托卵

 佳奈は、幼い頃からいつも「お父さんにそっくりね。」といわれて育った。父親の隆志のことは大好きだったし、嫌な気持ちを持ったことはなかった。母親の恭子とはあまり似ていなかった。その代わりにといっては変だが、三歳違いの弟の翔(かける)は母にそっくりだった。娘が父親に似て、息子が母親に似るというのは普通にあることなので、恭子は母と似ていないことを気にしたことはなかった。
ただ、なんとなくそりが合わないのか、母との気持ちのやり取りにはいつも薄いベールかかっているような、かすかな違和感があった。きっと、母が自分より弟の翔を愛しているように感じることによるジェラシーからなのかもしれないと思うことにしていた。
 仲が良いと思っていた両親が諍いをしていたのを聞きとがめたのは、高校3年で大学受験のための勉強をしている頃だった。夜中にのどが渇いて、冷蔵庫のペットボトルの紅茶取りに2階から台所に下りて行ったとき、母の押し殺したような、怒りを込めた低い声が聞こえてきた。
「なぜ、今頃になってあの女はお金を要求してきたの。15年前にすべて済んだ話でしょう。
それともずっとあの女と続いていたの。」
「そんなことはない。この間、突然会社に電話がかかってきてどうしても会って相談したいことがあるといってきたんだ。それで断り切れなくて。」
「でも、うちだって余裕がないのはあなたも知っているでしょう。佳奈は大学受験、翔は高校受験で来年は入学金やら授業料の支払いで大変なの。家のローンだってまだ半分も終わっていないのよ。」
 じつは、隆志には佳奈と同じ年の娘がもう一人いたのだ。結婚前に付き合っていた会社の同僚、怜子との間にできた子供で美紀子という。取引会社の部長の娘だった恭子との結婚が正式に決まり、別れ話を切り出したときに身ごもっていると言われたのだ。産まないでくれといったが、「あなたには決して迷惑をかけるつもりはない、自分一人で育てるから。」といって美紀子を出産した。佳奈と美紀子の誕生日は実は2日しか違わなかった。ほとんど時を同じくして生まれたのだ。
 責任を感じていた隆志は、美紀子の母怜子には相当の金銭的な援助もし、就職先も斡旋した。しかし、美紀子は病弱だった。母子家庭で精神的に不安定に育ったせいか、中学生になると不登校となり、最近では摂食障害となり、拒食と過食を繰り返し入院が必要なほどだった。
 隆志が、入院先で初めて美紀子を見たのはそれからしばらくしてからだ。何とか恭子を拝み倒して幾ばくかのお金を工面し、怜子にそれを渡しにいった折に一目だけでもあってくれと案内されたのだ。極度の拒食で体重が35キロしかないという美紀子は17歳とは思えないほどやつれていて、正直それが血をわけた自分の娘とは思えなかった。
 美紀子が自殺をしたという連絡があったのは、それから5か月ほどたってからだった。佳奈の大学入学も決まり、翔も第一志望の私立難関校に合格し、家族旅行でもしようかと相談している時であった。
 隆志は、美紀子の自殺を恭子には知らせなかった。恭子は自分の実家から工面したお金を隆志に渡す時に、今後どんなことがあって美紀子のことについては関わりを持ちたくない。どんなことがあっても自分の耳には入れないでほしいと言われたのだ。
 美紀子の葬儀は寂しいものだった、不登校だった美紀子には友達もいなかった。担任教師がクラス委員を連れて焼香にきてくれた以外には、怜子のパート先の上司がお義理に手を合わせに来てくれただけだった。怜子の両親はすでに他界していた。実家を継いだ長男は結婚もしないで子供を産んだ怜子とは疎遠で、両親が死んでからは行き来がなかった。
 隆志は言葉少なに怜子に詫びた。自責の念もあった。怜子と結婚していれば、美紀子をこんな風に死なすことはなかっただろうと思った。佳奈のように、普通の女の子として育ったのに違いなかった。一方で、これで怜子との関係もきれると、どこか安堵の気持ちもあった。
 怜子は思ったほど気落ちしている様子を見せなかった。むしろ、つきものが落ちたようにさっぱりした表情で葬儀を取り仕切っていた。
「じゃあ、これでもう会うことはないかと思うけど元気でくらしてくれ。」
と隆志が葬儀場を後にするときにも、
「私は大丈夫よ。それよりも、このことは佳奈さんには絶対に秘密にしておいたほうがいいわ。悲しむのは、私の娘だけでたくさんよ。」
と、かえって隆志のことを気遣って送り出してくれたほどである。
 隆志の悄然とした後姿を見送りながら怜子は呟いた。
「佳奈のことを幸せにしてね。あなたと私の間にできた本当の子は佳奈なのよ。」
 怜子は、隆志の妻の恭子の血液型が自分と同じだったことを知っていた。隆志から自分と恭子の出産予定日が近いことを知ると、恭子の入院予定の近くの病院で出産した。2日後に恭子が出産したことを隆志から聞くと、タクシーを呼んで生まれたばかりの自分の娘を抱いて分娩室に忍び込み、自分の産んだ子供と恭子の産んだ子供を取り換えてしまったのだ。自分にどんなことがあっても、娘だけは幸せにしたいと願ったのだ。

托卵

托卵

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-15

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