午後二時四十六分の昼下がり

午後二時四十六分の昼下がり

 午後二時四十六分、昼下がりというには時間がすぎ過ぎてしまったような時間帯。遠山慎二は中庭の木の太い幹に寄りかかりながら、本を読んでいた。薄い文庫本だ。
 慎二の学校は成績会議だかなんだかで五時間目終了後で完全下校になった。完全下校と言うのだから、本当は生徒は一人も残っていてはいけない。それを確かめるのは雇われの警備員の仕事だった。だた、警備員は一人で、広大な学校の敷地をうろつかなければいけない。そのために彼らには見回りの順路を定めた学校の見取り図が配られているのである。最低限、そこに書かれている場所さえ見回れば、警備員は給料を貰える。わざわざ、書かれていない場所を見回る警備員など誰一人として、いない。そして、慎二が今いる中庭はその順路からは外されていた。だから、慎二は昼下がりの学校の中庭のど真ん中に生える木の幹に寄りかかりながら、誰にも邪魔されることなく本を読める。彼にとって、こういう日のこういった時間に本を読むのは至福以上のものだった。
「しーんじ!」
彼が静かな読書時間を堪能していると、唐突に高い声がそれを奪い去った。慎二は栞を挟むと、本を閉じて、来客を睨みつける。
「麻衣子、お願いだから、俺が本を読んでいる時に話しかけないでくれないか。」
麻衣子と呼ばれた女子生徒はその大きな目で慎二の目を見た。そして、その普通より少し高めの、鈴のような声を響かせる。
「どうして?」
「どうしてって……、本を読みたいからに決まってるだろ。」
「でも、今に始まったことじゃないでしょ?昔からじゃない。」
麻衣子がにこにこと爽やかに笑う。その笑顔はこの時間帯のこの場所にとても、相応しいような気がした。慎二は麻衣子の顔から目をそらした。
 彼女はとても、綺麗な顔をしている。可愛いではなく、むしろ、美しいという言葉を彷彿とさせるような顔。この高校の全学年の男子高校生に人気な女子生徒、それが麻衣子だった。学校全体のマドンナと称されるような顔と身体の持ち主だ。そんな彼女は、冴えない慎二の赤ん坊の頃からの隣人だ。二人は幼馴染である。家は隣同士、慎二の父親と麻衣子の母親はいとこ、つまり、彼らははとこでもあった。同じ血が流れているのだ。……にも関わらず、慎二は冴えない普通の男子高校生で、平凡な顔に平凡な容姿、平凡な成績で、一回、会っただけではすぐに忘れてしまいそうな平凡な人間。一方、麻衣子は綺麗すぎる顔に整いすぎた容姿、常に上位に食い込む成績の持ち主で、噂に聞いただけで覚えてしまいそうな非凡な人間。慎二にとって、その事実と現実は一種のコンプレックスでもあった。
「昔はこんな風に声をかけると、慎二は笑顔で迎えてくれたのにね。いつからか、嫌がるようになっちゃったよね。」
麻衣子は爽やかな笑顔のまま、呟く。
「変わらないものなんて、ないんだよ。」
慎二も呟き返す。麻衣子は慎二の顔を驚いたように見つめると、「そっか。そうだよね。」と切なそうな顔で笑った。
 慎二が麻衣子の来訪を嫌がるようになったのは中学二年生頃からだ。思春期に入り始めた頃だろうか。麻衣子が彼を頻繁に訪ねる様子は思春期に入り始めた、まだ、思慮分別に欠ける中学生の物議をかもした。『麻衣子は慎二を好きなのではないか』、『二人は既に肉体関係さえ持っているのではないか』、『麻衣子は慎二に脅されているのではないか』。思慮分別に欠ける幼い中学生達が出した結論はそんなことばかりだった。いくら慎二が幼馴染なのだと言っても、無駄だった。そういった推測は彼らの知らぬ所で行われ、噂は当人の言い分にもかかわらず流れ続けた。慎二はそんな同級生達に説明をするのも、噂を流されるのも、推測されるのも嫌だった。だから、彼は麻衣子の来訪を拒み始めたのだ。
「でも、もう少し優しく迎えてくれても良いんじゃない?」
麻衣子が目を伏せながら、小声で言う。長いまつげが太陽の光を受けて、輝いている。
「邪魔なんだよ、分かる?俺は来てもらっても全然、嬉しくないの。」
慎二が吐き出すように言う。
「本当に、そう、思ってるの?」
麻衣子の震える声に慎二は自分の言ったことに気付いた。
――やってしまった……。
 確かに心のどこかではそう感じていた。けれど、そんな些細な感情を出すべきではなかったのだ。麻衣子のまつげがかすかに震える。慎二は取り返しのつかないことだと、それを見て、理解した。
「……本当に思ってるよ。うるさいな。」
麻衣子には見えない位置に置かれた慎二の手がかすかに震えている。見える位置に置かれている手は力強く握りしめられている。
 かすかに、本当にかすかに、慎二の声が震えた。震えた慎二の声が、空気を震わす。けれど、麻衣子は些細な違いに気付かない。
 麻衣子には早口に言われたその言葉は、彼女の心を切り裂くだけの鋭さを持った冷たい刃になった。


「最低……。」



彼女は震える小さない声で早口にそう伝えると、立ち上がり、中庭から去って行った。後には取り返しのつかないことをしてしまったと、途方に暮れる慎二だけが取り残された。
 太陽がいつの間にか、大きな校舎の陰に隠れた。

午後二時四十六分の昼下がり

 不器用な高校生男子っていうのを書いてみたかったので、この『午後二時四十六分の昼下がり』を書かせていただきました。
 慎二は綺麗な顔立ちの、整った身体の女子の幼馴染がいます。同学年で、幼いころからずっと一緒。つかず離れずな関係です。麻衣子ちゃんはおとなしい、でも、元気さを失わせないようにして書いてみました。ついでに慎二に好感を抱いてる風にとれるようにしてみました。
 幼いころはいいのですが、思春期の難しい時期(中2頃)になり、麻衣子ちゃんと話すたびに噂が立つようになります。慎二はそういう煩わしいことを嫌がって、麻衣子ちゃんを拒み始めます。
 このお話にラストはなく、これからどうなるかは二人しだいという風な終わりを目指しました。

ここまで読んでいただき誠にありがとうございます!

午後二時四十六分の昼下がり

不器用な男子高校生、美しい彼の幼馴染。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-03-01

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