念仏堂の居候
江戸の夜空にこだまする念仏唱える餓鬼の声
あれは仏か、はたまた鬼か
諸行の無常の合間に落ちた餓鬼を集めて道を説く
念仏堂の興行か。
その零 『不届き者』
突然ではございますが、えぇ、この日本国の、たいていどこの地域にも存在するもので、と言いましてもいわゆる公共の施設ではないもので、存在するものと言いましたら、その一つに寺というものがございます。
そうです、あの寺でございます。たいてい坊主などが住んでおります、あれ。
もちろん、それぞれのお寺さんにおきましてご由緒だのご宗旨だの、いろいろな違いはございましょうが、どこのどれを見ても、たいてい立派な姿をなさっている、といえば聞こえがよろしいですが、いわゆる坊主丸儲け感を醸し出している、それは、どんな辺鄙な田舎にも存在するわけで。
ちょうど、今。当物語の主人公であります一人の男が、運転手と二人きりのバスに2時間も揺られてたどり着いたこの山奥にも、もちろんそれはあるのでございます。
主人公でございますか?まぁそれはおいおいということで。
ええ、で、それがあるとは申しましても、今回この男の目指してたどり着いたその寺は確かに物として存在はしているものの、本来の御役目を果たせる状態でそこには、ない。とまぁそんな具合でございまして。
「フッフッフ、なかなかに素敵な寺じゃないか」
などと、主人公にあるまじきイヤラシ気な声で申しながらニタリと口の端を引き上げるには、普通の感覚でございますと、少しばかり疑問符を付けたくなる様子。
ようは、この寺、とっくの昔に打ち捨てられた廃寺なのでございます。
「これは胸が高鳴りますなぁ」
なにを思えばこのようなものに胸が高鳴るのか一向に理解はできませんが、しかしながらその道にはその道の価値というものがございまして、この男にとって目の前のこの寺、境内は余すところなく草むして、はげ落ちた瓦の隙間から、屋根に至るまで草原と化しておるようなこの廃寺にも、それ相応の価値があるのでございましょう。
それは、けしてその道の価値観には納得できずとも、この男の顔を見ればそ瞭然であるといった次第で。
まぁ、分かりたくもございませんがね。
わからないといえば、この男の人相風体も、また、色々わからないのでございまして。
黙って目に力でも入れていれば、それなりの美青年に見えそうな顔つきでございますのに、まぁなんといういましょうか齢16になる若さとは裏腹に、そこはかとなく、いや、それなりに色濃く漂うおじさんの香り。
この男が気にしているのが、隣のクラスの可愛いあの娘などと言うよりも、血圧と血糖値と言われたほうが納得いきそうなほどでございます。
少なくとも、プリン体の摂取は控えるべきだと忠告しそうなほどで。
立とうと座ろうと前かがみに見える曲がった背筋と、若者の義務をかなぐり捨ててしまったが如きねずみ色のシャツと茶色の綿のズボンといった出で立ちは、彼のそれなりに高くまた筋肉質で細身の体という昨今流行りのスタイルの良さを二回りかき消してお釣りが来るほどでございます。
これでは成績優秀で剣道の段を持っていても、彼女など出来ようもないと確信できる有様でございます。
とはいえ、これが本人の気付く所ではないというのでありますれば、それはそれで、何かの気付きを持って変貌を遂げることもありましょうが、絶望的なことに、この情けないさまを本人はすっかり理解している。
むしろ理解しているどころか、結構気に病んですらいるわけで。いや、気に病んでいた、というのが正しいのではございますが。
といいますのも、それなりの努力をしたのでございます。彼なりには。
恥ずかしい気持ちを抑えて、近所の本屋で買った若者向けファッション雑誌を手に頭のてっぺんから足の先まで、中のモデルと同じ格好をし、あれはモデルが着るからかっこいいのだという摂理をを学び。
電車を乗り継いで街まで出向き、カリスマ美容師という肩書きの美容師に、高い金とやたらと長い予約期間を費やして毛先遊びまくりにしてもらって、毛先が遊んでも女の子とは遊べないという現実を学び。
「これであなたもモテ☆キング!上手な話し方講座」などという、そのタイトルをよくぞ選んだと言いたくなるような絶望的匂いのする本は、やはり内容も絶望的なのだと経験を持って学ぶに至った頃には、もう。
諦めてしまったわけでございます。努力の方向性は理解出来ませんが、気持ちはわかるはずでございましょう。
そう、若気の至りというやつでございます。
とはいえ、この男、端からいろいろな努力をしている最中も、半信半疑の心持ちで、どうせ無理だろうけど。といった風情のあきらめを常に抱えていたのもまた、事実。
俺が悪いんじゃない、オレは被害者だ。
などという、普通に聞けばなんという言い草だ!と憤りたくもなるような心持ちを抱えていたわけでございます。
悪いのは俺じゃない、俺の爺さんだ。といった具合に。
こんな名前を付けられたら、おっさん臭くなったたり前なのだ。と。
この物語の主人公、佐々木伝右衛門は確信にも似た悲しい悟りを開いているのでございます。しかも、それほど的を外しているわけではない悟りを。
そしてその悟りを持って、半ばやけくそ気味に、彼は自らのどうしてそれを選んだのだと言いたくもなるような趣味を堂々と謳歌しているわけでございます。
休みを見つけては、全国の廃れ、忘れられ、本来の役を果たさなくなった寺社仏閣をめぐり、厚かましくもその中に勝手に入り込んで探検するという、彼のおっさん臭さに磨きをかけるかのような趣味を。
今日もまた、堪能しようとしているわけでございます。
「いやぁ、これは上物でございますなぁ」
と、おっさん臭いセリフを吐きながら、佐々木伝右衛門は今にも抜け落ちそうな薄暗い廊下を、ギシギシと音を立てて歩いております。
知らぬ人が見れば、なんともはや見当の悪い泥棒のように見えても仕方のないその様子は、なんとも楽しげで、これが、泥棒でなくとも明らかに犯罪行為であり、その上バチあたり以外の何物でもない行為であることを忘れれば、応援したくなる様子にも見えてしまう。
間違っても応援はいたしませんが。楽しそうであることは間違いない。
それが余計に罰当たりなのでございますが。
当人がそんなこと気にしているはずもなく。
「おお、御堂にそのまま仏像が残っておるではないか」
と、おっさん臭さを諦めて許容した途端、さらにおっさん臭さに磨きがかかったその口ぶりで嬉しそうに歓声を上げると、土足のままどかどかと何の躊躇もなく踏み込んでいく始末。
別に信心深くなく、また遵法精神にあふれた人間でなくとも、その屋内にまで草生した湿気がちなその場所は、蜘蛛の巣がいたるところに張り巡らされいかにもな雰囲気にふさわしいその場所は、背筋にいやぁな汗をかいて、出来れば踏み込みたくはないという自然な衝動に駆られそうなものでございますが。
「これはいいですねぇ、ナイスですねぇ」
などと、誰に対して言っているのだと強烈なツッコミをお見舞いしたくなるようなセリフを悠長に吐き散らかしている伝右衛門には全く意に介する状況ではないのでございます。
むしろ、時の流れに晒され目も鼻もないのっぺらぼうになったご本尊ですら。
「おお、これは年代もですぞぉ。参ったなぁ、今日はついてる」
と参っているのか参ってないのかさっぱりわからない感想に決着するわけで。パシャリパシャリとシャッターを押す、その指の動きを加速させるだけなのですから呆れたものでございます。
「いやぁしかし、いくら雨漏りがあるからといっても、これほど時代がかっているとなると、これはもしかしますよ」
そう言って伝右衛門が天井を見上げますと、無駄に高い寺の天井は、陽の光を透かしてむしろ下よりも明るくなっており、それは、そこに行って見ずとも、朽ち果てた梁や垂れ下がった屋根板がなんとも無残な姿を晒していることが容易に想像させるわけで。
ともすればもっといやぁなものがぶら下がっていてもおかしくはない…。
「電車乗り継いできたかいがあったなぁ、理想の物件じゃないか」
と言った感想が、一体どうやったら生まれてくるのか。
「さてさてほかに何かないですかねぇ」
などと気に留める様子もない伝右衛門の肝の太さには、呆れを通り越して、感心さえしそうになってしまいます。
まぁしませんけどね。
そこに感心しちゃ、人間おしまいなわけで。
一方、そんなおしまいに近づいている伝右衛門は、もうすでに天井とご本尊に興味をなくしたのか
「お宝、お宝…と」
などと言いながら、そののっぺらぼうのご本尊の周りを中心に、ポケットから取り出した小さなLEDライトを手に、証拠探しの探偵か刑事のごとく捜索を始めます。
まぁやっていることといえば、刑事どころか泥棒のそれに近いわけでございますが。
「お宝チャン、出てきて頂戴お宝チャン」
と、調子っぱズレな節をつけて歌っている伝右衛門には、いかな常識も忠告も、蛙の面に小便。いや、場所柄、馬の耳に念仏。
普通の高校生ならば頼まれても寝そべりたくはない、便所の裏の地面と変わらないような床板の上に寝そべってご満悦の様子。と、そのまま芋虫のごとくゴソゴソとご本尊の裏手に回っていったその時。
「おおお、こりゃ何だ」
と、嬉々とした声を上げたのでございます。
見てみますと、歓声を上げた伝右衛門の視線の先に、何やら、これは伝右衛門のような理解しがたい趣向を持つものでなくとも、曰く因縁の有りそうな箱が、まるでご本尊の影に隠すように置かれているではございませんか。
そんなものを前に、伝右衛門が黙って見過ごすはずがございません。
が、どうも考え込んでいる様子。
「うーん、いや、これは、いや、うーん」
突然お腹の具合でも悪くなったかの如き唸り声を上げて座り込んでしまいました。
「気になるなぁ、これは、うーん、開けたいなぁ」
と、どうやら、箱を開けて中を確かめるべきかどうかで悩んでいる様子。
普通の感性ならば、もうここまでのことをしておきながら、罰当たりで全くもって反論の余地のない犯罪行為を働いていながら、なぜココで箱の中身を見るか否かで悩んでいるのか、まったくもって理解の外ではございますが。
この道、つまり、伝右衛門のごとく、廃墟をめぐって探検する趣味の世界において、そこにあるものに触れ動かすというのはご法度なのでございます。
あくまで、廃れ寂れたそれのあるがままを見、記録する。
自分たちは泥棒でなく探検者である。
といった、あまり一般では通用しないであろう自負と掟が、まぁ、どういった趣味の世界でありましても、その趣味に身を置かねばわからない掟というのがあるとは言いますが、輪をかけてわかりにくいそれが、伝右衛門を縛っているのでございます。
「うーん、見たいなぁみたいよなぁ見るよなぁ、普通」
唸る伝右衛門。戦う彼の、手前勝手な良心。心に巣食う真っ黒な悪魔と、灰色に薄汚れた天使。
廃墟の冒険者たるもの、どこぞのRPGの勇者よろしく、勝手に机を開けて中の物を持ち去ってはイカンのだ、と。あくまで鑑賞をメインにするべきで、それに手を出せば自分はこそ泥と変わらないのだ、と。
厳しい顔で自己問答すること30秒。意外と早く、その鋼の意志は崩れ去り。
「やっぱ見よう、見るだけだ、盗もんじゃない」
と、伝右衛門、箱に手を掛ける次第となったわけであります。もうこうなると、躊躇しただけ時間の無駄だったというわけですな。
「すんません、ちょっと見させて頂きます」
伝右衛門は、殊勝にもご本尊に挨拶すると、恐る恐る箱を持ち上げて、丁寧に蓋をはぐる…とおもいきや、そこらに貼り付けてある何やら字の薄れた紙を躊躇もなしにベリベリと剥ぎ取ると、最後に残った雀の涙ほどの良心とともにその辺に撒き散らすと、一気に蓋をはぐったのでございます。
信心も良心もあったもんじゃございません。
「おおお、こりゃすごいぞ」
そんな、もはやこそ泥以外の何物でもないもの成り下がりつつある伝右衛門は、自ら道に背く禁を犯したことすら忘れて、溜息混じりにそう言うとうっとりとはこの中を見つめております。
中身は、どうやら脇差のようで。それも、こればかりは箱を開けた伝右衛門を少しばかり褒めたくなるような、まるで今まで誰かの腰に刺さっていたかのように美しい鞘の照り。
「これって…本物のお宝じゃないか?」
と、自分にとっての宝が本物ではないことを認めてしまうようなぶっちゃけた独り言を発していることにも気づかず、伝右衛門はつかれたかのようにその脇差を取り出します。
そして、LEDの明かりに照らしだされたそれは。まさに、お宝。
しかも人斬り包丁とはよく言ったもので、鞘に収まっている状態ですでに禍々しい気のようなものを朝もやのごとく漂わせております。
しかも、何を封じているのか、鞘と鍔にわたって、札を貼って封印がしてある。
「何だこの紙、邪魔」
罰当たりも甚だしい男でございますが、もうそんなことはここまで読み進めていただいた諸姉諸兄にはわかりきったこと。そして、日本刀の扱いなど知らぬくせに、この脇差をこの男がどうするのかも自ずと…。
「抜いてみよ」
この軽さでございます。
伝右衛門は、未だ鍔にこびりついた札を几帳面にはがすと、右手で鞘と鍔の境目ギリギリを掴み、一方左手を柄に添えてグッと握ると、エイヤの掛け声とともに一気に抜き去る…とどうなるかと申しますれば。
「あいたぁ!!」
と言った具合になるわけでございます。
日本刀を扱う時、抜刀と納刀の際に、鯉口、いわゆる鞘の一番鍔に近いあたりで指の股を切るのは、まぁよくある話で。
「いてぇ」
と、鞘を投げ捨てて身軽になった伝右衛門の右手の親指と人差指の間から、赤い鮮血がツーっと流れたかと思うと、吸い寄せられるように、鈍く光る刀身にこぼれ落ちます。
と、その刹那。
もうそこには伝右衛門も、刀も、姿を消していたのでございます。
不思議なこともあるもんでございますなぁ。
その一 『念仏堂』
「お師さん、お師さん」
早朝どこぞの寺の中。赤い木綿の生地に小さな白い梅柄の着物を着た、年頃なら5つか6つほどの少女が、こんもりと膨らんだ布団を蹴っている。
ゲシゲシと、何の躊躇も遠慮もなく。
顔は可愛い。クリクリとした目に白い肌と赤いほっぺ。が、やっていることはお世辞にも可愛い行いではない。
「こ、こらお梅、梅、こら。蹴るでない、梅」
布団がしゃべる。いや、もちろん布団の中の人間がしゃべっているのであるが、見た目そのような風情である。
しゃべる布団に蹴る子供。ちょっとした怪談である。
「だって、お師さん起きないもん」
布団の訴えを無視して、梅と呼ばれたその少女は、もはや起こす行為よりもその柔らかな足の感触に魅了されているかのごとく、ゲシゲシと蹴り続けている。
もうそれは本当に、楽しそうに。
「お師さん、起きろ、お師さん、起きろ」
節をつけて楽しげに、布団を蹴っていたその時だ。
「うめぇ!何やってるんですか!お師さんを蹴るとは何事です!」
梅のすぐ背後より、天地をひき裂かんばかりの怒声がして、梅は布団から一間近くも飛び退った。
ちなみに一間とはおよそ80センチである。
と、同時に、布団もまた上向きに1間ほど飛び上がって、梅の傍らにふわりと落ちた。
「ご、ごめんなさい!」
梅が叫ぶと同時に、はねのけた布団の中から産まれ、いや出てきたハゲ頭の男もまた声を合わせて謝った。
情けない顔。痩せた身体。つるりとした頭。
布団から生まれたのは、三十路そこそこの貧相な坊主だ。
「なんでお師さんが謝るんですか!そんなことだから梅が調子に乗るんです」
板張りに正座したまま、今にも漏らしてしまいそうな風情で震え固まっている梅と苦笑いを浮かべたままつるりとした頭の表面をポリポリと掻いている坊主を悪鬼羅刹の如き表情で見下ろしているのは、年の頃なら14、5の少女。
梅同様、顔は可愛い。それどころか、梅に輪をかけて、まるで大陸の磁器の如くに真っ白な肌と燃えるように赤い唇は、ハッとするほどである。
丸く大きな瞳もまた、人の心を捉えて話さない魅力を湛えている。
が、勿体のないことに、なぜだかその娘、娘らしい髪も結わず、ただ後ろでくくっただけの長いそれを見たこともない大きな桃色の布で飾り、一体全体どこの呉服屋で売っているのだか見当もつかない、奇抜な、というよりもむしろ、はしたないほどに裾の短い、その程よい肉付きの長い太ももをあらわにした着物を着て仁王立ちに立っている。
その姿は、まるで、遊女か道化のようでもあった。
少なくとも、まっとうな少女ではない。
どう考えても、目の前の坊主と、そして、坊主の住まいとしてはありきたりな、この寺に似合うものではない。
「まぁ、そんな怖い顔をするでないよ、お鈴(りん)。可愛い顔がだいな…」
寝ぼけ眼の坊主が、その少女にそこまで言いかけたその刹那、少女が持っていた鬼のかなぼ…もとい、柄の長い竹の箒が風を切って宙を飛び、坊主の顔に命中した。
「ぎゃっ」
突然の衝撃に坊主は小さくそう叫ぶと、そのまま後ろに倒れこむ。
鈴と呼ばれた少女は、その姿を見届けると、小さく「馬鹿なこと言ってないでさっさと起きてください」と、今しがた梅を叱ったその口とは思えないほどの傍若無人ぶりを発揮して、どかどかと台所の方へ歩いて行った。
残された坊主は、倒れたまま首だけを梅にむけて、ぺろりと舌を出してみせる。
「鈴姉さんは恐ろしいなぁお梅」
微笑む坊主の顔を見て、お梅はちょっと微笑みながら、それでも少し顔をしかめて答えた。
「あんまりからかっちゃかわいそうだよ、お師さん」
「からかったりするものか、本当にそう思うから言っているのだよ」
「それをからかってるっていうの」
お梅はこまっしゃくれた口調でそう言うと、幾分顔をかしげて「お鈴姉さんと私とどっちが可愛い」と尋ねた。
「みんなかわいいよ」
お梅の問いに坊主はそう答えると、エイっと掛け声一つ、まるで軽業師かお猿のごとくひらりとその場に飛び起きた。
「お師さんはずるいよぉ」
お梅はそんな坊主をみながら、ふてくされたようにつぶやく。
しかし顔は笑顔のままだ。
「本当のことだもの、仕方ない」
そんなお梅の頭をガシガシと揺すぶるように撫でながら、坊主はカカと高らかに笑う。
そんな朝の一時。
ここ念仏堂の、よくある光景だ。
「いただきます!」
坊主の掛け声を合図に、われ先にと騒がしい食事が始まる。寺の朝餉というには、少しばかり騒々しさにすぎる光景だ。
「おかわりはあるんだから、そんなに急いで食べないの」
奇妙な着物をたすきがけにし、端から出ている太ももどころか腕まであらわにした、なんとも薄ら寒そうな格好で食卓を仕切るのは、先ほどの鈴だ。
いっそ振り回すといった表現が似合いそうな勢いで、サッサカサッサカとしゃもじでご飯をよそっている。
「鈴姉さんご飯美味しいよ」
朝の失態を帳消しにしたいのか、なんとも無邪気な表情で梅が味噌汁をすすった。
「食べながら喋らない」
鈴はきつく梅をそう叱ったものの、顔のほころびは隠せない。
年頃の娘だ、自分の作った食事をほめられて嫌な気持ちはしない。
「うむ、たしかに鈴の飯はうまいな」
坊主も言いながら、ふむふむと頷く。
「もう、馬鹿なこと言ってないでお師さんも早く食べてください。いっつもしゃべるたびに箸が止まるんですから」
鈴がうつむき加減でそう言うと、鈴のすぐ傍ら、振り回すしゃもじから飛び散るご飯粒が張り付きそうな位置で、一心不乱にタクワンをかじっていた少女が口を開いた。
「喋りながら食べるなって自分で言った」
少女はぶっきらぼうにそう言うと、鈴の顔を見上げる。
真っ白な顔。鈴や梅のように美しくも温かみのある白さとは違う、透き通るような青みを持った白い肌。
しかもこの少女、肌どころか髪も真っ白。
そして瞳は夕焼けの空のように紅かった。
「言った。よね」
少女はもう一度問いかける。するとりんは、魅入られたように動きを止め、フゥっと息を吐いて少女の頭をポンポンと叩いた。
「そうね、言ったわ。姉さんが間違ってる」
鈴は、一つか二つかしか違わないだろう年頃のその白い少女の頭を撫でながら、慈愛のこもった表情で微笑んだ。
白い少女もまた鈴の顔を見つめて微笑んでいる。
「咲の言うとおり、ご飯は落ち着いてゆっくり食べていいわ。でも、食べながらしゃべるのはダメ」
りんはそう言うと「あとは自分たちでよそってね」と一言付け加えて、咲と呼ばれた少女の隣りに座った。
そんな様子を、坊主は黙って、微笑みながら見ている。
そしてゆっくりと飯を平らげ、その椀の中に汁を流しこんで掃除しながらも飲み干すと、ゆっくりと話し始めた。
「今日も皆元気そうで何より。梅も咲も、そして鈴も。全て御仏のお導きだな」
やっと僧侶らしき言葉を発して、坊主はすっくとその場に立ち上がる。
「という訳で今日は大きなお勤めが入っているのだが」
坊主の言葉にみな箸を止めて表情を引き締める。
「なぁにそんな緊張することはない、いつもと同じ事しやしない」
坊主はそう言うと、ニヤリと微笑んで合掌した。
「どこであろうと我ら念仏堂は、御仏の教えを衆生に広めるお勤めをするのみ」
坊主の言葉に、鈴が口を挟む。
「どこであろうとって、どこかとんでもない所でやるんですか」
鈴の言葉に坊主は優しく首を振る。
「いやいや、いつもと変わらんよ。いつもどおり通り脇の掘っ立て小屋さ。浅草の仲見世の」
「あ、浅草って!観音様の?」
叫んだの梅だ、りんは呆れ顔で咲は…やはり無表情。
「そうだよ、浅草の観音様の仲見世だ」
「お師さん、全然いつもどおりじゃないよぉ」
梅は涙目である。それもそのはず、浅草の観音様といえばお江戸でも一、二を争う人出がある場所だ。
いつもお勤めをしている、そこいらの通りとはわけが違う。
「なぁに、ヒトの多さは問題ではない。要はやることも込める思いも同じということだ」
坊主の言葉に、梅は覚悟を決めたようなそれでも気の引けるような複雑な顔で俯いた。とはいえ、実際一番度胸があるのは梅だったりする。
「ともかく、みんな励んでくれ」
坊主はそう言うと合掌したまま深く頭を下げた。
「ま、やるしかないですからね」
坊主の言葉を受けて鈴もまた、納得したようだ。
「では、御仏のお慈悲を」
坊主の一言で、騒がしい朝餉のひとときは終わりを告げた。
その二 昼のお勤め
ここは浅草観音前の仲見世
念仏堂の居候