その夜を越えて
Prologue/始まりの夜
ふと、散歩して帰ろう、なんていう気まぐれを起こしてしまった。
雪が降っているので、もちろん寒い。ましてや時間は午前三時ときてるものだから、当然人気はない。街並みからは営みの明かりは消えていて、薄明かりの街灯があるばかり。だが、それもさもありなん。およそ、ごく普通の家庭はとっくに床に就いている時間である。
普通は、こんな時間に外をのんびり歩くなんて考えもしないだろう。
ところが、そんなことを考えるバカが一人いた。
他でもない、俺だ。
だがまぁ、それも一つの大きな理由と、その他諸々の環境が合わさってのことだった。
その理由とはーー俺の職業。
昼間は呑気な大学生をやっているが、夜はバーテンダーとしてカウンターに立っている。夜の街に生き、一杯のグラスを以って優雅な大人の時間を演出することを生業とする職業。
そんな身分としては、この時間に帰路に着くことは珍しくない。ついでにいうなら、少しアルコールも入っていて、気分はハイ。加えて雪なんて降っているもんだから、仕事明けとはいえ、少し散歩して帰ろう、と気まぐれを起こしたとしても、それも詮無きことと言えよう。
冷たいが穏やかな夜風が火照った顔には程よく、街灯の朧げな光を受けてほのかに煌めく雪は幻想的。星や月こそ見えないけれど、これはこれで風情のある、いい夜だと思った。
だから、そう。
いつもなら通らない、公園を横切ろうと思った。
白雪の衣を纏った園内は、まるでいつもとは異なる銀世界。
何かが弾ける様な音を立てて明滅する蛍光灯が、また趣があってよろしい。
さくさく、と雪の絨毯を踏みしめ、白いカーテンの様な樹々を抜けーー
ぴちゃり。
と、不意に水溜りを踏んだ。
まだ、雪は降り続いていて、他の何処も溶けていないのに。
次いで、むせ返る様な鉄の匂い。
ここいらには、樹と花しかないのに。
酒が入っていたからか、気が大きくなっている。
だからだろう、この好奇心を、抑えることが、出来ない。
そろり、と猫の様な足取りで、さらに奥へと進む。
ぱしゃり、ぴしゃり、と水音が響き、その異臭はより濃くなってきた。加えて、何かを啜る音がする。
ーーずるる、ぴちゃ。
がつ、びちゃ、ずる、ぐびり。
暗闇の奥より響く音が、俺の心を恐怖と興味に震わせる。
ぱち、と蛍光灯は短い悲鳴をあげる。時折真っ暗になる辺り、先程から響いてくる音とあいまって、ヘタなお化け屋敷よりずっと怖い。
ーーこの先に、なにがあるのだろう。
生唾を嚥下し、歩を進める。
ーーがつがつ、がつがつ、ぼり、がり。
ごりゅ、ずるる、ごきゅ、ばりっ。
チカチカと明滅する視界の先、まるで獣の捕食を思わせる剣呑な響きの向こうに、何かがーー否、誰かが、うずくまっていた。肩をいからせ、首を激しく上下させている。
この時点で、すでに普通じゃない。およそ人間が、こんな時間に、公園で立てるべきではない音が、そいつのそばから響いてくるのだから。
いくら酔っているとはいえ、この期に及んでまで、好奇心のままに行動できる俺ではない。
その場から離れようとして、一歩後ずさりーーー
瞬間。
ばつん、と短めの断末魔をあげて、蛍光灯は沈黙。辺りには夜の帳が降り、暗闇が世界を包みあげる。
ーーがつがつが、
次いで、その咀嚼音は、ピタリと鳴りを潜めてしまった。
それは、何かを食い終わったからなのか、お食事をしているところに水をさす邪魔者の存在を感じ取ったからなのか。大穴で、明かりがなくなったか。個人的には、前者か大穴であって欲しいのだが。
ともあれ、ここで変に動くと、尚更まずい気がする。一先ず、動きを止めて、静観しよーーー
「そこにいるのは、だれ!」
鋭い一喝が、夜を切り裂く。
ーーー訂正。淡い期待は破れ去った。
既に、俺の存在はばれている。
声からして、闇の向こうにいるのは女。いくら不気味な存在であっても、相手が女ならば、全力疾走すれば蒔けるはず!
そう判断するや否や、さっと身を翻し、駆け出した。
冷たい風が刃の様に身体を刻み、降りしきる雪はまるで散弾銃の様に視界奪う。地面にも敷き詰められた雪のせいで足が滑り、走りにくいことこの上ない。
だが、だからこそ、相手もそれは同じなわけで、故に逃げ切ることも可能なはずーー
ーーざくり。
脚に、凄まじい熱を感じた。
同時に力が抜け、奇妙な浮遊感と共に、激しく倒れこむ。
「なっ……」
思わず、声が出る。
熱源に手を脚にやると、ぬるり、とした触感。次いで、激しい痛みが脳天を貫いた。
恐る恐る手を見る。掌は、赤でベッタリと彩られていた。
これはーーどうなっている?
さく、さく、と。
背後から、音が迫る。
それはまるで、死神を思わせる恐怖があった。
「……これで、もう逃げられない」
背後からする声は、先程とは打って変わって、穏やかだ。こんな状況ではなく、台詞がこうでなければ、きっとうっとりする様な、優しい声音。
ちくしょう、逃げられないのか。そもそも、どうやって脚をこんな風にした? ていうか、血が止まらない! 何者なんだ、コイツ。あぁ、痛い、いたい。くそ、なんなんだ、コイツーーー!
ぐちゃぐちゃに掻き回される思考。胸に去来する恐怖。しかし、それと同等に、こんな目に合わせたクソ野郎の顔を拝んでおきたかった。
そっとポケットに手を忍ばせ、ケータイを掴む。せめて、死ぬ前に写真でも撮って、犯人の証拠を残してやりたい。
そう強く意識を保ち、がり、と奥歯を噛み締めて痛みと恐れを飲み下し、振り返る。
じじっ、と蛍光灯が音を立てて、復活する。
明滅する世界の中で、そいつは、現れた。
風に靡く金紗の髪と、夜の闇中、爛々と煌めく紅い瞳が特徴的なーーまるで高級な宝石細工を思わせるほどに美しい女。息を飲むほどの美女なのに、その身形はそれ以上に非現実的だ。なにせ、雪よりも白く、柔らかそうな両の手は夥しいまでの朱に染まっていて、口の周りは赤く濡れそぼち、顎から首筋にかけて伝う紅の雫が酷く淫らで。
……濁流のように身体から血液が流れ出ているからだろう。視界は霞むし、意識はまるで蛍光灯の様。
だから、きっと。
こんなにも異常な状況なのに、
こんなにも異常な相手なのに、
絶対、犯人の証拠を残そうと決めていたのに。
ただ、見惚れて忘我するしか、出来なかったーー
静々と雪の降る、白い夜。
明滅する静謐な世界の中。
その夜の最中に、俺は、彼女と出会った。
Chapter1:邂逅/encounter
よくわからない事だらけだった。
まず第一に、昨日は一体どうやって帰ってきたのか。
確かに酒は入っていた。でも、酔いつぶれるほど飲んでいたってわけではなかったし、珍しく積もるほどに雪が降っていた夜だったので、散歩して帰ろうと思い立って公園に入ったところまでは覚えている。
なのに、そこから先が何故か思い出せない。
目が覚めたら、きちんと敷かれた布団の中だったし、しっかり寝間着に着替えている。なのに、その道程を経た覚えがない。まるで靄が掛かったみたいに記憶が曖昧で、はっきりと思い返すことができないでいる。
次に、枕元に畳まれていた、破れた膝の裏が破れたデニム。
同じ膝という部位にしても、破れたのが表であったならおしゃれで通るが、こんな場所が破れているのは、さすがにそうは言えない気がする。加えて、その断面はひどく滑らかで、およそダメージから破れたというより切り裂かれた、というのが正しい。
最後に、ちゃぶ台の上にちょこんと乗せられた手紙。
スーパーの特売チラシの裏に、まるでお手本のようなか楷書体で描かれており、その文面がーー
『佐々倉日向様へ
先ほどはごめんなさい。そして、巻き込んでしまってごめんなさい。今夜、改めて伺いに参ります。
Wilhelmina Harker』
ーーと来ているのだから、何の事だかさっぱり分からない。
っていうか、誰だよウィルヘルミナ・ハーカーって。名前からしてドイツ系の女性である事は分かるのだけれど。だがしかし、俺には異国の友人なんていないし、確か在籍している学部にもドイツ人はいなかったはず。
……起き抜け早々、頭を抱えていても仕方がない。時間は待ってくれないし、こちとら真面目を自称する学生だ。大学近くに下宿してるとはいえ、のんびりしてると、就職課の面談に遅れてしまう。
布団を畳もうと屈伸すると、膝の裏に微かな痛みを覚えた。それは、デニムの破れている位置と符合する。
帰り際にどこかで引っ掛けたのかな、とスウェットをまくり確認するが、とりわけ目立つような傷はなかった。
「……」
ホント、一体なんなんだ。
× × ×
「ーーで。そんな止ん事無き理由で、ヒナタは朝からずっと惚けていた訳か」
昼過ぎ。冬休み中であるのにも関わらず、学生や職員で賑わう食堂の一角。
タバスコの瓶を傾けながら、カイは呆れた風に言った。
「そんなに酒飲んでないって言っても、お前下戸だろ。すぐ酔うじゃん」
「いや、それはそうなんだけどさ……でも、昨日はホント、記憶無くすほどじゃないんだって」
「例えば、歩いて帰っているうちに酔いが更に回ったとか。それに、毎晩エントリーシートを書いたりしてて疲れてたろ、ヒナタ。そんな様なのに飲んだからいつも以上に回ったとか、色々考えられるだろうに」
景気よくタバスコをピザに振りかけるカイ。焼けたチーズの香ばしい香りは、調味料の鼻を突くような匂いに上書きされつつある。そんなのじゃ、もうピザの味なんてしないだろう。この辛党め。
「でもさぁ。デニムだって、不自然な破れ方してたぞ。それに、手紙だって」
「ズボンはどっかで引っ掛けたんだろ。そのときに少し、傷にはならない程度に膝の裏を打ったとか? それに手紙なんて、たまたま何かに紛れてただけかもしれないだろ。そんな些事、いちいち気にすんなって」
ぴしゃりと言い放ち、たっぷり瓶内のほとんどをぶっかけたピザを三枚重ね、カイは口元に運ぶ。それまでの愚行もさることながら、この食べ方も品がない。
「ったく。相談する相手、間違えたよ……」
最も、こんな要領を得ない相談なんて、気心の知れたコイツにしかできないって言うのもある訳だけど。
雨宮海人。カイと呼ぶコイツとは、もう十五年の腐れ縁になる。小学校から大学まで、ずっと同じな幼なじみにして悪友。辛党で品のない飯の食い方をするのが珠に瑕だが、基本的には根が良い奴であり、大きな事では彼女にフラれたことから、小さい事は金銭の貸し借りまで、何か相談事があれば何時でも胸の内を語り合える。
そんな奴なのに、今日は妙にノリが悪い。
というより、何か苛立っているようにも見える。
「なぁ、何かあったのか」
「あぁ、あったさ。せっかく一時面接をパスした製薬会社が、エラい事になったんだよ」
苦虫を噛み殺す様な表情を浮かべ、ピザを咀嚼するカイ。
「ーーそれってこの間、二十三社目にしてやっとまともに就活を進められたって騒いでいた、あの会社か」
「そうだよ。なんでも、昨日の晩に本社で爆発事件が起きたんだとさ」
「爆発事件! そりゃ穏やかじゃないな」
しかも、本社ってことは俺のバイト先から三、四駅離れてるだけじゃないか。剣呑剣呑。
カイは、口の中のピザを嚥下し、水を喉に流し込んだ。
「まぁ、小規模な爆発だったらしいから、重傷人はいないらしい。でも、軽傷者は多数。加えて、一部の薬がゴッソリ無くなっていたらしいんだわ。だからもうてんやわんやでさ。会社側からも採用試験延期の連絡来るし、最悪だよ」
得心いった。
そりゃ、ともすれば酔ってただけ、で解決できる俺の悩みなんかよりずっとヘヴィだ。
「元気出せよ……就活はまだ始まったばっかりだろう。今日日、すんなり決まる人の方が少ないんだし」
「そうは言ってもな。書類審査で落ちまくってた中、ようやく掴んだチャンスだったんだぞ? それも、試験で落ちるならまだ良い。なんだよ、事件って……俺の与り知るところじゃないっつうの」
皿にこびり付いたチーズを摘んで口に放り込み、悪友は憂いの色をその顔に浮かばせる。
「はぁー。ホント、俺の人生を批判されてるみたいだよなぁ」
テンプレート通りのコメントである。
いやまぁ、その意見には激しく同意ではあるのだけれど。かくいう俺も、既に十社以上は書類で落ちているし、なんとか筆記をパスした会社が二社ある程度なのだから、全く以て人の事など言えやしない。およそ幸先のいいスタートダッシュを決められた訳ではないのである。
「こんなことなら、もっと勉強して一流大学に行くべきだったな。二流私立じゃ、てんで駄目だわ……学歴社会のバカヤロー」
「いやいや、カイが高目を狙い過ぎなんだよ。大手ばっかりじゃなくて、中小企業にも目を向けるべきだって」
「お前はそれでも男か! 良い会社に入ってバリバリ稼ぐ、これこそが男に生き方だろう」
その生き方もさもありなん。しかし、プライドだけではお腹は膨れないのもまた然り。
「まぁ、練習だと思ってさ。俺としても、そりゃ大手企業にって思うしさ。でも、最終まで駒を進めた会社のないまま、夏を迎えたくないだろう?」
「……まぁな。それはそうなんだけどさ」
青色吐息が互いに漏れる。
ーー子供の頃、大人になれば自由が増えるし、自分が持っている夢を叶える事が容易くなる、なんて思っていた。
けれど、それは間違いだ。大人になるって、こんなにも大変で、いろんな縛りがあって、ある意味子供でいる方がよっぽど自由がある。
焦燥に追われ、寂寥に包まれる日々の繰り返しーー大学生っていう社会人予備軍な現状でこんな様だ。来年の春から、一体どうなってしまうんだろう。
そもそも、まともに企業に相手にしてもらえない俺たちは、無事社会人になれるのだろうか。
想像するだに恐ろしい、ヘヴィな現実が両肩に重くのしかかる。まだ三月半ばにさしかかったばかりなので、そんなに焦る必要がないし、むしろこれからが本番なのは分かっているけれど、言いようのない不安が鎌首をもたげていて、それを払拭する事ができないでいるのだから、仕方がない。
「悪かったな、カイ。俺の悩みなんて、ちっぽけなもんだったよ……俺たちの将来、凄く不安だよな」
「だろ……まぁ、なんだ。酒は程々にな、ヒナタ。んじゃ、俺はもう一回就職課に行ってくるわ。エントリーシートの添削お願いしてたんだよ」
「じゃあ、一緒に行こう。俺も、面接対策を入れてるんだよ」
相談した結果として、朝より陰鬱とさせられたが、これが現実なのだから始末が悪い。
グラスに残った水を一気に煽って喉を湿らし、互いにトレンチを持って、食堂を後にした。
× × ×
薄暗い照明。その光を受けて彩り豊に煌めくボトルやグラス。モダンジャズがムーディーさを演出し、カウンターから立ち上る紫煙が細く空に続いている。ゲストの会話と、氷の砕ける小気味良い音が、よりその場を盛り上げていた。
ーーーバー、Hide out。
『隠れ家』を意味する、俺のバイト先である。
店を構えて五十年という老舗にして本格的なバーで、それ故に飲みに来られるゲストもまた、半世紀以上もの間熟練され、様々な艱難辛苦を超えてきた方々が主立っている。
確かに、長年店をやっているオーセンティックバーは、二十そこそこの学生が気軽に飲みにこられる場所ではない。というのも金銭面の話だけではなく、ここの常連客に比べて圧倒的に人生の経験値が足りないし、社会の苦みを噛み締めてきた大人たちとでは会話の質に大きく差がありすぎるため、会話の糸口をお互い掴めない場合が多いからだ。
しかし、この店の場合はそうではない。そういう在り方をしているからこそ、人生の先輩方やマスターにアドバイスを求めてここに来る若いゲストもほどほどに存在する。それも、〝バーの椅子は常に次の世代のためにあり、バーテンダーは甘さしか知らない若い世代にそっと苦みを教え、壁にあたる時には道を標してやる為に存在している〟という事をモットーにしているマスターと、その意思に同意を示してくれている常連の方々に支えられているが故だ。
そんな厳しくも優しいこの店に憧れて、この店の見習いバーテンダーとして籍を置かせて頂いて二年。つい最近、ようやくカウンターに立ち、ゲストにグラスを振る舞う事を許されるまでに至った。
……もちろん精一杯練習してきたのは当然として、大学を卒業するまでにその経験をさせよう、というマスターの親心があっての事ではあるのだけれど。
「日向君、バーテンダーがボンヤリしていてはいけないな」
シガーをくわえた老紳士が、静かな笑みを浮かべながら言う。ハッとして彼のグラスを見ると、もう氷しか残っていなかった。
「ーーーぁ、失礼しました。何かもう一杯、お飲みになられますか」
「ふふ、やはり緊張するかね? 自身でバースプーンを握りシェイカーを振るうようになってまだ日も浅いと」
「えぇ、まだバーテンダーとしてお客様にお飲みになって頂けるグラスを作らせて頂けるようになって、まだ三日目ですから」
何の言い訳にもならないと知りつつ、頬を掻きながら思わず答えてしまう。
しかし、紫煙を燻らせているこの男性は柔らかな笑みを浮かべて、少しずつ慣れて行けば良いさ、と言ってくれた。
「見習いのバーテンダーは、そうやって常連客に甘えれば良い。行きつけの店のバーテンダーが成長する様を見て行くのも、我々の楽しみなのでね。但し、一見の方にはそんな失態をしてはいけないよ。店の格が疑われるからねーーーでは、そんな見習い君にはソルティードックを作ってもらおうか。君にも一杯ご馳走しよう」
かしこまりました、と応えて、その準備をする。
甘言だけでなく、厳しい言葉もそっと与えてくれるこの人生の先輩に、持てる技術を総動員して、最高の一杯を提供しよう。
グラスのエッジをレモンで湿らせ、塩をまんべんなく飾りつける。次に、グレープフルーツをスクイザーで絞る。ふわりと、柑橘の心が落ち着く香りが鼻孔をくすぐる。そのまま流れる様な動作で冷凍庫からウォッカと氷を取り出し、グラスに適切な大きさに割った氷を入れてウォッカを四十五ミリ投入した後、軽くステア。グラスの中で、照明に照らされて煌めく氷が踊るように滑る。この行為には、液体の温度を上げるとともに香りを開かせるという目的があった。
最後に、絞り立てのグレープフルーツジュースでフルアップし、馴染ませるために三、四回転程ステアしてーーー
「お待たせしました、ソルティードックでございます」
ーーー黄色に輝き、グラスの縁には雪が積もったかのように盛られた塩が白く眩しい、一杯のグラスが完成した。
「うん、スノースタイルも均等に出来ているし、動線を意識した動作も、そして手際も良かった。それで、味の方は……」
シガーを灰皿に置き、グラスを傾ける。
「……ほう、酸味と苦みが活きている。一体感もあり、アルコールもしっかり感じるーー美味いよ」
「ありがとうございます」
ほっと胸を撫で下ろす。
この人、実は凄い飲み慣れている人なんだよなぁ。ともすれば、俺なんかよりずっと酒の知識もあるし。
「その昔、船の甲板の掃除をするのは新米の船員と決まっていた。海水をかぶり、刺すように暑い日光に晒されて尚」
その夜を越えて