マトリョシカ

――――大人になんてなりたくない。
謎の失踪事件が重なる中、圭太はアキという不思議な少女に出会った。

連載中。

プロローグ

 そこは純白の無機質な病室だった。窓もない、ただベッドがあるだけの部屋。アキはそのベッドの上で体を起こし、その横に立っている男を見ていた。
「キミはどんな大人になりたいんだい?」
 マトリョシカのようにぶっくりと肥った男が言った。
 首もなく、頭と胴体がつながって滑らかな曲線を描いたその体を楽しそうに揺らしながら、アキの顔を覗き込む。
「わたしは大人になんかなりたくないわ。だって醜いもの」
 アキの顔は嫌悪に歪んでいた。
「はっハハハ―――。そうかい。そうだね」
「お父さんは家では厳しい顔のくせに、外でお母さん以外の女の人と会っていたときは優しい顔していた。お母さんもお外ではよく笑うのに、わたしの前では疲れ切った顔をしかしないの。みんな色んな顔を持っているの。なんだか、いくつも違う自分がいるみたい」
 その瞳には醜悪なものを嫌悪する純粋な感情だけがあった。子供にしかできない、無邪気で恐ろしい目だ。その目を見て、男はなお嬉しそうに微笑んだ。
「すごいね、キミ。すごくいいよ! よくわかっているね。満点だ」
「あなたは他の大人とは違う感じがするわ」
 にやり、と男は先程までとは違う、陰鬱な笑みを浮かべた。
「だってボクハ人形だもの」
「だからあなた腕も足もないの?」
「そうだよ。ボクハマトリョシカさ」
 そう言った瞬間、今まで見えていた男の姿がぼやけて、気味の悪い大きなマトリョシカが現れた。けれど、アキは怖気づく様子もなく、ただ無邪気に笑っていた。
「あははは。すごい、すごい! お人形さんがしゃべってる」
「はっハハハ! 楽しいかい? 楽しいだろう?」
 二人とも涙が出るほど――人形には涙はないが――笑った。
 ひとしきり笑った後、
「なあ、ボクの友達になってくれナイカ?」
 と人形は言った。
「いいよ」
 アキはそう答えた。もう笑っていなかった。
「ありがとう、アキ」
 人形は大きな笑みを浮かべ――――

――――病室からは誰もいなくなった。

第一章    (執筆中)

「う、ん……」
 穏やかな日差しが部屋の窓から射して、圭太の顔を照らした。その眩しさに目が覚めた圭太は虚ろな頭のまま、ぼんやりと壁にかかった時計を見た。時刻は十時。いつもなら学校だが、圭太の通う小学校は昨日から夏休みに入っていた。長い休みに入ったことで、いつもよりも深い眠りに落ちていたようだ。
 布団から出ると大きくあくびをして体を伸ばした。少しの眠気と何とも言えない快感が圭太の全身に走る。もう一度眠りたい衝動に襲われたが、寝過ぎても頭が痛くなったり遊びに行く時間がなくなったりと良いことはないのでやめておいた。圭太は床に敷いた布団を畳み、寝間着からジャージに着替えた。さすがに十時ということもあってか、圭太のお腹が情けなく唸る。はやく朝食が欲しいとわがままな胃が抗議しているようだ。仕方なく部屋を出て居間へ行く。テーブルの上にはラップされているサンドイッチがあった。圭太の親は共働きなので、二人ともすでに仕事に出ているようで、サンドイッチは圭太の朝食用に母親が用意したようだ。眠たい目をこすりながら圭太は椅子に座りサンドイッチを食べた。ハムとレタスのサンドイッチとデザートにイチゴホイップのサンドイッチが用意されていた。圭太はサンドイッチを頬張りながら、ぼんやりと今日やることを考えていた。最初に思いついたのは野球だ。公園でテニスボールを使った三角ベース。圭太たちのクラスで定番の遊びだが、問題は人数が集まるかどうかである。もうすぐ十時十五分になるので、遊びの約束を入れるにはいささか遅い。もう先に遊びの予約が入っているかもしれないし、あるいは家族とお出かけの可能性だってある。両親の休みが中々かぶらない圭太には本当にうらやましいことである。
 思えば昔から、圭太は家にいる時は一人で過ごすことが多かった。いつも子供心に『大人はどうしてあんなに忙しいんだろう』と思っていた。いつだか聞いてみたい気はするが、まだ自分が子供の内に大人の事情など聞きたくはなかった。
圭太は大人が嫌いだ。理由は単純で、忙しい両親の疲れ切った顔を見てきたせいだ。大人になると遊べない。両親の姿を見るたびにそのイメージが圭太の心に根強く残った。圭太の生活の理想は今だった。小学校に通い、放課後は遊び、夜は宿題をしてテレビを見る。休みの日は友達とたくさん遊んで、夏休みや冬休み、春休みには夜更かしをして朝遅くまで寝る生活。まさに圭太にとっては天国だ。
しかし、その生活も今年で終わりだった。来年には中学校に上がる。中学生の大人びた姿は圭太にとって羨望の対象ではなく憐みの対象だった。大人に近づき、少しづつ自由を手放していく子供の哀れな姿だった。その中学生に、もうすぐ圭太はなるのだ。
 とりあえず圭太は考えるのをやめた。
食べ終わった皿を流しに置いて、圭太は今日の遊び相手を選び始めた。
(誰がいいかなぁ……)
 最初に浮かんだのは幼馴染の太一だった。外で遊ぶのが大好きな太一は、長い休みの時にはほとんど毎日のように遊んでいたので、今日も太一ならば遊んでくれるのではないかと圭太は思った。思い立ったら、すぐ電話である。圭太は電話の子機を手に取ると、太一の家に掛けた。押しなれた番号の後に無機質な呼び出し音が続く。
『はい、もしもし。五十嵐です』
 聞きなれた女性の声が受話器から聞こえた。電話に出たのは太一の母親だった。
「もしもし、長野です。太一君いますか?」
 圭太が名乗った瞬間、先程までの作られたような綺麗な声から快活な声に変わった。
『あぁ、圭太君ね。ちょっと待ってて』
 そうして鳴った軽快な保留音のあとに、甲高い声が響いた。太一だ。
『おぉ、圭太! いいところに電話してくれたな! 俺も今から掛けようと思ってたんだ』
「うん。今日はひま? ひまならあかし公園で遊ぼうよ。三角ベースしよう」
『ちょっと待った!』
 そう言うと鼻歌交じりの息遣いが聞こえてくる。どうも様子がおかしい。電話の向こうで何やらニヤけているのが見えてくるようだった。
「どうしたの?」
『いや、三角ベースもいいんだけどさ。今日、みっちゃんと探検しに行くんだけどおまえもどうよ?』
 みっちゃん、というのは圭太たちのクラスメートの本田光義だ。悪ガキという点では太一に引けを取らない。
「え、いいけど。どこに行くの?」
 圭太がそう言うと、太一は声を抑えた様子で言った。
『山の近くに使われてない病院を見つけたんだ! しかもあちこち壊れててすげー怖い!』
 囁くような声だが、興奮を抑えられないといった感じだった。
 圭太はそんな病院の存在は全く知らなかったが、廃墟探検は少年のロマンだ。そんなものを見つけたとなれば、太一が黙っているはずもない。
「怖いのかぁ……」
『あ、お前って幽霊とか苦手だっけ?』
「いや、苦手っていうより普通。昼間なら大丈夫だよ。……もしかして夜に忍び込むの?」
 言っていて不安になったので、恐る恐る聞いてみた。
『バカ。そんなのうちのおかんにバレたら死刑もんだっての。昼からにしようぜ』
 圭太はほっと胸を撫で下ろした。
「うん、わかった。どこに集合?」
『十二時にあけぼの公園! あかしよりあっちの方が山に近いし』
「わかった」
『じゃあ、よろしく! おっしゃあ! 楽しくなってきたぞぉ!』
 本当に楽しそうな太一の声を最後に、ガチャリと電話が切れた。

 圭太は十二時きっかりにあけぼの公園に着いた。圭太たち小学生に人気の遊び場であるあけぼの公園には、多くの子供で賑わっていた。もう一つあかし公園という公園があるのだが、この二つの公園が二大スポットである。
 黒のジャージのズボンに人気アニメのTシャツという姿は圭太のお気に入りの服装である。子供っぽい、と言われるが、子供なのだから別に気にしてなかった。むしろ、子供っぽく見える方が圭太の好みだ。
 公園の入り口付近の銅像に寄りかかった少年が二人いた。短パンに無地の青Tシャツで野球帽をかぶっているのが太一、七分丈のズボンで上に薄緑のシャツを着ているのが光義だ。二人ともそわそわしているのが、遠目からでもよくわかった。
「あ、おっせーぞ!」
「やっと来た」
 二人とも不満そうな顔をして駆け寄ってくる。いつからいたかわからないが、圭太の到着を待ちわびていたようだ。
「いや、時間通りだよ。早く来すぎなんじゃない?」
「ばっか。こんな楽しいことなのに大人しく待ってられるかよ」
 興奮した様子で熱っぽく語るのは光義だ。同意するように太一も頷く。
「そうそう。圭太ってちょっと冷めてるよなぁ」
「そんなことないよ」
 実際、圭太も楽しみにしていた。探検、と聞いて嫌がる男子はそうはいない。もちろん、圭太も例外ではなかった。
「じゃあ、さっそく行こうぜ」
 意気揚々と太一が先頭に立って歩き出した。
「病院ってここからどれくらい?」
「歩いて二十分くらい。そんなに遠くねーよ」
 太一が答えると、光義はニヤけながら、
「楽しみだよなぁ」
 と言った。
 興奮を隠しきれない二人と心の中で楽しく思っている圭太の三人はこうして廃病院へと向かった。
 この探検が、圭太に不思議な体験をもたらすことを、彼はまだ知らない。

 山に入る車道から少し離れたところに廃病院へ続く道があった。立ち入り禁止のカードが付いたロープが張ってある細い道だった。昼間だというのに薄暗く、生い茂る木々のざわめきしか聞こえない。中々雰囲気のある道だ。
「うおおおぉぉ! なんか出そうじゃん! いいね、これ!」
 たまらない、というふうに光義が騒ぎ出した。太一も得意気に胸を張る。
「だろう? さぁ、いざ探検へ!」
「出発!」
「おー」
 三人とも軽い足取りでロープを潜り、その道へと入って行った。踏み均されている訳でもないので、腐葉土と雑草で相当に足場が悪い。短パンの太一は地面から生えている鋭い葉っぱのせいで、早くも小さな切り傷がたくさんできていた。やぶ蚊もたくさんいるので、かなり手が痒い。光義も顔をいくつか刺されているようだった。それでも、誰も文句ひとつ言わない。三人とも顔は真剣そのもので、探検家に成りきっていた。
 道は次第に狭くなった。木の数も増え、視界も悪い。
「なんか、魔界って感じだな」
 光義がぽつりと呟いた。太一も圭太もそれに同意するように頷いた。
「だな。なら、さしずめ俺は魔界の王様かな」
「いや、太一は下級の魔物じゃない?」
「言えてる」
 なんだと、と太一は息を荒げた。小馬鹿にした様に光義は笑った。
「お前が魔王様なら俺は魔王を倒す勇者だな。ほら、くたばっちまえよ」
 そう言うと光義は前を歩く太一の背を押した。
「お、おい! あぶねぇよ!」
「ははははは。魔王敗れたり」
「ふふふっ」
 三人の笑い声が森に溶けていった。

――――はっハハハハハハ!

「え?」
 びくっとして、圭太は止まった。子供のような魔物のような不気味な笑い声。今、確かに聞こえた。
「おい、圭太どうしたんだよ」
「ほら、もうすぐ着くぜ」
 前を歩く二人は不思議な顔をして圭太の方へ振り向いていた。
「太一。みっちゃん。今の声って……」
「は? 声?」
「声なんかしたか?」
 二人とも訝しむように首を傾げた。二人には聞こえていないということらしい。あんなにもはっきりと、不快で耳に残る笑い声だったというのに。
「あ、なるほど」
「ん? 太一、どうした」
 にやり、と太一が笑う。
「圭太。驚かそうったってそうはいかねーぞ」
「あ、なるほど! 圭太って大人しそうに見えて結構ずる賢いな」
「え、いや、違うよ。本当に笑い声が……」
 二人は圭太の冗談と思ったらしい。にやにやと笑うばかりで取り合ってくれなかった。
(気のせいだったのかな?)
 圭太もだんだん自信がなくなってきた。もしかしたら、本当に聞こえた気がしただけかもしれない。
「お。見えたぜ」
「おぉ!」
 二人が走り出した。慌てて圭太も走ってついて行くと、突然視界が開けた。森を抜けたのだ。
「うわぁ」
 光義が驚きの声を上げた。三人の前には四階建ての小さな病院が建っていた。蔦が絡まり、苔が生え、コンクリートはひび割れている。窓ガラスもほとんど割れていて、壁には落書きが点々と描かれていた。ちょうど『コ』の字型の形をした病院で、圭太たちはその正面玄関の前にいた。左右に突き出た病院の棟が日光を遮断していて、森の中と同じくらい薄暗かった。

マトリョシカ

マトリョシカ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-27

Copyrighted
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