百合の君(最終回)

百合の君(最終回)

 喜林義郎(きばやしよしろう)の葬儀は、長年を過ごした煤又原(すすまたはら)城近くの正巻(まさまき)川の河原で行われた。珊瑚(さんご)は、その荼毘の炎を赤い瞳で見ていた。小さな火は成長しながら左右に分かれ、頂点で再び合流し父の遺体を包んだ。炎の後を追うように、薪が徐々に黒い炭に変わっていく。
 穂乃(ほの)は息子の逞しく成長した横顔を見た。
「喜林の父上は、本当に炎のようなお方でしたね。奪わずには生きられず、それでもあなたの命を守ってくれた。人とは、そのような生き物なのですね、いえ、人だけではありません。生き物はみな奪い、与えねば生きられないのです」
 穂乃は奥噛(おくがみ)山を見上げた。いつかの山火事の灰を糧に、新しい木々が茂っている。今年ももうすぐ奥噛祭りだ。あの炎の祭典が終われば、新しい春がやってくる。炎とは、焼いた物の意思をも、また取り込んでしまうのではないだろうか。蟻螂(ぎろう)のだけでなく、浪親(なみちか)様の心が珊瑚の盾になったのではないか。
 命をつなぐとは、そういうことだと穂乃は思う。
「珊瑚殿、喜林の父上の遺言です。自分に何かあった時には喜林を珊瑚殿に譲ると。とうとう戦の時代が終わり、天下が一つになりました。出海(いずみ)の父上の願いも叶ったのです」
 しかし、珊瑚は母に振り返った。
「私では駄目です」珊瑚の顔は澄んでいた。「出海の父上がおっしゃっていました。人間は自分が正しいと思わなければ何もできないが、自分が正しいと思った時にはすでに道を誤っている。この矛盾から逃れるためには、何も知らない者に託すしかありません」
「知らぬ者とは?」
「蝶(ちょう)様がご懐妊されたと聞きました。その赤子が将軍になるべきです」
「なんですと?」
「私の望む世の形です。私の心には、出海と喜林双方に複雑な思いがあります。そしてそれは一生消えない。私では駄目なのです。私は、二人の偉大な父の歪みなのですから」
 そう言いながらも、珊瑚の声には未練や悔恨の色はなかった。穂乃は、息子がやっと自分の成すべきことを自ら悟ったのだと知った。
「さらに私の歪みをも、受け入れてくれたのですね」
 珊瑚は笑った。
「炎が命を芽吹かせたとしても、いつまでもいられちゃ芽は育ちませんから」
 穂乃はこんな朗らかな息子の笑顔を初めて見た。いまの珊瑚のこの気持ちが、あの時の浪親様をあの山小屋に連れて行き、私をさらうよう導いたのかもしれない。荼毘の炎は空にたなびき、見上げると、春に向かって漕ぎ出した空にさざ波のような雲が浮かんでいる。私の人生も、次の段階に入らなくてはいけない。

  *

 十年後、世の中は大きく変わっていた。喜林と出海の軍は再編され、家ではなく将軍という職につく軍となった。が、今のところ、その出動はない。蝶姫がその手練手管で、あらゆる対立をうやむやにしていたからだ。
 龍口(りゅうぐう)に使われていた火薬は、道路工事に革命をもたらし、山に開けた穴は人々の生活を一変させた。もう煤又原城から上嚙島(かみがみしま)城に行くまで、厳しい山越えをする必要はない。
 そして、墨染(すみぞめ)の衣を本当に墨で真っ黒にして、穂乃は手習いの先生をしている。自分の見たこと聞いたことを一生懸命伝えようとするが、天下泰平の世に生まれた子供達は、あくびをしているばかりだ。
 しかし、穂乃は思う。このあくびがいつまでも続けばよい。結局このあくびのために、浪親様も蟻螂も死んだのだ。二人の廟には、今でも参拝者が絶えない。火薬で開けた穴を通って、全国からやって来るのだ。その血で濡れた両手を合わせに。

百合の君(最終回)

・穂乃の言う「喜林の父上の遺言」は本当にあったのでしょうか?

・最終回です。(1)が2024年5月11日なので、2年以上かかっています。もしも毎回アクセス数がゼロだったら、続けることはできなかったと思います。ここまで読んでくださった方、ここだけ読んでくださった方、本当にありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。

百合の君(最終回)

最終回、エピローグ的な回です。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-09-26

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