私ノ王子様
前作「眠リ姫」の対になる話です。
私は外が怖かった。
「ちょっとお外へ行ってくるね」と言ったきり、帰ってこなかった母。
外は怖い。怖い。
幼い頃から、この家から一歩も出たことは無かった。
外へ出るのは、いけないことだから。
私の相手はメイド達、家庭教師、主治医の柏原だけ。
それだけいればいい。
昌との出会いは、11歳になったばかりの時だった。
ひょっこりと階段に面する窓から顔を出した昌は、初めてみる、大人ではない人間だった。
私は家から出たことは無かったし、家に来てくれる人なんてもちろんいなかったから。
それから昌は、窓から顔を出していろんな話をしてくれるようになった。
自分の家族のこと、ペットのこと…
ずっと家で本を読み柏原とメイド達だけを相手にしてきた私にとって、昌は知識も何も無い、ただのガキっぽい男でしかなかった。
たとえ私が迷惑そうな顔をしたとしても、昌は毎日やって来た。
いつしか、昌がいない日常など考えられなくなっていった。
4年間の間、昌は毎日窓辺に通って私にいろいろな話をしてくれた。
いつのまにか、私は眠れなくなった。
昌のことを考えると、胸が疼く。
そして、考え始めた。
私が生きている意味…それは何だろうと。
どんどん大人になっていく私と昌。
メイド達もどんどん年老いて日に日に愚痴っぽく醜くなってゆく。
私は、あんな姿にはなりたくない。
いずれあんな姿になってしまうのなら、このまま美しく眠りたい。
昌がいてくれればそれでいい。
私は毎日この部屋で過ごし、昌は毎日やってきて話をする。
このまま時が止まれば良い。止まってしまえ。
そして、私は毎日薬を飲むようになった。
ある時、昌はいつもと違う服を着ていた。
今日から「高校生」になったのだという昌はずいぶんと大人びて見えた。
私の昌が変わっていってしまう。
私も変わっていってしまうのだろうか…
嫌だ。今のままでいい。ずっとこのままで良い。変わりたくない。
学校のことや友達のことを楽しそうに話す昌。
私を見てほしい。このままずっと一緒にいてほしい。
変わるのは…怖い。
「ねえ、ありあは学校には行かないの?僕と一緒に行こうよ。」
嫌だ嫌だ嫌だ。
「五月蝿い。私は外に出ることなんて望んでいない。昌がいればいいんだ。」
昌がこの時間を壊そうとするなんて。
嫌だ。外は嫌だ。私の昌。こいつは私の知っている昌じゃない。
「ありあなら素敵だし、きっと僕以外にも友達がいっぱい出来るよ。ねえ、ありあッ」
考えるより先に、私の手は昌の首元へ伸びていた。
こんな昌ならいらない。
私と永遠に一緒にいればいい。
首に回された手に思いっきり力が入る。
親指に力が入り、昌の喉元が絞められていく。
ふいに手が重くなり、昌が地面に倒れこんだ。
…昌。
昌が悪いんだ。
大丈夫。私ももうすぐ逝くから。
昌。ずっと一緒だ。もうどこにも行かせない。
「ありあお嬢様。玄関に男が倒れていますが、どういたしましょう。」
…男?
「ちょうど、お嬢様とおなじ位の年でございます。」
きっと昌だ。
死に際くらい、看取ってやるのもいいかもしれない。
「よし。その男を、家に連れて入れ。」
今日は休日だと言っていた柏原は、呼ばれたことでひどく不機嫌そうだった。
「お嬢様、あの青年は…」
「青年ではない。昌だ。」
ふいに口から声が漏れる。昌はどうなのだろう。
「失礼しました。昌様は死んではいませんが、よほどショックなことがあったのでしょう。気絶しており、頭をひどく打っているようです。脳障害の可能性も考えられますが、この家に置きますか?」
死なない…のか。
いっそ、記憶喪失にでもなってくれればいい。
そうすれば、以前のままの昌でいてくれる。
私だけを見てくれる、外なんて知らない昌でいい。
また昌が私を外へ連れ出そうなどということがあれば…
「分かった。意識が戻ったら、私の部屋へ連れて来い。私の話し相手にするのも良かろう。」
そうしてやって来た昌は、ひどく緊張しているようだった。
記憶喪失で、私の事もすっかり忘れてしまっている様子の昌との会話は楽しかった。
以前のような、私だけの昌。
昌は、私をお嬢様として見ない初めての人だった。
だからこそ、昌が私を「お嬢様」と呼んだときはひどく不快だった。
以前のようにありあと呼んで、話し相手になってくれたらそれでいい。
私の昌。それ以上は何も望まない。
「ねえ、ありあ。お父さんやお母さんはいないの?」
夕食の席で、昌にこんな質問をされた。
父と母なんて小さい頃に出て行ったきりで、顔も覚えていない。
私はメイド達と柏原に育てられたようなものだ。
父と母に育てられたのなら、私はもっと俗世間にさらされて育ったのだろうか。
父と母は、私を何と呼び、どんな教育を施したのだろうか…
心臓がドクドクと脈打つ。
こんな過去は何となく昌には言いたくなくて、わざとつっけんどんな返事をした。
昌は私の意図を察したのか、何も言ってこなかった。
「お前にはいたのか?その…父や母が。」
自分でも、こんな質問をするなんて意外だった。
昌のことを知りたい。
父や母がどんな感じなのか、本では学べないことを知りたい。
でも、昌には記憶が無いせいで何も語ることは出来なかった。
何だかその場に居たくなくて、私は部屋に帰る。
部屋には魔法の薬がある。
私を眠りの世界に、死の世界に導いてくれる薬。
いつからか、薬を飲まないと眠れなくなった。
薬をたくさん飲めば、私は美しいまま死んでゆける。
老いること無く、ずっと昌と一緒にいられる。
昌…
父と母とは、どういう存在なのだろう。
こんな時父と母なら、何というのだろう。
こんな感情を持ちながら生き続けている世の中なんて、私はいらない。
どんどん増えていく薬の量。
…私は今日も眠る。
「…りあ…ありあッ!!!」
夢の中でまで昌の声が聞こえてきた。
何か柏原とぼそぼそとしゃべっている声も聞こえる。
私が眠っていることに何か問題があるのだろうか。
私が薬を沢山飲むたびに柏原が呼ばれ、私は診察される。
全く、私はどこも悪くないのに不可解だ。
2人は隣の部屋に行ったようだ。
昌だって、老いていくのは嫌なはずだ。
私と一緒にいればいいのに、何故柏原たちは邪魔するのだろう。
昌がただ好きなだけなのに。
2人の騒々しい話し声が聞こえる。
「なんだ、朝から騒々しいぞ。」
「…ッありあ!!!生きてる!?生きてるんだね!?」
…柏原から聞いたのか。全く、口の軽い奴め。
その後、昌と部屋で話をしたのだがよく覚えてない。
ただ、昌から好きだと聞かされたことは覚えている。
昌が私を好いてくれていることは、ずっと前から知っていたことだ。
私には、父も母もいない。
メイド達も柏原も、私を好いてなどいない。
私を本気で相手にしてくれるのは昌一人しかいない。昌さえいればいい。
「…私には、もうお前しかいないのだ。お前さえいればいい。」
昌と私で、ずっと一緒にいられればいい。
「ねえ、ありあ。外に出てみたいと思わない?」
ふいにあの時と同じことを言われた。
「外…?そんな必要がどこにあるのだ?」
私に外に出ろという昌。
「え…だって、友達がたくさんいれば、きっと楽しいよ。」
「友達…か。」
やっぱり昌は変わらないのだな。
たとえ記憶を失ったとしても、私だけの昌にはなってくれないのだな。
そんな昌は…いらない。
「それは、昌は私から離れたいから、私に友達を作れということか?」
「え…そんなつもりじゃ…」
びっくりした様子の昌。
私の大好きな昌。
「そうなんだろう!!!言ったはずだ!!!私は昌さえいればいい!!!昌だってそうだろう!!!」
「いつもいつもそうだ。最後には私を置いて行ってしまう。お前も以前そうだった。私だけを見てはくれなかった。どうして…」
ふいに涙がこぼれる。
言葉が津波のように押し寄せる。
「ありあ、僕はありあが好きだ。この世の誰よりも好きだ。ずっと一緒にいる。」
…言い訳は聞きたくない。
一緒にいてくれるのなら、私は昌しか欲しくない。
「お前は私以外を見ようとした。私の為だけに生きてくれようとはしなかった。裏切り者。」
馬鹿な昌。
私の大好きだった昌。
「ありあ…僕は…ッ」
きっと、昌と過ごせる最後の時間だ。
私は昌をぎゅっと抱きしめる。昌のぬくもりが、肌に伝わってくる。
「昌、好き。好き好き好き。だけど…」
私は砥いだかんざしを昌の首筋に突き立てる。
昌の首筋から流れてくる真っ赤な鮮血。
あの時と同じ、倒れていく昌。
「私以外を見る昌はいらない。穢れた昌はいらない。記憶をなくす前のお前もそうだった。愛する私を置いて、私だけを見てはくれないで去っていった…」
外に出ないかと言った昌は、2回とも同じ表情をしていた。
昌のことが好きなのに。こんなにも好きなのに。
私以外を見る昌は、私といる時よりもずっとずっと楽しそうだった。
「この死に損ないが。他の奴を見ようとしたお前だが、私と一緒に永久にいる権利をやろう。ずっと美しいままで、ずっと幸せなままで…」
一緒に死ねば良い。
私は昌とずっと一緒にいる。
美しいままで、この幸せが永遠に続くように。
さようなら。昌。
私もすぐに逝くから。
今度こそ、ずっと2人でいるんだ。
いつも通り薬を飲む私は眠リ姫。
昌がキスで目覚めさせてくれるのを待ってるから。
たとえ何百年も目覚めなくても、昌と2人の世界になるのを待ってるから。
ああ、昌だ。
虹の向こうに昌がいる。
永遠に一緒にいられるんだ。
永遠の眠りについた眠リ姫の寝顔は、とても幸せそうだった。
FIN
私ノ王子様