ー 九十三歳のスピットが書く移ろふ愛の形 -
その縁、そして運命のラブ
初めて逢った時に、感じるものがあれば、それは既に二人は、互いに惹かれているのだ。
若い時は、フィーリングがあえば、昔と違って、障害物がなく、自由だから「愛してるよ。結婚しよう」と、熱くなり、後、先を考えずに、真っ直ぐに突っ走る。
だが、月日がたつにつれて「こんな筈じゃなかった」と、互いに思い、あっさり別れる。子供が生まれていても関係ない。愛しているといって、結婚した若い親から生まれた子供は災難だ。実の父母のどちらかと、生別しなければならない。
私の遠縁の息子も、成人式前に、同じ年頃の可愛い女の子と、手を繋いでやって来て「好きなんだよ。愛しているんだ。応援してよ」
と、いう。
日頃、息子の母親から
「車を乗り回して、大きな事故でも起こされたら、まだ、親の責任があるからね。ハラハラするわ」
と、来れば、愚痴を聞かされている私は、すぐ、電話を掛けた。
「どうする? 結婚をしたいといっているけれど」
息子の生活態度を持て余している母親は、むしろ、乗り気で
「いいわよ。嫁さんに渡してしまえば、親の責任がなくなるからね」
と、渋る父親を説得して、二人を結婚させたが、共稼ぎのバイト夫婦は、じきに、お互いの欠点が目に付き、今度は、誰にも相談せずに、子供が生まれているのにさっさと、離婚届を出してしまった。
別れた二人は、元妻の方は、実家に戻らずに、バイトをつづけながら、アパートで子育てをしていた。元夫からの仕送りがあるといっても、子供を保育所に預けて働くことが、どれ程、体力的、経済的に大変なことかと、骨身にしみた。
元妻は、バイト先で知り合った。離婚して一人暮らしをしている。大手会社の社員が、何時も子供にと、お菓子やおもちゃを持たせてくれるのに、心を動かされて再婚する。
専業主婦におさまった、元妻は、まもなく女の子を出産する。
遠縁の息子の方は、もう、結婚はこりごりだといって、親元で気ままに暮らしていた。
ところが、海外旅行に出掛けた息子は、空港で、馴れた態度で、外国男性と英語で話している女性に、不案内な旅行先のことを尋ねたことから、交際が始まり、その女性と結婚したいといって、相手を両親の元に連れて来た。息子の母親は、又、乗り気になり
「会社の社長の娘で、大学を卒業してから、ずっと弁護士の法律事務所で働いていて、おまけに初婚なのよ」
と、ほくほくしている。
娘の両親の方は
「バイトなんかしている男は 駄目だ」
と、撥ね付けるが、遠縁の息子の父親が元公務員だと知ると「身元が確かなら」
と、渋々、承知したというが、実際は相手は、もう妊娠していたのだ。
結婚なんかこりごりだといっていた息子の、なんと手回しのいいことか。初婚の相手に、はや、子供を作っている。
息子は、新しい妻の父親の経営する会社に入社して、今では、すっかり、父親に気に入られている。
子育てに苦労した元妻は、賢くなり、どちらにも子供が生まれ、生活も安定しているので、仲立ちして、両方の家族が行き来きするようになる。
元夫は、自分の子供を育てて貰っている引け目があるので、新しい夫に下出に出て、相手を立てる。新しい夫は、悪い気がしないから、後から生まれた自分の女の子同様、妻の連れ子の男の子を可愛がる。
元妻は、元夫が来ると
「この子はパパ似ね。パパそっくり」
と、いって、元夫を喜ばせた。
新しい夫には
「なんだか、この子は、大分、お父さんに似てきたわね。どうしてか知ら」
「そりゃ、一緒に暮らしていれば、自然に似てくるんだな」
と、新しい夫は、嬉しそうに笑う。
賢くなった母親に育てられている子供も賢くなる。
「パパ、パパ」
と、実の父親が来ると、飛びつく。
新しい父親が勤め先から帰宅すると
「お父さん、お父さん」
と、妹より先に飛んで行く。
そして、両方の父親から、何かと、プレゼントを貰っている。
元夫の新しい妻も女児を産むが、長い独身生活と、今もキャリアウーマンとして、働いているせいかものごとにこだわらない性格で、元妻とすっかり、仲良しになり、家族旅行に一緒に出掛けたりしている。
時折り、二夫婦は、子供連れで、私のところに、旅行の土産などを持って遊びに来る。
私は、遠縁の息子の母親に、電話を掛ける。
「なんだか、新しい親類が増えたようで、妙な気分よ」
「先の結婚は、ご縁がなかったのよ。今度は、息子も元嫁も性根がすわって、お利口さんになったから安心よ」
母親は満足そうに、先の結婚はご縁がなかったのよと、力説する。
昔人間の私は、呆れるやら、世の中は変わったのだと、感心したりするのだった。
哀切極まる最晩年のラブだった。
恋というのには、余りにも切なく、初めから別れが前提の二人の出会いだった。
必然的な出会いだったが、初対面から互いに意識した、僅かな時間だったが、毎日、逢うちに、相手に惹かれてゆく。
しかし、余りにも年齢の差は大きかった。そのことをハッキリ自覚しているのに、逢えば、自分を信じて、頼りにしている相手が、はるかに年上であることを忘れた。二言、三言と、言葉を交わすだけで、相手の気持ちが伝わってくる。
「お顔を見たら、安心出来る」
と、あの人はいった。
あたりに人がいるので、マスクをずらして、ちょっとだけ顔を見せる。あの人は微笑む。何か話したいと思っても、言葉数の少ない相手なので、何もいえず、何時もものたりない思いが残った。
これが、運命というものなのか。
最初に逢った時から、笑顔に安らぎを覚えた。逢う日が重なると、自分の年齢を忘れて、気持ちが高ぶる。僅かな言葉の中にも、誰もが入れない二人の世界があった。
別れの日が近づいている。
私は、決心しなければならない。
今日は、どうしても話をしなければならないと、心をきめて、あの人のところに行く。無言で私を迎えた相手に
「私のいう通りするね」
と、いうと、かすかに頷く。
「大丈夫、任せなさい」
うなだれるあの人の手を取る、と、
突然、
「先生のお人柄が好きなの」
か細い小さな身体が、倒れるように、私の胸元に崩れた。
「分かっている。自分も・・・・」
と、いいかけた時、ドヤドヤと人々の足音がした。
束の間の抱擁だった。
「お人柄が好きだ」と、あの人はいった。では、自分を男としてではなく、頼り甲斐のある人間として、慕っているのだろうかと、又、疑いが頭に広がる。「お人柄」でなく「あなたが好きだ」と、いって欲しかった。
いよいよ、別れの日が近づく。
かねてから、計画して知らせてあった今後のことは、承知しているはずだった。
思いがけなく
「お人柄が好き」
と、あの人は、か細い身体を私に投げた。お人柄でもなんでも、今ではどうでもいい。心にわだかわっていた思いを、やっと、二人は確認したのだ。
職権で、無理を通せる立場にある。私は、ためらわずに実行した。
「好きだ」と、いう言葉を信じた。
じっと目を見る。じっと見つめ返す人に、心の中でつぶやく。
「好きなの。でも、いえない」
短く刈り上げた漆黒の髪、弾力のみなぎる若々しい顔、敏捷に動く身体
愛というべきなのだろうか。
前途ある人を好きになった自分が哀しい。
あの人は約束を守らなかった。
何故、ためらうのだ。
私は待つ、来る迄待つ。
約束の日は、あの人に聞いて決めたのだ。何故、あの時、
「きっと来るね」
と、念を押さなかったのかと、悔まれる。
先のことを心配する必要はない。骨と皮になる程、痩せ、全身の血液まで調べた、年相応の衰いた、あの人の身体のすべてを、自分は知っているのだ。
私は医師だ。年齢と共に、身体に変化が起きれば、私の勤務する病院にまた入院すればよい。主治医として、看取ることが出来る。
いらだった気持ちをしずめ、今迄のいきさつ振り返る。
「非常に、若く見える」
と、民間病院から搬送された時、スタッフから聞かされた通り、染めていない頭は黒髪が多く、化粧の全くない素顔は、一目で、実年齢より、二十歳以上若く見えた。
「主治医です」と、名乗ると、不安な目がパッと明るくなったのを思い出す。
外見ばかりでなく、独特の雰囲気をもっていた。口数が少なく、ぶっきらぼうとさえ思えたが、それが、子供のようにあどけなかった。笑顔が多いのに、時には、「いや」と、キッパリ、首を振る。
「いや、いや」と、すねるのを、なだめる楽しいひととき・・・・
私は、唇を噛み締しめる。
今、思えば、「お人柄が好き」と聞く迄は、一度も「あなたが好きだ」と、いわれたことがないのに気付く。
困難な疾患を治療したのだ。治りたい一心で、好意を見せていたのだろうか。偽りの態度であったとは思いたくない。だが、日頃、不満に思っている疑問が、頭を持ち上げ゜る。
さりげなく、触れた手を握っても、握り返す力が弱く、時には、握られたままでいる。気持ちが高揚して、心の内を話そうとすると、急に、丁寧な言葉になり、話を他にそらしてしまう。短い会話にも、ふと、涙ぐんだ目に合う。
込み入った話は出来ない。
常に、人の目がある。
私は信じる。一瞬であっても、互いの思いを認めあったのだ。
愛しているというべきか。
私は待つ。必ず、遅くなっても来ることを信じる。私の言葉が真実であるように、あの人の言葉も本当だと思う。
必ず来る。ニッコリ笑って「済みません、遅くなって」と、現れることを信じる。必ず来る。来て欲しい。私は待つ。来る迄待つ。
慕う気持ちに偽りはなかった。本当に、心から好きだった。毎日、接しているうちに、誠実な人柄に惹かれてゆくのを、どうすることも出来なかった。話していても、一度も相手が、自分よりはるかに年下だと思ったことはなかった。
優しい、親切にしてくれる、尊敬する先生と、心底思った。まして、原因不明の難病を治療してくれた、恩義ある主治医に嘘はいわない。
姿を見せなかったのは、生活のない場所に、芽ばえた愛情に耐えられなかったのだ。何時も人目を気にして、慌ただしく逢い、別れる毎日が辛かった。約束通りにしても、限られた今迄と、似た日常がつづく。
別れる前に「愛しているの」と、告げたかった。衝動的に縋った時も、「お人柄が好き」としかいえなかった。
好きで、好きで、本当に好きなのに、自分の年齢を考えると「愛している」と、いえなかった。
月日は過ぎてゆく。
あの人の、居たところを通る時がある。かつての日のような、慟哭はない。懐かしい面影が思い出となって、脳裏を横切る。
今日も、多忙な診療の一日になる。
歳月は無常にも、生きる者の思いを忘却の彼方に消してゆく。
あれから、どれ程の月日が流れたろうか。
隣県の息子一家の元に、身を寄せている。あのしめつけられるような、胸の痛みはない。
今日も、写真を眺める。
「写真が欲しい」という私のために、わざわざ、撮ってくれた写真を、しみじみ見る。涙が溢れる。返らぬ日の思い出は、嗚咽となって、甘えられた人のいた幸せを・・・・甘えさせてくれた人の幸せを・・・・
ー 九十三歳のスピットが書く移ろふ愛の形 -