宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十五話

まえがきに代えたこれまでのあらすじ及び登場人物紹介
 金子あづみは教師を目指す大学生。だが自宅のある東京で教育実習先を見つけられず遠く離れた木花村(このはなむら)の中学校に行かざるを得なくなる。木花村は「女神に見初められた村」と呼ばれるのどかな山里。村人は信仰心が篤く、あづみが居候することになった天狼神社の「神使」が大いに慕われている。
 普通神使というと神道では神に仕える動物を指すのだが、ここでは日本で唯一、人間が神使の役割を務める。あづみはその使命を負う「神の娘」嬬恋真耶と出会うのだが、当初清楚で可憐な女の子だと思っていた真耶の正体を知ってびっくり仰天するのだった。



金子あづみ…本作の語り手で、はるばる東京から木花村にやってきた教育実習生。自分が今まで経験してきたさまざまな常識がひっくり返る日々に振り回されつつも楽しんでいるようす。
嬬恋真耶…あづみが居候している天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。一見清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子だが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。
御代田苗…真耶の親友。スポーツが得意でボーイッシュな言動が目立つ。でも部活は家庭科部。クラスも真耶たちと同じ。猫にちなんだあだ名を付けられることが多く、最近は「ミィちゃん」と呼ばれている。
嬬恋花耶…真耶の妹で小三。頭脳明晰スポーツ万能の美少女というすべてのものを天から与えられた存在だが、唯一の弱点(?)については『宗教上の理由』第四話で。
(登場人物及び舞台はフィクションです)

 そのあと私たちの乗った車は、三人分のスキー一式と一人分のスーツ一式を共に乗せ、真耶ちゃんのお母さんが経営するお店へと向かった。真耶ちゃんのお母さんは女優さんだったが、今は引退して渋谷区で雑貨屋さんを経営している。「元」とは言え芸能人だった人に会うのは初めてなので、内心ドキドキしていた。有名人に会えるという好奇心もあるが、知らない世界の人のこと、怖い人だったらどうしようという思いもあった。まあ真耶ちゃんの親に限ってそれは無いとも思ってはいたが。
 丸岡ソフィアという名前は私も知っている。私が幼稚園か小学校低学年かのときに突然引退し、家庭に入った。それ以降メディアへの露出は一切無い。でもその美しさと気品は格別で、あのまま仕事を続けていればやがては日本を代表する女優になっていたであろう、そんな話は耳に入っていた。そんなある意味神秘のベールに包まれた人に会えるというのは、緊張感を感じさせずにはいられなかった。
 車はおしゃれな一角に入った。昨日までいた横浜の山手とはまた違った雰囲気、代官山。こういう場所にあまり縁のない私は来たことがない。思わずキョロキョロしてしまう。車は路地を繰り返し曲がると、これまたおしゃれなお店の前に止まった。
「着いたよ」
苗ちゃんの合図で降りる準備が始まる。苗ちゃんは何度か来ているようだ。

 帰ろうとする二人のメイドさんに丁重なお礼を言ってから店の中へ。
「いらっしゃいませ、あ、お久しぶりですー、店長ちょっと用事で出かけてて…後ろで待っててもらってもいいですか?」
店長、すなわち真耶ちゃんのお母さんは明日から休むために必死で仕事を片付けているんだそうだ。私たちは店の奥にある机ひとつと椅子が数脚の間仕切りされた場所に、かわいらしい店員さんに案内されてそ座る。まもなく紅茶とお菓子が出てきた。従業員用の休憩スペースということだが、それすら小奇麗。お客さんに見えない所でこの気配りはすごいと思ったが、そういえば天狼神社も社務所まで綺麗に片付けてある。お客を迎える心構えってそういうことなのだろう。まず自分たちが綺麗な環境で良い気分にならなければ、という。
 時は既に昼すぎ。お買い物が結構長引いたのは女子が複数集まってやることだから当然。ただその結果、メイドさんたちにお昼をご馳走してもらうことになったのは申し訳なかった。まぁ強力に遠慮しても受け入れてくれないとは思うが。しかしそれは買い物の途中でのことで、午後にまで食い込んであちこちのお店を巡ったので、すでに小腹がすいているくらいの状態にはなっていた。

 しばらくはお茶をしながら会話が弾んだが、お店には「戻るにはもう少しかかる」という連絡がお母さんから来ている。ゆうべも相当トークに花が咲いていたのでさすがにネタが尽きてきた。次第に会話はフェードアウト、真耶ちゃんは読書を、苗ちゃんは花耶ちゃんと一緒にゲームを始めた。私は手持ち無沙汰になったので、店内を見せてもらうことにした。
 おしゃれな雑貨や小物が所狭しと並んでいる。外国製だったり手作りだったりする小物入れや置き物やアクセサリーとか。キラキラした感じの女性のお客さんが時々やってきて、ゆっくり店内を巡って買いたいものを選んで帰っていく。
 そんなオシャレなお店の一角に、場違いに思える物たちがいた。ざる、たわし、洗面器…。女性向け雑誌とか情報番組とかで紹介されてもおかしくないような店内にあって、明らかに浮いている。なんだろこれ、と首を傾げていたら、
「あれ~、やっぱし頭からはてなマーク出してる人がいる」
透き通った声が、私の耳を優しく撫でた。
「ここに立って、えーなにこれって顔してるお客様、よくいるんだよねー。別に変じゃないと思うんだけどなー。だって、うち雑貨屋だもの」
声が聞こえる方に振り返ると、宝石がそのまま人になったような輝きを感じる女性が立っていた。私はつい、息を呑んだ。
「時々いらっしゃるのよ、こういうの欲しいってお客様が。ほらこのへんって日用品売ってるお店ってあんまりないでしょ?」
まぁ、年配の人なら「雑貨」という看板を見てざるとか洗面器を売っていると思っても仕方ないとは思うが…。
「でもね、一度テレビが取材に来たことあるんだけど、あれよけて、って言うの。失礼しちゃうよねー、大事なうちの商品なのに」
おそらく地元のおじいちゃんやおばあちゃんがふらっとやってきて、台所用品やお風呂用品は無いですかと聞かれたのだろう。普通は、ああこの人はうちが相手するお客ではないとばかりお引取り願うのだと思うが、でもこの人はそうはしない。そういう過剰に優しくて律儀な所、誰かにそっくり。
「あ、ごめん、自己紹介しなきゃね。はじめまして。嬬恋真耶と花耶の母です」
ああ、やっぱり。

 私たちは、お母さんこと嬬恋いねさんの運転する車に乗った。真耶ちゃんたちと同じ金髪碧眼に和風の名前。気にいってるんだ、と言う表情が本当にニコニコしている。国産コンパクトカーは優しげなドライビングで都会の道を滑ってゆく。
 「晩御飯、いつものとこでいい? うちで作ってあげたいところだけど、明日朝早いから。ごめんね」
三人ともにこやかにうなずく。本音は一日でも多くお母さんの手料理が食べたいと思っているかもしれないが、そこは素直な子たち、料理の片付けとかで少しでも寝るのが遅くなったらお母さんが可哀想、そう思っているのだろう。もっとも、
「じゃあうちの家族四人プラス二人で六人分の予約、私運転中だから真耶クンお願い」
私がメンバーにカウントされているのにも慣れた。素直にご相伴に預かることにした。

 やがて車が停車する。
「あっ、あづみさんごめんなさい、ちょっとお参りしていいですか? ここの神様にも帰って来たって挨拶しないと」
なるほど、窓の外を見ると鳥居が立っている。あたりに駐車場がないのでお母さんは車を停めに行く(そのかわり行く前にお参りしたそう)。残った私たちは鳥居をくぐり、参拝。えっと、二礼二拍手一礼…、
「ぱん、ぱん」
とか思っていたら、真耶ちゃんがいきなり手を叩いた。天狼神社では二礼二拍手一礼のお参りをしなくていいのは知っている。だが他の神社でもそれでいいとは知らなかった。
「お姉ちゃん神使だから、他の神社でもこれでいいの。あと一緒に来た人もこれでいいんだってさ」
神のもとに神使がおり、そこに人は参る。とすれば神を基準にしてみれば神使は人より一段上なのであり、人間同様頭を下げる必要もないと考えて妥当性がある。その連れも同じ作法でいいというのは、建前では神使の慈悲、実際は神使といっても生身の人間なので仲間内で差がつくようなことは避けさせようという配慮だ。これは全国の神社で共通だというのだからたまげた。私の横にいる一人の子のためだけに、日本中の神社がしきたりをしつらえてくれているのだ。

 神社を出ると、もとは門前町だったのだろうか、商店街が伸びている。中程にはチンチン電車が走っている。住所は世田谷区になるのだがわりと庶民的な雰囲気で落ち着く。そのなかを歩いていると、
「おっ、真耶ちゃん、帰ってきたのかい、これ食べな」
「あらあら、お友達も一緒? いいわねえ、ほらみんな、これ持ってって」
という具合に、焼き鳥だのお団子だのをどんどんもらってしまった。この街でも真耶ちゃんは有名人だ。あるいは門前町なので神使と名のつく存在には優しいのかもしれない。

 商店街を少し出はずれたところに、私たちの乗ってきた車が停まっていた。天井にはスキーが積まれており、それは私達が渋谷で買ってメイドさんたちの車に載せ、それを代官山のお店で積み換えだものだ。
「お帰り、みんな」
路上で車の点検に余念がない真耶ちゃんたちのお母さんだが、私達が到着するとそれを終わらせて、家の中に案内してくれた。綺麗に片付いていて、センスの良い家具や小物が並んでいるのはさすがおしゃれ雑貨屋さん。ただ家そのものはこじんまりとしていて庭が広く取ってある。核家族な上に子どもが普段は同居しないとあってはこの広さで十分ということだろう。でも下町の雰囲気とはいえ世田谷区内でこの間取りはかなり贅沢だ。感づいてはいたが、嬬恋家って相当お金持ちだと思う。だってお守りとかおみくじとか一切売らない神社だし希和子さんも副業しているわけでない。にかかわらず、真耶ちゃんと花耶ちゃんを引き取って余裕ある暮らしができる。おそらく嬬恋家から相当仕送りもしくは神社での寄付があるのだと思う。

 リビングでお茶を飲みつつ小休止したあと、夕食に出かけた。
 天狼神社の食卓はかなり質素だ。さっき言ったように懐具合が苦しいわけではなくむしろ裕福なんだと思うが、おかずは肉魚無しの湯豆腐とか、魚が出ても虹鱒などの川魚が一人一匹とか。これは地元で養殖しているので安く手に入る。豪華っぽいおかずとしては時々お刺身が出るくらいか。あとは地場の野菜や山菜、きのこなどを使ったお惣菜が目立つ。でも真耶ちゃんと花耶ちゃんが食べ物に関する不平を言ったのを聞いたことがない。出されたものを有難くいただくのが良いことだと分かっているのだろう。
 住宅地の中を歩いていると、いつの間にか食べ物の好き嫌いの話になっていた。初めて聞いたことだが、苗ちゃんは野菜が嫌いだったらしい。なんでも食べるイメージだし、実際食欲旺盛な場面によく遭遇しているのだが。
「ああ、子供の頃だけだよ。でも木花の野菜は食べられるんよ。だって美味しいじゃん。ゆゆん家のとかサイコーだよね。人参とかふんわり蒸すと甘いんだよ?」
ゆゆちゃんこと優香ちゃんの農場で作られた野菜はほんとうに美味しい。今は冬だけど、雪の中で寝かせた野菜は柔らかく口の中で溶ける。あれに優る食べ物って果たして東京にあるのかな、なんちゃって。ただ苗ちゃんが野菜嫌いになった理由を想像すると鼻の奥がツンとなった。二つの家庭の間を行ったり来たりする間、楽しく食卓を囲む機会もなかったのかもしれない。でも暖かい御代田家のご両親に迎えられ野菜が好きになったのは良かったと思う。

 というか、どんなお店に行くんだろう? あえてお楽しみにと思って聞かなかったのだが、実は私、辛すぎるのは苦手なのだ。だからエスニック料理とかだとちょっと困るかもしれない。まあ私のそのへんの事情は真耶ちゃんたちが知っているのだが。真耶ちゃんは意外にも辛いものや、大人の味覚も平気。御頭付きも怖がらないし、生やドロドロ、ネバネバの食材も大丈夫。ただ自然と健康志向になっているらしく、肉よりは魚、大豆に海藻に緑黄色野菜も好き嫌いなし。私はちょっとうらやましいと思っている。
 ところが、そんな真耶ちゃんも万全ではなかった。
「真耶クン、ハンバーガー食べられるようになった?」
お母さんの言葉は意外だった。食べられるようになった? という親の問いの前には大抵ピーマンだの人参だのといった食材が入る。しかしお母さんはハンバーガーという、きわめて万人受けのする、しかも子供世代には大受けであろう名詞だった。
「うん? ええっと…まだちょっと…苦手かな…」
これまた真耶ちゃんの、意外な答え。普通あれを嫌う子どもってめったにいないと思うのだが…。
「昔あそこのハンバーガー戻しちゃったんだよね。なんか味とニオイの濃いのがダメだったみたいで」
「ああ、今もダメだよねー。遊びに行った時とか困るんだよねー、お昼とか休憩とかどこ行くかで」
と苗ちゃんは言って舌をペロリと出した。本気で困ってはいないのは意地悪そうに見せかけて底では笑っている顔を見れば分かる。なんだかんだで彼女も喫茶店とか大好きなのでそこは問題無いのだ。しかし日本最大級のあのハンバーガーチェーンが苦手というのは珍しいと思う。
「あとこってりしたラーメンだよね。横浜ってサンマーメンもあるけど背脂浮いたのとかあるじゃん。雑誌とかに載るような有名なお店ほどダメみたい。スープの臭い嗅いだだけでうえっとなるもんね」
「苗ちゃんやめてよ~」
真耶ちゃんが弱々しく抗議する。
「ハンバーガーは、村にあるハンドメイドのなら食べられるよ~。あとハワイに本店があるやつとか、あ、あとパンのかわりにお米で挟んだやつ! あれ好き!」
でもそれはあまり反論になっていない。やはり日本にあるチェーン店のかなりを占めるところのを苦手にしているのは選択肢にかなり影響するだろう。それにこってり有名ラーメン店の味については、嫌いなことを否定していないのだ。さらに、
「牛丼」。
花耶ちゃんがボソッと追い打ちをかけた。あれも香りと味が濃いから傾向としては嫌いな部類に入るだろう。これまたうう~と歯噛みする真耶ちゃん。
 全体的な傾向として、味と香りがきつくてカロリーや脂質が多い食べ物はダメみたい。そして結果的にチェーン展開していたり大量生産だったりするもの、いわゆるファストフード的なものは食べられない傾向が強いらしい。画一的な味はダメなのだろう。
「あと、健康に悪そうなものも苦手だよね」
お母さんが言う。なるほどこってりラーメンって塩分も脂肪分も多いから。
 ただ糖分はノープロブレムであるらしく、お菓子はどんなものも好んで食べているので、そのへんさすが女の子、と思った。女の子じゃないけど。

 到着したのは、寿司屋だった。その店先に一人の男性が立っていて、こちらに気づくやいなや手を振った。
「真人クンおまたせしちゃってごめーん! というか、中で待ってればよかったのにー」
それに呼応してお母さんが叫んだ。
「いいって! 僕は、いねちゃんと一緒にのれんをくぐりたかったんだから!」
「…そんな恥ずかしいこと言わないの! もうっ、真人クン可愛いなあ!」
その男性の言葉に呼応したお母さんは、後ろから彼をぎゅっと抱きしめる。
「あ、紹介するね、私のカレシ、あーんど真耶クンと花耶クンのお父さん、真人クン」
配偶者をカレシと呼ぶお母さんというのは始めてた。なんとまあ、仲の良いことで。子どもを中心とした家族のつながりが重視される日本にあって父親という立場の紹介が後回しだ。
「おとーさんとおかーさん、ずーっと新婚さんみたいなんだよ。なかむつまじいってこのことだよね」
花耶ちゃんの解説は、まったくそのとおりだと思った。そして花耶ちゃんも真耶ちゃんも、それを誇りに思っている反面、苗ちゃんを気にしているようだ、けれど、
「まー真耶んチは特別だよねー、でもうちもペンションのおとんとおかんは超仲いいよ?」
というセリフは負け惜しみではないように思える。実際あのペンションは幸せな空気に包まれている。

 「花耶はねー、小柱とー、えんがわとー、赤貝のひもー!」
うわ花耶ちゃん渋いなぁ。魚や貝ってはしっこが美味しいっていうけど、それをまったく地で行っちゃってる。花耶ちゃん、家で魚食べるときも骨しか残らないくらい綺麗に食べるもんね。端っこが美味しいってわかってるんだよね。
 苗ちゃんはコハダやマグロ。これまた渋いし、わりと庶民的なネタが多い。お金持ちの家に育ったのにそれを感じさせない。
 さて、真耶ちゃんはどうなんだろ?
「あたし、最初はいつものがいいな」
寿司屋の大将さんにそういうだけで注文が通る。しばらく待っているとお寿司が出てきた。けど。
 ええっ? かっぱ巻きに、おしんこ巻きに、かんぴょう巻きに、納豆巻き? 思わず聞いてしまった。
「真耶ちゃん、いいの? それで」
「ん? あ、これ、おいしいんですよ、欲しいですか? どうぞ、遠慮しなくていいから」
まるで質問と答えが噛み合っていない。そんな質素なのでいいの? なんか握ってもらったら? という意図は通じていない。釈然としないままだったが、薦められるままに口にしてみた。各種類一個ずつ。

 おいしい。
 キュウリがシャキッとしてて、味がついてる。この味付けなんだろ、甘いようでしょっぱくて…。
 このタクアン、黄色くないや。噛むとふんわり柔らかいうまみ、っていうの?
 何このかんぴょうの歯ごたえ。たれが甘過ぎなくてでもしょっぱくなくて、色んな味が混じってる。
 あとこの納豆! 味が濃いっていうのかな、醤油つけないのに甘くておいしいから食べられる。

 真耶ちゃん、すごい。これがおいしいって、見抜いてるんだ。美味しいものは値段じゃないし、見かけでもない。ましてイメージに引っ張られてもいけない。そこが分かっている。
 というか、思い起こしてみると、嬬恋家の食卓は一見質素に見えて実はかなり豊かだ。金銭的に、という意味ではない。手間ひまかけた素材をその良さを活かした形で提供する。だから一見地味でもそこには本当の美味しさがある。
 そんなことを思いながらちょっと恥ずかしいと思いつつ、ご両親に遠慮するなと強く言われた勢いで取ったトロを頬張った。もちろんこれも美味しかった。

 いつの間にか宴もたけなわ。大人たちは白子の唐揚げやあん肝といった一品料理を肴にお酒を飲む体制に突入。まあ地元の人相手のお店なので他の常連さんとも話が弾むわけで。一方で花耶ちゃんが今日の疲れもあってかコックリコックリし始めたので子どもたちはすいてきた店内のお座敷に移動。さすがに真耶ちゃんも海苔巻きばかり食べているわけではないのでたまごやエビの握りを手に襖の向こうに消えていった。
 カウンターに残留した私と、真耶ちゃんたちのご両親。「丸岡ソフィアさんの女優時代」について聞いて見たい気もしたが、今はまるで普通の雑貨屋の店長さん。昔のことを掘り返すのも野暮だ。かわりに、ご両親と真耶ちゃんや花耶ちゃん、天狼神社とのかかわりについてお父さんとお母さんが代わる代わる話してくれた。
 「僕は木花村で育ったんだけど、東京に出てみたくてね。大学からこっちで結局就職も東京でしちゃったんだよね」
お父さんは国家公務員をされている(!)。もともと女性の神様が祀られる天狼神社では相続も女系で行われてきたのだが、明治以降女性が宮司になることは禁止されるなど、神道界にも男尊女卑の傾向が強まってきた。そのため女性優位の制度を維持することは困難となり、妥協案として男女にかかわらず長子が神社を継ぐ権利を第一に持つようにしたのだった。
「でもそれはあくまで権利が有る、ってだけの話だからね。本人が辞退することもできるんだ。実際昔からそういう形で女の人に地位を譲ることはされていたみたいだね。おかげで僕が東京で就職すると言った時も、反対は少なかったよ」
つまり性別にかかわらず長子相続というのは女性への相続を正当化する隠れ蓑だった可能性もあるということだ。まあ歴史上の話はともかく、神社を継ぐ権利は真人さんの妹である麻里子さんにいったん渡った。この人は私が文化祭の時に出会った真奈美ちゃんという真耶ちゃんのいとこのお母さんに当たる。しかし彼女も他家に嫁いだので権利を放棄、前々から神職に興味を持っていた希和子さんが天狼神社を守ることになった。
「希和子も、もともとは結婚するまでの間、僕か麻里子をサポートするくらいの気持ちで神主の資格が取れる大学に進んだんだけどね。結果希和子が神社を継いでくれた。僕も良かったと思うし、彼女も宮司になれて喜んでいたよ」
 お父さんの語り口は柔らかで、声も優しい。真耶ちゃんも花耶ちゃんもお母さん似だと思っていたが、お父さんの要素も随分受け継いでいるようだ。
「でも嬬恋家に代々伝わる真実の真の文字を名前に貰ったのは僕だったんだよね。その意味では真耶が神使になったのは宿命だったのかな」
お父さんの名前はマヒトさんと読む。真という字は天狼神社の祭神である真神に由来する。神様からひと文字もらうというのはそれがすなわち神の子どものような存在であるということ、つまり天狼神社独特の慣習である「神使を務める人間」の候補に与えられるものなのだ。
 あれ、ということは、まさかお父さんも昔…。
「あ、それはないない。真人クンが生まれた時には別の神使さんがいたから」
私の疑問を悟ったお母さんが横からフォローを入れてくれた。男の神使が出現する条件は厳しく、だからこそそれをかいくぐって生まれてきた真耶ちゃんはすごいのだという。
 でも一方で、お父さんが神使になっていたとしてもサマになったのではないかとも思った。だって女装してもおかしくないような綺麗な顔をしている。体つきもやわらかな感じだが、それらの理由についてもすぐ種明かしがされた。
「昔は男の神使が生まれてくるときに備えて、結婚できる家も決まっていたそうだよ。身体が華奢で、背が低くて、声が高くて、体毛が低い遺伝子を代々受け継ぐ家系がいくつかピックアップされていた。その家々から特にその条件を強く満たす女性を嫁にもらうか男性を婿にもらうかしていたらしくて、その嫁や婿を輩出した家はその人が存命の間はさまざまな特権を得られたそうだよ。まあ、今はそういう縛りも無くなってきているけどね」
「そうだよねー、真人クン、そういうの無視して私を選んでくれたんだもんねー」
お母さんがそう言いながお父さんの肩に抱きついた。
「選んでくれたのはいねちゃんだろ? というか結果的に君はさっき言った条件を満たしていたんだ。きっと天が結ばれる運命だって決めていてくれたんだよ」
なんて甘いセリフをお母さんの耳元で囁くお父さんもなかなかのもの。焼けるようなアツアツっぷりだ。

 でもこの光景、どこかで見たことある…ああ、真耶ちゃんだ。スキンシップが大好きで、花耶ちゃんや苗ちゃんともしょっちゅう抱き合っている。もしかして、真耶ちゃんたちにもするのかな? それを見て育った真耶ちゃんがそうなるのも納得。あれ、でもその割にはお母さん、真耶ちゃんには何も…。
「ああ。しないよ? だって思春期の男の子ってそういうの、すごく嫌がるから」
思い当たるところはある。兄や弟も中学生くらいになると親と距離を置きたがっていた。でも、ということは、やはりお母さんは真耶ちゃんを男の子として認識しており、男の子として育てたいのだろうか。最初真耶ちゃんのことをクン付けで呼んでいたときももしやと思ったが、花耶クン、苗クン、あづみクンという呼び方を聞くことでそれは単なるクセなのだと分かった。でも心のなかでは真耶ちゃんを男の子として育てたい意志のではないか? と再び思い当たったのだ。でも。
「うーん、それは別。私達にとって真耶クンと花耶クンは大事な子ども。息子か娘か、なんてどうでもいいことだよ。でも母親が鬱陶しくなるのはもしかすると本能的なものかもしれないでしょ? 生物的にどうかとかよく分からないから本当はどうかわからないけど。それはそれで対処しなきゃね」
なるほど、お母さんはもしかすると真耶ちゃんが嫌がるかもしれないから、という理由で真耶ちゃんとのスキンシップを自制しているのか、とその時は思った。が。
「…それに、私、真人クンにラブラブだしー!」
と言ってお父さんに抱きつく。そのとき後ろのふすまが開いた。そこにはさっきから子どもたちが陣取っていたのだが。
「もう、母さんと父さんずるいよー。花耶ちゃんも混ぜてあげてよー」
と、真耶ちゃん。それを見たお母さんが、安堵の表情を浮かべながら言う。
「昔はこういうとき真耶クン自身が私のほうに飛び込んで来てたの。でもそれも卒業かな。今はこうやって花耶ちゃんを混ぜて欲しいって言ってくるようになってるんだよ」

 「生まれた時から女の子として育ててきてはいるけど、この先どう転ぶかわからない。だからどっちに転んでもいいようには心がけているつもりなんだ。いくら女の子として完璧に育てたつもりでも、生理的に男の子な部分は必ず残る。性格的なものまで残るのかはわからないが、用心しておくに越したことはないだろうね」
とはお父さんの言。
 結局九時過ぎまで飲み食いしての帰り道。かなりのほろ酔い気分だが渡辺先生のご相伴にあずかる中で飲酒トレーニングが積まれたかもしれず、結構な量を空けてしまった。どことなくぽわーんとしたいい気持ちの中でお父さんの話が続く。
「本当は神使になる子には、男女どっちにも使えるような名前を付けるんだけどな。ところがいねちゃんのプッシュで、真耶なんて女の子みたいな名前を付けちゃったんだよな」
というお父さんに対し、お母さんが反論した。
「えー? だって照月寺にいる真耶ちゃんの友達、あ、今は先輩か、あの子だって名前の最後が『ヤ』だよ?」
照月寺にいる先輩とは池田卓哉くんのこと。幼馴染どうしだったから両親もその存在を知っている。彼も名前の終わりが「や」じゃないかというお母さんの反論だ。神の子の座は新たな神使候補が生まれた時などには譲渡されるので、男の子の神使には中性的な名前を付けることになっている。でも真耶という名前はそえれには当たらないというお父さんの意見に私も同意する。だって、
「耶という漢字を当てたのは、木花咲耶姫にちなんだんだろ?」
というお父さんの指摘がすごく正しいと思うのだ。木花咲耶姫もまた格式高い女神。そこから字をいただいたってことは…。それに気づかない真耶ちゃんのお母さんって、やっぱり天然な真耶ちゃんそっくりだ。

 お母さんは明日のスキー、早朝出発で車の運転大丈夫かな、とも思ったが、よく見るとお酒は飲んでいなかった。それなのにあたかもアルコールのせいで口が緩んだかのように見せて私に遠慮をさせなかったであろうあたり、さすが役者さんだなと思った。
 お父さんが仕事で行けないのは残念だと皆言っていたが(一番それをこぼしていたのはお母さんだったが。やっぱり熱愛が続いているのだ)平日では仕方ない。楽しんでくるんだよ、とお父さんはにこやかに笑っていた。
 帰りの電車の中、私はほくそ笑んでいた。真耶ちゃんをはじめとする嬬恋家の人たちも、苗ちゃんも、皆にこやかで人生を楽しんでいる。前向きな態度は良い結果を呼び込み、また前向きな気持になれるという好循環。それを感じる。
 私もその輪の中に入れた気がした。就活が失敗続きで凹んでいたのも事実。でももうそんな暗い日々は終わり。これからは何をやっても、うまくいく気がする。いや、きっと、うまくいく。

 卒論は無事提出、口頭試問も済んだ。後期試験も手応えばっちり。その勢いで気合を入れて採用試験に臨んだ。例によって筆記はバッチリ。面接も元気よく、自信を持って答えた。

 しばらくして。
 受験した学校から、不採用通知が届いた。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十五話

 質素だけど、手間がかかっている的な食生活って憧れなんです。実際はお手軽なものに走ったりしちゃいますから…。人間特に食の領域では手を抜き始めると止まらないって感じます。
 今回は食べ物をツールにして、真耶たちの立ち位置を浮き上がらせてみました。いわゆるファストフードが苦手な真耶。そのかわり高価ではないけど本当に美味しいものを知っているというのも真耶らしい設定が出来たと思っています。花耶が渋好みなのは背伸びしたい性分も象徴していますし、苗がもともと野菜嫌いだったというところには、和やかな食卓に恵まれなかった子供時代の象徴でもあります。
 また、真耶、花耶ともに好き嫌いが無い設定にしたのは、自分が食べ物を残すの嫌いってところにあります。どうしても好みが合わないとか、トラウマとかって人もいるでしょう。でも「ダイエットだから」とか言って残す人を見ると本当に腹がたちます。まあ逆に残さない食生活を続けて太り気味になるのはどうかって気も…いやいや、適量取って食べるようにしていれば太りませんって! 作者はとりあえず大量に確保して胃に詰め込むってパターンが習慣化しているから太るのです、はは、ははは…。
 それにしても真耶たちの冬休みは楽しそうです。毎日を本当に楽しんでいる感じがします。まぁあづみには辛い展開にはなってきていますが。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十五話

村のはずれの神社に住まう嬬恋真耶は一見清楚で可憐な美少女。しかし居候の金子あづみは彼女の正体を知ってビックリ! 冬休みを利用して親元へ遊びに行った真耶・花耶・苗。そして苗の実家である横浜の大邸宅で三人と一夜を過ごしたあづみ。この四人で今度は真耶たちの実家である嬬恋家へ行くことに。今度はどんな事実が明らかになるのか、って真耶たちの母親は登場済みなのでさほど驚きはないという噂も。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-11

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著作権法内での利用のみを許可します。

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