幽霊、経験不問
町外れの遊園地が、アルバイトを募集していた。
《お化け屋敷スタッフ急募。幽霊経験不問。年齢制限なし》
その求人広告を見て、七十三歳の佐野澄子は応募することにした。
面接官は、遊園地の支配人だった。
「幽霊の経験は?」
「ありません」
「人を驚かせた経験は?」
「夫を三回ほど」
「どうやって?」
「一度目は結婚すると言ったとき。二度目は離婚すると言ったとき。三度目は、やっぱり離婚しないと言ったときです」
支配人は履歴書を見直した。
「なかなかの実績ですね」
採用が決まった。
*
澄子に与えられた役は、廊下の突き当たりに立つ白い幽霊だった。
長い白装束を着て、髪を垂らし、客が近づいたら両手を伸ばして「うらめしや」と言う。
簡単な仕事のはずだった。
ところが、澄子は困った。
「うらめしいことが、特にないんです」
支配人は頭を抱えた。
「本当に恨んでなくてもいいんですよ」
「それは嘘をつくことになりますね」
「演技ですから」
「なるほど。では、練習します」
澄子は両手を伸ばした。
「うらめしやあ」
支配人は首をかしげた。
「もう少し怖く」
「うらめしやああ」
「もう少し低い声で」
「うらめしやあああ」
「……なんだか、お餅屋さんの呼び込みみたいですね」
「お餅なら得意です」
「幽霊をお願いします」
*
初日。
澄子の前に、小学生の男の子が現れた。
怖がっているらしく、壁にぴったりくっついている。
澄子は両手を伸ばした。
「うらめしやあ」
男の子は泣き出した。
澄子は慌てた。
「あらあら、ごめんなさいね。怖かった?」
男の子はうなずいた。
「大丈夫よ。ここ、暗いだけだから」
澄子は懐中電灯を取り出した。
「ほら、足元に段差があるから気をつけて」
男の子は泣きやんだ。
「おばけなのに、親切だね」
「そう? ありがとう」
男の子は手を振って出口へ向かった。
澄子も手を振った。
その様子を監視カメラで見ていた支配人は、机に突っ伏した。
*
二日目。
若いカップルがやってきた。
男性は女性の前で勇敢なところを見せようとしていた。
澄子が突然現れると、男性は悲鳴を上げて女性の後ろに隠れた。
女性は大笑いした。
「ちょっと、情けない!」
澄子は男性に声をかけた。
「いいのよ。怖いものは怖いんだから」
男性は、ほっとした顔になった。
「そうですよね」
「うちの夫も雷が怖くてねえ」
「そうなんですか」
「雷が鳴ると、私の後ろに隠れるの」
女性がまた笑った。
男性も笑った。
三人は、しばらく立ち話をした。
監視カメラを見ていた支配人は、二度目の頭痛薬を飲んだ。
*
三日目。
澄子の持ち場に、誰も来なくなった。
支配人が調べると、客たちは別の通路に列を作っていた。
澄子が、いつの間にか椅子を持ち込み、そこに座っていたのである。
「何をしているんですか!」
「立ちっぱなしは腰に悪いので」
「それはわかりますが!」
「それでね、お客さんが座りたそうにするから、もう一脚持ってきてもらったんです」
見ると、隣に椅子があった。
その前には、順番待ちの列ができていた。
「ここはお化け屋敷ですよ!」
「ええ、存じています」
「お客さんを怖がらせてください!」
「怖がっている方もいらっしゃいますよ」
「どこに?」
「こちらに」
澄子は隣の椅子を指さした。
そこには、誰も座っていなかった。
支配人は眉をひそめた。
「誰もいませんよ」
「そうなんですか?」
澄子は不思議そうに椅子を見た。
「さっきから、ずいぶん長いことお話ししているんですけど」
支配人は背筋が冷たくなった。
「……どなたと?」
「お名前は聞いていません。でも、ここから出られないんですって」
「何ですって?」
「出口がわからなくて、もう何十年も歩き回っているそうです」
支配人は青ざめた。
このお化け屋敷は、四十年前に建てられたものだった。
開園当時、建設作業員が一人、行方不明になったという噂があった。
もちろん、ただの噂だ。
少なくとも、支配人はそう聞いていた。
「それで……どうしたんです?」
「出口までご案内しました」
「え?」
「お礼を言って、帰られましたよ」
支配人は黙り込んだ。
澄子はにこにこしている。
「良かったですねえ」
*
翌朝。
支配人は、澄子を事務所に呼んだ。
「佐野さん、昨日のことなんですが」
「はい」
「その……椅子に座っていた方は、本当に幽霊だったんでしょうか」
澄子は考えた。
「さあ、どうでしょう」
「見えたんですよね?」
「ええ」
「どんな人でした?」
「普通のおじさんでしたよ」
「普通の?」
「少し疲れた顔をしていましたけど」
支配人は腕を組んだ。
「不思議ですねえ」
「そうですねえ」
しばらく沈黙が続いた。
やがて澄子が言った。
「ところで支配人さん」
「はい」
「私、ひとつ気になっていることがあるんです」
「何でしょう」
「こちらの求人広告に、幽霊経験不問と書いてありましたね」
「ええ」
「経験のある方も応募なさるんですか?」
支配人は笑った。
「まさか。そんな方がいらっしゃったら、こちらが驚きますよ」
「そうですか」
澄子は安心したようにうなずいた。
「良かった。私だけかと思っていました」
支配人は笑うのをやめた。
「……何がです?」
「いえね」
澄子は、少し照れくさそうに笑った。
「私、三年前に亡くなっているものですから」
*
その日から、お化け屋敷は大繁盛した。
澄子の評判が口コミで広がったのである。
《本物の幽霊がいる》
《しかも親切》
《悩み相談にも乗ってくれる》
支配人は、思い切って新しい看板を出した。
《お化け屋敷・幽霊スタッフ在籍。相談無料》
澄子は、今日も廊下の突き当たりに座っている。
隣には、もう一脚の椅子。
そして、その向こうには長い行列。
ただし、支配人にはひとつだけ悩みがあった。
毎月の給与を、どこに振り込めばよいのかわからないのである。
澄子に尋ねると、こう答えた。
「現金で結構ですよ」
「現金ですか」
「ええ。孫にお小遣いをあげたいので」
「……お孫さんには会えるんですか?」
「もちろん」
「そうなんですか」
「ただ、孫には私が見えないんです」
「それでは、どうやって?」
澄子は、いたずらっぽく笑った。
「お財布に、こっそり入れておくんです」
支配人は頭を抱えた。
「それ、幽霊じゃなくて、ただのおばあちゃんですよ」
澄子は笑った。
「そうですよ。幽霊になったくらいで、おばあちゃんを辞めるつもりはありませんから」
そして今日も、誰かが廊下の奥で叫ぶ。
「うわあああっ!」
「はいはい、怖かったわねえ」
白い幽霊は、にこにこしながら椅子を勧める。
「まあ、お座りなさいな。お茶でも飲んでいく?」
――このお化け屋敷では、怖い思いをした人ほど、帰るのが遅くなる。
おしまい
幽霊、経験不問