物物交換
いらっしゃいませ
これは、ある小さな町の小さな店の物語。
その小さな店は、町の商店街から少し外れた、奥の細い細い道を進むと、ポツンと1軒建っている。平屋でボロボロな木造。お世辞にも「入ってみたい」とは思えない。
そんな小さな店のお話。
今日も早速1人の客がやって来た。
「いらっしゃい」この店の主が小さな声で呟く。
…トリックアートを知っているだろうか?
見る角度によって、全然違って見える絵。
この店の主は、まさにそんな顔をしていた。
一見すると、20代後半~30代位に見えるが、見方を変えると60代位にも見える…でも、明らかに同一人物である。
そんな不思議な店の主。
この日、1番目の客は女性だった。年齢は、20代後半と言った感じだろう。艶のある真っ黒な綺麗なストレートの長い髪と、日本人にしては高い鼻が特徴的な美しい女性だった。
「こんにちは」女性が話し掛ける。
「何をお探しだね?」
「…眼を。両目を探しています」女性は答えた。
主は、女性をじっくりと見つめた。
「旦那か?」
「いいえ。婚約者です。先日、自動車事故に巻き込まれてしまい…幸い命は…。でも……」話している内に、涙ぐむ女性。
「フロントガラスが刺さって…両目とも……。暗闇のドン底にいる彼を救えるのは、私しかいないんですっ!!」
主は顔色一つ変えない。
「で、モノは?」
「あ…これ位しか…」そう言うと、女性はカウンターに、100万円の束を5つ、鞄から出した。
主は深いため息をつく。
「やはり…こんなんじゃ足りませんか?」不安げな女性。
「アンタ。ココに来るの始めてか?」
「はいっ。友人に聞いて…『普通の店では買えないモノが、この店なら売ってる』って。」
「ココでは、そんな【紙切れ】は使えない。よく覚えておくんだな…」主は言った。
「…?無料で…いただけるんですか!?」女性は神妙な表情を浮かべる。
そんな女性の言葉に、主は苦笑い。
「ウチは、慈善事業でやってる訳じゃないんだよ。店なの!店!!分かる?」
「じゃあ、どうすれば良いんですか?」
主は、その言葉を聞くとニヤリと微笑み、こう言った。
「アンタが欲しいモノと…同等の価値のモノを払えば良いんだよ」
主の不気味な笑顔に、ゾッとする女性「同等の…モノ?」
「そう。【物物交換】だよ」
「………。」やっとの思いでかき集めた500万を前に、女性は返す言葉が見つからなかった。
「じゃあ…」女性は考えた。「私のこの髪は!?バッサリ切って構いません!!!」
主は、またまた苦笑い。
「そんなの…『【ビール瓶のフタ】と【東京ドーム】を交換して下さい』って言ってる様なモンだよ。」
主のこの発言には、さすがの女性もムッとした表情を浮かべる。
「じゃあ、何とだったら交換してくれるんですか!!?」
「指」
女性は表情が固まった。
「アンタの、その長くて綺麗な指…10本全部となら交換してやるよ」
「………。」
「どうした?愛する婚約者に、光を取り戻してやりたいんだろう!?」
「………私は。」女性の額に、じんわりと汗が滲む。
「私は?」主が聞き返す。
「わ…私は…ピアニストなんです」
主は無言で聞いている。
「リサイタルも近くて…か…彼も…彼もね!!私の奏でるピアノの音色が大好きなんです!!」
必死で訴える女性。
「だから?」顔色を変えない主。
「…指は…指だけは…」女性は涙を流す。
「『彼を救えるのは私だけ』…格好良い言葉でやって来て、いざ、自分の大切な物を差し出せと言われたら『彼も私の奏でる音色が好きだから』か…。随分と使い勝手の宜しい【彼】ですな」
主の言葉に、女性は反論出来ない。
「結局、アンタの愛は、その程度なんだよ。お帰り下さい」
主が言うと、女性は500万を乱暴に鞄に詰め込み、店を去って行った。
「今のは言い過ぎなんじゃない?」黒猫が奥から出て来た。
「【人間てのは、結局自分が1番可愛い生き物なんだ】……お前もよく覚えておくんだな。」主は言った。
「はーい」素直に主の話を聞く黒猫。
そんな話をしていると、本日2番目の客がやって来た。
2人目の客は男性だった。
年齢は40代後半~50代と言った所。先程の女性とは真逆で、汚れがあちこちについたロングコートに伸び放題のボサボサの髪や髭。身長が高い分、痩せこけた顔に余計に目立つ、棒の様な男だ。
「いらっしゃい」と主。
黒猫も、その場を離れない。
「あの…ココやったら、何でも欲しいモンと交換出来る…って…ホンマですか?」男性は、恐る恐る聞いて来た。
「はい。貴方は何が欲しいんですか?」
「…き…」【欲しい物】を言うのを躊躇う男性。
「き?木でしたら、花屋へどうぞ」
「じゃなくて!!き…記憶…記憶ってあります!?」男性は思い切って主に尋ねた。
「分かってますよ…そりゃね、そんな都合良いモノがあるなんて、思ってはいませんよ私だって!!頭オカシなった思われるの覚悟で来てるんですから…」早口で捲し立てる男性。
主は、先程の女性同様、顔色一つ変えずに聞いている。
「記憶が無いんですか?貴方は…」
「……はい」ガックリと肩を落とす男性「もう10年以上、自分が誰なんかも分からんまま生きてます」
「…関西には?」記憶はなくなっても、訛りは消えなかった男性。
「勿論行きました。…て言うより、これまでずっと、関西方面に住んどったんです。何か手掛かりは無いか必死で探して…。でもムダでした」男性は続ける「……路上で商いやっとって。そこの仲間から、アンタん所の話…聞いたんです」
「記憶は有ります。でも、それは『貴方』の記憶では無いですよ?」主が男性に確認する。
「構いません!!」即答する男性。
「自分が誰かも分からない…そんな中で生きていく辛さ、アンタに分かるか……!?」
主は無言で聞いている。
「自分が自分を知らない…これ以上の不幸がどこにあんねんっ!!この際、どんな記憶でも構へん。『自分が誰か』…この先の人生、胸を張って生きたいんです、頼んます!!」男性は主に頭を下げた。
主はニヤリと微笑んだ。
「本当に…誰の記憶でも構わないんですね?」
「ああ。」再び即答する男性。
「分かりました」と主。「実は……貴方位の年齢の【ある男性】の記憶がありまして。」
主の言葉に、男性の目は輝いた。「ホンマか?」
「はい。その【彼】は、自分の名前は勿論、これまでの自分の過去も全て覚えています。」
「じゃあ、それ…!!それをくれ。心臓は流石に困るけど、他やったら何でもやるから」男性は両腕を大きく広げて、身体を主に見せた。
「記憶は、ストックが沢山あります。だから、そんなに高価な物とは交換しません」
主の言葉に、驚きを隠せない男性。
「記憶を捨てる!!?…おかしな奴等が世の中には、ぎょうさんおるんやな」
「その【訛り】はどうですか?」主が言った。
「せっかく新しい人生を始めるんです。どうせなら、その【関西訛り】を捨てて生きませんか?」ニヤリと微笑む主の提案に、男性は大きく頷いた。
「せやな。アンタ、さすがは商売人やな。ほな、【記憶】と【関西弁】を交換しよや♪」
「本当に…良いんですね?」主が再度確認する。
「くどい!!」男性が叫んだ。「客が『ええ』言うてるんやから、はよしぃ!!」
「分かりました」主は返事をした。
『新しい人生…新しい自分…新しい生活』
男性は、想像しながら笑顔を浮かべていた。
「では、目を閉じて下さい…まずは【そちらの物】をいただきます」
主が男性に手をかざす。
主の掌に、青い光がくっついた。
「では、次に【こちらの物】を差し上げます」
主の掌は、赤い光がくっついている。
主は男性に手をかざした。
赤い光は、男性の身体に吸い込まれて行った。
「はい…目を開けて結構ですよ」主の言葉を聞き、ゆっくりと目をあける男性。
「あ…」店の中を不思議そうに見渡す男性。
次の瞬間。
「あっ…あ…あああーっ!!虫っ…虫の大群がっ…あっほら、そこにも…来るなっ…来るなああー!!!」一人で必死に空中を見つめ叫び続ける男性。
「この店を出て、ひたすら真っ直ぐ走って下さい。商店街も突き抜け、ひたすら真っ直ぐです。そして行き止まりになったら……」主はニヤリと微笑む「左に曲がってください。そこには虫は入れません」
「真っ直ぐ走って左…真っ直ぐ走って左…真っ直ぐ走って左…」顔面蒼白のまま、ブツブツと呟き続ける男性。
「ああああーっ!!!」男性は叫びながら店を去って行った。
「毎度あり」主はニヤリと微笑んだ。
「左に行ったら警察じゃん」黒猫が呟く「…なんか、可哀想」
「再三注意を促したにも関わらず、あの客は聞く耳を持たなかった。だから良いんだよ」と主。「あの記憶じゃ欲しがる客もいないだろうし…仮にも商いをやってた人間が品定めもよくしないで手を出すなんてバカも良い所だ。……【人間ていうのは、自分が一番不幸だと思いがちな生き物】。よく覚えておきな」
「はーい」再び素直に返事をする黒猫。
そして、3人目の客がやって来た。
3人目は、この店の常連客。
「おう。学校帰りか?」主が声を掛ける。
「そう。おいでトト」制服姿の少女は、黒猫の頭を撫でる。嬉しそうに甘える黒猫の『トト』
「さっきな、お前がこないだ持ってきた【物】売れたぞ♪」主はニヤリと少女に微笑んだ。
今度は逆に、少女が顔色を変えない「そう」
「親父さんは、あれからどうしてる?」
「知~らない。病院入ったきり会ってないし…」
「会いに行かないの?」とトト。
「うん」少女は答えた。
「記憶がなくても、あれだけ腕に注射の痕があれば、起きたらブタ箱入りは確実だろうし…」
この少女は17歳。近くの高校に通っている。
これまで、さまざまな物をこの店に持ち込んで来た。
初めて来店したのは、12歳の時だった。
彼女は…どこか冷めた瞳の子ども。常に遥か彼方を見つめている様な子だった。
「私…自分の名前を呼ばれたいの」
「……親にか?」
頷く少女「1回で良いの…」
「で、【物】は?」
「私の【声】をあげる」
「………。」
「耳が無くなっちゃうと声が聴こえないから…」
「声が無くなると、親と喋れなくなるぞ?」
「…声があっても、会話なんてした事無いもん」
主は、少女からは何も貰わなかった。
その代わり、トトの餌をあげる役目を頼んだ。
「良いの?」
「ああ。」
「有り難う」少女は、ニッコリ微笑んだ。
それから、少女は、この店に頻繁にやって来る様になった。
「で…今日は?」慣れた感じで少女に尋ねる主。
「【時間】」
「どの位?」
「今朝の7時位に戻したいの……。」
もう学校が終わってる時間。相当な【高価な物】じゃないと釣り合わない。
常連の彼女なら、当然分かってるはずだ。
「何で、その【時間】が欲しいんだ?」主が尋ねる。
トトも、心配そうに少女を見つめている。
「だって…」トトを撫でる手を止めて、少女は、ゆっくり立ち上がった。
「殺っちゃったんだもん…ママを」
「………。」主は少女を見つめている。
無表情のままの少女。
「朝からまた酒ばっかで、絡んできてさ…鬱陶しくて」
「突き飛ばしちゃった。…階段から」無表情の少女。
「そうか」主は言った。
「物は【私】。……釣り合わない?」淡々と語る少女。
「私って…。それじゃ死ぬのと同じだよ!!?」トトが慌てて説得する。
少女はニッコリと微笑んだ「有り難う。心配してくれて」
「良いよ」主は答えた「交換成立だ」
「有り難う。」少女は微笑んだ。12歳の時の…あの瞳のまま。
「何でかな?よく分からないよ……」
人形の様に横たわる少女を前に、トトは口を開いた。
「薬物中毒の父親と、アルコール依存の母親……何で、そんな親のために…?」
「…トト」主は言った。
「【人間てのは、どんな親でも、大切な親なんだよ。代わりがいない分、人間は、自分の親を嫌いになれない生き物】なんだ。よく覚えておけ」
「だったら……」トトが呟く。
「だったら、僕は人間になんかなりたくない。」
「好きにしな」主が言った。
「すいません」ある男が入って来た。次の客らしい。
「【子ども】が欲しいんです。出来れば…女の子が。」
「ちょうど、良い【品】がありますよ」
主はニヤリと微笑んだ。
(終)
物物交換