幸運の木

高校生の頃に書いた作品です。

幸運の木

 医者である私のところにある一人の患者がやってきた。若い男性で、一見、病院にやってくる必要の無いほど健康的な男性だった。
「先生、最近変な夢を見るのです」
 椅子に座るなり彼はそう言った。ほう、それはどんな夢ですかな、と問うてみると、彼は説明しだした。
「本当に変な夢なんですけどね。どうしてだか分からないんですが、真っ白な空間の中で、私はある一本の木のそばにいるのです。そしてその木には実が生っているのです。リンゴみたいな木の実です。私はおいしそうだと思ってそれを眺めるのですが、不思議なことにその木が親切にひとつだけ実を落としてくれるのです……」
 ほうほう、それでそれで、と話を促す。
「勿論私はその木の実を食べるのです。それはとても甘酸っぱくて、おいしくて……。そして、夢はそこで終わってしまうのです」
 私は一瞬間の抜けた表情になった。確かに変な夢だが、夢というのは言ってしまえばほとんどが変だ。とりあえず彼の場合、何かの願望が夢となって現れたのかもしれない。
「ご安心ください、おかしな夢というものは誰もが見るものです。そうですね、気分転換に新たな趣味でも見つけなさってはどうでしょうか。そうすればそんな夢からも……」
 私が適当な説明をしようとすると、彼は違うのです、と真剣な表情で止めてきた。
「ここで話が終わればお医者さまの力を借りようとは思いません。問題なのは、それからなのです。私がその変な夢から覚めると、何か、いい事が一度だけ起こるのです。懸賞が当たったり、綺麗な女性と知り合えたり、……とにかく色々な形でです。それに、どれもほどほどの幸運なのです。大きすぎず、かと言って小さすぎず……」
 どうやら正夢の類ということらしい。それならば確かに不思議な夢だが、彼が得をするだけの話だ。わざわざそれを治そうとしてここに来るだなんて、と思ったが、彼の話はまだ終わりではなかったようだった。
「私は夢を見始めた頃、なんてありがたい夢だと喜びました。大きくはなくとも、幸運はあって困るものでもありませんし。ですが、最近おかしな様子になってきたのです」
 彼は身を乗り出して本題に入り始めた。
「最初の頃は、木の実は無限にあるものだと思っていたのです。数え切れないほどあったので、私はそのことに何の疑いも持ちませんでした。ですが、ここ数日、木の実がだんだんと寂しくなっていることに気付いたのです」
 ははあ、毎回同じ夢ばかりを見るだけじゃなく、それが継続しているらしい。
「そこで、一昨日、私は一度残った木の実を数えてみたのです。私は幸い夢の中でも木登りが出来たので。その日の分の実が落ちた後、調べてみると残った木の実は二十六個だということが分かったのです。そして次の日の夜に見た夢でも同じことをしてみると、ちゃんと一個減っていて、二十五個になっていたのです」
 ということは、残った分だけ同じ夢を見続けることになる。しかし、その後はどうなるのだろうか。どうやら彼がここへやってきた原因はそこにあるみたいだ。
「先生、木の実がゼロになってしまえば、私はどうなるのでしょうか。私が思うに、これは、私自身が持っている幸運そのものだと思うのです。これがどういうわけだか分かりませんが、このような形で少しずつ減っていって、いつかは消える。そうなれば、私のこれからの人生、全く幸運が訪れないことになる。そんなことはごめんです。幸運がやってこないと分かりきった人生なんて、やりきれなさすぎる……」
 確かに、そう考えるのが妥当かもしれない。しかもこの人はまだ若い、それなのにこれからの人生、自分にチャンスがやってこないと分かってしまうのはとてつもない重荷となるだろう。
「なるほど。あなたの症状は分かりました。しかし、焦る必要はありません。必ずしも、そうなると決まったわけではないのですから。今はとにかく、別の夢を見ることに努めましょう。いや、寧ろ夢を見なくなるようにすればいいかもしれませんね。そうだ、今日から出来るだけ運動をするようにしてから眠ってはどうです」
 しかし彼はこの提案に首を振った。
「それはもう既に試しました。と言うより、私は普段から運動をするように心がけています。週に三日はテニスをすることを習慣にしているのです。その上テニスをした日は必ずと言っていいほど夢を見ないほど熟睡していたのです。それなのにあの夢を見るようになってからというもの、それまでの習慣とは関係なく、夢を見てしまうようになったのです」
 どうやら彼の見る夢は強い催眠性も備えているのかもしれない。もしくは何かのはずみでかかった自己暗示的なものなのかも。人は、無意識に何かを強く思い続けることがある。
「それでは、睡眠薬をお薬に出しておきましょう。すぐに、そしてぐっすりと眠れますよ。強めのにしておきますから、飲みすぎには注意して……」
 しかし彼はこの提案にも首を振った。
「それも試しました。自分で市販の薬を買って、飲んで眠るようにしたのです。ですが、目安の量を飲んでもだめ。どれだけ深い眠りに落ちようとも、結局あの夢を見てしまうのです」
 彼はそこでひとつため息をついた。これは中々に手ごわい夢みたいだ。
「うむ、それでは、夢の内容を変えてはどうでしょう。というより、そう思い込むといったほうが適切かもしれません」
 自己暗示ならば、自分が思い込めば、夢も応じて変わってしまうに違いない。少なくとも何かしらの変化をもたらすはずだ。
「思い込む、ですか。例えば、どのように……?」
「そうですね。では、木の実を食べてしまうのではなく、それを植えてみてはどうでしょう。もしかしたら新たな木が生えるかもしれませんし、木の実も増えるかも。……もっとも、夢にその思い込みが効いたらの話ですが」
 あくまで予測だったものの、彼はその答えにいくらか満足したようだった。それから間もなく「早速試してみます」と残して帰っていった。
 翌日、彼は再び病院へとやってきた。どうやらうまくいったようで、昨日よりかは落ち着いた顔をしていた。
「先生、昨日言われたことをずっと思い込んでいたら、夢で同じように実を植えることが出来ました。今日いつものような幸運は起こりませんでしたから、恐らく効いたはずです。ですが、これで私は一個分の木の実を無駄に使ったことになります。ちゃんと二十四個に減っていましたしね。まあ、これが解決の糸口になれば構わないんですが……」
 それを聞いて私も安心した。少なくとも全く融通の利かないものではないことが分かったのだ。とりあえずまた様子見ということで、という結論に落ち着いた。
 しかし事態は好転しなかった。寧ろ余計に悪化してしまった。翌日、再び彼は病院へやってきた。それもものすごい形相でだ。
「先生、先生、とんでもないことになりました」
 彼はひどく取り乱していて、落ち着いて話をしてもらうのに少し時間がかかった。
「昨日見た夢なのですが、一昨日に埋めた実があるでしょう。あれが木に成長していたのです。実も生っていて、そこまではよかったのですが、二本とも実の数が明らかに少ないんです。数を数えてみると、一本に十二個ずつ。合計は二十四個で変わらない上に、それぞれが一個ずつ実を落としてくるのです。そして結局は実の残りが二十二個に……」
 つまり私の提案は逆効果だったのだ。実の総量は増えないまま、減るスピードが二倍になってしまったようだ。
「それに、今日似たような幸運が二回分起こりました。確かに、二個の木の実が減ったのです。どうしましょう、先生……」
 融通が利くと思ったら、とんでもない間違いだった。これは私なんかの手には負えない問題なんじゃあないのだろうか。かといって、他人に扱えそうな問題でもない。
 それから私達は様々な対策を練った。その木を斧で折ってみてはどうか、実が増えるよう思い込んではどうか、実を放置してみてはどうか、などであった。
 しかしやはりどれも上手く行かなかった。夢の中では斧を生み出すことが出来なかったし、実を増やすという思い込みは勿論通用しなかった。実を放置してみると芽が生えてきて、新たな木となろうとするので、それを夢の中で無理矢理彼が食べて食い止めたり、進展は何も無かった。
 この夢で許されていることは実を食べるか食べないか、そして植えるか植えないか。それだけのようであった。どうやら自己暗示のようなものでなく、催眠性のものらしい。しかし、そうとなってしまっては手が無い。催眠をかけた者でない限り、解くことは出来ないのだ。
 そしていよいよ実が残り二個となった。これで明日には彼の夢の木には実がひとつも残されないこととなる。彼は憔悴しきっていた。
「先生、今日までなんとかこの夢を終わらせようと努力してきましたが、もうだめのようです。明日良いことが二回起きれば、それで私の幸運はおしまい。もう受け入れるしかありません」
 彼はひどくやつれていた。夢を見ないようにしようとしたことと、幸運を失うことに対しての恐怖によってだろう。残念ながら、彼はどうあがいても眠ってしまい、夢からは逃れられなかったらしい。
「希望を失ってはいけません。ああ、私が余計な提案さえしなければ……」
「先生は悪くありません。先生は私を助けようと懸命になってくださったのです。それだけで十分です。では、先生、さようなら……」
 私が止める間もなく、彼は私の目の前から去っていった。絶望して自殺してしまうかもしれない、そう考えると不安で不安でたまらなかった。警察に連絡しようかとも考えたが、どうやって説明すれば、こんな話を信じてもらえるというのか。ビデオだかに撮っておけば、いくらか説明のしようもあったろうが、今となってはもう遅い。どうすればよいのだろう……。
 しかし翌々日、彼はもう一度病院へとやってきた。そのことに私は大変驚いたが、彼が最悪の状況に陥っていなかったことに喜んだ。その彼自身は落ち着いていたが、何か納得がいかない様子だった。
「先生、やはり、一昨日に私はあの夢を見ました。そして確かに、残りの二つの実全てが落ちてしまったのです。良いことが二回起こったので、これも確かです。なんですが、昨日からあの夢を見なくなったのです。今は特に変化もありません。一体これは……」
 彼がそう言うので、私は試してみることにした。カードを使ったり、じゃんけんをしたり。つまりは彼の運を計ったのである。結果は、至って普通。異常なほど負け続けたり、まして勝ち続けたりすることなどなかった。結局、彼から幸運はまだ消えていないようであった。
 それに満足したのか、彼は軽い足取りで帰っていった。それきり彼はもう病院へ来ることはなくなった。
 しかし、あの夢は一体何だったのだろうか。私も納得がいかない結果となったが、患者の彼自身が満足しているし、ただ偶然が重なっただけだ。そう思うようにした。
 そうして忘れようとしたが、すぐにそうともいかなくなった。彼が去ってから数日して、何と私も同じ夢を見てしまったのである。
 それからこの夢と付き合うことで色々なことが分かってきた。どうやらこの夢は、というよりこの木は、人間の頭の中で繁殖し、生存する特殊な植物なのだ。取り付いた人間には、実という形で幸運を与える。実が少なくなってくると、新たな人間に乗り移るために、誰かにこの夢のことを話すように焚き付けるのだろう。それを聞いた人間は頭という土壌が耕され、そして話を聞くうちに種が植えられ、暫くしてその種は発芽する。このようにしてこの植物は種を保ち続けているわけだ。これらのことは彼が私にしたように、私が自分の妻に実際に行って分かったのだった。今では妻がその木の夢を見ている。
 これが正しければ、この植物が頭の中に住まわれて困ることはない。ただ幸運をくれるだけだし、特に害も無い。しかし残念なことに、一度発芽した頭には再び種が植えられないようだった。流石に話はそこまでうまくないのか、どうやっても二度と見ることはなかった。
 それにしても、こうやって恩恵だけを与えてくれるだなんて随分親切な木だ。普通ならば、何かしらの得をさせた分、見返りをよこせというのが自然界の鉄則だと思うのだが……。
 だがその答えもすでに出ていた。この植物、頭に住み着いている間は、他の夢を決して見させないのである。

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幸運の木

医者をやっている主人公のもとに、ある若い男が現れる。彼はどうやら夢のことで悩んでいるようで……。ある不思議な木の物語。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-21

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