くらげと戦争

戦争はいまもどこかで起こっているとか、世界にはこの瞬間にも飢えに苦しんでいる人がいるとか、くらげにはそういう事実がどうにもピンとこなかった。くらげにとっての世界とは、ただ目の前に際限なく広がっていく青色のことだった。くらげにとっての戦いとは、海亀や他の魚に食べられてしまわないように、毎日を生き延びることだった。「かくへいき」について、こちらの興味をよそに、かじきは話を続けるのだった。
「おい、聞いているのか」
うわのそらでぷかぷか浮かんでいたくらげに対して、忌々しげにかじきは言った。まったく、問題意識というものが君には足りていない。
だが、くらげはむしろ、そんな異世界のことをさも自分自身のことのように熱弁するかじきに対して嫌悪感すら覚えるのだった。実際のところ、よく分からない何かのために誰かが戦って死んでいくということが、くらげにはうまく想像ができなかった。そして想像できないことがらは、くらげにとっては存在しないのと同じことだった。
けっきょく、天敵の存在こそが死活問題であり、くらげの世界に存在するただひとつの不安だった。

と、青い水のなかをゆっくりと進んでくるものが見えた。海亀だった。
「そら、来たぞ」
冷たい声でかじきがそう言った。
海亀。大きい青黒い影。初めて見た。それもそうだ、出会ってしまっては生き延びられるはずもない。
くらげは全身がいっきに溶け出してしまうような感覚に襲われた。それが恐怖なのだと分かるよりまえに、海亀の強力な上下のあごに捕らえられて、ほとんど身動きができなくなってしまった。そうしてようやく、ああ、溶け出してなんかいなかったんだな、おれはまだきちんとおれのかたちをしていたのだ、と気付いた。
周りを可能な限り見回してみたが、かじきの姿はどこにも見つからなかった。そのうち、くらげの世界の全てだった青色も、真っ暗になって見えなくなった。
くらげは最期に戦争について思いを巡らせてみたが、やはり何もわかりそうになかった。

くらげと戦争

くらげと戦争

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-27

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