Ⅰ September

September:1

人生ですれ違うたくさんの人の一人に見えたのに。


一歩店の中に足を踏み入れると、大きな空間が広がっていた。
顔をあげて、店内を見渡す。
倉庫を改装したという店は、天井が高く広々としている。
今までに見たことのない雰囲気の店。
開店してまだ一時間程だったので、店内に客の姿はなく、
この広々とした空間に一見人の気配はないように思えた。

そのうち、中央の方に店の人間らしい男性が一人パソコンを触っている姿が目に入った。
前もって注文の件で電話を入れてあり、午前中のうちに伺いますと伝えていたのだが、
台風の影響で天気が悪くついつい出かけるのが遅くなってしまった。

時計の針は、もう十二時を指している。
すぐに声をかけた方がよい感じではあったのだが、物珍しくてついショーケースや商品棚に目をやる。
今まで色々と自転車のショップに行くことはあったのだが、
この辺りでこんなに色んな商品が置いてある店は見たことがなく、
何が置いてあるのか興味津々だった。

趣味として自転車に乗り始めたのは、5年前。
最初に手に入れたのは、FELTというメーカーのクロスバイクだった。
この辺りではまだまだこういう自転車を見かけることが少なかったし、
見かけたとしても乗っているのは九割方男性だった。

私は、たまたま東京の知人に教えてもらったのをキッカケに
すぐに自転車の楽しさにはまってしまったのだが、
以来どこに行くのも大抵このクロスバイクになった。
始めた頃こそ、長距離を走ってみたいだとか
色々と目標や計画が頭の中に浮かんでいたが、
なかなか周囲に一緒に自転車遊びをしてくれる人間がみつからず、
そのうち仕事や日々の雑務に追われてそんなことを考えることも自然になくなっていった。

もういい大人になってから始めた自転車だったが、始めてみると子供に返ったような気持ちになった。
とにかく今まで乗っていたいわゆるママチャリ・シティサイクルとは全く違うもので、軽くて速い。
車並みに長距離の移動ができた。また車とは違う視点で走ることができ、
こんなに楽しいものが世の中にあったなんてと感激した。
そんな始めた頃の気持ちとは裏腹に
なかなか自転車生活を充実させることができてはいなかったが、
自転車を好きな気持ちはずっと変わらなかった。

この5年程の間に地方でもじわじわとブームがきて、
街中でクロスバイクやロードレーサーに乗る人を
よく見かけるようになり、自転車のショップも増えてきていた。
最初にクロスバイクを購入したのは、私が欲しいと思っていたバイクを
取り寄せてくれると言ってくれた街中の小さな店だった。
元々こういった自転車を専門に扱っているところではなかったらしく
何かと不都合な事もあり、購入した後はメンテナンス等頼むことも
なかった。何処かにいい店はないかと新しいところを見つける度に
立ち寄ってみたりしていたのだが、なかなかいいと思えるところがなく、
何かある度に適当な店をみつけてメンテナンスを頼んだりしていたのだった。

今回やってきたのは、以前家の近くにあった小さなショップだった。
一度調子が悪い時に見てもらった事があったし、知り合いがクロスバイクを購入したこともあった。
この知り合いは、結局長続きせず、一、二度長距離走っただけで、乗らなくなってしまったようだったが。
ふいに夏の終わりに新しいバイクの購入を思い立って欲しいメーカーの
取扱店を探し、家に近いこの店に頼むのがいいだろうと久し振りに訪れたのだ。

すると、近いうちに閉店するとの話を聞いた。
少し離れた場所に新しく別の店をつくったらしく
新しいショップの方で対応させて頂きますとの事だったので、
とりあえず電話にて注文の件で話をし、
数日後改めて注文手配の為に新しい店の方までやってきたのだった。

店内に足を踏み入れてから誰に声をかけることもなく
一人でキョロキョロしていたのだが、暫くしてやっと
最初に目に入っていた店の人間らしい男性の方へ近づいて行った。
声をかけようとその男性の方へ目を向ける。
横顔が目に入った。日に焼けた顔。
気持ちいいくらい鼻筋が通っている。
黒いポロシャツがお洒落な感じの今時の若いおにいちゃん。

「こんにちは。」

声をかけると、男性がこちらに目を向けた。
「何日か前にクロスバイクの注文の件でお電話しました高島と申しますけど。」
「はい。お待ちしてました。今、カタログをお持ちしますので、少しお待ちください。」
男性は、すぐに奥からカタログを持ってやってきた。
「ご注文頂いてたのは、こちらになると思うんですが。色はシルバー
ですよね。一応サイズは、370でいいと思うんですけど。」

電話で話した際に身長を伝え、
サイズはもうワンサイズ大きなもので話をしていたはずだったので、
不意に怪訝な顔をしてしまったらしい。すぐに男性が口を開く。
「身長からこちらのサイズの方が丁度いいだろうと思いましたので、
メーカーにもこれで今のところ押えてもらってるんですね。」
「そうですか。はい、じゃぁそれでお願いします。」
まぁそんなものかとあっさり返事をする。

「それから…サドルとかグリップが白いみたいですけど、これを黒いのに変えてもらったりできますか?」
「えっと、そうなると工賃は無料で大丈夫なんですが、別途また料金がかかりますけど。」
「あ、もう完成車なんですね。若干高くなるとかではなくて、
もうまるまる新しく購入するように料金がかかるってことですか?」
「そうなんです。」
「じゃ、このままでいいです。」
「では、今から注文手配の準備をしますので、店内をご覧になってお待ちください。」
そう言って、手際のよい感じで私とのやりとりを済ませ、彼はレジカウンターの方へ走っていった。

私の趣味が自転車だと言うと、大抵友人や知人に意外だとか想像がつかないと言われる。
それくらい、イメージと違うらしい。
注文の件でやりとりをしている最中に、店の人間らしい男性が2人程
奥の方から現れたのだが、なんとなく珍しげに私の様子を見ているような気がした。
只でさえ、まだ客の少ない時間、女性が一人でふらりとやってくるようなところでもない感じである。
まぁ、この店には、やはりちょっと珍しい雰囲気の客なのだろう。

店内で色々と商品を見ていると、さっきの彼が隣にやってきた。
準備ができましたので、レジカウンターの方までお願いしますと声がかかる。
顧客カードの記入を頼まれて記入していると、彼が話しかけてきた。

「場所、すぐにわかりました?」

ふいに声をかけられたので、きょとんとしながら顔を上げ、咄嗟に返事をした。
「はい…まっすぐだったから。」
そう言って少し口角をあげてにっこりすると、彼も同じようにこちらを見ながら微笑んだ。
男性でこういう表情、こういう反応をする人をあまり見たことがないような気がした。

なんとなく不思議な印象。

そのまま、また下を向いてカードの続きを記入し、書き終わってから彼の方へ差し出した。
今回購入するクロスバイクは十五万程のものであり、
注文の際はとりあえず内金をお願いしますと電話で聞いていた為、
その支払いをすることになっていた。

金額を彼に告げられた際に
バイク本体の価格に対しての金額のようだったので、
本体の他に購入する小物についてはどうなっているんだろうと尋ねてみた。
「あの、ペダルとかスタンドとかは?」
「それは、納車の時でまた大丈夫ですよ。」
優しげな口調で、彼が答えた。

彼がレジを触っている間に、大きなテレビが設置されていることに気付いた。
どうやらツールドフランスのDVDらしい。
ランスアームストロングという名前が聞こえたので、
その瞬間からへぇと画面に釘付けになって無意識に見入ってしまった。
そこへ、また彼から声がかかり、はっと我に返る。お釣りとレシートを渡された。

「来週の週末までには、メーカーから入ると思いますので。入りましたら、またお電話致します。」
「じゃ、またお電話頂いてからですねぇ。」
私がそう言うと、彼はまたさっきのように微笑んだ。
「じゃ、よろしくお願いします。」
彼に少し笑顔を見せて挨拶をし、出入口の方へ歩いて行った。

外へ出て扉を閉めようと手をかけた時、突然彼が走ってやってきて私の目の前に現れた。
「あのっ申し遅れましてすみません。私、真木と申しますので。」
もう帰ろうとしているところに勢いよく走ってやってきて名刺を差し出した彼を見て一瞬驚いたのだが、
名刺の名前を見ながら、少し笑顔をつくって口を開いた。

「ああ、お電話で対応して頂いた方ですね。」

彼は、出入口を挟んで驚くくらい真正面に立っていた。
至近距離で彼を見上げるような格好だったのだが、
私が言ったことに反応して彼は、またにっこりと笑顔を見せた。
「じゃ、よろしくお願いします。」
そう言って扉を閉め、会釈をして店を後にした。

クロスバイクに乗り始めたのは三十過ぎてからだったが、
それからあっという間に5年が過ぎ、今年私はもう三十八になっていた。
今日ショップでやりとりした真木くんは、見たところ二十代後半といった感じだった。
最初は特に何とも思わなかったし、若いおにいちゃんといった印象だったから、
こちらとしてはなんとなく気を配って優しげに対応した感はあったのだが。

帰り際の彼の行動にとてもインパクトがあって、少し驚いていた。
今までも自転車のショップで店の人と色々と話をしたり、
やりとりをすることはあったが、こんなことは初めてだった。
振り返って考えると、彼とのやりとりの最中に
あんまりにっこり笑うので、なんとなくそれが印象に残っていたのは残っていた。

そして、最後に電話で対応してもらった人だとわかって私がそう言った時の彼の笑顔。
なんだか不思議な気がした。
もう帰ろうとして店の外へ出ようとしているところに、
走ってやってきてまで名刺を渡す必要はないように思える。
ああびっくりしたと思いつつ、店を後にしたのだった。

それから数日経った頃、
彼はすっかり私の頭の中に入り込んでしまっていた。
やはり、とてもインパクトがあったのだろう。
あれからなんとなく気になってショップのHPを見ていたところ、
スタッフ紹介のページに彼の満面の笑みの写真と
簡単なプロフィールがアップされていた。

最初に見た時は割とクールな雰囲気の顔つきに見えたのだが、
実際やりとりをした際の表情やこのプロフィールを見ると、
やはり若々しくて可愛らしい印象の男の子に思えて
こっちまで笑みがこぼれるような感じだった。

プロフィールから年齢を推測してみようと思ったが、どうみても二十六から二十八というように見える。
十歳くらい年下の男の子なのに、あの時はいったい何がどうで
あんな感じだったんだろうかとなんだか疑問を感じたり。
そう思いながらも彼の表情や行動が印象深くて、彼のことが気になりだしていた。

そうこうしていると、HPにリンクされていたあるブログを見つけた。
今年の年明け頃から二・三ヵ月かけてあのショップのオープン準備を進めていたらしいのだが、
建物の改装にあたって、細々したところはショップのスタッフでつくりあげたらしい。
ブログは、オープンまでの経緯を面白おかしく記録していったものだった。

数人のスタッフとオーナーとが日々楽しんでショップをつくりあげていく様子がなんとも楽しげで微笑ましい。
また、オーナーがよほど楽しい人なのだろうと想像がつく。
ユーモアがあり、また視点がとても素敵に思えた。
このブログにはまってしまい、一気に笑いながら読み終えてしまった。
オーナーから見ると、スタッフは可愛い子供のようなものなのだろう。
このブログを見てますます、気になりだしていた真木くんに好感をもったし、また親近感が沸いてしまった。

たった一度会っただけの人だというのに。
人生いつどこでどんなことに遭遇するか全く分からないものだと、
いい年をして今更ながらに思ったり。
次に彼に会うのが、とても楽しみになっていた。

September:2

クロスバイクの注文をして一週間が過ぎた。


週末にはメーカーから届くだろうという話だった。
土日に受け取ることができるだろうと思っていたのだが、結局その週は連絡がなかった。
たぶん何かが少し遅れているのだろうと数日のうちに連絡が入るだろうと思ったが、
なんとなく思いついて日曜の夜に確認のメールを送ることにした。

別に特に確認したかった訳でもなんでもなく、ただ真木くんとちょっとやりとりをしてみたかったからだった。



件名 クロスバイク注文の件です
2011年9月11日22:20 高島 奈々

真木 様

お世話になります。
お願いしておりましたコルナゴのクロスバイクの件で、メールを差し上げております。
週末あたりにメーカーから届くだろうとの事でしたが、どうでしたでしょうか?
そろそろとりに伺っても大丈夫ですか?
よろしければ、月曜の夜にでも伺おうと思っています。
恐れ入りますが、ご確認等宜しくお願い致します。



月曜の仕事中、店がオープンして暫くした時間にメールを確認してみたが、まだ返事はきていないようだった。
しかし、午前中のうちに携帯に電話が入っていたのに気付いて昼休みにすぐに折り返し電話を入れると、
真木くんは席を外していたようで他の人が対応してくれた。
真木くんとやりとりしたかったのに、残念…
と思いつつ何気にメールをまたチェックしていると、なんと入れ違いで私が朝確認をしたすぐ後に
メールが届いていた。それに気付かずに電話をしてしまったらしい…。



件名 Re: クロスバイク注文の件です
2011年09月12日 11:39 BIKESHOP 真木 

高島 様

お世話になります。
先日はご来店ありがとうございました。
ご注文頂きましたバイクですが、週末入荷の予定でしたが、
メーカー在庫数の都合により少し入荷が遅れております。
予定では明日午後には当店に入荷致しますので、十四日にはお渡しできるかと思います。
念の為、バイクの組立・お渡し準備が完了した時点でお電話にてご連絡差し上げます。
この度は入荷予定のご連絡が遅くなり、真に申し訳ありませんでした。
宜しくお願い致します。



店がオープンして三十分もしないうちにすぐ携帯に電話が入っていたのだが、
そのすぐ後にこうやって丁寧なメールが届いていた。
あんまり丁寧にお詫びの言葉が添えてあったので、なんだか少し申し訳ない気がした。

翌々日、十二時を回った頃に携帯が鳴った。
「こんにちは。BIKESHOPの真木です。」
クロスバイク受け渡しについての連絡だった。
こないだからメールや電話で連絡を入れてもらった事やせかしちゃったみたいですみません等と詫びを伝え、
夜十九時過ぎに受け取りに行きますのでと用件を話し、電話をきった。
電話で話した真木くんは、受け答えがハキハキとしていて感じがよく、好青年という感じだった。

結局この日は職場を出るのが遅くなり、店へ着いた時には十九時半近くになっていた。
店内へ入っていくと、奥で接客をしていたらしい真木くんがすぐに私に気づいた。
「いらっしゃいませ。お待ちしてましたー。」
離れたところからハッキリと通る声で私の方へ声をかけてくれたので、彼の方を見て笑顔を見せる。
すぐに奥から出てきてくれたかと思うと
「別のスタッフが一緒に付属品を選ばせていただきますので。」
と言う彼。女の子がついてくれることになった。どうも彼は、まだ別で接客中だったらしい。

かわりの女の子がカゴを持ってついてくれ、店の中を一緒に見て回る。
なんだかんだと言いながら、小物を選んでいると暫くして不意に後ろから真木くんの声がした。
組上がった自転車を私に見せる為、奥のブースからわざわざ持ってきてくれたらしい。

「かっこいいですよ。」

「わぁ!かっこいい!」

シルバーとホワイトのクールなデザインのクロスバイク。
高級感がありとてもお洒落なバイクだった。グリップが白い革で凝ったものを取りつけてある。
見た感じはとても素敵なのだが、やはり白い革となるとすぐに汚れそうでそこがとても気になるところだった。
グリップを指差しながら、口を開いた。
「やっぱりここがちょっと気になりますよね。すぐ汚れそう。」
「拭いたらきれいになりますよ。」
あっさりそういう真木くんを見て、そんなものかとすぐに納得する。

付属品を選び終わり、真木くんが取りつけてくれている間、女の子に会計の準備等してもらいつつ、
店内を見ながら時間を潰す。
結局この日は、最初から最後まで真木くんでなく女の子が私の対応をしてくれた。
帰る時になって、彼がまたすぐに気付いて女の子と一緒に外まで見送りにきてくれたのだが。

ちょっと意外だった。他の客の対応もしつつ、私のバイクも触ってくれていたみたいだけど。
対応してくれた女の子は、サッパリした感じの男の子っぽい雰囲気の子。
色々と話をしてくれて接客はしてくれるものの、少しかたい感じの印象を受けた。
まだ二十歳そこそこくらいの若い子のようであまり接客に慣れていないように見えたが、
なんだかんだと質問したり話をしてみた。
真木くんは、来た時も帰る時もすぐ気付いてくれたし、たぶん何気にずっと様子をみてくれていたように思えた。

新しくバイクを購入した際は一カ月後点検というものがあるらしく、
一カ月後にまたショップへバイクを持ってきてくださいとの話があった。
今まで乗っていたクロスバイクのタイヤもそろそろ交換した方がよさそうだったので、
その話もかるく女の子に話をした。この件でもショップへ行くことになるだろう。

真木くんに会ったのは二回目だったが、少し最初の時とイメージが違った。
最初の時はマニアックに見えるこの店に一人では入りにくいような雰囲気を感じていたようなところもあり、
なんとなく少し緊張していたのかあまりよく見てなかった感もあったんだけど。

真木くん、思ったよりもほんとにまだ若い男の子という感じがした。
やっぱりとってもかわいくてよい印象だけど、何か勝手にイメージしてしまっていた感じがあったかな。
彼は、私のことどう思ったんだろうね。
クロスバイクを受け取って帰宅すると、
「今日、なんかキレイ。新しい自転車買ってうれしくてキレイオーラがでてる。」
なんて母に笑いながら言われた。

そっか。この日は、私、キレイだったのね。

ま、なんかよくわからないけど。

夏の終わり。異常気象のせいか竜巻なんかがきたり、ちょっといつもと違う雰囲気のSeptember。

Ⅰ September

Ⅰ September

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. September:1
  2. September:2