母との文通
母
いつの頃からか、母がやたらに鬱陶しい存在になり、またある頃からは自分が母と同じ歩き方をしているのを発見し嫌気がさし、またまたある頃からは自分より小さくなってしまった、母に気が付いた。
そんなに遠い距離ではないが、毎日顔も見せないし、忘れたころに実家に行く程度で親孝行らしいことなんて一つもやってない
唯一孫の顔をみせられたことだけが、親孝行といえば親孝行。
でも いろいろなことがあって、私自身今をもっても母に素直になれない部分がある。メールがきてもすぐに返信しないし電話もよほど緊急ではないかぎり折り返すこともない
そんな矢先
娘が可愛い便箋を買ったことをきっかけに、母と文通をするようになった。
もちろん内容なんて教えてはもらえないし、母も内容を話したりはしない、きっとわたしの悪口も入っているに違いない
いいさ、書くがいいさ それで秘密の共有でもなんでもすればいいさ
なんて思っていた。
間違っても、私は母と文通なんて考えられない
第一面倒くさい
そう思っていた。 それに文通なんてしたら、喧嘩を売りそうで怖くもあった。
娘がそんなわたしの気持ちを知ってか知らずかある日つぶやいた。
「ママもばーばに出してみればいいのに ハガキでいいじゃん」
あーハガキかあ・・・。なるほどね
文房具屋
午後の買い物中に娘が新しい便箋と封筒のセットがほしいと言い出したので、併設している文房具屋に立ち寄ることにした。
こんな中年になっても文房具屋はわくわくする。まだインクが十分残っていても新しいボールペンとか、表紙の可愛いノートとかついつい手に取ってみては
ついつい買ってしまって、家にはそんなノートやボールペンであふれていたりする。
娘に念をおされた
「ママ無駄なものは買わないでよ。」わかっています。買いませんとも。
何気なく誕生日カードが並んでいるコーナーへ移りいろいろ見ていたら、その横に「一筆箋コーナー」なるものがあった。
縦長い幅の狭い一筆箋 俳句でもしたためたくなるようなそんな風貌である。
俳句なんてしたためられないけれど・・・。
一筆箋の使い方が横に書いてあった。「日頃の感謝や、ちょっとしたお礼に」
日頃の感謝ねえ・・・。
まあ一筆箋ていう手もある。
「ママ一筆箋で書こうかな」
「これ出せるの?80円で」と娘が言った。
ハガキ50円 封書80円、そろばんが頭のなかではじかれた。
「やっぱりハガキにする。」
「ママ、安い方選んだでしょ」
わが娘ながら鋭い指摘に苦笑するしかなかった。
買ってはみたものの・・・。
一筆箋コーナーの中にハガキのコーナーがこじんまりとあった。あまり人気がないのか種類もそう多くはない。その中でもやや母好みであろう、桜の花びらがちぎり絵のように散っているハガキを選んだ。うす緑の地に、薄いピンクとやや濃いピンクの花びらが舞う淡い感じのハガキ10枚入り315円。まあこんなもんかあ・・・。メールさえすぐに返さない私が、ハガキを母に書くなんて。暖かい春の陽気が少しずつ近づいているというのに、私のせいで明日は大雪になりそうだ。
ハガキを買ったはいいが、さて内容はなにを書こう。何を書いていいやらなにも思い浮かばない。母への文句や愚痴ならばいくらでもあふれてくるのに、いざハガキに向かい合うと文面が一切でてこないのであった。短い文で終わらせてしまおうと思ったのにその短い文もかけない、何も書けない。母との共通の話題は娘や息子のはなしだったが、当の娘と文通しているのであれば、なにも私がわざわざ短い文章で子供たちの様子なんて知らせることもない。
ますます困った。「ああこまる 母の手紙 何もでず」 ふとつぶやいたら適当な俳句をひねった私がいた。人間困ると思いがけず、なんとかなるもんである。
しかし俳句は季語だのなんだのってめんどくさい、575で伝えようなんて、困った私からしかひねりだせない。毎回困ることも多分ないだろう。そこで思いあぐねた結果。短歌という手を思いついた。57577これならなんとかなりそう。どこからそんな自信がでたのかよくわからないが、とにかく短歌で送ったら、抑えきれない文句と感情も笑って流せそうな気がしてきた。人間思い込みも時には必要である。
母との文通