鳥取県民へ

――鳥取郊外・神経外科的景観

鳥取の空は、巨大な病院の待合室のように白かった。

私は毎朝四時に起き、新聞を配達した。新聞には前日の事故、政府の発表、株価、死亡広告が印刷されていた。私はそれらをマンションの郵便受けに投函した。住民たちは眠っていた。彼らの夢の中では、放射線量が天気予報のように表示され、子供たちの甲状腺が小さな液晶画面になっていた。

「まだバイト解雇されていないっす」

私はそう報告した。誰に報告しているのかはわからなかった。坂の途中にはグラジオラスの群落があり、花弁の奥で小さな監視カメラが回転していた。タチヒロシが緑色の制服を着て、途切れないよぉ、と呟いていた。彼の声は朝刊の折り目に挟まっていた。

私の不幸の訳がわかる、と題された本は、とうとう読めなくなった。複視が進行していた。文字は二重になり、二つの文字の間には第三の文字が生まれた。第三の文字は私の母の名前だった。私は弁当を見つめた。透明人間をデザインしろ、と誰かが命令した。透明人間は中国では通用しない。中国では弁当の中身までが国有化されているのだという。

ある夕方、マンションの郵便受けに新聞を入れようとしたとき、肩を叩かれた。

「私が樋口です」

樋口さんは、年齢を測定することのできない女性だった。彼女の顔には、長期間使用された医療用マスクの跡が残っていた。彼女は自分の病気について話した。日本では治療できない。アメリカなら治療できる。私は彼女をアメリカへ送るための書類を探したが、書類はすべてタクシーの領収書に変わっていた。

「アメリカ人を総動員して、樋口さんの病気を治してくれ!」

私は東京郊外の駅で叫んだ。駅のホームには誰もいなかった。電光掲示板には、オナラのタンゴ、という列車名が表示されていた。中濃ソースでもウスターソースでもない委託者ソースを、ヒデキがトンカツにかけていた。ソースは肉の表面を覆い、やがて国土全体に広がった。

私は仕事を辞めることを考え始めた。

自立。定職。独立。

これらの言葉は、三つの異なる製薬会社が販売している錠剤の名前に似ていた。服用すると、患者は自分の将来を想像できなくなる。私はその薬を飲まなかった。代わりにパチンコ屋の開店前清掃を始めた。便所を磨き、台を拭いた。パチンコ台の液晶画面では、同じ女が何度も微笑んでいた。彼女は私に、まだ働くのか、と尋ねた。

働いている間、私は子ネズミのことを考えた。

子ネズミは施設の配管を走り、壁の内側で繁殖していた。私は彼らの言語を再現しようとした。

ネズミ語

群生するのはクダサイ達でえ、走っているのはキッカイさんで、止まっているのは弟デス。

彼らは人間を恐れていた。人間は冷たいです。人間は私たちを殺すでしょう。そういう声が、壁の中から聞こえてきた。私は彼らに餌を与えた。パンくずと、新聞の死亡広告を小さくちぎったものだった。

やがて私は、ネズミたちが私の複視を治療しているのではないかと思い始めた。彼らは二重になった私の視界の隙間を走り抜け、そこに巣を作った。私は彼らの小さな足音を聞きながら眠った。

ある日、テレビが情報戦争の開始を告げた。

政府、電力会社、学者、報道機関。すべての組織が同じ顔をしていた。顔の中央には小さな郵便受けがあり、そこから安全です、という紙片が絶えず吐き出されていた。子供たちの未来は十年後に設定されていた。十年後の子供たちは、すでに成人していた。成人した子供たちは、かつての自分たちを守るために、また別の子供たちを生み出していた。

「私、明日自殺するんです」

道路に寝転んでいた女が言った。

私は彼女を見た。女の背後ではマラソン中継の車が停止していた。実況者は異様な声で、人生の残り距離を告げていた。私は彼女に返事をしなかった。そろそろ本格的にフルタイムの仕事を探さなければならない。家に帰り、充分な睡眠を取る必要があった。

しかし三カ月が経過した。

私は何も探さなかった。

樋口さんの病気は治らなかった。アメリカからの返事もなかった。グラジオラスは枯れ、花弁の監視カメラだけが回転し続けた。父は夢の中で私と普通に暮らしていた。笑ったり、泣いたりした。巨大な白鳥が三匹、家の前を通り過ぎた。私はその夢を覚えていなかった。

「イヤラシイことばかり考えたり、他人のことを心配する前に、まだ生きているご両親に、親孝行しなさい」

樋口さんの声が、私の頭蓋骨の内側に設置されたスピーカーから聞こえた。私は辞表を書こうとした。漢字が出てこなかった。漢字はすべて、駅のホームに置き忘れてきたのだ。ワープロが必要だった。私はひらがなだけで辞表を書いた。

翌朝、新聞配達の制服を脱いだ。

鳥取の空は、相変わらず病院の待合室のように白かった。ネズミたちは私の靴の周囲に集まっていた。彼らは私の退職を祝っているようだった。

私は彼らに尋ねた。

「風の便りはどんな具合ですか?」

彼らは答えなかった。

遠くのマンションで、郵便受けが一斉に開いた。そこから無数の白い紙片が飛び出し、空中で小さな鳥の群れになった。鳥たちはアメリカへ向かって飛んでいった。私はその行方を見ようとしたが、視界は二つに分裂していた。

二つの太陽が昇っていた。

その間を、父が歩いていた。

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  • 小説
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  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-11-06

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