ミッドナイト・イン・奈良
ここは、奈良の東大寺。
真夜中の大仏殿は、しーんと静まり返っていました。
大仏様の半眼の目は、まるで世を慈しむように、薄暗がりの中空をじっと見つめています。
と、その時です。
どこからか、十二時を告げる時計の鐘が、ぼーん、ぼーんと、鳴りだしました。
鐘の音が止むと、大仏殿は再び静寂に包まれました。
しばらくすると今度は、するり、するりと、衣擦れのような音が聞こえてきました。
やがて、大地の底から響き渡るように「あー、ひまだな」という、声がしました。
と突然、大仏様が大きな大きなあくびをして、ぽりぽりと螺髪(らほつ)をかきだしました。
「ホントひま……」大仏様は、人差し指で螺髪の毛先を遊ばせながら「なんか今日、参拝客少なかったしな」と、言いました。
「いや、でも、ホントそうだわ。毎年この時期になると決まって減ってるもん、参拝客。え、なんでだ?絶対なんか理由があるよな……」
大仏様は指にからめた螺髪を、右巻きに、あるいは左巻きにと、捻りながら言いました。
「あー、もう駄目。このままじゃ気になって眠れないわ……誰かに調べさせるか。誰が良いかな……あ、そうだ、韋駄天(いだてん)にしよう。おーい、韋駄天。韋駄天ー、いるー!?」
と、大仏殿に一陣の風が吹き抜けました。
そこには、甲冑を身にまとった韋駄天が立っていました。
「なんですか、大仏様……」韋駄天は、眠そうな目を擦りながら言いました。
「あ、ごめん。寝てた?」
「寝てましたよ。え、いま何時ですか?」
「十二時」
「十二って……マジか……」と、韋駄天はつぶやきました。
「え、なに、韋駄天、怒ってる?」
「いや、怒ってはないですけど……」
「怒ってるよ、そんな顔してるもん」
「いやいや、こういうふうに彫られてるだけですから」
「本当?韋駄天、怒髪天、衝いてない?」
「衝いてませんって……で、なんの用ですか?」
「うん、ちょっと気になることがあってさ……足の速いところで、ひとっ走り調べてきて欲しいんだよね」
「なんですか?」
「いやね、毎年さ、このくらいの時期になると、決まって参拝客減るでしょ?」
「え……ああ、確かにそうかもしれませんね」
「だよね?」
「はい」
「やっぱ、そう思う?」
「あ、はい」
「良かった」
大仏殿は、再び静寂に包まれました。
「……え?」韋駄天が、言いました。
「え?」
「え、それだけですか?」
「うん。え、ダメ?」
「いや、ダメって言うか……あの、十二時ですよ?」
「そうだね」
「それって……いま調べないといけません?」
「だって、気になって眠れないんだもん」
「なんですか、それ……」
「もう、悟りの境地みたいな?」
「え、悟り?」
「うん、もう目が悟って、悟って、大変なんだわ……」
「え、悟りって……え、そういうことなんですか!?」
「うん、そうよ。だって、経典にもそう書いてあんじゃん」
「え、あれってそういう意味なんですか?」
「まあ、ちょっと長ったらしいけど、煎じ詰めるとそういうことよ。え、知らなかった?」
「ま、ちょっと、想像してたのと違いました……。てか、だとしたら、僕もう、しょっちゅう悟りまくりですよ?なんか、修行して損した……」
「とにかく、これじゃ悟って眠れないからさ、ちょっと調べてきてよ」
「えー、いやですよ、そんなの。自分で行ったら良いじゃないですか……」
「あー、無理」
「なんでですか?」
「足、しびれてるから」
「はあ?」
「だって千三百年、ずーっと結跏趺坐(けっかふざ)よ?しびれなかったら、ウソでしょ」
「じゃ、しびれ取ってから、行ったら良いじゃないですか」
「なに言ってんの、千三百年のしびれよ?取るのに二百年はかかるわ」
「そんなにしびれてんですか?」
「しびれてる、しびれてる……もう、鉄みたいに硬いもん」
「まあ、銅なんですけどね」
「え、なにが?」
「大仏様、銅でできてるんですよ」
「え、そうなの?」
「いや、知らなかったんですか?」
「あ、いや、知らなかったってわけじゃないけど……ふーん、あ、銅ね……」
「ええ……」
「じゃ、どうぞう、行ってらっしゃい」
「……え?」
「いや、銅像だけに。どうぞう、なーんて……」
大仏殿は、再び静寂に包まれました。
「本気で言ってます?」真顔になった韋駄天が、言いました。
「いや、ま……ノリよ、軽ーいノリ?その……あ、なに韋駄天ちゃん、その目は。……おい、コラ、ぶつぞう?」と、大仏様は軽く拳を振り上げました。
大仏殿は、再び静寂に包まれました。
「こいつ、脳みそも銅でできてんな」韋駄天が、ぽつりと言いました。
「え、なんて?」
「いや、なんでもないです」
「なんか、脳みそがどうとかって……」
「あ、じゃあ、僕、ちょっと調べてきますね」と、言うと同時に韋駄天はもんどり打つと、吹き抜ける風とともに、どこかへ消えてしまいました。
「あ、おい、ちょっと!……って、あーあ、もう行っちゃった。本っ当にあいつ、足は速いんだけど、性格がまごついてるっていうか、ぐちぐち面倒くさいんだよね……」
「ただいま戻りました」と、韋駄天が現れました。
「うわっ!なに、もう戻ったの?早―い……」
「まあ、韋駄天ですから」
「いやー、やっぱさすがだね、韋駄天は」
「まあ、性格は、ぐちぐち面倒くさいですけど……」
「え、聞こえてた?」
「まあ……」
「な、なーんだ……まあ、その、足だけじゃなくて、耳も良いんだね。え、おまえは、多聞天(たもんてん)か?このっ、このっ!」と、韋駄天をひじで小突く大仏様。
「いや、あの、普通に痛いんで、止めてもらえます?」韋駄天は、きわめて冷静に言いました。
「……ごめん」
「で、街で衆生(しゅじょう)の様子を見てきたんですけど……」
「ああ、うん、どうだった?」
「確かにいつもの様子とは、明らかに違ってました」
「え、どんな風に?」
「なんか、赤い衣を着てるんですよ」
「赤い衣?」
「ええ……ま、皆がみんなってわけじゃないんですけど、やたら多いんですよ。あと、赤い帽子も被ってました」
「それも赤なの?」
「はい。で、皆して鶏を殺(あや)めてるんです」
「え、じゃあ、返り血ってこと?」
「可能性はあります」
「なにそれ、怖ーい……」
「いや、見せたかったですよ。殺めた鶏を前に、赤い衣を着て、半狂乱で騒いでるんです。この世のものとは思えませんでした」
「それって地獄絵図じゃん!?」
「ええ、まさに。どうやら、怪しげな儀式らしいです。そこかしこに、普段は見かけない呪い(まじない)がありましたから」
「どんな呪いよ?」
「札に書かれた呪文に、こうありました……クリスマス」
「くりすます……なにそれ?」
「さあ、そこまでは……」
「とにかく、一刻も早く止めさせないと……」
「そうですね、このままでは衆生が……」
「俺って血とか苦手だから」
「え?」
「無理、無理。そんなの見たら、気絶するわ」
「え……あの、衆生を救うんじゃ?」
「いや、衆生よりも、血でしょ、血。だって俺、本当に無理なんだもん。だから、争いのない平和な世の中にしようと思って、必死になって説法したんだよ?」
「ええ!?そうなんですか?」
「そうだよ。クリスマスなんか見たら、俺の精神崩壊するわ」と、大仏様は取り乱しました。
そんな大仏様を見て、韋駄天は「僕は、もうしかかってますけどね……」と、言いました。
「韋駄天、どうしたら良いかな?」
「いや、僕に言われても……」
「あ、じゃあさ、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)呼んできてよ。あいつならなんか知ってるから」
「えー、またっすか?」
「どうぞう」と「ぶつぞう」のくだりを何度か繰り返した後、韋駄天はしぶしぶ文殊菩薩を呼びに行きました。
しばらくして、韋駄天とともに文殊菩薩が現れました。
文殊菩薩とは、ことわざの「三人寄れば文殊の知恵」で知られる、知恵を象徴する仏様、つまりとても物知りな仏様なのです。
「どうしたのよ、大仏様。こんな遅く……」文殊菩薩は、体をくねらせながら言いました。
「文殊ちゃーん、助けてよ。このままじゃ青ざめちゃって、顔じゅう緑青(ろくしょう)だらけになっちゃうよ……」大仏様は、韋駄天に目配せをしながら「俺、銅でできてるから」と、言いました。
すると、文殊菩薩が「それから錫(すず)と金」と、言いました。
「え?」と、大仏様。
「大方が銅だけど……」文殊菩薩はすまし顔で言いました。「錫と金も入ってるのよ。もっと言うと、水銀と炭もね」
「おおー、さすが知恵の仏!」大仏様は、興奮気味に言いました。
大仏様は、文殊菩薩に今までの経緯を説明しました。
「ちょっと、やだー!じゃあ、あなたたち、クリスマスを密教かなにかと勘違いしたってわけ?」文殊菩薩は、笑いをこらえきれなくなって吹きだしました。
「え、違うんですか?」と、韋駄天。
「ぜんぜん違うわよ。あなたが見てきたのは、クリスマス・パーティー。ま、一種のお祭りみたいなもんね」
「はあ……そうでしたか」
「でも、祭りだったら、なんで東大寺でやらないんだ?」と、大仏様。
「やるわけないでしょ?クリスマスってのは、イエス・キリストの生誕を祝うんだから」
「いえす・きりすと……って、誰よ?」
「え、知らないの!?」と、驚く文殊菩薩。
「あ、うん。え、韋駄天は知ってる?」
「いや、僕もちょっと……」
「あなたたち、勉強しなさすぎよ、それでも宗教家?」
「す、すいません……」大仏様と韋駄天は、声をそろえて言いました。
「イエス・キリストってのは……まあ、簡単に言うとキリスト教の教祖よ」
「え、ごめん。そのキリスト教ってのは?」と、大仏様。
「なに、そこから説明するの?」
「だって、知らないんだもん。頼むよ」
「ったく、世が世なら宗教戦争もんの話よ、これ……。いや、だから、キリスト教ってのは……ナザレのイエスを、救い主として信じる宗教で、イエス・キリストが、神の国の福音を説いて……」
「ごめん、ごめん、ごめん……ぜんっぜん、ついていけないわ。もっと、わかりやすく説明してよ」
「え、これ以上?どうやって?」
「じゃあ……キン肉マンで例えてよ」
「はあ?」
「キン肉マン、知ってるでしょ?」
「まあ、知恵を司ってるから、知ってるっちゃ知ってるけど」
「じゃあ、お願い」
「僕も、それでお願いします」と、韋駄天。
「もう、しょうがないわね……」
文殊菩薩は、身振り手振りを添えて──時折「キン肉バスター」等と叫びながら、大仏様と韋駄天に説明しました。
「なにっ!それでは、キン肉マンである私が超人オリンピックで優勝したのに、ロビンマスクの誕生日ばかりを祝っているということかなのか、ミートよ!?」大仏様は、激昂しながら言いました。
「あの、自分をキン肉マンって言うのは勝手だけど、あたしをミートって呼ぶのはやめてもらえる?」文殊菩薩は、言いました。「でも、そうよ。信者は人口の1%にも満たないのに、日本中がクリスマスで浮かれてるの。それに引き替え、釈迦の生誕を祝う灌仏会(かんぶつえ)が、四月八日にあるってことすら、一部の人間にしか知られていない。これって屈辱的じゃない?」
「ぐぬぬぬ、ロビンマスクのやつめ……」と、韋駄天。
「ま、ロビンは悪くないんだけどね……」文殊菩薩は、やや呆れ気味に「一番悪いのは、サンタクロース」と、言いました。
「サンタクロース!?」大仏様は、拳を握りしめてから「そいつはどんな超人だ?」と、鋭く言いました。
「ま、超人というか、聖人なんだけど……」文殊菩薩は、いちいち突っ込むのが面倒だなと思いながら「クリスマスの前夜に、プレゼントを配るの」と、言いました。
「プレゼントだと?」と、大仏様。
「そうよ。子供たちに玩具(おもちゃ)をあげるの」
「灌仏会だって、甘茶(あまちゃ)をあげるじゃないか」
「でも、玩具と甘茶じゃ……ねえ?」文殊菩薩は、冷ややかに言いました。「それに、あっちはスタイルも小洒落てるのよ。トナカイが曳くそりに乗って、赤いコートに身を包んで……」
「あ、じゃあ、僕が見た赤い衣って、まさか……?」と、韋駄天。
「そう、サンタクロースの衣装よ……赤い帽子、ブーツに手袋。衆生が真似したくなるわけよね。だってこっちは、お定まりの法衣(ほうえ)だけなんだもの」
「サンタクロース……恐るべき悪魔超人よ」大仏様は、肩を震わせて言いました。
「どうしましょう、王子?」と、韋駄天。
「……あんたたち、それいつまで続けるの?」
「よし、分かった!」大仏様は、突然向き直ると「目には目を、歯には歯を……クリスマスにはクリスマスをだ!」と、言いました。
「どういうことですか?」と、韋駄天。
「むこうがクリスマスなんていう卑怯なマネをするなら、こっちもやり返してやれば良いんだよ。簡単だろ?そりに乗って、赤い衣着て、玩具を配る。それだけ」
「それを、灌仏会でやるんですか?」
「今日やらなきゃ意味ないだろ、参拝客取り戻すんだから」
「いや、でも……そもそもクリスマスって、生誕を祝うためにやるんですよね?お釈迦様の生誕は、四月八日じゃないですか」
「だから、それは……勢いでどうにかするんだよ」
「勢いで?」
「そう、火事場のクソ力じゃー!!」
「おお!火事場のクソ……って、いや無理っしょ」
「待って!」黙っていた文殊菩薩が、突然口を開き「大仏様のクソ力、悪くないかもよ」と、言いました。
「……ウソ?」と、大仏様。
「ホント。そもそも聖書──キリスト教の経典には、十二月二十五日をイエスの生誕とする根拠なんか、どこにも見当たらないの」
「ええ!そうなの?」
「じゃあ、なんで今日が?」と、韋駄天。
「それを説明するには、まずクリスマスのルーツを知る必要があるわね。よいしょっと……」文殊菩薩は、ゆっくりと結跏趺坐を組んでから話しはじめました。「西洋文明が栄えた北半球温帯では、太陽が一年で一番南に傾く日──つまり冬至(現在の暦で十二月二十一日にあたる)に、春の訪れを願って祝う盛大なお祭りが、古くから催されていたの。古代ローマでは、このお祭りに、農業の神サトゥルヌスを崇めたのよ。そのお祭りを、神の名に因んで「サトゥルナリア」と呼んだの。サトゥルナリアは、数あるローマの祝祭の中でも、最も盛んなお祭りだった。いつしかサトゥルナリアが、十二月の十七日から二十四日まで、実に七日間にも渡る大きなお祭りになったほどにね。やがてローマの神々が威光を失い、人々が新たな信仰に心惹かれるようになってからも、サトゥルナリアだけは存続しつづけた。サトゥルナリアは、それだけ人々から愛された信仰風習だったのよ。新しい信仰の中で、サトゥルナリアと最も相性が良かったのが、太陽崇拝を起源とするミトラ教。冬至を境に日々上昇していく太陽が、サトゥルナリアでは春の訪れを、ミトラ教では死者の復活を意味するから、無理なく受け入れられたってわけね。さらにミトラ教は、サトゥルナリアが明けた翌日──十二月二十五日を、太陽神ミトラの生誕を祝う、重要な祭日としたのよ。おかげでミトラ教は、一時期最も台頭する宗教にまでいたったの。そのミトラ教の最大のライバルこそが、他ならぬキリスト教よ。キリスト教は、勢いづくライバルを蹴落とすため、紀元三百年を過ぎたころ、十二月二十五日をイエスの誕生を祝うクリスマスとして制定したの。こうして、立派な建前ができたキリスト教徒は、サトゥルナリアの賑やかなお祭り騒ぎを、大腕を振って味わうことができるようになった……。ね、わかった?早い話が、キリスト教はイエスの誕生日をでっち上げたの。だから、あたしたちも勝手にクリスマスしちゃえば良いのよ!」
文殊菩薩の目に、大仏様と韋駄天の完全に寝ている姿が、飛び込んできました。
「ちょっと、ひどくない?他仏(ひと)が一生懸命説明してるのに、なに寝てんのよ!?」
「いや、寝てない、寝てない。あの……ちょっと、涅槃仏(ねはんぶつ)ってただけだから……」と、大仏様は目をしばたたかせながら言いました。
「本当に?てか、それって結局、寝てるってことじゃない?」
「ンなことないよ……なんたって俺、悟ってるし。な、韋駄天?」
「ぐー」と、韋駄天。
「いや、イビキかいてんじゃないのよ!」文殊菩薩は、ヒステリックに叫びました。
「いや、違うって……」大仏様は、作り笑いを浮かべつつ、かみ締めた奥歯の底で「おい、韋駄天。悟れって……おい、おい!」と、言いました。
「なーに?お母さん……」と、韋駄天。
「いや、お母さんじゃねーって。おい、マジやばいから……文殊、怒髪天、衝いてっから……おい、悟れよ、悟れって」
韋駄天は、突然体をビクッとさせ「え、あ、はい……悟ってます」
「ほ、ほら、悟ってるじゃーん」
大仏様と韋駄天は、そろって満面の笑みを浮かべました。
「あんたたち、サイテーね。あたし、もう帰るから」と、文殊菩薩。
大仏様は慌てて「いや、待って、待ってって!俺たち、ちゃんとクリスマスやるから。もう、クリスマスるから!な、韋駄天?」と、言いました。
「はい、そりゃ、クリスマスります……クリスマスりますとも。ね、大仏様?」
大仏様と韋駄天は、そろって笑みを浮かべました。
「……やっぱ帰る」と、文殊菩薩。
「ちょ、大丈夫、大丈夫だって……な、ほら!」大仏様は、なにか思い立った様子で「屁のツッパリは、いらんですよ」と、言いました。
すかさず、韋駄天が「おお!ことばの意味は良くわからんが、とにかくすごい自信だ!」と、言いました。
大仏様と韋駄天は、そろって満面の笑みを浮かべました。
「ねえ……こんな言葉、知ってる?」文殊菩薩は、言いました。
「なに?」と、大仏様。
「仏の顔も三度まで」
静まり返った大仏殿では、大仏様と韋駄天がうなだれていました。
「文殊さん、行っちゃいましたね」と、韋駄天は言いました。
「おまえが、いつまでも悟らないからいけないんだろ?」と、大仏様は言いました。
「いやいや、夜中に起こされた方の身にもなってくださいよ」
「仕方ない、俺たちだけでクリスマスるぞ」
「え、文殊さんなしでですか?」
「大丈夫だよ、やり方は教わったろ?そりに乗って、赤い衣着て、玩具を配る。それだけ」
「でも、そりや赤い衣はまだしも、玩具はどうするんですか?」
「韋駄天、とってこいよ」
「え、それって盗んでこいってことですか?」
「うん」
「いや、それはダメでしょ。仏として」
「えー、じゃあ、やっぱ俺の法力で出すしかないか……」
「ンことできるなら、最初から盗ませようとしないでくださいよ」
「だって、あれ、すっげー疲れんだもん」
「たまには大仏らしいとこ、見せてくださいよ」
「じゃあ、俺が玩具出すから、韋駄天が配れよな、足早いんだし」
「いやいや、足は関係ないですよ、そりに乗るんですから……」
「じゃ、誰が行くのよ?」
「そうですね……千手観音(せんじゅかんのん)さんは、どうです?」
「え、千手?」
「手が千本あるから、仕事が早そうだし」
「なるほどね」
「それに、衆生を漏らさず救いたいって、いつも口癖のように言ってるじゃないですか」
「ああ、あいつ偽善者だからな……」
「だから、そこを利用してやるんですよ」
「韋駄天……お主も悪よのぉ」
「いえいえ、お大仏様ほどじゃありませんよ……」
大仏殿に、高笑いが鳴り響きました。
「っと……千手さんとこ、行ってきましたー」と、息を弾ませている韋駄天。
「ええー、もう!?」
「こういうのは、早い方が良いですから」
「で、なんだって?」
「ま、最初はちょっと渋りましたけど、口癖のこと言ったら、馬頭観音(ばとうかんのん)みたいに顔を真っ赤にしながら、分かりましたって……ぷぷぷ……」
「ははは、千手観音が、馬頭観音みたいって……冗談きついな、それ」
「だから、赤い帽子のこと説明してる時も、心の中では……おいおい、そんなに顔が赤くちゃ、帽子いらねーじゃんって……ぎゃははは!」と、韋駄天は爆笑しました。
「……おまえが味方でよかったよ」
「じゃ、そういうことなんで、あとはよろしくお願いしますね」
大仏様は、もんどりを打とうする韋駄天の腕をつかみながら「おいおいおいおい、待てって」と、言いました。
「え、なんですか?」
「そりは、どうすんだよ?」
「そりですか?大仏様が、法力で出してくださいよ」
「そうじゃなくて、お前がそりを曳くんだよ」
「絶対やですよ!」
「なんで?おまえ、足早いじゃん」
「だからって、仏がそり曳いちゃダメでしょ!」
「衆生が見たら、ひいちゃうって?」
「そういうの、いいですから!それに、そりを曳くのはトナカイだって、文殊さん言ってませんでした?」
「となかいって?」
「いや、僕も知りませんよ、そんなの日本にいませんし……」
「じゃ、調べてきてよ」
「言うと思ってましたよ……。でも、もっと良い方法があるんです」
「なによ?」
「ほら、奈良公園には、おあつらえ向きなのがいるじゃないですか……」
「え、まさか……?」
「そうですよ!鹿にそりを曳かせるんです。こういうのって、やっぱイメージが大事じゃないですか?我々のクリスマスが成功したとしても、他の寺に参拝客が流れちゃっても意味ないですよね?だから、鹿を使って奈良の印象を強くしとくんです。そうすれば、遠方の参拝客も増えるってわけです」
「なるほどね。これだけ苦労してんだから、うまみがないとな……」
「そうそう」
「ぐふふふ……鎌倉の大仏、悔しがるだろうな~」
「あの、大仏様?……それ、仏がしていい顔じゃないです」
「でも鹿のやつ、ちゃんとやるかな?」
「あんなもん、鹿せんべいでもやっときゃ、飛びついてきますって」
「そっか、そうだな!よーし、じゃあ、鹿呼んできて」
「もう、呼んでありまーす!」
「韋駄天、早ーい!」
大仏殿に、鹿がやってきました。
「大仏様、なんでございましょう?」と、鹿は恭しく言いました。
大仏様は「おお鹿よ、よく来た……他でもない、そなたに大事な用を任せようと思ってな……」と、急に厳かな態度になって言いました。
「これはありがたき幸せ……して、大事なご用とは?」
「うむ……実はな、本日より、仏教でもクリスマスを執り行うことになった」
「クリスマス……ですか?」
「ああ……ま、お主がクリスマスを知らぬのも是非はない。よいか、クリスマスというのはじゃな……」
「大仏様」
「なんじゃ?」
「恐れながら、わたくし、クリスマスのことなら存じております」
「うむ?……お主のう、知ったかぶりはよくないぞ」
「いえ、決してそのようなことは……イエス・キリストの生誕祭にございましょう?」
「う……ああ……まあ、そうじゃな」
「い、いやー、門前の小僧とは、よく言ったものですな……大仏様のお側に仕えておれば、自然と教養が身についてしまうもの、ははは……」と、韋駄天。
「お、おお……まことにそうじゃな」
「もったいのうことにございます」と、鹿が言いました。
「うむ、感心々々……おい、韋駄天」
「は!」
「褒美じゃ、鹿せんべいをくれてやれ」
「仰せのままに」と、韋駄天が、懐から鹿せんべいをだしました。
「……え?」と、固まる鹿。
「大好物であろう?苦しうない、頬張るがよい」と、大仏様。
「では、頂戴いたします……」
鹿は、もそもそと鹿せんべいを食べました。
「ついては、千手観音がそりに乗って、玩具を配ることとなった」と、大仏様。
「あの、それは……モグモグモグ……もしかして、サンタクロースのつもりですか?」
「おお、よく勉強しておるな……。おい、韋駄天」
「は!」
「鹿せんべいをくれてやれ」
「仰せのままに」と、韋駄天が、懐から鹿せんべいをだしました。
「いや、あの……」と、固まる鹿。
「苦しうない、かじりつくがよい」と、大仏様。
「……頂戴いたします」
鹿は、もそもそと鹿せんべいを食べました。
「通常、サンタクロースのそりは、トナカイが曳くものじゃが……」
「もしや……モグモグ……私めに……モグ……そりを曳けと?」
「おお、察しが良いな……。おい、韋駄天」
「は!」と、韋駄天が鹿せんべいをだしました。
「あの、まだ口に……」と、固まる鹿。
「苦しうない、むしゃぶりつくがよい」と、大仏様。
「……頂戴……モグ……いたします」
鹿は、もそもそと鹿せんべいを食べました。
「……大仏様……モグモグ……サンタクロースというのは……」と、鹿が言いかけました。
「あー、そうだ」それをかき消すように、大仏様が言いました「千手観音を呼んでまいれ……そろそろ準備ができた頃合いであろう」
「は!」と、もんどりを打つ韋駄天。
「あの……モグモグ……サンタクロースは……モグ……本当は親が……」と、再び鹿が言いかけました。
「わかった、わかった、クリスマスが成功した暁には、親兄弟の分まで鹿せんべいをくれてやろう……ははは……」
「いや……モグ……そうではなく……モグモグ……ゴックン……大仏様、恐れながら、クリスマスというは……」
「大仏様!!」と、韋駄天が戻ってきました。
「どうした韋駄天、そのように取り乱して……」と、大仏様。
「千手のやつ……」と、言いかけた韋駄天は、鹿がいるのを思い出して「っと……千手観音様のご準備、未だ整っておりません」と、言い直しました。
「え?……お、おお、さようか……して、どのくらい時間がかかるとな?」
「それが……夜明けまでとのこと」
「なに!?……しかし、だいぶ前に話を通したではないか」
「それが……手袋をはめるのに、時間がかかるそうで……」
「手袋に夜明けまで?いくらなんでも、そんなウソは……」
「ですが、千手観音様は、千本の手をお持ちでいらっしゃいますゆえ……」
「え?……千本の手って……ああ!」
「は、ははは……」韋駄天は、力なく笑いました。
「もう……おまえ、なにやってんだよー!」大仏様が、キレながら言いました。
「ええ!あの……仏様?」と、鹿。
「なんでですか?僕は、一生懸命やってたじゃないですか!?」韋駄天も、キレながら言いました。
「え、韋駄て……ええ!?」と、鹿。
「韋駄天が千手にしようって言ったんじゃねーかよ!」
「手がたくさんあるから、良いと思ったんですよ!」
「たくさんありすぎてもダメなんだよ、もっと程々のやつがいるだろう?」
「誰ですか、それ?阿修羅(あしゅら)さんですか?」
「いや、阿修羅は駄目だろうが……」
「なんでですか?」
「あいつは……キン肉マンに出て、さんざん目立ってるから、これ以上人気出たら困るんだよ!」
「なんですかそれ、嫉妬ですか?」
「はあ?嫉妬なんかしてねーし!」
「ウッソだー!」
「いや、ウソじゃねーし!」
「僕、知ってんですよ?大仏様が、読者が考えた超人コーナーに、大仏マンって描いてだしてたこと!」
「はあぁ!?ちょ、おま……なに言ってんの?」
「え、なに照れてんですか?」
「べ、別に、照れてねーよ」
「とか言って顔、超赤ーし!馬頭観音みたいだし!」
「うっわ、もーう衝いた!完全に怒髪、天衝いたかんな!!」
「お二人とも、やめてください!!」たまらずに、鹿が言いました。
「だまれ、鹿!おい、韋駄天!」
「は!」と、韋駄天が鹿せんべいをだしました。
「え?」と、固まる鹿。
「苦しうない!」と、大仏様。
「いや、苦しいですよ!!」と、鹿が言いました。
大仏殿は、静寂に包まれました。
鹿は、呼吸を整えると静かに言いました。「お見苦しいですよ……お二人とも……。まず初めに言っておきますけど、サンタクロースなんてものは、実在しません。玩具をあげているのは、子供たちの親です。それ以前に、クリスマス……少なくとも日本のクリスマスは、若い男女が乳繰り合うだけの、下劣な行事に成り下がってしまっています。ですから、真似をしたところで信者は増えません。それ故、参拝客もしかりです」
「いや……でも……文殊がさあ……」と、大仏様が口ごもりました。
「あの方は、書物からの知識ばかりですから……」
「ふん、ただの鹿が偉そうに……仏の教えより、おまえの方が正しい?……そんなわけあるか」韋駄天が言いました。
「お、あ、うん、そうだ、そうだよ」と、大仏様。
「ただの鹿だからこそです。わたくしどもは、人々から鹿せんべいをいただいているではありませんか?」
「だからなんだ?」と、韋駄天。
「そうやって直に触れ合うことでしか、人々の本来の姿や声を知ることはできないのです」
「本来の姿や声?」
「そうです……大仏様?」
「は、はい」
「大仏殿にやってきた人々は、みな頭(こうべ)をたれ、経を唱えていますね?」
「そうじゃな」
「そのうち、真の信仰心からそうしている人間が、どれほどの数がいるのか……考えたことはありますか?」
「……いいや」
「すべてとは申しませんが……きっとその大半が、長年の習慣から生まれた作法に従っているだけです。いわば、見せかけだけの信仰なのです」
韋駄天が、身を震わせて「おい、鹿!無礼にもほどがあるぞ!?」と、言いました。
「よい!」と、大仏様が言いました。「私が許そう……鹿よ、続けなさい」
「大仏様……あなた様も、そのことに慣れてしまっていたのではありませんか?人々があなた様を敬うことが、いつしか当たり前になってしまった。見せかけの信仰に惑わされ、人々が心の底では苦しんでいる姿に、嘆いている声に、気づくことができなかった。その人のことを知らずして、どうして救うことができましょうか!?」
大仏殿は、再び静寂に包まれました。
「……ですから私どもは、美味しくもない鹿せんべいを進んで食べているのです。知るために……救うために!」鹿が、言いました。
「え、鹿せんべい……って、不味いの?」と、韋駄天。
「ええ、とっても」
「……知らなかった」
「大仏様……そうやって蓮華座(れんげざ)の上に座って、なにを見ていたのですか?なにを聞いていたのですか?ただの鹿ごときにさえ気づいたことに、分からずにいたというのなら……あなた様は、ずいぶんと長い間、権力の上で胡座(あぐら)をかいていたことになりますね」そう言うと鹿は、ゆっくりと振り返り、立ち去ろうとしました。
「鹿よ!」大仏様は、鹿を呼び止め「お主を……信じて良いのだな?」と、言いました。
「これでダメなら、馬の耳に念仏です……」
鹿は、大仏殿を後にしました。
「馬の耳に……って、鹿から言われると……ひどく、愚か者になったような気がしますね?」と、韋駄天が言いました。
「ああ。だが、わたしは本当に愚か者だったのかもしれない……」
「大仏様……」
「情けない話だよ……でも、良かった」
「え?」
「なんか、心がすーっと晴れたような気がする」
「本当ですか?」
「ああ、目が覚めたよ、まるで……あれ?」
「なんですか?」
「あれ……俺……今、悟ったかも?」
「ええ、本当ですか!?」
「うん……悟った……悟ったわ、これ。なんか、久しぶりに思い出したよ……この感覚」
「うわー、おめでとうございます!」
「うん!ありがとう……って、いや……でも、困ったな」
「え、どうしてですか?……良かったじゃないですか、悟ったんですよ?」
「だから、よけい眠れなくなった」
ミッドナイト・イン・奈良