四時五十分の教室‐君と出会った日‐
登場人物
*雛見沢菜々(ひなみざわ なな)
誕生日:10月7日
血液型:O型
身 長:164センチ
この物語の主人公。2-A。黒髪のロングをポニーテールにしている。
何事にも無関心で協調性はほぼ0。ケイと出会ったことで、性格が変わっていく。
*堂島ケイ(どうじま けい)
誕生日:5月22日
血液型:AB型
身 長:172センチ
青年。心優しい。ブラウンの髪色で肌が白く、スラリとしている。
*吉川綾美(よしかわ あやみ)
誕生日:7月30日
血液型:O型
身 長:158センチ
菜々の幼なじみの一人。2-C。黒髪のショートカット。
マイペースでいつもニコニコしているが、白黒はっきりしないことといじめが大嫌い。演劇部。
*仁科春季(にしな はるき)
誕生日:4月9日
血液型:A型
身 長:180センチ
菜々の幼なじみの一人。2-C。
面倒見がよく、菜々と綾美のことをよく理解している。頼まれると嫌と言えないタイプのお人よし。サッカー部。
*松野幸奈(まつの ゆきな)
2-A。女番長。菜々の協調性のなさにいつもイライラしている。サッカー部マネージャー。春季の事が好き。
【一章:夏のいつもの日】
「えっーと今日のホームルームは、佐藤先生の安産祈願を願って、みんなで鶴を折りたいと思います!別に千羽じゃないけどいいよね!」
蝉のうるさい声と暑い日差し。クラス委員がやけに大きな声で叫ぶ。それにクラス全体がバカみたいに笑う。
「つうか何だよ、安産祈願を願って、って!!バカ丸出しだぞ、お前!」
「えっ!?あー…もう!いいでしょ!細かいことは気にしないでよヤマウチ!じゃあ今から折り紙配りまーす!一人五枚ずつよろしくねー!!」
教卓の方でバタバタと音がして、私、雛見沢菜々(ひなみざわ なな)の机に折り紙が回されてくる。
「雛見沢さん。」
前の席の人に名前を呼ばれた直後、小さく聞こえてくる。
「ちょっと!雛見沢さんは放っておいていいんだって!」
「え、でもさ…」
「いいから!置いときなよ。」
そこで一旦会話が途切れ、少しして折り紙が手に当たる感触。
「雛見沢さん、ここ置いとくね。」
私は無言のまま机に伏せていると、今度はまた違う声が降ってくる。
「いい加減にしたら?」
この聞き飽きた声。このいつも私に何かと突っかかってくるのは…あれ。名前、何だったっけ。忘れた。まあ、いいか。
「ねえ。聞いてんの?」
机を足で蹴られ、私はゆっくりと頭を上げた。そこに見えたのは教室のライトに照らされている目をつり上げた……あぁ、そうだ…マツノ。松野だ。松野幸奈(まつの ゆきな)さん、といつもの愉快な仲間達。それと、こちらに注目していたり見ないふりしたり様々な対応のクラスの皆さん。
「お前って何でいっつもそうな訳?マエカワさん、親切に声かけてくれてんじゃん。それ無視とかお前の神経全然分かんない。」
へえ、前の席の人マエカワさんっていうんだ。初めて知りました。ありがとう松野さん。
「ねえ、ユキの言う事聞いてんの~?てか、耳ついてる??」
甘ったるい声で聞いてくる愉快な仲間、A子さん。
「いやまず目え開いてんの?こいつ。見える~??」
愉快な仲間達B美さん…ちょっと長いな。Bさんに目の前で手を上下に振られる。見えますよ?私コンタクト愛用者ですから。
「…ダメだこいつ。」
呆れたように呟いたBさんと席に戻った松野さんを見届けて、また私は机に伏せた。その5秒後、私の頭に冷たい感覚と周りの悲鳴。何これ。
「あははっ!よかったねー!これで涼しくなったんじゃない??」
その声で私は体を起こし辺りを見てみた。冷たいオレンジの液体で制服が濡れ、肌にぴったりとくっついている。どうやらBさんにオレンジジュースをかけられたみたい。それにしても冷たい。
「それで頭冷やせよバーカ!っ、痛っ!」
「あたしの親友に何してるのあなた達。」
聞き慣れた声が聞えてきた。Bさんは私の幼なじみであり親友でもある人物にぶつかったらしい。ただし、怒りをあらわにした彼女に。
「いじめなんて最低。物で対抗するなんてもっと最低。あなた達は女の恥、いいえ人間の恥ね。今すぐ私の前から消えて。」
「はあ?お前誰だよ」
「綾美。」
私が名前を呼ぶと、彼女は180度表情を変え私ににっこりと笑いかけてくれた。Bさんをもう一度睨んで鞄の中からタオルを取りだし私に渡してくれた。
「帰ろう?菜々。」
「はあ?まだ話は終わってない、ってちょっと!」
私はコクリと頷き、机の横にかけている鞄を持って席を立った。
「はい、これ制服。」
「ありがとう綾美。」
それから私たちはいつものようにここ、吉川綾美(よしかわ あやみ)の家に集まって雑談をしていた。制服は綾美が綺麗に洗ってくれたようだ。
「今日部活は?」
「今日は先生と部長がいなくて自主練だったの。」
「そっか。あ、いつもお風呂ありがとうね。特に今日は。」
そう言って向けた私の笑顔とは対照的に、綾美は悲しそうな顔をしていた。
「…何でもっと早く言ってくれなかったの?いつから?」
「え?…あぁ…大丈夫だよ。いつものこと。」
「そんな、いつものことって…。それにどうしてクラスの人達も止めないのよ。」
綾美はまだ不満そうな顔をしている。普段はほんわかしていてとびきり可愛い笑顔はみんなを和ませるような不思議な力さえ持っているのに、“白黒はっきりしないこと”と“いじめ”に関することとなると人が変わったように怒るのだ。さっきのような直接のいじめなんてもってのほかだ。
「…ねえ、あの中にいた松野って人、サッカー部のマネージャーでしょ?」
「あぁー、そうなんだ?」
「うん、見た事ある。それで、そのサッカー部のマネージャーになった理由がまた最悪で。」
「そうなの?」
「“学校のアイドル・仁科春季様がいるから~”なんだよ?」
綾美の似すぎている小芝居にブッと噴出してしまう私。今絶対語尾にハートついてた。よかった、何も飲んでなくて。
「えっ、何!?あたし、何かした??」
「いや、なんでも…っ、ふふっ…!」
私はツボに入ると結構長いタイプなので、しばらく笑い続けていた。その間綾美はおろおろしながら私を見ていた。どうやら無意識のうちにやっているらしい。さすが演劇部のアイドル。
「っ、あー…」
ひとしきり笑ったあと、私は綾美に言った。
「とりあえず春季には黙っておこう?松野さん、かわいそう。」
「もう、菜々は…」
「綾美ー!菜々ー!」
噂をすれば。たった今話題に出ていた、仁科春季(にしな はるき)が私たちがいる居間に姿を現した。春季も幼なじみで、いつも3人一緒だ。幼い頃からずっと続けていたサッカーを特技とし、今ではすっかり学校のアイドルだ。
「今日も相変わらず暑いよなー!」
「お疲れ春季!今お茶出すから待ってて。」
「おう、いつもサンキューな綾美!」
綾美は微笑みを返し、キッチンに消えて行った。
「なんだよ菜々。疲れた顔してんな。」
春季に顔を覗きこまれ、ふいと横を向く。今の時期私が学校帰りにいつもシャワーを浴びさせてもらっていることを知っているためか、ジャージを着ていることには特に突っ込まれなかった。
「何だよ、可愛くねえな。」
「そりゃ綾美みたいに可愛くないよ。」
「は?そういう意味じゃねえよ。つうか綾美には彼氏いんだろうが。」
綾美の彼氏。
私はその人物にどこか不信感を抱いていた。確か春季と同じサッカー部。中学では結構キャーキャー騒がれたそうな。一見するとラブラブなんだけど、なーんか変っていうか。まあ、綾美が幸せそうな顔してるからいいんだけどね。
そこまで考えて深く息を吐きだした。
「え?あたしが何だって?」
ちょうどそこにお茶の入ったグラスをお盆に乗せた綾美が戻って来た。
「いや、菜々が反抗期でさぁ。可愛くねえって言ってたら拗ねたんだよ。綾美みたいに可愛くないよって。」
「春季!」
ごめんごめんと平謝りな春季をキッと睨みつけ、またそっぽを向いた。綾美は私の心中を察してか、春季に笑顔を向けた。
「大丈夫。今ちょっと学校終わりで疲れてるだけだよ。」
「ほら、やっぱり疲れてんじゃねえか。」
机に顎を乗せつまらなそうにする春季とは反対に、私は体を起こした。
「ねえ春季。」
「何だよ。」
「松野幸奈って、どんな人?」
私がその名前をだしたことに綾美は驚いたようだったけれど、私は聞いておきたかった。春季はその名前を聞くとゆっくり体を起して「あぁ…松野ね。」と嬉しそうに呟いた。
「何でそんなに嬉しそうなの?」
綾美がすかさずつっ込む。すると春季は意味ありげにニヤリと笑った。
「その松野なんだけど…俺の彼女になった。」
一瞬、春季の言ってる意味が分からなかった。…分かりたくなかった。
「春季…それ、本気で言ってんの?」
綾美の声が震えている。それは怒りからか悲しみからかは分からなかった。
「いや、最初はもちろん断ったよ。俺は松野に気がある訳じゃないし。でも俺の事本気で好きだって言うからさ…。俺が断れない性格なのよく知ってるだろ?」
そこで綾美が机を勢いよく叩いて春季に詰め寄った。
「それとこれとは違うでしょう!?そんな事で付き合っちゃうの!?春季ってそんなに軽い男だったっけ!!」
声を荒げすごい迫力でなおも春季に詰め寄る綾美。
「な、なんだよ綾美。そんなに言う事ねえだろ?なあ、菜々。」
私は何も出来ず、ただぼうっとしていた。
「菜々?」
春季に名前を呼ばれ、我に返った。綾美が心配そうな顔で私を見つめていた。
「ごめん、帰るね。」
いたたまれなくなり、鞄を手に取って立ちあがった。
「菜々!」
綾美の声を無視して足早に居間を去り、ドアを開けてまだ陽射しが照りつける外へ飛び出した。そしてここから少ししか離れていない家までの道を汗をかく事も忘れて全力で走った。
【ニ章:夏の気だるい日】
翌日の昼休み、昨日の今日で二人に会うのがなんとなく気まずかった私は一人でお弁当を食べていた。すると運悪く松野さん達に呼び出されてしまった。お弁当を途中で諦め、ついて行った先は体育館裏。ベタだな、なんて思っていると、いきなり肩をドンっと押され、壁に抑えつけられた。痛い。
「お前、ハルキの事、知ってるよね?」
今日は珍しく松野さんから話してきた。
あれ、もう呼び捨て?まあ、いいや。はいはい、よく知ってますよ。学校のアイドルであることも、頼まれたら嫌と言えない性格であることも、あなたと付き合っていることも、幼稚園生のとき頭に毛虫が乗ってびーびー泣いてたことも…って最後のは関係ないか。でもとりあえずぜーんぶ。
「聞いてる?」
「知ってますけど。」
「じゃあアタシがさ」
「知ってますけど。」
私の即答に松野さんは驚いた顔をする。
「全部全部、知ってます。昨日言ってましたよ、俺の彼女になったって。嬉しそうに。」
私がそう言ったあと、松野さんは急ににんまりと笑った。
「へえ…ハルキが、ね…」
そう呟いたあとふふっと笑って、次には大笑いを始めた。これは周りの皆さんも予想してなかったようで、何事かと驚いていたようだった。しばらく笑ったあと、松野さんはニヤリと笑った。
「そうそう。アタシ、ハルキの彼女。…ふふっ、もう教室帰っていいよ?雛見沢さん。」
初めて名字を呼ばれたことより名字を知っているという事に驚いた。それにあっさり教室に戻っていいだなんて。その時チャイムが鳴ってしまったので、違和感を覚えながらも私は教室に戻った。
この後、この違和感の答えに遭遇するとも知らずに。
「きりーつ。気をつけ。礼。」
『さようなら。』
二階。2年A組の教室。午後3時50分。相変わらず煌々と照りつける日差しと蝉の声が聞える。今日の全ての授業が終了し、クラスから少しずつ人がいなくなっていく。私はというと日直だったため、席に座りなおし日誌の続きを書いていた。人はだんだんとまばらになり、ついに臨時担任の男性教師と私だけになった。
「鍵頼んだぞ、雛見沢ー。」
臨時担任は自分のひとまず仕事を終えたのか、出ていきざまに私に向かって言った。私は顔を上げずにはい、と返事をした。
私はそこで一旦手を止め、窓際の一番後ろの自分の席から誰もいなくなった教室を見渡した。いつもは騒がしい教室がこんなに静かで、しかもクーラーを一人占め。あぁ、なんて優越感。外に目を向けると運動部の生徒たちが汗を流しながら、野球やサッカーなど様々なスポーツに打ち込んでいる。その中にはもちろん春季の姿も。春季、頑張ってるな…。本当に、いい顔してる。…やっぱり後でちゃんと謝らなきゃ。もちろん、綾美にも…
でも次に浮かんできたのは松野さんの顔。そして、今日の昼休みの出来事。なんだか一気に気分が沈んだ。それを打ち消すように私は再び日誌の続きを書いた。それから少しして日誌を書きあげ、荷物をまとめ教室に鍵がかかったのを確認して教室を後にした。
【第三章:夏の出会う日Ⅰ】
臨時担任のところへ日誌と鍵を届け、職員室を後にする。あとは帰るだけなのだが、今外に出たら完全に日焼けするし何より暑い。だからちょっとだけ校舎内に残ることにした。私はある場所を目指して歩き出した。その場所は、特別棟の三階にある視聴覚室。少し前に綾美に教えてもらったのだ。冷暖房完備なのにあまり使われていないから鍵も掛かってないし、誰にも見つからないのだと。呆れたものだけれど、今日だけは感謝した。
でも私は視聴覚室には辿り着けないこととなる。
階段を上り、特別棟へと繋がる渡り廊下が見えた時、私は異変に気付いた。
誰かいる。咄嗟に体を縮め、ドアの影に身を隠した。
この時間帯ならここを使うのは吹奏楽部の生徒か、三年生の先輩くらい。そう考えて少し身を乗り出した。手元に楽器らしきものが見当たらないので吹奏楽部の生徒じゃない。三年生は緑のスリッパを履いているけれど、その人のスリッパは私と同じ黄色。だから、三年生でもない。
同じ2年生ならビクビクすることはないと思い、私は目を凝らしてあちらの様子を窺った。幸いこちらには気づいておらず、私はよく観察することが出来た。どうやら男女二人組。この暑い中二人で抱き合い何かを楽しげに話している。男の方は、背が高くて色黒。顔はよく知らない。でもどこかで見かけた事がある…。誰だっけ。思い出せない。そして女の方に目を向けた時、私は目を見張った。
あの人…松野さんじゃない…?
校則違反の茶髪のセミロング。ばっちりの化粧。それにあの身長。…うん、間違いない。と、ここで私にはある疑問が浮かぶ。
あなたはそこで、何をしているの…?
松野さんは春季と付き合っていたはず。でもあの男が春季のはずがない。だって私はさっき、教室の窓から部活に一生懸命打ち込む春季の姿をしっかりとこの目で見たじゃないか。それに彼女はサッカー部のマネージャーだったはず。あんなに頑張っている春季や他の部員をよそに、こんなところであなたは何をしているの?
そんな事を考えていた時、松野さんの声で我に返った。そちらを見ると、男が松野さんの服の中に手を入れまさぐっているのが目に飛び込んできた。とすると、さっきの松野さんの声は…。瞬間、私は全てが繋がった気がした。あの、昼休みに感じた違和感も。
次には近くのトイレに駆け込み、バケツを手に取り早急に水を溜めていた。自分が持てるギリギリの重さまで水を入れると、渡り廊下の扉を勢いよく開け、行為に夢中の二人に向かって勢いよく水を掛けた。
「ちょっ!何!?」
「うわ、濡れた…」
二人は当然何が起こったのか分からないようで少し変な顔をしていた。間抜けな顔。私は口を開く。
「…ここで何してるの?」
私の声は自分でも驚くほど低く、重かった。
「はあ?誰お前…って、あぁ…お前か。」
松野さんは私の方へ近づいてきて、肩に手を置いた。
「何してんの」
松野さんが口を開いたと同時に私は手を払いのけ、松野さんの頬をパーンと叩いた。
「いってえ…何すんだてめえ!!」
「聞いてるのはこっち。」
私は松野さんをキッと睨みつけた。
「あたし、あなたは春季の彼女になったんだと思ってた。なんて不幸な偶然なんだろうって思ってたけど、やっぱり春季の幸せが一番って思った。それでいいって思った。でも違った。やっぱり違った。あなたは春季の彼女なんかじゃない。…あなたは、最低なことをした。」
そこまで一気に喋ると、松野さんは笑みを浮かべた。
「あーあ…バレちゃったらしょうがないねー。雛見沢菜々だよ。」
アキと呼ばれた男はゆっくりと立ち上がり、私をじっと見た。…やっぱりどこかで見た事がある。色黒で優しそうな雰囲気。面食いの子なら自分の彼氏にしたいと思っている人がたくさんいそうな…
「…彼氏…?…っ!あなた、綾美の彼氏の…」
そこまで言うと男はニヤ、と笑った。
そうだ…綾美の彼氏…。島本アキト。サッカー部の、島本秋人…
「よく分かったねー。記憶力いいんだ?菜々ちゃん。」
島本は腰を上げ、私に近付いてくる。何だか一気にこの二人の人間が汚らわしく思えた。最低。最低最低最低。
「何で…何でこんな事平気で出来るの…」
今度は島本を睨む。すると何がおかしいのか、島本は声を出して笑い出した。それを見ていた松野さんもニヤニヤ。
…似た者同士って訳。
「あははっ!何でこんな事するかって!?面白いこと聞くね!!」
そこで笑うのをピタリと止め、
「腹いせだよ!お前らへの!」
そう叫んだ島本は私の頭に手を置き顔を覗きこんできた。その手を即座に払い、島本を睨みつける。島本はこえー、とか言いながらまた笑っていた。
「いいよなー、お前ら!イケメンでサッカー部のアイドル・仁科春季。可愛くて演劇部のアイドル・吉川綾美。そして、美人で気品溢れる雛見沢菜々ちゃん!誰もが羨む三人組だ…でも俺にはそれが許せねえ!一度も羨ましいなんて思ったことねえよ!!」
「じゃあ何で綾美と付き合ったの!!」
今度は大きな声。私、こんな大きい声も出るのか。またびっくり、なんて考えていたら島本はニヤリと笑い、口を開いた。
「あー…綾美はさー、高嶺の花じゃん?だからそんな女を彼女にしたら気持ちいいかなーって。でもあの子意外とガード堅くて全然ヤらしてくんねえから全然気持ちよくなかったわ!!お、俺今上手いこと言った?」
得意げに笑う島本にグラリと目眩がするようだった。何だこの男。何なんだこの男は。無理。無理。無理。受け付けない。
「あとあいつ。仁科。仁科春季。俺さ、自分で言うのも何だけど中学まではサッカー部のスターだった訳。だけど高校に入ったらあいつの方が持て囃されてた。格好いい、上手…って。許せなかった。技術面では俺の方が上なのに!あいつのせいで俺の存在は埋もれていってついには消えたよ。だからあいつも許せねえ。」
島本はそう言い終わった後、私をジッと見つめてきた。いや、“睨んでる”が正しいかもしれない。
「それから、菜々ちゃん。俺は君が一番許せないんだよね…」
逃げなきゃ。
反射的にそう思った。
島本の手には、どこで手に入れたのか果物ナイフが握られていた。
「…死ね。」
小さく呟き、島本が私に向かってナイフを振りかざした。
「逃げんなよコラあ!!」
私は島本のナイフを間一髪のところで交わし、無我夢中で走っていた。幸い足は速い方で体力にも自信はあるが、何しろ相手は男子。いつ追いつかれるか分からないという恐怖が私を襲う。
階段を駆け下り私達の教室がある廊下へ出る。この時どうしてか教室へ逃げ込もうと思った。でも私はすぐに気付く。今日最後に教室の鍵を閉めたのはほかでもない、この私ではないかと。その後職員室へ逃げ込まなかった事を後悔する。あそこが一番安全な場所なのに。あぁ、私のバカ。そして到着してしまう教室。もちろん前の扉も後ろの扉も開かない。言いようのない悲しみと怒りで扉をバンバン叩く。絶対に開く事なんかないのに。
「なーなーちゃん!」
そこへ島本の声。徐々に距離を詰められる。
あぁ、私死んじゃうのかな。最後に二人ともう一回話したかったな。春季にも綾美にもちゃんと謝りたかった。せめて一言、伝えたかった。
「ごめんっ…」
あぁ、もう彼も目の前だ。私は、静かに目を閉じた。
『菜々ちゃんっ!!』
「っ、うわっ!?」
その瞬間、誰かの声と共に服を後ろから引っ張られた感覚がした。そして私は―
(…え…?)
目を開けると私は意外な場所にいた。私は2年A組の教室前にいたはずだった。でも今いるのは、元1年C組…私が一年生の時に過ごした教室だった。棚の端に飾ってある、ひまわりの花。あれは綾美が持ってきたもの。登校中、おじいちゃんからもらったんだ、と嬉しそうに話していた姿が印象的だった。見間違えるはずない。
でも、どうして?
「大丈夫?」
急に誰かに後ろから声をかけられ、私は振り返った。そこにいたのはここの制服をきちんと着こなした肌が白くてブラウンの髪色をした、可愛らしい顔つきの男の子だった。年齢は同じくらい。特別背が高いという訳ではないけれど、細くてモデル体型をしている。目は優しく笑っていた。だけど、こんな子同じクラスにいた覚えがない。
「大丈夫?菜々ちゃん。」
「何で、あたしの名前…」
私の質問には答えず、手を取り立たせてくれた。
「僕、どうじまけいです。よろしくね。」
そう言って、男の子はふわりと微笑んだ。
【第三章:夏の出会う日Ⅱ】
「僕、どうじまけいです。よろしくね。」
そう言ってふわりと微笑んだ。
「どうじまけい…漢字は?」
けい君は胸ポケットから白い紙とペンを取り出して、“堂島ケイ”と書いた。
「堂島…ケイ君…」
改めてその名前を口に出して記憶を辿ってみた。何だか初めて会った気がしなかったから。前からよく知ってるような、変な感じ。でも該当する人物は居なかった。
「…ごめん。あたしはあなたの事知らない。…」
そう言うとケイ君はすこし悲しそうな顔をしてから微笑んだ。
「うん、そうだよね。だから菜々ちゃんは僕の事知り合い程度に思ってくれていいよ。」
「…はぁ…」
いきなりそんな事を言われてもどう受け止めていいか分からない。困惑する私を見て、ケイ君は少し眉を下げて笑った。
「いきなりごめんね?菜々ちゃん。でも、お願いだからそんな顔しないで?」
そんなことを言われても自分ではどんな顔をしているのか分からなかった。
だって私、さっきまで渡り廊下に居てあの二人を見つけて、それで島本に―
「っ!」
私はすぐにドアを開けて辺りを見渡す。でもそこには人っ子一人居なかった。ただ、長く続く廊下があるだけだった。
「嘘でしょ…?」
そう呟いたとき、後ろからクスッと笑い声が聞えた。振り向くとケイ君が楽しそうに笑っていた。
「何…?」
「ううん、菜々ちゃんは勇敢だなぁと思って。」
私の今の行動に勇敢だと思う部分がどこにあったのだろう。考えているとケイ君はドアの方へ歩み寄った。
「菜々ちゃんは男の子、それも相当恨みをもった子に追われてそこまで逃げてきたんだよね?。」
どうして知っているのか気になったけれど、とりあえず頷いた。
「そんな相手が教室に隠れたくらいで簡単に身を引くと思う?」
「…どういう事?」
今日はなんだか頭が回らない。尋ねると、ケイ君は廊下を指差した。
「僕があの男の子だったら多分、今もそこで待ってた。いつ、菜々ちゃんが外に出てくるかって思いながらね。」
そこまで言われてハッとした。そうだ。普通なら誰だってそうする。多分、私も。
「怖くなかったの?」
「…怖くなかった。」
私は少し考えてからそう答えた。実は私は昔から頭より先に体が動くタイプなのだ。だから思い立ったらすぐ行動に移さなければ気が済まない。絵画。スポーツ。音楽。小説。…とにかく何でも。でもその分飽きるのも早くて、最後まで何かをやり遂げた事は数えるくらいしかない。
「そうなんだ。やっぱり菜々ちゃんは勇敢だ。…心強いな。」
そう言って笑ったケイ君の顔は何だか寂しそうに見えた。どうしてかは、分からなかったけど。
それから私とケイ君は色んな話をした。そこでケイ君の事が少しずつ分かってきた。同い年であること。読書が趣味であること。絵を描くことが得意であること。家では猫を飼っていて(名前はすずこだそう)水族館に行くことも好きであること。そして学校の話題になった時、元々体が弱く中学三年生の頃に倒れてから高校には行けなくなってしまったということを聞いた。その後ごめんと謝った私にケイ君がううん、大丈夫と首をゆっくり左右に振ったのが何故か辛かった。
そして最後にケイ君は四つ葉のクローバーの形をした、緑色の石が埋め込まれたシルバーネックレスを見せてくれた。でも何故か左上の石だけはなかった。
「何?これ…」
「今日はもう遅いから。だけどこれを使えばまた僕に会えるから。」
そう言って私の首にネックレスをかけてくれた。
「あ、ありがとう…」
「うん。…じゃあ、この鏡を覗いて。」
ケイ君は黒板の横に掛けてある四角いシンプルな鏡を指差した。素直にそれを覗き込むと突然石が光り、私の全身は白い光に包まれた。
『またね、菜々ちゃん…』
その言葉を最後に、私の意識は途絶えた。
【第四章:夏の気になる日】
「…ん…?」
「菜々!!よかった…!」
目を覚まし体を起こすといきなり綾美が抱きついてきた。その隣には春季と保健室の先生もいた。どうやら私は今、保健室にいるようだった。
「ごめんね菜々!あたし達のせいだよね!気分悪くない!?どこか痛いところは!?」
「ちょっ、ストップストップ綾美!あたしは大丈夫。」
「あ…よかったぁ…ごめ、んね…」
ボロボロ涙を流す綾美の背中をさすって落ち着かせる。保健室の先生は私に異常がないと判断したのか、春季に後はよろしくと伝えて部屋を出て行った。
「ごめん…っ、顔、洗ってくる…」
少し落ち着いたのか、綾美も部屋を出て行ってしまった。保健室には私と春季の二人だけ。ふと目に留まった時計は5時5分を指していた。
しばらく沈黙が続いた。私から話を切りだしてはいけないと思った。こういう空気を作ってしまったのは、私自身だから。
「…ごめんな、菜々…。俺、何も知らなくて…」
春季が沈んだ声で喋り出した。
「何の事?」
「…松野の事。」
春季は相当落ち込んでいるようだった。下を向いていて表情は分からないけれど、声に覇気がなくて弱々しい。
「聞いたの?」
「おう…島本からな…」
島本。その名前を聞いて体に悪寒が走った。もう二度と、死んでも会いたくない相手だ。
「なんて言ってた…?」
私は春季の口から信じられないことばかりを聞いた。
春季と綾美は部活が終わったあと、一緒に帰ろうと私を探していた。その時島本が二人のところにやって来て、私が目の前で消えてしまったと怯えながら言ってきた。教室に向かうことになったのだが、手に持っていたナイフが綾美に見つかり、詰め寄られ窮地に立たされた島本は全てを自白したらしい。島本と松野さんが付き合っていることや島本が私達を恨んでいる事、松野さんが私をいじめていることなど全部を。そして全てを聞いた綾美が激怒し島本の頬に平手打ちをお見舞いした、と。
「綾美…はっきりしない事大嫌いだもんね。」
「そこじゃねえだろ…」
春季は急に立ち上がって、勢いよく頭を下げた。
「ごめん菜々!気付かなかった俺のせいだ!!」
驚いた。春季がここまで責任を感じていたなんて、思っていなかったから。
「…やだなぁ、春季。あたしがそういうの苦手なの、知ってるでしょ?」
「いや、でも」
「もういいから。ていうか謝らなきゃいけないのはあたしの方だよ。…あの日急に帰ったりしてごめんなさい。」
私が謝ると春季は「仕方ねえって」と笑った。
「…ねぇ、春季。」
「何だ?」
「ちょっと、聞きたいことがある。」
「聞きたいこと?」
「堂島ケイ」
保健室のドアがガラリと音を立てて開く。
「ごめんね!もう落ち着いたから。帰ろう?菜々、春季。」
先ほどとは打って変わって、笑顔を見せた綾美が私と自分の荷物をまとめ始める。
「ん?どうかした?」
綾美は私の顔を見て不思議そうにした。
「ううん、何もないよ。帰ろうか春季。」
「お、おう?」
保健室のベッドから下りスリッパを履いた。綾美から荷物を受け取り、私達は保健室をあとにした。
まだ明るい夏の空が、妙に印象深かった。
〝今日言ってた“聞きたいこと”ってなんだよ。もういいのか?〟
いつものようにベランダに出て、お風呂上りにメールをチェックしていると春季からのメールがあった。
〝うん。もういいよ。ごめんね。〟
そう返信した。少ししたあと着信音と共に携帯が震える。
〝そうか! それならいいんだけどさ。
じゃあまた明日な!〟
そのメールは春季がいつも使うニコちゃんマークや星の絵文字で彩られていた。私は携帯をゆっくりと閉じた。
本当は、よくない。すごく気になってる。気のせいかもしれない。でも―
「ねぇ、春季。」
そっと口に出してみた言葉は、
「堂島ケイ君って知ってる?」
生温かい風にかき消された。
【第五章:夏休みⅠ】
「…えー、明日から夏休みに入りますが、あまり気を抜かず…」
あれから一週間。相変わらず蝉の声はうるさく響き体育館に入り込む陽射しは強いけれど、私達三人の仲は前のように戻っていた。三人で登校し休み時間にお喋り、お弁当を食べ下校した。それはよかったのだけれど、気になることがあった。ここ最近松野さんが学校に来ていないのだ。さらに私を襲ったあの島本は来ないどころか辞めてしまったらしい。彼はいつから私を恨んでいたのか。何故私にナイフを振りかざすほどの恨みを持っていたのか。私に思い当たる節はなく本人の口から聞くことは出来なかったので、真相は分からないままだった。
「本当に菜々ちゃんに心当たりはないんだね?」
夏休みに入ってすぐの午後、私はケイ君に会ってあの日の出来事を一から話していた。初めてケイ君に出会った元1年C組、現在は空き教室になっている場所。
「…うん。分からない…」
会えるかどうか半信半疑だったけれど、手元にあったクローバーのネックレスが自信を与えてくれた。目をつぶりネックレスを握り締め教室のドアを開けると、あの時と同じ柔らかく笑ったケイ君がいたのだった。
「そっか…」
何かを考え込んでしまうように顔を伏せてしまったケイ君に、私は思い切って聞いてみることにした。
「ねえ。ケイ君だったら、どんな事に怒りを覚える?それこそ、凶器を持ち出すほどの。」
するとケイ君はゆっくりと顔を上げ、前を見つめた。
「大事な人や物が傷つけられたときかな。あと…」
ケイ君はそこで一旦言葉を切り、私をまっすぐ見据えた。
「居場所を奪われたとき、とか。」
「居場所…?」
うん、と頷いて笑ったケイ君には私には分からない何かが分かっているようだった。
(ノート、赤ペン、化粧水…)
7月の終わり、私は近くのデパートに買い物に来ていた。春季はここぞとばかりに部活三昧の日々だし、どこか遊びに行こうと誘ってくれるのはいつも綾美だったけれど生憎今日はその綾美も部活。本番前の合宿だそうだ。
(他には…)
私はメモと買い物カゴの中を見比べながら足りない物はないか、買い足す物がないかなどいろいろと思考を巡らせていた。
「…あ。」
私は家を出る際、母からシャンプーの詰め替えを買っておくようにと言われたことを思い出し、売り場へと向かった。
「シャンプー、シャンプー…」
小さく呟きながら歩いているとき、ある人物が私の目に留まった。
お菓子売り場。私と同じくらいの歳だろうか、一人の青年がやけに周りを気にしてキョロキョロと目を動かしている。
(これは…)
私はさっと物陰に隠れ、様子を窺った。青年は周りに誰もいないことを確認し、一つのお菓子の箱を手にした。次の瞬間、自分の服の中に隠して急いでそこを立ち去ろうとする。
「ちょっと。そのお菓子、どうするつもり?」
手首を掴んで声をかける。青年は驚いたようにこちらを勢いよく振り向いた。
(えっ…)
驚きで間抜けな顔だったものの、私にははっきりと分かった。
久しぶりに会う、“彼”だった。
「お前…!生きてたのかよ…」
「どうしたら死んだことになるの。」
彼の手からお菓子の箱を奪い半ば呆れつつ問い返すと、彼、島本秋人は「あ…いや…」と口ごもりながら何か言っていた。かと思うと、何かを思い出したかのようにハッとし私の手からさっき盗もうとしていた箱をひったくった。
「あっ、ちょっと!」
「こ、ここだけでいい!見逃してくれ!」
「はあ?知り合いが犯罪を犯すとこ黙って、っ…」
何かに怯えるように必死に頼み込む島本。深い事情があると推測した私がどうしたのと口を開きかけた、その時。
「なーにやってんだよ、アキ。」
その声にビクッと肩を震わせる島本。現れたのはいかにも、な外見の男三人。真ん中の男がにっこりと笑い彼を見ている。
「俺差し置いて美人なお姉さんと遊んでんの?」
「あ…マサヤさんっ…いや、その…」
可哀相に顔を覗き込まれた島本は雨に晒された子犬のようにブルブルと震えだした。顔色も最悪だ。マサヤさんと呼ばれた男は相変わらずニコニコ笑いながらこちらを見てくる。私は一つ溜息をつき、島本の手からもう一度箱を取り、棚に戻した。
「おい。何勝手なことしてくれてんだよ。」
後ろに居た男の一人に肩を掴まれる。その手を振り払いそちらを向く。
「万引きは1円からでも犯罪なの。」
キッと睨みつけると男は顔に不機嫌を表す。
「はあ?ちょっと美人だからってな」
「やめとけって。」
先ほどのリーダー格の男、マサヤが制す。そして私の両肩に手を置き、ニコッと微笑む。
「ごめんねー。うちのバカが失礼なことして。」
「あなたと彼の関係は?」
「彼?ああ…アキのこと?」
ちらっと後ろを振り返ったあと、また笑みを向ける。なんだか気色悪い。
「アキは関係ないっしょ。俺はお姉さんに興味が」
「あなた達、いや、あなたが彼にあんなことをさせたのだとしたら大いに関係あるんだけど。」
私がそう言いきった瞬間、マサヤは表情を一変させた。鋭い目つきで私を見据える。
「だとしたら?」
「軽蔑する。」
途端、振りかざされる右手。間一髪、しゃがみ込み腹部に拳をねじ込む。
「ぐっ…!!」
マサヤが怯んだ隙を突いて、島本の手首を強引に引っ張った。
逃げるよ!
そう叫んだと同時に派手な音を立てて落ちるカゴ。男たちの声を後ろに聞きながら必死に走った。
四時五十分の教室‐君と出会った日‐