かえるろーど。(四)





「めくれたにっきのひらきには,かかれたことがまっていて,かかれていないことのみを,しんぱいそうにまっている。めくれたにっきのひらきには,かかれたことがけされずに,かかれていないことのこと,しまいみたいにまっている。めくれたにっきのかたすみには,かんじたことがかくれていて,かおだけみせてからだはかくして,どうするのってきいている。どうするのってきいている。なんがつなんにちなんようび。なんがつなんにちなんようび。なんがつなんでないてんの?なんがつなんでないてんの?」
 熊の縫いぐるみの『かーぺんたー』が絵本を読む。一文字言ったらまた一文字,一文字言ったらもう一文字と『正しさ』を目指して読んでいる。おやつでも食べる?と聞かれても,要らないと言って絵本を読むことを選んでいる。午後の三時の陽射しの中で『かーぺんたー』は少しでも成長しようとしているようだ。反復練習はだから欠かせない。小さい声もだから出さない。『かーぺんたー』は今よりもっと大きくなるためにもう一度,絵本を読む。
 だからここには窓がある。ソファーがある。机もあって椅子もある。それぞれに,一つずつだけど,部屋にあるべきものはある。今はまだ堅いけれど踏めばギシッと床は鳴り,花も浸かれば水と挿す無地の花瓶の,すぐの真上で,壁掛けカレンダーには近い種類の花が初夏と言われる日々と共に一日も欠かさずに載っている。だからモチベーションも上がっているのかもしれないと,温度計で細かくも確認する今日は電話がまだ鳴らない。でも隣り合う真っ白なメモ帳は隣り合わない机の上の,日記の一つを気にして逃げないでいて,そんなところは他の物同士,バラつきある色合いと違って似ているから,これらのものは部屋に同じく居ることになって柱の一本も要らないんだと,お節介を突っぱねっている。
 そんな部屋にもドアーはある。そしてドアーは一つしかない。材料と,建て付け方を意識すれば,リビングに取り付けられると少し背伸びをし過ぎな感じが残り,また浴室にあってはその仕上げ方が真っ裸に過ぎてそぐわない。だから一人部屋にあって然るべきと,熊の縫いぐるみにお気に入りの歌い手にちなんで『かーぺんたー』と名付けた時の声が,お気に入りの『Only Yesterday』を口づさみながら歌うように言っている。そしてこれには誰もが納得をするのだ。リョウシン的な心も,ワガママな気づかいも,ヤサしい葛藤も,思いやるカナしさも,それぞれのようにするからそれぞれのようにすれ違いながらも,皆がみんな納得している。みんなが皆で納得をしている。そうして皆で待っている。開かれるのを待っている。
 それに付き合うショコラケーキは溶けていない。そしてまたお皿も崩れずに居てくれている(ただし椅子とお皿に対応中で見た目よりもずっと忙しそう)。ショコラケーキは正方形の見た目通りにきっちりした性格で,一個ずつの,個性の無いその見た目を気にしないように気にして,作り手である菓子屋見習いの心意気を忘れないように守っている。『値段は後で,美味しくなあれ。』と菓子屋見習いの口癖を,味わいが深まるものと信じて思い出のうちに閉まってる。聞くと,思わず贈られたものと錯覚しそうなその口癖は絵本を読んで隣に座っていた『かーぺんたー』のお気に入りになって,さっきの絵本に迷い込んで混ざり始めている。だから枕元ではとりあえずその口癖を,歌うように言うことを,今のうちから禁じておいて,それからベッドに寝かせにいった。抱っこしたのはしょうがなかった。
『しょうがねえな。』
 と忍び込んで様子を見ていたスパイダーも同じように呟いた。その声が思ったより大きくて響いたから,『しーっ。』と指一本で優しく静かにしてと頼むのは声だ。忍び込んだスパイダーはそれを見てから『チッ。』とした舌打ちを文句のように鳴らしても何も言わないことに従って,『しょうがねえな。』と一言漏らした。忍び込んだスパイダーは隅っこで逆さまに,お尻から上がったり下がったりしている。その様子はとても微笑ましい。抱っこされてる『かーぺんたー』も,楽しそうに笑ってる。
 水道水も『タンッ。』と垂れた。ステンレスに響いて鳴った。ドアーのノックにも聞こえたけど,振り返ったドアノブは一回も回らない。






 パパの朝は印刷された新聞紙に隠れてどこかの家族のよくある会話ばかりをするのだけれど,新聞紙を捲る合間のどさくさに紛れて私たちの食事の進み具合を窺い,気になることがないことに安心をして温い珈琲を熱いように飲むことを知ってる。
 ママは朝一番に抱えているイライラを千切りみたいに細かく散らして,固まってるみたいに投げてきたりもするけれど,起きた朝の初めには私たちを必ず見ない振りして,離れて開ける冷蔵庫の,開閉に上手く隠れて調子を伺って何かあっても何でもない事のように切り捨てたりして,その日に温め食べる食材をとびきり優しく扱っている,そんな準備を知ってる。だから私は二人が好き。二人も多分私が好き。だから私は家族が好き。家族で居られる自分が好き。
  さて,それでお姉ちゃんについては複雑さが交じる。お姉ちゃんには距離がある。いわゆる心の距離ってヤツで,その距離感を包み隠さず表している。例えばお姉ちゃんはパパとは話さないしママとはぶつかる。帰って来たことは教えないように細心の注意を払うくせに,出て行くときはお知らせをする(部屋のドアー,下りる階段。置いた鞄に履いている靴。開く玄関,閉める玄関。)。テーブル事情について言えば夕飯時には席に着き,一番早く席を立つ。朝食時にも席に着き,一番早く席を立つ(今朝もそう。昨日もそう。)。そして目が合うことが当たり前にない。触れられる距離に座りながらされるそれは人との距離を一番遠くにするって,多分知っててやってる。だからお姉ちゃんには距離が生まれる。だからお姉ちゃんは『ずいぶん遠い』。
 姉妹関係については例えば,私が頼み事は言葉からして聞いてもらってないし,頼み事でない事でも言葉として聞いてもらえているか確信が持てていない。また例えばちょっとする注意事項には数が多くてとても重たい小言をたくさん加えるし,私が一歩近付けば,一歩加えて二歩ぐらい下がって,私が一歩離れれば,同じように一歩離れる。最後まで例えれば今の姉妹の間には,今住むお家より広いお家だって二軒ぐらい建つと思う。今朝も牛乳を取ってくれなかった。思い出しても腹が立つから想像で,さっきの家の一軒に庭もつけて,牛を飼う。
 ああ,お腹が鳴るより我慢出来ない。お姉ちゃんについてするグチは『もういいよ。』と,優しく諭す言葉を聞いても口汚くなって私は可愛くなくなる。ああ,お姉ちゃん。鑑識さんの神経も迷うぐらいの細かさで何でも見て,フリーな部分をつまんで捨てて,常温でカチコチな気持ちが溶けもしないで見境なく,クールなリクツで梱包する。運送でも何でも,バイトでも何でもやれば上手く出来そうなのに,模範で梳かしたストレートヘアーを幾人かの優等生が参考にしているから腹も立つ。ボブにとどまる長さを責めても,どうにもならないお姉ちゃんとの違いは,私について語れることにもなるからムカつき過ぎてやっぱりお腹が空く。でも食べない。太って体重にまで差が手を振って開くなんてまっぴらごめんで,出来ない我慢を頑張ってする。でも私は成長期で(お姉ちゃんはもう抜けて),食べたい気持ちが強くて,グルメ雑誌を見たくもないのに読むのは好きだから買って読んで,部屋着の内で身に付けた,下着と一緒に毎夜の食欲を抑え付ける意思がキツい。
 お姉ちゃんは『正しい。』。お姉ちゃんは『間違っていない。』。結果的に明かされるこの二つことは私の奥底に刷り込まれ,無視できない,でも歯向かう,ざらついたお姉ちゃん像の手触りだ。ママと仲が良くて私とも話していた面長の小堺さんは『近所の広報さん』であったみたいで、あの日は訪問二回目,お土産のおやつのケーキを持ってお皿に乗せて紅茶と一緒のテーブルで,見過ごす三時の午後のおしゃべり中であった。愛想良く挨拶した私も相席してケーキにフォークを刺していたのだけれども,お姉ちゃんはリビングに入って来たままの変わらない様子で挨拶もしないし,会釈もしないで(それは悪態にも見えて),おまけに私に向かって『時間を大切にしなさい。』なんて投げるように言うものだから,面長の小堺さんは顔を顎から左に歪めて,そのまま引っ張られるように『失礼。』と吐いてお家を出て行った。そうして小堺さんは二度しか来ていないことになったのだけれど,何より当日は二階に上がってママは勿論怒った。言ったことと取った態度,そして行動に対して問いただした。それをお姉ちゃんは黙って聞いて口を少しも開かなかった(鼻詰まりだったら死んでいた思う。)。口答えも歯向かうことも,返事となる『ウン。』も『ハイ。』も頭から,言いもしない(喉の奥で言葉が詰まって一言も出て来れないのかと思った。)。それで結局ママは諦めたようにもう良いと思ったのだろうし,面長の小堺さんもその後に良くない噂を近所に吹かせて(内容は主にお姉ちゃんになって),風邪みたいに関係は悪化したからこの件はもう,風邪薬より奥の棚に仕舞われた。二度とは出て来なかった。
 道端の角に溜まった枯葉を崩して綺麗に掃除をしてみれば,面長の小堺さんは仲良くなった人たちに増やさないとやっていけない商売を持ち掛けたり,悪い噂で特定の誰かを台風の目のように扱ってはとある天気予報士のように早口で饒舌に雨や嵐を巻き起こす人であった。その被害に私たち家族も遭いはしたけどそれは一時期なものであったし,引っ越さなきゃいけないほど酷いものになりはしなかった。お姉ちゃんの評判は一部特定の,ご近所様に悪くはなって今もそのままだけど,私たちは『かえるろーど』を歩いて行けるこの家に住んでいるしお姉ちゃんの生活も前と変わらず(一部益々『正しく』なって),暮らしていけてる。
 聞いてはいない。もし私が『知ってたの?気付いてたの?』と聞いてみてもお姉ちゃんはまた答えてくれないと思う。はぐらかして『何言ってんの?』って答えると思う。自己犠牲なんて憐れみを受けるのは嫌いなんだろうしショウサンされたりなんてして欲しくない。
 多分本当に,自分のためなんだ,それは。
 大事な家族を守るためというよりも,家族を大事に守るためでその家族に私たちが住んでいるんだとまでは言えない。出たり入ったりしてるのだろう,その回数はお姉ちゃんの距離感と似ていて,遠く近くと同じぐらいに頻繁に減ったり増えたりを,行ったり来たりしてるはず。
 お姉ちゃんの家族はもしかすると私が居なかったときのままじゃないかとも思う。私が出て行って居ない時のお姉ちゃんの家族は今の家じゃなくて遠くの方,ケイ兄ちゃんの実家の近くにまでそのサイズと年代と真新しさを遡って帰って行く。お姉ちゃんのアルバムに収まっている写真で見ただけで分かる狭さと古さと小汚さ。お気に入りなのか,服が少なかったのか,外着はいつも赤いキャラクターTシャツが多い春と夏,ジャケットやコートも同じものを着続ける秋に冬。一年見るだけで違う生活がそこに写されて止まってる。でも笑顔も多いこの頃のお姉ちゃん。やたら抱きついているこの頃のお姉ちゃん。今と随分違うのは,私が生まれたこと以外に,お姉ちゃんが大きくなったお年頃というだけで,説明して納得するには足りないように思うんだよ,お姉ちゃん。
 お姉ちゃん。お姉ちゃん?何があったの?何かあったの?
 知ってる?お姉ちゃんの言うことを聞いた昨日だって,一昨日だって,坂を上り下りするように思い返せば間違えが潜んでいそうな曲がり角は沢山あった。でも矢印が,ビンタされたように『バシッ』と痛くも貼られていてブーブーと,鳴きながらも従えば,どこにでも行ける大通りに出て(勿論『かえるろーど』もあって),私はね,安心してる。
 お姉ちゃん?お姉ちゃんが言わないことを一所懸命に考えて,足元ばっかり睨んでたら,誰にも知られてないような,少なくても私の周りにはそんな人が居ないような抜け道があって,後で必ず大事になる,細々としても独特な小道で私は『わあっ。』と驚いてお気に入りを,ブックマークみたいに簡単に増やせてる。雨が降って風が吹いて,どっかの詩人の写真みたいに下を向いて歩いても,後ろめたさが前のめりになるぐらいに背中を『ドンッ』と遠慮なく,押してくれて(たまに蹴っ飛ばされもしたけど),だから眩しい真昼に負けもしないし,夕陽の中でオレンジ飲んで,夜の明るさも良く見えて,ついでに星も何個か指で差せる。フリーに走ってよく乱れる私のお洋服は小さい頃にはいつもお姉ちゃんにまず直されて,ママのチェックに引っ掛からないお出掛けだった。色と服と髪型と,お似合いの組み合わせをした真似っこは,大きくなった今でも,お洋服を借りちゃう数着になって,返していない私のお気に入りになったりしてる。
 部屋に帰る時必ず通る,お姉ちゃんの部屋の前で,通る前に必ず見てるのはその頃と,変わらない,気持ちと背丈の私なんだ。
 お姉ちゃん?覚えてる?私の思い出だから私は思い出せるんだけど,私が小さく,お姉ちゃんがうんと大きくて,背も高かったあの頃,私の部屋の天井の,ベランダに近い隅っこに向かって怒ってとにかく怒鳴った。履いているスカートごとお姉ちゃんの足にもしがみつく私は下手くそな隠れんぼでそこの隅っこを,でも睨みつけるだけで口を開けず声も出せないで涙目で,何でも歪んで縫いぐるみの『かーぺんたー』だって滲むから,そこで一番確かに感じるお姉ちゃんを離さないようにするしかなかった。お姉ちゃんは怒鳴ってて,私は掴んでて,『ギュッ』と鳴る気持ちで世界を閉じて,でも耳は残るからお姉ちゃんの一所懸命な怒鳴り声を聞いて一番伝わるお姉ちゃんの,体の震えを感じていた。『ありがと。』と『がんばれ。』に嬉しさが混じってわけわかんなくなって,勢いで,でも目は瞑って,それでもお姉ちゃんを思ってお姉ちゃんと一緒に私も声を大きくして,『あっちいけー!』と叫んでた。『あっちいけー!』と繰り返してた。二人して隅っこを睨んでお家の屋根ごと吹き飛ばしてお姉ちゃんを,思う気持ちだった。二人でいる気持ちだった。そうして後ろのドアーが開いて二人でとってもびっくりして,ママにとても怒られた。二人で泣いて,泣き止むまで,二人で居た。それは私の部屋だった。お姉ちゃんの隣の部屋だった。間違ってない。多分正しく記憶してる。
 お姉ちゃん。私が思うのは『何かあったんでしょ?』ってこと。何となく気付いている。ママが先に帰ってきて,お姉ちゃんが後から帰って来たけど,その時間差というかタイミングは別々だったとすれば短すぎるし,一緒だったとしたら『何で?』って思っちゃった。あのお姉ちゃんがテーブルに一緒に座らなかったしママはパパにお酒を残して夕飯を終えてた。お酒をどっちが飲むかまでは分からないけど,何か話があったんだと思う。夜中のリビングは明るかったし,何か飲むのを我慢したんだ。
  お姉ちゃん。距離はもっと離れたみたいになって陶器のようにご飯を食べるようになった。そう見えたんしそう感じた,。前のような期待というか,キボウって言うと大げさだけど,似たような佇まいをもって家族に開いていたドアーは閉まっちゃって,影だけこっちに向いている。とっても固くなっている。開かないって諦めて,回れ右で向けたくない背を,向けたくなっちゃう。
 お姉ちゃん。その日は友達とお祭りに行くって言ってたから,友達と夕方から一回,見回っていた私は私で夜にはパパとママと一緒に行った。パパがたまたま早くお家に帰って来れたし,ママはママで疲れてるところもあったから,行こうって言ってお祭りに行った。公園みたいな『かえるろーど』は人込みで賑わって,強いライトで照らされて夜も楽しく押しやられて,悪いものなんて見当たらなかった。良いことしか見えなかった。私はお小遣いじゃ十分に出来なかった金魚すくいや風船すくい(でいいのかな?),それでおみくじや,射的もした。パパは上手かった。ママは下手だった。でも美味しい焼き鳥屋さんの選び方はママが一枚上手で(ポイントはタレなんだって,言ってた。),パパは何でも美味しそうに食べていた。ママも笑ってたしパパも笑顔だった。私も楽しかったからとっても笑って帰ったんだよ,お姉ちゃん。
 帰っては来なかったし,帰って来てないけど,どこいるの?どこいったの?何をして,何があったの?お姉ちゃんと一緒にお祭りに行ったカズちゃんや男の子二人(マサオくんとキミオくん。どっちがどっちか分からなかったけれど),最後まで一緒じゃなかったって言ってたし,屋台のおじさんが最後に見た人で向井神社に向かって歩いていったって,聞いたよ。
 お姉ちゃん。そこから先,飛んでいってしまったかのようにお姉ちゃんの足取りが,失くなって,皆まだ探してるけど見つかってない。ないよ,お姉ちゃん。
 パパは仕事を長く休むことにしてお姉ちゃんを探して三日目になってる。ママはショウスイしちゃってお医者さんからとにかく休んでって言われて,ずっと眠ってる。
 お姉ちゃん。私はね,いつも通りに学校に行ったフリして休んでる。私もね,探したりしてるんだ。昔にね,一緒に行ったちょっと遠くのデパートとか,外から覗けるファミリーレストランとかちゃんとした,『かえるろーど』以外の公園とか図書館とか本屋とか,お姉ちゃんが好きだったパーラーみなみのベンチとか。一日目はねお姉ちゃん,カズちゃんも居て心配してた。何も食べずに待ってたよ。何も食べたくないって言ってた。
 お姉ちゃん。私は何も変わらないでおこうと思ってる。学校をズル休みしてはいるけど,お姉ちゃんがいつ来ても,いつもどおりにお姉ちゃんが暮らしながら,怒ったり,笑ったりできるように私は変わらないでおこうと思ってる。家出をね,した時にお姉ちゃんが一番始めに怒ってくれて,それがいつもと変わらなくて,私はすぐに家族に戻れた。だから今度は私なの。ワガママで我慢できずに何でもおねだり,全部買って貰ってすぐ飽きて,またおねだりしちゃう私だけど,楽しくて,笑えていればそれで良いと思って決まり事とか蹴って見ない私だけど,歯向かって,いつも『何で何で』を繰り返してお姉ちゃんをイラつかせたりする私で,お姉ちゃんのグチも言ったり嫌いにもなったりする,私だけど,あの日とお姉ちゃんを忘れないで思い出す私だしお姉ちゃんと,過ごした日々が大事だって思って離さない私だから。
 お姉ちゃん。私は探してる。帰って来ないことになっても私はお姉ちゃんに会いたいから。会って話をしようと思うの。
 お姉ちゃん。私はね,やっぱりお姉ちゃんの妹なんだ。だからね,いま『正しい』と思うことをして探してる。






二-*
 しかしドアノブは回らない。一人部屋にあって唯一飛べるフクロウは柱時計の振り子に捕まって呼びにも行けず,クマの縫いぐるみの『かーぺんたー』は眠ろうとしているし何より彼は歩けない。椅子は拗ねて待ちぼうけを決め込んで,正方形のショコラケーキには用事を言い付けられる訳にいかない(ショコラケーキは一つの役割に拘りがある。)。オコリンボウは困り,アマエンボウは悩んで,しかし誰もが言葉を操るわけでないから相談も上手くいかない。思うところを身振り手振りで伝え,考えることを表情にしても概ねのところが分かり合えないからどうにもならない。刻一刻と進む時間だけが皆の世界の事柄になって時刻は,おやつの午後の,三時を五分も失った。
 だから見かねたスパイダーは午後の三時の五分前から忍び込んでいる部屋に居て,『しょうがねえ。』と呟いた。忍び込んだスパイダーは忍び込んだ要領で部屋への出入りが可能な小さい身だから,逆さまの身でも事情をきちんと知っていて,手練手管を駆使していち早くたった一つの最善手を見つけ出す。いち早く,『外に呼びに行く』のがたった一つの最善だと見つけ出す。忍び込んだことを取り除けばスパイダーは,だから呼びに行ける。そして忍び込んだスパイダーは二人を覚えている。あの二人の顔も忘れていない。
 そうだからこそ出来ない部屋の連中を見て,その様子を見かねて呟く。『しょうがねえ。』は,だから色んな意味が込められた。そうして忍び込んだスパイダーはそのままの自由な身で忍び込んでいた部屋から,そのまま外に出るために,忍び込んだ要領で部屋の外に出ていこうと天井にお尻から上がっていった。
『気にしないで。』
  怒鳴り声でなく優しい声に,忍び込んでいるのに気付かれているスパイダーは逆さまに上がる途中で止まった。声の出処は絵本を抱えて,熊の縫いぐるみの『かーぺんたー』をベッドに置いて枕に乗せ,布団を被せて寝かしつけていた。その様子からはそうとは思えないが,熊の縫いぐるみの『かーぺんたー』はそのくりんくりんな二つの目を閉じもせずに眠りにつこうとしていた。「ねだんはとにかくおいしくなれ。」と先ほど覚えた言葉で歌う歌声が小さくなって間違えつつ,幸せそうな寝言のように時々に漏れている。『ちっ,しょうがねえやつ。』と呟いて,『甘えん坊め!』と怒鳴ってから逆さまのまま頭から床に向けて下りて,言った。
『おい,いいのかよ。』
 声の出処は忍び込んだスパイダーが忍び込んで,糸を出してそこに吊るされたままの隅っこを見上げた様子を,こちらに感じさせてから読み聞かせるように言った。
『うん,いいの。だから,気にしないで。』
 変わらずに怒鳴ることなく優しい声の出処は,必要な分だけしか答えない。肝心要のところがいつも聞けない。だから忍び込んだスパイダーはさらに頭から下りて,言った。
『なんでだよ。よくねえだろ。あいつ一所懸命に探してんだぞ。たまに道にも迷ってんだぞ。疲れて何にもできないで,結局何にもしないままでココを出ていってんだぞ。このまま続けてこのままだったら,そのうちにぶっ倒れる。知ってんだろ?あいつ,ああ見えて丈夫じゃねえぞ。はっちゃけてるようで無理もするし,気にしないようでキズもつきやすい。わかんだろ?わかってんだろ?』
 声の出処は声を出せずに同意する様子を感じさせる。優しく続きを待っている。忍び込んだスパイダーは逆さまのままに続ける。
『じゃあ,やっぱりよくねえだろ。だったら逆さまのままでも立ち上がって,助けてやるのが情ってやつだ。これもまた知ってんだろ?俺は二人の顔を覚えてんだ。だからもう一人を見つけられるし,もう一人を探し出せる。連れて来るのは無理かもしれねえが,知らせることは俺だって出来る。逆さまでも無理なことじゃない。なあ,いいだろ?俺はこのまま,忍び込んだまま,外に行くぜ?』
『駄目。行っちゃ駄目。』
 声の出処は怒鳴りはしていないが強い決意で読み上げるように言ってから緊張感を漂わせた。それをまともに感じて忍び込んだスパイダーは同じように緊張して,固まった。お尻から急いだ勢いで天井に向かって上がる途中であったスパイダーは,中途半端に丸見えになって忍び込んだ身を失いそうであった。だからスパイダーは慌てた。慌てたままに慌てて言った。
『わかったわかった!行きやしないからヤメろ!ヤメろって!』
 その慌てぶりに声の出処はごめんさないと謝るように動揺した雰囲気を醸したから,緊張感はなくなった。忍び込んだスパイダーは支えをなくした頬杖みたく,一度『ガクッ』と下に下がってから,調子を確認するようにお尻から頭からと,上に下に行ったり来たりをゆっくりした。調子の悪さが残っていないことをしっかりと確認してから,また『ちっ。しょうがねえ。』と呟いて聞いた。
『どう思ってんだ,お前はよ。つうか,どうもしないのか,お前は。ただの声に出来ることはないって,思って嘆いてたりしてんのか。ああ,嘆きってやつも,できないのかお前には。なあ?』
 忍び込んだスパイダーは固定されたストレスをぶつけるつもりで質問にみせた喧嘩を売った。しかし声の出処は怒鳴るような気配も感じさせない。優しい気配も感じさせないけれどもその喧嘩を買う気はないようだ。忍び込んだスパイダーはしかしそこにイラついて,売った喧嘩をさらに売りながら言う。
『んだよ,なんなんだ?お前はその熊の縫いぐるみの子守役で十分ってか?ここに来てから歌しか歌ってねえぞ,そいつ。サイズに見合った容量で毎日同じ絵本ばっか読んでるしよ。こっちはもう覚えちまったつうの。なんがつなんにちなんようび,ってな。なあ,解決ってやつには出来ることはするのが一番なんだ。しかもそれが最善手なら取らない理由はないだろ?なあ,なんでだ?なんでいっちゃいけないんだ?なあ?』
 忍び込んだスパイダーは答えられないのを承知で嫌がらせとしてとにかく聞いて,繰り返した。イライラすればいいと思って,『なんでなんで』を繰り返した。でも声の出処はそれを聞いて,微笑んだように感じさせる気配を柔らかく漂わせた。カーテンにある花模様が『クルッ』と回った香りをさせた。
 声の出処はそうして,詩集のような装丁の本を,手に取り読み始めた。中程ぐらいのページだった。
『でも外には夏の日がある。それはすくすくと伸びていて,木陰も高くに蹴っ飛ばして子どもみたいに楽しさが,足踏む影と時間を作って遊んでいる。そして駆け抜ける。笑い声まで汗をかく。休憩は長くしたくないようで立ち止まりもしない。影はみんなで基本的な明るさを遮ってしまっているけど,それで世界はうごいているから,部屋もそうして活きているから,影には一つも,叱られる理由が無い。だからまず歌う。聞き慣れた名曲を初めてのように,でもいつものように歌う。古風な口調に似合わずに跳ねるリズムはお年頃の,カノジョのように,シルエットにもなってオシャレもして,ジェスチャーで,部屋の窓を内側から磨いていく。外の影もそれに気付いたように,今日一番に窓に近付く。覗き込んでいるような錯覚に部屋の皆が浮き足立って,安心して,陶器で可愛い子豚さんは作り物なりに少しはにかむ。リョウシン的な心もワガママな,気づかいも,ヤサしい葛藤も思いやるカナしさも,オコリンボウもアマエンボウも皆が皆で窓際に夢中になって,後ろに隠れた秘密が一人でに顔を出す。振り返ればそれはもう,居ないことになる。でもそれは悪いことじゃない。取り返しがつかない事じゃない。新たな秘密も生まれるけど,それは後からでもいいことだ。今は大事な影がある。今が大事な影が走る。そうして世界が動いてく。そうして部屋が活きてくる。今日が何月何日何曜日でも,いま外には夏がある。』
 読み上げた声の出処は疲れた様子も残さずに,絵本をまた閉じ,すぐ傍に置いた。返事を待つように見上げた隅っこを伺うような様子を感じさせた。忍び込んだスパイダーは『ちっ。』と言って『たくっ。』と切って,『しょうがねえ。』と呟いた。
『はあー。ったく,相変わらず長いし意味も分かるようで分からんし,てめえで言えずに絵本を読んで,何を言いたいのかは人任せにするばっかだし,ったく,ここにはもっとまともなの,居ねえのかね。あーあ,はいはい。どこにも行かなきゃいいんだろ?なあ?そうだろ?』
 忍び込んだスパイダーは上がりもせず下がりもせずに,その場で回って背を向けた。代わりに見えてしまうお腹の部分を気にもせずに『ったく。ったく。』と繰り返し,切ったように何かを呟いている。それを優しく見つめる気配を,声の出処は感じさせた。熊の縫いぐるみの『かーぺんたー』は今もぐっすり眠ってる。
 柱時計の振り子に捕まって一秒一秒しか刻めないフクロウが午後の四時をお知らせする。『ポッポー。ポッポー。』と鳩も出てきて,けれどたった二回しか鳴かなかった。前に壊れたのか,買った時のままなのか,つい最近まで一番の古株だった日記が押入れの奥に仕舞われてしまったのでその事を,すぐに聞いて知ることが叶わない。鳩も時計の,奥に帰った。
 声の出処はあれば髪を梳いたと感じる無意味な,でもゆっくりとした雰囲気が床にまで流れるような雰囲気を生んだ。『かーぺんたー』を寝かせ続けるためであり,バラバラな,心の動きの赴くままにワガママに,アマエンボウと一緒に甘えて気づかいも,叱りつけて思いやる,ヤサしさとカナしさとを行ったり来たりする。良心的なサービスよりはもう少し心を込めて手に取るように,葛藤を抱えて隠す。我慢して嘘をついてると感じるその雰囲気に,でも邪魔するように砂糖を投げ入れて,スプーンでからかうようにむやみにかき混ぜるものがココには居ない。
 チカチカした電灯は結局みんなにあたってる。
「めくれたにっきのひらきには,かかれたことがまっていて,かかれていないことのみを,しんぱいそうにまっている。めくれたにっきのひらきには,かかれたことがけされずに,かかれていないことのこと,しまいみたいにまっている。めくれたにっきのかたすみには,かんじたことがかくれていて,かおだけみせてからだはかくして,どうするのってきいている。どうするのってきいている。なんがつなんにちなんようび。なんがつなんにちなんようび。なんがつなんでないてんの?なんがつなんでないてんの?」
 忍び込んだスパイダーがさっき言った通りに覚えていた,絵本の中身を言葉にする。声の出処はそれを聞いて何にも言わない気持ちを漂わせる。凭れてしまったタンスには,隠したように掛けられた服が数枚だけ,『カランッ』と残したようにも忘れたようにも見えるから,余計に寂しく見える。午後の四時も過ぎてゆく。
「めくれたにっきのひらきには,かかれたことがまっていて,かかれていないことのみを,しんぱいそうにまっている。めくれたにっきのひらきには,かかれたことがけされずに,かかれていないことのこと,しまいみたいにまっている。めくれたにっきのかたすみには,かんじたことがかくれていて,かおだけみせてからだはかくして,どうするのってきいている。どうするのってきいている。なんがつなんにちなんようび。なんがつなんにちなんようび。なんがつなんでないてんの?なんがつなんでないてんの?」
 忍び込んだスパイダーは逆さまのままに今度はクルクルと回ってる。お尻を上に,頭は下に,何も変えずに回ってる。そうして呟かずに繰り返す。向き合うみたいに繰り返す。
 それを見上げる声の出処は悲しみをともに手に取るような,そっとした雰囲気を感じさせた。それを感じたスパイダーは,繰り返しを小さくして,心に篭るみたいにただただクルクル回っていた。
「とにかくおいしい。そうなあれ。」
 縫いぐるみとして開かない口元から熊の縫いぐるみの『かーぺんたー』は覚えた寝言を漏らした。起きた時には忘れて,見事に帰りはしないような意図の無さは真新しい励ましみたいに飛び跳ねる。それを近くで聞いた声の出処は微笑んだ感じを漂わせた。クルクル回るスパイダーも話し始める。
『俺はさ,あいつらに怒鳴られた時に,嫌な感じはちっともしなかったんだぜ。なあ,分かるだろ?』
 声の出処は分かるよということを優しく感じさせる。
『あいつらさ,二人して俺にびびってて,今にも二人で泣き出しそうだった。でもな,一人はお姉ちゃんってやつだからって,妹のあいつを庇うみたいに大声をこっちに被せてくるんだ。布団みたいに,叩くみたいにな。でな,からかいがてらにこっちがちょっと頭から下がってやればビクってな,一番にビビるくせ,一歩だって後ろに,下がりやしないんだよ。大したもんだって感心した。やるじゃねえかって思いもした。なあ,分かるか?分かるだろ?』
 声の出処は変わらずに,分かるよということを優しく感じさせる。
『でもな,それだけじゃねえんだ。しがみ付くだけだったあいつもな,お姉ちゃんを助けるために,お姉ちゃんのためにって,怒鳴ったんだよ。目は開けちゃいなかったがな,小さい身を震わせて一所懸命に怒鳴るってるんだ。嫌でも聞こえるさ。俺にだってそうだから,お姉ちゃんってやつにもそうさ。でな,二人して言うのさ,『あっちいけー!あっちいけー!』ってな。怒鳴るのさ,自分のためにじゃなくて相手のために。なあ,分かるだろ?』
 声の出処は変わらずに,目に浮かぶように分かると言うように,優しさを感じさせる。
『二人して,お互いにだぜ。一人も居なかったんだよ,そこには。自分だけって,思うやつが。でな,二人だけだったんだよ,そこでは,相手のことしか考えないやつ。なあ,分かるか?俺の言いたいことが。なあ,分かるか?俺の思ってること。なあ?なあ?』
 声の出処は変わらずに,分かるよって言うように,分かってるよって添えるように,優しさを感じさせている。
『あいつさ,たまにさ,見上げるんだぜ,ここの隅っこを。こんなところを。思い出してるのかもしんないし,忘れないようにしてんのかもしれねえ。どっちかは分かりやしないがよ。なんかさ,なんかよ。なあ?』
 声の出処は変わってない。ただもう変わってない。
『怒鳴ってるとこ見せて欲しいってさ,思ったりもするんだよ。また二人でな,立って欲しいって,思ったりすんのさ。』
 声の出処はもう変われない。クルクルと回る,スパイダーとの区別がつかない。
『何がどうなってこうなるんだろうな。何で二人がああなるんだろうな。なあ?』
 声の出処も聞いている。誰に対しても聞いている。
『難しいな。難しいんだな。なあ?』
 声の出処もそう思ってる。多分誰であってもそう思う。
『なんがつなんにちなんようび。なんがつなんにちなんようび。』
 クルクル回るスパイダーは絵本の一部を繰り返して,また心に篭るみたいにただただクルクル回り始めた。声の出処ももう,思うことがなくなってしまったように下ばかり向いて階下に沈むような重い雰囲気で,ココから居なくなりそうになっている。ココから声が失くなりそうになっている。
『失礼。』
 外国語からそのまま持ち込んだような特徴あるイントネーションはでも紳士で,確かな仕事を任せても問題ないと部屋にある色んな物が信頼する響きだった。正方形でカチッとした格好でも,しっとりとした苦味をその身にたたえて,でも待ちぼうけを喰らい続けてお皿の上で不機嫌になってるようであった。
『ご存知の通り,私の役割は午後の美味しい時間を共に過ごすことにあります。例えば温かい紅茶と共に紳士淑女のお話に華を添えることにあり,可愛いお子様方の甘い幸せの一味になることにあります。…ご存知ですね?』
 ショコラケーキは初めて口を開いたにも関わらず,反応が周りから返ってこないことに一抹の不安を覚えて話し掛けつつ,最後に確認をした。どこも溶けずにお皿とともに,ショコラケーキはそこに居た。
 クルクル回るスパイダーはクルクルと回るのをやめ,声の出処は起き上がってそこに居る様子を感じさせて(『かーぺんたー』は起きもしなかったが),どの反応が『正しい』かを決めかねて迷っていた。ショコラケーキを買って来たのは今日が初めてだから,その反応は間違っていなかった。
『…反応はないのですが,私のことを存じ上げていないとも思えないので,このまま話を進めます。さて,私は午後の三時,まさに私の仕事の時間,目一杯一角も溶けずにこの白いお皿の上で,待ち続けました。ええ,待ちました。しかし時刻はもう四時です。お分かりですか?時刻はもう午後の四時なのです。しかしどうでしょう?私は一口どころかフォークの一刺しもして頂いておりません。悪戯に倒されたりもしていません。何もされていないのです。お分かりですか?私は一片の役割も果たせていないのです。』
 止まったスパイダーは止まったまま,声の出処も起き上がったままで話を聞いてる様子を浮かべている。ショコラケーキは止まらずに,続けた話をまだ話す。
『私を作ったものは見習いです。確かに腕はまだまだです。しかしその思いは確かです。熱量でパイも焼けます。真剣さだから果物の新鮮さも落ちやしません。彼は田舎の出身で,夢を叶えるために上京して,一意専心,お菓子作りにすべてを捧げています。一個たりもと手を抜かない,確かな仕事はしているのです。私は彼の手によるたった一個のショコラケーキですが,彼の思いの一個なのです。幸せ秘めたお菓子なのです。私は彼のためにもこのまま,だすとしゅーとされるわけにはいきません。お分かりですか?お分かりでしょ?』
 熱く語る思いの吐露に『角っこぐらいは溶けたんじゃねえか?』と止まっているスパイダーは思ったが呟きはしなかった。声の出処はショコラケーキの露わになってく熱い思いに,彼自身が溶けてしまわないかと心配そうな様子を感じさせたが,それを言わないで受け止める雰囲気を漂わせた。
 ショコラケーキはまだ話す。その思いを,最後まで話す。
『私はあなたたちにお願いしたい。もう時刻は午後の四時を迎えて過ぎています。なので私の本来の仕事はもう,全うすることは出来ないでしょう。しかし私は諦めない。諦めやしません。食べてくれそうな可愛いお子様方も見当たらなくても,彼の思いを伝えたい。一片も残さず伝えたい。だから伝えます。残さず伝えきります。しかしそれは私だけじゃ叶わない。私だけじゃ足りない。必ずもう一人必要で,欠かさず二人でいなければいけないのです。』
 そして深呼吸をするような間を開けて,ショコラケーキは口を開く。
『だからお願いを申し上げます。私を口にして頂きたい。一口でいい。口にして欲しい。どうか,お願いします。』
 深々と,沈黙がお辞儀をするように下りて,ショコラケーキは無言になった。それは返事を待っているのだと声の出処は気付いたように感じさせたし,止まっていたスパイダーが忍び込む時のように頭から床に向けて下に下りて,ショコラケーキを逆さまに見た。
『なあ?俺ら,多分味は分からねえと思うんだ。でな,齧ったり出来るの,俺だけなんだわ。多分,あんたもそのことに気付いてると思うんだが,それでも俺らなのか?こんな俺らでいいのか?』
 カチッとした格好の正方形を崩すことなく,また見た目からは分からないけれども今もお辞儀をやめたりしていないと思える佇まいでショコラケーキは答える。
『思いの伝達は様々です。その方法も一つじゃない。しかし確かに言えるのは一方的じゃ伝わらない。思うことが出来なければならない。思うことが判らない人は思われることも判らない。思うことが肝心なのです,紳士淑女。そしてあなたがたはそれが分かっている。』
 そしてショコラケーキは言う。
『ほろ苦くていいんです。フリでいいんです。まずは一口,どうですか?』
  見た目を飛び越え伝わるのは角ばってるのに真っ直ぐなショコラケーキの思いで,それは彼を作った菓子屋見習いの思いなのかもしれなかった。頭から床に向けて下がっていたスパイダーは忍び込んだことを忘れた半端な位置でまた止まり,声の出処は何の様子も感じさせなかった。『かーぺんたー』はまだ眠って,「ねんねはとにかくおいしくああれ」と覚えたことを大分忘れたことが分かる寝言をまた,鈴みたいに転がしている。だから『ったく。』と,半端なスパイダーが呟く。声の出処は優しく微笑んだと感じさせる。
 『しょうがねえ!』と言うのはまた頭から,床に向けて下がって来たスパイダーで,声の出処は了承の確かな意思を,ショコラケーキに伝えたと感じさせた。ショコラケーキはまた深々とお辞儀をしたように角ばった,その正方形のお菓子の身のままに,『有難うございます。』と丁寧に答えた。
 ショコラケーキは下がって近づいて来たスパイダーに『失礼ですが,頭に血は昇らないのですか?』と聞けば,『昇らねえよ!』と逆さまのスパイダーが怒鳴って,声の出処はクスクスと,声を上げて笑ったように感じられた。逆さまのスパイダーは『ったく。だから人間が作ったやつは…。』とブツブツと呟いて,ショコラケーキを食べることを試みている。声の出処も試みてると,ショコラケーキは感じている。
 柱時計の振り子に捕まって一秒一秒しか刻めないフクロウは午後の何時か伝えるのをやめて,感じる時間を大事にしている。鳩は家に篭ってる。だからスパイダーは忍び込んだことをすっかり忘れ,声の出処は信じることを優しく見守って,ベッドの上の枕に置かて布団も被りスヤスヤと,空気が通らない鼻でする寝息を立てるように眠りながら呟いた,『かーぺんたー』の寝言は部屋の誰もが耳にせず,飴のように階下に転がっていった。
 その階下では,右回しの締めが甘くて蛇口から,垂れて止まない水滴が何度もシンクを叩いていた。ノックみたいに聞こえ,やはりドアノブは回らないが,小難しそうなことばかり言ってるような男の子のように表れた,一人の影がそれをきちん締める。そこからすぐには立ち去らずに難しそうなことを,簡単そうな格好で考えている。そうしてキッチンに置かれた籠から飴玉を取って,ポッケに仕舞ってそこを出て行く。
 あの子が好きなリンゴの飴が二個だけ残って待っている。





(つづく。)



 

かえるろーど。(四)

かえるろーど。(四)

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-15

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