『遺書』

第一章

 「何も死ぬことなんてねぇのになあ…。」
ワンルームマンションの浴室にかけられた二本の物干し竿にロープをくくりつけて首を吊っている髪の長い女性を見上げて中年の刑事、金剛 一(こんごうはじめ)が呟いた。

「金剛さん!」とリビングにいた軽井沢刑事の声に軽く返事をし蒸しかえる浴室から出た。
「これ、遺書ですよね。」と軽井沢はリビングに置かれた小さなテーブルに置かれた白い封筒を指差した。白い封筒には綺麗な字で「遺書」と書かれており封筒の中には便箋がこれまた綺麗に折られて入っていた。
「遺書って書いてるんだからそうなんだろ…しかもご丁寧に免許証まで…。あとこっちの封筒には…金が入ってるな。」と同じくテーブルの上に置かれた普通運転免許証には浴室で死んでいる彼女の写真と氏名の欄には「崎本 春花」と記されており、もう1つの封筒に現金が入っていた。
「それにしても、殺風景な部屋ですね。」と軽井沢が部屋を見渡して言う。確かに若い女性の生活している部屋にしては物がなさすぎた。家具は遺書が置かれた小さなテーブルとパイプベッド、腰の高さほどの箪笥だけ。簡易キッチンには備え付けのガスコンロと水切り用のかごに入れられた一組の茶碗と皿とマグカップだけだった。
「死ぬ前にほとんどの物は処分したのかもしれないな。」呟きながら封筒から便箋を取り出し、目を落とした。その文章の始まりは意外な一文だった。

”私を見つけてくださった方には嫌な思いをさせてしまい大変申し訳ありませんでした。これはまぎれもなく自殺です。”


「監察医の先生が見えました。」と遺書を読み始めた時、玄関のほうから声がした。
「あら、金ちゃんの担当なのね。」と聞き慣れた声に振り返ると白衣に身を包んだ綺麗な女性が微笑んだ。
「ああ。自殺だよ。よろしく頼む…。」
「あら、断定するのね?ま、いいわ。見せてもらおうかしら。」と監察医、花村弥生は浴室へ向かった。
「弥生先生ほんとに綺麗ですねぇ…。」と隣で軽井沢が呟いた。それに半ば呆れながら頷き遺書に視線を戻す。「『これはまぎれもなく自殺』ねぇ…。」



「死亡推定時刻は昨夜の22時頃。死因は首を吊ったことによる窒息死で間違いないわね。ロープの痕にも他殺の所見はなし、遺書の内容も考えて自殺で間違いないと思うわ。血液検査の結果なんかはまたおって知らせるわ。」と解剖を終えた弥生はマスクを外しながら言った。
「そうか・・・。」と頷きもう一度遺書を見る。
「随分気になるのね、その遺書。」と弥生は微笑んだ。俺は、肩をすくめて弥生の微笑みに応えた。
「でも、どうして浴室なんでしょう?」と軽井沢がぽつりと呟いた。
「それは、迷惑をかけないためじゃないかしら。」と弥生は医局の自分の席に座り椅子に深く凭れかかった。質素な椅子がきいと小さな悲鳴を上げる。
「迷惑?」と軽井沢は不思議そうに首を傾げる。
「死ぬために家具を処分したり家賃とか生活費を支払ってたり、なおかつ遺書の最初の文面は発見者に詫びている…もしリビングなんかで時間が経った後に発見された場合首を吊ったら後始末が大変でしょ?でも浴室なら水で流せるしね…比較的処理が楽でしょ?」
「ああ、なるほど…。」
「それより…どうして自殺なんてしたのかしらね?美人なのに…。」と弥生は呟きカレー煎餅をかじった。
「…その次の文が気になるんだ。」と遺書を弥生に手渡す。弥生は煎餅を持っている手と反対の手でそれを受け取り遺書に静かに目を落とした。
「『私は死ぬために生きてきたんです。』ね。でも、この事件は自殺ってわかってるじゃない。詳しく捜査なんてできないんじゃない?」言いながら俺に遺書を返す。
「そうですよ。また係長にどやされますよ?」
「ああ。でも気になるんだよ…どうして彼女が自殺を選んだのか。」
「そんなに気になるんなら良い人紹介してあげようか?」と弥生は悪戯っぽく微笑む。
「ん?良い人?」と俺と軽井沢は首を傾げた。
弥生はカレー煎餅を食べ終え、指についたカレー粉を優雅に舐めとり言った。

「ただし情報量は高いわよ?」

『遺書』

『遺書』

ワンルームマンションの浴室で発見された一人の女性の遺体。 残された遺書には『まぎれもなく自殺です。』と記されていた。 なぜ彼女は死を選んだのか?一通の遺書を通じて徐々に彼女の過去が明らかになっていく。

  • 小説
  • 掌編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-21

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