二つの命

二つの命


 千五百年ほど昔の我々の祖先の暮らしぶりを、国会図書館の無料検索システムで画面に映し出した。
 国会図書館には何億冊という本が地下倉庫にねむっているが、今は主要なものはすべて電子媒体に変換され、無料で国民に提供されている。自宅の壁に組み込まれているテレビモニターに映し出すことができる。
 紙という原始的なもので作られる本というものは、地球人にとって捨てることができないもののようだ。今でも本は出版されていて、特に小説というお話の本は、好きな人は買って自分の家の棚にならべている。そういった本は部数が少なくとても高いものなのだが、出版社は電子化したものともども、図書館に収めなければならないという法律がある。ただ図書館の本は一般の人に貸し出すことはない。全国で行われる本の展示会に出されるので、そこで眺めることしかできない。電子化したものは、出版社が電子出版して5年経過すれば図書館のものを無料で読むことができる。出版して5年以内のものはレンタルするか、自分で購入する仕組みになっている。
 レンタルか購入したものを紙に打ち出して読むのは自由である。だが、紙そのものの価格が高く、本として売り出されたものを買ったほうがよいほどである。
 今、目の前に映し出されているのは、西暦2000年頃の日本人の生活のビデオである。日本の歴史が映像として国会図書館に収納されており、それもいつでも見ることができる。
 西暦3548年の今日、一般人の宇宙旅行はまだ高額ではあるがあたりまえになり、研究者たちは特殊な開発された宇宙船を使って、時の間を通ることでほとんど寸時に何千光年も離れている星にいくことができる。ただその宇宙船を動かすには莫大な費用がかかるので、政府の宇宙研究計画に沿って運営されており、行くことができるのは研究者に限られている。
 生命が見られるのは太陽系に近いところの宇宙空間にある星で、遠くになればなるほど、新たな星人たちとの出会いはむずかしい。いままでに出会えた星人のいる星も地球より科学の進んだところはなかった。
 今回宇宙開発事業団の公的宇宙船が八千万光年離れた宇宙の果ての領域でみつけた星には、地球人とほとんど同じ構造を持った星人がいたのだが、その生活状況は、地球の千五百年前に相当するものであった。
 ただ、その星に生命が生まれて一億年、人類系が出現して千年でそのレベルに達したという優秀な生命体である。地球では、新人類と呼ばれる我々の祖先ができて四万年ほどかかって今の人になり、ことばがつくられてから人らしくなるまでおよそ五千年かかり、その時代に達している。
 それと比較すると、新しく見つかった星はずいぶん早く科学が発達した。その比率で行くと、宇宙の中を自由に行き来できる今の地球のレベルになるのに、あっというまであろう。
 星はデルタ3480と分類され、通称は新デルタ星といわれているが、地球人とコンタクトのできる数少ない星として研究対象になっている。また新デルタの科学技術を配慮した援助を行う協定がむすばれたわけである。
 西暦2000年の頃の地球に、宇宙の果てから自分たちと様相がよく似た体型の宇宙人がやってきたらどうだろう。まだ月に人が自由にいけない時代である。驚いて慌てふためく様子が目に浮かぶようだ。
 しかしその新デルタ星は我々宇宙人である地球人をすぐにうけいれ、不可侵条約をむすび、科学技術の援助を受けることをよしとしたのである。地球人だったら、怖くてそのようなことができなかったのではなかろうか。
 地球に戻った研究者たちの報告から、国は新デルタ星人の心理を地球の心理学者に解析するように命じていた。
 そこで私も西暦二千年頃の一般人の心を調べ、新デルタ星人の心を解析する任務についていたわけである。
 私は日本の考古心理学者であり、私の書いた心理進化学の本が少しばかり有名になったことからその役割がまわってきた。
 新デルタ星だが、地球とほとんど同じように季節もあり、太陽に相当する恒星の光によって熱をもらい、多種類の生き物が生きている。一日という単位もほぼ同じであり、さらに一年という単位も当てはめることができる。このような宇宙空間の物理的変化というものが、人に相当する生き物を進化させるのだと納得したわけである。
 デルタ星人だが、頭と胴、二本の手足をもち、地球人と背丈もほぼ同じ、男と女がある。寿命は約百歳。
 町の作りも地球の西暦2000年頃と似ているが、町中の新デルタ星人をみると、子供たちは頭に地球人と同じように髪の毛を生やしているが、かなりの割合で頭に毛がなくてつるつるである。しかも男女関係なく頭がはげるようだ。そういった外形上の違いはあるが、他に地球人との違いはほとんどない。
 ところがである。からだの中に決定的な違いをもっていた。
 彼らには人間とほとんど同じような脳があり、肺による酸素呼吸と心臓による血液循環、消化器系からの栄養摂取など、神経による臓器コントロールが行われており、目鼻耳の感覚器官をもつなど地球人と代わりがないのだが、体の中にとても奇妙であり、新デルタ星人がこれから宇宙を席捲するのではないかといわれる、サブシステム器官を持っていたのである。
 サブシステム器官とは地球人には考えられないからだの仕組みなのだが、形としては直径5センチほどの球形の皮膜に覆われたもので、心臓の反対側、すなわち右側の心臓のある位置にぽつんと浮かんでいる。浮かんでいるという表現は正しくないのかもしれないが、脂肪組織に埋もれて、他の部位とつながっていない。
 あたかも心臓が左右にあって、右側のものは心臓にならず、玉の組織としてあるような状態といったらいいのかもしれな。専門家たちは第二心臓とか、卵球とか呼んだが、最終的には「心球」と呼ばれるようになった。
 新デルタ星には地球と同じようにほ乳類から原生動物まで存在しているが、人以外に心球はもっていない。
 心球はどのような働きを持つのか。これが大変なものである。
 新デルタ星人が病気や事故で死ぬと心球が破裂し、そこから細胞核の種のような微小なものが体に放出され、それが死んだ組織のすべての細胞の中に入り込む。しばらくすると心球からはいったものが死んだ細胞と同じ機能を持つ細胞にかわり、死んだ細胞たちはそこからはじき出され、右の心臓の位置に集まると脂肪組織に囲まれる。
 すなわち、死んだ個体は生き返り、死んだ細胞の滓が新たな「心球」にへんかするわけである。
 死んだとき、脳の中の神経細胞にも細胞核の種が入り込むが、神経細胞は死なず神経突起もそのまま生き返る。それによって死んだ星人はあっという間に動くことができるわけである。死んでも脳の中の記憶が保存されるわけである。だから、新デルタ星人は人になったときのことからの個人の記憶をすべて持っている。個人をみると、人間のように赤ん坊から新たな学習をする必要がないわけである。
 神経細胞だけは死んで新たな心球の組織になることはない。
 このように新デルタ星人には命が二つあるということになる。いや永遠に生きると行ったほうがいいのかもしれない。何らかの原因で死ぬと、サブシステム器官が即座に反応し、脳から足先まで、まったく変わらない自分になることができるのである。
 新デルタ星人に「心球」が形成されてから人口は増え続けているということである。
 このようなからだをもつ新デルタ星の文化は地球にすぐに追いつき、いずれは追い越していくだろうと地球政府は考え、彼らの心のあり方はどうなるのか、進化心理学者である私のようなものに、解析を委嘱してきたというわけである。地球人は新デルタ星人とどのような関係になるべきか。
 デルタ星人はどのように進化していくか考えなければならない。
 今彼らは地球の西暦2000年のレベルということである。宇宙に飛び出しておらず、他の星の人間とのコンタクトはなかったころである。
 地球のその時期の人間の心が、今の地球人とどのように違うか明らかにし、二つの命を持つデルタ星人の場合は、千年たつとどのような心になるか、地球人の心とは違った方向に行くかもしれない。ともかく、デルタ星人と付き合うには、彼らの心の進化を考えておかなければならない。
 本当は私が直接新デルタ星に行って、コンタクトをすればいいのだが、時間空間を飛行する宇宙船に乗るには、私は歳をとりすぎていた。この宇宙船に乗るには体力を相当必要とする。
 私はデルタ星にいって、数年間新デルタ星人と一緒に生活をした研究者に尋ねた。
 「赤ちゃんをどのように育てていましたか、母乳で育つのですか」
 「はい、母乳で育てていました。ほとんどが共稼ぎでしたので、母親は自宅でできる仕事をして、母乳は必ず与えていました、自宅で仕事をしていましたが、仕事より子どもを育てるほうに力を入れており、いつも話しかけていました」
 「それは、子どもが早く子どもを覚えるからでしょうね」
 「それもあるのだと思いますが、心球も子どものころは子どものレベルの心球で、話しかけることで,心球そのものも育つと考えているようです」
 「子どもの心球は未熟なわけですね」
 「未熟というより、子どもが何らかのことで死んでしまうと、心球によってまた同じからだができるわけですけど、前の心球はそこまでの役割をはたしておわりなわけですから、それでいいわけです」
 「子どもの発達に心球がどのような役割をしているとおもわれますか」
 「新デルタ星人にきいたのですが、発達には役割がないようです、生き返るときだけ働くようです」
 そういった話を聞いたとき、「心球」がどのように体の中で生きているのか、本当に体の組織なのか、それとも異次元のものなのか、私の心の中の疑問として残った。
 新デルタ星人とのインヴュー録画はかなりあり、いつでも見ることができる。心デルタ人のことばはコンピューターによってすぐに解読され、ことばの研究者は改めて研究を始めているが、コンピューターの解析は正しいようである。
 ただ奇妙なことには「心球」にたいしデルタ星人は名前をつけていないようなのだ。新デルタ星人は「心球」を個人によって呼び方が違う。統一された組織名がないのである。そのようなこともあって、地球では「心球」となずけてしまったわけである。地球の心理学者たちは、彼らには無意識のうちにそれにはさわらないでおくものとしてあるのではないかと考えているようだ。やはり異次元のものではないだろうか。
 新デルタ星人の町中のインタビューがある。そこには一般的な新デルタ星人の素直な考え方がみてとれる。
 まずは心を育てる教育に着目し、2000年の地球との比較研究をおこなった。
 デルタ星には地球と似た義務教育制度があり、幼稚園保育園に相当するものはなく、小学校初等クラスということで4歳からはいる。十年間小学生ということで、十三歳になると中学校になり、18歳までかようことになる。中学は6年間である。そのあとは高校という制度はなく、大学に相当する、研究学校にはいる。2年間の基礎教育を受け、そこまでは義務教育で理系も文系もなく、科学基礎知識をはじめ文化社会基礎及び両者の技術をまなぶ。卒業研究がある。だれでも何かを追求する思考技術会得する必要があるという考えである。そこを卒業すると、そのあとは自由である。研究学校には後期コースが4年間用意されていて、理系文系の研究を行い、あと専門学校にいく人もいる。専門学校は様々な領域の応用技術系の分野と、基礎研究の学校で、いわば地球における大学院である。専門学校が最高位の教育機関であり、学生は職業に就いていなければならない。
 とまあ、こう見ると、地球とは似ているものの、考え方はかなり違うようだ。
 地球では生まれたての子どもをあずかって、女性が働きやすくする保育園が発達しているが、新デルタ星ではそれはない。赤子は二歳の離乳期までは母親の乳で育てなければならないという不文律があり、できるだけ家でできる仕事させるように、会社に義務がある。母乳のでない母親はいない。病気の母でも医者のコントロールで乳は必ず出る。子供と乳房のコンタクトが心のもとを形成すると考えているようなふしがある。彼らはなぜ生き物に雌雄があるかということを徹底的に追及した結果、そういう結論になったようだ。
 もちろん父親の援助が子ども教育に大事で、男も事細かに子供の面倒を見る。そういったことは義務教育で徹底的に教わり、男の頭の中に刻まれている。
 三歳まで両親が教師で、その後は義務教育として、教師による遊びとコミュニケーション、社会儀礼の教育を受けることになる。
 小学校と中学校の義務教育では体の仕組みを地球では医者になれるほどしっかりと教わる。
 小中学校性は生活の中で大きな怪我、病気をしないように注意しながら、遊び方を覚える。遊ぶことは危険が伴うことも知り、上手に遊ぶことで、新たな考えなどが頭の中に出てくるように脳が教育をうけるのである。
 不思議なのは死について学ぶことがない。「心球」によってよみがえることをあえて教えないようだ。
 地球の知識中心の教育とは全く異なっている。
 小中学生に地球人がインタビューしている映像があった。子供たちの様々な返事の仕方に、地球の小学中学生とは違ったのびのびさが見られた。おどろいたことに、インタビューをしている地球人の研究者にたいして、逆に子どもからの質問が多く、研究者がそれに対して答えに窮している場面がたくさんあるのはおもしろいことである。
 彼らの脳が活発なのである。
 質問の一つにお父さんお母さんをどう思うかというものがあったが、全員が楽しい友達のようだと答えていた。
 地球人が楽しい友達ってどういう友達なんですかと聞いたことに対して、時々喧嘩する大好きな友達さ、と笑って答えていた。喧嘩といっても取っ組み合いの喧嘩ではなく、自分の主張と両親の主張のいいあいのようなもののようで、だいたいが子供は両親のいったことに納得して和解している。そういった自分の気持ちを自由に話せるのが楽しい友人であり、新デルタ星では親も友人という関係のようである。
 二十歳ほどになる研究学校生へのインタビューでは、基礎コースを卒業したらなにをしたいという問いに対し、専門知識、技術をまなびながら、遊びたいという。
 どのような遊びをしたいか聞くと、探検にいきたいという答えが多く、新デルタ星にある海山川の自然に挑戦したいという。さらにおもしろいのは、サーカス団にはいりたいとう新デルタ星の若者が多かった。
 命綱なしで空中ブランコや曲乗りをしたいという。こういった考えを持つのは、もう一つ命があるから、思い切ったことをしたいという気持ちのあらわれなのだろう。
 飛行機の操縦士に希望者が多いのも二つの命があるからかもしれない。
 こうしてみてくると、もう一つ命があるということは、思い切ったことをする脳をつくりだしている。さらに心の自由を中心にうける教育によって、思わぬアイデアをたくさん生み出すようになり、科学の発展が地球より何倍も早いと言うことなのではないだろうか。
 ビデオを見ながら解析を続けて半年になる。統計処理によりおもしろいことが浮かび上がった。
 デルタ星人の頭のはげている男女と、禿てない男女では違いがでてきた。年齢に関係なく、男女に関係なく、髪の毛がある大人たちの恐怖心が禿げている者たちより格段と低いのである。
 どうしてだろうと考えている最中に新デルタ星で地球人が関係する大変な事件がおきた。
 新デルタ星で科学技術の向上のため、研究学校で講義をしていた地球人が、家に帰る途中で襲われてしまった。ナイフで左胸を深く刺されたのである。昔だったらすぐに死んでいたのだろうが、地球の医学はすすんでおり、血がいくら出てしまっても、時間さえ早ければ助けることができる。さらに心臓にナイフがささっても、換えの人工心臓は用意されており助けることができる。
 その研究指導者は地球から持ち込まれていた医療道具で、一命を取り留め地球に送還された。このできごとは地球の医療の発達をみせつけることになり、新デルタ星の厚生省から人工臓器と再生技術の指導を強く要請された。もう一つの命のあるデルタ星ではそういった技術は発達していなかったわけである。
 地球人を刺した犯人はすぐにつかまり死刑に処せられた。犯人は髪を伸ばしたもう四十に手が届くベテラン犯罪者だった。
 そこで、デルタ星人は大人になって殺人者になる者が少なからずいるということが明らかになった。そのときまでデルタ星人の犯罪は、詐欺や盗みなど小さなものしかないと理解していた。それは間違いだった。
 この事件でこのようなことも明らかになった。髪のある犯人は死刑に処することができることである。どうしてか知ろうとしたら、こういうことが分かった。
 一度死んだ新デルタ星人は心球で再生しても髪の毛がはえない。あたまはつるつるであるという。頭の毛の遺伝子だけ再生できないようである。それでデルタ星人で頭に毛がない人は、一度死んだことのある人だということ、髪のある人はまだ一度も死んだことのない人だということである。
 これで、髪のある新デルタ星人は死の経験がない分だけ恐怖心が少ないということがあきらかになった。髪のある殺人者に死刑を宣告できるのは、新たな人になり、善良に生きろというわけである
 地球人の多くは一生髪がある。犯人は髪のあるやつを狙ったといっている。それが地球の若い医者だったわけである。地球人だとは思っていなかったようである。殺されかけた地球人は今入院しているところで、一年後にはふだんの生活に戻れるという。
 新デルタ星人は二つの命をもっていることから、一つの命の地球人とは異なった心理をもっているのは当たり前である。デルタ星人は,2000年のレベルであるということだったが根本から地球人とは違うことがわかってきた。
 もし、科学が進み、戦争のための道具が今の地球のレベルになったときが少し怖い。 
 今の新デルタ星人を見ると温厚である。心配はないかもしれないが、殺人者もいないわけではない。
 新デルタ星人の指導者が、死に対し無頓着な心を持っていて、一つの生命しか持たない人に対しての理解がなかったら、簡単に地球と戦争を引き起こす可能性がすくなからずある。
 普通の生き物には「生命が一つしかない」ということをデルタ星人に教える必要があることを私は厚生省に進言した。

二つの命

二つの命

西暦3548年、生命のいる新しい星が見つかった。その星の生命体は1500年ほど前の人間の暮らしをしている。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-10-23

CC BY-NC-ND
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