右手の中の500円玉

お釣りの500円を落とした、彼女の悲劇の物語。

『お使い、頼んでもいい?』

 そう言われて母から渡された一枚の紙幣とメモ用紙。
微かにカゲロウが立ち込めていた、忘れられないあの日の記憶。



 母に言われた後、そろそろ季節も夏へと移り変わっていくということで、そこそこ薄着をしていた私は、適当にカーディガンを羽織り、財布をポケットに入れて家を出た。
 家から一番近いスーパーは、徒歩で約15分の距離。わざわざ自転車を出すまでもないだろうと、私はお気に入りのサンダルで街中を歩いて行った。

 目的のモノを買い揃え、妙な達成感とお釣りを片手にスーパーを出る。左手には買い物袋、右手にはピッタリで余った500円玉。わざわざ財布の中にしまうのも面倒だと思い、手に持ったままでいたのだ。

 それから歩くこと5分程度。
やっと家の近くの住宅街までたどり着いた。最近少し運動不足気味だった私にとっては、徒歩15分の往復はなかなかに体力を使うらしく、ゴール地点目前にして自転車で来なかったことを後悔していた。
 そもそも、なぜ徒歩で行ったのかと問われると、そういう気分だったのだ。
うっすらと額に滲んだ汗を拭っていると、不意に後方からサイレンの音が近づいてきた。

「へ?」

 いきなりの事に驚いた私は、堂々と歩いていた交通量の少ない車道から飛びのき、道路脇へと寄った。

チリン

 錫の音のような音がして足元を見るとマンホールがあり、とてつもなく嫌な予感がした私は、とっさに右手を開いた。

「あ・・・。」

 開いた右手は空。そこにあったハズの500円玉は、どうやら先ほどの音と一緒にマンホールのそこへ落ちてしまったようだ。

「母さんになんて説明しよう・・・・取りあえず謝るか。」

 既に諦めた私は、買い物袋を握り直し、右手は空っぽのまま再度歩きだした。
先ほど、サイレンの音と一緒に救急車が走り去った方向へ。



「なに・・・これ。」

 ようやく着くと、家の前には人だかり。そして、どこか聞き覚えのあるサイレンの音。
現状が理解できず、私はただ呆然と立ち尽くしていた。

『もしかして、娘さんでしょうか?
 お母様から通報があり、駆け付けた時には倒れていたので、今から病院に向かうところだったんです。ご同行願えますか?』

 救急隊員の人であろう男性が近づいて聞いてくる。余りの急展開についていけず、放心状態だった私は、ただうなずくことしかできなかった。

 そして、到着した病院で母は亡くなった。
その時の私は、まだ18歳だった。


 月日は流れて、あの日から25年。私は二児の母になった。
小学校6年生の娘と幼稚園生の息子。そして最愛の夫。これ以上となく幸せな家庭を気づいていた。
 台所にいた私は一時作業を中断し、メモ帳と財布を取りに行く。何も書かれていない真っ白な紙に、今晩のおかずになるであろう食材名を書き連ねて行き、財布から一枚の紙幣を抜き取り、ソファーでダラダラと過ごしている娘のもとへ向かった。

「ねぇ、お使い頼んでもいい?
 ・・・あ、お釣りは落とさないで持って帰ってね。」

右手の中の500円玉

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右手の中の500円玉

右手を見ると、空っぽだった。 家に戻ると、空っぽだった。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-01

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