豹〈Jaguar〉

其の屋敷は、摩天楼と謳われた街を一望可能な大変に見晴らしの良き場所にひっそりと佇んでいた。
初冬を迎えたばかりのこじんまりとした庭先を吹き抜ける風が、紺色のガウンを其の身に纏ったまゝの屋敷の主の銀髪をそっと撫でる中、自身よりも二回りも年齢の若い小間使いが運んで来た紅茶を「彼」は物憂げな表情で静かに啜り、そして毎朝欠かさず眼を通している某大手新聞社の広告欄へ、そっと視線をやると、其処にはこう綴ってあった。

御探しの「品」、無事確保いたしました。
御準備出来次第、受け取り可。

一見何の変哲も無い其の文章にピクリと反応する素振りを見せた「彼」は、嘗て自らがガードマンとして仕えた「やんごとなき一族」のご主人から「功労品」として受け取ったと言う逸話を有する金縁の卓上電話のダイヤルを回し、何処にでも売っている葡萄味のクッキーを口に運んだ。

おはようございます、ロベール様。

電話口に出た人物は若い男性だった。
名前はダグラス。
表向きはさる中小規模の証券会社に籍を置く典型的なサラリーマンだが、裏の顔は現役の諜報部員であり、同時にロベールの愛弟子でもあった。

今朝の広告欄に就てだが、あの男とのコンタクトは本当に取れたのか?。

はい。
今更私なぞの口から申し上げる迄も無く、大変に用心深い人物故に多少の手間暇は掛かりましたが、間違いなく。

で、何時逢えるのだ。

今夜午后六時きっかり。
ホテル『Shangri-la』の一室で、との事で御座います。

判った。
斯う言う場合は信用が第一だ、報酬金は私が
直接手渡す。

畏まりました。
では今宵、ホテルのロビーにて。

あゝ、宜しく頼む。

ロベールは電話を切ると、ふた口目となるクッキーを口に運び、紅茶で其れをそっと流し込んだ。

苦い想い出、否、悪夢とも此れで縁切りだ。

こゝろの奥底に於いてそう呟いた此の老紳士の脳裏には、革命戦士として彼方の戦場、此方の大都市と言う具合に世界を駆け巡っていた頃の想い出が去来をしていた。

あの頃は沢山の仲間が居た。
手柄と呼べるモノも山の様に立てた。
だが、老いさらばえた現在〈いま〉となっては、其れは単なる足枷にしか過ぎない。
だからこそ、一切を断ち切るのだ。
どの様な手を行使しようとも。

午后五時半。
ロベールはお抱えの運転手が運転をする仏蘭西製のDSオートモービルで『Shangri-la』へとやって来た。
三日間に亘って開催されていた「薔薇祭」と呼ばれる薔薇の品評会を終えたばかりのロビーは、秋の日を迎えた直後の海岸通りよろしく閑散としており、応対をしたダグラスを見つけるのは大変に容易かった。

済まなかったな、早い時間に待機をして貰って。

「喫煙可」と綴られたブリキ製の灰皿が設置されている硝子テーブルの側の椅子へと腰掛けるなり、銀婚式の際に拵えた黒柿色のスーツの内ポケットから取り出してみせた『キャメル』の紫煙をロベールが咥えると、何があるか判りませんからね、先を読んで行動為さって正解かと、とダグラスは返答しつゝ、白馬のイラストがデザインされたライターで紫煙に火を点けた。
ダグラス自身もヘビースモーカーなのであるが、ロベールは其れを上回る程の根っからの紫煙吸いである為、ライターは必ず持参しておくのがある種の慣わしであった。

報酬金の方は?。

はい、此方に。

額は間違い無いだろうね。

何度も確認させましたし、私自身も何度も確認いたしました。

力強く返答をしたダグラスの眼が、紅葉を思わせるフレームが特徴的な眼鏡のレンズ越しにチラリと光った。

よろしい。
今更此の様な事を述べる必要も無いが、相手も人間だ、そして商賣だ、機嫌を損ねる様な真似だけは避け給えよ、くれぐれも。

心得ております。

そう言い終えた直後のダグラスが首からぶら下げた懐中時計に視線をやると、もう後五分と経たないうちに時刻は午后六時を迎えようとしており、では参りましょう、と聲を掛けた。
人混みを避ける様にして乗り込んだエレベーターは最上階で止まり、ダグラスが奥の部屋をノックした際には時計の針は午后六時きっかりを迎えていた。
ロベールとダグラスが部屋に足を踏み入れると、胡蝶蘭の香りが鼻腔を擽る中、分厚い硝子の嵌め込まれた窓から夜景を見つめる背の高い男の姿があった。

胡蝶蘭の花言葉は「幸福が飛んでくる」。
私にとっての幸福の使者、其れが貴方様と言う訳ですな。

事前に指定された通り、ロベールが真っ白なテーブルクロスの敷かれた円卓の中央に報酬金の入ったスーツケースを置き、スーツの左の内ポケットから取り出した鍵を用いてスーツケースの蓋を開けると、中から出て来たのは合計二十万ドルに及ぶ札束であった。

お約束の二十万ドルです。
代理人を通じまして事前にお伝えいたしました通り、相手は貴方様同様にプロフェッショナル、くれぐれも手抜かりの無い様、御願いいたしたく。
此れが私の唯一の条件で御座います。

結構。
準備に三日、決行に一日。
其れで決着〈かた〉をお付けしよう。

有難う御座います。
では長居はご無用でしょうから、私達は此れにて。

ええ。
此処から先は赤の他人と言う事で。

部屋を後にしたロベールはエレベーターに乗り込むや否や、つい一週間前、新調を施したばかりのズボンの右ポケットの中から取り出した茅色のハンカチで額に浮かんだ汗をそっと拭うなり、唐突な質問で悪いが、君は此の後仕事があるのか、とダグラスに質問をすると、すかさずダグラスが、いえ、此の後は暇な身体ですので、と答えたので、良かったら
ウチで一杯やらないか、君も存じている通り
妻は義妹と旅行中だ、独りで居るのは如何も
こゝろ細い、とダグラスを酒宴に誘った。
ダグラスは此の孤独な老紳士を慰める意味も込めた笑顔を浮かべつゝ、私の様な者でも宜しければ、とロベールからの誘いを二つ返事で承諾した。
此の様なやり取りが交わされたのち、ロベールとダグラスを乗せた車が足早にホテルを立ち去り、ロベール邸へと向かっていた頃、町は町でも雑然とした雰囲気漂う港町の一角に建っている酒場『バカラック』には、風雪に晒されてすっかり色の褪せた様子の「本日臨時休業」の札がぶら下がっていたのだが、大戦中、迫害されて居た者達を匿(かくま)う為に拵えたのだと言う、広さにして約十畳ばかりの地下室には、眼前に広がる海に似て、気性の荒さ、はたまた激しさが感じられる男女が夜毎集いし酒場には誠に不釣り合いな紳士然とした格好の人物達の顔が揃っていた。

つい先程入った「定時連絡」によれば、ロベールは他所から来た人間とコンタクトを取ったとの事だ。

表向きは『バカラック』の気の良い主人、裏の顔は主に東側との繋がりを持つプロフェッショナルであるアダモが、裸電球の灯(ともしび)を頼りにメモの走り書きを静かに読み上げると、と言う事は、事前に我々が予測を立てていた通り、構える必要があるな、一戦(ひといくさ)、と此の顔触れの中心人物で獨逸製の
自動拳銃『ルガーP08』の使い手であるブルーノが静かに呟き、アダモが用意をしたソーダ水をゆっくりと喉に流し込んだ。

狩猟(ハンティング)の為の道具だが、其れは既に揃っている。
斯う言う場合は使い慣れたモノが良かろうと言う事で『スミス・アンド・ウェッソン』のM36を採用させて頂いた。

仲間の間では通称『道具屋』と呼ばれているオットーが写真をテーブルの上に置いた。
其処には事前にNo.の削ってあるM10がモノクロで映っており、其れを見た『走り屋』の
ペドロはひと言、良くこんなシロモノが手に入ったモンだ、此の頃は当局の眼が厳しく光っていると言うのに、と舌を巻いた。

なあに、当局の御歴々が何れだけ顰めっ面で
応対なさろうとも、袖の下ありきで働いている人間は税関に山の様に居るんだ。
幾らでも誤魔化しは効くモンさ。

そう言ってオットーは、皮膚トラブルが起き易い体質であるが故に日頃のケアが欠かせぬ
自身の頬を左手でパチリと叩いた。

誤魔化し云々の話は兎も角として、他所からの人間が送り込まれた以上、此れ迄以上に我々の行動はより慎重で無くてはならん。
各々、今夜から明日にかけて用心を怠らぬ様頼むぞ。

ブルーノが其の様な訓戒の言葉を一堂に述べてから、四日もの時間が経過をした或る日の昼下がり、ブルーノ達一行は街から二十キロも離れた山村〈さんそん〉の何処にでもある宿屋に滞在をしていた。
笑顔の絶えぬ、何かにつけて金払いの良い紳士連中。
自給自足で日々の生活を成り立たせている村の人々は、ブルーノ達に対してそう言った様な印象を抱いていた。

今日はどちら迄お出掛けなさいますか?。

其の容姿から察するに五十絡みの女性が暖炉の前で談笑をしていた彼等に聲を掛けた。
此の女性は宿屋に住み込みで働いている女性達の中でも一番年季が旧い人物達らしく、且ついっとうの御喋り好きと言う評判を持っていた。

今日は湖の周辺をドライブしようと思いましてね。

そう言ってオットーは日頃から愛してやまぬクロワッサンに手を伸ばすと、其れにがぶりと齧り付いた。

今頃の湖は空気が澄んでいて、大変に過ごし易いですから、気分転換には御宜しいかと。

其れは有難い。
街の中でせこせこ動き回る生活を送っておりますと、如何しても人間本来の生き方を忘れがちですからな。

宿屋から十歩と離れていない場所に聳(そび)え立つ教会の鐘が人々に時刻が正午になった事を告げたのは、俗に言うロイド眼鏡と付け髭を身につけたブルーノが、腰掛けていた椅子からむっくりと立ち上がったのと粗同時の事であった。

其れでは行って参ります。

ええ、道中くれぐれも御気を付けて。

宿屋の人々に見送られるカタチでブルーノ達一行が湖の方へと車を走らせた頃、其の様子をもう一軒の宿屋の三階の隅の部屋の窓から望遠レンズ越しに伺っていた人物が居た。
其れは例の男の相棒で、昔乍らの宿帳の職業欄には「フォトグラファー」と綴っていた。

連中、出掛けていったよ。

ひんやりとした空気を含んだ風に桜色した髪を軽く揺らし乍ら、普段吉野と名乗っている人物が望遠レンズを所謂「二重底」になっているケースの中へと仕舞い込んだのち、隠し部分となっている部分から慣れた手付きで取り出した愛用の拳銃『スミス・アンド・ウェッソン:M10 2インチ』のシリンダーに弾丸を込めると、例の男・・・其の界隈ではソテツと言う渾名〈コードネーム〉で知られている
男はそんじゃ出掛けるか、と言って、『フィアット600e』の鍵〈キー〉を丁度サーカスの檻の中の獣が鎖を鳴らすが如く、ジャラジャラと鳴らしたのち、漆黒色のハンチング帽を被り直した。

実に長閑なモノだ。
好き好んだからとはいえ、土竜(もぐら)の様な生き方を選んでいる立場からすると、こうして陽光をのんびりと浴びられる生活が何時迄も続けば良いのだがな。

ドライブの途中で立ち寄った雑貨屋にて購入をしたウヰスキーの注がれたスキットルに口を付けたばかりのアダモがそう呟くと、いやいやいや、まだまだ楽は出来んさ、「我々」に対する需要の熱が冷める迄はな、と言い乍らブルーノは檸檬味のタブレットの欠片〈かけら〉をごくりと飲み干し、公園に常設してあるウッドチェアーから立ち上がった。

何処に行くんだ?。

コミック雑誌に眼を通して居たペドロが雑誌越しに聲を掛けた。

なあに、トイレさ。
こう空気が澄んでいると、如何しても用足しをしたくなる。
昔からの悪癖だ。

銃はあるのか?。

あゝ、勿論だ。

其れからブルーノはせっかちな性格が具現化したかの様な早歩きで公衆便所の方へと向かった。

夜は如何する?。
又酒場でポーカーかい?。

アダモの甥っ子で荷物持ちの役目を授かっているジョーが咥え紫煙で言った。

いや、今夜は麻雀だな。
カモになりそうなのが居る。

なら其奴等から巻き上げるとするか、今晩の酒代は。

そう言い乍らジョーが叔父へ向けてニカっと笑みを浮かべた途端、林の中から二人の人物が飛び出して来た。
二人の手に拳銃が握られているのを知った途端、ジョーは素早くガンホルダーから抜き取った護身用の自動拳銃『コルトM1908』で応戦をしたものの、生兵法は大怪我のもと、とは良く言ったモノで呆気なく胸を撃ち抜かれて其の場に斃れた。

来おったな、殺し屋共め!。

オットー、ペドロ、アダモの三人は半ば無我夢中になって銃を乱射した。
が、スポーティーな動きに長けた殺し屋達即ちソテツと吉野にとって、彼等の存在はお祭りの射的の景品の様なモノであり、騒ぎを聞き付けたブルーノが其の場に駆け付けた時には、三人が三人とも額を撃ち抜かれていた。

いやはや、其々歳を重ねたとはいえ、現役の
諜報部員に負けぬ位の技量を持った人物達を
いとも容易く仕留めるとは流石なモノだよ。

ブルーノは眼前のソテツと吉野の殺し屋としての腕前に対し、彼なりの言葉で敬意を表するなり、死者の眠りを妨げるのは酷だ、広場の方へ出よう、と聲を掛け、広場の方へと二人を誘い出した。

此れは単なる殺し合いでは無い。
男と男の名誉ある決闘だ。

良かろう。
勝負は一撃、文句は無いな。

ソテツが冷たい視線を向けると、ブルーノは
諦観混じりにあゝ、と応答をした。
其れから二人はサッと横へ向けて駆け出すなり、ガンホルダーから一方は『ルガーP08』を、もう一方は『スミス・アンド・ウェッソン:M19・6.5インチ』を抜き取って、共に黒光りする銃口を相手に向けた。
ソテツの放った弾丸がブルーノの土手っ腹に炸裂をした瞬間、ブルーノの羽織っていた皺一つ無い真っ白なワイシャツは真っ赤に染まり、ブルーノの身体は広場に積もった枯れ葉にどさりと音を立てて落ちた。

終わったね。

決闘の様子を伺っていた吉野がソテツに話しかけると、否、如何やらもうひと仕事残ってるらしいと言い乍ら、ソテツはシリンダーに弾丸を込めた。

あゝ、そうらしいね。

吉野は自身の残弾数がソテツの言う所の「もうひと仕事」をこなす上で問題無い事を確認するなり、ソテツが銃口を向けた同じ方へと銃口を向けた。

一発で頼むよ。

あゝ、解ってる。

二発の銃聲が鳴り響いた途端、其れに重なる様に女性の悲鳴、雲一つ無き大空へと野鳥が羽撃(はばた)く音、そして又別な村の教会の鐘の音が合唱隊のコーラスの如く重なり合った。
二人に射殺された女性。
彼女は二人が宿泊をした宿屋の隣にホームステイと言うカタチで逗留をしていた医学生と言う触れ込みだったが、実際はブルーノが万が一の事があっては、と仲間の誰にも相談をせずに雇ったとある組織の殺し屋で、彼女なりの鋭い嗅覚でソテツと吉野が「只者」では無い事を察知し、此の機会に、と出張って来たのであるけれども、返り討ちに遭ったのだった。〈終〉

豹〈Jaguar〉

豹〈Jaguar〉

過去。其れは時に郷愁を纏い、時に足枷となるモノ。そして同時に人々の胸の内に或る種の焔(ほむら)を呼び覚ますモノ。此の物語は そう言った要素を持つ過去を断ち切る役目を授かった「豹(ジャガー)」と呼ばれる殺し屋達が主人公の物語である。※本作品は『ブラックスター -Theater Starless-』の二次創作物になります。

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-10-19

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work