人類は滅亡と会議で決まったらしい
プロローグ
2月中旬、寒波の襲来を受けた東京は、大雪となった。オフィス街を吹雪が抜ける。その様子を窓際に立って眺めながら、一人の男が電話で話をしていた。今時他所ではお目にかかれない黒電話だ。片手で受話器を握り、一方の手で電話機を持っている。
「はい。・・・わかりました。彼女を・・・はい。そちらに届ければ・・・・はい、方法はこちらで?・・・・わかりました。段取りをします。では、失礼いたします」
男は握っていた受話器を、左手に持った電話機に戻した。長く伸びた電話線をさばきながらデスクに戻す。それから深々と椅子に座った。
「はあ~、ついに始まるのか」
男はポケットからハンドタオルを取り出し、禿げた頭を撫でた。
「社長、マスターからですか?」
「ああ。いよいよあの計画が始まるらしい。せっかくここまで繁栄したのにな。でもまあ、やりすぎたかな」
社長と呼ばれた男は、窓の外の吹雪にかすむ高層ビル群を、残念そうに眺めた。
指名された私
8月になったばかりの暑い日、私は知り合いに呼び出され、都心の喧騒の中を自転車で走っていた。雲一つない晴天は、あまりうれしくはない。せめて朝早くか夕方日が沈んでからにしてほしかった。真上から強烈な日差しに当てられて、干物になりそうだ。じゃあ電車で移動すれば良さそうなものだが、あいにくお金が無かった。家賃を払って電気と水道を止められないように頑張ったら、節約できるところが交通費しかなかった。バイトを2軒掛け持ちしながら本業のフリーライターを何とか続けているが、凡人の私にはろくに仕事もなく、少しくじけそうになっている。
オフィスビルが並ぶ通りから一本裏に回り、5階建ての古いビルの前に自転車を止める。築70年の石積みのビルは、周囲のビル群と比べて異質だ。私は首に引っ掛けていたタオルで顔の汗を拭き、ヘルメットを脱いで自転車の前かごに放り込む。
「こんちは~」
私はビルの玄関の管理室を覗き、管理人さんに挨拶をした。
「ああ、真紀子さん。いらっしゃい。自転車?」
「そう。ホールに置いといても良い?」
「いいよ。気を付けなさいよ。熱中症にならないようにね」
「ありがとう」
私は乗って来たママチャリを、ビルのホールに置いた。ビルの中はひんやりと涼しい。背中を流れる汗が気持ち悪いが、そのうち乾くだろう。首回りが少し伸びたTシャツの下にタオルを突っ込んで、胸や腹の汗を拭う。ショートパンツは汗が染みて少々見苦しいが、まあいい。私は気にしない。タオルを首にかけてウェストバックの位置を直す。正面に見える大理石張りの階段を、2段飛ばしで駆け上がる。女性としては大柄な175㎝の身長と、鍛えた体で息を切らすことなく5階まで駆け上がった。上がり切った所に古い木製の扉がある。すりガラスが入っていて、ガラスに文字が書いてある。ペンキで書かれた字は半分はがれているが、かろうじて無須田書房と読める。
「こんちは~」
私はノックもせずに、ノブをつかんで扉を開けた。途端に熱気の塊が押し寄せてきて、思わず一歩下がる。
「いらっしゃい。仁山さん何か御用?」
入り口のカウンターの向こうから、こちらを向いている老人が私を一瞥する。
「無須田さんに呼ばれてきました」
「ああそう、ちょっと待って」
老人は席を立ち、奥へ歩いてゆく。待っている間に部屋の熱気で汗が流れ始める。老人は一番奥の扉を開け、中に向かって何かを言っている。扉の奥からおやじが顔を出して、私を手招きした。私はカウンターを回り込み、並んだ机の間の通路を通っておやじの所まで行った。
「いらっしゃい真紀ちゃん。こちらにどうぞ」
首にタオルを引っ掛けた半袖短パンの禿げた背の低いおやじが、私を部屋に招き入れた。
「無須田さん、エアコンつけようよ。みんな暑そうだよ」
全開にした窓を吹き抜ける熱風と扇風機だけで、良く熱中症にならないものだ。
「考えなくはない。エレベーターもついていないし、実は建て替えも検討している。水回りもダメになってきてるしね」
応接椅子を私に案内して、無須田は対面に座った。
「え?資金は?」
「あるよ。それくらい」
「へえ~」
どうやら私はこのおやじを、見た目で貧乏人と判断していたようだ。
「真紀ちゃん、仕事しない?」
「え?・・・・どんな仕事ですか?」
私は飛びつきそうになるのを抑えた。このおやじの仕事は一癖も二癖もある。今まで何度か受けた仕事はどれも大変だった。でもまあ、何とか完遂しているからこうして声もかかる。報酬は満足いくもので、私の少ないクライアントの中でも太客なのだ。
「ちょっと南の海を漂流するだけの、簡単な仕事だよ。それをレポートしてもらいたい。ちなみに報酬はこれだけ払うよ」
無須田はテーブルの上の電卓を取り上げ、ポチポチとキーを押す。それを私に見せる。
「え・・・百万」
私の頭の中で計算が始まる。百万あればあれもこれも支払って、残りでステーキが食べられる。
「う~ん」
私が金の使い道を考えこむのを見て、金額に不満があると思ったのか、無須田はさらにキーをたたく。
「ええい真紀ちゃん、これならどうだ!」
そう言って電卓を私に向ける。
「二百万、受けます」
「良かった。これは真紀ちゃんじゃないとできない仕事だから」
「私じゃないと?」
「うん。今売り出し中の冒険家の依頼でね。ライブ配信で台湾沖からいかだで黒潮に乗って九州に渡るという企画があって、どうしても女子を一人載せたいんだって。でもそんなの誰でもできないでしょ?それでその手のことに慣れている真紀ちゃんにお願いしたんだ」
「え~それ、その冒険者私で良いのかな?見ての通りのごつい体に何の魅力もない胸、不細工な顔、しかも大女ですよ。どう見ても配信向きではないと思うけれど」
「先方は真紀ちゃんの写真を見て気に入っていたよ。それにこういう仕事、嫌いじゃないでしょ?」
「嫌いではないけど。なんだかこんな仕事ばかりですね」
「おかげさまで、うちは儲けさせてもらっているよ」
そう言って無須田は禿げた頭をタオルでグイっと撫でた。
3日後、私は再び無須田書房にいた。今日は依頼主の冒険家との打ち合わせに来ている。
「僕は大山です。よろしく」
私の対面に立っている男が私と握手した。背は私より低く、170Cmあるかないかだが、筋肉質のがっしりとした体格をしている。握手した右手はごつごつとしてぶ厚かった。ひんやりとした体温に少し驚いたが、浅黒く日焼けした顔でにっと笑う仕草は見ていて安心できる。短パンTシャツサンダル履きというラフな格好がさまになっている。見た目30代前半と云ったところか。
「私は仁山真紀子と言います。フリーライターです。お仕事ありがとうございます」
「僕は冒険家だけれど、まだ全然認知されていなくて。そこで台湾からいかだに乗って黒潮を漂流するのを動画でアップしてアピールしようと思ってね。そこで無須田書房さんに企画を持ち込んでスポンサーをお願いしたら、レポーターとしてあなたを紹介された次第です」
「そうですか。大山さん、私もこの手のレポートは私が適任と自負しています。でも無須田さん。ほかにいなかったのですか?配信するのなら女子より男子の方が良いのでは?ましてや私はこのなりですよ?どう見ても見栄えが良くないと思いますが」
私が大山の横にいる無須田に問いかけると、代わりに大山が答えた。
「仁山さん、冒険動画にアイドルみたいな見た目弱々しい女子が出ると、叩かれます。まじめにやれってね。まあ、おふざけみたいな企画だけれど内容はハードだし、遊びじゃないからね。本気で冒険できる女子を探していたらあなたに巡り合えた。本当に良かったよ」
「そうですか。それはどうも」
私は喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。普通の女子認定されなかったことに、少しもやもやした。
「漂流するいかだは日本で作って台船に載せる。それで台湾沖の公海上で黒潮本流に下ろす。そこから沖縄諸島の北を通過して九州南部、もしくは対馬暖流に乗ったなら五島列島のどこかまで行く予定。10日くらいを考えている。多分そんなにはかからないけれどね。それと電気機器を扱うクルーがもう一人乗る予定。今日は来ていないけれどね」
私は大山が用意した計画表を手に取り、確認する。それには日程、食料、機材、いかだの図面、予定航路等がつづられていた。
「いかだは思ったよりちゃんとしていますね。GPSや蓄電池、ソーラーパネルに小型ポータブル発電機まで。この構造は?」
「ああ、基本竹で組んだいかだだけれど、真ん中にFRPで作った船体がある。万が一いかだがばらけることがあっても、その部分は沈まないようにね。これは冒険だけれど、命を懸けるつもりはない。あくまで僕を売り込むのが目的だから、安全策は充分に取っているのさ」
う~ん、これは冒険と言えるのだろうか。私はサイトの炎上が脳裏に浮かんだ。まあ、悪目立ちでも認知は上がるかな。これ以上は私には関係ないことだ。
「それで無須田さん。私は何をすれば?」
「うちの月刊誌に、10ページの特集を組むから、レポートしっかり頼むよ」
「10ページ?その程度のレポートに二百万は破格過ぎませんか?」
「ああ、うん。そうだな。これは他にもいろいろ考えているんだ」
「そうですか。で、大山さん。スタートが8月15日になっていますけれど、それまでに私がすることは?」
「特に無いよ。前日に鹿児島の枕崎市にいればいいよ。宿は押さえてある。15日にいかだを載せた船で出発して、3日後に台湾南東沖80Kmあたりで漂流開始する」
「なるほど、台湾には上陸しないんだ」
「そうだな。一応10日間くらいの旅行のつもりで用意しといて」
「はい」
打ち合わせは終わり、解散する。なんだかずさんな計画だなあと私は首をかしげる。
「真紀ちゃん」
帰ろうとすると、無須田に呼び止められた。
「ごめんね。こんな仕事紹介して」
「いえ、いいですよ。こういうの好きなので」
「そうか。でも無理するなよ」
「はい。ありがとうございます」
「それと、報酬の半分は前払いで振り込んどいたから」
「助かります」
私は頭を下げた。
バイト先に事情を話して、一度やめることにした。その後無須田書房から百万の振り込みを確認した。私は漂流の準備を始める。携帯食、着替え、小型カメラやそのほかのものをそろえていくうちに、重大なものが無いのに気付いた。
「あ、飛行機のチケット。予約忘れていた」
私はすぐに航空券の購入を始める。しかしお盆に席が空いているはずもなかった。仕方なく無須田社長の携帯に電話をする。
「真紀ちゃんごめ~ん、忘れてた。帰りの便は自分で取ってね」
その後チケットが添付されたメールが届いた。
「あの人、何者?」
私は思わずつぶやいた。一体どんなコネを持っているのか想像もできない。
8月14日午前、私は羽田から鹿児島に飛んだ。鹿児島空港に到着して荷物を受け取り、外に出る。午前中にもかかわらず、暑い。おひさまはもはや暴力的な日差しを私にたたきつける。むき出しの腕がじりじりと音を立てているようだ。バス乗り場で枕崎までのリムジンバスのチケットを購入して空港に戻る。そこで昼食を取り、再びバス乗り場に移動してバスに乗る。2時間半ほど揺られて枕崎市内でバスを降りる。そこから港に向かって歩く。景色を見ながらぶらぶらと歩いてゆくと、港が見えてきた。岸壁に立ち周囲を見渡す。すると、いかだを載せたクレーン付きの作業船を見つけた。あれだなと見当をつけて歩いてゆく。作業船の上に今回の雇い主の冒険者が居た。
「大山さ~ん」
私は作業船の横に立ち、声をかける。数人の作業員が一斉にこちらを見た。
「仁山さんいらっしゃい。こちらにどうぞ~」
大山に手招きされて、私はタラップを渡って作業船に乗った。
「お疲れ様。今日も暑いね」
「全くです」
「いかだを案内するよ。ついてきて」
作業船の船台に、今回使用するいかだが載せてある。前に図面で見ていたが、実物を見ると小型船の周囲に竹で組んだいかだが固定されているのがよくわかる。いかだには作業船から電気ケーブルが伸びている。私は大山に続き、いかだにかかっているラダーを登った。竹で組んだいかだ部分はコンパネが敷いてあり、歩きやすい。真ん中の船体部分の扉を開け、中に入る。
「わあ、涼しい」
「エアコンが効いているからね。ここは機械操作室だ。中に積んである機器類を冷やす目的でエアコンはついてる」
いかだのキャビンには計画書通りの機器があった。なんとなくガソリン臭いのは、小型発電機があるからだろう。
「屋根にあるソーラーパネルで蓄電もできる」
大山が私に説明をする。そこに、中年の男が一人、操作室に入って来た。私と同じくらいの身長だが、ひょろりとしていて私より力が無さそうだった。
「丁度良かった。仁山さん、彼は向井さん。機器類の操作を担当してくれる」
向井と呼ばれた男は、私を見て無言で頭を下げる。そしてふいっと向きを変え、GPS装置を触り始めた。大山はちょっと肩をすくめる。
「こちらが居室だ」
操作室を出たすぐ後ろに船室がある。それぞれが個室になっていた。中にはベッドと椅子が一つあるだけの小さな部屋だ。あとはトイレやシャワー室、機械室と5分足らずで船内を見て回った。私は大山と外に出てラダーを降りる。作業船では明日の出航に備えて準備が行われていた。大山は各所を回り、数名のクルーに私を紹介する。みんな無口だが印象は悪くない。軽く微笑んで私と握手する。一通り顔見せをしてから私は作業船を降りた。
「仁山さん、宿はわかる?誰かに送らせようか?」
「分かります。大丈夫、ぶらぶら歩いていきますから」
「そう、気を付けてね。明日は朝9時にここに来てくれればいいよ」
「了解しました」
私は大山に手を振り、今日の宿に向けて歩き始めた。
今夜の宿はビジネスだ。宿に向かう途中に見つけたスーパーに立ち寄り、夕食を調達する。宿に着いてチェックインを済ませ、部屋に入る。まだ夕方だが腹が減ったので、買ってきた弁当を袋から取り出し、食べる。普通のとんかつ弁当だが、ほかにカツオのタタキも買ってある。これをつまみに冷えたビールをちびちびと飲む。ビールを飲みながらスマホを取りだし、SNSの投稿を見る。いろいろなサイトを見ながらふと気付くと、外はすっかり暗くなっていた。
「わ!4時間も見てるって、私馬鹿?」
時間の浪費に自分自身が嫌になる。食べ散らかした弁当のガラをきれいに片付けて、シャワーを浴びる。浴衣に着替えてベッドにもぐりこんだ。明日からは船の上だ。しばらくは揺れる足元に苦労するだろう。
「おやすみ」
誰に向かって言う訳でもなくつぶやいて、部屋の電気を消した。
人類は滅亡と会議で決まったらしい