曖昧な道

「すぐそこ」ってどこだ?

 ある作品を投稿したら、感想が来た。面白い内容だった。
 地方の知り合いの所へ遊びに行って、コンビニの場所を尋ねたら、「すぐそこ」と言われて、それが10km先だったと…。

 そうだ。「すぐそこ」という場所は曖昧だ。人の感覚だ。

 私も今は田舎暮らしだ。確かに「すぐそこ」の許容範囲は、日に日に遠くなっていく。
 ちなみに、うちから一番近いコンビニは5km先だ。うん、「すぐそこ」だ。感想をくれた方の知り合いよりも遥かに「すぐそこ」である。

 しかし、東京に住んでいた時の「すぐそこ」は違った。せいぜい二軒先くらいだ。そうだ、200m先のコンビニのことを、「結構遠いよ。」と言っていた。

 これは面白い。
 そして新たなことに気づく。

 道を案内する時によく使う、この「すぐそこ」。本当に目の前に見えるならば、それで良い。しかし見えはしない。だから道順を説明する。その時によく聞く「すぐそこ」だ。
 私は昔から割と道を説明するのが上手かったと自分では思っている。

 この道を行くと、〇〇という信号の交差点があるから、そこを右に曲がって、200mくらい行くと左手に酒屋さんがあるから、そこを左に入って三軒目。
 まあ、上手いかどうかはわからないが、道案内はこんな感じだ。

 今はどうだ?
 試しにその5km先のコンビニを説明してみよう。

 この道を下って、「すぐそこ」の橋を渡ると、「すぐ」T字路になって、そこを下って行くと、「すぐそこ」に十字路があるから、そこを左に曲がって、しばらく行くと小学校があるから、そこを右に曲がって、ずーーーっと道なりに下るとT字路にあたるから、そこを右に曲がって、しばらく行くと、左手にコンビニがあるよ。「すぐそこ」だよ。

 こうなる。なぜか。
 そう、目印がないからだ。学校はあるが、信号はない。他に目印になるようなものは何もない。
 だって、〇〇さん家の上の田んぼを右、□□さんの田んぼを左って言っても、訪問者には伝わらないだろう。
 そうそう、地域の人に伝えるのは簡単だ。みんな〇〇さんを知っているからだ。
 ちなみに我々夫婦間では、道や地点に勝手な名前をつけている。
 栗拾いの道
 別荘の道
 向こうの道
 世界の中心エリア
 世界の中心点
もう誰にも伝わらないだろう。


 そんなことを考えていると、妻にラインが届く。名古屋に住む次男からだ。そして妻は言う。
「何かあったら行くからね!名古屋なんて「すぐそこ」だから…。」
 この段階で、「すぐそこ」は200kmを超える。

 しかしこれは距離的なことではない。「すぐそこ」には伝える人の思いが入っているようだ。そうだ、「すぐそこ」には相手を不安にさせない優しさが入っている。

 そんなことを思っていた時、ふと昔のことを思い出す。
 
 当時の私の家は東京の東村山市だ。仕事で中野区に行ったとき、取引先の社長にこう言われた。
「〇〇幼稚園を左に行くと、〇〇さんの駐車場があるでしょ?」
「すみません社長、〇〇幼稚園ってどこですか?」
「えっ、知らないの?」
「すみません。知りません。」
「何で知らないの?」
「あの…、私ここが地元ではないので…。」
「あっ、そう…。じゃあ、〇〇さんはわかる?」
「いえ、もっとわからないです。」
「そうなの、すぐそこだよ。」

 この「すぐそこ」に優しさは入っていなかったようだ。あの有名な頭痛薬にも優しさは入っていたのに…。

 言葉というのは面白い。またこんなことを考えていると、無限にいろいろなことが頭の中を巡り始める。

 だけど、せっかくだからもう少し巡る旅に出てみよう。

 そもそも「すぐそこ」という定義はあるのか?ちょっと調べてみる。

 やっぱりだ。すぐそこに定義はない。辞書によると「ごく近い場所」「目と鼻の先」といった意味だ。
 しかし、何メートル以内という決まりはない。つまり
 徒歩1分でも「すぐそこ」
 徒歩10分でも「すぐそこ」
 車で30分でも「すぐそこ」
そうだ、距離だけでは決まらない。今の段階での「すぐそこ最長記録」は名古屋だ。しかし目と鼻の先ではない。

 きっと、こんな要素が関係していると思う。感覚と比較対象だ。
 
 息子のためなら「すぐそこ」
 大阪に比べれば「すぐそこ」
 
 そんなことを、まるで今発見したかのように語る私はいったい何だ?
 そうか、変な人になれるのは「すぐそこ」だ。
 
 いや、待て。変な人にはある日突然なるのか?そもそも変な人になりたいのか?頑張って達成するものなのか?うーん、違うような気がする。ならば、「すぐそこ」に変な人があるわけではない。
 そうだ、最初から変な人だったのだ。

 しかし逆に考えてみよう。
 変じゃない人って何だ?
 そうか、普通の人だ。
 では、普通の人って何だ?この世界に普通の人っているのか?
 普通の人もやっぱり努力して
「ああ、あと少し、「すぐそこ」普通の人に手が届く!」
なんてことになっているのか?
これも違うようだ。
 しかも、普通の人を目指している人って、今は変な人ではないか…。
 
 またまた無限ループに入ってきたから、この辺でやめることにしよう。私の進んでいる道も曖昧だ。

 ん?ということは、人生はそもそも曖昧なのか?「すぐそこ」は曖昧で、私の人生も曖昧だ。それはどういうことだ?

 やめるって決めたのに、またやってしまった。

 そうだ、タバコを切らしてしまった。「すぐそこ」のコンビニに行ってこよう。
 

 えーっと、コンビニまでの道は、〇〇さん家の上の田んぼを右に曲がって……。あっ、思い出した。△△さん家に行くんだった。ちょっと寄り道して行こう。

 寄り道、寄り道……。ん?何だって!?「寄り道」?
 「寄り道」っていうけど、ちゃんと目的があって行くはずだ。そう、コンビニも行くけど、△△さん家にも行く。どちらも大切だ。
 しかし、先にコンビニに行くと決めたから、△△さん家が「寄り道」になったのか?
 ではもしも△△さん家に行くことが目的になっていたら、コンビニが「寄り道」なのか?
 それもちょっと違う。なぜならコンビニのほうが遠いからだ。コンビニに行く途中に△△さん家があるから、「寄り道」になったのだ。
 ということは、「寄り道」というのは途中になければ成立しないのか?そうだ。なんとなくそんな気がする。違うかもしれないけど…。
 似てる言葉に「道草」というのがある。これはどうだ?うん、これこそ道の途中っぽい。
 では、重要度で変わるのか?

 人生にも「寄り道」と呼ばれるものがある。その「寄り道」が実は大切な時期だった、なんてことはよく聞く話だ。ということは、「目的ではあるが、他の目的の途中にあり、一見おまけっぽく見えるけれども、実は重要なこと」というのが「寄り道」か?
 うん。ちょっとしっくり来ている。これは良い。よし、私の中での「寄り道」の定義にしよう。
 
「すぐそこ」のコンビニの途中にある「寄り道」。これは面白い。近くて遠いような場所だな…。
 しかし待てよ…。もしもコンビニに行く用事がなくなってしまったら、「寄り道」の存在はどうなる?
 そうか、その時は△△さん家が「寄り道」ではなく、目的の地になるのだ。そう、そして△△さん家は「すぐそこ」だ。
 
 うーん、やっぱり「すぐそこ」には、なかなかたどり着けないようだ。この曖昧な道で、私は迷子になっている…。
 
 さて、コンビニにはたどり着けるのだろうか…。
 

曖昧な道

曖昧な道

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-11-04

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