鉄腕アトムとアマルフィー

あの頃みんな未来を描いたのは、どうして?

 私たちの子供の頃、ヒーローといえば月光仮面に鉄人28号、そして何といっても鉄腕アトムだった。私が5歳の頃、高知の小さな百貨店で買ってもらった鉄腕アトムのハンカチがお気に入りだったが、親の退職で父親の郷香川へ引越しの際になくしてしまったのか以来見ることはなかった。
お母さんあのハンカチどこへ行ったのでしょう、そう、高知で買ってもらった薄いハンカチですよ。僕はあれがお気に入りでした。と詩が出来そうだ。
 そんな幼少を過ごす頃、少年漫画や新聞社主催の絵画コンクールというのがあった。それは今でもあるが、このコンクールの題で印象的だったのは21世紀の街というものだった。1960年代21世紀の未来を想像して絵にしましょうと開催されるコンクールだった。それは学校でも取り上げられ、友人らとそろって未来の都市をイメージして描いたわけだがその絵は今考えるとみんなSFに出てくる空中を飛ぶ飛行機であったり、円形をした宇宙ステーションであったり、高く伸びたビルであったりしたわけで入選作品は当然そのような絵ばかりだった。その頃は何も疑念もいだかずそんな便利で快適な未来都市がそこここに出来、誰彼なくみんな不自由なく生活できあたかもそれが幸せを呼びかのように想像していて、先日その話を知人に話したのだった
「俺たち誰でもそんな未来と思っていただろう、当然みんな鉄腕アトムなどにも感化された。けどそれって今思えばおかしくないか?原発を推進したのは中曽根をはじめ読売新聞社のプルパガンガだったろ??アトムも利用されたたんだと思わないか??」
知人も少し考えて「そういわれるとそうだな、誰もみんなそんな未来が来ると思った」と答える。
「そうだろ、何も疑問も抱かずそんな未来を想像してしまう訳だ、ところがだ。映画に出たアマルフィー知っているか?」と聞きなおした。

イタリアは世界一世界遺産の多い国だそうで、イタリア国内そこここに世界遺産があり、ないところがないほどだ。そんな国だから世界中から観光客が訪れるのは当然といえよう。これが全部画一された都市だと誰もそこへ行こうとは思わない。そこ特有の美しさや文化に触れたくて人は訪れるのであろう。ローマのコロッセオはじめべネティアの全体、フィレンツェも全体が宝だらけだし、美術品だらけである。美しい丘のオルチャ渓谷など一度は訪れ、クラシックカーで糸杉の植えられた小路をオープンのクラシックカーでゆっくりドライブしてみたい。また、映画でもドラマでも良く出てくるアマルフィー海岸はそれは急峻なところに建物が折り重なるようにたち、同じく段々畑にはヨーロッパらしく葡萄棚があり、この地方の特産のレモンが栽培されていて豪華客船のクルージングコースにもなっている。
このアマルフィーの紹介で未だにレモンを収穫するとそれを運び出すのは人力だとあった。それを見て「またそのようなさもあらん報道して」と疑い、現地にいった方のHPやブログ記事を読みますとやはり強力によって運び出しているとある。
うちの近くには有名はみかん栽培地区がありまして、この時期はそれは美味しいみかんが頂けますがアマルフィーほどにないにしても急峻な山に植えられたみかんを収穫するのは大変な作業である。みかんがはいったコンテナーを出すのは大変ですからどうするかといいますと広いところでは軽四トラックが入り、それより先は農業用モノレールの出番となる。
小さなエンジンでも多くのコンテナーを積み、山の上からみかんを運び出す、そんな風景を良く見ますのでアマルフィーに営業に行けばみんな飛びつくのではないか?と思うのだが、営業に行ったのか?それともレモン農家は知っていてもそれを使うことをあえていないのだろうかと考えてしまう。
「お前たちは可哀想だね、こうやって運びすのが美しいし、その後パスタと旨いワインで苦労を分かち合うのがいいんじゃないか」と笑いながらワイングラスを上げいうだろうかか?

「この世界遺産のたくさんあるイタリアやフランス、そこで私の同世代の人に子供の頃「自分の住む街の21世紀」を描いたとき私たちと同じような絵を描いただろうか?もし描いたとしたら今なぜこの風景が残っていると思う?残っているのはどうしてだと思う」
私はそう知人に聞きなおしますと友人は少し考えて
「そうやな・・・俺たちとは違うだろうな・・・」と一言答えた。
「だろ??じゃあ俺たちは幸せになり、違う彼らは不幸なのかな?おれはそうは思えないけど」
当然彼の回答も私と同じものだった。

 人は見るもの知るものに直ぐに影響されてしまうのではないだろうか、そしてそれがさも本当なのだと思い込んでしまう?ましてそれが有名放送局であれば尚更である。そう考えると手塚おさむが鉄腕アトムを創造しそれが市民、特に子供に受けたと感じると大人はそれを巧みに利用する訳で「資源がなくなると脅し、絶対安全な原発は明るい未来を作る」と、さもそれが本当でそうなれば幸せが来るように仕立て上げる。それこそがもっとも恐ろしいことなんだと近頃感じて仕方がない。それは企業が自分の利益を求めたいが為に仕組んだ罠なのだろう、マスコミに騙されては駄目なのである。

 電化も原発も太陽光発電も携帯も自動車も何もかも一方的にどんどん刷り込まれてしまい、テレビが言っているから評論家が言うから大学教授がいうからと信じ込んでしまう。それは大きな間違いで、ただ利用されているだけなのではないだろうか。

 ところがだ。分かっているが自分に振り掛かるとそれが駄目とわかっても止められないのですから哀れとしか言いようがない。
常日頃から絶えずこれでいいのかな?本当かな??と自分で考える。そのためには自分が変だと思うこともあえて聞き、その反論も当然聞き総合的に矛盾がないのかをいつも考える癖をつけ、駄目だと思えば大胆に舵を切る勇気をもつことが大切だと痛感する。そっちへ行っても座礁し船は沈むしかなく、鉄腕アトムは利用されたかもしれないが、悪を倒しに行ってはくれないのだ。
あの頃みんなが違う絵を描いていたら、もしかしたらこの国は全く違う道を歩み、全く違う国民になっていたかもしれない。

 アマルフィーに原発はないし、農業モノレールもないであろう。だから世界に誇れる風景が残り人々がそれを見に訪れるのではないだろうか?

鉄腕アトムとアマルフィー

鉄腕アトムとアマルフィー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-20

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