何も考えないでも水は流れていく。(途中)
第一章。
動こうとしたその時がまさにその時なのだ。
何者にも変えられないその今とというとき、ぼくは机に向かっていた。
何をしたかと言うと、メモ用紙にぼくがしたいことやなりたいこと、身につけたいこと、欲しいものの順で全て書いてやろうと思ったのだ。
歌を作りたい。
絵が上手くなりたい。
バスケがしたい。
一眼レフカメラが欲しい。
こんな具合に。
それに加えて
いまよりもましな人間になろうと思いこんなことも書いておいた。
借りたものを返す。
今日より明日明日より今日をより良くしていく。
早起きする。
早起きしよう。
朝日を浴びたらきっとその日一日が健やかだ。
僕のために僕の人生なんだから。
休みの日の休日は大抵本を読んでいる
刺激的な言葉に出会うと感動して震える。
自分にとって必要な、心に響く言葉と言えば良いのか
自分の心にすっと浸透していく。
物静かな性格ではなかった。高校まではね。
ある僕にとっての道しるべをくれた先生がこんなことを言っていたんだ。
いいかお前はこれから強くならなくてはいけない。
強い遺伝子になるにはどうすればいいか。
生き残るにはどうすればいいか。
それはお前の好きなことを存分に自分に許してやる事なんだ。
ほかの誰かがどうなろうが君は君の道を選ばなくてはならない。
好きなことはお前の強みになる。必ずお前を救う。
言いたいこと吐き出せる場所ってやつがある人間は強くなれる。
そいつの言葉には影響力が生まれ、それを自ら知っているやつは乱暴なことや
他人のことについてあれこれ言わなくなるもんだ。
知ってあげて方針や考えを伝えるようにしておけばいい。
お前が書く道に進むのなら
いつかお前がチャンスをつかむ時までに
表舞台にたつ時までに
しておくことがあるだろう。
そのことを頭にいつもおいておけ。
大学生活はお前の道に必要な要素だけで構成しろ
お前のいままでの生きてる意味を存分に活かせる
自分にとっての王道で生きていくんだ。
何かあったら先生にいつでもいってこい。
事故を起こして歩けなくなった僕の進路の相談をしていた時に先生はこんなふうに言ってくれた。
大学に入る前の事だった。
あれから僕はまだ先生に連絡をとっていない。
遅刻ばっかりで成績もこれといって平均をキープしそこから浮き沈みもないところにいた僕が変わったのは
先生との出会いと一番大きな原因は事故で歩けなくなった身体にある。
もう歩けないと知ったとき僕は人生のどん底にいた。
何も食べたくない誰とも会いたくない何もしたくない。
お見舞いに来てくれた好きな子にも会えなかった。
毎日来てくれていたらしいのに。
自分の状況を受け入れるのに時間がかかった。
よく遊んでいたノブこと高木信人もそんなおれのことを思って
好きだったバスケ漫画を持ってきてくれたり
バスケの小説を持ってきてくれたりしたが普通に話すことができなかった。
ノブが帰ったあと
一人でノブの持ってきたそれを読んでいる時に
ある光が見えた。
ボロボロに泣けてきて止まらなかった。
こんなにも人の心に寄り添う文章で
こんなにも温かい気持ちにさせてくれる本があることに
今まで気づかなかった。
十分くらい泣きじゃくったあと
ただなんとなく漠然と思った。
俺もこんな話を書いてみたい。
初めて書いたのは主人公が事故にあい歩けなくなるが周りの力で徐々に歩けるようになる話だった。
ノブに読んでもらったら
「これ絶対先生に見せるべきだよ!」
というのだった。
担任は国語の教師でよく見舞いに来てくれるいい先生だった。
先生はいつも生徒のことを気にしてくれていて生徒から人気があった。
あだ名もついていて「ヒゲ次郎」本名は松本次郎。熊みたいなヒゲで例えるなら
漫画の「Dr.クマ」ひげみたいな感じだった。
僕も先生のことは気に入っていたが事故が起こってこうなるまではあまり話したことはなかった。
そして物語を書いてるなんてことは言ってなかった。
「わかったよ。今度先生が来たら読んでもらうよ。」
「必ずだぞ。」
ノブは冷蔵庫にあるお見舞いのプリンを食べながら涙を流していた。
「ど、どうしたんだよ。」
「いや、うれしくてさ。おまえほんとにどん底にいたからおれどうしたらお前の力になれるのかずっと考えてたんだ。だから今すごく嬉しいんだ。」
ノブの涙でくしゃくしゃになった笑顔をみて僕も泣いた。
次の日にさっそく学校が終わった先生とノブが来てくれた。
僕が昨日ノブが帰ったあとに書いたモノと最初に書いたモノとを一緒に先生に読んでもらった。
読んで三分もしないうちに先生の鼻をすする音が聞こえてきた。
僕はだまってそれを聞いていた。
ノブが微笑んでいる。
読み終わって先生がまず言ったことを僕は未だに鮮明に覚えている。
「小説家になりなさい。」
目に涙を浮かべながらまっすぐ僕を見て真剣な表情で言ってくれた。
いままで先生に褒められたことがなかった僕はものすごく嬉しかった。
うまくいくことはトントン拍子でことが進むモノで
リハビリをしながらでもいける文芸学部のある大学を先生が探してくれて
そこを受験することになった。
勉強を見てくれた先生の力もあってか無事合格することができた。
大学生活ではリハビリと授業の合間に大学の図書館を使って定期的に作品を書いては先生にEmailで送った。
先生からはいつも励ましの言葉と勇気をもらう。
「お前にしか書けないモノがここに詰まっている。」
「お前だから生まれる言葉があるんだ。」
それを読んだとき本当の自分を書くことが作品を残すって事なんだと痛感した。
リアルを感じる文章や作品が好きなのもきっとそのスタイルにあると確信した。
それからというもの自分に起こる事が輝いて見えた
今ここにこうしていられるのは自分以外の人が僕に関わってくれたからだ
感謝の思いで毎日を生きていつか恩返しをしようと思った。
そしてこんな世界があればいいと思うことやこんな人間が現実にいたらいいなと思うことを願望のままに書いた。
自分の望むことや気持ちを書ける場所がある。そしてそれを読んでくれる人がいる
高め合える仲間もできた。最高だった。
これまでおれが生きてきた意味を存分に作品に使うことができるんだ。
こんなに楽しいことはほかになかった。
歩けないからなんだっていうんだ。
いつも僕を励ましてくれたのはノブと先生と家族そして文章を書く事だった。
そしてなによりぼくの支えになったのは毎日お見舞いに来てくれた美咲ちゃんだった。
今はとても仲良くできている。僕が大学を出て小説家としてやっていけるようになったらプロポーズする予定でいる。
今美咲ちゃんは僕の大学の隣の県にある美大に合格して絵を勉強している。
彼女の夢は僕の本の装幀と装画のデザインをすることだった。
そして僕の書いた小説を原作に漫画を描くことも夢だと言ってくれた。
*
先生ぼくは今とても幸せな毎日を送っています。
毎日好きなことをやれてリハビリも頑張っています。
先生にはなんとお礼を言ったらよいか。
きっと先生なら作品で恩を返せと言いそうなのでまた新作を書いていますよ^^。
あ、そうそう最近僕は絵を描いています。彼女の影響が大きいのですが
僕の作った小説をベースに漫画を描いてみたくなったんです。
いつかそれもお見せできる日が来るでしょう。
進路相談の時に先生が言ってくれた言葉を大切にして毎日を送っています。
「強い遺伝子になること。」「表舞台に立つまでにしておくべきことがあること。」
心が折れそうになるときいつも思い出しています。
いつか彼女にプロポーズできるように立派な小説家になって日々精進していきたいと思っています。
そして先生のことも作品に書くつもりです。楽しみにしていてください。
先生本当にありがとう。
あの時「小説家になりなさい」と言ってくれた先生のおかげで今の僕がいます。
感謝しかないです。ただただありがとう。
短いですが言いたいことは全部ここに詰まっています。
それではお身体きをつけて。また笑って会いましょう。
2012/6/23
光野 拓哉
何も考えないでも水は流れていく。(途中)