
彼が興味を示すのは、猫の事と甘い甘いお菓子の作り方。
そんな彼は、僕の命の恩人だったりする。
その時の事を彼自身に聞けば、野良猫に見えたって答えた。
人間を野良猫と間違える彼は、変人だと思う。
そんな彼に付き合ってしまう僕も相当、変人なのかも、しれない。
...*/鈴と猫と僕と。
第一話。
あー、お腹すいた。一昨日から何も食べていない僕の腹は先程から、ぐーぐーと鳴り止まない。
というか、僕の腹、鳴り止むという言葉を知らないんじゃないか?
ところで、どうして僕はこんなにお腹が空いているのか。
それは、一週間前に遡る。
何故か、学校から帰ると財布の中身が全くなくなっていた。
まぁつまり、盗まれたわけで、でも僕は大して怒りを感じなかった。
本気で、ご飯どうしよう……そう思っただけだった。
僕のお金がどこかで誰かの役にたっていればいい。
と言う奇麗事が言いたいわけじゃないけれど、格好つけてそう言ってみる。
で、四日間はどうにか生き抜いてきたけど、とうとう一昨日、貯金してあるお金がなくなった。
アパートの家賃とケータイ代と光熱費、その他諸々の公共料金を払ったら無くなった。
僕、そんなにお金なかったっけ……。
あぁ、何処からかお金が降ってこないかなあ。
と非現実な事を考えてみる。
雪のちらつく空を仰いで。
「ねぇ、君。君」
さて、これからどうしよ。
このままだったら、僕は餓死する自信がある。
いやこんな事で自信なんか持ちたくないけど。
「ねぇ、聞いてる? そこの君」
うー、このまま家帰って寝る?
あぁ、それがいい。寝ちゃえば空腹も忘れられる。
そのまま永遠の眠りにつかないように注意しなきゃ。
よし、帰ろう。
くるり、と踵を返すと何かにぶつかった。
かなり、強く。
「いったー……」
つい、蹲ってしまった。
空腹に激突が重なると、ここまで衝撃がくるとは思わなかった。うん、今後に備えて覚えておこう。そして、機会があったら友達にも教えておこう。友達なんて、両手で数えるくらいしかいないけどね。
自慢じゃないけど、僕は狭く深い友人関係を築くんだ。
僕は立ち上がって、ぶつかってきた相手に文句を言った。
「ちょっと、ちゃんと前見てくれませんか?」
「俺が悪いの? あれ? ……まぁいいや。ちょっと、来て」
目の前のなんか、良く分からない大学生くらいの男の人は僕の手を掴むと、すたすたと歩いていく。
え? え?
ちょっと待ってよ、状況が呑み込めないんだけど。
僕、無理矢理どこかへ連れ去られようとしているよ、え、ちょっとそこの貴方、見てないで警察呼ぶとかしてくださいよ、これ立派な誘拐だと思うんだけど。
男の人は僕の心情を知ってか知らずか、すたすたと歩いていく。
僕の腕を掴んで。
ちょ、そっちの方が明らかにリーチ長いからっ!
僕は、男の人に引っ張られるがままに小走りでついていった。
第二話。
男の人は、一つのマンションのエントランスホールに入っていった。
ちょちょちょーっと。
僕はどこまでついていけばいいの?
ねぇ、神様。僕はこれからどうなってしまうの? ねぇ、教えて?
貴方は何でも知っているんでしょう? それなら、これから起こる事もわかるんでしょう?
何で教えてくれないのさ。
それは、僕が無神論者だから? ね? そうだよね。分かってるさ。
神様なんていない、そうだよ。いくら祈ったって、願いなんて叶った事なんて一度もないもの。
さて、どうしよう、と考えている内にエレベーターに乗ってしまった。
ちょ…………。
本当にこの人、誰? 僕の腕、いっこうに離してくれる素振りは見せないし。
ちらり、と横目で男の人を見る。
黒い髪は、首にかかる程度で長い前髪から見える目は、眠そうで半分程閉じられている。
けど、顔立ちは整っていて綺麗な人だった。
身長もあるし、細いしなかなかもてそうだ。
急に人を連れ去る行為さえしなければ。
男の人は、六階で降りた。
もちろん、僕も。
そして、機械的に並べられたドアを何個か通り過ぎて一つのドアの前で立ち止まる。
部屋番号は、六○六。
部屋番号の下の表札には、如月、と言う文字。
きさらぎ、かな。
珍しい苗字だ。
男の人は、ポケットから鍵を出すとドアノブの鍵口に鍵をさして、開けた。
「ただいま」
この部屋は、彼の家らしい。
中は暖かかった。
僕は玄関に立って考える。
本当に僕はここで何をされるのか。
お父さん、お母さん。
僕の命も此処までかもしれません。親より早く死んですいません。
親不孝者ですいません。
はぁ、と溜息をついて顔をあげたら――――――。
「なぁ」
琥珀色のまん丸の瞳の黒猫がいた。
「うわっ……」
「なぁー」
「ちょっと駄目よ、黒蜜。お客さん驚かせちゃ」
「え?」
女の人だった。
にこにこ、とやさしげな笑みを浮かべている。
え、え。ええええええ。
さっきの人が女になった? え? 性転換?
いやいや、早すぎるでしょ。
ちょ、この展開何? おかしすぎるから。
僕の混乱を知ってか知らずか、女の人は困ったように笑って言った。
「ごめんね? 鈴が勝手につれてきたりして」
「す、ず?」
「うん。あいつ」
女の人がすっ、と奥の方を指差す。
その指の先を追っていくと、ソファーに座って猫と戯れる先程の男の人がいた。
第三話。
華日、と名乗った女の人にリビングに通された。
「そこらへんに座ってくれる? で、鈴。彼は誰? お客さん?」
「いや? 拾った」
ちょ……。
勝手に連れて来ておいて、物扱い? しかも、拾い物扱いですか。
これには、海のように心が広い僕も流石に怒りますよ。
華日さんも呆れた様に言う。
「拾ったって……猫とか物じゃないんだよ? 人様の子なんだよ?」
すると、鈴、と呼ばれた男の人は困ったように僕を見て言った。
「だって……腹すかせてたから……」
あ…………。
「え、君、お腹空いてるの? そう言う事はもっと早く言わなきゃ。ちょっと待っててね」
華日さんはそう言うと、キッチンへ行ってしまった。
カウンター式のキッチンでは、華日さんが何かを作ってくれるみたいだ。
え、え……。
状況がよく分からないのだけれど。
えーっと、僕は腹を空かせていた。そこを偶然、鈴と言う人に見られ、急に家に連れ込まれる。そして、気付けば同居人らしき人が何かを作ってくれている。
つまり……餓死寸前だった僕は助けられた……?
うん、そうだ。きっと、そういう事だ。
つまり、鈴と言う人は僕の命の恩人だ。ご飯を作ってくれているのは、違う人だけれど。
うわお。
無神論者の僕にも神様は優しいのですね。
人間平等って言葉は実は神様だけの言葉じゃないかな? うん、きっとそうだよ。
人間皆平等に神のご加護ってのを与えるって意味だったんだよ、きっと。
駄目だなあ、勝手に神様の言葉を使っちゃ。
この言葉を遺した人は誰だっけ? あぁ、福沢諭吉だ。
侮蔑しようかと思ったけど、僕、一万円札は好きなんだ。財布の中に福沢さんが住んでいるとテンションが少なからず、あがるんだ。仕方ない、彼を侮蔑するのはよそう。
ちらり、と隣にいる男の人を見る。
華日さんに鈴って呼ばれていたけど……。
彼は、猫と戯れていた。
遠慮がちに、話しかけてみる。
「あ、あの……」
「ん?」
「餓死寸前だった所を助けてくれてありがとうございます」
「あぁ……やっぱ、腹空かせてたんだ。いいよ、気にしなくて」
「そうそう。鈴は、何でも拾ってくる癖があるから。……まぁ、人間拾ってくるとは思わなかったけどね、はい」
ことっ、と僕の目の前に焦げた醤油のいい香りがする炒飯がおかれた。
じゅる、と垂れてくる涎をすする。
三日前から何も食べていない僕の腹は、一際大きく鳴った。
「あ…………」
華日さんはクスッと笑って言った。
「どうぞ、召し上がれ」
「いただきます!」
スプーンですくって食べる。
うん、美味い。
特に三日何も食べていない腹には、とても美味い。
空腹は最高の調味料である、なんて誰が言ったのか。
えっと……そうそう、ドン・キホーテの作者、セルバンテスだ。
僕は彼を本気で尊敬したい、と言うか尊敬しよう。
セルバンテス、貴方は素晴らしいよ。
炒飯はあっという間に食べ終えてしまった。
「ご馳走様でした。美味しかったです」
華日さんは嬉しそうに笑って、そして言った。
「良かった。……そういえば、名前を聞いていなかったんだけど、名前は?」
鈴と猫と僕と。