秋風祭り

秋風祭り

 ねえ こんなところに引っ越してきたの。
 ねえ きみはいったい何をさがしているんだい

今夜お祭りが開かれる

 秋のカラカラとした風は六畳一間の僕の部屋の窓を駆け抜けるようにしてふいた。もうあの季節がやってきたのだと思うとなんだか心がざわついて、楽しいような怖いようなわがままな感情がフツフツと湧き、僕は自分がちょっぴり嫌になるのだ。そう。僕の住むこの美波町では今宵お祭りがひらかれる。そのことをしっているのはほんのひとにぎりの人々だし、楽しいなんておもうのは僕の独りよがりかもしれないのだけれど。
 
 「かけちゃん。美奈子ちゃん、きてくれたけど。もういけるかい」
 
 おばあちゃんはいつものように優しく僕をよぶ。困った、まだ全く支度していない。朝からお祭りのことで頭がいっぱいで学校のことなんか忘れていた。
おばあちゃんと僕はずっと前から一緒に暮らしている。おじいちゃんは漁師であまり家にいないので僕とおばあちゃんは実質二人で暮らしているようなものだった。無論、孫がかわいいのだろう。おばあちゃんは僕にいたせりつくせりで優しいし、この地にきてからというもの僕はなんの苦労もしていない。

 「うん。ちょっとだけ待ってくれってつたえてくれる?まだ制服を着ていないからって」

 「はいよ。美奈子ちゃん、ちょっとまってね。たしか羊羹があったような…」

 「いんです。そんな、羊羹なんて悪いです。私が勝手に吉村君に世話焼いちゃっただけだから」
こらこら、美奈子。余分なことはいうもんじゃないぞ。そんな心の声は僕の口から出ていくことはなく小さな泡になって消えた。

 「ねえねえ。吉村君はさ、いつもそうやって上むいたり、下むいたり、よこみてたりするけど、なにみてるの」
 
 なにを見てるかと聞かれて初めて自分が何かを探しながらこの通学路を歩いていることに気がついた。たしかに僕はこの町にあるものはよく観察したり、はたまた手に入れたいと思ったりする。それは自分自身のためなんかじゃなくなにかのほかのことのためだったはずなのにもうその目的も思い出せない間々だった。最近は思い出せないってことさえ、忘れてしまうほどだ。季節は秋。僕は今年受験を控えた中学三年生である。受験生が女の子とチャラチャラ朝から登校していいのか、と怪訝な顔をされるのは嫌なので美奈子との関係について説明しようと思う。
 彼女が僕に興味をもったのは僕が小学校二年生の時に大木の前で一人ただずんでいたときだそうだ。
 
 「だって吉村君、あんまり無表情で木をみてるからさ。すっごく心配になっちゃったんだよ。もしかしたら、そういう能力がある子なのかなって。期待もしちゃったね。あ、そういう能力ってほら、霊感ってやつね」
 
 転校したてだった僕は単純に遊ぶ相手がいなかったから木をみつめていたのだと思うのだが彼女にとっては未知なるところからやってきた不思議な少年。といった感じに見えたのだろう。それからというもの美奈子はすっかり僕に興味をもったようで遊びにさそったり、質問攻めにしたりしたのだった。

 「吉村君、聞いてる?質問してるんだけどなあ。そういえば吉村君って昔っから何聞いてもしっかり答えてくれたことないよね」
  
 それはね僕が考えて考えて答えをだしたころにはもう、美奈子はどこかにいっているか話題は二つも三つも先にいってしまっているからだよ。そんなことを思うけれどどうしてもうまく言葉にならないことを一番分かったいるのは僕自身だった。

「ごめん」

「謝らないで。そんなつもりで行ったんじゃないよ。だってそういう吉村くんだから今もこうやって仲良くしてられるんだと思うの。ほら、私ってうるさいでしょ。前みたいに嫌われちゃうこと、沢山あるの。だから決めてるんだ。中学校ではもう、おしゃべりは卒業しようって。でもでも、吉村君の前ではこうやってたくさんしゃべれるの。それってたぶん吉村君が口下手で私の話も流して聞いてくれるからだと思うから。ね」
 
 それだけ言うと美奈子はすこし寂しげにうつむいた。やっとこの町に僕が慣れて美奈子以外の子達と話したり遊んだりできるようになった頃の美奈子は今と同じようにうつむきがちに僕に行ったのだ。よかったねと。その頃にはもう、小学校高学年になっていて今みたいに僕はなにをさがしているのかを思い出せなくなっていた。美智子は自分のクラスで孤立しているようだった。僕はそれに気がついたけれどこのとおり僕には声にならない声がおおいものだから、結局美奈子にかける言葉は見つからず、中学校にあがっていしまっている。幸いにも彼女はまだ僕に好意的で口下手な僕に構わずしゃべり続け、毎日の登校をともにしている。であるからして、皆さんがおもうようないわゆる青春の一ページのような男女の関係ではない。いいかえれば僕たちは互いの欠点から自分を守るために相手をつかってるのにすぎないのかもしれない。口下手な僕はその言葉のすくなさ故に美奈子に依存し、はたまた美奈子はそれを利用し封印したおしゃべりのはけ口といして僕と時間をともにしている、といったところであろう。

 「じゃ、また」

 美奈子はそう言うと自分のクラスに入っていくのだった。僕はかたりと机に腰をかける。受験を控えたクラスの空気は緊張そのもので僕の行動に、嫌悪の視線をおくるメガネの小林君もいれば見向きもしない田村さんもいる。みんなみんな勉強。僕は最近そんな空気に耐え切れなくて空を見上げてしまう。秋の空は低くて手が届きそうで、落ちてしまいそうでぼくは困惑する。さんまみたいな雲、透き通る秋晴れの空。ふと風を感じたとき、今日の放課後のビックイベントの存在が脳裏をよぎる。あ、美奈子に放課後一緒に帰れないって伝えていないかもしれない。けれども美奈子はそんなことを言われなくても先に帰ってくれるだろう。最近彼女には野球部の彼氏が、ひょろひょろの色白のぼくとはにても似つかない格好のいい彼氏が出来たのだと小林くんが談笑するのが聞こえたような気がしたからだ。そういえば最近、「吉村君」なんて呼ぶもんね。
 
 今宵、お祭りが開かれる。

僕がこの街に越してきてまず最初に聞いた言葉はこれだった。どこから聞いたのか、どうして知っていたのかが思いだせないけれど十月二一日の満月。この町の奥深くの森でお祭りが開かれるということだけは理由もなく知っているのだ。おばあちゃんに問いてみたくとがあるけれど知らないみたい。とにかく僕は今晩、そのお祭りにいかなくてはならない。大切なものを落としてきたとしたら、あの場所しか考えられないから。神社の前の石段はよく僕とおばあちゃんがきた散歩コースだ。ここの神主さんだけがそのお祭りの存在を知っている。情報bを少しでもえるためここにやってきたのだ。

「おお。かけちゃん。今日はばあちゃん、いないのかい」
「はい。僕だけです」
「そうか。そうか。で、やっぱりあのことで来たんだろう。えっと、例のお祭りだろ。三笠山のふもとの」
「ええ。やっぱりご存知なんですね」
「知ってるといえばしっているけれど。本当に知っているだけでどんなものなのか見たこともなければいったこともない。じいさんの日記を整理してるときだよ。十月二一日にお祭りって書かれてたもんだからいったいなんお祭りだろうって調べたんだよ。でもこっちにはそんな祭りはなかった。じいさんは歴代の中でもすっごく感の強い人だったからな。そういうたぐいの祭りにも顔をだしていたのかもしれないな、なんてな。はははっ」
 
ほがらかに神主さんは笑った。その笑いが祭りをばかにしたものなのか、はたまたただ場を和ませようとしたのかは僕には到底判断できそうにもなかった。とにかく僕は自分の記憶を信じて行ってみるしかなかった。なんで思い出せないのかわからないのがもどかしいけれど、僕はたしかにそのお祭りに幼い頃誰かに導かれながらいったことがある気がしたのだ。霊とかオバケとか、宗教とか。沢山考えても答えが出ないものは苦手だから信じてはいないつもりだ。きっと今日もこわくはない。美奈子の気持ちも、おばけも霊も複雑なものは億劫なだけだった。

「ありがとうございます」
それだけ言うと僕は家のほうへ足を向けた。

「あっ。少年。本当にいくんなら気をつけてな」
ぺこりと頭を下げる。秋の空はめまぐるしく姿をかえていく。空をおよいでいたさんまはいつのまにやら大きくなって赤く染まっていた。もうじき、夜がやってくるのだと冷たい風が僕に教えてくれた。
「ただいま」
六畳の畳とおばあちゃんが玄関の奥で待っていた。
「おかえり。寒かったろう。いま、あったかいお茶をこしらえてやるからお待ち」
僕が目で分かったというだけでおばあちゃんは僕を理解していつも微笑んでくれる。親がいなくても何不自由なく生活してこれたのはこの生きずらい僕の性格を愛してくれたおばあちゃんがいたからなのはまず間違えがない。だから僕はどうしても手に入れなくてはならないのだ。なくしてしまった記憶を。思い出を。考えを。それをなくしてしまった理由も。手掛かりがあるとしたらよくわからない僕の妄想のなかのお祭りが、何をしめしているかを解決することだと思う。だから今宵、ぼくはお祭りとやらに行ってみようと思うのだ。が、しかし、おばあちゃんは知ってのとおり心配症だ。本当のことを行ったら一歩も畳の外には出してはくれないであろうことは予測済みである。こんなときには美奈子の手を借りるに限る。お、ぐっとタイミングだぞ。これなら違和感なく外に出られるし、多少時間がかかってもおばあちゃんは咎めないだろう。
「こんばんはー。吉村君。こないだの宿題になってた月の観測の件だけど。今日お月さんがきれいだから三笠山でみんなかんそおくするみたいだよ。一緒に行こう、ねね。いいよね」
「かけちゃん。美奈子ち…」
「うん。ていうことだから、いってくるね。夕飯は帰ってきてから食べさせてもらいます。いってきます」
ぼくは嘘を付いている罪悪感でいっぱいだったのでできるだけはやく家をでたかった。おばあちゃんがどんな表情だったかはわからないけれど僕があんなにはっきりとものをいうのはめずらしいからきっと驚いたろう。
「で。吉村君はおばあちゃんに嘘ついてまでどこにいこうって?」
理由も聞かず協力してくれた美奈子だったがそのまま理由を効かないというわけではないようだった。仕方がない。本当のことを言おう。彼女は僕の話をひと通り聞いたあと意外な反応をしめした。一緒に行くと言うかと思っていたのに何も言わなかったのだ。
「そうなんだ。やっぱり吉村くんって、その霊感ってやつあるんだ?」
「いや…そういうわけじゃ」
「でもでもそんなお祭り私きいたことないんだよ。もしそんなのがあるとしたらみんな知ってるはずじゃない。ってことは人外のお祭りってことでしょ。なんかちょっと心配だよ。またあのころの吉村君にもどったみたい。そ、その目だよ。なんか遠くを見てる。なんていうのかな。なんか心配になっちゃうんだ、私。かけちゃんが遠くに行っちゃうような気がして。なんて、馬鹿なこといってるなって思ったでしょ。うん。私もそうおもうよ。なんかさ、吉村君にメルヘンな夢をたくしてるのかもしれない。こんな町に一人で引っ越してきたってその事実が私にとっては非現実的でおっきかったから。つまり私はきみにずっと憧れてたのかもしれない。」
 憧れていた。って過去形。じゃ、いまはどうなんだって。そんなこと聞ける勇気持ってたら今頃こんなふうに妄想を信じて自分の消し去った過去を思いだそうだなんて思ったりはしないだろう。美奈子の前に黙って立ち尽くすことしかできない。僕はいつだってくちべた理由に臆病なんだ。
ここで美奈子にはお別れした。勿論、野球部の彼のことは僕の喉につっかかってでてきたくれなかった。また自己嫌悪におちいってしまう。季節は秋の深まる十月二十一日満月、僕が十三年前初めてここを訪れた夜とぴったりそっくりな明るい夜だ。
 三笠山ってところはそんなに遠いってところではなくて歩いて十五分とかそこらの場所にある。もともとが田舎だからそんなに不思議ってわけではないけれどやっぱり山には虫が多くてうざったく感じた。特に気になったのは街灯に照らされた蛾。秋の頃の蛾ってほとんど死にかけてて、卵を生んだあとの最後の力を振り絞って生きながらえている、といった姿態だ。ほんの少しだけ羽をうごかしてなんとか生きている姿は僕に似ているような気がして心地いいとは言えなかった。
 やっと坂道をのぼりきると三笠山、と古びた文字でかかれたマップがあった。どうやら、この階段の上に三笠神社があるらしい。本能的にこの階段を登ろうと思ったのでとりあえず登り始めることにした。一段、また一段と昇に連れて鼓動が早くなるのが分かった。街灯に照らされた石段は神秘的で冒険してるみたいだからワクワクしていたのだと思う。次の瞬間だった。僕は自分の目を疑うことになる。階段を登りきった先に見えたのはなんとも愉快な、お祭りだった。ただし、みなみな僕が今まで見たことのない感じだったけれど。
「おい、坊主」
放心状態の僕にどこからともなく声がかけられた。ボーズって僕のことだろうね。
「おい、そこの坊主。名を申せ。この祭りは今宵だけ開かれる神聖なる儀式の前座なのだ。参加者は署名が必要。如何。名を申せ」
よくわからない言葉の羅列に混乱したのか僕は自分の名前さえ朧気でおもいだせなくなっていた。目の前にいる前にしっぽが生えて
狐の面をかぶったような生物がしゃべること自体、僕の予想をはるかに上回っていた。
「少年。もしかしてそなたの名は“かけ”ではないか。のう、かけであろうよ。われはよくしっておるぞ、かけ。そなたは以前、われにあったことがあるはずよ」
まめに巻くしたてられていた僕に救いの手をさしのべたのはこれまた異様な風貌のお兄さんであった。が、豆よりはいくらか人間にちかいような雰囲気でにおいは秋風のようにハラリと透き通っていた。僕はどうやらこの人物を知っているようだった。
「そ、そうです。かけ、です」
「ふむむ。では かけ。今宵の儀式、大いにきたいしておる」
豆はそういうとひらりと身を翻しざわめきのなかに消えていった。残るは異様な風貌の兄さんのみだ。ボロ雑巾のようなかっこうなのに言葉づかいは貴族風だ。
「あ、あの。ありがとうございます」
「よいよい。ところでそなた、ほんとうにあの“かけ”であるのか。十三年前ちんちくりんでなきじゃくっておった?」
十三年前。僕がこの街に越してきた年と見事に合致していた。初対面と思えない秋風のお兄さんにやはり僕はこの地であったようであった。
「よく、覚えていないけど。そのようです。失礼ですがお名前は?」
「一、のり 二、久弥 三、秋。そなたがかけだというならきっとわかろうよ。さあどれだと思うぞよ。よいよい。間違ってもよいぞ。そなたは間違いなく、かけではあるのだ」
「秋」
はっと答えてから気がついた。考えるより先に自分の口がうごいたことに。そしてこの風をただよわせる秋にたしかにあったことがある。
「おお。正解。そなた人間のくせにこの地であったことを覚えていられるとは。たいしたものである。やはり、かけは面白い少年であるなあ。ふふ」
「覚えてたんじゃ…なんというか秋さんから秋風と同じ臭いがしたので。この名前がぴったちだなって思っただけです」
すると彼は風のようにすらすらと髪をなびかせ上下に揺れた。どうやら笑っているようだった。
「やはり、お主はかけである。なぜなら幼きかけも同様、われから秋風とやらの臭いがすると申した。実際のところは言えぬがお前らがあがめている秋風を司る神の端くれとおもってくれて間違えはないであろう」
そう。こよいの祭りは神の集い。人間が神にあうことのできる夢の一時。彼は愉快そうにそう言った。
さて、本題はこれがなんのお祭りなのかというところであることは言わずもがなであろう。記憶をなくした理由はよくわからないがここで何かがあったことは間違いないのだから。
「あの、さっきの豆。みたいな人がいってた。働きって…」
「豆とはこれまた愉快なものいいだぞ、ふふ。あやつは百目と。祭りの手下なのだ。祭りを円滑にすすめるべくああして名を集めているものよ。働きとは、まあそのうちわかるのである。嫌でも」
さらりと吹く風が秋さんの語調を助けているようだった。いやでもわかるのならここで無理に考える必要はない。第一に何かを強く言うことは得意ではないのだし。
「では、かけ。またアオウゾ」
「え、まっ」
言うより早くあきさんの姿は消え、その懐かしい香りだけが残されていた。どうしたものか、と考え込む。とりあえずはもう少しお祭りとやらを覗いてみようと思う。
ぐるりとあたりを見渡してみるとやはりなんとも耐え難い違和感がわいてきた。人間のような装束を身にまとってはいるけれど安心して近寄ってみると足が見えなかったりする女性。頭は蛇なのに体はライオンのような四足歩行のやつ。みればみるほど気味が悪くなる。ひとつ分かることがあるとすればやはりここは人間が立ち入るべきところじゃないということぐらいだ。
「一に行進。三、前進。二、四、七なら日々邁進。おおこりゃ人類初参戦。今宵のお祭りいずこにて、開催されると知ったのか。これまた大変初参戦。どうして三笠をしったのか」
目の前で陽気に歌い出したのは僕の首くらいまでしか丈のない小柄なおじいさんだった。おじいさんというのは少し違うのかもしれない。その奇妙な風貌の老人は目を布で隠したまま、腕を組んで後ろ向きに歩いていたからだ。目を隠したまま僕が見えるのは、さすがの能力なのか。はたまた布が薄いのか。僕は恐ろしくなってつい声を発していた。
「ど、どうして。僕がニンゲンだとご存知なのですか。その・・・目は隠されてらっしゃるから」
老人はすこし驚いいたのか心地よさそうに口ずさんでいた鼻歌を止め不機嫌そうに答えた。
「ニンゲン?汝、ニンゲンであるのか」
そうしてまた歌いだすのだ。
 ニンゲン。ニンゲン。初参戦。今宵の満月夢現。沢山様々混合しみなみな頂上目指し出す。今宵は宴。神祭り。汝はニンゲン。何時に帰る?早期帰宅は身を助け、一歩間違え取り込まれ。神々どもに捧げらる。今宵は宴、夢現。
「人類ならこの間。つい三〇〇年前に宴に現れたことがあるのだよ。ジンルイとニンゲン。なにか似ているが少し異なるようだ。ジンルイはもっとハツラツとしていたが・・・。汝、そなたはなにもしゃべらぬうえ面白うないわ。ああ、ジンルイは可愛らしいものだったな」
おじいさんの声が実に愛おしそうな音色にかわった。このおじいさんの発する言葉は何か歌のようなリズムとテンポで耳に届く。心情が言葉ひとつひとつに織り込まれたみたいだ。
人類と人間が同じものだと訂正したいところだったけれどおじいさんは他人に到底耳など貸すたちには見えなかったので僕はまた声をなくした。ふと考える。人類さんは着物姿だったのだろうか。もしくは武士だったのだろうか。今から三〇〇年も前ということはきっと着物の可愛い少女か何かだったに違いない。
「その、ジンルイさん。このお祭りになにしにきたんですか」
僕は自分のことを棚に上げてそんな質問をした。自分だって何しに来たか、って聞かれたら困っちゃうのにね。すると今度は愉快そうに声をはって歌っていた。
「ジンルイかわいい神の孫。松の明かりを共にして祭りにそろそろやってくる。かわいいかわいい、神の孫。探し物があるのだと顔色変えていうからは、きっと大事なものなのだ。何を探しているのかときけば悲しい顔をした。頂上目指してジンルイは。森の奥へと消えてった。探し物はあったのか。はたまた探していなかったのか。悲しい顔のジンルイを。助けることは無理心理。頂上行けばきっと見る。ジンルイ殿の成れの果て。彼女はいずこ。ここはどこ?ジンルイジンルイいまいずこ」
やや、悲し。きっと彼女はたどり着けなかったのだ。
どこへ、ですか。
三笠の頂上へ。
ここは頂上ではないのですか。
汝、頂上に見えるなら間違っているぞ。汝が登ってきのみであり我らは下ってきたのだ。三笠山の頂上はここではない。
じゃあ、いったい。
そのときだ。周囲の不気味に光を放っていた赤色の提灯が消えた。と同時に鳥肌が立つほどおびただしい数の蛾がいっせいに空を舞う。
一匹。また一匹と地面に落ちたと思うと七色に光を放ち周囲を照らすのだ。
今宵はお祭り。人と神の交流の祭り。
蛾たちは不快な音色を奏でた。おじいさんの声とはひかくにならないほど耳につく音色で僕は生まれ始めて何かを疎ましいと思った気がした。それほどおまつりの開幕は不快なものだったのだ。



気がついたころにはもう老人の姿はなかった。そればかりではない。その周りにいたはずの奇妙な格好の神々も見当たらなかった。そのかわり現れたのは霧がかっていた秋空のなかに悠然と構える三笠山だった。僕の知ってる三笠山ではないけれどそれでも三笠山以外には見えようがなかった。橙赤色にふちどられたような山頂はひとにぎりでつかめそうなほど小さく見えるのに気が遠くなりそうなほど僕の中でぼやけていた。神の集う地があそこにあるのだ。
「あそこがジンルイさんの目指した三笠山に違いないな」
そう一人呟くと
「よく存じいておるな。かけよ。さすがはかけである。そなたはあの地へ一瞬にて現れ神々を驚かせたものであるぞ」
くふふ。とさらりと笑う声は秋さんだった。するすると消えてしまいそうなその姿にほっとした感情が湧いてきた。僕はこの人の何をしっているというのだろう。
「あの、秋さん。さっきもそんなようなことを口にしていたけれど僕は覚えてはいないんです。ここにきたことも、秋さんにあったということも。失礼かもしれないんですけど」
「なにをいっておるのだ。十分覚えておるではないか。第一しらないならばあれが三笠山だとそうして判断できるのじゃ。のう。かけよ。そなたは特別じゃ。ずっと会いたいと思っとった」
そういうと秋さんは優しく僕の手をとるのだった。秋風のような彼の手はひんやりとしていたけれどどこか懐かしい感じがした。
そういえば、僕がこの村に越してきた日。ちょうどその日もこうやっておばあちゃんに手をひかれていたような気がする。おばあちゃん今頃心配しているのだろう。焦燥感と罪悪感が胸にこみ上げ僕の歩みを加速する。ん、待てよ。
何か違うような。
秋さんはいった。知っているのとわかるのは違うんじゃないか。僕は知っている記憶をたどっているだけだ。ではいったいどうして秋さんの手がなつかしいなんて感じるのだろう。あの日。おばあちゃんに手をひかれてやってきた日。確かに僕は世の中にうんざりしていた。その手をひいたのは?おばあちゃんだっただろうか。胸のなかのわだかまりは徐々にふくらみ紙風船のように弱々しくその色を見せ始めた。
秋風が心地よい日。僕の背中を押すように、また手を引くように村に招き入れたのはまぎれもなかった。秋さんだ。
「秋さん。僕、ひとつ思い出した。僕は、あきさんに、あったことがある」
いつものようにさらりと笑う秋さんだが長くてさらさらと舞う黒い髪から見える横顔がすこし変わったのが分かった。声だけじゃない。笑っているのだ。
「ふふ。楽しいやつじゃな、かけ。ころころと言葉が変わる。表情もころころ変わる。のう。かけ。そなたは本当に愉快だ」
記憶の断片に映ったのは秋さんだけじゃなかった。憂鬱な僕は村に踏み入れた時だ。秋さんに手を引かれ最初にみたのはおばあちゃんでも、おじいちゃんでもないように思えた。薄ら薄らの記憶。でもこのことをましてや僕が間違えるはずもなかった。なぜならそこにたっていたのは美奈子だったから。
「どうして美奈子が・・・」
美奈子と初めて会ったのは校庭で木の根を観察していた時だった。今朝美奈子もそう言っていたし僕もずっとそう覚えてきた。しかし、僕はわかっていた気がする。そうではない、と。美奈子と僕の関係が一般的な恋人関係とか俗にいう友人関係などといったものではないということを。ずっと知っていたから。わかっていたからそういうことにはならなかったのかもしれない。
秋さんが歩みを止めた。僕もその後ろに立ち止まる。するとどうだろうか。
「斜面こんなに緩やかでしたっけ?」
「三笠の山は人を惑わすものよ。ではあるがかけ、そなたはわかっておるのだ、どういう意味なのか。どうしたらよいのかを。三笠の山は徐々に気がつき始めている。かけの存在とその必要性に。今宵の祭りにはそなたが必要なのかもしれんのう」
誰かに必要とされるなんで滅多にないことなのでこんな状況かなのに僕の心は俄然うきうきとしていた。暗闇を照らすのはひとつの道案内のような提灯たちと白くて光沢のある秋さんの着物だ。一歩一歩と橙色に近づいていく。鼓動は早まって歩調の何倍もの速さで脈をうっていた。思い返すと美奈子には不審な点が多かった。今まではそのことを気にしてしまえば彼女が僕から距離を置いてしまうように思えてあえて言葉にすることはなかったけれど。彼女は確実に一般的な女の子とは異なっていた。僕が何かを探すように村をみていると美奈子は決まって聞くのだ。
「ねえ。かけちゃん。何を探しているの?」
僕は何かを探している意識など何もなく、ただ引っ越してきたばかりの街並みが珍しいくらいにしか思っていなかったのに。でも美奈子は確実に何かを探している。そのことをとっくに気がついていたのだ。そして僕が何もさがしてなんかいないと小声で言うにもかかわらず、なぜか心配そうに僕を見ていた。美奈子といるうちにしだいにその騒がしさに紛れて僕はなにかを探さなくなった。美奈子は美奈子であまり僕にそのことを問いかけなくなったし、お互いそれぞれの関係があったからそういうことには干渉しなくなっていったのだ。でもおもい返してみるとやはり今日の美奈子も最後まで 心配していた。
「遠いところにいってしまうんじゃないか、心配しちゃうよ。ねね。やっぱりそういうのみれるの、かけちゃん」
美奈子は僕が分かるずっと前から僕がこういうことになることを察していたように思えた。
暦の上では秋。爽やかでどこか懐かしい香りのする季節。今宵は宴。神々の祭りが開かれる。

秋風祭り

秋風祭り

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-26

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