流れてくるもの
小平霊園の横を通り過ぎ、東村山の家に向かって少しスピードを上げた。長くかかった現場も、クリーニングを終えて、今日お客さんに引き渡すことができた。
長年リフォーム工事の仕事をやってきたが、やはりこの「引き渡す」ということを終えるとホッとする。一つの区切りだ。
どんな現場であっても、同じということはない。「同じようなこと」をしているが、同じではない。
きっとリフォーム業に限らず、どんな仕事もそうなんだろう、と思いながらも、区切りがあることはホッとすることだ。
家に着く。妻が夕飯の支度をしてくれている。よくある家庭の様子みたいなのは久しぶりだ。
「お帰り。今日はどうだった?」
「あーただいま。うん、ちゃんとお客さんに見ていただいたよ。とても喜んでくれた。」
「そう、それは良かった。それでね、保谷の現場は雪で入れなくてさ、今日は全然進まなかったよ。」
「あー、こっちも大変だったよ。まずは駐車場の雪かきからだもんね。」
「だよねぇ、下井草の現場はどうする?」
「どうするって言ったって、行くしかないよね。」
「そうだね、じゃあそっちは任せるから、明日私はもう一度保谷に行ってくる。」
「うん、そうしよう。あっ、タイル屋さんへの連絡はした?」
「うん、明日にしてくれるって。」
冷蔵庫からビールを取り出し、コタツに入る。外には昨日の雪がまだ残っているのに、やっぱりビールは飲みたい。
「ふぅー。あーやっぱり一つ現場が終わると落ち着くなぁ。」
「ふふふっ、そうね。あなた、いつもそう言うよね。」
「そうかい?」
「うん。」
「いただきます。」
「はい、お疲れさま。」
「ありがとう。そちらも大変だったね。」
「まあね。」
「明日、下井草の床を終わらせたら、そっち行くから。」
「あ、そう。じゃあそのつもりで天井のクロス貼っとく。」
「ありがとう。」
「ところでさ、家買わない?」
「えっ?」
いつもの会話から全く違う話しになった。
「なんかさ、家買ってもいいかなぁって思ったんだよね。」
「またいつもの流れかい?」
「うーん、どうなんだろう。流れって言われても、別に意識して流していないからねぇ。」
こういうことを言う妻はとてもいい。妻は流れを大切にしている。そんな妻がこの会社を支えていると思っている。
10年以上前、銀行にはじめて融資の相談に行ったとき、担当の方との面談で私たちは聞かれた。
「お二人とも全く違うお仕事をされてきて、どうしてリフォーム会社を設立したのですか?普通は…なんて言うんでしょう…、その仕事をずっとやってきて、独立して会社を設立する、そんな方が多いと思うのですが…。」
「ええ、そうですよね。でも私たちは流れで…」
「ちょっと待って!」
「えっ、何かまずい?」
「金融機関相手に、流れはまずいよ、この市場のこととか、見込み客のこととか、今後の戦略のこととか、売上の推移予測とか、そういうことを言わないと…。」
「あっ、そうなの?」
私は金融機関に勤めていたことがある。こういう話しは得意な方だと思う。
「流れですか…。そういう感じ、個人的にはわからなくはないのですが、銀行員としてはやっぱり…。」
「そうですよね。すみません…。」
「でも、正直な方ですね。長年融資担当の仕事をしてますが、流れでっておっしゃった方は初めてですよ。」
「そうですか!」
いやいや、そこは喜ぶところではないと思うのだが、とにかく面談は続く。
「わかりました。それでは面談を終了させていただきます。今日はありがとうございました。審査ののち、こちらから連絡させていただきます。」
「どうぞよろしくお願いいたします。」
「これで融資受けられなくてもしょうがないよね。それも流れだしね。」
「そうかい?流れなくしているようにも思うけど?」
「そう?まあ、やれることはやったし!」
後日、融資は決まった。
そんな妻に、今度は家が流れてきたようだ。
「うん、買うのはいいと思うよ。ずっとアパートだったしね。具体的に何かいい物件でもあったの?」
「ん?ないよ。でも何とかなるでしょ。」
「そうかい?場所とか価格とか、いろいろ考えないと…。」
「うん。でもさ、上手く「こと」が回るときには回るし、ダメな時は上手くいかないから、大丈夫でしょ。」
「そうかい?じゃあさ、地域はこのあたりにしようよ。もう10年も暮らした地域だしさ。この辺りってなんか好きなんだよね。」
「うん、私も好きだよ。じゃあ、この辺で探そう!」
「わかった。少し探してみるよ。」
同じ町内、同じ丁目、アパートからすぐのところに、家が流れてきた。僕たちは数ヶ月後に引っ越しをした。
「戸建てに引っ越したんだから、やっぱり犬がいないと。あなた、西郷隆盛ににてるんだから、犬連れて歩かないとね!」
「うーん、犬は大好きだけど、あの最期の悲しい瞬間はもう味わいたくないなぁ。」
「それは私も同じ。でもさ、やっぱり戸建てには犬だよ。」
「そうかい?」
今度は犬が我が家に流れてきた。白い秋田犬のこどもだ。
名前は「しろ」
「この子の名前、しろ以外に思いつかなかったよね。」
「そうだね。しろ以外考えられなかったね。」
どうやら名前も一緒に流れてきたようだ。
しろはとてもかわいい。この地の西郷さんも、しろを連れて歩くのが様になってきたころ、しろを連れて犬用シャンプーを買いにいった。いつものペットショップだ。
そこにはめずらしく秋田犬がいた。ペットショップというところは小型犬がほとんどだ。秋田犬がペットショップにいるなんて滅多にない。
「あの子、かわいいね。ちょっと抱っこさせて貰おうよ。」
「あなたが抱っこしたいんでしょ。行ってきたら?」
「そう?じゃあちょっと行ってくる。しろを見ててね!」
「はいはい。」
「こっち来てごらん。とってもかわいいよ。長毛でもこもこしてる!」
「本当、かわいいわね!」
「抱っこしてみ!」
「うん。」
今度は赤毛長毛の秋田犬が、我が家に流れ着いた。もうお分かりだろう。
名前は「もこ」
引っ越してからは生活が変わった。しろともこがいることと、私の両親が一緒に住むことになったこともある。妻は現場に出ることを少なくして、事務職をメインで行うことにした。私は今日も現場へ行く。そして帰ってくるとビールを飲む。
犬がいる生活はとても良い。本当に癒やされる。そう、家族だ。こうなることは知っていた。犬はかわいい。昔一緒に過ごした犬も、本当にかわいかった。
大阪の従兄弟から貰った犬。それが子どものころから飼っていた犬だった。
末っ子の私は、家族の中では下っ端だった。だから犬が来た時にはうれしかった。別に弟ができたと思ったわけではない。下っ端同士、仲良くやろうぜ、と思っただけだ。
ハタチを過ぎたころ、下っ端同盟は解散した。同士が虹の橋へ行ったからだ。私だけ「その瞬間」に立ち会えなかった。急いで帰って来たけど、間に合わなかった。
ウイスキーをストレートで1本飲み干し泣いた。動かなくなった同士と、最期の夜を過ごした。いつものように隣で寝た。どんどん冷たくなって行く。温もりを探しながら、そのまま眠りについた。
朝起きると、固くなった同士が隣にいた。その時、母が言った。
「ずっと家族として一緒にいたけど、死体があるって思うとちょっと怖かったんだよね。でもどうしてもトイレに行きたくて、おそるおそるリビングに来てみたら、あんたが一緒に寝てたから、なんか安心した。怖くなくなった。」
そうか。死体になると怖いって思う人もいるのか。いや、そういう人のほうが多いのかな?などと感じたことで、現実を受け止められた。
しろともこを迎えてから2年が経ったころ、私たちはまたペットショップにいた。ペットショップにはよく行く。おやつやおもちゃ、シャンプーなど買うものがたくさんあるからだ。
ペットショップでは最近生体販売をしなくなってきているが、ここの店では今も子犬を販売している。
私は、もちろん殺処分には反対だ。保護犬を見に行くこともよくある。ただ、ペットショップでの販売を否定するつもりは全くないが、今はそのことを話したいわけではない。
ペットショップに子犬がいれば、とりあえず私たちは見に行く。今までも様々な店でたくさんの子犬たちを見てきた。
どんな子犬もみんなかわいい。それはワンコ好きの人はみんなそうだろう。
小さな小さな子犬がいた。
ころころしてる。なんだろうこの感覚。
「この子、とってもかわいいわね。」
「そうだね。ん?ポメキーだって。ポメラニアンとヨークシャーテリアのミックスらしいよ。」
「そうなんだ。」
「本当にかわいいね。」
「そうだね。ねえ君、うちの子になるかい?」
「いやいや、うちには、しろともこがいるのよ。さすがにそれはどうなの?」
「そうだね。」
「でもね、来週また来てみて、その時にまだいたら、わからないわよ。」
「これだけかわいい子だよ?すぐに家族が見つかるでしょ。」
「そうね。もしもよ、もしも。」
「じゃあ帰ろうか。」
「うん。」
それから2週間、ペットショップには行かれなかった。そして…。
「あの子、どうなったかな?」
「きっと幸せな家庭に行ったと思うよ。」
「そうだよね。でも、もしも、もしもよ、今日まだいたらどうする?」
「うーん、それはわからないなぁ。まあ、いないよ、きっと。」
彼はいた。
名前は「ころ」
桃太郎の桃も流れてきたけど、さすがにこんなにたくさん流れてきたら、お爺さんとお婆さんはどうしただろうか?
さて、それから5年の月日が経ち、しろともこは7歳、ころは5歳になった。みんな元気だ。
会社っていうのは、「安定」なんてことはない。起業してから16年、毎年毎年、いや毎月毎月、お客さんに利用していただかなければ、維持はできない。売上があろうがなかろうが、支払いは容赦なくやってくる。問屋さんへの支払い、協力業者さんへの支払い、給料の支払い、社会保険料の支払い、税金の支払い…。今月を乗り切っても、また来月は来る。
それでも何とか16年もやってこられたのは、やっぱり良い流れがあったからだろう、と思う。
お客さんにも、協力業者さんにも、問屋さんにも恵まれていた。
本当にありがたいことだ。
今日も1件、お客さんに引き渡しをすることができた。一区切りだ。帰ってビールを飲もう。
「ただいま。」
「しろ」と「もこ」と「ころ」が歓迎してくれる。何年経っても歓迎してくれる。「安定」のお出迎えだ。帰ってきただけで、こんなに歓迎してくれるって、なかなか人間では出来ないことだな、と思う。きっと、犬がいるお宅はみんなそうだろう。
「おかえり。どうだった?」
「うん、無事に終わった。良かった、無事に終わって。やっぱり何度やっても、引き渡しが終わると落ち着くね。」
「ふふふっ、そうね。あなたっていつもそう言うよね。」
「そうかい?」
「うん。」
ここにも「安定」はあるようだ。
「明日は休めるんでしょ?ちょっと子ら(ワンコたち)のドライフードを買いに行きたいんだけど。」
「ああ、そうだったね。じゃあ明日はペットショップに行こうか。」
「うん。お願いね!」
いつものペットショップへ行く。ドライフードのコーナー。いつも買っている「グレインフリー」のドライフードをカゴに入れる。しろはアレルギーがあるから、ずっとこのフードを選んでいる。そしていつものように子犬を見に行く。
小さな小さな子犬がいた。
ちっこい。なんだろうこの感覚。まさか…。
「この子、とってもかわいいわね。」
「うん、かわいいね。ヨークシャーテリアの女の子だって。ころの小さい頃によく似てるね。」
「そうね。」
そんな話しをしていた時、女の子を連れた若いご家族が来た。
「その子、見てもいいですか?」
「あっ、ごめんなさい。どうぞどうぞ。」
「わー、かわいーい。」
「かわいいわね。」
お店の方が寄ってくる。
「抱っこしてみます?」
「いいんですか?」
「うーん、かわいい!」
きっとこの子の家は決まった。抱っこをしたら家は決まる。そういうものだ。店員でもないのに私は言った。
「この子、かわいいですね。ヨークシャーテリアは飼いやすいし、おすすめですよ!」
「さあ、帰ろうか。」
「うん。あの子かわいかったね。」
「そうだね。あのご家族で決まりそうだね。良かったね。」
「そうね。優しそうなお母さんだったもんね。」
「そうだね。女の子も気に入ってたみたいだし。」
「そうね。」
そう言って帰った。
2週間が経って再びペットショップへ行くことになった。
「ねえねえ、あの子いたらどうする?」
「いや、さすがにそれはないでしょ。この間の家族、もう抱っこしてたし。」
「そうよね。でも、もしもよ、もしもいたらどうしよう。」
「それはさすがにないでしょ。うちにはもう…。」
彼女はいた。こっちを見てる。
名前は「ちこ」
桃太郎のお爺さんとお婆さんは、どこへ行ったのかな。
「流れ」で購入した家も、1年前に手放した。今度は田舎への引っ越しが流れてきたからだ。
朝の散歩が終わり、支度をする。
「しろ、もこ、ころ、ちこ、お父さん仕事だから、お母さんのことよろしく頼むね!行って来ます。」
今日も現場へ行く。
「ああ、今日の帰りにホームセンターで足りない材料買わないと。あそこのホームセンター、子犬がいるんだよな。見ないようにしないと…。」
そんなことを考えながら、桃太郎のことを考えていた。
お伽の国の社会人っていう本、伯父さんが書いてたな。そういえば、あの川にもいろんな物が流れてきたんだよな。伯父さんは何を受け取ったんだろう。
ん?何で今私は文章を書いているのかな?新しい「何か」が流れてくるのかな…。
流れてくるもの