夏の残像
初投稿になります。現在書いている長編小説の息抜きで書いてみました。一応、ミステリ?
1
「懐かしいな……」
今は夏。殺人的な熱線を出しながら太陽が幅を効かせる季節。私は懐かしい故郷に帰ってきた。五年ぶりの帰郷となる。昔と変わらぬ崩れかけたバス停に降り立ち、私は思わず呟いた。
バスが走り去り、目の前の景色が開ける。そこには一面、田んぼが広がっていて、私の腰の高さ位の青々とした稲穂が生い茂っていた。そのはるか向こう側には山並みが広がっている。昔とまったく変わらぬ様子に、安堵のため息が出た。
「さて、歩くか」
私は無意識に思い出される懐かしい記憶に浸りながら、高峰神社へと足を進めた。
2
私の青春時代を語るうえで決して忘れる事の出来ない人物が二名いる。それは高峰彩香と高峰優香の双子である。彼女たちは一卵性の双子で、一見しただけでは見分けがつかないほどに似ていた。私は子供の頃から彼女たちと遊んでいたので見分けがついたが、他の者にはとてもつかなかったらしく、彼女らが本気で入れ替わりを行った際には、村の人々や学校の先生、挙句の果てには実の両親でさえ間違える始末だった。私はそのたびに得意げに彼女らの入れ替わりを指摘し、
「「なんで、タカくん分かっちゃうの?」」
と、彼女らに言わしめていた。
五年前の夏、村は過疎で子供が少なく、私たちは小学生から中学生までが一緒に授業を受ける村の分校に通っていた。私と同学年の生徒は彼女たちだけだったので、中学三年生という難しい年頃ながら、私たちはよく遊んだ。
田舎の夏休みというのは意外に遊びには困らない、虫取りや天体観測、学校のプールに肝試し、イベントは数多くあり、時間はあっと言う間に過ぎてゆく。でもあの夏、一番の印象に残っているのはやはり、あの夏祭りの夜だった。
3
毎年、七月の終りに高峰神社で催される夏祭り。あの年は確か夏休みに入ってから二週目の日曜日だった。高峰神社は村を一望できる山手に建てられている神社で、彩香と優香の実家だ。私達三人は祭りの日、一緒に露店を回るのが毎年の恒例だったので、私はいつもの年の様に神社へ上がる階段の下で二人を待っていた。すると待ち合わせの時間よりも少しだけ遅れて二人がやって来た。
「「ごめんね、タカくん。遅れちゃった」」
彼女たちはいつもの様に、お互いに寸分たがわぬ動きと台詞で謝ったが、俺の視線は彼女らの姿にくぎ付けにされてしまっていた。優香は青色、彩香は赤色の艶やかな浴衣姿で、二人とも腰のあたりまで伸ばした黒髪を後ろで一本に結わえている。さらには普段、特に化粧などしていないのに二人とも薄く化粧をしていて、口もとには紅が引かれていたのだった。とても美しかった。
私は一般的な男子だった。このような状況下で、二人を意識しないはずがない。露店を廻っている間、両脇にいる彼女らの顔をまともに見ることが出来なかったのを良く覚えている。いま思えば、それまでも彼女らを女性として意識した事は幾度となくあった。その度にその欲望を抑えられてきたのは、彼女らの容姿や反応があまりにも子供らしく、無邪気であったからである。しかし、その夜の彼女らはあまりに美しく、そこにいつもの子供らしさは微塵も感じられなかったのだ。私は次々と湧き上がる感情を抑え込むのに必死だった。
祭りが終盤にさしかかり、私たちは神社のわきにある小路を通って小さな高台に登った。毎年、祭りの最期には数は少ないが立派な、打ち上げ花火が上がる。この高台はその花火を見るための絶好のスポットなのだが、意外に知られていない場所らしく私たち以外に毎年訪れる人はいなかった。
「タカくん。今、何時?」
赤い着物の彩香が私の顔を覗き込みながら聞いてきた。私は腕時計のライトを点灯させ時間を読み上げた。
「ちょうど、八時半だね。もうすぐ花火が上がると思うよ」
「そっか……」
すると、彩香は少し悲しげに優香の方を向くと、何か合図を送る様に頷いた。それに応えて優香が喋る。
「ねえ、タカくん。教えて欲しい事があるの」
優香は私の目の前に立ち、真面目な声色で言った。
「タカくんはなんで私たちの見分けがついたの?」
「なんでて、それは……」
私が答えに窮していると、優香の後ろで花火が上がった。花火は大きく綺麗な花びらを一瞬だけ広げるとすぐに散った。その瞬間、薄暗かった空間が一気に明るくなり目の前に立っている彼女の顔が良く見えた。まるで死人のような白い顔の色、そして、私を射抜く無機質な目が怖かった。
「ねえ、タカくんなんでなの?」
優香は花火などには目もくれずに私に質問を繰り返した。
「……小さいころからずっと一緒だったし、当たり前じゃないか。嫌でも分かっちゃうよそれに……」
「それに?」
「その……。俺、優香の事が好きなんだ。お前の事をいつも見てきた。だから間違えるはずがない」
私は初めて思いのたけを彼女にぶつけた。そう、私は優香のことが好きだったのだ。正直に言えば、先ほどから私が意識していたのは優香だけだった。同じ顔をした双子でも、私にとって優香の方が特別な存在だ。私がそう答えると優香は何かに耐える様な苦悶の表情を浮かべ、私に抱きついてきた。彼女は泣いている。
「ど、どうしたんだよ、優香」
「ごめんね。ごめんね、サイちゃん。私を許して、私を……」
優香は私に抱きつきながら倒れ込み、俯きながら叫び声に近い口調で言った。
「私がいけないの! あれは事故だったのに、私がサイちゃんをあんなに責めたから。だからサイちゃんは、サイちゃんは……」
優香が何を言っているのか理解できなかった。私は困ってしまい、後ろを振り返り、彩香に助けを求めようとした。しかし、そこに彩香はいない。
「サイちゃん。ねえ、サイちゃんお願い。もとに戻ってよ。私がいけなかったから、サイちゃんは何も悪くないんだよ」
優香が顔を上げた。彼女の綺麗な顔は涙や泥などで汚れてしまっている。と、その時、
花火の明かりに照らされて、私の足元が見えた。赤い。私は赤い着物を着て草履を履いた。おかしい。おかしい。おかしい。おか……
「ねえ、彩ちゃん。正気に戻ってよ。タカくん。彩ちゃんから出て行ってよ!」
私の記憶はそこで途切れてしまった。
4
「なるほど。そのような事があったのですね」
「はい」
柳田は高峰神社の若い巫女、高峰優香の話を聞き終えた。柳田は小説家で、今度書こうとしている小説の取材の為にこの高峰神社を訪れていた。高峰家は柳田の親類にあたり、多重人格を発症してしまった高峰彩香の話を偶然に聞く機会に恵まれたのだ。
「お姉さんはその翌日、大学病院に入院されたのでしたね」
「ええ、それまで姉がタカくん……、山村隆君の真似をしていたのは私の前でだけでした。両親も変だと思っていたようなのですが、あまり気にしていなかったみたいでして。でも、あの夜、気絶してしまった姉さんを見たときにはさすがに驚いて、すぐ、病院に連れて行き、検査を受けさせました。それで精神系に大きな異常があることが分かり、すぐに入院が決まったのです」
優香は目の前に置いてある、珈琲の入った白いマグカップを見ながら喋っている。
「私がいけなかったのです。タカくんは事故で死んでしまったのにそれを姉のせいにして激しく責めたてた。だから、姉は自分の中にタカくんを作ってしまったんです……」
六年前の夏祭りの夜。高峰姉妹と隆君は花火を見るために神社の上にある高台に登った。この高台は花火を見るにはいい場所だったが、かなり足場が安定しないうえに、斜面が切り立った崖のようになっていて危ないので立ち入り禁止となっていた。しかし、子供だった彼らはそれを知らずに毎年、登っていたのだ。そして、事故は起きた。その日、ふとした弾みに彩香の躰が隆君にぶつかり、バランスを崩した隆君は転落して死亡した。即死だったそうだ。
優香は隆君に好意を抱いていて、その事は彩香も承知していた。二人の関係は良好で後は、きっかけ次第といった所だったらしい。その矢先の事故である。当然、優香は激しく彩香を非難したそうだ。そんな調子がしばらく続いたある日。彩香が突然、隆君のような言動を優香の前でとるようになってしまった。ふたりは元々仲の良い姉妹であり、そのような状態になってしまった姉を心配した優香は必死に姉を介抱したそうだが、結局、子供一人でどうにかできる事ではなかった。
「お姉さんはまだ、入院されているのですか」
柳田の問いに、優香は病的なまでに白い顔をあげ、微笑を浮かべながら答えた。
「いいえ、実は先日退院しました。ちょうど今日、戻ってくる予定なんですよ」
5
照りつける日差しの中、私はおぼろげな記憶だけを頼りに高峰神社への道のりを歩いた。少し歩くだけで躰から汗がにじみ出てくる。私はそれらをハンカチで拭いながら歩を進めた。そんな状態で私は入院する直前の事を思い出していた。
「優ちゃん。ほんとうに良いの?」
病院の待合所。
「うん。もう決めたの。それよりも彩ちゃん、私の我儘を聞いてくれてありがとう。きっと、彩ちゃんは私よりもつらい思いをするよ……」
白い壁がどこまでも続く廊下。
「ううん。そんな事ないよ。……さっき、話したように私もタカくんのこと好きだった。今まで言い出せなくてごめんね。だから、私も彼を守りたいの。」
私たちは互いに抱き合い泣いた。そして……
気が付くと、神社に上がる階段の前に私はいた。そこで、昔、私達はタカくんとよく待ち合わせをした。今でも彼の笑顔を鮮明に思い出すことができるし、これからも彼に触れることができる。私は心の底から彼女に感謝しながら階段を上がっていった。
6
柳田は神社の片隅にある喫煙所で煙草に火を点けた。高峰優香は先ほどから神社の本殿前に立ち、姉である高峰彩香の到着を静かに待っている。それにしても、運が良い。まさか姉妹の再会の瞬間をこの目で見られるとは思っていなかった。……いや、それは嘘になるか。
高峰神社に訪れる前、柳田は事前に情報を集め、彩香が退院する事を知っていた。その日取りから考え、今日を取材の日として提案したのだ。しかし、こんなにも劇的に話が進んだことはやはり運が良かったのかもしれない。実に実りの多い取材になりそうだ。
柳田がそんな事を考えながら、煙草を吹かしていると階段を上ってくる女性の姿が目に入った。女性は黒い綺麗な長髪で、整った綺麗な顔立ちをしている。その顔は優香に瓜二つだった。間違えなく高峰彩香だ。
優香と彩香、二人はしばらくの間、見つめ合ったのち再会の抱擁をした。実に、五年ぶりの再会となる。その様子を見て、柳田は満足げな表情を浮かべると煙草を灰皿に押し当て、小説の構想を練りながら静かにその場を立ち去った。
7
階段を上がり終えて境内に入ると、そこには想像通り彼女が立っていた。その他には隅の喫煙所に中年の女性が一人いたが、私にはまったく気にならなかった。
そうして、私たちはどちらが、とでもなく近寄ると思いっきり抱き合った。私は確かに今、彼女と彼の鼓動を感じている。病院での長い孤独な生活が報われた瞬間だった。私たちは少し離れ、お互いの顔を見つめ合いながら言った。
「お帰りなさい。優ちゃん」
「お帰り、優香」
「ただいま、姉さん。ただいま、タカくん」
夏の残像