Colors.

Colors.

ちょっとした社会批判があるお話のため、言葉遣いが若干どころでなく汚いです。
あとキリスト教信者の方は読むのを控えて下さい。

悪魔

時代は遠くない未来。地球には氷河期が来ていた。
ニホンは物価の高騰、税金の値上がりなどでますます少子高齢化が進み、ニホンに生まれた子供は大切に大切に育てられた。
しかし世の中には子供に向かった犯罪がはびこり、ニホン政府は子供を守るための法律と施設をつくった。
その名も 少年保護養育法。
第一条、ニホンに生まれた子供は宝とし、安全かつ十分に生活をこなすために生まれて間もなく少年保護養育施設に入所する。期間は21歳になるまでとし、外の犯罪から隔離された状態で保護・教育。満21歳になると初めて外へ出される。

生まれた子供はすぐに施設に入れられ、高く厚い壁の中、子供の教育の専門家、厳しい監視の下で生きるようになる。
21歳で施設から出されるが、それ未満の者は一歩も施設から出ることはできない。
こういうの何て言うんだっけ。ああ、アルカトラズ島?

昔はこの施設、法律に反対する者はたくさんいた。しかし今や当たり前のことになり、誰も否定しなくなった。
そりゃあ金も手間もかけないで勝手に子供が育つんだ、親も万々歳だろ。
おまけに人間に番号ふりやがって。モノ同然じゃねぇか。

施設の中では外の世界が見えない。俺たちの世界は 学校、自室、それだけ。閉鎖的。
それでいて頭のレベルが下がったからって、寝ても冷めても勉強、勉強。
まわりの奴らは皆目が死んでる。…俺が言えたことじゃないけど。
こんな籠りっきりの、超過保護で超不健康な生活でオトナになったらやっていけるのか?
そう疑問に思う奴はいないんだろうな。知らないけど。
なんたって、何か突出するものがあれば指摘され、直される生活。
幅跳びした後の砂場みたいに、まったいらに均されるんだ。さて、個性とは何か?
最近の若者は個性がないと書籍に書く奴がいたが、はて、それは誰のせいだ。
オトナがそういう若者を求めてるからそうなるんじゃないのか?…太田豊太郎かよ。
それとも、日本人の普遍的な性質の協調性とかいうやつ?
それとも時代は繰り返すってやつです?500周期の氷河期が、今来ているように。

_____……。

寒い、という神経はもう無い。7月。昔なら 暑いだの、猛暑だの 騒いでたらしい。
7月。今日も白い空から雪が降っている。日本には四季がある、と教科書で読んだ。
そんな時代にぜひ行ってみたいと思う。もちろん行けない。
昔の人が望んでいたようなタイムマシンは発明の真っ只中。
マフラーをぐるっと巻いて学校を後にした。呼吸をする度に息が白くなる。自室のある寮まで徒歩1分。
たったの1分でこれだけの重装備しないと風邪ひくっていうのは、相当だよな。

帰宅。
がらんとした自室。外が見渡せる大きな壁一面の窓。つまりプライベートな部分も監視されてるってことだよな。
見晴らしが良いとかそういう問題じゃない。鞄、マフラー、コートをベッドに投げ、自らの体もベッドに投げ込んだ。
「あー、だりぃ…」
もぞもぞと体を動かし、鞄を手で探り宿題を取り出した。
「おっ…と…?」
見慣れない紙。
「『人形に魂を宿す方法』…?」
どのタイミングで入っただとかは記憶にない。ましてやこんなものを自分が入れるはずもない。
「なんだよこれ、くだらない…」
紙を地面に放り投げてもう一度ベッドに突っ伏した。
「……。」
暇だし、やってみようかな…

『人形に魂を宿す方法』
まず、人形を用意します。
その人形に自分の体の一部(爪や髪など)を入れます。
そして、「あなたは私の○○(続柄)です。私はあなたといつも一緒にいます。一緒にご飯も食べます。私はあなたの○○(続柄)です」と人形に語りかけ、それを毎日続け、常時携帯してください。度々優しい言葉をかけると、より成功率が上がります。
人形が動いたり、気配を感じたりしたら成功です。

……。
なんだこれ胡散臭い。
「…あなたは私の友達です。いつも一緒にいます。ご飯も一緒に食べます。私はあなたの友達です…」

……。
「ハッ、そんなもんだよな。」
馬鹿馬鹿しい。
その瞬間だった。隙間の無いはずの部屋に風が吹いた。
「うわっ」
しばらくして風がやんだ。
「…なんだよ…?」
辺りを見回しても何もない。まして、人形から気配なんて…
目の下で何かが動いた。
「おい、お前。」
「え?」
「なぁに腑抜けた顔してんだよ!このアレクシス様を読んだのはお前だろ?」
「…はぁ?」
うさぎの人形が、直立している。しかも、話しかけている。俺、頭おかしくなったか。
「悪魔を呼べるなんてすごいじゃねえかよ」
…悪魔。
「これも縁ってヤツだろ?契約成功したんだから、名前ぐらい名乗れよ。」
契約?
「あぁん?お前、何も知らないで契約成功させてんのか?」

この、見た目の可愛らしいウサギから酷い言葉づかいの何かが…
「ふふん、これは大物のようだな。」
そのウサギは腕を組んで頷くように縦に首をふった。
「俺の名前はアレクシス。低級だが立派な悪魔だ。お前の望み、何かと引き換えで叶えてやるよ。」

魔女

リュウは混乱した頭のまま、次の朝を迎えた。
朝からベラベラと語りかけてくるこのお喋りなウサギは一応紙の指定通りに携帯することにし、学校に持って行った。
しかし、昨日俺が呼び出したらしい悪魔とやらについてはよくわからなかった。
もちろん幽霊だとか天使とか、神様だとか、俺は信じてない。
昔は神はいたのかもしれないが、さすがの神ももう死んだんじゃないかと思ってる。
いろいろ考察しているうちにまた今日という一日がすぎていく。
「人形に魂を宿らせる方法」
何度も何度も繰り返し目を通したこの紙を、また何度も何度も読み返した。
…さっぱりわからない。
息を吐いて目を伏せると、勢いよく紙を引っ張られた。
ぎょっとして力の方向をみると、隣の女子生徒が紙を掴んでいた。
彼女の鋭い視線とリュウのぼんやりした視線がぶつかる。
「返してよ。」
「…はぁ?」
「返してって言ってるの。」
こんなんいらねぇよ、と手を離すと女子生徒はひったくる様に紙を奪った。
「昨日のこの政経でまぎれたのね。」
そして女子生徒はあたかも何も無かったかのように黒板に目を移した。
「…それ、なんなんだよ。」
女子生徒は黒板を見つめたまま目を細めた。
「関係無いでしょ。」
「関係無くねぇよ…。」
「…はあ?」
「昨日試したら変なことになったんだぞ…」
リュウがバツが悪そうに言うと、しばらくきょとんとした顔でリュウに向き直ったが
事態を把握したらしい女子生徒は抑えきれなくていよいよ笑い出した。
「…笑うなよ…!」
とはいえ授業中、彼女は音を立てずに笑った。
「試したのか…!」
あんた馬鹿でしょ、と言わんばかりの憎たらしい笑い。
「お前何か知ってるんだろ!責任もって教えろよ!」
「責任なんてあたしに無いじゃない、アンタが勝手にやったんでしょ」
くそ、こいつムカつく。図星だから余計ムカつく。
「まあ、でも、そうね、いいわよ。教えてあげる。何かと不便でしょ。授業おわったら図書室に来てちょうだい。」
終業のチャイムが鳴り、女子生徒は荷物をまとめてさっさと席を立った。
なんなんだよ…。リュウが頭を抱えて大きくため息をつくと、知り合いの後方からの突撃。
「お前、今魔女と話してたろ。」
「…はあ?魔女?」
「魔女だよ魔女、お前の隣にいた奴!知らねえの?」
リュウは首を横にふった。
「一個上の学年のセキグチヤエコ。あいつヤバイって有名なんだよ!」
「何がどうヤバイんだよ?」
「呪いとか黒魔術とか使って人を不幸に合わせるんだってよ!それだから学校中でハブられてんだよ」
「なにそれ、そんなの信じてんの?」
「この前、体に疾患が見つかったとかで療養になったヤマモトいるだろ、アイツ、前に魔女をからかってみたらしいぜ!そしたらあのザマだ!おっかねえ」
ほぉん、そんなので信じるのか。馬鹿馬鹿しい。



「やっと来た。頼んでおいて待たせるとか、無いわ。」
「悪い。」
「許す。こっちよ。」
彼女は手にもっていた本を机に広げた。
「降霊術って知ってるでしょ、あんたはそれをやったのよ。」
「降霊術…でもそれって霊だろ?」
「そうよ。」
「俺が降ろした奴、悪魔とか言ってたし。」
彼女は黙り込んだ。本棚の方へ歩いて行き、本を捜している。
…悪魔…悪魔学の本?そんなのあるのか。
「たまにいるのよ、そういうヤツ。悪魔宿しちゃう人間がね。」
彼女は本を開いて見出しを指差した。
"悪魔について"
「…あの方法で宿した悪魔は言いなりよ。人間の体の一部が入ってるから。上級の悪魔は体に囚われたりしないもの。」
「言いなりったって…何させるんだよ」
「別になんでもいいんじゃない。」
彼女は自分の鼻の頭でも見るような顔をしている。
「あたしのは何でもやってくれるし。」
「ふーん。」
……えっ?
「えっ?」
リュウが思ったことをそのまま口に出したとき
「やーあ、新人魔女さん」
彼女ではない、男の声がした。
周りを見ても誰もいないし、彼女は相変わらずの表情で腕を組んでいる。
「おい、こっちだよ。」
彼女の背後だ。リュウは目を見張った。
「やっとわかったか?」
彼女が背負っているカバンからクマのぬいぐるみが顔を出した。
「ラザラス。あたしの悪魔よ。」
クマは満足気に腕を組んだ。
「恐れおののけ、セキグチヤエコが主、ラザラス様だ!」
恐れおののけも何も、クマにそんなこと言われて恐れるヤツがいるか。
「あたしは召喚するまでに幾月もかかった。すぐに召喚できるなんてすごいわね。」
俺は、もう、疲れているのかもしれない。


自室に帰宅、いつものようにベッドに全身を投げ込む。
「なぁ、お前なんなんだよ…」
「え?悪魔。」
鞄から出てきたアレキシスはベッドに倒れこむリュウの背に乗り、くつくつと下品に笑う。
「…なぁ、魔女ってなんだ?」
アレキシスはリュウの顔を覗き込むと、首を傾げた。
「古来から魔女はなぁ、悪魔と契約して呪術を使う能力をもつヤツのことだよ。」
「…ふぅん。」
リュウは考えた。
「でも俺は呪術なんて使えない。」
「ハッ、よく言うよ。俺を操って動かせる癖に」
…操って動かせる…
「アレキシス、電気消して。」
「そういう意味じゃねえよ…」
リュウは手探りで電気を消した。
「アレキシス…アレキシス…。長いな、略そう。アレックスー」
ウサギは凍り付いた。少し面白いかもしれない。
「普通な、悪魔召喚したら人を呪ったり、殺したりするんだよ…」
アレックスは不服そうに話す。
「それ、なんでもやってくれんの?」
「得意分野だぞ、任せろよ」
ケケケッと悪魔は笑った。
"悪魔は人を騙す"
そう書いてあったあの一節を思い出す。
「信用しねぇよ」
そういえば、セキグチヤエコは悪魔は主の言いなりだと言っていた。…矛盾してないか、何か。
リュウが思考をやめて目を閉じると、すぐに暖かい何かに包まれて気が遠くなっていった。

魔女狩り

"悪魔は甘い言葉で人間を誘惑して陥れる"

とはいえこの方、アレックスに甘い誘惑はされていない。
そんなことをぼんやり考えながら、今日も朝食の準備に取り掛かる。
こいつ、お人好しなのか?
「…お前、人間の飯食うのか?」
「は?誰が食うかよ。俺は人間しか食わねえぞ」
「…。」
まあ、なんとも朝飯前にとんでもないことを聞いた。お陰様で朝食が不味くなりそうだ。
俺、いつか食われんのかな。
「なぁ、お前、なんなんだよ。」
「だから悪魔だって。その質問6回目だぞ。」
「その堂々と俺は悪魔だって発言するあたりがさぁ、怪しいというかさぁ」
「お前、ほんと俺呼んどいて何もしないよな。」
アレックスは足を組んでフフンと笑った。
「殺して欲しいと思うやつがいれば殺してやるし、叶えてほしいと思うことがあれば叶えてやるよォ?俺ができるものに限るけどな。」
ああ、そうやってみんな堕ちていくのか。
「別になんもねぇよ…。望みがあって呼んだわけじゃない。」
なんで興味本位で試してみようと思ったんだろう。
「なんかあったら言ってくれよぉ、殺してやるからさ」
案の定、朝食はあまり美味しくはならなかった。

制服に着替えて、髪をぐっと結ぶ。
「そろそろ切った方がいいんじゃねぇの?」
「うるさい。」
わかってるよ。というか出会って間もないお前に指摘されたくない。
リュウは鞄を開けてアレックスに向けた。
「ほら。」
「え?」
「入れよ。行くぞ。」
「…。」
アレックスはのそのそと鞄に入り、リュウは鞄をしめて背負った。
「なぁんか屈辱的なんだよなぁ」
アレックスの残念そうなため息が鞄の中から聞こえた。不覚にも笑ってしまった。



1時限目は経済。
教室の扉を開けるなり、いっきに視線が集まる。と思うとさっとみんな目を逸らし、気まずそうに、嫌そうな顔をしている。
「あたしに関わったからよ。」
背後から声。
「…セキグチ。」
「ヤエコでいい。」
ヤエコはさっさと歩いていき、適当な席を選んで座る。勿論まわりには誰もいない。
リュウものそのそと歩いていき、ヤエコの隣に座った。
「どういうことだ?」
「決まってんじゃない、いじめられてるのに関われば、あんたもいじめの対象よ。その辺を覚悟の上であたしに話しかけてきたのかと思ったのだけれど。」
ツン、と言い放たれるとリュウは軽くふーんと返した。
「あら、案外気にしないのね。あんた、物好きね。友達とかいないの?」
「別に。1人が好き。何も考えなくていいだろ。」
「ああっそ。」
始業のチャイムが鳴る。


結局授業の後半は寝てしまった。
無視される、とはいえ自分はそんなに誰かとつるんでいた訳でもないし、誰かに依存していたいとは思わない。
つまり生活に不自由は何ひとつ無い。きっとヤエコもそんな感じなんだろう。
「ちょっと‼」
寝ぼけてぼうっとしていた頭に金切り声が鳴り響く。
「何すんのよっ‼」
…ヤエコ?
「おおっとぉ?血祭りの始まりかぁ?」
楽しそうなアレックスの声。鞄から顔を出して廊下のほうをじっと見ている。
「出て来るな。どういうことだ?」
「どういうことも何も、悪魔と契約した人間が怒りに狂ってみろよ、何をすると思う…?」
"怒りに狂って我を忘れた人間は、怒りに任せて憎しみを発散する"
これが怒りに狂う人間の典型的な行動パターンである。リュウは教室を飛び出した。
「おい!やめろ!」
リュウが叫ぶとヤエコが振り返り、鋭い目つきでリュウを睨んだ。
「何が魔女狩りよ、こいつ、あたしの髪を切ったのよ‼」
隣にいる男子生徒の手にはハサミ、床に散らばる髪。
ヤエコの長く伸ばした髪は無残にもギザギザに切られていた。
「おい、お前、刃物は校内に持ち込み禁止だろ。」
「何言ってんだよお前、魔女の体の一部は最大の魔除けになるんだぜ?とくに髪の毛は…」
知らねえよ、というかどんな噂だよ。なんの宗教団体の会話ですか。
頭おかしいんじゃねえの、とリュウが言おうとした時だった。
ヤエコがぼそぼそと、しかし力強く呟き出した。
「黙っててやればゴソゴソと何か根回ししやがって…。知ってんのよ、髪を切って魔除けを主張して"あたし"を排除したいんでしょう…」
「よくわかってんじゃねぇか!」
男子生徒は笑い出した。周りの野次馬も笑い出した。
俺は何も知らないことを彼らは笑っている。俺には彼らが正気で無いように感じられたが、ここで笑っていないのは俺とヤエコだけ。もしかして正気じゃないのは俺の方じゃないんだろうか。
「ならばあたしが殺してやる!」
ヤエコが叫んだ瞬間、リュウはそんな思考の渦から現実へ引き戻された。
途端、ヤエコの鞄から禍々しい気配を感じた。
「殺してやる…殺してやる…殺してやる…みんな呪い殺してやる…」
ヤエコも完全に正気ではない。
「殺してやる!」
野次馬たちの笑が止まった。
背後のガラスが割れて飛び散る。
「死んであたしのいない世界に行けば良いじゃない!それが何よりの魔除けよ!」
破片が何人かの生徒に刺さり、悲鳴が上がる。
リュウはその異様な光景にしばらく圧倒されていたが、やがて我を取り戻すと、ヤエコの背後の存在に気づいた。
「お前…ラザラス…!」
あの、クマのぬいぐるみの本性であろうか。
クマが口の両端をつりあげ、鋭い牙を見せて不気味に笑った。
「悪魔だぁあっ‼」
生徒が逃げ惑う。今のうちだ、リュウはヤエコの腕を掴んだ。
「おい!逃げるぞ!」
ヤエコは逃げ惑う生徒を睨んでいる。
「おい!やめろ!おい!ヤエコ‼」
リュウがこれでもかというぐらい大声で叫ぶと、ヤエコは我にかえった。
「お前、さすがに人殺したくはないだろ‼冷静になれ!」
リュウはヤエコの腕を引っ張った。


「あーあー、もうちょっとだったのになぁ。」
ウサギの悪魔はくつくつと笑った。
「残念、もう少しでたくさんの生贄が手に入ったのだがな、お前の主人のお人好しが過ぎる。」
クマの悪魔はため息をついた。
「あぁーん?お人好し?ただの根性無しだろ、無欲だしよぉー」
「うるせぇぞアレックス‼こちとらお前らのせいで逃げてんだ!」
「げっ、気付かれた」

悪魔の本性を見た。これから感情に任せた行動は出来ない。
常に冷静でいなくてはいけない。ああやって人は堕ちていくんだ。

「おいっ!あそこだ!」
「待て!魔女めっ」
ヤエコの腕を掴みながら、走る、走る。なぜ追いかけてくるのか。それをリュウは考えながら走った。
普通自分を危険に晒した相手には近づかないとするのが得策のはず。
それなのに追いかけて来るというのは、それこそ魔除けなり魔女狩りなり
そういった思考が彼らにはあるのだろうか。彼らは魔を排除した英雄にでもなりたいのだろうか。
「くっそ、ほんとになんの宗教なんだよ…」
背後の足音が増える。くそ、追いつかれそうだ。
「おい、仲間がいるぞ!」
「魔女に手下がいたのか⁉」
「気をつけろ!あの感じだと使い魔かもしれないぞ」
…え?俺のことか?リュウは思わず立ち止まった。その言われ方は、無い。
「おい‼仲間は百歩譲って許してやってもいいけどよぉ、手下と使い魔は認めねぇぞ‼」
「ね、ねぇ、ちょっと…」
ヤエコがリュウを見上げる
「アレックス!」
「おう!やっと出番かよォ!」
あんたさっきあたしに冷静になれと言ったでしょう‼ヤエコは止めようとした。
「あいつらの鳩尾に膝蹴りかまして来い‼」
ヤエコの思考は一瞬停止した。
アレックスは見事な軽い足取りで追いかけてくる生徒の鳩尾に膝蹴りをかます。
それを確認したリュウはヤエコの腕を掴んだまま再度走り出した。
「ねぇ、あんた…」
「お前と違って俺はある程度一線引けるからな。」
リュウが自慢げにヤエコを見下ろした。
うわっ、ムカつく。
「年下のくせに生意気ね!」
「年上だからって生意気なんだよ。ほら、走るぞ!」
とりあえずどこかに隠れてこの場から逃げなくてはいけない。
リュウとヤエコは走って校舎を抜けた。

囁き

「おい、あいつらどこ行った?」
「お前はあっち捜せよ、俺こっち捜すから…」
生徒の話し声と足音がだんだんと遠ざかって行き、やがて聞こえなくなった。
「息を殺すっていうのも楽じゃないわね。」
研究室の床下倉庫の中、ヤエコが大きく息を吐いた。
しばらく時間を置いてからリュウがグッと扉を押し開けて外を覗いた。
「…いないな。」
足をかけて倉庫を出るとヤエコに手を差し伸べる。
「余計なお世話よ。」
ヤエコは見向きもせずに自力で床に手をかけた。
「あーはいはい、そうですか…」
リュウがさっと手を引っ込め、ヤエコが自力で登ってくるのを待った。
できないくせによく言うよ…

「にしても、何だ。俺は今の状況に全くついていけてない。」
誰もいないことを確認した廊下を、足音をたてないようにそろそろと歩く。
「あんた知らないの?ちょっと前に流行ったじゃない。」
「知らねぇよ、何をだよ。」
「悪魔さん。昔でいう…コックリさんね。キューピット様っていうのもあったみたいだけど。呼び名なんてどうでもいいわね。」
「はぁ?コックリさんは知ってるけど悪魔さんなんて知らない。」
「流行ったじゃない。物好きって多いのよ。」
お前もだろうが。
「それでコインがひょいひょい動くもんだから、悪魔がいるって信じたのね。」
「バッカバカしい…」
「丁度その時ね、魔女って呼ばれ始めたの。」
「え?」
「…今でも結構な人数がやってるみたいよ、悪魔さん。」
下を向いていたヤエコは、急に大きく息を吸って上を向いた。
何を見ているのかはわからないが、目を細めて天井を見ている。
「で?これからどうすんの?」
「は?お前が事の発端だろ」
止めてやって巻き込まれた俺の身にもなってほしい。
「…抜け出す。」
「え?」
「抜け出すのよ、ここから。」
「馬鹿か?ここからは抜け出せないって施設員に言われてるだろ。」
「できるわ。あたしは人間にはできない所業をこなす力を持ってるんだもの。」
「…悪魔にそそのかされたんじゃないのか?」
「…かもね。」
お、笑った、こいつ笑うんだ。ヤエコは苦々しくも、しかし確実に笑った。
能面みたいな表情が少し緩んだ。笑えば少しは女子らしいか…。
「よし…のってやるよ。」
リュウはヤエコから目を逸らしてフフンと笑う。
「どーせ、もうここで普通に生活は出来ないんだろ…」
リュウは想像できなかった。今でさえ何故か追われる身となったのに、明日からまた普通に授業を受ける平凡な一日が送れるのだろうか?追いかけてきた奴らは俺たちをどうしたいんだろう。殺すなんてことは出来ないし。…排除、か?



「おいリュウ、本気かよぉ?」
「おお、本気だよ、一応。」
「いいのかぁ~?そんなことしてぇ~」
アレックスがケラケラと笑っている。
「お前、本当に悪魔なんだよな?」
「おお」
悪の道に誘わない悪魔っているんだな…
「まぁ~ただの根性ナシかと思ってたけど、そういう思い切りはいいんじゃねぇの?」
オモシロソーと発すると、うさぎの形をした悪魔はピョンピョン跳ねている。
「うるさいなぁ…」
結局ヤエコとは一旦わかれ、自室で荷造りしてから合流ということになった。
といっても、別に持って行くものは特にはない。
「武器とかは?いるんじゃねぇの~?」
「…いると思うか?」
「おお!いるね!殺傷能力の高いやつが。いざとなったときに使えるぞ~」
「…生贄を作るためか。」
「正解、よくできました、わかってんじゃん!」
コイツすっげぇムカつく。いつか刺してみようか。人形の悪魔に効き目はあるのか?ってね。
「誰が生贄なんかお前に捧げてやるかよ」
結局武器は持たずに、最後にアレックスを鞄に詰め込んで部屋を出た。
「お前、変なところピュアだよな」
「ピュアっていうんじゃねぇ、気持ち悪い…」
そしてリュウは気づいた。
空気がおかしい。廊下が嫌に静かだ。
「嫌だねぇ…嫌な予感がするねぇ」
鞄の隙間からアレックスが顔を出す。
「…角から皆が出てきてサプライズってとこか…」
リュウは静かに周りを見回して、勢いよく自室のドアを開けて中に入った。
途端、大勢の生徒が廊下の至る所から駆け出してくる。
「カンが冴えてんじゃねぇの!」
アレックスが皮肉たっぷりに笑う。
「アレックス!あの窓を割れ!」
一面の大きな窓。日光が入る、とか景色が綺麗だ、とか。
周りのやつらはそう言っていたが、リュウにとって見れば監視されているとしか思えなかった大きな窓。
「あいよ!」
アレックスがリュウの一歩前に出て、大きな音をたてて思いっきり窓を割った。
それに続くようにリュウは冷たい空気の中に飛び込み、落下した。
落下する速度とは速いもので、もう後ろから来た生徒の姿は見えない。
「アレックス、受け止められるだろ?」
「ええ?それはどうかなァ」
ここで死んでお前の飯になるわけにはいかないんだよ‼
「今すぐ燃やすぞ‼」
「はいはい待っとれ待っとれ」
リュウの部屋は地上32F。このまま地面に叩きつけられたら体がひしゃげるだろう。
だがしかしアレックスはなかなか動こうとしなかった。
早く!
地面に着きそうだ、というところで風が下から吹いてきて、体がふわっと浮いたお陰で軽々と着地。
上を見上げれば、割れた窓から何人もの生徒がこちらを覗き込んでおり、何かを叫んだりこちらを指差したりしている。
ばーか、とリュウは言うと、集合場所の校舎棟の裏へ走った。

ヤエコは後ろから追うようにしてやってきた。
「あんた馬鹿じゃないの、無茶して」
「ああしないと何されてたかわかんないからな。…以外と楽しかったし。」
少し楽しそうに笑うヤエコは、一部始終を見ていたようだ。
「で、どうするんすかヤエコ先輩」
「あの塀を登ればいいんでしょ。」
塀。施設のまわりをぐるっと囲んでいて、全くもって外界が見えないように、外界に逃げ出せないようにしてある高い、高い塀。
前まではあそこがそびえ立つ壁のように見えたが、さっきの様なことを遂げてからはそんなに高くないように見える。
錯覚だ、そう簡単にはいかない。リュウは自分に言い聞かせた。
「あーあー、駆け落ちですかぁ、いいなぁ」
途端、背後から声。
「もー、バラしてくれちゃってさー。魔女なんて放置しておけばよかったじゃん。暴走して殺しちゃったって、1人だけの問題にしておけば、他にいるってことがバレなければよかったのになーあー?」
短髪の、男。生徒だ。耳に大量のピアス。関わりたくない。
「俺は一生懸命隠して、イルメラと一緒に2人で幸せーに生きるって決めてたのに。」
貼り付けたようなニヤニヤした笑みで徐々に距離を詰めてくる。
「なぁ!イルミー‼」
「うわっ」
途端、ネコのぬいぐるみがリュウの目前に現れた。ネコの足蹴りを間一髪で交わしたが、攻撃は止まらない。
「魔女なんかほっときゃーいいじゃん」
「なんであそこで手出したのかなぁ?」
「俺の未来計画ぶち壊しやがって」
怒涛の言葉攻めとネコの攻撃攻め。なんで怒りの矛先がヤエコじゃなくて俺なんだよ!
リュウはひたすら交わして逃げるが、男子生徒に隙をつかれた。目前にナイフが光る。
「…でも、嫌いじゃないぜ?そういうところ。」
男子生徒はナイフを構えたまま、ニッと笑って動きを止めた。ネコも生徒の肩へと戻って行く。
「ああ、思い出した。あんた情報の時に一緒の教室よね。」
事の次第を助けもせずに見ていたヤエコが、ふと思いついたように言った。
「よくぞ思い出してくれましたヤエちゃーん。」
「ヤエちゃん⁉」
ヤエちゃん⁉
リュウは心の中でヤエコとまったく同じ反応をした。男子生徒はナイフをしまった。
ヤエコは嫌そうな顔をして、さらに難しい顔をした。
「たしか…ジン。ミツイシジンよ。」
「そうそ。俺はミツイシジン…」
ミツイシジンはリュウを見てニィッと笑って見せた。
「ジンでいいぜ?後輩クン?」
こいつも生意気な年上か‼好い加減にしろ!
「あんたも魔女なのね。わからなかった。」
「そりゃあ隠してたんだから、誰かにバレたらダメだろ?」
「クラスではヘラヘラ笑って、まわりの変なやつに溶け込んでたじゃない。」
「そうやって魔女であることをカモフラージュしてたんだよ。それが賢いやつのやり方!」
「…おい取り敢えずそこどけよ…」
「あー、ゴメンゴメン。」
俺、こいつキライ。
「すーっごい面白そうなことしてるからぁ?仲間に入れてもらおうかと思って。」
ジンはヤエコとリュウの顔を交互に見回してニッと笑った。
「あっ、そうそう。俺の悪魔ちゃん。イルメラっていうんだけど。よろしくねぇ~」
首に鈴をつけたネコのぬいぐるみはパタパタと尻尾を振っている。
「ん~、どれも微妙な奴らねぇ~」
女のようだ。
「悪魔に女っているんだな…」
と、リュウが言おうとした時
「俺様を何だと思っていやがる!」
「私を微妙とはどんな身分だ!」
ヤエコ、リュウそれぞれの鞄からウサギとクマの悪魔が勢いよく飛び出した。
「…馬鹿なんだなこいつら…」
リュウが呟くと、背後から足音と声が聞こえた。
「やべっ!来た逃げるぞ!」
ジンが踵を返して走り出し、それに後の2人も続いた。
「お前なかなか足速えじゃん」
「ちょっと前まで陸上やってたんでな」
「へぇ、あんた運動できるんだ」
ヤエコはやはり彼らの少し後ろを全力で走る。
「で?お前名前は?」
「リュウ、リュウだよ。」
「え?なに?ユウ?聞こえない」
「リュ!ウ!」
やっぱりこいつキライだ。
「で?どうするんだよ?どうやって登るんだよ」
「そんなの簡単よ」
「…上手くいく策なのか?」
「やってみなきゃわかんねぇだろ?」
ヤエコが下を向いて笑い、ジンもリュウに向かって笑って見せた。
不覚だが、俺も笑ってしまった。社会から逸脱した、脱走という行為。
周りから見ればただの不良行為だ。だが、なんとなく、この先が楽しみになった。

まずは追手を撒きましょう。そういうことで温室に逃げ込み、どうにか追っ手を撒いて息を切らしていた。…リュウ以外は。
「あんた…馬鹿なんじゃないの…なんで…息切れないのよ…」
肩を上下に揺らしてヤエコがリュウを睨む。
「だから陸上やってたんだって」
「長距離?」
ジンも肩を上下させながら、こちらを見ようともせずに質問を浴びせる。
「違う。…長距離は全員強制。」
「じゃあ何?」
「…跳躍。…高跳びだよ。」
途端、ジンが勢いよく顔を上げて
「跳躍⁉うさぎさんってかぁ‼」
思いきりからかいたいという気持ちは伝わったが、息が切れてまともに言葉が出なかったようだ。
「…あんま舐めんなよ。」
ツン、とリュウが言い放つとジンが倒れ込んだ。
「あー…俺、馬鹿した…今ので余計…苦しい…」
「馬鹿なんじゃねえの」

温室。氷河期に入った(とは言っても規模の小さいものらしい)地球では緑を守ることができない。
ということで各地に大規模な温室を作って自然を保護しているらしい。
しかもここは人工の海がある珍しい温室なんだと、施設員が言っていた。
「…海か…」
「海が、どうかした?」
「やっと息整ったか。」
「お陰様でね」
心臓痛い、とヤエコが胸を抑えてこちらを見上げる。
「本物の海って、どんなんなんだろうな。」
「…さあね、実際は近くに行ったら緑色してる海がほとんどなんでしょ。あと、すごく広くて…磯の香り?がするらしいじゃない。」
ふうん、とリュウは適当に相槌をうつ。天然の海は濁っていてキツイ匂いがする。たしかにそう習ったけど、想像できない。
海に何かの想いを馳せる人だっているらしい。でも俺の知ってる海は小さくて、濁ってなくて、何の匂いもしない小さい水溜りだ。馳せる想いといえば……本物の海はどんなものだろうということぐらいだ。振り出しに戻る。
「はい、俺も復活!」
ジンが苦しそうに飛び起きる。
「でぇ?まずはどうするんだ…」
「とりあえず屋上に出るわよ。出られるとこがあったはずよ。」
「管理室の近くなんじゃねえの」
リュウが立ち上がるとそれに続いて2人も立ち上がった。
「じゃあまずはそこから行ってみるかねー」
ジンはさっそく鼻歌交じりに歩き始める。コイツ、何考えてんだろう。
ジンのあとをヤエコ、リュウの順でついて歩く。
なんだか、こう、この2人の後ろについて歩くと年功序列で縛られてる感じがする。でも実際この2人は何かを知っているわけで、俺が口を出す必要は無い。…そもそも出せる口も無い。

ジンがさっさと管理室を見つけ、管理室のドアノブに手をかけた。
「…開かない。」
「え?何言ってんだよ。」
リュウも押したり引いたりしてみたが、全く開く気配はない。
「ドア、壊しなさいよ。」
2人の一歩後ろから、ヤエコが腕組みをして淡々と答える。
「…なにいってんすかヤエコさん…」
ジンが眉を潜めてヤエコを見つめる中、
ああ、その手があったか。とリュウは躊躇無くドアに全身で勢いよくぶつかった。
ドア、無事破壊。
ドアから目を離していたジンは、その破壊音に驚いてドアに向き直った。
目を離した一瞬の隙に悲惨なことになっているドアと、なんなく立っているリュウを驚愕の表情で見つめている。
まさにあいた口が塞がらない、というヤツだろう。どちらかというと目のほうが完全に開き切っているが。
おっかねぇ…とジンが言葉を漏らし、恐々と中を見つめる。
「あ、階段あるじゃない。」
なんの感想もなしにヤエコは管理室を覗き、階段を発見。
「行くわよ。ジン、口あいてる。」
リュウは何も言わずにヤエコについていく。
はぁー⁉あかないわけがないだろ!人間の為せる業じゃねえって!悪魔かよ!

「リュウ、お前体痛くないのか?」
狭くて暗い階段を三人の足音が独占する。
「…別に。」
…別に。じゃねえよ!おかしいだろって!
「そりゃぶつかった所は一瞬痛いけど。」
「そうじゃなきゃ俺はお前らについていくの間違いだと思うわ。」
「体張る役が見つかって良かったじゃない。」
こいつ、変に前向きだよな。
「うーん…確かにそうなのかも知れないけど」
「はぁ?なんで俺がそんなこと…」
とやかくしている内に、屋上に到達。屋上への扉も鍵が開いていなかったため、リュウが無事に破壊した。
あいつ怪物だろ、ぜってー怪物だろ…!


温室の屋上に立ってみると、そびえ立つあの塀がジンには少し低くなったように見えた。
「ヤエ、ここまで来てみて、あの塀の高さはどう感じる?」
ヤエコは少し考えると
「高い。」
と答えた。
「お前は?」
「俺はもう中腹まで来たと思った。」
人によって考えは様々だ。コップに半分のジュースを、まだ半分もある、もう半分しかない どう考えるか。
これも結局価値観。人の価値観をそれぞれ理解するのは難しい。
「俺はここまで来たら余裕だと思ったな」
合わせる必要もないだろう。まして合わせるという行為はこれからの話に必要ない。と、望んでいる。
柵の中から下を見つめる3人を、何人かの生徒が発見して少し騒ぎ始めてるようだった。
「でー?ヤエサン。この後の作戦聞いてないんですけどどうするんですかー?早くした方がいいと思いますヨ。」
ジンがわざとらしくフフンと不敵に言ってみせると、
「悪魔の力を借りれば良いのよ。」
塀を見つめていたヤエコは男2人に変わらぬ表情で顔だけ向けた。
「はい、ストップストップ。俺そういうのわかんないから」
リュウが無理無理、と顔の前で手をひらひらさせた。
「簡単よ、この塀を駆け上がる力を貸してもらえば良い。」
「簡単ってな、俺が悪魔を知ったのは2日前のことです。」
「…俺思うんだけどさー、魔女と呼ばれたヤエコさんの力を見てみたいなー」
ジンのこのからかうような提案に、リュウはなんとなく賛成だった。
たしかに、見てみたいかもしれない。
「そう、それじゃあお先に。」
ヤエコはクマを頭にひょいっとのせた。なんとも…バカっぽい…面白い光景である。
「いくわよラズ」
そしてヤエコは屋上の安全柵を軽々と飛び越え、大きく跳躍して塀にしがみついた。
まさか、とリュウは目を見張る。もともと悪魔云々でさえ驚くべきことなのだが、それよりも衝撃的だった。
温室と塀までの距離は20mはある。それを軽々と人が飛び越えて行けるものか。そしてあの直角な、ざらつきのない塀に人がしがみつけるものか。悪魔の力とは、いったい…。
無事に塀にしがみつけたヤエコは何かを確認した後、部屋の中を縦横無尽に動き回る蜘蛛のようにするすると塀を登っていった。
「へぇ、慣れてんじゃんアイツ」
リュウが驚愕しているのと対照的に、ジンは面白そうにその姿を見ている。
「俺あんな風に使ったことないからな、できるかなー」
そしてジンもヤエコ同様、ネコを頭に乗っけて安全柵を飛越え、塀に辿り着くのだった。
「…おい、アレックス。」
「んん?なんだい?力貸してほしいんだろ?」
「…ああいうの、どうやってやるんだよ。」
「同調するんだよ」
…同調とはいかに。
「人間は頭でモノを考えるだろ?その頭に、ブレーンの近くに俺たちを配置させて、同調する。すると力をお前らに貸せるんだよ。わかったか?」
「わかると思うか?」
「イシンデンシン・ソウシソウアイってやつ?同調してる間は、俺たちは一心同体になるってこった。」
少なからず四字熟語の使い方は間違っている。しかし言いたいことはわかった。
「つまり、やってみろってことだろ」
リュウは鞄の中のアレックスに手を伸ばすと、アタマにポンとのせた。
瞬間、体の奥から何かが湧いてくるのを感じた。
力が漲り、目が冴え、遠くの音が聞こえる。神経は研ぎ澄まされて頬を吹く風がいつもより冷たく感じる。
そして破壊衝動や何かに対する苛立ちを感じる。
…常に冷静にいなくてはならない。リュウは心に決め、息を吐いた。
「よし、行くぞアレックス…」
いつもより軽い体で一歩踏み出す。そして、力を込めて安全柵を飛び越えた。

誓い

安全柵を飛び越え、気がつくと塀にしっかりとしがみついていた。
「おお…」
ちょっと怖くなって目を瞑っていただなんて、らしくないじゃないか。
よく見ると爪が鉤爪のようになっている。この爪のお陰でこの真っ平らな塀にしがみつけるのだろうか。これが悪魔との同調、一心同体なのだろうか。
辺りを見回すと改めて高さを感じる。怖くない。もうこんな高さまでこれたのだ。
リュウは息を整えて、腕に力を込めた。
この壁を登るのにさほど力は要らない。普段歩いているように手と足を使って、頂上へは一分もかからなかった。
頂上ではヤエコとジンが塀の向こう側へ足を出して腰かけている。
「どうよ、初めての悪魔との同調は?」
…自分はプロみたいな言い方しやがって。たしかに俺は初めてだけれども。
「綺麗ね。」
ヤエコはこちらに見向きもせずに言った。
何が綺麗なのか、そう問おうとしたが顔を前へ向けて気付いた。
「…外の世界…」
前方に広がるのは、自分たちの知らない広大な世界。
「こんな高いところにいるんだから、トウキョウ全体見渡せるんじゃねぇの?」
「…まさか。」
「でもお前、トウキョウの規模なんて知らないだろ。」
「ハイハイ、そうですね。見渡せるんじゃないですか。」
ジンの問いかけにリュウはふんと頬を膨らませた。いちいち面倒くさい奴だ。
「これから、どうすんの?」
リュウも二人の隣に腰かけた。
「…わからない。」
ヤエコは首を振る。
「あんれー、天下のヤエコ様も景色に圧倒されてんすか?」
また余計なことを。でもコイツは凄くふざけたようで結構核心をついたことを言う。
「ま、とりあえずここを降りて真っすぐ行けば良いんじゃないの。これ以降は誰も何も知らない…そうでしょ。」
ヤエコは二人の顔を順々に見た。
「おーおー。」
リュウは面倒くさそうに手を振って見せ、ジンはいつもの様にフフンと鼻で笑って勢いよく立ちあがった。
「よし、ちょっとここで誓い立てようぜ。」
「は?」
ジンのいきなりの提案にリュウは眉間に皺を寄せた。
「1人1つずつ、これから約束してほしいことを言うんだ。必ず守るんだぞ?」
「…なんでそんなこと。」
ジンは目前の広大な景色を目を細くして見つめた。
「ケジメ、だよ。こっから先何があるか俺たちは知らねぇ。何事も新たなスタートを切るときは約束や目標を立てて方がいいんだよ。」
「…いいわよ。のった。」
ヤエコも立ちあがって頷いた。リュウもそれに続いて渋々立ちあがった。
「ひとつ!絶対に誰かが血を流すようなマネはしないこと!」
ジンは二人に向かって手を突き出した。
「…ふたつ。常に我を見失わないよう冷静でいること。」
リュウはジンの手の上に己の手を重ねた。
「みっつ。女のあたしをちゃんとサポートすること。」
ヤエコもそのうえにそっと手を載せた。
「なんか一個私事が入った気がするけどよし!これが今から俺たちの戒めだ、いいな?」
「おう。」
「ちゃんと守んなさいよ。」
何故だか俺の鼓動は速まった。

この塀から再度飛び降りる際に、ジンに「怖気づいたか?」と聞かれた。あそこに戻るくらいだったら落ちて死んだ方がマシだと、そうリュウは答えた。
これから追われるのは事実。施設が俺たちを放っておくわけがない。子供を守る~なんぞ言っておいて放置したら、国民になんと言われるだろう。おまけに、施設のバックは政府だ。
その逃避行がたとえどんなものであれ、そんなのはどうでもよかった。塀を飛び降りて地面に足を着けてみれば、なんとも言えぬ感情が体を支配した。
初めて歩いた外の地面は、すごく硬かった。
「さて…歩きましょう。」
頭からぬいぐるみをとると、急に体が重く、五感が鈍くなったような気がする。でもこれは元に戻っただけの話だ。
「トウキョウ…そりゃ地理では習っているけれども、細かくはやってないもんな。」
ジンは頭の後ろで手を組んでどこか遠い空を見つめていた。
「実際に経験してみないと、結局は知らないのと同じだろ。」
リュウはいつも自分がそうしているようにポケットに手を突っ込んで言った。
目の前にそびえたつたくさんのコンクリートの塊。これがかつての人間が悪い意味で使っていた"コンクリートジャングル"というやつだろうか。
ヤエコも興味深そうにあたりをきょろきょろと見まわしている。
「…急いだ方が良いんじゃねえの。」
リュウはビルを横目に見ながら二人に言った。
「今の時間でどれだけ施設から離れられるかが勝負なんじゃないの?なんとなくだけども。」
「でも俺もう走りたくないもん。」
「街中で走ったらかえって怪しいだろ…さっさと歩こうって言ってんの。」
「あ、あれ可愛い。」
「おい!お前も人の話を聞け!」
すべてが初めて見るものだから興味を惹かれるのはよくわかる。だが、今はそんな場合なんだろうか?
「なあ、追手はどこから来るんだろうな?施設から来るんだったら施設の中か?それともどっか特別な場所から出てくんのかね。」
「あー…、さあ。でもとりあえず施設から出てこられたら困るだろ。」
「とはいえここは日本よ。何かが走って追いかけてくるなんてあるのかしらね。どちらかというと気づいたら追いこまれてるって可能性が高いと思うわよ。」
「じゃあ暫くは余裕でいられるか―…」
「おい!そこの子供待て!」
急な怒声に、リュウはジンとヤエコを睨んだ。ほら、来たじゃないか…
「こっち来ないでぇーッ!待たないもん!」
小さな子供が、三人の横を全力疾走で走り抜けていった。
三人が目を丸くしていると後ろから数人の同じ制服を着た大人が追いかけてきた。
まず、外に子供がいるということに驚きを隠せなかった。そして次に、その数名の制服の大人が茫然と立ち尽くしている三人を無視してすり抜けていったことだった。
「あの子供、追われてんのか。」
ジンは腕を組んで言った。
「そもそもなんで外に子供がいるんだよ?」
「…子供を手放したくない大人はまだいるんだよ。」
ジンは声を低くして、逃げる子供の後ろ姿を見つめながら言った。
「…そうなのか?」
子供を施設に預けるのが法律じゃなかったのか?大人はそれが良くて認めたんじゃなかったのか?
「…なあ、アイツ助かるかな。」
「助かるってどういうこと?」
ヤエコが完全にジンを疑った目で見始めた。
「あの子供は捕まったら施設に入れられるぜ。そんでもって俺たちみたいに親から離れて暮らす…なあ、ちょっと追いかけてみないか?」
「…なんでそんなこと知ってるんだよ。」
「あたしも少しあの子が気になるわ。」
リュウの質問はヤエコによって遮られた。子供なんて他人なんだから気にしなければいいのに!法律破って外にいた子供だぞ?
「話は後で必ずしてやるよ。行こうぜ!」
ジンは後を追って走り出した。
「仕方ないな。」
リュウとヤエコもその後に続いて勢いよく走りだした。

天使

しばらく大人をこっそり追いかけていると、大人が散り散りになりはじめた。
「見失ったんだ。」
ジンは言った。
「そんなのわかってるわよ。」
ヤエコがすかさず口をはさんだ。
「そこまで世間知らずじゃないわ!」
「お前ら、子供じゃないだろ。ましてや俺より年上だろうが。大人げない。」
ふん、とリュウは鼻を鳴らした。
まとまりのない団体御一行だな、全く。俺もだけどよ。
「…あの子はどこに行ったのかしら。」
1人の大人がさっと三人の前を走り抜ける。三人は息を殺してビルの陰の奥へ隠れた。
「捜すのか?逃げられたんなら深く詮索する必要ないんじゃあないか?」
「お前つまんないヤツだな、法律やぶって街に子供がいるんだぞ?話聞いてみたいと思わねえの?」
「あんまり。ムカつくんだよ。」
「まあ、そう言うなよ。失せ物は失ったところから捜す。それが基本だ!いいよな?」
「は?」
「見失った場所を捜せば出てくるってことでしょ。アンタ馬鹿ね。」
「うるせえ」
ヤエコとジンがやけに子供に興味を持っているのが、リュウの胸にもやが渦巻いた。
俺は、嫌だ。結果的に早足で歩くジンとヤエコの後ろ姿をのろのろと追いかけることになった。
「どこにいんだろうな。撒いたってことはたぶん、隠れたんだろ。」
「あれだけ体が小さければどこにだって隠れられるわよ。大人の体じゃ入れないような…」
あたりを見回す二人を後ろから横目で見ていた。そんなことより、建物の窓が綺麗だ。
そんなことを考えていると突如、頭上から小動物の鳴くような弱い声が聞こえた。
動物?温室の外で生きてる動物なんて見たことない。こんなところにいる動物って…
見上げるとそこには木があり、必死になってしがみついているあの例の子供がいた。
「あっ、おい馬鹿ッ」
「う、うわあぁっ!お兄さんどいてどいて――……!」

突如背後から鈍い音がして、口論をしていたヤエコとジンが振りかえった。
見るとそこには、ぺたんと座ったリュウの膝の上にあの例の子供がちょこんと座っているのだった。
「は?」
ヤエコとジンは声をそろえて2人に腹の底から出た言葉を投げかけたのだった。
「ごめんなさいッごめんなさあぁいッ!」
子供の方は泣きじゃくり、また顔を見せまいと必死に手で顔を覆っていた。
「見逃して!お願いだから施設なんかに連れてかないでよう!」
なぜだか知らないが赤の他人に必死に謝る子供の手を、しっかと掴んでリュウは子供の前の手をどけた。
「落ちつけ、落ちつけよ。俺たちゃお前を施設になんか連れてきゃしねえよ…」
そこまで言った時、リュウは子供の顔を見てはっとした。
涙に濡れたまつ毛とそのキラキラした丸い瞳。こんな目をした奴、見たことない。
「ほ、ほんとに…?」
子供にリュウが希望を持たせた途端、子供の瞳は一段と輝き始めた。
「ほんとに?連れてかないの?大丈夫?」
「おう、おう。とりあえずそこどいてくれるかな。」
「あっ、ごめんなさい。」
子供はすっくと軽やかに立ち上がった。それを見届けてリュウも立ち上がった。
「ありがとう、お兄さんたち…施設出てきたばっかの人?」
「ちげぇよ。」
途端、今まで何も口を出さなかったジンが子供の前に立った。
「俺たちはな、ちょっといろいろあってあの施設から脱走してきたんだよ。」
すると子供は大きな目をさらに大きくさせた。
「えっ!あそこって誰も入れないし、誰も抜け出せないんじゃないの?」
おうよ、とジンは子供に視線を合わせるために少しかがんだ。
なんだ、あいつ、プロか?
「まぁな。俺はジン。あっちがヤエコで、こっちのでっかいのがリュウ。」
「うん、ジンくん、ヤエコちゃん、リュウくん…覚えた!」
そして子供は少し笑顔でリュウとヤエコの顔を見、最後にジンの目をじっと見て言った。
「僕はね、ニコル。ヤマザキニコルっていうの。」
で、出た!キラキラネーム!!
するとジンはニコルに頷いて見せてからリュウに向き直って
「仁義の仁、子供の子、流れる、だな。」
と言った。
「俺は笑う、笑でニコで留学の留と見た。」
ヤエコは意味がわからずポカンとしていたが、やがて気付いて
「あんたら馬鹿じゃないの。ここで賭けなんかしてる場合?」
2人に呆れた。
「えっとねー、おしい!笑うでニコで流れるでルだよ!ママがね、笑顔であふれた子になってほしいって思ってつけてくれたの!」
そういって幸せそうに笑うニコルは、その名前がよく似合う愛らしい笑顔を浮かべた。
すると遠くから先ほどの大人の声が4人の耳に聞こえた。
「やべっ、逃げるぞッ」
「ジンくん待って!こっち!」
ニコルはジンの手を引っ張った。
「ヤエコちゃんも、リュウくんも、ついてきて!」
ニコルは駆け出した。

案内された場所は路地裏の…どう見ても教科書や本で見たようなゴミ収集の箱だった。
ニコルはゴミ箱を開けてゴミの中に手を突っ込み、底を外した。
するとなんと大人4人ぐらいがかろうじで身をかがめて隠れられそうなスペースがそこには存在した。
「町の皆が作ってくれたものなんだ。早く入って!」
言われるがままに3人はゴミ箱の隠しスペースに押し込められ、最後にニコルが隙間に身をかがめて入ってフェイントの底とゴミを上に乗せた。
そこそこの年齢の若者が3人と子供が1人、ヤエコやニコルはさほど苦しくはないだろうが、ジンやそれなりに身長のあるリュウにとってみたら苦しい以外に何もなかった。
大人の声と足音がバタバタと過ぎ去り、また戻ってきて、それを幾度となく繰り返した。
外のその状態に4人は息をひそめる他なかったのだが、若干名息が詰まっていたため返ってゴミ箱の中は騒々しくなった。
誰かが誰かの足を踏み、誰かの手と誰かの手が触れて何故かはたかれ、その反動で誰かの頭に誰かの肘鉄が当たり、といった具合に。
こんな低レベルな戦いしてて良いのか!とリュウは心の奥底で叫んだが、リュウも誰にも体を触れられたくない人間であったので誰かしらの何かが体に触れてはよけ、そのおかげで誰かに体のどこかしらがぶつかるのだった。

結局足音やら声やらが完全に聞こえなくなった頃になってもお互い納得できあえる体勢をみつけることはできずに終わった。
ニコルが少し蓋を持ち上げて外を見まわし、安全を確認した後に蓋をあけて狭い戦場から全員抜け出した。
「いってぇ、誰だよ俺の頭になんかぶつけたヤツ」
「知らねえよ。暗いからなんっも見えねえし!何よりお前でけぇから邪魔なんだよ」
リュウが頭をさすって文句をいうと、ジンが腰をさすって文句を返してきた。
「はぁ!?よくも言ってくれるな?お前が小さいだけだろ!」
「うるせえ黙れ!」
「あんたらうるさいのよ!ちょっとは静かにできないの!あとあたしの脇腹触ったヤツ出てこい!」
実際にリュウは男子の平均よりずっと背が高かったし、ジンは平均身長より少しだけ背が低かった。そしてうるさいのも事実であった。
そんな3人のやりとりを笑って見ていたニコルは、ヤエコの後ろ姿を見てあっ!と声を出した。
「ヤエコちゃん、髪の毛…」
ニコルはヤエコのギザギザに切られてしまった髪に手を当てた。
「誰かにされちゃったの?酷い!」
心配そうに見つめるニコルに、ヤエコは思い出したようにああ…と声をもらしながら目を細めた。
「別に良いのよ。髪なんてまた伸ばせば…」
「良くない!良くないよ!」
ニコルはとたんに怒りを含んだ声でヤエコの言葉を遮った。
「女の子なのに!ニホンの女性の髪は命なんだよっ!…そうだ!良いところがあるよ、行こう!」
そしてニコルはヤエコの手を取って、その手を握ったまま歩きだした。
つられてヤエコも歩きだし、おい待て、とリュウとジンもその後ろに続いて歩いた。
「どうしよう、惚れそう。」
ヤエコはジンとリュウに振り返ってニコルに聞こえないよう小さな声でそう言った。
「あんたらなんかよりずーっと紳士ね!」
ヤエコの自慢げな、不敵な笑顔に、ジンとリュウは腹の奥からふつふつと沸く何かをぐっと抑えた。

現実

ヤエコがニコルに手を引かれてついていくと、店が一本の道に並ぶ場所に出た。
「…なんだこれ。」
「商店街だよ。」
ジンは答えた。商店街、へえ…。
「…そうだ、お前、なんでそんなに外の世界について詳しいんだった?」
後で話す、と言われてすっかり忘れていた問いを今さら思い出した。
「ああ、話すって言ってたんだよな。俺な、小さい頃は外に住んでたんだよ。…母親が俺を隠して外の世界で生活してたんだ。法律を破って。」
リュウは驚嘆の限りを尽くした。
「ずるいと思うか?…思うだろ、さっきつまんなそーな顔してたもんな。お前の両親は法律守ってちゃんとお前を施設に預けたんだろ。誇らしく思えよ。」
「はぁ?何抜かしてんだよ…。どんな理由で預けられたのかなんて知らねえし。」
顔、見たこともないんだぞ。
「ふん…そうだといいだろ。お前のためを思って預けてくれたんなら、幸せだろ。な?」
リュウは表情を曇らせた。
「なんだよ。何が言いたいんだ?」
「…中にはな、子供を大切に思って、法律を守って施設に預ける親とな、大切に思って隠して身元に置く親がいるんだよ。…ニコルもそうだろ?」
すると小耳にはさんでいたニコルが振りかえった。
「うん!そうだよ!」
そうかそうか、とジンが笑って首を縦に振った。
「でもな…さっきの大人いたろ、あいつら施設の奴らなんだけど。あいつらに見つかってな…追われて、捕まって、結局施設に入れられたんだよ。俺が何歳の時だったかなァ…7歳の時かな。たしか。」
「ふゥん…。親は?どうなったんだ?」
「ああ、俺は片親なんだけど。子供を隠してる親も、見つかったら再教育施設?かなんかに1年送られる。法律違反に変わりはないんだが刑務所とは少し違う特別な施設に連れてかれんだ。前科はつくけどな。子供を隠して手元に置いておくのは重罪らしいぜ…。今は出所して相変わらず外で暮らしてるけど。」
「ジンくんのお母さんもなの?僕のママも昨日つかまっちゃったんだ…。」
僕だけ逃げ切ったんだけど、とニコルは付け加えた。
「ふふん…これがな、結構いるんだぜ?隠してる親。俺のとこの近所も、そうだな…4,5人いたかな?あいつらがどうしてるかなんて今はわかんねえけど。」
「4,5人なの?」
ニコルは不思議そうに聞いた。
「この町にはね、もっといっぱいいるよ!僕が一番年上なんだけどね…」
ニコルは、あの輝く笑顔を見せた。
「ニコルは?何歳?」
「僕ねー、14歳!」
「14!?」
ニコルの年齢の発言にすかさずジンが声をあげた。
「14!?14にしてはちょっと…」
「童顔だな。」
ジンが渋った本心をリュウが躊躇いなく代弁した。
「あーん!それね!よく言われる!」

顔と、声と、仕草がどことなく子供っぽさを醸し出すニコルはリュウの目には12歳ぐらいに映っていた。
「あ、ここ、ここ!」
そしてニコルはジンとリュウに待っててね、と告げてからヤエコの手を強く引っ張ってガラス張りの店へ入って行った。
リュウとジンはじっとその店の中を覗き込んでみた。
無数の椅子に無数の鏡…ヘアサロンか?
出てきた店の主人と思わしき女に、ニコルがあの笑顔で手を合わせて何か言っているのが見える。
「へえ、ヤエの髪を整えてやろうってことか…あいつ、なかなかやるな。」
将来大物になるぞ、とジンは鼻で笑った。
店の女主人は頷き、外を確認してからヤエコを店の中にある扉の中へ招き入れた。
「なあ、信用していいのか…?」
リュウがつぶやくと、ニコルが外へ出てきた。
「お待たせー!ちょっと時間かかるからどっかで暇つぶそう…」
「え、どっかってさ、お前」
「大丈夫!ここの町の人はみんなね、施設の法律に反対しててみんな子供を隠してるんだ!だから協力的だし、施設から逃げてきたなんて言ったらみんな喜んじゃうよ!」
ニコルは右手でジンの左手を、左手でリュウの右手をとって歩き始めた。
「兄弟~!」
ニコルは大きい声で言い放った。
「やめろ!ばか!お前は良いにしても俺はジンなんかの弟になんてなりたくねえ!」
「は!?せっかくニコルに和んでたのになんなのお前!?俺だってお前の兄貴になんてなりたくねえよ!ばか!」
ニコルはより一層2人の手をぎゅっとつかんできゃっきゃと笑った。

商店街をしばし歩いていると、ジンの瞼に冷たい何かが落ちてきた。
空いている手で触れてみると、それは水分だった。
「あれ、雨。」
「え?降ってきた?」
「降ってきたな。」
リュウも同意すると、ニコルがやっだー!と声をあげた。
「雪ならあんまり濡れた気はしないのに、雨って濡れるよね!」
物理的には同じ水分じゃね?とリュウは突っ込もうとしたが、子供相手にそれは大人げないか、と口を慎んだ。
「そしたらー、みんなのところに案内するよ!」
と、言い終わるか言い終わらないかのうちにニコルが走り出した。
「うわっ!お前、元気だな!」

寂れた路地裏の錆びた扉を開け、暗くて狭く湿っぽい通路を進み、小さな部屋に出た。
ニコルはその部屋の床の1つのタイルをはぎとり、2人に見せた。
目を凝らすと…ふん、梯子が下に向かってかかっている。
「ここを降りるとね、みんないるよ!」
お前らはミミズか?そんな疑問がリュウの頭の中をよぎった。
なんだか最近心中の独り言が多くなった気がする。
ニコルが先導して梯子を降りると、ジンとリュウも後に続いた。最後のリュウはタイルを下から丁寧にはめなおした。
降りてすぐ目の前に扉があり、ニコルが2人が降り切ったのを確認してから扉をあけた。
「たっだいまー!!」
ニコルは元気よく駆け込んだ。
その部屋には明りが煌々とついているらしく、扉から漏れ出した光にリュウとジンは目を細めていた。目が慣れてきてじっと部屋を見てみると…
…子供だ。

「またあの例の制服の大人に追われちゃったよー!大変だったのー!」
「またぁー?ニコちゃん最近毎日追われてるねー!」
「本当だよぉ、でもね、そこにいるお兄さんたちが助けてくれたんだよ!」
急に話を振られたリュウは非常に戸惑った。
「どーも。」
ジンは慣れた仕草で子供たちに手を振った。
子供たちはびっくりして、ニコルにしがみついた。
「大丈夫だよ、施設の人じゃないよ!っていうかね!あの施設から脱出してきたんだって!」
そうニコルが紹介すると、子供たちは目を輝かせ始めた。
「わぁ!凄い!」
子供たちが入って入って、とジンとリュウのスラックスの裾をつかんで招き入れ、扉を閉めた。
「今日はタイガさんはー?」
「来てるよ!奥の部屋!」
「タイガさん?」
ニコルの口から出た人物の名前にリュウは尋ねた。
「そう、タイガさん!一昨年施設から出てこの町に戻ってきた人なんだー!僕たちに無料で勉強教えてくれる良い人なんだよ!」
そしてニコルは、この大部屋の端っこにある扉へ2人を案内した。
入ってみるとそこは机と椅子のたくさん並んだ、前面にホワイトボードのあるたしかに学校を想像させる部屋となっていた。
教卓と思わしきホワイトボードの前にある机から男が姿を現した。
が、とっさに体を起こしたらしく、机に頭をぶつけた。
「いってぇぇー!」
「タイガさん!?」
ニコルが駆け寄って、タイガに手を貸しつつ落とした紙を拾い集めた。
「もう教卓の下に物置くのやめようかなぁー、お!?」
頭をさすさす立ち上がると、リュウとジンのポカンとした顔に気づいた。
「…第一の制服じゃん!お前らどうしたの!?」
タイガは驚愕の限りを尽くしたような表情で2人に駆け寄り、何故かリュウの両肩をしっかりとつかんで揺さぶった。
「え、いろいろあって、ちょ、おぇ、やめてください」
リュウの血色がいっきに青白くなったのを見てタイガははっとして手を止めた。
「ごめん!大丈夫?」
リュウは頭を抱えて手をひらひらとさせて大丈夫だ、という意を見せた。代わりにジンがタイガの方を向いて質問に答えた。
「俺たち抜け出してきたんすよ。あの施設から。」
「え!?あそこって出られなければ入られもしないはず…」
まあ、ちょっとね、とジンはにっこり笑った。

とりあえずジンは抜け出してきた旨を告げると、タイガは2人に座るように勧めてタイガも2人も、ニコルも座った。
「俺もあそこ出身なんだよ。生まれてから10年くらいこの町で暮らしてたんだけどな?見つかっちゃってさー。施設に入れられて。一昨年やっと卒業だよ。」
タイガは笑った。
「この町で10年も育ったせいかな、施設法が気に食わなくて。戻ってきたら相も変わらず町の人は子供隠して生活してるし、施設内の人と違って子供は目を輝かせてるし。なんか役に立ちたくなっちゃって。だろ?あの施設から出てきて唯一できる事と言えば勉強を教えるぐらいしかなくてさ…。」
そしてタイガは自分の胸を叩き、立ち上がって言った。
「ま、お前らも抜け出してきたってことは、あの施設が気に食わなくてだろ?この町に来たからは安心しろや!俺たちが守ってやる!」
この人、熱いな。始めてみた。これが熱血漢というやつか。
途端教室の扉が開いて、先ほどの女主人に連れだってヤエコが入ってきた。
「どうも!お届けだよ!」
「わぁヤエコちゃーん!」
ニコルが瞬く間にヤエコに飛びつきに行った。
「わぁ!びっくりするじゃない!」
なんだかヤエコも楽しそうだ、な。
「ばっさり切ったね!前下がり?可愛い似合う!キララさんカット上手だな~!」
ニコルの最高の笑顔と褒め言葉に、女主人は満足そうに頷いてヤエコも少しはにかんだ。
「あいつ、やるな。ああいうのなんていうか知ってるか?」
ジンはニコルを見ながらリュウに問いかけた。
「レディキラー。」
「よく知ってんじゃん。」
「いや、あいつはオバサンキラーだぞ。」
タイガが2人の会話に口をはさむと、どこからか靴が飛んできてタイガの顔面に直撃した。
「いっててて!ごめんなさい!キララさんはレディです!オネエサーン!」
女亭主はタイガに近づき、頭を軽く小突いてから靴をタイガの手からひったくった。
「まったく!あんたね!二度と髪切ってやんないよ!」
その女主人の気迫にリュウは圧倒されたが、ジンはニコニコしていた。
「俺、キララさんみたいな強い女性好きだなー。」
ジンの笑顔で発した言葉に、リュウは二度見した。
「あらー!よくわかってるじゃない!今度髪伸びちゃったらおいで、オマケしてあげるよ!」
キララは機嫌良く扉まで歩いて行き、じゃあね、と小さく手を振って出て行った。
そしてジンは目を細めて口に少し不敵な笑顔を浮かべてリュウに言った。
「世渡り上手、と呼べ。」
は、はあ…。

タイガがヤエコに手まねきをするとヤエコが戸惑いながらこちらへ向かってきた。
ヤエコとジン、リュウの間にはしばし無言の時間が流れた。
「ど…どぉ?」
ヤエコがその無言に耐えきれなくなって、おずおずと聞いた。
若干顔が赤い。そんな質問をしたことがこれまでにないのであろう。
昨日まで腰まであった長い髪を大胆に前下がりにカット。前は鎖骨までぐらいで後ろは肩につくかつかないかのところまで、斜めにそろえて切られている。
「似合うじゃん、いいんじゃない?俺的にはそっちの方が好き。」
ジンは頬づえをついてそう言った。
「そ、そう?あ…ありがとう。」
ヤエコは完全に下を向いた。
こっちが恥ずかしくなるわ!馬鹿ども…
「もー、初々しいなぁ!青春だなぁ!」
タイガはヤエコの隣の席に移動してヤエコの肩を叩いた。

それからタイガと少しこれまでの経緯の話をしてから大部屋に戻ると、子供たちどっと囲まれて「遊ぼう」の誘いに無理やり乗せられたのだった。

Colors.

Colors.

近い未来、少子高齢化の進んだ日本の政治は道を外して行く。 個性とはなんなのか、社会とはなんなのか。 悪には悪なりの正義があり、正義には正義なりの悪がある。 何が本当で何が嘘なんだろう。 何が良くて何が悪いんだろう。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-11

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