退屈、そして

いま僕の目の前にハッチバックの小型車がとまっている。
外を歩けば必ず見かける、特に珍しくもない車種だ。
普段ならば、そんなものにはなんの意識もむけないだろう。
だけど、今日は違っていた。
目の前にある、正確には道路を挟んだ向こうがわの歩道に
乗り上げる形で停まっているそのコンパクトカーに目を奪われた。
バンパーはVの字に折れ曲がり、二つに千切れんばかりだった。
ボンネットはレーズンみたいにしわくちゃになって、
ダラしなく口を開いてた。そこに収まっているべきエンジンが見えない。
衝撃で車体の下の方へ潜り込んでしまったのだろう。
フロントガラスは綺麗に弾け飛び、車の周りでキラキラと光り輝いていて、
まるで飾り立てているようだった。
そして、たぶんオイルではなくて冷却水だろうけど、
地面にヌラヌラとした甘い香りのするシミが広がっていた。
事故だ。
被害を被った車や人は他に見当たらなく、この車の単独事故のようだ。
どういう経緯か詳しくはわからないが、
歩道に立っている電柱に突っ込んでしまったようだった。
強くブレーキを踏んだ痕跡が見えないことや、
電柱の曲がり方を見るに、かなりのスピードが出ていたのだろう。

事故に至るまでの投げやりな推察をやめさせたのは、
僕の中にひとつ、趣味の悪い、でもシンプルな興味が湧いて出たからだ。

「怪我人はどういう具合なんだろう?」

救急車も警察の車も、サイレンの音は遠くにも聞こえてはいない。
まだ誰も通報していないのだろうか。
野次馬は車を遠巻きに取り囲むばかりで、ドライバーの怪我を心配する者や、
事故の責任は誰にあるのかなんてことを気にする者の声は聞こえてくるのだが、
だれ一人として助け出そうとする素振りさえ見せなかった。
僕はどうしてもドライバーの状態を見たくなって、
道路を小走りで渡りその車のそばに近づいた。
「余計なことはしないほうがいい!」
などという野次馬の有難い「忠告」を無視して、運転席側から車内を覗き込んだ。
ハンドルとエアバッグ、そして座席のあいだ、
「空間」というより「隙間」と言った方がいいだろうか、その僅かなスペースに、
無理やりねじ込まれたようにドライバーが収まっていた。
ハンドルの上に無雑作に置かれた頭からは、
エアバッグを伝って赤黒い液体がフロアマットを汚していた。
手足はだらしなく投げ出されて、そこからはなんの力も感じられず、
重力への抵抗を知らない、まるで人形のようだった。
生きているのかそうではないのか、それはよくわからなかった。

しばらくその車に張り付いて、あちこち見てまわったのだが、
すぐに飽きてしまった。
そのまま立ち去っても良かったのだけど、
フロアに転がっていたそのドライバーの携帯電話で警察に連絡をし、
沸切らない気分を抱えてその場から立ち去った。

事故直後の怪我人を観察するという体験は、貴重なものなのではないか?
僕はそれなりにレアな経験をしたはずだった。
目の前で人が大怪我をしている、もしかしたら死んでいたのかもしれない、
そんな重大な現場に立ち会えたのだから。
だけど正直に言って、少しだけワクワクできたのは
その事故を起こしたクルマに近づくまでだった。
怪我人をみてもそれほど心躍ることはなく・・・・・・
心踊るという言い方が不謹慎だというのならば、それは違う。
動揺したり恐怖したり悲しんだり、なんでもいいけれど、
何か心に大きな入力があるという意味だ。
とにかく、得るものはなかった上に、
見たことで発生した面倒に後悔しただけだった。
そしてその後悔は、警察か救急に連絡しなくてはという、
最低限の義務感がそう思わせたにすぎない。

もっとこう、頭をぶん殴られるような、一瞬で景色が変わるような、
そういう体験になると期待したのだけれど。
まぁ、この程度の出来事でそれを期待するのが間違っているのだろう。
そもそも、そんな凄い体験はそうそうあるものではないのだろう。

小さい頃、多分小学生の高学年のころだった思う。夏休みだったはずだ。
うちの近所の小汚いアパートに独りで住んでいた爺さんが死んだ。
身内のいないその爺さんは、同じアパートの住人による通報で発見された。
よくある「異臭がして」という事がきっかけだったらしい。
僕はそのとき、運良く救急車で爺さんが「搬送」されるところを見たのだが、
遺体を覆うシートだか毛布の隙間から見えたのは、
気味の悪い灰色の斑点模様をした腕だけだった。
多分ほかにも見えていたはずだが、その記憶を掻き消してしまったのは、
なんとも言えない臭いのせいだった。
その昔、うちの台所に仕掛けたネズミ捕りに、
大きめのネズミがかかったことがあった。
それは確か夏の盛りの頃で、ネズミ捕りがネズミを捕まえたことに気がついたのは、
そのネズミが腐り始めて臭い放ち始めた後だった。
一夏放っておいた水槽のような、甘酸っぱくて生臭い、
上手く表現できないけど、その時の臭いだ。
ネズミのそれよりもだいぶ強烈だったけど、確かに記憶にある臭いだった。

多くの大人が出入りして混雑している爺さんの部屋を覗き見することができて、
爺さんが寝ていたと思われると布団が真っ先に目に入った。
濁った黄色と、暗い緑色のシミが跡になっていた。
そして、なぜかそこで一気に興味が醒めてしまい、
変に落胆して家に戻ったのだった。
死体がグロテスクだったからとか、臭いにやられたからという訳ではなかった。
親や近所の人達が騒いでいるのを、どこか遠くの世界のように感じて、
僕はそれを不思議に思いながら眺めていた。

今回の事故を見た後も、これと似たような気分だった。

「心を動かされる」というのはどういった時に起こるのだろうか。
なにか素敵な芸術作品に触れたときだろうか。
誰かに一目惚れしたとき?これは何と無くわかる。
たとえ勘違いだとしても、それは時として良いスパイスになる。
それじゃ、命の危険にさらされた場合はどうだろうか。
これもその瞬間は間違いなく「心踊る」だろうけれど、
自分からわざわざそんな目に合うこともないだろう。
僕はいつ死んでも構わないとは思っているが、
別に積極的に死のうと思っているわけじゃない。それはバカのやることだ。

では、人の死に触れた場合は・・・・・・?

それはもう、だいたい分かっていることだ。
どうにも感ずるところは少なくて、
まぁそれが、身内であれば違ってくるだろうが、
それだってもしかしたら、冷静に乗り切ってしまうかもしれない。
その可能性があることに恐怖を感じる。

醒めた、冷たい人間だと言われる。
だけどそれは誤解なんだ。僕はこんなにも感動を欲しているのに。
この前泣いたのはいつだろう。
この前お腹を抱えて笑ったのはいつだろう。
この前我を忘れるほど怒ったのはいつだろう。
幸せだと感じたのは・・・・・・?もうよくわからない。
そして、そんなことを考えてももうどうしようもない、
仕方ないという、諦めのようなものも微かに感じ始めていた。
望みすが過ぎると大概が面倒な事になる。
それはダメだなんだと、良くわかっているはずだ。
毎日メシを食って風呂にはいって暖かい寝床がある。
これ以上、何を求めることがあろうか?
それはわかっているのだけれど・・・・・・。

1月末日。
大晦日も、年が明ける瞬間も、そしてもちろん1月1日だって。
どれももう、なにひとつ特別に高揚感を与えてくれず、
単なる365日のうちの1日に過ぎないことは、誰でもわかっていた。
また一年が始まる。たぶん昨年と同じようなものだろう。
恐ろしく感じるのは、その変化のない一年の進行が
多くの人にとっての望みであり願いであるらしいということだ。
昨年と、できるだけ同じであろうとする。
ただ、全く変わりない日常を望んでいるいるのではなくて、
所謂「良いこと」による変化は欲していた。
もちろんなるべく努力や苦労をすることなくだ。
でも、大体は去年と同じになる。
いや、少しだけ歳をとるから、体力とか感性も少しづつ衰えて、
ますます儘ならない、つまらない毎日と格闘しなくてはならなくなる。
みんな、それを普通のことだと受け止めて、
あるいは意識の外においやって、どうにか日常を生きているのだろう。
我慢と忘却を操れる人は、本当に幸いだと思う。
別にバカにしているわけではなくて、心からそう思っている。

だけどみんながみんな、
そうやって行儀良く生きていけるわけじゃない。
中には我慢できない、どうしようもないヤツだっている。
何事もそうだけれど、どうしても例外はあるもので、
特異な欲求をもつ人間は、社会生活を送るのに苦労する。
そういう、ある意味でのマイノリティ・・・・・・と言えばいいのか、
とにかくそんな連中は、四苦八苦して歪みながらも変形させて
自分を世間に合わせて暮らす。
我慢に我慢を重ね、どうにか一生をまっとうする人間もいれば、
欲求を抑えることがままならなくなって、社会から弾かれる人だっている。
僕からいえば、どちらも耐え難い。だけど、これは幸いなことだけど、
僕の場合はちょっとだけ退屈への耐性に欠けるところがあるだけで、
なにか酷くアブノーマルな趣味趣向を抱えているわけじゃない。
でも、どうにかしたいと思うのも確かだ。だから試していくしかないんだ。
少しずつ、自分の心が躍るような何か、その手段を探していく。
生きていくということは、やっぱり楽しいことじゃなきゃいけない。
活きの悪い魚みたいな目をして、死人然として悦に入っている場合じゃない。
そうだ。もっと僕を楽しませてくれる何かが世界中にあるはずだ。

僕が死にこだわるのは、それが殆どの人にとって最大のイベントだと思うからだ。
誰も避けられない、いつそれを迎えるのかは誰も予測ができない、
そのくせ誰にも確実にやってくる、生き物にとっての最も忌むべき現象だ。
その瞬間には多分誰もが恐怖するのだと思う。
どんな人間であれ、生きているだけで様々な物事と絡み合い、
そして良し悪し多少の差は別として、この世界に色々な影響を与えてきたはずだ。
それが死の瞬間の次には、世界に何の力も及ぼす事が出来なくなる、
ただの肉の塊に変わってしまう。
親族、友人、知人、同僚・・・・・・
彼らにとっては死後しばらくは精神的に影響があるだろうが、
もうそれは、その人は世界に新しい何かを影響させることは無い。
悲しみはどうしても過去のものになって、次第に薄れていく。
これらの出来事はとても劇的なことだと、僕は考えている。
その瞬間に、その現場に立ち会えるという事は、
素晴らしい芸術品を鑑賞する以上の感動があるはずなんだ。

そう、頭ではそう思おうと一生懸命だった。
だけど僕の感性はそれを許してはくれなかった。
いくつかの死に触れたけれども、実際はどれも冴えないものだった。
もっとも、冴えないのは僕の感性の方なのだろうが・・・・・・。

どうしたら感動できるのだろうか。
このどうしようもなく真っ平らな日常に、喜びを感じるには。
別の国と、ようはもっと貧しい国での生活と比べて見るのはどうだろう。
下をみて幸せだと思えというのは、たぶん無駄なことだ。
今も貧困に苦しんでいる人々がいる。
その一方で、毎日凄まじい量の食物を捨てる国に住む人々がいる。
だからなんだというのだろうか。
風邪で苦しんでいる人に向かって、「俺はインフルエンザで
もっと苦しいんだ。だから我慢しろ」と言うようなものだ。
貧しい国で暫く暮らし、帰国したらその豊かさに幸せを感じるという事だろうか、
僕はこの国の生活水準に慣れている。0がマイナスになり、また0に戻るだけだ。
それじゃダメだ。それは単なる目くらましだ。次は1にならなくては。
幸福が、比較でしか生まれず、比較でしか感じ取れないというのなら、
そんなひどい事実には絶望しか感じることができない。

何といえばいいか・・・・・・日常に緩く優しく、殺されているような感じがする。
時間はゆっくりと、そして確実に過ぎ去って行く。
僕はそれを、何もせずに見ているだけだ。

こういう時はそうだ、と思いたち、
僕は祖母のところへ行くことにした。
寝たきり老人の終末ケアを行う、総合病院の一部署だ。
祖母は、脳梗塞で倒れてから寝たきりになり、
当初は話しかけてもなんの反応も返さないくらいに状態が悪かった。
3年目のいまでは、手を握れば握り返してくるし、
話しかければ頷く事か呻く事で反応を示すようになった。
もちろん、しっかりとした言葉を話すことはできないのだが。
祖母のベットは窓際に設置されてるが、
もし外を見ることが退屈しのぎになるとしても、
それはあまりながくは楽しめないと思う。3階の病室から見える景色は、
灰色の陰鬱な、古びた家屋が並んでいるだけのものだからだ。
晴れた日も雨の日も、どんな表情の空だって、
そんな景色の上では虚しさを強調するばかりに感じてしまう。

祖母のいる部屋には、祖母を含めて6人が寝ている。
祖母のように全くの寝たきりの患者もいれば、
歩行器を使ってあちこちウロウロしている人もいる。
共通してるのは、程度の差こそあれ痴呆症を抱えているということだ。
看護師とのやりとりは、まるで園児と先生のそれである。
見えないお友達と会話を楽しむ人もいる。
過去の記憶を継ぎ接ぎして再生しているだけなのかもしれないが、
さも目の前に人がいるようにお喋りする。
最初は驚いたことけれど、今ではまったく気にならなくなった。

それでもまだ自分で歩き話せる者は幸いだと思う。
うちの祖母がそうだけれども、ベットに伏したまま、寝返りをうつこともできず、
食事は流動食を胃に直接流し入れる・・・・・・胃瘻といったか、
そのような方法に頼っている。排泄はオムツの中に行い、風呂は週に1〜2回。
綺麗好きが聞いたら発狂するだろう。
そして、もちろん歩けないし話せないので、一日の大半を睡眠に費やすことになる。
祖母の目はいつも涙をためていた。
それが単純な身体の疲労や、薬の副作用のせいであればと願う。
もし自分の状況をよく理解していて、深く絶望することからくる涙だとしたら、
あまりにも過酷だ。

胃瘻のチューブの中を豆乳みたいな色した「食事」が流れている。
祖母は起きているのか寝ているのか、天井を見つめ、口をパックリと開き、
その状態でじっと動かずにいた。

僕は、ここに来てこういう祖母の姿を見るたびに、
更に言えば他の患者さん達も似たような具合なのだが、
とにかく、酷く恐ろしい気分になる。
単純に自分がこういう状態になったとしたら、耐えられるだろうかということだ。
「死んだ方がマシ」こう思える意識を残した状態で、
ベットに張り付けにされたらと思うと、シンプルな恐怖に駆られる。
ではなんで、そんなところにわざわざ行くのか。
それはとても大切な、だけど多分に非道な感情だとは思うが、
このまるで動物園のようなこの環境の、非日常性に強く惹かれるからだった。
死にかけの人たちがいる。脳の機能を一部失って、
体の自由もなく、ただ寝ているるだけ。
ここが人の行き着く先の一つで、更にそれほど珍しい事ではないとしたら、
どんな楽天的な性格の人だって気が滅入るだろう。
そんな絶望的な状況が、目の前のあちこちで繰り広げられている。
一体どうして生きているんだろうなんて、
当たり前のような問いを広げるしか、それしかできなくなる。
苦しい。だけどそういう気分に浸るのは、何故だか、また心地よくもあるんだ。
いつもいつも、祖母の命を、僕の手で止めたいという感情にかられる。
本人はどう思うのだろうか。このまま生きたいのか、もう満足か。
たぶんもっと曖昧に、ある日突然なんの苦痛もなく
消えるように死にたいと思うのだろう。
今の状態は嫌だ。人や病気に殺されるのも嫌だ。苦痛なくさらりと死にたい。
僕だったらこう思う。
祖母はどう思うのだろうか。

などと、そんな考えに浸り耽ることができる。
それは、わずかな時間だけれども奇妙な満足感を僕に与えてくれた。
だから祖母の見舞いに来るのも悪くないと思っているんだ。
汚物と、なにかの薬品だろうか、
それらが混じり合った院内の臭いにはいつまでも慣れないけれど。

だからと言って、祖母との体の状態を比較して、
自分が無事であることを素直に喜ぼうとは思えない。
祖母には祖母の、僕には僕の、それぞれの不幸がある。
祖母には痴呆と脳梗塞の後遺症が、僕には退屈な日常が。
「お前の退屈な日常がどれほど有難いか!」と強く言える人は幸いだ。
そういう人はありとあらゆることを自他と比較することで
幸せと不幸を作り出すことができるのだろう。
だから日常を退屈だとは思わないだろう。
不満も満足も、そのほとんどを他人との比較から得られるのだから。
他人の不幸に触れたなら、ニュースでも方法はなんでもいいけれど、
「自分は不幸でないので幸せだ」と感じる決まりがあるのだろうか。
反射的にそれをやっているのなら、餌を前にした犬畜生と同じじゃないか。
まぁそれでも、哀れんでやるというのはまだ理解できるし、
結局はそれも単なる反射なんじゃないかと感じてしまうのだが。
僕の幸せは最後に、自分が死ぬときにようやくやってくるのかもしれない。
そして、そこに至るまでに随分と苦労させられるようだ。
自分の幸せは絶対値でしか測り取れないらしい僕の性分に戸惑う。

よく分かっていたことだが、改めていうと、要するに飽きてきたんだと思う。
この性格、この人達、この街、この国、この世界、この世に・・・・・・。
世の中は僕を楽しませてくれるようには出来てはいない。
こんな馬鹿げたものの考え方は、中学生くらいの頃ならば許されるのかもしれない。
世の中はあらゆる可能性で満たされているという期待。
そして、それを好きにコントロールできるという万能感。
世の中は、自分の才能で、努力で、
少しでも変えることができるかもしれないという。
そしてすぐにそれは単なる幻想で、自分はなんでもない、ただの人だと知る。
それは世の中を知って行く過程の入口で、退屈への第一歩だったと思う。
そんな考え方を、未だに持ち抱えているのだからタチが悪い。
いや、ならば、いってみれば僕は中学生並の感性を持っているはずなんだ。
だけど、薄っすらとした無気力感や諦観を帯びた、
何かブヨブヨとした膜のようなものが僕を厚く包み込んで、
兎に角なにもかもが退屈に感じられて仕方なかった。

家族ができても、それは大きくは変わらなかった。
家族を作ることは、とても苦労させられたし、特に面白くはなかったが、
それは別に妻と娘を大切に思わないということではないし、
当時は家族を持ってもいいかなと考えていたのは事実だ。
まぁもっとも、この思いさえ自分を騙っていないとすればだが。
彼氏然とし、夫然とし、父親然とする。
僕の平べったくのっぺりとした本質をどうにか飾り立てて偽って、
多くの人々にとっては全く自然な振る舞いである、人間関係の展開方法を真似て、
どうにか自分を騙し通すことができた。
これは僕にとっては努力と呼べるものだった。
もしかしたら、家族ができれば退屈もなくなるだろうと、
このしょうもない性分を正せると期待したから。

だけど、やっぱり変わらなかった。
毎朝同じ時間に起床し、朝食も摂らずに駅へ向かい、
僅か数分送れただけで遅延の証明書を発行してくれる優秀な交通機関は、
安心と共に退屈を助長しているようにも感じてしまった。
とにかくその電車に乗り、始業の30分まえには会社に到着し自分のデスクに座る。
ラップトップの電源を入れ、今日の予定を確認し、その通りに仕事を進めた。
昼になれば社員食堂を使い、300円の日替わりランチを選ぶ。
メニューは豊富な方だと思うが、自分で選ぶ気力もない。
そして、独りで摂る食事は20分ほどで終わる。
午後も同じように仕事を方つけ、定時を迎える。
が、まだ帰らない。誰ひとり周りの人たちは帰ろうとしない。
だれか一人、そう、上司だと楽なのだが、とにかく誰かが先に席を立つまで
先に帰ろうとはしいない。ここは嫌な空気の読み合いがあって、
これは退屈とかいう以前に、たんなる苦痛にすぎない。
定時を2時間近く過ぎてようやく職場をあとにする。
また電車の世話になる。急かされていると思えるような短い間隔で、
次々と電車が滑り込んでくる。
まったく、大したものだと思うとともに、なにか狂気じみたものも感じる。
9時頃に帰宅し、妻の作っておいてくれた夕食を温めなおし一人で摂る。
そのあとは疲労に任せて横になり、12時頃に就寝するだけだ。

よく羨ましがられる。とても安定したよい生活だからと。それは分かっている。
僕も最近は、「これで仕方ない」と少しだけ諦め気味になってきたから。

そう。

仕方ない生活が、有難い生活だと思わなくてはいけないんだろう。
本当のところはあまり有難いなんて思えないけれど、
だけど、だから、それを覆い隠すように薄いカバーをかけてかけて重ね続けて、
そうやって誤魔化してくしか、僕にはもう方法が無いように思えてきたのだから。
「有難い」毎日を、そうやってどうにか自分に言い聞かせて乗り切っていた。

そんな平坦な日常を、諦めで封じ込めるような生き方をしていれば、
周囲の人間にも退屈が伝染ることもあるのだろう。
娘が、今度の休みに出かけたいと言い出した。
もちろん「面倒」という文字が真っ先に浮かんだが、
でも何故か、その時に限っては「出かけるのも悪くないか」と思うことができた。
最近はあまり家族を連れ立って出かけてもいなかったからだろうか。
環境を変えれば何か変わるだろうかと期待することもある。
色々と、そして何度も試したことだから、結果は大体わかっているけれど、
少しでも変化を加えたくてたまには努力もする。

そして僕は、次の休みに家族と出かける予定をたてた。
自宅から車で1時間ほどのところにある、
大規模な公営の森林公園に連れて行こうと思った。
ここにはアスレチックやらプールやら、さらには動物園などの様々な施設を含む、
とても一日では遊びきれないくらい大きな一種のアミューズメント施設だ。
僕も幼い頃に何度か連れていってもらった事があるはずだが、
あまり記憶に残っていないということは、たぶんあまり楽しくはなかったのだろう。
もう十分に大人になった今、そして子供もいるわけだし、
もしかしたら、今回に限っては何か楽しめるかもしれない。

妻と娘はうきうきと出かける準備をしていた。
タオルや着替えをバックにつめているのは、
プールはまだ営業していないだろうから、アスレチックで遊ぶつもりなんだろうか。
たしか、池を渡るステージもあったはずだ。
あの公園に出かけるのに、特に荷物はいらない。だいたいが現地で揃うからだ。
なかなか出発できないのは、やはりというか、服を選んでいるからだろう。
なぜか娘の方が時間がかかった。姿見の前で何度も何度も首を傾げている。
10歳にもなると、自分の外見の評価が随分と気になるようだ。

娘と妻の間で暫く言い争いに近いやり取りが交わされて、
娘が納得いったとは言えない表情でだまりこんだ。
それを、ようやく娘を説得できたと思ったらしい妻は、
念を押してほしいというような意味で僕に同意の視線を向けてきた。
仕方なく僕は、それが一番かわいいよ、などといった褒め言葉を、
感情を込められていたかは分からないけれど、
とにか出発にこぎつけるためにそれらしい事を言っておいた。
娘は、わかったと元気良く返事を返し笑顔になった後に
更に何回か服をとりかえ、その度に僕に訊いてきて、僕は同じように答えた。
そして、本当?じゃぁこれでいいか、という渋々とした納得のしかたで、
ようやく家を出る了解が得られた。結局は最初に褒めた服に決めたようだ。
出かける前から少しだけ疲労の色が見える妻と僕とは対照的に、
娘は晴れたような笑顔をうかべていた。
僕は何故か、疲れたなんて思った自分をみっともなく感じた。

出発した直後から、車の中は妻と娘が繰り広げる他愛も無い会話で賑やかだった。
娘は後部座席を振り返りながら、・・・・・・殆ど振り返ったままだが、
妻とのおしゃべりに一生懸命だった。
妻は車に酔いやすいという理由でいつも後部座席に座っていた。
そしてなぜか助手席に座れないこと申し訳なさそうにしていた。
一方で娘は助手席を指定席にしていた。視界が広く景色が楽しめるからだそうだ。
もっとも、本当に景色を楽しんでいるかどうかは怪しいけれど。
僕はといえば、専ら彼女たちを運ぶ自動運転装置と化していた。
女同士の会話にはついていけなかったし、
運転に集中させてもらったほうが楽だから、それで良かった。

車は楽な方がいいに決まっている。
長時間の運転でも疲れないシート。
実用性を重視したシンプルな内装。
周囲の車の流れに対応できる適度なパワー。
あまり目立ち過ぎないエクステリアのデザインとカラー。
燃費、維持費が低コストであることはそれ以前の前提だ。
日本の車はこれらの条件を高い水準で併せ持っていると思う。
だから適当に選んでも大概は大きな問題にあたることはない。
僕も特にこだわりなくそのように車を選んだ。
実際に楽だしトラブルも起きていない。
車に限らず、もしかしたら工業製品の全部に言えることだろうけど、
普及して大勢の人が使えば使うほど、その製品を選ぶ事にメリットが増えてくる。
単純にその維持が楽になる。補修パーツの量やそれを入手する手段が増えるし、
修理のノウハウだって増えてくる。だから僕の選んだ車のような、
面白味はないけれど多数派であるものを選べば楽だし間違いない。
もっとも、こういう考え方が退屈を運んでくる原因の一つなのだろうけれど。
僕はただ、退屈以上に面倒を嫌っているだけなのかもしれない。
そう思うと、またひどく絶望的な気分になってしまう。

運転への集中力を適度に割いて、そんなどうでもいいことを頭の中で廻らせて、
一人で勝手に心を疲労させていると、
シュッという音がしてから車内に不自然な甘い匂いが漂い始めた。
あぁ、またか。もう一つ疲労の原因が増えたようだ。
娘が待ちきれないという表情で、清涼飲料水のキャップを不器用に捻っていた。
人工的な甘ったるくてクドい匂いがする。
今時こんな事を言ってもどうしようもないのだろうけど、
色も味も何もかもが不自然だと感じてあまり好かない。
だけど別に、それらを口にすることをやめさせたりするつもりはない。
例え体に悪いとしても、僅かばかりの量でどの程度の影響がでるというのだろう。
仮にまったく飲まなければ平均寿命まで生きる事が出来るとして、
そして飲んだ場合に5年くらい寿命が縮むとして、だからなんだというのだろう。
今の自分に心地よいことを、それを先送りして
得られるかもしれないものと天秤にかけたときに、
本当にプラスとなるのだろうか、ということを少し考えた方がいいと、
そう言ってやりたい人達がいる。
まぁそれはいいとして、目下の心配事は娘の小さい手によって握られている、
そのペットボトルの中で揺れ回る液体の活発さであった。
娘は殆ど毎回、中身をぶちまけてシートやフロアマットをベタベタにしてくれる。
食べこぼしだってあちこちに転がっている。
娘がシートに座った後は、まるでお菓子の国が戦争でもして壊滅した跡のようだ。
僕は決して綺麗好きな方ではないけれど、それでも限度がある。
子供は、簡単に大人の思惑を踏み越えて行く。
「ジュース、気をつけて」
と、軽く注意をするのだけれど、娘は一瞬こちらを向いてニコりとするだけで、
すぐに妻の方へと体を向けてお喋りを再開するのだった。

ジュースでベトベトになったハンドブレーキと、
同じように甘ったるい液体で汚れた助手席の始末をどうしようと考えながら、
片側二車線の道路を、左車線で周りの車の流れ合わせて走っていた。
道路の両側には、全国どこでも見ることができる様々な量販店が立ち並んでいた。
この光景が僕はあまり好きではなかった。
節操のない、がっつくような色使いの看板が、なぜかモノクロに見えてくる。
そしてなぜだろうか、人の気配というか、活気を感じることができない。
駐車場に溢れた車の数をみれば、この街中の人間すべてが
この場所に集まっているんじゃないかと思える。
繁盛しているのは違いないはずだが。
ここに並ぶ小売店は、品揃えが豊富で安くて、
そしてなによりもこの街の人を惹きつけているのが、
家電はもちろん、服でも家具でも飲食店でも、
当たり障りの無いセンスを提供しているというところだ。
奇抜になり過ぎず、そして、客に無個性であることを忘れさせることができる商品。
それが怖かった。工場から出荷されるブロイラーのような、
そんな無機質な印象を受けてしまうから。
早くここを抜けてしまいたい。

法定速度は60キロ、よく整備されて真っ直ぐのびた昼間の国道。渋滞はない。
この場合、どのくらいの速度で走るのが正解だろうか。
速度計は90キロ近くを示している。
これは違法だけれど、今この場では正解だ。
周りの車も同じような速さで走っているのだから。
法定速度で走っていては、流れを乱してかえって危険だ。
表向きはこれを否定したくなるだろうが、
大概の人は渋い顔の裏で納得すると思う。
決まりごとは、それが適応される現場で強制する力がないのであれば、
結局はその場を制御できないことが多いと思う。
その現場にいる人間達が、その場の流れを見て判断し、
スムーズに事が運ぶような、緩い決まりを醸成する。
現場の状況に即した合理的な構造をつくる、自然な仕組みなのかもしれない。
そしてだけど、それが問題である場合も多いから、
だからやっぱり、もっと上位で決まりを作って制御しようとするけれど、
今度は逆にあまりに非現実的なものとなって、現場との齟齬が起きる。
廻り廻って結局は、曖昧な部分をのこして落ち着くんだろう。
だから、今のこの道路は、法定速度は60キロでいいし、
実際には90キロで走るべきなんだ。
今日は休日だけれど、そんな具合に車はスムーズに流れていた。
この国道をあとしばらく走れば、
大手自動車メーカーの工場に四隅を挟まれた交差点にでる。
それを左折すれば目的地の森林公園まで20 〜30分といったところだ。
この街には製造業が多い。
首都圏からのアクセスが良いこともそうだけど、
なんでも地盤の強固な土地であるらしい。そもそもが魅力的な場所なのだけど、
県が企業の誘致に積極的だったことも影響している。
そうやって招いた工場で、あちこちから来る若者が働きこの街で金を落としていく。
僕も以前に自動車部品の製造ラインで働いたことがあったが、3ヶ月ももたなかった。
よくある理由だけれど、単調な作業の繰り返し、部品の切削に使うオイルの臭い、
機械のたてる轟音、他の従業員とのコミュニケーション・・・・・・
いろいろ嫌で仕方なかった。
工場の建屋をみると、そんなことを思い出す。
その工業団地を通らないといけない事も憂鬱に思っていた。
少しだけ、アクセルを踏み込む右足に力を入れる。
車の流れはまだ乱れない。スムーズに過ぎるくらいだ。

例の交差点から国道を外れ、1キロも走っていないすぐのことだったと思う。
両側に工場が立ち並ぶその道は大型トラックの利便のために
幅広に造られていて見通しも良かった。
空いていた上に景色も代わり映えしなかったからだろうか、
国道の速い流れから切り替えるには、まだ少しだけ時間が必要だった。
80キロを超えるスピードで直進していた僕の車のサイズと色は、
反対車線からやってくる大型のトラックに、
右折の余裕があると錯覚させてしまったようだった。

車がなにかにぶつかる瞬間、
大抵のドライバーは、無意識に自分自身への被害を小さくしようとする。
大きな交通事故のニュースで聞くように、同乗者が亡くなって
ドライバーが生き残る場合が多いのはそんなことも一因だという。
僕もそうだった。
強引に右折を始めたトラックを見て、
反射的にブレーキを踏み、ハンドルを大きく右にきった。
タイヤはそのキャパシティ以上の仕事はできない。
強い減速と深い旋回は、両立できないらしい。
確かタイヤのロックを防ぐ機能があったはずだが、どうしてか作動しなかった。
だから車は素直には右に曲がらず、殆ど直進に近かい動きだった。
不幸なことに、いまさら事故の危険を感じたのか、
右折を始めたトラックはこちらの車線で斜めを向いて急停車していた。
こちらの車の助手席側と、トラックの左フロントの角。
僕の車へ力が良く加わるかたちでぶつかった。

エアバックというのは思った以上の勢いで展開するらしく、
それに顔を殴られて少しだけ痛かったけれど、
僕は軽く手足を打っただけで、他に強い衝撃は受けていなかった。
ほとんど無事に近い。
そしてすぐに、シートとステアリングに挟まれた
窮屈な体を捩って隣に座る娘のほうへ向いた。
そこにあるのは、潰れたルーフとドア、そして暗い色をしたトラックの車体で、
娘は後部座席側に上半身を向けたまま、
下半身はまったく別の方向に向いているようにみえた。

どのような状況なのか、一瞬、理解ができなかった。
だけどもう一度娘の体を見てみると、状況が少しだけ飲み込めた。
捻れたお腹、だろうか、腰かもしれない、
とにかくそこには、血の色をしたものと、なにかピンク色のものが
スカートのウエスト部分だと思われる所からこんもりと溢れ出ているように見えた。
上半身はシートに胸を押しつけるようにトラックのバンパーに挟まれ、
仰け反るように、不自然なくの字に変形していた。
頭は、シートの肩に首を傾げてちょこんと乗っている。
綺麗なままだ。目立つような傷は一つもない。
ぽかんと、力なく空いている口の奥には、生え替わる最中の歯が見えた。
唇の色は健康的薄いピンク色をしている。
小振りな可愛らしい鼻も、大きくてパチリと見開かれた目も、

そのままだ。

眩暈がする。なんだろうこれは。混乱しているんだろうか。

そうだ、妻を確認しなきゃならない。
さらに体をを捩って後部座席に目をやった。
しかし、すぐには妻の姿を確認できなかった。
強い衝撃によって後退した助手席と、後部座席の足元に、
地面にむかってお辞儀するようななかたちで、
まるで海老のように腰を折り曲げて身が押し込まれていたのだから。
人間がとることのできる体勢としては、やはり不自然に思えた。
そして彼女の足元には、なにか嘔吐したらしい跡が広がっていた。

色々な匂いが充満している。
オイル、クーラント、ジュース、血、吐瀉物、シャンプー、香水・・・・・・。
今になって彼方此方が痛みだした。
そういえばトラックのドライバーはどうしたんだろう。
こちらよりは被害が少ないと思うのだけど、なにも動きが見えない。

とにかく、今は相手の心配をしている場合じゃない。
僕は娘と妻に声をかけ続けた。
できる限り大きな声で、しばらくのあいだそれを続けた。
どのくらいだろうか。たぶんものの数分だったのだろうけど、
随分と長い時間が経ったように感じた。
そして返事を返してきたのは、驚いたことに娘のほうだった。
止まっていたと思った呼吸が酷く荒い調子ながら戻っていた。
僕は慌てて名前を呼び続けた。力の限り。

・・・・・・パパ・・・・・・いたい・・・・・・
イたい・・・・・・じゅーすが・・・・・・

僕はその声を聞いてさらに取り乱してしまった。
無意味に娘の頭を撫で、忙しなく窓の外と車内に視線を行き来させた。
なにも助けになるようなものが入っていない事がわかっていても、
どうしてかポケットの中をまさぐってしまう。
そして、足元に落ちてたいた携帯電話をみて、ようやく少しだけ冷静を取り戻せた。

そうだ、救急車・・・・・・。

震える手で、震える指のもどかしい動きに苛立ちながら、
どうにか救急車を要請した。どう説明したのかは覚えていない。

これでたすかるみんなたすかる。

そのあいだも、隣で娘は苦痛を訴える声をあげつづけていた。
意識が少しずつはっきりしてきたのだろうか。
しきりに痛い痛いと呻いている。気持ちが悪いとも。
何とかしてあげたい。今までにないくらい強くそう願った。
どうしたら娘の苦痛をとりのぞけるのだろう。
僕は、無傷にみえる娘の頭を右腕でつつみ顔を寄せた。
荒い呼吸が伝わってくる。ゼーゼーと、なにかが引っかかるような
ザラつきのある不吉な呼吸だった。
苦しいんだろう。あたりまえだ。でもどうしたらいいんだ。
僕には待つことしかできない。こうして抱いてやることしかできない。

一秒でもはやく、娘の苦痛を・・・・・・。

一秒でもやはく・・・・・・。

苦痛を・・・・・・。

そのとき、何といえばいいのか、うまく表現できないのだけれど、
子供が、親にあとで必ずバレて叱られるであろう、
幼稚なイタズラを思い立って、得意げになるというか、
悦に入っているというか・・・・・・なにかを新発見したような、
自分の中のそんな感覚に気がついた。
そしてすぐ、それに、そのような考えを持ったことに恐怖した。
そのイタズラ感覚の正体が一体なんなのかに気がついたから。

だけどそれは、抗い難い、酷く強い魅力を放っていた。
それは、今までに経験のないことだから。
そしてそれを選択する罪への、もっともらしい言い訳も見つけてしまった。

素人の見解だからはっきりとは言えないけれども、
娘はもうたぶん、助からないだろう。
トラックの車体と、それよって潰れた僕の車のその一部に、
助手席側の空間は食い潰されている。今そこはただのスクラップ置場だ。
娘の上半身と下半身は、とても頼りないつながり方をしているように見えた。
これじゃ・・・・・・助かるわけがない・・・・・・。
娘は「痛い」や「パパ」「ママ」にならんで「寒い」という言葉を発していた。
かすれた呼吸はザラつきを増すとともに浅く早くなっていた。
目に溜めた涙は、大きな雫になって次々とこぼれ落ち、頬に痕を引く。

パパ・・・・・・ぱぱ・・・・・・

娘は苦痛から逃れたいに決まってる。

僕は抗いきれなかった。
苦しむ娘が不憫だから・・・・・・?
そうだな、そういう建前でもいい。
今しかなかった。チャンスだ。

僕は上手く力が入らない両手で輪を作って、どうにか娘の細い首を締めつけた。
娘は頭をさらに背中側に反らせて目を見開き、
グッグッという喉をならすような、嫌な反応が返ってきた。
喉の中をなにかが這いずり回っているかのようだ。
そうしている間、頭の中にあったのは、家族の思い出でもなく、罪悪感でもなく、
希望・・・・・・というか期待だけだった。
しばらくして、娘の顔は赤く染まってから、
そのあとに赤黒い不健康な顔色に変わっていった。
もうなにも・・・・・・「ぱぱ」なんて言わなくなったし、
瞼も動かなくなった。だから涙も零れない。安心だ
娘の顔から目を離さずに、ゆっくりと手をはなした。
静かになった車内で、僕の呼吸する音だけが聞こえる。
少しの間、そのまま娘の方を向いたまま動かずにいた。
そして僕は、なにか肩透かしを喰ったような気分に襲われていた。

思ったよりも、あまり感動できなかった。
なんでだろう。自分の娘だ。愛していたんだろう。
なのに・・・・・・どうしてだ。

ハンドルに突っ伏して自問を続けていたら、
いつの間にか救急車と警察が僕の車を取り囲んでいた。
ちゃんと通報できていたようで安心した。

救急車で搬送される際に僕は、自力で乗り込むことができるくらい
身体には何も問題なかった。
手足に多少の打ち身はあるものの、殆ど無傷だと判断された。
妻は、娘よりも怪我の程度が浅いと思っていたのだが、
ほぼ即死ではないかという見方だった。
運悪く、頭を強く打ちつけていた事が致命傷となったらしい。
ありえない体勢で折り曲がっていた事はあまり関係なかったようだ。

そしてもう一人・・・・・・。

娘も、車から引き出される時点で、すでに死亡していたということだった。
詳しくは良く理解できなかったが、
お腹の深い傷による出血が主な原因だという事らしい。
他には特に、直接の原因があるようなことは言っていなかった。

救急車での搬送中、娘に付き添い、その顔をじっと見つめていた。
よく聞く話だとは思うけど、昔の思い出が蘇るという状態にいた。
生まれた日のこと、柔らかい肌と独特の匂い、ベビーベッドの柵越しに、
ニコニコとこちらを伺う顔、四つん這いで歩いたと思ったら、
いつの間に立って歩くようになって驚いたこと、そこからはあっという間だった。
自転車に乗れるようになり、小学校に行くようになると
授業や友達の事を嬉そうに語っていた。これからは、だんだんと家族よりも
友人との付き合いに時間を割くようになるんだろうな。
そうやって少しずつ・・・・・・体も大きくなって・・・・・・
会話も大人びてきて・・・・・・。

僕は無意識のうちに、娘の頭を抱え込むようにして、自分の顔を押し付けていた。
頭皮の匂いとシャンプーと、あとなにか甘い香りがしたのを覚えている。

僕は今までに経験したことのないような、たぶん人生で初めてだと思う、
人前で酷くみっともない泣かたをした。
今更ながら、妻と娘の色々な思い出に胸の中を掻き回されていた。
それらの思い出は獰猛な獣みたいだった。
その獣が爪をたてて、力に任せて掻き毟っている。
引き裂けそうなほど・・・・・・本当に、胸の奥、
肺や肋骨や筋肉や皮膚が痛く感じると錯覚するほどに、胸が苦しかった。
喉が詰まって息ができない。呼吸が難しい。娘もそうだったのかな。吐き気がする。
肩を大きく上下させて、やっとで呼吸をしている。
手のひらは熱いのか冷たいのかさえわからなかった。
全身の震えが止まらなかった。何度も立ったり座ったりした。
涙だか鼻水だかわからないけど、塩っぱいものが次々と口に入ってくる。
何も見えない。ゆがんで見えない。ぜんぶ磨りガラスの向こう側みたいだ。
なんてことだ。
なんてことになった。
なんてことをしたんだろう。
どうしてこんなことに・・・・・・。
今まで感じたことのないくらいに心を打ちひしがれた。砕かれた。吐気がする。
僕のもっているもの全て。お金とか・・・財産か。あと微々たるものだけど
いままで築いた社会での信用とか、そういったもの全て。
それをいま、だれかにぜんぶあげるから。
だから、だから、この苦しみを取り除いて欲しい。
取り返しのつかないこの状況をどうにかして欲しい。

これは苦しい。とても苦しい。酷く苦しい・・・・・・。

苦しくて・・・・・・苦しい。

苦しくて・・・・・・悲しい・・・・・・。

そうだったんだ。
こういうことだったのか。
初めてかもしれない。ここまで心を揺さぶられたのは。
信じられないくらいに動揺した。
・・・いや、動揺「できた」
なんだ、まだあったんじゃないか。
僕の中にも、強く感じることが出来る感度を持った心が。
突然、これまでとは世界が違って見えた。この感動。この新鮮さ。
新しい。今までの灰色の世界とは少しだけ違って見えるんだ。
彼女らを失って、僕はそれを知り得た。

そうか、こういうことだったんだ。

家族を失った僕は、周囲の人々から定型的な同情を向けられて、
しばらくの間、妙な居心地の悪さの中で生活を送った。
そして諸々の後始末が終わると、僕に残されたのは仕事だけになった。
一戸建ての家は独り身には広すぎるので売り払ってしまった。
本当になにもなくなった。
そして僕は、以前と同じ退屈な日常に戻った。
だけどもう、絶望はしていない。
ぼくは今回の出来事で知ることができた。
家族だけは、本当に大切に思っていたという事実。
そしてそれを失なうことの大きな衝撃、深い悲しみ。
その結果に得た、生まれ変わったかのような心。
この世界を、今までと違ったものと感じるように思える。

そうだ、もう「方法」はわかったんだ。
僕はまた家族をつくろうと思う。
本当に愛せる妻と子を。
一生懸命につくりあげよう。
そしてまた、あの森林公園に行こうと思う。
あの素敵な「アトラクション」との出会いを期待して。



退屈、そして

退屈、そして

平板な自分の心からくる、日常への強い退屈に苦しむある男。 そんな彼を救ったのは、家族への深い愛情でした。 ・・・・・・というお話です。 ※この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。 ※一部に不快を催す表現が含まれている可能性があります。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-28

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