通り雨
【雨の気持ち】って知ってる?
例えて言うなら…私は【通り雨】
-ねぇ優子。【雨の気持ち】って考えた事ある?
今のこの状況を例えて言うなら…【スーパーの実演販売】
「南貝市から引っ越して来た木下小夜さんだ。皆、仲良くするように。」黒板に私の名前を書く担任。灰色のベストにシワだらけの手の年老いた男性教員。担当教科は古典だそうだ。外見も教科も古めかしい。
そんな古めかしい店員から紹介された私を、全体から色々な視線が刺さっている。
『この子、どんな個性があるの?』『仲良くなったらどんなメリットがあるの?』興味津津の表情。一方では、『つーか暗くね?』『んだよ、女子って言うから期待したのに…オタク系の地味じゃん』勝手な妄想を抱き愚痴を吐く客もいる。
「木下小夜です。宜しくお願いします。」私が頭を下げると、教室中ザワザワと騒ぎ出した。
スーパーの実演販売品をジロジロと見たお客達は、感想を口々に述べている。
「え~お前ら。木下に色々と教えてやる様に。」
台詞をプログラムされたロボットの様に担任は言い、私に席に着くよう指示をした。
私の席は教室の窓際。後ろから3番目。隣には、肩まであるセミロングの大きな瞳の女子が座って居た。
「宜しくね木下さん。私は岡部優子。優子って呼んでね!!」ハキハキとした口調。転校生に興味を含んでいるものの悪意の無い瞳。
「宜しく」目を合わせず私は返事をした。
私はそのまま、机上に鞄の中身を出し始めた。筆箱、ノート…それから、青い小箱。
「ねぇねぇ。それ何?」優子がきょとんとした表情を浮かべて小箱を見つめていた。筆箱よりもう一回り大きいサイズの小箱。私は常に持ち歩いている。
私は黙って小箱を開けた。優子の大きな瞳が更に大きく見開いた。
「何これ?」箱の中を見た人は皆同じ反応をする。
箱の中には12体の人形が入っている。全て人間の人形。男子も女子も細部まで丁寧に作られている。表情すら12体全てが異なる。
「私…手芸が趣味なの」ぼそっと答えた。
「えっ!!これ木下さんが作ったの??」優子の問い掛けに、私は無言で頷いた。
「凄い~ねぇねぇ、皆見てよコレ。木下さん超器用だよ!!」この一声に、級友達が私達の机の周りに集まって来た。
この一言をきっかけに、私は【器用な転校生】の印象が広がった。
-ねぇ優子。転校初日。私が皆に溶け込める様に人形を褒めてくれて有難う。凄く嬉しかったよ。皆がひとしきり見た後、小さな声で「転校初日は緊張するもんね」って言ってくれたもんね。名前通り、貴方は優しい子。私ね…本当に安心出来たんだよ。
「おかえり」夕食の香りが部屋中を包む。私の母は専業主婦。朝昼晩と、子供の頃から料理はずっと凝っている。今日は洋風。シチューみたいな匂いがする。
「学校、どうだった?」料理をしながら母が話し掛けて来た。
「別に…変わらない」私の返事に、母は「そう」とだけ小さく返事をした。再び材料を刻む音がキッチンに響いた。
特別仲が悪いわけではない。これが私達家族の会話なのだ。
「ただいま」父が帰って来た。
「お帰りなさいあなた」母が笑顔で出迎える。料理の手を止めて。
結婚しても、愛は続いている両親。
そんな両親に育てられた一人娘の私…。
父は、ドカッとソファーに座ると大きくため息をついた。
「いやぁ…今日は参ったよ。」自分の話を一番に始める…父の癖だ。
「3丁目の新山さん。あそこの次女がまたやってさ…」
「あら!!」母の驚く顔が、私には大袈裟な芝居に見えた。
新山さん家の次女とは、この近所の有名人だ。
17歳で高校にも行かず働きもせず、万引き等を繰り返している。
真っ赤な頭に、鼻ピアス。
こんな田舎でそんな派手な格好をしている人なんていないから、年寄り連中は彼女の事を『闘牛』なんて呼んで馬鹿にしている。
「『闘牛がまた万引きした』なんて電話があったから、急いで行ってみたら雑誌1冊。あぁいう子は、1、2回言っても分からないからな…」再び父のため息。
「俺がいる限りは、何度だって説教してやる。話せば分かる子なんだよ、あぁいうタイプの子は」
私には、『闘牛』だの『あぁいうタイプの子』だのと呼ばれている時点で、彼女の更生は無理に感じた。
父も含めた大人達の、無意識に見下した態度を彼女が感じ取るだろうと思ったからだ。
「本当に、小夜を見ているとつくづく思うよ。家族愛の大切さを。」
「そうね。」
両親揃って私の方を見ている。手先が器用で親や世間に反抗しない大人しい自慢の一人娘。
新山さんの家は、離婚をしている。
闘牛…次女の美由紀さんがまだ幼い時に、母親が長女を連れて出て行ってしまったそうだ。
闘牛の飼い主は、日ごろ仕事で帰りの遅い父親のみ。
「やっぱりな、家族が一緒に暮らすと言う事は幸せな事なんだぞ」父が嬉しそうに私に語りかけた。
「…そうだね。」私が頷くと、父は満足そうに私の頭を撫でた。
「小夜は本当に自慢の娘だ。な!?母さん?」
「ええ。」笑顔の母。
父は、自慢の娘の学校の事など一切聞かずにそのまま仕事の話をし続けた。
転校した翌日からも、級友達は親切だった。
中でも優子は、私の事を「小夜」と呼んでくれた。移動教室も帰り道も、一緒に過ごす様になった。
ハキハキして明るい優子と、手芸が趣味の大人しい私。性格が正反対な分、優子にとって私と過ごす時間は興味深い様で、いつも遊んでくれた。
「小夜。今日さ、帰りカラオケ行かない?」チャイムと同時に優子が誘って来た。他の級友数人も、優子の後ろからニコニコと私の方を見ている。
「あ、うん。行く行く!!」
私が答えると、優子達は喜んだ。「小夜の歌声、聴きたいよねってさっき話してたんだ!!」
「え!?私、ヘタだよ歌」
「大丈夫だよ、優子の方がマジハンパないから」「ちょっと~!!」その一言で皆が笑った。私も笑った。
私はすっかり、クラスに溶け込んでいた。
「今の…きゃりーだよね?」
級友の信子の言う通り、優子の歌声は想像をはるかに超えていた。
「ファッションモンスターでしょうが!!」真面目に説明する優子に、私達は余計おかしくなった。「タイトル見たら分かるし!!」「つーか優子マジ可愛い!!」皆笑っていた。
次の選曲のイントロが流れた。
「あ!!コレ私。」信子が優子からマイクを奪い、張り切って立ち上がった。
(この歌……)
「私、この曲泣ける」「アニメの主題歌にもなってたよね!?」
(……)綺麗なイントロ。高音の初め。
『君と夏の終わり 将来の夢 大きな希望 忘れない』
信子は、とても綺麗な声をしていた。
沁みる歌声。皆、信子の歌を黙って聴いていた。
「ごめん…」私は立ち上がった。
歌の途中に立ち上がるのはマナー違反。そんな事は分かっている。
「どしたん?」優子が声をかけた。
「ちょっと…ごめん、先に帰るね。」お金をテーブルに置くと、私は急いでカラオケルームを後にした。
翌日。
優子も信子も、他の子達も、昨日の事については誰も聞いてこなかった。
「おはよう」優子が私の前にやって来た。
「あっ…おはよう。」昨日、突然帰ってしまって怒ってないだろうか。
「ねぇねぇ。今日さ、お弁当忘れたの。どうしよ~」真剣な表情で頭を抱える優子。
「…っ。あははは」思わず笑ってしまった。「何で笑うの?飢え死しちゃうよ。部活もあるしさ」優子は私の顔を見て、騒いでいる。
「お昼休み、一緒にコンビニ行こう。」私は笑顔で答えた。
-ねぇ優子。
高校生って楽しいんだね。一緒に遊んだり、悩み事を相談したり。『思い出』って、こうやって積み重ねた毎日の事なんだよね、きっと。
積み重ねって…どの位の期間を一緒に過ごしたら良いのかな?どの位積み重ねたら…『忘れない思い出』になれるのかな?
転校してから、5カ月。あっと言う間に半年近くが経とうとしていた。
「小夜ってさ、昔から器用だったの?」帰り道。優子が突然聞いてきた。
「えっ?」自覚が無い質問に、私は驚きを隠せなかった。
「だってさ、ほら!!いつも持ってるあの人形。10個位あるのにさ~どれも超丁寧なんだもん。」笑顔で話す優子。
優子はバレー部。体育は得意だが、家庭科はてんで駄目。人懐っこくて大雑把な性格なのだ。
「優子、今日の家庭科めっちゃ怒られてたもんね…」エプロンを作る実習でミシンを見事に破壊した優子。家庭科の教師に「説明聞いていなかったの!?」と怒鳴り続けられていた。
「私は感性で生きるタイプだから」優子がニヤっと笑うので私もつられて笑った。
「でも、お裁縫出来ないと将来困…」私がそう言いかけた時、頬に一滴の何かが空から落ちた。
「うわっ、雨だ!!」優子の声に反応する様に、ザーっと雨が降って来た。
天気予報では今日は晴れ。二人とも傘なんて持ってない。
「あ!!ちょっと走れる?私の家、この先なの」私が提案すると、優子は分かったと叫び二人で走り出した。
-ねぇ優子。私ね、優子と話をするといつも笑ってた気がするんだ。優子を見ていると【自由】を感じる事が多いの。「感性で生きる」って貴方はあの時言ったけど、私にはそれが出来ないから…。憧れと一緒に、ほんの少しだけ嫉妬しちゃった。…ごめんね?だから【私にしか無いモノ】を優子に見せたくなっちゃったんだ。
私の家に優子が来るのは、初めてだった。
「お邪魔します」優子は母に笑顔で挨拶をした。母は私達にタオルを手渡しながら「貴方が優子さんね」と、優子をじっくり眺めていた。私は優子の手をひき、自分の部屋へと連れて行った。
「小夜の部屋って、絶対人形とか多そうだよね~」階段を昇りながら優子は予想を呟いていた。私はニコニコしたまま答えない。
「あ!!あと、ピンクのイメージ。小夜は小柄だし女の子っぽいからピンク似合うもん。あっ!!でも、手作り人形の箱は青だから、意外とシックに青かな?」一人で楽しそうに予想し続ける優子。
「ココだよ」私はドアの前で立ち止まった。
「おっ!!ではでは、お部屋拝見♪」元気良く優子が部屋のドアノブを回した。後ろから、私も入る。
「………」
私の部屋に入って、優子から笑顔が消えた。
私の部屋。ベッドと、数箱の段ボールだけ。あとは何もない。
「…どうしたのコレ」言葉を選ぶ優子。言いたい事は表情を見れば分かる。
私は笑顔で、【私にしか無いモノ】を優子に見せる事にした。
「ねぇコレ見て」広げたのは青い小箱。1体ずつ人形を取り出した。
「これは小学校1年2組の時の親友の加藤沙希ちゃん。小夜と沙希で名前が似てるから仲良くなったの。」二つ縛りでリボンをつけた女の子の人形。
「2年4組の親友の高橋賢太郎くん。私の隣の席でね、いつもポケモンの絵を描いて私にプレゼントしてくれたの。」眼鏡をかけて色鉛筆を持った少年の人形。
「これはね…」3体目の人形を取ろうとした時だった。
「ちょっと待って!!!!!」堪らず優子が叫んだ。
「…どうしたの?」羨ましいのかな?自慢し過ぎちゃったかな?
「小夜…この人形は…何?何でこの部屋、こんなに何もないの??」部屋に入ってからの優子は笑ってくれない。どこか脅えた表情をしている。
「優子…私のお父さんの職業って覚えてる?」
「警察官でしょ?」
優子の答えに私は首を横に振った。「駐在さんだよ。正義のヒーロー」
私の家は駐在所。
駐在所とは警察官がその家族と居住し、地域との交流を持ちながら業務を行うための施設。
父は『誰もが顔を知っている正義の駐在さん』に拘った。家族からも近所からも愛される駐在さん。父の子供の頃からの夢だったそうだ。その夢見る正義の味方に恋をした母。仕事を辞め、人事異動の多い駐在さんと結婚をし、私を授かった。
「私ね…小学校を7回、中学校を4回、前の高校も入学してから1年ちょっとで転校したの。今の学校で13校目。最初の内はね、引っ越す前の友達と手紙の交換や電話をしていたんだ。でも…だんだん連絡はなくなってね…。まぁ…時間が経てば、転校していった子の事なんて忘れて、皆いつもの毎日を過ごすんだろうけど。」作り笑いじゃない…私は笑顔で優子に話を続けた。
「でもね、1度だけ。『もう転校なんかしたくない』って両親に訴えた事があるんだ。中1の時だったかな。」私の話を茫然と聞いている優子。
「『また新しい友達を作れば良いじゃないか!!友達が増えるのは幸せな事だぞ』『お父さんはね、正義の為にあちこちの駐在所に配属になるの。我儘言わないの』だって。…ヒーローに逆らった悪者になっちゃった、私。」あの日から…自慢の娘でいるしか選択肢がなくなってしまった。
「……」優子は何も言わなかった。
「もう次の高校も決まったの。今回は早かったな…」私は部屋を見回しながら呟いた。
優子は、なんとかこの部屋の状況と…【本当の私】の事を理解した。
「わ…私は、小夜の事忘れないよ!?」優子の言葉。私は笑った。声を出して、笑った。
「皆さ、何で同じ言葉しか言わないんだろうね?人間て本当に不思議。」笑う私を見て、優子は強い口調で答えた「信じてくれるでしょ?私達、親友なんだから!!」
私は箱の中から、7体の人形を取り出した。
「今、優子と同じ言葉を言った親友。」きっと私を忘れてしまう。優子も…。
「小夜…」悲しそうに私を呼ぶ優子。
「私ね、転校して来た日。優子が声を掛けてくれて安心したんだよ。」優子の手を優しく握り、私は続けた。「優子は誰よりも優しくて、私の親友になってくれた。本当に安心したんだ……だって」
「この学校でも、13体目の親友が作れるって…安心したの。」
私は優子に、13体目の人形を見せた。
肩までのセミロングの大きな瞳。手にはバレーボールを持った少女の人形。
「ずっと親友でいようね、優子。」
-ねぇ優子。
私の部屋に驚いて、『どうして私の部屋に来たか』そんな事、もう忘れちゃったでしょ?
それと同じ事なんだよ。その時は印象に残っても、次に何か印象強い事が起こると、人間は忘れてしまうの。
だからね、私は思うんだ。
雨はきっと、降った事に満足して『誰かに覚えて貰おう』なんて考えてないんだって。降った事実は、雨本人が覚えていれば、それで良いんだって…。
茫然としている優子を見つめ、私はそう考えた。
窓の外は、通り雨が止んで、美しい虹が空いっぱいにかかっていた。
(終)
通り雨